大室佑介入門 私立大室美術館訪問記 2025年5月16〜18日 | 作成:佐藤敏宏 | |
5月16日、羽田〜彦根〜津 漫遊録 | ||
■荒神山に登る 大室佑介さんと佐藤は旧・日夏村役場で無事合流し建築の活用継承の現実を体験することができ、来てよかったとしみじみ思うのであった。大室さんと2ショットを車の中できめた。 ![]() 先を急いでいたので1枚しか撮らず。大室さん目をつむってしまっていた。写真写りを確認せずに荒神山に向かっていた。 荒神山の山頂で昼飯を食べようと提案した。佐藤は東京の早稲田南町の民泊で早起きし梅干し弁当を作って背負ってきた。2人前作って持参すればよかったと思ったが遅い。大室さんの車はコンビに寄り昼飯を買う。箸をつけ忘れた佐藤はコンビニの箸を大室さんにとってきてもらった。 荒神山の頂を目指すには2つのルートがある。下岡部町から登る林道荒神山線と日夏町から登る林道日夏山線の2つだ。大室さんは日夏氏に導かれるように宇曽川を渡り、山裾を少し走り左折し日夏山線に入った。「私も初登頂です」と言う。「滋賀県大の建築系の人は最初に登る山なのじゃないんですか・・・」と応じると大室さんは笑っていた。 「滋賀県大の図書館からは荒神山の位置を意識した軸線があり、この山が綺麗に見える設計になってんです」と感心しているように教えてくれた。滋賀県大には二度行ったが図書館には入らず、雄大な荒神山を仰ぎ見ることはなかった。県大を設計した内井昭蔵さんは荒神山を当然のように意識し、軸線を決めたようだ。 軸線で有名なのは丹下健三さんが富士山に引いた建築軸だし、原爆ドームに向けた強烈な軸線も体験している。代々木体育館と明治神宮の軸線はたびたび訪ねている。それらを示した。荒神山をめざす軸線が大学の建築に埋め込まれているとは初耳だった。2度の滋賀県大だったが誰も荒神山への軸線を語らなかった。大室さんに荒神山行きを提案してよかった、と佐藤は図書館にある軸線の話を聞いて思った。 荒神山を愛する仲間の会が編集発行した、彦根八景「うみ風渡る荒神山─ウォーキングマップ」を見ると、注意書きが10点記してあった。3番目にススメバチ、マムシ、イノシシなどの出くわしたらそっと離れましょう、とある。5番目には登山前にはトイレを済ませておきましょう、とある。山頂にトイレを設けるための上下水が敷設されていないようだ。9番目に動植物採取はご遠慮ください、ともある。 荒神山でもイノシシが出没するとは想定してなかった。福島市内にある佐藤の実家周辺は原発事故のあった、浜通りから60km弱離れているのだが、放射能を怖れ多くの家族が引っ越してしまい、たった一人の小学生が通っていた学校は彼が卒業すると閉校になった。人が住まなくなった農地や家屋の後にはニホンザルとイノシシが大量に発生していると伝え聞いている。イノシシの牙に突かれると命を落とすこともあるので、注意せよと福島市内でもアナウンスされている。熊も出没しニュースにはなっている、福島市内の温泉町にはニホンカモシカが岩を登るさまに遭遇することもある。 荒神山に現れるイノシシは山深い紀伊半島の高野山あたりでそだち、鈴鹿山脈へ渡り来て、そこから荒神山に至るのだろうか。web立体地図で見ると人間の暮らす平地より山間地の多い日本では山里に人が居なくなると、途端にジビエ料理にはいい食材となる獣たちが増えるようだ。 大室市立美術館篇で詳しくふれるが、美術館のお手伝いしている原理花子さん友人の、川琢也さんの話によると、三重大学の学生当時から山間地の地域おこし活動隊に加わり、地元の猟師さんにお願いしてイノシシを鉄砲で撃ち獅子鍋にして喰っていた・・・ガハガハ」と笑いながら語っていた。 佐藤も京都で聞き取り活動しているおりに、建築家の牧野研造さんがイノシシの肉を持参したので、独身だった川勝眞一さんの家の台所をお借りし京都で建築あそびを開いて牡丹鍋(イノシシなべ)を参集した皆さんといただいたことがある。関西圏はイノシシを食べることが常態化しているようだ。野生の鹿も沢山いて作物を荒らすと言う話も聞く。イノシシも鹿も食料になれば地域も潤うのではないだろうか。とはいうものの売ってそうにないので一定量確保と、さばき方が難しいのかもしれない。また工場加工するには捕獲数がすくなく製品化するのが困難なのかもしれない。 |
![]() 絵は:2005年『日夏の歴史』刊行記念展示会 2階の大広間の使われかた。子供会にはじまり敬老会、歴史の勉強会、各種展示会、建築の耐震補強報告会、フラーダンスの練習など様々な活用の記録がのこされている。記録を丹念に残している人がいてこそ、佐藤は使い方をしることになる。 ![]() |
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■登頂へと車は快調にのぼる 2台の車両がすれ違うには狭い林道日夏山を右に左りにカーブしながら荒神山山頂を目指す。登り口には日夏城跡の半島のような突端が見えるはずだ。日夏氏は浅井長政の配下となり1573年織田信長による小谷城総攻撃により浅井一族とともに討死し、日夏城も没落した・・・・と、「わたしの町の戦国」解説シート12にある。鬱蒼とした新緑が細い道を覆っているので、想像していたより周囲の眺めは効かない。 荒神山には4社の神社とお寺が2っあり、全長124mの荒神山古墳もあり、そこには大和政権に深い関りをもつ、琵琶湖の湖上交通に権力を握っていた湖東地域の首長が埋葬されていると考えられている・・・そうだ(彦根市文化財課)。寺に神社に古墳など見どころ満載の荒神山であった。が、二人には時間も少なく腹が減っては活動できないので、山頂まで登り切って、琵琶湖を西にながめながら飯を喰った。 昼飯前に琵琶湖を眺めた記念に湖面を撮影しておこう。2ショットを忘れている。腹が減りすぎて脳に栄養が回っていなかったのだろう、シャッター・チャンスを逃してしまう。 山頂近くのベンチに座り昼飯を食べる二人の目の前には下のような光景がひろがっていた。ともに昼飯を食いながら、よい季節に登頂する機会を得たことになったもんだ、と確認し、会話もなくむしゃむしゃと空腹を満たした。佐藤は荒神山にも連れてきていただいて、よかった。大室さんが飯を食う姿をみてしみじみそう思った。 |
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山頂から遠くを眺める、そこは湖西からすぐ奥に敦賀原発や美浜原発がある。もしも原発事故が起きればまぎれもなくこの辺りは放射能が降り注ぐことになる。福島原発事故どころではなく、多数の人が暮らす関西地方は大混乱に陥ることは必至だ。過酷事故がおきる前に廃炉を選択してほしいものだ、と想い山並みを眺めた。湖西の山々は霞み、琵琶湖の湖面や雲と同化して見分けが付かないけれど廃炉は願わずにはいられない。 湖面北中央には木々の間から湖東の多景島が見えた。湖東の岸にはKBS京都 滋賀送信所 と NHK大阪ラジオ第一 彦根ラジオ中継放送所が見える。ほぼ中央に─高さ150mほどだろう塔は鎮座している。電波塔の南側には介護付き住宅の「近江ふるさと園」の建築物の連なりもみえる。一番手前、荒神山の麓・足元には曽根沼の水面がくっきりと分かる。 それらを取り囲む水田は田植えが済んでいて、豊作を願わずにはいられない。昨年末から米物価の急騰が佐藤の生活費に響いているからだ。水田を見て、米の値段を思い出してしまった。今年は大豊作で米価が下がることを、荒神様にお願いしよう。今年の米は5kg4〜5千円だが、元の半値ほどに戻ってほしい。 文化財課の案内板によると荒神山神社はかまどの神様を祀る神社である、と冒頭に記してあるので佐藤の願いは的外れでもないだろう、と思った。 境内の荒神山神社由諸記の一部を引用すると、「・・行基菩薩は奥山寺の成就の後伊勢大社に礼参し、外宮の神木宇賀璞(うがたま)の実を戴いて社頭に植えられ、これが現在の御神木という。織田氏の時、奥山寺は比叡山派の故を以て信長兵の為に焼き払われ堂宇と共に宝物等も鳥有に帰す。・・・」とある。行基菩薩当時の宝物は織田信長の兵に焼き払われて、何もなくなってしまったのだから、行基の縁を想うための品物はなさそうだ。そこのことは今後の課題としておこう。 |
![]() 彦根市文化財課設置による案内板の一部 |
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行基菩薩の数々の業績は奈良の東大寺や大阪の狭山池博物館を訪ねるとわかる。建築、土木、思想哲学に関わる者ならおおいに参照したくなる先人だと理解できるだろう。何か行基菩薩の痕跡が残っているだろうと期待していたのだが、残念なことに今回は分からなかった。また行基を師と仰いでいた重源、二人の像は東大寺のお堂に安置されている。7月5日に東大寺を観光される方は、年に一日だけ堂が開かれる。その日、重源像を鑑賞することが可能なので、重源像を肉眼で見たかたは多いはずだ。塑像だから薄暗い堂内の読経と線香の煙の揺らぎによって生きているかのような、幻想を誘う像の一つだ。荒神山には重源の足跡が記されていなかった。 境内を散策し大室さんの自家用車に乗せていただき、荒神山を下る。途中でこれからいく鈴鹿山脈の一部の山々を見るために、停車しシャッタをおした。荒神山の東側の田植えが済んだ田や、滋賀県立河瀬中高の公舎、れぞなっく彦根清崎事業所の建物群、滋賀県立工業高等学校の校舎などが眼に入る。 その奥に屏風を何枚も立てたような鈴鹿山脈が美しく、滋賀盆地の全体を優しく抱えるようにそびえる、いい眺めだ。これから二人は鈴鹿山脈を通り抜け津市の白山町に向かうのだ。 天気もカンカン照りではなく日本らしい気温上昇とともに水蒸気が発生し好い感じに靄がかかり、目の前には水墨画の一幅を観ているような景色が奥へ広がっていた。 ![]() |
![]() 2023年7月5日午前11時から重源像が安置されているお堂に入堂した。毎年、7月5日に重源のお堂、俊乗堂が開かれる。 |
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(琵琶湖〜松坂の地形断面図 高さは5倍で表示) |
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滋賀県日野町へ ─蒲生氏郷の故郷をみる |
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