sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2019年2月16日 | 2019年 作成 | ||
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tc男:前回の懇親会のときに、ちらっとその話は聞いた、聞こえて来てたので、それ自体が悪いというのでは全然ないです。むしろ、てつがくカフェ@ふくしま、でもそういうような事をやっていい気がしていて。つまり、私の考えはさっき言ってように、まずは色んな考えを聞くっていうことを前提に、この、てつがくカフェ@ふくしま、というのが実施されているだろうと推測を持っているので。そうすると、つまり貴方はこうだよねっていうことを知るということに重きを置くか。それはそれで、大事なんことだけれども。世の中って、ものを決めないと進めないという面もあって、常にそういう事だけでは、世の中との、なんだろうなー。生かすかどうかの話ではないけれども、そういう場面というもつくってしかるべきだと私は思っていたので。何だろう、それ自体は問題ないです。こういった方向で話を深めましょうよという事自体はいいこと。私は少なくっても問題に思っているわけではないけれども。ただ、それを、てつがくカフェ@ふくしま、でやろうという事には、(意味)疑義というのを。いま説明いただいたので、それはそれで納得はしましたし。 |
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W氏:オルテガの話されていたので。彼が芸術は距離の問題っていう事を語っていて。例えば臨終の場面に出会たときに、家族はその死に対してね、生きてほしいという思いから、感情移入していく。でも一方でお医者さんは治療をするという目的と同時に死後のね、何時に亡くなったという、少し距離をもっていて。記者の人たちは事実だけを述べるという、オルテガの話からいうとね、たぶん私たちがもっている手とか感情とか体とかは、みんなそれぞれ違うから。合意、全てのみんなが同じ答えを出すことは難しい。だからと言って新聞記者のように客観的に(引く)書くこともできない。たぶんオルテガはその一人称的なものと三人称的な事を常に振り子のようにね、行き来させなけきゃいけないということを強く言っていた。 今回のサンチャイルドの問題というのも、僕らも被災者だし。個人的な感情もあります。嫌だという人もいるのも当然だし。うちの家族は撤去されたときに悲しみました。いつもね出会っていたサンチャイルドがいなくなった。そういう人が居ることも事実。でもそういった個人個人の言葉みたいなものを拾い上げて、何か一つの答えは出るかというと、また難しい問題をはらむんですよね。おっしゃっていたように、このままにしていたら無かったようにされてしまうことが、一番の問題だし。無かったようにしようとする人たちの意見が、こういうふうに出ていることが、僕は問題だと思うので。こういう機会が得られてね、そして反対の意見も含めて聞きながら、合意形成というよりも、その事が大事なこと。 合意して何か一つの答えをまとめようというよりも、そういう言葉が得られるのがだいじ。だた残念ながらね、本当にそういう方々が来てくれる機会を、どういうふうに見いだせばいいかなー。いままで私が芸術祭やっていて、なかなかそういう人って来てくれないで、空中戦で飛び交ってしまうから。 一般の人、遠くの人は空中戦しか見えないので、ここで事実として行われている事がね、伝えられない、というもどかしさはあるんですよね。 ちょっとその辺のオルテガの話が出ているのでね、気持ちだけお伝えします |
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都男:最後ごめんなさい。すぐ終わります。全然違う話になちゃうかも知れないですけど、第二次世界大戦の後に、ヨーロッパで美術ってかなり衰退したんです。一気にね。第二次世界大戦の前に、ご存知とは思いますけど、アドルフ・ヒトラーが美術大学を出ていて、ドイツの高官たちというのは凄く美術を対して、何て言うんだろう。分かる人たちばっかりになったんですよ。でも実際カタストロフィというか、荒廃しちゃったときに、市民というか、人々が芸術って何も救わなかったじゃねーかよーって言って。急激に覚めるという事態があって。 結果的に芸術の本体というか、主流が全部アメリアへ。その後芸術の主流というのはヨーロッパから、アメリカに行っちゃったっていうことが、あるんですね。ちょっと話違うかもしれないんですけども、そのカタストロフィという、すごくそういう事が起った後のアートというのはどうなっていくんだろう、という。さきほどちょっと福島って話をされて、じゃフクシマからのアートって、どうなっていくのだろう。アートに、福島にアートが必要なのか。それとも、アートは福島を救わないのか。そういったことも含めて、福島がアートをどう育てていくのか、とかっていう、福島のアートはどうなっていくのかっていうのを、正直に言うと僕は期待しているというか、見ていきたい、というふうに思っていて、それがどう行こうが。 勿論ヤノベさんであったり、そういった作家の責任というか、あると思うですけれども。福島っておっしゃっていた、福島の人たちが、どういうふうにアートと接していくのかというのは、僕はちょっと見ていきたいなーと思いました。すみません何か変な話でもうしわけないです |
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佐藤:掲示板に年表と書いたんです。それぞれの年表を作成して欲しいと。最初に貼ったんですけと。ヤノベさんが作者としての年表も、みんなで共有しないければいけないと思うんです。それから、原子力(核の利用)がどうなって出来たかというのも共有しなければいけないと事実だと思います。それから政治的にアートが利用されててきた歴史、も年表で書き共有したいです。さらにサンチャイルド自身の生まれてから、7、8年間の年表もあっていい。 それらを重ねて観ながら、理解していかないと、何か印象みたいなような事がバラバラになってね、話が進んで行くのがもったいないのではないですか。まずは先ほどAさんなどが言われたように、急ぐべきことでもないので。これらを一つ一つそれぞれ表す。ヤノベさんは水爆の話もされています、美浜の事故の話もされているし、原子力と切っても切り離さない作品なので。けっこう範囲が広いです。で大変な作業になると思うのですけれど。これをやらなければいけないというふうに思っているので、用意された紙に書きました。それをお伝えします。 もう一つは市役所に行って、司会者が言われたように、早急に立てろという事は教育委員会相手ではどうでしょうか。俺も「立ててもらいたい」と言ったんだけど。「それは政治的に無理だ」と。突然、市職員の人たちも、突然やって来て、突然いなくなっちゃったから、職員の人たちも口あいたままで見てて「必要な情報が与えられてない状態」というのが、僕の印象です。市長が勝手にやった行為だから、まあまあまあ、みたいな、ところはあります。「なんでお前が余計な事を言いに来たんだ」という応対です。その二つ付け加えておきます。 福島市の職員たちの気持ちを考えると、その人たちと対立しながら、この語りをやって行くのか、それとも今おっしゃられたW氏がおっしゃられたような、福島市の担当の人も来ていただいて、ネットでワイワイ言っている人も来ていただいて、語り合をする、そういう処から始めていくためには、誰が首に鈴を付けにいくのかなど、関門もあります。そんなところです。 |
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司会:時間になってしまいました、本日も結論も合意もでず、残念ですなー。ただ今日のこのあとヤノベさんも参加されままして懇親会がありますので、とりあず今日の場はここで、また話をつづけたいと思っています。とりあえず今日のこの場はここで〆させてください。どうもありがとうございました 会場ぱちぱちぱち |
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