大室佑介入門   「5月16日夕刻 私立大室美術館へ」     作成:佐藤敏宏

  私立大室美術館 篇

2025年4月「大室佑介入門」をはじめた。「現地に立たない」と門は開かないので大室さんの家にいき、5月16日から2泊の宿もいただいた。

このサイトでは、大室さんの家に着いた16日の夕方から、18日の朝出発するまでの記録をまとめ公開する。だが、3日間で大室さんの全体を体験できたとは思わない。今後、2年かけて聞き取りし、「大室佑介入門」を完成させるつもりだ。

大室さんは身の回りの草を刈り環境を整え生活の場を設えていた。他方、美術館を運営しながら、近代人が作った「みえない境界」を刈り整え、新たな美術の場を拓きつづける人でもある。目に見える境界、見えない境界はいたるところにあり、人が作る見えない境界を蒸発させることは不可能に思える。無用になった境界を刈る。取る。風通しをよくするたくましい男は大室さんだ。その行為はポスト近代人がそなえるべき自由を身に付け探求するために、必要不可欠な活動の一つだろう。

二つの境界を具体的に刈り取る大室さんは少数者だ。メディア露出を目標に暮らしてもいない、だから大室さんの日常を佐藤はまったく知らない。彼が時々投稿するFBの記事に目を通し、「私立大室美術館で、今年は大室万物博覧会を開催しているんだ・・」という、建築系の人々も知る程度の知識だ。設計した建築が掲載された雑誌が送られてくることもある。それは加工された情報だから、大室さんの日常を知るには少し歪んでいる。やはり大室さんの生活の場に入り込んで、彼の暮らしぶりを実体験するしかない、と佐藤は思ったのだ。

大室佑介さんに興味がなく偶然このwebページを見たかたにも、佐藤が体験した3日を知っていただき、多少でも大室さんを理解する一つの足がかりとなれば嬉しい。

 
様々な境界が刈とられている私立大室美術館全体を見渡す。左手に他者の太陽光発電。庭園美術館の中央にゆったりS字カーブを描く獣道がある。鹿の群れが行き来しているそうだ。

「境界を刈りつづける大室さん家族の暮らしかた

(お爺さんの家)

しあわせ建築家・大室佑介さんと彫刻家の中谷ミチコさんは10年前結婚し、三重県津市白山町にあったお爺さんが建てた木造の住宅を引き継ぎ、お嬢さんと三人で暮らしている。二人は生まれも育ちも東京都だから、交通の便がさほどよくない地方に移住し、そこをベースと定め暮らすのは初めてだったそうだ。現在暮らしている家の詳細は後に記す。「お爺さんは近所の人を雇い、愛犬に必要な製品を製造・販売し財をなし家を建て孫に引き継ぎたい、」と語っていて「市役所の若者を紹介するから、津市に来てこの家で暮らしてほしい、」とも言っていたそうだ。二人はそれを笑いながら語っていた。だから大室さんと中谷さんが出会い結婚しなければ、お爺さんの夢はかなわなかったんだろう。人の出会いは宇宙の力によってなされるのだろうか、二人は30数年のあいだ同大学で制作していたにもかかわらず、存在していることさえ知らなかったと語り合う。

白山町への移住は結婚の時期とかさなってるそうだ。結婚後10年の現在(2025年)、大室夫妻は地域に無くてはならない人となって区長さんでもある。区長さんは行政への発言力は大きい、そのことを知らない都会の人は多いだろう。
また、お嬢さんの小学校の環境整備作業に行った。女性の校長先生に挨拶すると、「大室さんは 本当に無くてはならんかたなんですよ。学校にとってもそうですし、地域にとってもそうなんです。 ・・デカい太鼓判、でっかいのバーンと押します・・」と初対面の佐藤に怪しむこともなく話していた。

地域の活動のほか、夫妻は二人三脚で私立大室美術館も開館している。佐藤は17日雨のなか来館者の数名に聞き取りしたが好評していた。そのことは二人が開いた美術館のファンが周辺地域ふくめ多くなっている、証の一つだろう。「地域に受け入れられるのは容易ではない」。佐藤は家を建てて40年同じ地域に暮らしているがそう思う。馴染んでもいないし、区域が広いし戸数も多いこともあるが、交流もうまくはおこなえていない。二人は10年間で無くてはならない白山町の人として暮らしている。夫妻の日常には驚くことがおおい。

(大室さんとの出会い)

大室入門をはじめたので、出会いを簡明にお伝えしよう。15年前の2010年3月に仙台市内で大室さんと出会い、講義を受け記録を作り公開した。その後、大室さんは大震災直後と、佐藤の前立腺癌治療中に我が家にやってきた。1泊してもらい語り合い、my建築もたいけんしてもらったあと通院中の県立医大に送ってもらった。
そんなご縁の積み重なりがあり発酵したのだろう。半年前のある日、「大室佑介入門を始めよ!」と天のお告げがあったような気がした(?)妄想あるいは呆け老人の白昼夢だったかもしれない。「それはいいことだ!実践する」、と決め連絡したのはいつだったか覚えてないが、快い返信が届いた。










2025年5月18日。お嬢さんの通う小学校の草刈りをする大室さん。大勢の父兄とこどもたちも参加していた。25日は小学校の運動会なのです

他者の入門シリーズをはじめた

「若い人の人生を数年にわたり聞き、記録を残そう・・・」と思ったのは2020年の新型コロナの力による。ロックダウンと自主規制が当たりまえになったある日だった。仕事と会合はオンラインに移行し、それが世界標準の暮らしとなった。「建築の理想は路上である」と言い続けてきたが、オンラインの語り合いも開いてみた。オンラインを開催するたびに、「コロナで死んでもいいから、人と会って語り合い、記録を残そう。それが人らしいし、その活動で人生を〆よう・・・・」、との考えは大きくなるばかりだった。世の中は非常事態だ。誰も会ってはくれない。知り合いの家に行くと頭のてっぺんからつま先まで消毒される始末だ。

コロナ災禍は徐々に明け、3年前から「2年計画で若者などの人生を聞き取って記録を作る」ことが可能になった。「入門」のための聞き取り活動は新型コロナが連れてきた妄想だ。なにはともあれ、4月から4人目の「大室佑介入門」がスタートした。


2020年4月16日福島民報の号外

■ 大室さん中谷さんの自宅 (2025年5月16日 17時30分頃)

滋賀県日野町を体験したあと、大室佑介さんの運転する自家用車に乗り、約1時半で白山町の家に着いた。5月16日夕刻だったが周囲は明るかった。雲出川を渡り白山町に入ったが、左に白山中学校があり、そこを通り抜け、左折を繰り返すと私立大室美術館へ至る。このアプローチはweb地図で数度体験していた。自家用車から眺める目の前の風景はとても美しかった。和歌山県の新宮あたりから松坂市の北面にある山々だろう。全体は一幅の水墨がのように霞み見え、来る前に想い描いていた白山町よりはるかに美しく、来てよかったと思った。駐車場に止めた。そばのお爺さんが造った庭は石が所せましとばかりに並んでいて石の小さな塔も設えてあった。池が無かったので枯山水の庭だったようだ。

大室さんに案内され、お爺さんが造った間口2間の広い玄関にはいった。彫刻家の中谷ミチコさんとお嬢さんがすぐ現れたので挨拶をし手土産を差し出した。中谷さんはweb動画や画像などで観ていた印象とは違った。成熟し安定した女性だったと感じ、思わず「webのなかより数倍いい女性ですね!」と言葉がでてしまった。web情報は聞き手と設定に問題があるのだろう。作家を硬直させがちなのだろう、何かを背負って鬱々した表情をいだき、戦って暮らしているのだ!それを演出し過ぎる情報だと分かった。だから思い描いていた作家としての中谷さんの像は一瞬で崩れ消えた。会いにきてよかったし、中谷さんは微笑みを絶やさない人柄でもあり、育った環境もすこし想像できた。

お爺さんは贅をこらしたお家を建てた

4枚引き違いの障子をひき玄関に一歩踏み入れると、広く材料も細部も贅をこらした作りだった。お爺さんは普請道楽だったんだろうか・・・と思わせるには充分な大きな梁や建具の細工だ。白山町内の住宅を丹念に調べていないので、筆が滑っているかもしれない。「新築し、さほど経過していないようだし、どうしてこのような凝った造りで、広く大きな家を手に入れ、飽き足らずに別棟まで建ててしまったのだろうか。
中谷さんの語りで知ったが、晩年のお爺さんの悩みは、思いを込めた家屋敷を継ぐ者の不在だった。お爺さんは昔の侍の家屋敷をならっているような、住宅とその付属施設。それをどんどん建て増していく。会社経営と暮らしの結果が普請と庭づくりのようだ。完成なったそれらを孫子に継がせることは晩年の希望へと転じ、孫娘に迫ったのかもしれない。
この地域で財をなした者は家屋敷を広げ続け、お殿様のような環境の中で暮らす、それを理想として実践することが好い生き方だったのだろうか。
建築を生業として生きた時間もあったので、その深層も興味ふかく、探りたくもなった。夜が明けたら家屋敷と周囲を歩き回り想像してみることにした。そのことは後の「家屋敷」篇で記すことにする。

大室さんは「この家の住宅設備(水やお湯のでかた、シャワートイレや排水など)が東京都内での住戸と同様だったので、移住することに困難をおぼえなかったですね・・・、」と語っている。お爺さんの普請道楽の結晶であるお家は、孫世代の暮らす場へと代わった。東京で生まれ育った若者たちに評価され、継承活用されているのは嬉しいだろう。

中谷さんのじいちゃん!二人はとても有効に活用してましたよ、よかったですね。

(一服しない大室さん)

大室さんは椅子に座り一息するのだろう、と思っていたが、休まず?!私立大室美術館と庭園美術館を案内し、改装中の離れ(図書館とアーティスト・レジデンス予定)に入り、2階の改修・工事中の部屋に登った。2階から見晴らすと大室美術館(下の絵)の構成は圧倒的にフレッシュだ。大室さんの想いが伸びやかに白山町の大地に配置され動きそうもなく安定している。既存の施設を消化転用して新しい意味を発する配列へ変容させ提示している。刮目すべき事例だろう。活用手法と美術指向の組み合わせは巧みというべきだ。目の前には、きたるべき美術館の姿と、人々と、術作品との交流が目に浮かび、公立美術館の次が一目で分かる場所になっていて清々しい。

後の語りに現れるが、庭園美術館の一角は他者に買い取られたあと、10倍の違約金を支払い大室さんが手に入れたそうだ。手に入れた大地も接合され庭園美術館の全体をなし目の前に広がっている。このエピソードは大室美術館誕生の伝説になっていくだろう。
苦労して手に入れた大地は庭園美術館の全体に伸びを加速させながら、大室さんの生活を暗示しているようで、大らかで楽しいものだ。この地には太陽光発電パネルが並ばなかった!来館者も二人の決断に救われたのだ。













 青いラインは断面位置 (国土地理院サイト)



海抜約50mにある大室美術館
雲出川との落差約10m






 大室・中谷さんの家 6月の雨にも威風堂々

 離れ2階から観る「私立大室美術館」の全体。手前がお爺さんが作事した庭園。(2枚の絵を合成) 2025年5月16日撮影

今夜の食材を買いに「きゅーとら 一志店」へ
 
大室さんは相変わらず一服し茶を呑む気配がない。「近所に小さなスーパーは(2店舗)あるんですが、今日は美味い刺身を買いに、少し遠い店に行きましょう。」と車に乗りかけたので、便乗した。スーパーの位置と賑わいを体験したかったし、日々飯炊き爺さんしているので、欠かさず買い出している。福島と三重のスーパーの品揃えと値段も比べたかった。

向かった一志という辺りは雲出川が伊勢湾めがけ流れ下る扇状地の要にあった。大室さんの家からは20分ほどかかる遠さだった。夕飯の買い出しには少し遅すぎる時間だったので、駐車場も店内もさほど混んではいなかった。きょろきょろ見ながら値段を比べると、消費税別で、「鶏モモ」260円20%引き レタス99円、人参1本85円、油揚げ128円。売り残っては大変と、値下げしてる品もあった。今夜の酒の肴、目指すは刺身「よこわ???」ってどんな魚、福島では聞かない名だ。4枚にさばいてあり見た目はとても新鮮、プルプルしてるように見えて699円!安い!これは推しだ。次にフルーツ、やはりこの時期は苺です。産地は遠いのかもしれない、小ぶり苺を一パック880円で手に入れた。苺は食後と朝食のテーブルに並んだ。

よこわ」ってなんだろう。検索してみると、「よこわは本マグロの幼魚の呼び名」とあった。関東ではメジとも呼ばれているが三重県から和歌山県にかけて捕れ、この地方の呼び名と分かった。よこわは数年で本マグロになる、とある。資源確保のため喰ってはイカンのではないのだろうか。詳しいことは分からないが、漁獲量に制限があり、この地域では愛され貴重な刺身だと分かった。
大室さんは夕食のテーブルに並べた、よこわを食べた。さっぱりし脂ぎらず、触感は柔らかく、若い味の刺身だった、本マグロのように油っぽさがないので、老人には推しの一品だ。大室さんが遠くまで足をのばし「うまい刺身」を手に入れる訳を知った気分だった。美味い!人生初のよこわも美味い!来てよかった白山町!




三重県おさかな図鑑より 縦のラインが回っていることから横輪と呼ぶらしい。以下webより
クロマグロは春に産卵し、熊野灘では夏に幼魚が来遊し成長します。白い破線状模様が体の背腹方向に周回していることから、ヨコワと呼ばれます。クロマグロの成長は著しく早く、秋には味わいも増してヨコワとしての旬を迎えます。また、クロマグロは近年養殖が盛んに行われていますが、その種苗の一部として、夏にヨコワを漁獲して利用しています。

■ 初呑み会 だべる
(ふたりのおいたちは少し話た。詳細は日を改め語り合う予定。)

今夜のために福島県産の純米・地酒「廣戸川」を宅配してた。広島サミットで公式日本酒に登壇してから品薄が続いて、福島市の酒屋でも手に入らない期間が続いた。ようやくブームも下火となり、5月になって手に入れることが容易になった。
この酒は冷酒は厳禁で、熱々燗が勧めなのだ。大室さんには熱燗で呑むことを推した、酒温度をみながら大室さんは台所に立ち何度も味見した。肝臓が好くない佐藤は芋焼酎の水割りを、中谷さんは缶ビールを手にして、乾杯となった。久しぶりの飲酒なので真っ赤な顔になっているようで顔がほてった。

(安藤栄作さんの作品)

佐藤:乾杯しましょう。幸せ建築家と幸せ家族に乾杯!しあわせ家族に出会うと俺も幸せな気分になるね。屋敷に転がっていた中谷さんの彫刻をみたんだけど。表現している・・辛い時期も、ありますよね
中谷:そうですね。
佐藤:今は突き抜けちゃった作品みえましたけど。
中谷:ふふふふ
佐藤:夕飯、美味い!もう死んでもいいやって・・いう気分になってきた!
中谷:だめです! 

佐藤:幸せに会うことはいいことだ〜。大室さんは福島県南相馬市小高にある「おれ伝」に参加している誰と知り合いなんですか。
大室安藤栄作さんです。
佐藤:チエンソーや斧かな?木彫している作家だね。福島県立美術館も所蔵し展示してましたね。先輩なんですか?
大室安藤さんのファンなんです。福島から移住し今は奈良の天理の人なんです。ここからもそんなに遠くないし、一度アトリエに行ってます。
佐藤:「おれ伝」は変わった人たちが全国から集まって情報もだしている不思議な雰囲気かもしだしているね。
大室:そうですね。主催している人が私立大室美術館のことを知っていてくれたのもありまして、観にいきました。
 



大室さんの所有の2021年・安藤栄作さんの木彫(1961年東京都墨田区生まれ)作品。(webにあるPDF
安藤栄作さんによる小作品を見て。

小さな穏やかな幼女が寝いり、宙空を駆け巡り仏さまに会い話合っているようにも見える。顔の彫り込みは意図しているのだろうが、素朴で凸凹し歪んでもいる。目をつむると幼女でも瞑想の趣がでている。

誰でも円空仏を連想することは可能だろう。円空仏は鉈を振り下ろす回数が極限まですくなく迫力があるように思う。

目の前の安藤作品の最大の特徴は樹木の根本が曲がり大地に突き刺さりもぐりこむ。その時に幼女の顔が飛び出した、その趣は胸を打つ。災害に遇った樹木のそこかしこに顔が現れ、作者がそれを見いだし掘り出したことは作者の人柄を表すようで、観た者の心を打つ魅力溢れる作品だ。(佐藤の誤読でしょうか・・)


佐藤
:なるほど、大地震と原発事故が起きた後にいろいろな人がフクシマにやって来て中筋さんが中心になってるんだとおもいます。敷地と建物は地元の設備屋さんが所有してた倉庫を転用しているんだと思いました。
双葉町の原子力災害も終わってないので、何を伝承するのでしょうか、わかりませんけど、国支援の造られた伝承館があります。それらの対案、プロテクト案なのか不明ですけれど、私的な伝承館なのかもしれません。すこしだけ過激というか、出入りが多く熱気があるんじゃないでしょうか。他にもいろんな展示場が震災後に出来ました。

大室:周りの人が突っ込んでいくと過激になりますよね、一人でやっているといいんだけど。
佐藤:そうだね、行政はだめ、自分たちはいいこと活動している、そういうことになりエネルギーを蓄える気配はあるんでしょう。原子力発電で福島県はもちろんですが、浜通りの一部は経済的に潤っていたこともあり、地元の人たちは、国や県に対し、面とむかった行動もしにくいんでしょう。行政は税収も増え、さらに毎年交付金で県や市町村の施設もたくさん造り続けていたからね。事故前は補助金の使い方に制限が無くフリーハンドで使える税収になってました。
俺は原発は全て廃炉にした方がいいという位置にいます。けれど、日本国民全員が被害者であり加害者でもある。そう思って観ても、難しくて。生活に電気エネルギは不可欠の暮らし方しちゃってますし、菜種油でランプを灯す生活には戻れない国民がそれを選ばないでしょう。

大室:地元の感情はそうなりますよね。
佐藤:事故が起きる前から、活動し維持してれば支援策はあったでしょうけど、事故後の発信だと地元が受け入れるまで数世代は要するでしょうね。安全神話に国民は乗ってたしね。事故後いろんな人が、いっぱいでて、やって来て、ずっと観てたので、出尽くした感はありますよ。県民は原発事故が起きて、疲れ続けていたから、声をだしたくない。そう思って静かにしている。怒りをもち皆んなの前で表明するには長い時間は要るよね。新しい自然エネルギー、発電産業で、公害が起きたら繰り返すことになる。もっと慎重にすすめようぜ・・とも思う。
原発前からやめろという運動をやっている人はいたし、事故の危険性は認識してたので事故前に俺はサージカルマスクを備えていました原発爆発した日も誰も持っていなかったよ。建築設計やっていたので綺麗ごとは言えない。事故が起きても豹変して反対活動もしない。

大室:建築系はきたないことやってますからね。
佐藤:ゴミも山のようにだすし、他人のお金で好き勝手作っていたんだから、綺麗ごと言えば嘘になるしかないよ。だけど、原発後に主な記録だけはまめに集めて持っているよ。

大室:ヤノベさんのサンチャイルドの件について、張り付いてましたね。

5月16日 お酒を呑んでワイワイ

サンチャイルド像とアーティストなどの課題
 (彫刻作品を公共空間に飾り提示することについては改めて語り合い記録する予定)

佐藤:今も張り付いてます。公文書開示申請したりして観察記録しつづけてます(笑)。ヤノベさんとは福島市で何度も会ったし、我が家にも来てもらってワイワイしました。
事故が起きる前から知っていた。事故直後も京都芸術大学の工房に行って駄弁ったけど、かみ合わなかったね。
事故前は仙台で講演「森の映画館」だったかな、阿部仁史のハウスレクチャーに来てた。五十嵐太郎さんが呼んだんだけど、チェルノブイリ事故後の活動を聞いていた。それが突然、福島駅まえにサンチャイルド像が立っていた、顔をあげたらヤノベさんが目の前にいた(笑)、・・それから大騒動になってしまった。で全体の動きをずっと観察し公文書開示請求を出し続けて、55通になったな。公共空間にアート作品を設置したときの問題と課題はそうとう詳しくなっちゃいました。(笑)

公共空間に彫刻などを設置された場合の問題は制作者、行政マン、マスコミ、市民、首長、それぞれを観察し続けているので、佐藤の感想と作家が行うべき課題を語り合った。

呑みながらがら、さまざまな内容を語り合った。長くて濃い一日は、玄関わきの和室にせっとされていた寝床にもぐった時に終わった。

  17日、私立大室美術館を体験するに続く


■参照動画、
解体時にサンチャイルド像の傍に立って撤去の様子を見ていた高校生に聞き取り編集しし2018年10月3日公開した動画

2019年7月31日我が家でヤノベサンと福島大学の渡辺先生とワイワイの図