2005年9月09日 荒武賢一朗さんと 建築あそび 講演記録   home  

 はじめに   江戸時代大阪の青物流通   都市と農村  幕末期   
 明治以降   おわりに             呑み語り1  呑み語り2 


● おわりに

おわり にということで大きく二つのことを申し上げて締めたと思います。大阪というのは、皆さん後でいろいろおっしゃっていただいたら結構かと思いますが、色んな人によってイメージがあると思うんです。「天下の台所」とか「商いの町」とかと言うけど、そういう大きな資本だけを見ているんじゃなくって、こういう「野菜の取引だけを見ているとどうなるか」というと、ここに上げた二つのような事があるかと思います

一つは人々が集住する都市。「町を支える周辺農村がある」と。一方で難波村みたいな状況がありましたけども「周辺農村の産業を支えるのもまた都市である」という状況ですね。これは「都市と農村が対立していんだ」と、言っているだけでは 見えなくって「協調」というと語弊がありすけど「助け合いながら、支えながら」やっていると。いう状況が一つあると思います

それから二つめは
大阪の都市的な性格が変わること」ですね〜。これは先ほどの「工業都市的な性格の問題」も言いましたけれども、これによって周辺は「今までは大阪のために野菜作っていたけども・・」、大阪が工業化していくことによって、郊外には工場が立ち並ぶようになったりとか。

 大工場に供給するための中小の町工場が出来たりとか。そういうような事で「中核と周辺の関係」ですね〜。これは「常に行ったり来たりしながら、その関係があるんだ」。「同時に変化もしていくんだ」ということが うかがえるかと思います。


最後に現代的課題というのを どう考えるか これは ま〜我々が言うべきことじゃないかもしれませんが、江戸時代のこういった状況から、明治時代のこういった状況からですね。今の問題をどう解釈していくかとか。どう解決していくか。という問題はあるかと思います。

それに答えがあればですね、直ぐに解決するんですが。例えば今回出したような都市の性格とか村落とか地域の性格ですね。 私が今考えるならば、、僕も滋賀県の田舎に住んでいますけども、「今の日本全国というのは、田舎に住んでいても 都市的な生活というか、都市的な感覚で、生活してる」と思うんですね〜

これは「日本全国の都市化」だと僕は思うんです。

と すると、野菜を供給してくれているアジアとか中国とかいう所との関係というのは やっぱり考えて行かなければいけないし、その地域と地域の関係というのが、江戸時代は大阪と周辺の農村でしたけど、今は日本とその近隣諸国とか、そうような地域対地域の関係ですね。「そういった所にも波及する問題なんだろうな〜」と思いながら考えておる。 大体一時間になりましたのでこれで終わります


会場 拍手 ・・パチパチパチ・・

s:どうもありがとうございました。

それでは後は飲みながら質問したり・・しましょう・・


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