ことば悦覧 2011 home 2011/06/04日 多田智美さんに聞く その01 その02 その03 佐藤:それで学校の先生になるのは諦めて。教育心理療法士になったの。 多田:それもならなかったんです 佐藤:はははは 死について考えたら 固まっちゃったの 多田:いや でも、ずーっと一生懸命やってたんが、イベントをずーっとオーガナイズすること、ずっと続けてやっていて。当時 佐藤:当時って何年頃?10年ぐら前 多田:それぐらいの時期に、 佐藤:その当時は 景気もよくないね。2001年ってね 多田:そうですね、だからみんな就職も全然できなくって、そういう時代でした。 足しびれたー 佐藤:伸ばしてください。もっと好きにやってなさい!みたいな人生に、その時もずーっと大阪の実家に居たの 多田:大学通っている2年間は家から通って、だいたい2時間ぐらいですかね、通って。でその後 学校の真ん前に下宿させてもらって。あまりにも近い、朝一げん目の授業が?! 行けなかったりして。 佐藤:はははは、遅刻してね 多田:そうなんです。 佐藤:死について考える。面白いテーマだよね 多田:なんかね、そうですね。100人ぐらいアンケート採って。質問手法で。そんときに、そやなー。そうそう 佐藤:死ぬって色々種類があるじゃないですか。殺されるから病死から 自殺から、死ってどのぐらい種類あるんですか? 死って一個だけじゃないじゃない、死に至る状況を含めると 多田:ふふふふ、状況のことを含めるとあんまり調べて無かったと思うんですよね。何をやってたんやろう。死 佐藤:死って面白いよ たしかに若いときは死は 恐いかも知れないけど。友達沢山死んでしまった、今となっては。俺はなんかいつでもいいや 俺の死なんてことで 考えてないけど 多田:小学校ぐらいのときから、ずーっと何かどうなるんやろうって。おばちゃんひいおばあちゃんが亡くなったりとか。 佐藤:身近に居る人が亡くなると。死 考えるか。 多田:うん。そうなんですかね。 佐藤:今はそうい問題から少し開放されていますか? 多田:まーそうですね 佐藤:みなさん死を考えているような人達ではないでしょう、今の仲間は 多田:私ももんもんと考えている訳でもないんですけど。どこかには何かあるんですよ 佐藤:それで大学で4年間を過ごして 卒業後イベントプロデューサーのような活動をずーっとやっていたんですか。 多田:それで、イベントのオーガナイザーをやっていこうと思ったけれど、就職というか、仕事しながらじゃないと、無理や!とうと思ってたんで。もう一個やりたいなと思っていたのが、民族博物館で働きたいなと思ったんですよね。民博の 万博公園の 佐藤:そこで働いた! 梅棹忠夫先生のもとで! 多田:ふふふふ。で、そこで働こうを思ったら、大阪府が、市か府の職員にならないと駄目ですと言われて。で公務員試験も受けたり。 佐藤:先生の免許は持っているの 多田:先生の免許は取らなかったんです。ちゃんと調べずに。あのふふふ 免許を、もうどうしても先生になりたいと思っている人達がなった方がいいから、私は邪魔をしてはいけないとふふふふふ、関係なかったんですよね、資格は。とらなかったんですよね。結局、。学芸員の資格だけもってます。あと社会教育主事と。 佐藤:最初京都工芸繊維大の(岡田栄造先生の)教室で会ったときに 自分で洋服つくって着て来たんで、洋裁 そういうことをずーっとやっている人なんだと思ったんだけど? 多田:洋服作ってましたっけ 佐藤:何か風呂敷みたいな オレンジ色の大きな生地をざっくりした仕立で。こりゃ〜手作りだって感じの着てたよ。洋服作ってないの? 多田:やってない。 佐藤: ほんと!じゃ古着の組み合わせかな 多田:そうです、凄い不器用なんで。 佐藤:あ そうなの、俺 勘違いしてたね 多田:ふふふふふ 佐藤:珍しい服を着てたんで 生地で仕立てて着ている人だと思いこんじゃったよ〜 多田:何にも作れないんですよね。 佐藤:料理とかは 多田:料理もね、まぜたりするぐらいしか出来ないんです。切るのも凄い下手 佐藤:混ぜるっての基本じゃない それが料理だから、それだけ出来れば充分なんじゃないの。混ぜるタイミングとか順番とか組み合わせ、火入れのタイミングは難しいし 間違えるとね 多田:はははは、全然やっていなかったから、料理やろうと思ったら、その事だけ考えている 佐藤:そのことだけに集中してしまってね 多田:逆にそれが面白いから 最近 料理もちょっとやったりして 佐藤:料理は最高に面白いよね。奥深いし、何でも喰えちゃうし。人間は なんでこんなに色んなものを喰うんだろう?というぐらい何でも喰うからね。それで 多田:民俗学、あそうそう、で就職活動しようと思っていたところ。 佐藤:就職したの してないでしょう 多田:就職はしてないです。 佐藤:一度もしたことないでしょう 多田:ありますよ 佐藤:あそうなの! 多田:でも派遣社員ですけども。2年間あります 佐藤:そうなんだ。それで編集を今やっている訳だよね。どこでどうなって編集になったんですか。 多田:卒業したあとに、働き方。自分の生き方みたいなの凄く悩んだんですよね。どうやって生きてていくんか?平日は仕事して、土日に自分の好きなこと、やりたいことをやるみたいな。そういう暮らしをするんやろうと。 それしか無いんだろうと思っていたところ、大阪市の地下鉄のところに、フリーペーパーが置いてあって。それがCPっていう、今もうないんですけど、フリーペーパーがあってカルチャーポケットっていう 。それを偶然拾って。で電車で読んでて、そのなかに木ノ下智恵子さんって。アートプロデューサーの方なんですけども。その人が書いた記事があって。それで、毎日仕事しているようでも毎日遊んでいるようでもあり、で自分の好きなことを仕事にしてるから、ずーっと仕事をしてようでもあるけど、ずーっと遊んでいるようでもあり。これや!!と思って 佐藤:ふふふふふ 多田:ははははは 佐藤:その人が 編集者だったんだ 多田:その人はアートマネージメントとか。アートプロディユーサーの働き方みたいなも、そしたらIMIっていう、原田君の行っていた学校なんですけど。万博公園の跡地に学校があって。それがアートとデザインと写真と映像と建築と音楽と、色んなものを複合する、横断したような、21世紀のデジタル・バウハウスって言って 佐藤:はははははは バウハウスくっつけなくていいのに ね 多田:で、そこに行ったんですよ、相談に。私はイベントのオーガナイズをやったりしてたんですけど、夜中から朝までやるとか。音楽 出しているだけのイベントっていうのも飽きてたんで。写真家の人とか映像の人とか、ヘアーショーとか。美容師の人と一緒にヘアーショーのイベント合わせたりとか。少しずつ刹那的な、夜いって朝まで遊んでっていうところから なんか変わっていきたいなと、出来れば。その話を面接というか説明会のときに、したら、君はアートの現場で必要とされていると 佐藤:ははははは 多田:アーテストが必要といっていると言われたです そこのIMIという学長から。 佐藤:乗せじょうずなんだな 多田:そうです、だまされて ははははは、ヤノベさんとか つばきさんとか。美術館で、展覧会やるときに作品を見せるだけじゃなくって、子供たちを対象にしたワークショップだったり、参加できる仕組みをつくって。子供のアートの新しい入り口作ってあげるみたいな。そういう役割の人が求められているから、いいんじゃないかと。 佐藤:それで ヤノベさんたちと活動始めたんだ 多田:そうなんです。、そこでやっと出会って。それまでは全然 佐藤:それまでは アートと関係なかったと。 多田:そうなんです。でヤノベさんたちと出会って、そしたら木ノ下智恵子さんが大阪市のフリーペーパーで書いていた 佐藤:フリーペーパー拾ったことで 私の人生が決まったと 多田:そうなんですよね。そこからです 2000年 佐藤:まだ編集に来てないよ ふふふふ 多田:そう、そんで、一番初めはヤノベさんと一緒に 佐藤:アートの仕事 窓口広げたり、色々働いたと 多田:子供対象のワークショップを企画したり、金沢21世紀美術館が立ち上がったときに、半年間ヤノベさんが滞在制作をやっていて。一緒に寝泊まりして。半年間ずーっと金沢に滞在していて。毎月、私はイベントのオーガナイズ担当してて。子供対象のワークショップやったり。 佐藤:メルロさんのところでですか 多田:はいそうです。金沢の地元の人達と、大阪の詩人の人と合わせて。金沢その当時アンダーグランドヒップホップが凄い、シーンが活発でラップしてる人とかがいたので、そういう人と詩人とコラボレーションして。 佐藤:即興詩朗読すると 多田:で、そうやって地元なのに全然美術館には普段立ち入られない人とかと、フィールドレコーディングとかやったりとか。そうやってイベントのことやっていたんですね。原田君も一緒に半年行っていたんですね。彼は全部のオーガナイズ。ヤノベさんと、どういうふうに進めて行くかを話し合って決めながら、ボランティアスタッフとか、全員のとりまとめみたいなのことをやっていらっしゃった。 佐藤:それは何年頃かな。 多田:2004年です。2004年の秋から2005年に掛けて。3月までですね。で、そのときに、もう出来事やから、終わったら終わるんですよね。半年が終わったらね。でそれが凄くもったいない気がして。このまま終わって何も無かったら、何も無かったことになる。それを凄い、でそこで学んだことと言うのが、これまでずーっと、まあ色んなことやって来てる中で、凄い凝縮されているというか。 佐藤:21世紀美術館の活動で凝縮されてまとまっちゃったんだ。自分のやりたいこととか。教育もあるしね 多田:やってきた 興味が沸くこととか、そうなんですよね 佐藤:直接教えないにしても、誘導していったり。難し仕事でしょう。 多田:うん、それで、何とか残さないといけないと思ったときに、原田君と一緒に本にしようって思って。 企画して、本の企画をそこで、作ったこともないのに。 佐藤:企画書を作って出版社など回ったと どこかに売りにいったんだ 多田:そうなですよね。色んな処に持って行って。でも全然。 佐藤:こんなもん売れへん、アカンわ〜ってあしらわれると。なに考えてんねんと 多田:そうそう。まあ1年はかかりますね〜とか。お金持ってきたら出してあげますよとか。それで最後に当たったのがそのIMIの先生に紹介してもらった美術出版社で。面白いし売れると思うから半分ん300万やったんですけど、150万 佐藤:出しなさいと 多田:そう言われて。でもなんか私達はヤノベさんが出すのも違う思うと。 ヤノベさんのプロジェクトでもあるけど、みんなのプロジェクトであり、私達のプロジェクトでもあるから。これは何とか自分たちでお金を集めてこないといけないというので。色んな人に、学校とかあとはロボットのベンチャー企業の方とか。大阪に居るんですけど。本買ってもらって。100万、150万。それで本出せた。ジャイアントトらやんの作り方が解る本ですよってね 佐藤:ふふふふ 多田:ふふふふ今も本屋さんでずーっと並んでます。 佐藤:再販を繰り返しているんだ 多田:繰り返してないですね。ながーく、ずーっとゆっくり。地味に。プロジェクトマネージメントというか プロジェクトの作り方が見えるような本にしてて。半年間をずーっと追っていく 佐藤:本を作りたいんじゃなくって、自分たちの行った活動を記憶するために記録を作りたいと、その媒体が本を作ることだったんだ。 多田:そうなんですよね そのメディアがたまたま本やった その03 |