sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2019年2月16日   2019年 作成
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市民の寛容、不寛容ではなく 市が軽率であった

老女1
福島市民がアートに関して不寛容であるというふうに、今言ってしまうのはどうかなーというふうに思うんです。初めての経験ですよね。福島市民にとって。あれだけの大きなものが(農民アート・巨大わらじはどうなの?)、ぼーんと福島市の繁華街ところに置かれたということは、使い手のことなんて、切れなくって、戸惑いますよね。かつ芸術品だから、好き嫌い、どうでもいい。かならず、それは出ますよね。メッセージ性がさらに際立つし、かつメッセージ性が分かる、っていうことでは政治的な部分とか、人為的な観方とか・・・が出てきちゃうし。まずそういうのは取っ払って、かつ私みたいに空間的に駄目だわーっていうものも芸術にはあるわけですよね。そうすると、決して寛容、不寛容という事ではなくて、市が軽率であったと。私は市が軽率であったと思っているんですね。市もたぶん初めての事だから、前例が無いというのは非常に・・こういう結果になったんだと思いますけれども。この事があったので、何かそういった市民の心情に係わるものとか、市民のなんでしょう、今置かれている、福島だったら福島被災したという、経験を踏まえても、ここに住んでいる人たちの、存在に係わるようなものに関しては、とても丁寧に扱わなくちゃいけないんだ。というのは市も感じたと思うし(市役所は誰も感じていないのでは)、ここに集う人たちもそれは感じている、と思うんですよね。なので、決して寛容でも不寛容でもなくって、ここに来ている人たちは、その寛容さを獲得したい、っていう思いがあるので、集って来て、色んな意見を出して来て、るんじゃないかなーというふうに思います。いじょうです(自身の生理的に嫌いと寛容さの関係を詰め語るべきだと思う)

■同じ作品に対しても感じ方変わる 気長に語り合うべし

A女性:
私もやっぱり、感じ方は人それぞれ違う、色々多様性があるわけで。嫌だと思う人もいていいと思うんですよ。それは自由だと思う。ヤノベさんと・・・震災後まだ10年経たないうちに、感じる事、それぞれみんな色々感じているけど。その10年後にどういうふうな感じ方をするのか分からないですよね。ひとそれぞれ、人生の色々なタイミングで感じ方というのは同じ作品でも変わって来るので。何か今この時点で、その人は不寛容だ、この人は寛容だとかも言えないと思うし。この作品いいとも悪いとも判断は出来ないと思うし。もうちょっと時間を掛けてねー、見ていくもの。それによって色んな人は今までとは変わるんじゃないかというふうには思っているんで。早急に色んな人の事を叩き合いをするのは悲しいなーというふうに私自身は思っていますけど。
 この一番の問題は福島市が一端受け入れたのに、受け入れる経緯もちょっと問題だと私自身は思いますけれども。それで何か知らない間にすぐに引っ込めちゃうという。その事態が非常に失礼な事だと思うんですね。ヤノベさんに対して。もっともっと、話し合いなりなんなり、色んな感じ方をして、この場だっていろいろ居るわけだから。何か早急に、引っ込めてしまったことは非常に、凄い残念だと思うし。悔しいなと思うし、何か早急に長くいろいろ話し合いをしながら、色んな人の意見を聞きながら、あまり、結論は出ないかも知れないけれども。そういうのがいいなーと。

高3女性:私今話を聞いたのかとも、いろいろ踏まえてですけれども。自分は政治とかにあんまり詳しくないので、政治的な問題だとかよく分からいんですけど。最近、広告とかで女性に対しての、・・・ロフトの広告でご存知の方いるか、よくわからないんですけど。そういう企業とか、市だとかが、信用とかに関わる団体が、意見の分かれるものを出すというのはちょっと問題なのかなーと思って。
 もしサンチャイルド置くのであれば、市とかじゃなくって、叩かれても揺るがない個人とかでやるべきなのかなーと思いました。何か見当違いかも知れないんですけども。自分は最近の広告の問題とか見てて、思いました。
 他にもやらなくちゃいけないメインのことがあるわけなので。そこで信用を落としたら、結局いま言ったみたいにすぐ引っ込めるしかなくなっちゃうので。もうちょっとそっちに集中できる人で かなーと私は思いました。

 ツダラー・ツイッター住民の声について

W氏:
世界のてつがくカフェはね、本当にみんな同じ方向を向き過ぎてて僕は、気持ち悪いかなーなんですよ。

 今回こういうね、違った意見が出て来ることが、本当は凄く、このサンチャイルドで大事な事だったし。もっと反論というのかなー、言う人も居て、で話し合う場が持てて、その傷をお互いに理解し合えることが大事な事だったりするのに。インターネットってね、不特定多数の人だけが、声をあげて、そういう方向にみんな流れてしまっている状況が、僕は「ちょっと怖いなー」と思って見てます。だから、さっきおしゃっていたように早急に何か結論を出すと言うよりも、そういう場、そこに作って語り合う中で、みんな違った考え方があるのが当然の事なのに。それが何か一つの答えで結論を急いでしまったり、方向性を決めてしまっうということが僕はそれが一番、福島にとって今、怖いことのような気がします。本当にこういう機会を与えていただいてね、好かったと思いますけど。ただ、さっきおつしゃっていたような、こういう機会を設けるたびに、たくさんの反論出している人たちが、出会える場というのが無いのかなーはははは。こういう所に来るとみんな。

佐藤:来ない、来れないからネットに書いて傷を癒やしているのだから

渡邉:来ないよねふふふ凄く残念だなーと

■ 若木くるみさん=人の存在の不快さについて

右1男:
共産党と市長を、ここに呼べが簡単じゃないですか。一番最初に反対した共産党の人たち。お互い意見があるわけですから。ただまとまるということは無いと思います。方向性が全然違うわけですから。

佐藤:質問していいですか。アートを政治的な架台に載せて賛否とか、問いを語るのは、どうなんですかね。僕は違うと思っています。個人の表現の自由の問題なのですから。 前回、若木くるみさんが存在の不快さっていうのをテーマに、サンチャイルドに成りすましてね、 会場はははは 登場したことに、誰も触れない事に凄く、なんていうのかなー、なんで気が付かないのかなー凄く残念に思っていたんですね。根源的な問いの存在の不快さとして体を張って、てつがくカフェ@ふくしま、の会議の場に侵入していた。そのこと、分かっていなのかもなー。何で気が付かないんだろうなーと、凄く残念に思っていたんですね
 アートを政治的な架台に載せるのではなくって、人の存在の根源の不快さ、お前の存在が気持ち悪い、不快だというときにどうするのよ?という問い。
 俺もみんなから気持ち悪いと言われているし、市役所に行くと、なんだ又来たよ、来るなみたいな感じで、またサンチャイルドかよーお前うるせーなーと。みたいな感じですが。でも俺はしつこく来ますと言って、庁内をぐるぐる回るって、みんながサンチャイルドの事をしゃべらざるを得ない状況を作ってしまおうと思っているのです。市役所の職員からみたら僕は不快な人間の存在を演じているんですけども。
 政治的な問題として、市長と共産党の方とで、がちこして、分裂してそれでいいいう話ではない、ような気がする。 


 

老女1:私も市長と共産党は単なるきっかけであって、こういう場が持てる。その事が・・・。

オルテガ 『大衆の反乱』

司会:
そろそろ時間ですが、まだ発言されていない方たとか、ぜひ何か。

cf男:まいNHKの教育Eテレの、100分DE名著という、要は昔語られた偉大な人たちを紹介する番組があって。そこでちょうど今月取り上げられているのは、オルテガという人が書いた『大衆の反乱』というものですね。それを観てて、実は今日夜深夜ですけど、第一回の再放送なんです。もしよろしければ、録画などしてご覧いただきたいなーと思うんですけど。
 まさに大衆というものが、今、不満が満ちていて。それに対してこう左右され過ぎちゃったというよな世の中に、あるなーっていうのを感じるんです。今回も実はてつがくカフェ@ふくしまで、紹介文面だけを読んだ時は、どちらかと言うと、合意形成に重きを置かれているような案内文みたいな感じに見えたので。それはそれで私は大事なことだと思うし、好いチャレンジだなーと、ある意味では。ある一方で、やっぱりちょっと拙いなというふうに感じて。それは何かこの際の話合いの中でじょじょに解消されて来ていて、私はほっとしているんです。それは、事前にネットで「てつがくカフェ@ふくしま」の公式ページのブログのコメントに対して、反対の意見11件か、書いてあったですね。で、そういう声があるのも事実なんです。
 で、今回の案内文と、私なんか読んでしまうと、じゃーサンチャイルドの賛成派みたいな人たちが集まって深堀していくというようなイメージにも映っちゃって。それだと、結局、自分たちの旗を持っている人間同士が集まって、何かやり合うというようなコースになりかねない。というのもあった、始まる前ですが、想ったのでそれは拙い。という危惧をもって望んで聞いてたんですけど。蓋を開けたら意外と、反対というか「個人の権利というもの認めましょうよ」というような主張もあれば、「いやいやサンチャイルドの価値というものを大事だから」というような意見があったりとかという。そういう場が出来ている、というのがけっこう私は大事だと思っていて。
 例えばネットに、何か反対の意見の人ですよ。サンチャイルドの構造的な問題。FRPと言うんですか、材質の問題ですか、その方の書き込みだと10年程度しかもたない。もし設置した場合にそれが風化して壊れたら、誰が責任をとるんだみたいな、はははは、ご覧いただければ分るんですけど。というものがあって、反対する人にとっての理由づけというものがある。例えばその方がこの場に来て、さっきヤノベさんとやりとりをされていたのを聞けば、その部分については、解決できるわけなですよ。つまりメンテナンスをし耐久性はもちろん、構造上もやっているので、基本的には安心ですよっていう事が分からない。自分の何かしらの感情のトリガーじゃないですけど、延々とそういう不確定な情報を合わせて、自分の感情を表現しなければいけないという状況に追い込まれている、という人も事実として居るんだと思うんですよ。ネットだからと言って、生きがいを求めるものだったり。一部の人間が書き込みをしてるだけ、というふうに捉えのは危険なことだと思っていて。やっぱり自分がそういうふうな意見を、この場で言えれば望ましいけれども。言えないけど言いたい、というような人も居るっていうことを認めるということも大事なこと。そういうふうに思っているんですよ。
 そうすると、結論は急がなくっていいというふうにおっしゃりましたけども。まさにその通りで、どうしても合意形成というようなニュアンスになると。いや方法論だと、どうしても先鋭化されていく、縦に深く掘って行くようなイメージがどうじても持ち易いですけれども。じゃなくって、深めるっていう意味は範囲を広げていく、いかにステークホルダーじゃないですけれど、狭いものではなくって、関係するだったり、何かしら接するという関係者、自分がその問題に関わるというような意味での人たちという、その人たちをいかに巻きこんでいけるか、っていうところが大事。その人たちといかにコンタクトをとっていくかですね。どうしても意見が折り合わないけれども、その人は何を言っているかという理解をするというところ。
 一番いいのは、同意というか、なんでしょうけど。その一つ前には共感というレベルがあり、その一つ前には何かというレベルがあるな、というふうに私は勝手に思っているです。感情と理屈とその両方が合えば、合意してこういう同じ方向にというので進めるかも知れないけれど。ますは相手の言っていることを、意味だけでも分かってあげる。もしくは相手がそこ困っているんだよという感情の部分、そこだけでも何か共通するのっていうのが出来てくれば、なんだろうな。っていうところが重きを置くべきなんじゃないかと。
 だから、なんだろう。いかに、より多くの人を巻き込んでいけるかという視点で、この場というものをどう設定するのか、というものがけっこう大事なような気がして。そのための一つの、取り組みとしてのてつがくカフェ@ふくしま、けっこう大きな役割をここで出来ていると思うですよね。

司会:世話人批判! かいじょうははははは
 そうですねー。僕は前回、あれだけ大勢が集まって、確かに気色悪かったと、おっしゃったけど。割と50人ぐらい集まって。そんなに反対的な人もいなくって、僕が排除したのかもしれない。排除というかまあー。アートでてつがくカフェ@ふくしま、前回は。アートが何もなしに喋っても、物は撤去されてたわけだから、写真があったほうがいいかなーというふうに思って。貼ったんですけど。
 前々回は、やる前に「みんなで見に行こう」というふうになて、みんなで見に行ってから、話し合いに来たから、あの時は時に貼らなくて済んだんですけども。前回は撤去されたから貼ったんですけども。そこは、前回あんだけ大勢集まって、割とある方向に、てつかふぇとしては珍しく話がまとまりかけて。で、おもしれーなーと思ったんですね。
 普段の、てつかふぇは全然違うし。僕はそれは面白いなーと思って、今回もう一回また「ヤノベさん来てくださる」という話があった時にあの議論、たしかに延々、結局今日も前回と同じように、前回以上に、もっと手前にもどって、話合えてそれはそれで好かった。
 もちろん僕は、普段、忙しくなければ、コメントしてくれた人たちに「是非来てくださいね」っていうふうに書きたかった。忙しくなくって。だけど、あの人たちがああいうことを書くのは自由だけれども。
 「僕は個人的にはサンチャイルドを絶対にもう一度展示したい」と思っていて。それに関して言うと、僕はそんな時間をいつまでも掛けてるとか、そういう話じゃないと思う。つまり「合意しなきゃ展示できない」なんてなったら全ての芸術作品は終わると思う。色んな感じ方があっていいだろうし、色んな感じ方の見られる、言える、見られるっていうふうにならないと、芸術じゃない。それを撤去という形にしたのは絶対にこれは間違っていると思っていて。これは早急に正したいと思っている。それはだから、もちろん見たくない人は見られない。じゃー観たい人が見られないということがあっていいだろうか。「貴方が好きな作品を観られなくっていいんですか?」というのも。そんな日本になっちゃいけないし、そんな福島であっちゃいけないと思うから。僕はそういう意味ではこの件に関してはとっとと見られるように、見たい人が見られるようにしてほしいなーと。そういう意味である程度、同じような考えの人が集まってもらって、じゃーどうやったら、本当に見たくない人たちの権利を守りながら、でも、もう一回みたいという人が見れれうようにするっていう、具体的な話をしたい。

 てつがくカフェ@ふくしま、と、しなくてもよかった。てつがくカフェ@ふくしま、にしないで別の会にしちゃってもいいなとも思っていたんですけども。諸々で、てつがくカフェ@ふくしま、にしたんですけども。そうしたら結局こんだけになる

会場はははは

 だた今日はこの後、ヤノベさんも時間があります、いつものようにこの後、懇親会というか、行こうと思っています。その場で、またこの続きをしてもいいし、あるいはもうちょっと「なんとかしよう」という人達がどうしようか、みたいな具体的話をしてもいいかなーとも思っていて。だからちょっといつもと違うかたちをやってみたかったというか。というのは、あの文面に書いたのは、今回はいつもと違うけれども、でもそれをやりたいというのは、そういう例です。

  その06へ続く