大室佑介入門   「日野町、 私立大室美術館へ」     作成:佐藤敏宏

荒神山を下り日野町へ、そして大室さんの自宅へ向かう車中の雑談篇
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荒神山から日野町に向かう車中談

荒神山の山頂から琵琶湖を眺めると、古の渡来人たちは若狭の浜につき陸路を経る。次に湖北から乗船し荒神山を目印に琵琶湖東岸に渡ったのだろうと想える。大阪湾の上町台地の湊から京都に向かうと流れに逆らって遡上するようになる、眼前に広がるルートをだどると大津への流れに乗れば無理もなく京都へ至ることができそうだ。山頂に立ってみて分かったことだった。北から南へ琵琶湖の水は流れるので草津や大津は水が澱んでいそうだとも感じた。が確かめなかった。

大室:滋賀県大のあたりのことは白洲正子の『かくれ里』を読んで知りました。なかなか行けない場所が紹介されていて、だいたい家の近くで、通り道にあるんです。
佐藤:2025年4月から、渋い隠れ里をなぞりながら通勤しはじめたんだ。
大室:かくれ里通勤ですね。

佐藤:大室さんは私立美術館と公園(庭園美術館)とも主宰しているし、子育てもし、教育者でもありおおいそがし!何人分もの活躍だけれど。乱世で従来のシステムが機能しにくくなった世では大室さんの活動は、大切で肝心。
公営の美術館は受動的に観られて、済ませるように設定されている。大室美術館は対案として重要だし、運営も個人で10年続けたから、従来の美術館概念とは質の違う美術館が提示されてますね。税金で運営するものは、公平とか、価値が定まっている美術品を展示して、ありがたがれ!・・・という力が働いてる。垣根が取り払われ、無いから面白い意味が立上がっているよ。


白洲正子が『藝術新潮』に2年間にわたって連載した随筆。
西錦司が「日本には風景学というものがあってもいいね」といっていたので、・・植物や人類まで含めた大きな風景・・・三千世界を眺め渡すような、総合的な学問があってもいいとの思いで書きすすめたようだ。
1971年末刊行

多摩美大卒の有名人

佐藤:多摩美大の有名人を検索してみたんですよ。ユーミンと、竹中直人と、リリーフランキーだと知りました(笑)。
大室:そうです。
佐藤:美術作家になれず、横ずれし芸能人に(?)。映画『万引き家族』(2018年6月公開)リリーフランキーは自然にみえる演技で高評えてましたね。
大室:今の演技に合ってますからね。ぼそぼそと・・・
佐藤:演じていないように演じる。それが現在に合ってて座敷がかかる。竹中直人はオーバーで臭い演技が売りでTV界デビューだから、対局の役者だね。

荒神山山頂へドライブ

佐藤:今日は思わぬことで、大室さんの車で荒神山の山頂へ登りました!
大室:歩いてたら大変でしたね(笑)。
佐藤:そうだね、琵琶湖には島もありますよね。
大室:沖島。
佐藤(2012年11月3日)滋賀県大の学生に呼ばれ、学生に聞いたけど誰も沖島に渡ってなかったね。東京方面ばかりみてないで目の前を見ろ(笑)。大学から船を漕いで島に渡れる。人住んでいるし鮒ずし作っているのかもしれない。二次会のあと、学生さんの家に男女30人ほどで押しかけて、一晩語り合った。切っ掛けは宮城県の港町・鮪立(しびだち)で被災後(2011年夏)の港町再興のための、住民の要望をまとめる、行政との調整、高台移転のため造成・技術者と打合せる、その支援を俺がやりつつ、外国人を含む学生を呼んで被災地の現況を紹介する活動もしていた。その後ろ姿を見てた滋賀県大学生が、「自分たちは番屋作って支援しているけど、佐藤は建築は造らず支援している、変だよ・・、」と、驚いたようで「来て喋れ、」と連絡があった。(活動内容のいったんを『建築雑誌』←PDFで読む
俺は滋賀県大とは縁が深い、川井先生の話によるとDANWASHITSUの元祖は俺が我が家で始めた「建築あそび」を、発注者の息子(丹治)に伝授した、彼は県大の学生だったので大学で始めたんだそうです。



2012年滋賀県大で撮った動画・佐藤作成
森純平さんに会ったことない?

大室:今はどこに居るんですか。
佐藤:今年(2025年)4月から東京芸大の先生、家は上野だ。いろいろ交流して聞き取り記録したが、2023年7月4日、大阪の家成さんの事務所に呼びつけて10時間ほどワイワイした。記録作り全部公開しました。家成さんはアーテストの設営などの下請け仕事もやっているので、それが発展して建築も作って、森さんと相性がよさそうだったから提案したの。 
湊町アンダーグランド展で会ったんだ。地下鉄が使わなくなった空いた場所があって、光の芸術家・高橋匡太の作品制作を手伝ってた。家成さんの仕事は解体前のビルから蛍光灯をもらってきて多量に床に並べて、灯した。
家成さんの聞き取りの最初は柳原照弘さんに紹介され、3人で始めた事務所でワイワイした。彼も俺も、大島哲蔵さんが経営してた淀屋橋の書店・スクウォッタにも通っていたので、関西系建築家と知り合う機会が増えた。
大室:大島さんいましたね。

佐藤:『10+1』に書いてたし、アルドロッシやジャットなどの翻訳を刊行した。けど大室さんはすごいよ、自分で美術館作っちゃった!、運営もしちゃって10年たったし、頭でっかちの面々とは質が違うよ。大島さんが生きていたら大盛り上がりしたね・・・。
大室美術館、作っちゃいましたね(笑)。
佐藤:森先生は「建築系の先生じゃない、」と言ってたな・・。建築に関わっている若者で森さんのような人がいた!それは驚きました!。今は一推し森純平と言っているんだ。大室さんも当然の推し仲間だよ(笑)、大変なことになっちゃっているよ。俺が推しといっても、皆さん忙しいからほとんどは聞いてない(笑)
大室さんは最先端の活動をしている一人ですね。日本で唯一無二だ、社会全体がヘタレになっているから、実践して見せている、そこがいいね。
大室そうですね

佐藤:娘とワイワイしたけど、「日本はどこが不景気なのかわからない・・・」、と。みんな幸せに見えるそうだ、西欧は戦争もあるし、格差もある。ドイツに移民が一杯やってきてて対立が起きて、すごい事になっているそうだよ。
大室:ドイツはすごいですよ。
佐藤:東ドイツでエリートだった人たちが右傾化しちゃって混迷を大きくしているみたいだよ。ユーロ高くなって円安になっちゃって帰国費用安くなった。(笑)
大室:10年前だと行けたけど、今はユーロ高くって行けないですね。
佐藤:逆に日本旅行する人は増えている。観光客1000万人超えとかいうんじゃない。俺は出歩けず、家で飯炊き爺さん。(笑)今回の東京滞在1週間で1回、外食しただけ。(笑)

大室:今の古い家があったところは旧中山道です。
佐藤:そうか中山道と合流地点、古来、近江は日本の大動脈のなかにあったから、日野町のように今でも文化意識が高く、2万人でも気張るね。観てて気持ちがいい。外国人はほぼ来ないのもいいね、かくれ里ふうだ。

2022年6月23日森純平さんと出会う
八戸市立美術館体訪問記へ




2023年7月4日家成さんの事務所で森純平さん、岡田栄造先生などとワイワイ全 記録へ

滋賀県大の公募で採用

佐藤:大室さんの両親はどこで育った人ですか。
大室東京都埼玉ですね。父の母親の実家は京都かな・・・。県大、こっちに来て、学校が始まったばかりで、前期だけ授業ばっかりなんです。
佐藤:公募だったんですか。
大室:県大などの公立大学は全部、公募制なんです。その前は非常勤でずっと行ってました。公募だす直前まで迷って、採用になりました。で、今はすごいいい勉強してます。

佐藤:西欧も広いし教会建築も多いし、絞って決めないと情報多すぎる。
大室プロイセン・・・とか、かな。
佐藤:キリスト教が伝わった世、日本では侍たちが刀ふりまわして殺し合っていた。それをポルトガルやスペイン人が見て、震え上がった。彼らは植民地にできなかった。
大室:明治維新で来た時も怖い、と思ったでしょうね。

佐藤:殺されている外交問題にもなったし。去年、娘に連れられて長崎に行けた。鉄砲伝来から戦国の世まですこし勉強しました。倭寇というか日本人の海賊などもふくめ、鹿児島や長崎の諸藩の犯罪者は罪を逃れるために東南アジアに渡る。あるものはインドのゴアまで行って、洗礼を受け日本に戻る。ポルトガル人たちは異教徒は人間扱いしなかったので、奴隷として売られた日本人も多くいた、それを知りました。
交流していたポルトガル人たちは侍の力を知ったようですよ。特に秀吉は外交も優れていたようで、宣教師たちは布教はできても植民地にはできないと、本国に伝えた。計画変更し日本人と共同で中国を植民地にしようとしたそうだよ。(参照:『戦国大名と大航海時代』)
16世紀末のポルトガル人などの悪行所業はリンス・ホーテンが書いている。『東方案内記』という本、インドでの彼らの悪事は詳細に書いてある。ゴアにはフランシスコザビエルの遺体がミイラとなり、10年に一度公開される、それも知った。
戦国武将たちの、茶の湯、襖絵や和服や暮らしに外国人が接すると、文化意識が高いと分かる。ぼんやりして無礼を働くと刀で切りつけられちゃう。怖いよ武士は。滋賀県日野町ゆかりの蒲生氏郷や秀吉の時代は戦乱の世だから凄いよね。

大室:長崎に行ったのはいつですか。
佐藤:去年(2024年)の5月末です。雑談してて「長崎に行きたい」と話してたら、娘の飛行機ポイント溜まっていて、2人分の飛行券と宿とれる・・・と言うもんで即乗りました。羽田から始発の飛行機にのって、翌日は最終便で戻りました。
大室:長崎の駅周辺ですか。

佐藤:宿は長崎駅の目の前。原爆資料館爆心地、平和公園と長崎の町を体験し夜は長崎大学の鈴木達治郎先生に御馳走になりワイワイ。翌日は26聖人記念館出島丸山町界隈グラバー邸界隈を散策し、いい刺激を受けました。
鈴木先生との出会いは福島原発事故です。原子力委員長代理でしたから、福島市にも何度もきててワイワイして知り合いました。10数年見ているとぶれない人だとわかったので、先生の人生と10年ごとの活動などを聞き取りしてます。戦争が始まってしまい、聞き取りは終わりそうにないです。最初はゴジラやオッペンハイマーの映画の話から入って。核兵器日本のプルトニュームの問題についてワイワイへ発展し、今は平和運動、戦争をなくす活動してます。パグウォッシュ会議の世話もしてて2025年は広島で開催で前準備で大忙しです。 
長崎にいきましたか

大室去年、長崎に行きました。五島もまわりました。本当によかったです

   佐藤はグラバーについて語っている


リンスホーテン著『東方案内記』



平川新著
 『戦国大名と大航海時代』2018年刊行

■ 日野町に入る

佐藤:私立大室美術館を始めたけど、奥さんも娘さんと共に、家もあり、米も納めてもらえる、地域の人に信頼されている。日本ではこれ以上の暮らしはなさそうですね。俺世代のように家を自分で設計してそこで暮らすなんてことはやらなくっていい。
大室:やるき起きないですね、美術館あるし・・・。
佐藤:大室美術館付属図書館はほしいよね。
大室:そうですね。
佐藤:中谷ミチコさんは本名ですか。
大室:本名(なかたに)は漢字です。作家名はカタカナにしてます。家の隣(別棟)を改装しているんです。そこの一部を大室・図書館みたいにできたらいいな・・と考えてます。その2階に泊まれるようにしたい・・と想ってます。
佐藤:それはいいね、地域の昔にならってる感じがする。松坂商人も近江商人も交通交流したことで繁栄したから、大室美術館の付属交流館には図書館と宿泊できる部屋で交流、それはいいね。

大室:もう少しで日野町です。
佐藤:やったー!大室さんは軽く行きましょうかと言ってくれるから嬉しい!
大室:通勤路ですよ。
佐藤:俺は運がいいよ。荒神山にも登りたい・・・と、想ってて、実現できた。
大室:せっかく来てもらって2時間移動しますから。
佐藤:ありがとう。移動中の景色、単調じゃなくっていいね。

大室
:そうですね。大学の授業は週3.5日ですね。妻も東京へ行ったり来たりしているんで子供が一人になっちゃうから、僕はずっと日帰りだったんですよ。今日は妻が家にいるので、昨晩は初めて大学の施設に一泊しました。
金曜日は1,2時限が授業なんです。普段だと三重の家を6時過ぎに出て、1、2時限の講義してやって帰る。
佐藤:最初の泊まりの後に合流できてラッキー、俺は縁がありますね。
大室:完璧ですね。ここ、日野町は今、課題で敷地として出していたりします。この先には日野図書館という面白い施設があります。
佐藤:設計課題は自分の好きな町に敷地設定できる、いいね。
大室:その辺に楽しみを見いださないと、苦痛になってきますからね。

佐藤:
そうだね、大室美術館の敷地も課題にしてみてもいいんじゃない。
大室:そうですね、私立美術館の課題。
佐藤:区民館もあり、じいさん、ばあさんのために敬老の日に美術展やっているから最先端ですね。
大室:はい。
佐藤:東京の港区歴史資料館の地下には幼稚園が設えてありました。大室美術館は敬老施設とほぼ接続してると。

日野町の中心街に向かって自動車は軽快にすすんでいる。

大室:そこに図書館があります。小ぶりな図書館でとてもいいです。鬼頭梓の設計です。
佐藤:図書館設計では著名な方ですよね。山崎泰寛さんが本を作ってたな。
大室:そうですね。鬼頭さんは亡くなってます。
佐藤:外観は渋いね。
大室:渋いです。ぽこんと見えて、真ん中が空いていて、横に田んぼ見ながら本を読めます。田んぼの風景って、面白いですね。

佐藤:水田の風景は変化おおきいからね。奥さんが生まれた所は日野市でしたね。名前で日野町とも縁があり。(笑)日野自動車の企業・城下町で生まれたんだね。日野自動車が生産している特殊車両はいいですよ。
大室東京日野市の図書館も鬼頭梓の設計なんです。町の助役が後々滋賀に移動してそれで図書館をこっちにも作ったという経緯があるんです。今調べているところなんです。

 南へ折れ日野商人街道に入る

大室:これが曳山を入れている倉庫です。
佐藤:小さな町だけど大きな山車の倉庫ですね。お祭りやるんですね。



大室:
お祭りやります、5月にもやってました。
佐藤:祇園祭のように町内を曳いて練り歩くんだね。
大室:そういう感じです。ここが博物館ぽいですね。町内にはふたつあるんです。
佐藤:ここは商人館ですね。これも重要だけど、歴史館のほうに行きましょうよ。
大室:もう一軒日野商人ふるさと館があります。
佐藤:遠いですか
大室:ぜんぜん遠くないです。そっちは歴史民族資料館です。こっちだな、そっちへ行くと建物も面白くって神社もあります。

佐藤:聞いてくるね。商人館にはいってみよう。
   ・・・・ここは蒲生氏郷などの歴史はわかりますか?
女性:ここは商人だけです。
佐藤:わかりました、もう一軒ありますよね。
女性:そちらに行ってもうたほうがいいですね。

佐藤:もう一軒のほうが詳しいそうです。ここは商人だけの史料だそうです。
大室:そうなんですね。商人街道を行きましょう。
佐藤:滋賀県の学生、こういう町を研究するといいね。
大室:学生はまだそのオモシロさは分からないかな・・・。

佐藤:20才ぐらいでは人間の営む歴史と建築の関りまでは興味が向かないのは仕方がない、若いんだから。俺と大室さんは偶然出会って、日野町に来ている。どうように過去の歴史も偶然の重なりの継続の中から生まれる事態だからね。意図しても、いい人間関係ができるものではない。
近代の教育受けてしまうと、意識して目的を作り、目指したりするから、偶然に出会う機会はほとんどない。多種多様な人と出会う場がないように見えるよ。だから頭だけでっかちになり、偶然の出会いで生まれる文化は解明できないんじゃないかな。

大室:ここが日野商人街道と言って曳山の倉庫ですね。桟敷窓と言って祭りを観るための塀のなかに窓があるんです。この左側の壁にぽっかり穴が開いてます。お祭りのときはここを開けて、ここから外を練り歩く曳山を観るんです。
佐藤:桟敷窓は福島市には無いね。
大室:今回の課題のために調べました。日野町、ここらにしかないですね。今から行くところの目の前に「生涯学習センターを作る」課題です。
佐藤:課題の敷地にきちゃった、ご縁がありますね!
大室:まさに、ついでに楽しんでもらってますからラッキーです。(笑)
佐藤:日野町ともご縁があります、歴史の始まりはそういうものです。波長がだんだん合ってくる。旧・日夏村役場も学習センターになってましたね、課題との縁もあります。
蒲生氏郷は日夏の人々や日野の商人たちを引き連れて会津若松まで行って、繁栄の基礎をつくった。400年前でも彼は魅力満載な人だったんで、ついて行ったんですよ。

大室:歴史館は右側です、この先が神社です。
佐藤:商人館の場所より、こっちの方が断然力があり、整ってもいるしいいね。参道に面しているし、これは課題にも最適でいいよ。
大室:凄いいいですよ、神社も行きましょう。

二人は馬見岡綿向神社や若松の森跡などを足早に体験しました。多少かさなってもいますけれど 詳細は蒲生氏郷の故郷、日野町篇をご覧ください