サンチャイルド2018入門@福島市のための基礎資料 03 寄贈された瞬間 2016年11月17日 |
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ヤ:2010年にAさんに福島に連れて来られて。その事が切っ掛けであって。 チェルノブイリの時にね、大きく後悔したっていうのは、縁もゆかりもないのに、ある意味自分のメッセージを伝えたいがために、自己表現のためにね。そこに住む人々のあるしゅの魂を自分が表現として利用してしまったんじゃないかっていう、表現者としての葛藤みたいなのがあって。そこから「作品表現はどうあるべきか」というのは自分の中で問い続けては来てたんです。 福島原子力発電所事故の後も、たぶん荒木さんとの関係がなかったら、2010年に福島県立美術館でのプロジェクトが無かったら、(事故後の)福島にもなかなか来れなかったと思うんです。(3・11後)来る切っ掛けをAさんが居てたからこそ与えられていたし、すぐに作品も展示させてもらったり、ワークショップに参加させてもらったり。そう出来たのも、個人的な繋がりがあったから、できたかなーと。荒木さんの存在にはとても感謝している。というものあります。自分の作品を発表したい」っていう欲求より、今福島の人たちに、自分で出来ることが(アート作品で)できるのかっていう事、で精一杯の事は考えていた記憶があって。 放射線量の少ない、「夏休みの期間中、疎開できない子供たちがどう過ごせるか」っていうことを美術館の方が考えて「何かワークショップをしてくれる人いないか」っていうことで「じゃーぜひ関わらしてほしい」と。 色々な思いで、やっていただけなので。エライような事をやっていたわけでもない。ふふふ、でも(原子力発電所の事故ご福島に)来れたのは荒木さんが居てて、そういう場所を提供してくれたからかなーと。非常に感謝をしています。 A:なんて言うんでしょう。震災直後ってなかなか私たち「本当に希望が持てるのか」っていうような、ふうふふ。ところがあったと思うんですよ。自分たちからはそういう(ワークショップ開催の)余裕も無かったし。(ヤノベケンジさんが)あの時風船プロジェクトに持って来てくださった絵、アナザーストーリーのあの絵とかに後押しされた、というか引きずられたというか。私たちだけではそこまで持って行く事をが難しいかった。(そういう)あの時期じゃないかなーと思うんです。(県立美術館での)あの風船のワークショップは、達成感だったっていうのかなー、ははは、やったなーみたいな感じがして。美術館の中が黄色い風船で一杯になって。明るくなったなーって。凄く、気持的に、明るくっていうのかなー、色んなことが忘れられて、発散出来たっていうのかな。そんな感じはありましたねー。 A館長:僕はね、福島県立美館にAさんという、学芸員が居ること、とっても幸福なことだなーと思いますね。真面目そうなのに、やんちゃだよね。考え方とか。太平洋を船で、曳っぱって来て。いいですねーそういうのって。それでダメだと知ったときには車に載せて山車のように曳こうかと思ったんでしょう。そういう妄想っていうのも大切だと思いますね。 後ろに太陽の塔がありますね。みなさん太陽の塔って覚えてらっしゃいますか。 大阪万博のときに岡本太郎さんが作ったわけですけど。建築家の丹下健三さんの立派な建物(磯崎新担当・お祭り広場)の屋根を突き破って。よく許したと思いますけどもね。突き破って立てて。一体これは何だ、たぶんその同時代に太陽の塔を評価した人なんかだれもいないじゃないですかねー。たぶん99%は馬鹿にして、こんなとほうもないことに、本人も途方もないものを作ってやるって言ってやったわけですけれど。 万博の会場の土地は全部更地になって。残ったのこれだけなんですよね。つまり、われわれはついに太陽の塔を壊せなかった。今、その太陽の塔の内部の復元をしていますよね。太郎さんはこの内部を人類の45億年の時間を表現するような、そして大阪坂万博は進歩と調和を掲げでいる(た)わけですけれども、進歩と調和なんてありゃしないっていうことを表現したいばっかりに、こういう途方もないモノを作った。アートって何なんだろうなーって思いますよ。 本当にばかばかしかったり、わけ分かんなくって何この人やっているのって思われるような。でも、後でね気が付くと我々は太陽の塔を壊せなかったんだよね。誰一人壊せなかったんですよ。手を付けられなかったんですよ。それは、ここに何かがあると感じてしまって。恐れを感じてしまっていたんだと思います。ようやく我々は今、太陽の塔って何か、そこに岡本太郎という作家が託したものは、たぶん今渋谷に飾られていますけれども、明日の神話と重ね合わせをしてやれば、原爆とか原子力とか言うものが、どういう意味を持つのかということを追認することによって太郎が問いかけていた作品にだったということも見えて来るし。 (原爆が炸裂するその瞬間を描いています) でもそれは同時に縄文の土偶のよであったり様々な取り組みを観ながらここに立ち続けている。きっとサンチャイルドは太陽の塔の子供なのかも知れないですね。佐藤さん、アーティストだって知らなかったんです、酒のんでいて。そのくせ何かやれとか。
基金長:あの時、出会ったのは県立博物館で 浜・中・会津とかで(はま・なか・あいづ連携プロジェクト)もうヘトヘトになって走りまくって。アートを、復興支援っていうか。レスキューなど始めて、様々、「博物館として何が出来るの」って、本当に活躍している時で。それで若松の居酒屋で「何か面白い人が来ている、ヤノベって来てるから、来ないとか」言っていて。行ったんですよね。そしたら居て。酒って言ったら「僕は呑めません」って。全然面白い男じゃねーなーと思いました。はははは。こっちでこそこそ話したら、世界的な彫刻家で、現代アートの旗手ですよとか言って。ふーん。ははは。 私もあのころ、再生可能エネルギーの電力会社を立ち上げて。丁度、飯館電力もやったり応援したりして。あちこち動き回っていたんですよ。いわゆる一般財団法人の福島自然エネルギー基金というのを始めようか、なんてやっていた頃でしたから、忙しかったっていうか。「何かアーテストは表現したら」みたいな感じで、言ったんですよ。こういう仕事もして、ふふふ、思いがあって。その時(ヤノベさんは)カチンと来たんでしょねたぶん、ははははは。作品見せてもらったら、すげーなーって。初めは、今ものすごく馴染んでいるんですけど。サンチャイルド初めて見た時にはね「なんじゃこれはー」と思ながら見てたんです。 でも、こういう(原発事故後の)過程の中にあって、今ヘルメットを脱いで自然の太陽を、まあああいうのには早く福島もなりたいなーって、空見上げて、汚染が無くなって、ういう風な表現なんしょうね。 で今(2016年11月)やっと落ち着いてきて、(サンチャイルド)いい作品だなーって。今福島はまだ5年ちょっと経って、まだ全く問題解決しないまま混沌のまま、ずーっと来ているんですよ。 で、最初の頃はこういう刺激的なアートを、避難している人たちに、被曝した人たちや、見せたら、それは極めてヒステリックな感じで、危険だろうというような事は私は思っていた。でも今になれば落ち着いてきたじゃないけど、少し、段々整理が進んできて。形が成って来たれ。今度は、アートの出番だなーと感じが凄いしたんですよね。 飯館村なんかの、飯館までいの会っていうのがあって。飯館村の支援も色んな避難民の人のことをやっている中で思ったのは、それは表面的にはあれですけども、心の中が相当、落ち着きどころの無いような形で傷んでいる。でようやくですね、今度はこういう作品が、心のなんていうか、を得ながら、あーそうだ、私は、表現できる、やっとそういう時代になっんだなーと。そろそろアートの出番だなーって実はあの頃に感じてて。 ですから今度はですね、アートっていうのは色んな意味で、なんとも言葉では言い表せませんけど、共感するというか、直感を受けるというか非常に合いますね。 そういうあれで見るとですね、凄い怒りがねーあるって言うだけじゃなくって、何とかしてやるぞーっていう。風神像なんて凄いじゃないですか。 放射能に汚染された水が、一生懸命やっている訳ですよね。全然トリチウムとれねーと。あの風神は水を吐き出し綺麗にしている。あるいはこっちの風で放射能を向こうへ飛ばしてしまうイメージだし。 今度はやられたものをやり返すっていう意味では、こういうアートの力を借りて ただ黙ってじっとしていて、何となく時間が過ぎて、東京電力福島第一原子力発電所の事故が昔あったという話、そういうダメなものは駄目だと。歴史の中で決して起きてはならないような決定的な事故が起きたんですよ。日本の歴史の教科書にあの事故をどう書くのか、これから大きな問題。そういう酷い悲劇の一瞬を私たちは受けたのを、(アート)この力を借りて私はやるんだろうと思うんですね、 で、この一般エネルギー基金というのはそういう事で再生可能エネルギーこそ。福島県議会からも、原発はとめ、廃炉する、これは皆県民は同意している訳です。(福島県内)そこに自然の再生可能エネルギー、自然の安全・安心の再生エネルギーを入れるんだっていうこと。 実はまだまだ国が原子力発電所を進めようとしている訳です、再稼働しようとしている。おかしいなーと。 でも福島県はやめるんだから、議会で決めているんだから。脱原発でいくんだと。(福島県内では)当たり前なんです。脱原発でいく、そういうエネルギーを前に押し出すような、事で。この自然エネルギー。 ただ残念ながら、大きな初期投資が高いので、再生エネルギーっていうのは、今電力会社も系統(検討)をはいりますよっていうことで、色んないわゆる投資マネーみたいなのが入っちゃって。色んな大きな事をやろうとしているんで。本当に再生エネルギーを作りたいっていうことで、電力会社が。 だから、お金が、これもお金が大変だということで、財団をつくって自然エネルギーをやろうとする人たちって、巨大なところに一か所置くんじゃなくって。分散型でやって、自給自足型で自分たちに必要な分だけエネルギーは作れるわけです、今自由化になった、皆それぞれの発電、自分たちがその電気を売ってもいいわけですから。そういう人たちが、立ち上げる人たちののために自然エネルギー財団をつくって応援すると。そういう目的。 二つ目は。今まだまだ、復興というか避難している人たちがあって。特に子供たちがですね原発事故以降の放射能の問題に対して これから大きなハンディキャップを持っている。それを仲間たちで応援したいということで。 (三つ目)そしてもう一つ、アートを含めてですね。デジタルであり、しかもアナログであり、アーカイブセンターっていう、表現している情報を発信してる場所。世界中のマスコミが来たときに、日本はどうなっているんだという話をちゃとしてるの出てないんじゃないか。何か隠されている。それじゃ駄目、そういうものをちゃんと出す。それと同時にアートの人たちが今これから大きな表現をしていって、紹介していく。 その三つを自然エネルギー基金はやろうということで、実は立ち上げて。去年の、今年だ、2月に立ち上がったんですね。 それで(ヤノベさんと出会ってから)まだ1年ちょっと、経たないですけど。ヤノベさんとの出会いで、最初の出会いの時に、私があのときに言ったからじゃなくって、赤坂さんが何か、上手ですよね。赤坂さん。すーっと「ヤノベさんこれって」本当に自分で言ったんですよ。ははははは。言ってないようなことを言うっているけど、はははもらっちゃった。 A館長:K学芸員さんです。 基金長;これは大きな一つのシンボルなるだろうと。県内にちゃんと原子力の事故で、これだけ酷いことになると。これをアートの中でもしっかりと福島の中に表現している。世界のアーテストが応援に駆けつけてくれて。原発がだめだダメだじゃなくって。大丈夫だよと。希望が次にどこに向かうか、けっしてここで約束してもらわないと困ってしまわない。ああいう事故があったときに、俺たちは前に一歩二歩動いていくんだっていう大きな後押しをアーテストたちがしてくれる事が大事だと。絶対止まらないと。前に行くんだと。 私が継ぐしかないし、次の世代に渡さなきゃいけない。だから止まっている暇はないぞと。 これが大きな挑戦だと思うんですけど。そんなことでなんか喋っていると過激になってくるのであれなんですけど、はははは。アートの力ですね。 あれいいですね、風神、俺はあっちの方がいいなー。ははははは。 04へ |
(参考データ) 2018年10月5日更新 佐々木俊尚氏のブログ より 第65回:太陽の塔 ■ 岡本太郎はこの太陽の塔に、どのようなメッセージを込めていたのか。大阪万博の「人類の進歩と調和」というテーマに対し、太郎は「人類は進歩なんかしていないし、調和もしていない。本当の調和はぶつかりあうことだ」と考えていた。つまりは万博全体が楽観的な未来思想に覆われている中で、そういう価値観とただひとつ真逆を向いていたのが、お祭り広場の中央にそびえていた太陽の塔だったのだ。 ■ここで本作では民俗学者のA氏が出てきて、こんなことを話す。 「虐げられた人々に対する共感は強烈にある。でも同時に太郎は、虐げられた人々が長い歳月の中で『去勢されていった精神性』みたいなものを認めたくないんですよ。それを真っ向から批判しますね」 東北人は去勢されているのだという。そして去勢された東北人を太郎が批判するのは「愛だと思う」と赤坂氏は述べる。 「愛と共感が強いがゆえに、いまも去勢されているようなあり方を認めたくない。いま我々の時代では『自発的な隷従』という言葉がキーワードになりつつありますが、まさにそれだと思います。太郎は怒りを持って挑発したかったのは、たとえば東北は僕は千年の植民地だと思っているが、千年かけて植民地にされ、そのことも忘却してやられっぱなしでいる人たちは自発的な隷従」 ■このあたりから映画は「自発的隷従」の話になっていく。フランス哲学者研究者の西谷修氏が出てきてエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの自発的隷従論を引きながら、「日本の戦後も、アメリカに対する自発的隷従だった。こういうことが日本のいたるところに当てはまる」と語る。「もし岡本太郎が(自発的隷従論を)読んだら、『おお〜これだよ』と言ったと思う」と話す。■もちろん、岡本太郎は「自発的隷従」などという言葉は使っていない。赤坂氏も西谷氏も、岡本太郎を勝手に代弁し、そして東北や沖縄の人々を勝手に代弁し、「二重の勝手な代弁」を展開している。 ■そして映画ではA氏が再び登場し、反経済成長を朗々と語る。「これまでは右肩上がりの成長を演出してきたけれど、若い人はほしいものなんてなくなっちゃってる。あらゆる欲望が大衆化しているんです。それらは社会資本をぶち壊しつつある」 そしてこう訴えるのだ。「どこかでストップをかけて、成長ではなく、成熟した社会を作っていかないと、君たち若い人たちが老人になるころにはとんでもない社会になってしまう。それは止めなければならない」 典型的な「経済成長は要らない」論で、正直言って私は「大きなお世話」と思った。本作はこのあとは福島第一原発事故とそれにともなう反原発イデオロギーの話へと突っ走っていくのだが、なぜ古い知識人が反テクノロジー・反経済成長を言い募り、江戸や縄文など昔への回帰を語るのか。その精神的源流みたいなものが解き明かされているという点では、本作(の後半)はきわめて興味深く、面白く観ることができた。 (以上 佐々木氏ブログより)(県博物館 k学芸員・) 福島県立博物館学芸員。美術工芸を主とする福島県内の文化資源について調査。文化資源の地域における再発見・再認識につながる文化事業の効果と役割についても研究する。福島県内の伝統工芸に携わるつくり手と地域、地域で学ぶ学生との交流の場も創出する。1996年より福島県立博物館に勤務。2010~2012年に、会津の代表的な文化資源である「漆」をテーマとした「会津・漆の芸術祭」を企画運営 (動画) 人と土地の時間軸を繋ぐ、ミュージアムとアート |
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■地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業 文化庁HPへ (目的) 本事業は美術館・歴史博物館を主体とし,地域に存する文化財の活用,観光振興,多言語化による国際発信,国際交流,地域へのアウトリーチ活動,人材育成等,美術館・歴史博物館を活用・強化する取組を支援することによって,美術館・歴史博物館が地域の核として文化の発信を牽引し,文化芸術立国の実現に資することを目指します。 (補助対象者) 補助事業者は,構成員に美術館,歴史博物館又は美術系若しくは歴史系の部門を有する総合博物館(博物館法(昭和26年法律第285号)第2条第1項に基づく登録博物館若しくは同法第29条に基づく博物館相当施設,又は文化財保護法(昭和25年法律第214号)第53条第1項但し書きに基づく公開承認施設,その他,文化庁長官が認める施設。)を含む実行委員会とする。 2018年・平成30年度「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」採択一覧 (文化庁PDFより) 赤坂憲雄 氏 (福島県立博物館長/ライフミュージアムネットワーク実行委員会委員長) 右枠 単位千円 2015年平成27度「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」採択一覧 (文化庁PDFより) 2016年平成28年度「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」採択一覧 (文化庁PDFより) |
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■鴨江アートセンターHPより はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトとは… お問合せ ■ 以下 ART BRIDGE INSTITUTE HPより 「ブリッジの作り方シリーズ」では、日本各地で取り組まれているいくつかのアートプロジェクトを紹介し、その主宰者の方や、事務局の方からお話を伺っています。 今回は、福島県立博物館学芸員の小林・学芸員(めぐみ)さんをお招きします。 2011年。離村を余儀なくされた福島県飯舘村の村民が“相互の絆を維持し、将来の帰村を目指すための活動を推進すること”を目的に、飯舘村を支援する有志が 「いいたてまでいの会」という任意団体を立ち上げました。このいいたてまでいの会が取り組むプロジェクトの1つに、「いいたてミュージアム」があります。 いいたてミュージアムは、村民のお宅にお伺いして「古いモノ」「大事なモノ」「歴史的なモノ」を見せていただき、それにまつわるお話を収集するという取り組み。「モノ」が語る力を借りて、飯舘村のこと、飯舘村に起こったことを県内外に広く発信し、未来の世代へも伝えていこうというプロジェクトです。 小林めぐみさんは、福島県立博物館の学芸員として、この「いいたてミュージアム」の運営に携わっています。今回は小林学芸員さんに活動についてお話を伺うとともに、いいたてミュージアムの展示品もいくつかお持ちいただきたいと思います。 また、小林さんは、福島県立博物館が事務局をしている「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」にも携わられています。プロジェクトの1つである「岡部昌生フロッタージュプロジェクト」は、アーティストの岡部昌生氏が中心となり、南相馬市の津波の痕跡をフロッタージュで記録する活動から始まり、被災地の土地の記憶に遡る活動を展開しています。岡部昌生フロッタージュプロジェクトについてもお話を伺います。 【開催概要】 日 程 平成27年11月19日(木)19:00 - 20:30(開場18:30) 場 所 3331 Arts Chiyoda 3F アーツカウンシル東京ROOM302 ゲスト (福島県立博物館学芸員、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会事務局) ホスト 港 千尋(写真家 / 著述家 / Art Bridge Instituteディレクター |
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