sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2019年2月16日 | 2019年 作成 | ||
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佐藤:設置場所について2段構えで進めるのがいいと思います。なぜかというと、市長は撤去会見の時に、原子力災害の記憶を継承するための象徴であると言っています。ということは先ほど提案のあった市議会の象徴じゃないわけです。原子力災害とあくまでも切って考えるか、切らないのかどうか、まず議論されないと持って行く場所が決まらないと思います。 原子力災害の記憶を保全しましょうという場所は、福島県が現在50億円かけて建物を造っています。県が福島大学の未来支援センターに委託して、被災した品物などを集めて、展示する建物(施設)を造っています。先週ニュースになりましたがご存知でしょうか 女:どこですか 佐藤:双葉町の(中野・両竹)という地域です。双葉町の一番線量が低い地域だと思います。国が岩手・宮城・山形三県に震災の記念館を建設させ、微妙な言い回しでアーカイブ施設としか言っていません。震災復興でもないし、震災の記憶保全施設でもないし、だから微妙。今ここで議論しなければいけないのは、これはアートとして、どうこうすることなのか、震災の記憶を継承するためにアートを考えた結果物なのか。ここのところを調整してからじゃないと。前に進めない。 今はこむこむ、つまり教育委員会の寄贈品・持ち物なのですね。教育委員会の持ち物だから、市役所はシステムですから、人間が変わってしまうんです。 だから俺は1年に一回、あるいは半年の一回来るから「あの馬鹿なおやじがまた来てね、サンチャイルドを語って問うていっていった」ということを庁内の仕事場でしゃべってくれと。処分しちゃつたりすると、あのオヤジが来てうるさいよと。俺はあと10年ぐらいしか生きられないと思うんです。若い人に後を継いでほしいわけですね。俺が死んだあとも引き継いでくれる方が、「サンチャイルドまだ持ってますよね」と市に言い続ける。「売り飛ばしていませんよね」と。 財産を管理している所に行ったら「これ、なんぼで売れますかね」と聞くんですよ。それは億はするでしょうと。「そんなするんですか、するわけないでしょう」と。するに決まっているじゃないですか。財産課のほうでは価値があるとは思っていないんです。僕は凄く高くなったと思っています。市が勝手に処分しないでほしいと「それ儲かりますねー1億ですか」と言ってますね。 繰り返しますけれども、サンチャイルドが福島市に一体何をもたらしたのかという事。震災の出来事として、思い出すためにだったら、もしかするとアーカイブでも、今回の語りの記憶や反対のアンケートや新聞記事と一緒にまとめて、福島市ではこういう事がおきしたということで寄託するのもいいかなーとも思ったりします。(たぶんお蔵に入ったままになるでしょけれど) その他は市民が市から譲り受けて、敷地をもとめて自分たちで立ててしまう。その二つだと思うのですが、いかがですかね。ここの議論はしたくないですか 男:いいですよ |
2019年2月10日民報朝刊 |
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W氏:まずさっきお話したように、県とか市に寄贈されたアート作品が、今どう扱われているか?という問題から言うと。結局、倉庫にしまったまま一杯有るわけで。ふふふふ。で大きさの問題だけではなくって。そういう扱い方をされてしまうという前提がまずあるんですよね。 そうすると私はもし可能であれば、まず一端ヤノベさんに返すべきだと思うんですよ。市は。 佐藤:ヤノベさんと市の間に二つ入っていますが、危険じゃないですか W氏:で、その前提として二つあります。一つは2012年にビエンナーレが始まったときに、私、今の大原病院の移動や、中合の話も、もうすでに土地の開発が出て来たときに。当時いろんなアーテスト達が福島をテーマにした作品つくっていて。そういう映画作品たくさんあったし、写真もあるしね。「アーカイブセンター作りましょうよと」いうことを未来研究所にしても。でも結局そのまま浮いている状態なんですね。個人が言っても、なかなか、そんなお金、私がお金で建物建てられるわけでもないし。だからそういう意識が福島市や県にあれば、いいけれども。 僕はたぶん大学ややっている双葉の問題もね、結果的に平和記念公園、広島のようになっていくんじゃないかなと思うんですよ。というのは私が子供の頃に平和記念公園に行った時には、悲惨な原爆をね、受けた、人たちの蝋人形とか一杯有って、凄く怖かったんですけど。今アメリカ目線になって、上から落とした時の地図の使用前、使用後みたいになってね。つまり、言いたくない政治的な問題はぜんぶ隠してしまうようになるから。結局福島で起きた事実や、私たちの気持ちがね、本当にきちっとしたかたちで伝えられるのは、アーテストなんかの一つの仕事。個人の責任の中でやっているんですよね。これちょっと強く言いますけれども。 アーテストは自分の作品に責任を持つけれども、そういった公的なものとか、外に入ってきたときには無かったかのように、いつでも隠蔽できてしまう問題があるんで。だからアーテストのそういった作品をきちっと示すような、ものが県とか市でトータルで考えられるような立場だったらいいけど。今はそうではない。とういうことが一つ上げられる。 もう一つは、ビエンナーレが今年去年、どんどん少しづつ開かれていく中で、アーテストは福島で展示したくなくなります今。つまり、福島という問題に触れないように少しずつなりつつある。でそれは結局私たちにとってはとっても残念なことなんですよね。福島の問題は福島だけでなく普遍的なね、 佐藤:アーテストの自己規制はサンチャイルドを切っ掛けに!ですか W氏:サンチャイルドも関わっているけれども、でもそれだけではないと思います。サンチャイルドの時に出て来たああいうね、今回もお話合いする時に出て来る、様々な強いご意見というものが、出て来ることをアーテストも怖れるというところもあると思うんですが。それに触れるということ自体が悪いことのように感じられているような。つまり放射線の問題、からフクシマ問題をアーテストはものの表現者として作ること自体が何か触れてはいけないんじゃないかと。そう成ってしまったら、僕は拙いと思う。だから逆に言うとそういう方も守ってあげるような考え方、設備も必要だと思うんです。 だから福島県の中にサンチャイルドが切っ掛けにさせて頂く中でね、どうやってこの震災後の問題を記憶を風化しないでね、記憶をしていくかという問題を考えていくということと。あとこれからアート制作者として育って行く若い人たちが、福島を触れないっていう問題にならないように、していかないといけないんじゃないかなーというのが私が考えている大事な点です。 |
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老女1:今の話を聞いて、それも考えると、もう一つは建物をつくる、もしくは、税金ですので、税金で建てられるということはその税金を、そのお金だったら、それを違う復興とか、別なものに使えることということも、考えると、やはり制作者のヤノベさんが・・・・欲しいなと思うんです。話してからということではなくって、例えば設置をする場所にしても大きな作品でもある、・・・例えば学生が建物を建てることもそういうことも作品・・・・・関わってくれることは大事・・・・・その上でヤノベさんが発信したいところに、作品があるわけじゃん、・・・積極的に関わっていただきたい・・と思いました。(・・声が小さく聞き取りにくい) |
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都男:私、東京の人間なので、正直言うとちょっとここで発言していいのかなーと、悩んでいたんですけれど。実はですね、私は震災からずーっと福島に係わって来てて、今でも浪江町とか二本松とかの所でいろいろやっているんですけれども。最初にヤノベんさんの話があった時に、僕は馬鹿だから嬉しくってすぐこむこむ館の前で写真撮ってインスタにアップしていぇーとかやったんですね。 でもその後に急にそういう問題が起きた時に、東京の人間からしてみると、何が問題なのか正直に最初は分らなかったわけです。「なんでこれが駄目なの」っていう。これが駄目だとしたら、僕はデザイナーなんですけども、それこそ浪江町とかのプロモーションをやっていたり、二本松だっり会津だったりプロモーションをやっているんですけども「表現をどこまでやっていいのか」が分からない。 さっきW氏がおっしゃっていたんですけれど。デザイナーの僕であっても、この表現をしたら福島から拒絶されるんじゃないか、とかっていう凄く心配。広告をやる段の人間にしてもそういった、凄く心配があって。ちょっと正直言うと少し福島に対してのハードルが高くなったというのが一つ それともう一つはアートがあって税金がという話もあったんですけれども。ちょっと僕は浜通りとかって行ってヤノベさんの話をすると「だったら浜通りに持ってくりゃいいじゃん」という話もあったりするんですね。こないだ実はW氏とも話したときに「福島市じゃなきゃだめなんですかねー」と話をしたんです。欲しい自治体は一杯あるし、二本松なんかは変な話ですけれど。ヤノベさんにかなりお世話になって、スップス・キャットが城の上に来たときの、皆大騒ぎになって「面白いよねー」という話になって、二本松人なんかも「二本松にくださいよ」というぐらいの話になっているんですね。 ちょっと話長くなってもうしわけないんですけども「今、日本中でけっこうアートで盛り上げよう」と言う活動があって、現代アートで一杯、いろんなイベントやりたいと言う話が凄くいろんな自治体から出ているんですよ。それは経済効果が、アートが来たことで税金が掛かるというよりも、もっと大きいい経済効果が見られるという、変な話ですけれど、浜通りの自治体が例えば、今新しくビエンナーレをやりたいですと。アートフェスやりたいですと。ということを言い出してんですね。 ちょとこれは、福島の人たちに対して失礼かも知れないけれど。「せっかくいい作品があるのに持ってかれちゃっていいんですかねー」というのが正直なところです。だとしたら、せっかく福島にいい作品があるんだったら、それをもっと有効利用する方がいいんじゃない。逆にサンチャイルド問題だから他に出してしまいましょうよと言って、いやいや、浪江町がくださいよと話になって、浪江町に置きましたと。浪江町で受け入れられて盛り上がっちゃうって。それはそれで悔しいというふうい想うかも知れないし。分からないですけれども、ただそういうふうに盛り上がってる部分もあるので。何かアートを何ていうのかなー、少し育てる環境というか、そういう方向に持っていってもらえると、ちょっといいのかなー。僕なんかはハードルがちょっと高くなっているような、外から見ると気がする感じがするんです |
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若男1:お話いただいて、自分としても最初にサンチャイルド来たときに、同じような思いで。これで観光の人たちで駅前で見てもらって、お買い物つかってもらって、経済的に凄く儲かるんじゃないかなーと思ったんですけど。それであえて、まあ反対派みたいな感じのことなんですけど。福島県民として僭越になるんですけど、サンチャイルドという作品を見て、福島県内の人、もちろん二本松、浜通りの人もそうなんだと思うですけど。他の県の方だとサンチャイルドを見てこういうのをアートで必要だよねーとみたいな、放射線とか危険だよねーって感じで。東日本大震災、福島県民だけが僭越なんですけど、反発したりできると思うんですね。日本国内でも、世界でいろいろある。それというのは福島原発災害の当事者であるっていうんで、まとまってないんですけど。 他の県だと・・・大事だよねっていう程度なんですけど。反発が起きるということはそれだけ当事者であるということですよね。 私自身なんですけどアートというの実際分からなくって。アートとして見るか原発災害として見るかということで、お話があったと思うんですけど。アートとしていろいろ福島、ここらへんでもけっこうモアイ像みたいな感じとか。裸で踊って女性の銅像みたいなのが、実際それがなんだかよく分からないけど、あって、運転するとき邪魔だなーこれ。みたいな感じでしか。 サンチャイルドというのは原発災害のシンボルとして見たいな〜とか、見ると嫌だなーという気持ちがあった。それで反対派として見たいんですけど。てつがくカフェ@ふくしまのブログで、もう撤去ということで解決したから、もう考えたくない、とか。しつこいから、こんなもんいらねーとか、みたいな感じであったりするんですけど。 もし福島県内で共有できるなら、浪江町とか二本松とか、いいとは思うですけど。福島という土地だからこそ、置かれた必要とされたと言うか。いうふうなあると思うんです。なので、ぜひ活用していきたいと。 あと一つ、個人的な意見として。市の施設とか県の施設とかの話あったと思うんですけど。県とか市とか、税金とか「みんなが」というのが入っていると、文句を言う人がいるので「お金を払った人が見れる」というところだと、文句言う人ってお金払わないで文句を言う人が。文句言わせない。だから美術館とか、お金払った人だたら見れるようにしたらいいんじゃないかなーと思うんです。 |
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男w:福島市で撤去して、倉にいれたということです。「福島市でいらないと言うなら、もらっちゃいましたよ」ということで他の自治体、サンチャイルドが受け入れられれば一番いい、かっこうだなーと思うんですね。何も福島市になくっても、サンチャイルド自身とってはいいんじゃないですか。 会場はははがやがや |
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W氏:まずね、僕も制作者なんで、凄く痛い言葉なんですよね。というのは自分で産んだ子供で可愛がっている、子供が要らないから違う自治体にあげるとか、あげないとかいう話が、周りで言うこと自体がすごく痛いことです。 ヤノベさんは表情に出ないから、だから私は最初にそういう話が出るならまず、ヤノベさんがそれは判断すべき材料だから戻すべきなんじゃないかという話をしたんです。で自治体が欲しいとか、実際にいろんな所でもあるけれども、結果的にその判断は自治体同士の話合いではなくって、おそらくアーティストの側で判断されるべき事だと思うんですね。そこになって来るとね。で制作者としては自分でもそうだけど、たくさんの人に観てもらいたいから、だから、逆に信夫山に置かれてしまっても、作った価値がどれぐらい有るか。福島には残ったかも知れないけど、それは違った問題に転換されているような気がします。それよりも、むしろ私たちはこれを通して色々語っていったりね。さっきお話いただいたように、これを通してフクシマ問題が無かったかのようにしないように伝えていくことが大事であって。先ほどのようにね、ツイッターでもう喋るなと、もう話すなという問題は、逆に一番こわいと僕は思っているですよ。 ヤノベさんのサンチャイルドの問題だけじゃなくって、福島の問題自体をもう語ることが何かすごく、私たちが悪いことをしているような、そういう考え方になってしまっているような所があるけれども。本来この問題ってもっと・もっとね、先ほどの人類規模とかじゃないけれども、大きな問題を重ねたときに、私たちは向き合っていかなければいけないんじゃないかなーと思います。 |
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佐藤:重要な点が何点か指摘されましたけど。アーテストが自己規制をしてしまうという事と、それが感染していって若い人が福島問題を語らなくなっていくとういう問題に関して、被災者は表現者の表現の自由を規制していいのかっていう問題があるんだと思います。だぶん被災者と言えどもそんなことをやっちゃいけないし、大いに表現者を福島に受け入れて、福島の原発災害とその問題を語ればいいという立場です。(世界に普遍的な答えを手に入れられるはず) それから、福島でサン君は問題起きたんだから二本松にあげちゃえという事ですが、経済効果がどうこうという話がありました、それは非常にまずい。福島市民はアートに対して非常に不寛容だっていうことになっているわけだから、まずそれを払しょくしてしまうことを行ってからだったら、それだったら寄付してもいいかも知れないけれども。現状では絶対他所にあげてはいけないと思うんですよね。 福島市民自身がアーテストの表現を大切にする市民であるという事を世界に発信、表現して行ってからでないと。福島市はへんな土地だよねーと話で終わちゃうじゃないでしょうかね。どうですか 男w:それもいいのかなーと思います。福島市民はそういう不寛容な市民だったと。 佐藤:そうだとヤノベさんふう日本、世界、地球太陽と宇宙へ希望ということ逆になるで、いいんですか 男W:結局受け入れられないんでしょう、福島は 佐藤:それは分らないなー |
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N氏:被災者がアーテストに対して、そういう制限をするなというのが、言い方をしたけれども、被災者がすごく嫌だっていうのも被災者の表現の自由だと思うんですけど。 佐藤:分かります N氏:でそれに対して、すごい冷たい言い方になってしまうけれども。それで言えないことは、やっぱりアーテストは言うべきじゃないと思っています。それでも言わなければいけないと思ったら、それに対してちゃんと言うという形で、自分の意思を示さなければいけないと思うし。それこそがアーティスとの使命だと思っていて。なので、それが出来ないような半端なアーティストなんなら、アーティストやめたらと、僕は言いたいです。 長い沈黙 |
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その05へ続く |
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