2016年11月17日 gog 2018年 作成 
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ヤ:2012年だったと思うんです。僕も何か怪しい人だなーと思いながら、会津若松の酒場で初めて基金長さんにお会して。べろんべろんに酔っぱらった基金長さんが、いきなり話掛けて来られてました。ちょうど会津電力を立ち上げて、太陽光パネルを設置されるぐらいのタイミングだったんです。
 僕も11年に「作品を作って発信して世の中を変えていきたい」「アートに何が出来るのか」っていう気持ちもありながらも、なかなかそれちゃんと社会に反映されない。そういう停滞した状況に対する怒りみたいなものを含めて(心の中に)あったんです。
 基金長さんは大きな電力会社に対する「ある種の復讐心」ぐらいの気持ちで「闘ってやるぞ」と。(福島で作品を作る)「それが世の中のためになるだろう」という気持ちもあって。実際の問題を含めて(フクシマに)「入って行かないと(自分の心の停滞のような)状況は好転しないなーっていうふうにも思っていたところでした。
 そういう時に「フクシマから革命を起こそう」という事をされている、基金長さんの言葉がとても、共感をすることが出来ました。「お前作品なんか作れ」と言われときに「じゃー一緒にやります」と即答さして頂いて。
 次の日は基金長さんは二日酔いで「君だれだったかねー」みたいな感じな時ですが、会津の太陽光パネルの現場に一緒に行かさして頂いて。「こんな作品作ります」とその場でスケッチを描いたりして。「それはまだ早いよ」なんかと批評をもらいながらですね。繋がりも出来てきて、「一緒に何かこれから始まるんだ」と。

事故後の原発をにらみつける風神の塔

 会津電力に作品を設置することはできなかったんですけど。「飯館村の所に何かを作って、そこに何か置くべきじゃないか」と佐藤さんに言われて。
 僕も震災直後に飯館の方にも足を運んで。長泥地区っていうね、一番線量が高い所の農家の方に出会ったりして、凄く発電所を恨めしそうに見ているのが、基金長さんの怒りみたいなものと繋がったので。

 そこにもし置くんだったらということで、風神の塔という、風力発電機を持ちながら、オフグリッドのエネルギーで水を浄化するようなモニュメントを(作りました)。「事故後の原発を睨みつけるように、現代の太陽の塔のような存在のものを作ったらいいんじゃないか」という事で。

 呪いのモニュメントのようなスケッチを次に会ったときに基金長さんに見せたら「これは拙いだろう」と。「俺をギロチン台に上げるつもりか〜」って怒られたんです。よく見たら、「強いメッセージを送れる作品だなー」っていうふうに言って頂いて。「じゃーすぐ作ります」ということで、実際に作品を作ったんです。それは手元に有るわけなんですけど。そういう形でやるとりが展開している形で事が起きているというところですね。

■ 妄想まみれの夢語り

A館長:(風神の塔)あれを送られて、巨大なのを観たら一寸見たら怖いよねー。魘されそうですよね。 もう最後のテーマにしまけども、「妄想まみれの夢語り」だと思ってお聞きいただきたいですけども。
 僕は最近、南相馬市の小高の埴谷雄高の記念資料館の館長になりました。で幾つかの理由があるんです。
 僕は2011年の4月の21日、警戒区域に設定されたる前日に。県博の学芸員たちと一緒に大きなガイガーカウンターを持って、南相馬に入っるですね。・・会館の近くの交差点までしか入れなかったんですけども。辺りは当然、津波でやられて、本当に世界の終わりのような風景でしたけれども。その交差点で、高さ1mぐらいで線量を測ったときに0.39μsv/hだったんですよ。当時、福島市内なんかは1.5とかあるところが当たり前になって。途中の飯館では4.5とか4.6ぐらいのSV当たり前のあるところを通ってきて。原発が15km地点の村上海岸に辿り着いた時に0.39μsv/hしかないといいうことに、茫然としたんですね。

 つまり、どういう事なんだろう。明日から警戒区域でも人が入れなくなる。実はそういうふうに(低い線量に)なってて(そこのことで)小高地区は震災から復興がずーっと遅れてしまったんですけども。今も歩いてみればわかりますけれども、線量はすごく低いんです。つまり、イメージとして、小高って言ったら「警戒区域で人がずーっと入れなく、人が住めなくって」そういうイメージが作られてしまっているんですが、現実がそうではなかった。もちろん山の方は高いんですけどね。海の方はかなり低い。

 それって、「風が(雨と雪)守ってくれたんだね」、って。そんな話をヤノベさんとしたんですね。本当に残酷ですよね。風の向きで(放射能の沈着量が)変わってしまう。(事故後の外部被曝線量は)風の向きしだいです。本当は東京だって全部やられていたようなもnで、想うと。
 小高っていうのが話の中で「風によって守られた町だ」というふうに言えるのかも知れない。「だったら、ヤノベさん小高に風の像を作ってもらいないかなー」と思って。風の女神の像を作ってもらえないかなーってチラッと話をして。夢物語ですけれども。そしたらもう、すでに、こんなものが。

ヤ:スケッチでは出来ているんですけれども。そこでもお花畑をつくる所なので、

A館長:そういうのもありますけれども、プロジェクトが重なり合っていて、出現することが分からないですけれども。お花畑が在り、・・の貝塚の公園が在り、みたいな。そこにある種の復興のシンボル。そういうようなものとして、風の女神像が、おそらく10mぐらいのものは作りたいですね、どこから見ても見えるくらいの(風の女神像)。風の神様が、女神が守ってくれた小高の復興と再生を見守ってくださるような、そういうイメージを我々の中には共有されていて。
 どういう展開になるか分からないですけれども、一つの夢の種子が蒔かれたというふうには思ってます。なので本当に作ってくれるでしょう。状況が揃い条件が揃えば、

ヤ:いいとも!」って言うんですか。はははは。もちろん望まれたら、作りたく、いつも満々なので。もちろん赤坂さんがお話して頂ければ、いいとは思うんですけど。あそこの土地をどういう形で、未来永劫に直して、治していくか、継続していくかってっていうことも含めたうえで、象徴的なのものとして作品が存在出来るとしたら、いつでも。

 

基金長:それでは寄付をいただいた、福島自然エネルギー基金の財団ですので「だいたい3000万ぐらいなら出来るな」と踏んでます。財団も今、よその企業さんから寄付を頂いてるところですから。アートから始める。とりあえず一つの「福島の人たちの思い」っていうのは、ヤノベさんを通じてね、この像を作らせるような方向に動いて(いる)。ぜひ寄付をしていただいて。それを一つの大きなバネにしていきたいと思ってで、ぜひ皆さんからの。

A館長:(寄贈された模型)これを売ってしまえば
ヤ:これは
基金長:これを売ったんでは拙いですよ。はははは。新たに3000万ぐらいを、とりあえず一つのこの像も作る。10mぐらいの(像)。そのくらいの出来るんですかね、もうちょっと掛かるかな。
ヤ:そのぐらいでできますねー
基金長:そんなことですから皆さんよろしく。

A館長:荒野に、荒れ野にぽつりと立っているのもいいかなーと思うんですよね。それが見守っている。そこで、どんな風景が作られていくのかも、見守っている。美しく色んな環境が整ったところで立てるんじゃなくって、荒れ地に突然、立つみたいな。そんなイメージを勝手に思い描いてます。


基金長:岡本太郎の太陽の塔が万博の時に、あの時代にあそこにモニュメントとして立ったというのと同じように、(小高にも)モニュメントがやはり出来るべきでしょうね。私はそれを想えばですよね。それをヤノベさんがやってくれるという事なんで、出来るようにしていきたいと思っています。資金が今のところ無いので、そこは頑張りたいと思いますね。

A館長:資金よりも南相馬の人たちとの様々な連携、思いを通わせることから始めなければいけないんですけど。思うと色んな状況が転がっていますので、ヤノベさんのその思いを、こういう形で表現させて頂いたと、いうことです。ということで最後に

:僕は勝手に頼まれなくっても作っていくんで。風神の塔も勝手に作って立てますしね。ぼくねー、ちょっと妄想ついでかもしれませんけど、今回このね、サンチャイルドの原型を贈呈するっていう話で何か、記者の人は「あの6.2mのやつ(いちチャイルド)が贈呈されるんですか〜」って。はははは。それで、たぶんメディアの人が集まってしまったのかなーと。

A館長:すみません、みなさん誤解していたんです。

ヤ:このね、6.2mの一番最初に作ったサンチャイルドって、ある意味これ(模型作品)以上に重要な作品なんですよ。思い出的に言っても、岡本太郎さん100才、生誕100周年の年ですよね。2011年に太郎の申し子のような形で生まれた作品から(サンチャイルドが)生まれてっていう、必然的に思った作品で(太陽の塔と)非常に強いつながり合った作品だと思うので。
 もう〜これはある意味、僕は自分の事なんですけど、(原発事故)この2011年という時に造られたモニュメントとしては、たぶん「歴史に残るようなものになってくれたらいいなー」と、(未来永劫残って)いてもほしい(自作です)。そのぐらいに福島の方にも今、喜んでいただけるとは思うんですけど。

 まあー僕の気持ちとしては6.2mのこの、サンチャイルドの一番最初に作ったね、この作品。イチチャイルドって呼んでいるんですけど。3体あるので、二チャイルド 三チャイルドとして。ふふふ。「イチチャイルドは本当は福島にあるべきだ」とも思ってはいてるですよ。だから、例えばね、県の美術館とか博物館に置いていただけるとしたら、全然この「イチチャイルド目は寄贈してもいいなー」とぐらい思っていて。で基金の方でもし預かって。お金なら・・・

基金長:それは望むところですよ。

ヤ:けっこう貴重な作品で、10年後には偉い値段にたぶんなってしまってしまっていると思うので。

基金長:とりあえず10億円ぐらいは、集めたいと思っていますから。ちょうどいいんじゃないですか10億ぐらい。はははは。

:僕はそれがね、基金が今後の文化事業も含めて、基金の事業者考えておられるじゃないですか。それが明るい事業であるとか、例えば南相馬の方でこういう作品と共に文化発信基地みたいなものが出来て、沢山のクリエーターとかアーテストの目で、福島の活動に関わってもらうっていう、そういう基礎みたいなものになるならば、ぜひ協力さしてもらえたら、いいと思うのですこの目録に模型じゃなくって、1/1って書き換えまじょうか。

基金長:はははは

:いいんです。

基金長:いいんですよ、誰かがやラざるを得なくなるっていう、
ヤ;これでもほんまになったら、明日、新聞に載りますよ〜

会場ははははは がやがや

ヤ:いいんですか、これ持って来ましょうか〜。
基金長:福島県立美術館は金あるんだろう〜
A学芸員:へーいいいえーふふふふ
ヤ:金は要りませんよ寄贈ですから。

  がやがや

基金長:
あははは、ありがとうございます。
A館長:ありがとうございます。

ヤ:明日私、新聞に載ってしまいますけど 大丈夫ですか。

A館長・基金長;ぜんぜん構わないですけど。

ヤ:じゃーこれ目録として、

 会場はははははは

基金長:自然エネルギー基金で
A館長:ひとまず
ヤ:いいですか、明日ぐらいから運び込みますよ
 会場はははは
基金長:ありがとうございます。一緒にもらいましょうよ。

 会場はははははは がやがや
ヤ:博物館の館長なんですから
A学芸員:いいえー
基金長:じゃー遠慮なく頂きます。

 会場から小拍手あり

A館長:6.2mとんでもない うちに終らせていただいていいかなー。 どうもありがとうございました。

 会場小拍手あり あはははははは あははは

A学芸員:はははははは

 方々から笑い声が鳴り響くはははははは



 お仕舞です。