花田達朗教授による公共圏 続編
 2002年11月2 日の建築あそび の記録   秋 ー2 
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今日の公共圏をどう考えるかというお話をしようと思います。公共圏という言葉は前回縷々・お話をしたわけですが、主に前回は公共圏というものの理念的な発生。それを中心に話したと思います。西洋近代の歴史の出発点においてその公共圏というものが、どういう風に、あるいはどういう構図のもとに生まれて来たか、というふうなことを話したわけですが、その部分はあまり繰り返しをしませんけれども・・・
     

 公共圏って簡単に言うと・・言葉・・面倒な言葉で言うと言説ですが・・デスコースですね。うー・・言葉・・もちろんこの言葉っていうのはすごく広い意味で、単に話す言葉以上にですね、映像であったり、記号であったり、そういうモノでもいいんですけれども、言語作用をするようなものですね。

そういう言葉がですね・・言葉が交換(交感)されてされていく社会的な空間のことだと言っておきます。

こう言うと何の事だろうと思われるかもしれませんけども・・具体的にこの場所(2002年11月2日建築あそびの場)この場所は私の定義からすれば公共圏と言うことが出来ます。何故かといえばこの場所はどういうふうな原理で成立しているかと言うと・・今ここで話をする会話はですね、一切制約が加えられていませんね。自由に話すことができますね。

 よく使われる、言論の自由っていう言葉がありますけれども、これはなんて言うかな、硬い言葉ですけれども・・話すってことにおいて、自由が保障されているということ、そういう場所がまもられているということですね。まぁ佐藤さんのように座布団で頭ぶん殴って「お前は話をやめろ」というシーンもあったそうですけれども、
     会場 笑い
基本にはこの場所はオープンである。・・この場所がオープンであるということはもう一個重要な要素はですね。誰でも自由にこの場所に集まって来てるってことですね。これもやっぱりオープンっていうことですね。

 ですから今日初めて会った人達が多いわけですが、既知の人ばかりじゃなくて、知らない人も集まって居る。その点においてもこの場所はオープンな自由な一つの出会いの場所だということ。そういう場所で、自由にモノが言えるっていう原則が一つ。

それからもう一つ・・一寸さっき言った事とも関連しますが、我々はみんな違います。いろいろな背景を持っています。他人どうしであって、しかもいろいろな背景を持っている。硬く言えば異なった他者同士がここに集まって居る

 しかし集まっている時にこの場所をシェアーしようという意識を持っていますよね。この場所から誰かを排除しようと思わないし・・この場所で自由に話をするんだって言う事柄について、みんなで共有していますね。

だからその二つの原則が成り立っている限りですね。それは言葉がオープンに交わされるっていう事柄と、異なった他者が集まってその場所をシェアーしようとしているという事柄と、そういう原則が保証されている限り・・また実現されている限り、そこでは公共圏というモノが成立をしている。こういうものが公共圏だと、言うことが出来るわけですね・・・。

 ただこの場所の特色っていうのはもう一つあってですね。フェース・ツー・フェースである。向き合うことが出来る場所なんですね。硬い言葉で言うと佐藤邸という物理的な空間。この場所ですね・・この物理的な空間の中に我々が一緒に存在してるということですね。離れ離れにはなっていない。普通の日本語では一堂に会してって言うわけですね。硬い言葉でいうと物理的空間を共有している

そういカタチで公共圏というものを・・英語で言うとパブリック・スフィアーなんですけども、それをここに成り立たせてると言える。 だからここはパブリックな場所なんですね佐藤邸というプライベートなお宅なんだけども、今この場所に成立している空間はパブリックな空間なんですね。それがパブリックということなんです。そういう意味合いで私は公共圏っていう言葉を使って来ている。


実は今日、現代版でお話しようとしてですね、公共圏というのがいかに失敗しているかということですよね・・

   会場  笑い・

公共圏という理念・・あるべき姿っていうのは先ほどから話して来たようなことですね。言葉が自由に交換され、そういう交換される場所を共有しよう意識が働いている。その・・シェアーしようという意識が働いている。そういうものなんだけれども、それはあくまで理念なんですね。あるいは理想型だと言うことが出来ると思うわけですね。

そういう理想型、理念型というのはうまくできることもあるし、大抵多くの場合はうまく行かないたまたまここでは偶然、公共圏ていう場所が成立している。・・ただこの後どうなるか分かりませんけども・・

   会 場 大笑い  グワグワウフフッフ・・

現実社会においてはですね、多くの場合公共圏っていうものは理念のみに止まっていてなかなか理念というものが実現されない・・というのが通常の姿だといえる。だから公共圏っていうのは常に失敗している。あるいは失敗し続けているというのが現実の姿でしょう・・。で・・今日はじゃどんなにー失敗してるかと・・いう話をしようと思うんだけど・・いくつかのケースをピックアップすることが出来ます。今日はとりあえず3つ。

 1公共圏とジェンダー
 公と私の区別とその固定化
 公共圏=ポリス =政治=国家=公事=生 産 =生産= オトコ
 私事圏=オイコス=経済=社会=家事=再生産=消費=オンナ

 
第一番目は公共圏とジェンダーというタイトルを付けてありますけれども・・歴史的にみてると、と。あるいはパプリックプライベートいうことはですね、一つの二項対立としてずっと捉えられて来ました。公があって私がある。対立する二つの概念としてワンペアーとしてですね・・ずっと捉えられてきました。「公と私というのは区別されるんだ」とずっと考えられてきています。今日も我々は暗黙の内にそう考えています。

そのパブリックな空間っていうものがあるならば、同時にプライベートな空間があるというふうに思っているんですね。逆に、プライベートな空間があるからパブリックな空間があると思っていると思います。頭のなかでそういう風に整理していると思いますね。で・・実はそこに大きな問題を孕んでいるわけです。公と私の区別っていうものが、これまでどんなかたちで行われてきたかというとを一寸見てみますと・・

  ・・台所の方がガタコロとにぎやかになる・・

公と私の区別の問題が出てくる時に必ず事例に出されるのが古代ギリシャの話です。これはあの・・古代ギリシャの共和国ですね。アテネなんかのね・・。そこではその・・アゴラっていうのがあった。ご承知かと思うんですけど。広場があってそこに古代ギリシャの市民と呼ばれる人達が集まってそのポリスの重要問題について協議していたと。

  

ポリスというモノと同時にオイコスというものがあったと。オイコスというモノは公的な場所ではなくて私的な場所。あるいは家族ですね。そういう一つの経済単位があって。ポリスとオイコスという区別があった。

 ポリスが公でありオイコスが私であると区別されていた。その時、オイコスはポリスには決して足を踏み入れないという大変硬い原則があった。要するに私的なるものが決して公的な所に入らない。入ってはいけない。・・っていうことですね。

ところが後の話に繋がるのですけども、注目しておかなければならないのは、このポリスというモノを成り立たせていくのは、ごく少数の市民ですね。古代ギリシャというのは民主主義の一つの発祥の地だなんていうふうに言われるわけですが、その民主主義を支えていたのは膨大な奴隷であり、膨大な数のオイコスの中の住人達であった。パブリックというものを担う事が出来たのはほんとのごく少数の男性市民

この二項対立っていうか二分法はズーット歴史を今日まで辿って来る間、様々なカタチのバリエーションでズーット繰り返し作り出されてきています。
ただ時代に応じていろいろ違って来るんですけれども・・。あくまでしかし・・パブリックとプライベートという切り分け方が連綿と続いて来ています。時代状況のなかで、現れ方が多少変わってくるんですけれども・・ポリス・オイコスの区別の後・・政治経済の区別となるわけですね
 
 公が政治で私ごとは経済。コレをさらに別の区別の方法で言えば、国家社会という区別にも対応しているんですね・・公が国。私ごとが社会。公事に対して家事。家のことですね・・。

 さらに近代に入ってきますと・・資本主義が発達してきて、生産というのが公の事柄であってですね・・その生産というのを支える為に例えば家で行われることがらが再生産。どういうことかと言うと・・生産と再生産の違いをまた別の言い方で言うと労働とレジャーという切り分け方にもなります。

労働は公のことであり、レジャーは私事ですね・・そういう切り分け方・・こういう切り分けかた自体が産業社会の産物。労働というモノがあって、レジャーっていうモノは何かというと、日本語で余暇時間と言いますね。何故余暇時間って言うのでしょうか・・

     会場笑い

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