高知紀行2019  その01 2020年 作成 佐藤敏宏
■ 福島駅から高知駅までの切符


 渡辺菊眞さんの建築展を体験するため高知県を初めて訪れた。またとない機会なので「高知紀行」と名づけささやかな記録を作っておくことにする。

 「高知に行こう」と思ったのは2019年11月19日午後2時過ぎだった。高知工科大学の准教授に就任し、10年が経つ渡辺菊眞さん(1971年生まれ)が「12月3〜5日まで渡辺菊眞建築展を高知市内で開く」というメッセージをもらった。たが高知は遠いし、知り合いも居ないし、行ったことないし、家人の留守中の生活も気になるし。あれこれ思いを巡らしていたら、メッセージを受け取って10日ほど経ってしまった。

 福島市から高知市に行く旅は新幹線を乗り継ぐ鉄道を使うか、羽田から空路で高知空港へ向かう、二つのルートが浮かぶ。料金をWEB検索してみると、飛行機の運賃早割期間が過ぎていて、通常料金となり往復5万円ぐらいだ。羽田までの往復電車賃を加えれば、6万円をすこしオーバーする。
 電車のみの方が金額は安く済む理由は他にもある。65歳からJRの大人の休日クラブに入会しているので、繁忙期を避ければ乗車券・特急券、共に3割引きだ。片道1200kmほどの鉄路の旅を選んだ。

 芭蕉や種田山頭火なら歩いて行ったのだろうか。人は1日30km歩くとして、40日間ほど毎日歩けば高知に着のかもしれない。山極寿一さん長谷川寿一さんの話によると、アフリカ大陸で発生した人間が、心を手に入れ(脳を肥大化)ながら、何万年もかけ、二本の足だけでホーン岬までたどり着いた。それから人はずいぶん増え続けたもので、今は地球上には75億人ほど暮しているらしい。ホーン岬までの徒歩の旅が何万年も掛ったようだ。新幹線「のぞみ」は時速300km。のぞみで地球一周できたとすれば、休まず走れば134時間、5.6日ほどかかる。俺が歩けば時速4kmほどだろうから、不眠不休で歩いても、420日ほどかかる。だが、今の俺は一時間だって歩き続けたくない。半日続けて歩くことはできない、随分と脚力が退化したものだ。

(資料)


 福島市から高知市と入力し検索して最初に出て来る絵
 
 サンライズ瀬戸と出雲は併結運転になっていて東京駅から出雲までの所要時間は12時間二階建で上の個室には大きな窓があり展望がよい


 日本近世史を研究しているmy長男と仲間たちが、2018年に翻刻した、(P.5-板坂耀子)「江戸時代そのものが生んだ東北紀行の総決算である」という、小津久足著『陸奥日記』を開くと、34歳の久足(ひさたり)は江戸を1840年旧暦2月27日に発ち、銚子をたずね冬季なので、知り合いや専門の現地案内人(150銭/日)を頼みながら、浜街道(海岸線)を北上し松島泊が3月14日。帰り道は松島から福島を、そして今市・日光を経て、江戸に帰着したのは3月27日であった。
 小津久足さんは豪商で、伊勢松坂に本宅をおき、現在の中央区日本橋で干鰯〆粕魚油問屋の湯浅屋与右衛門という。商売の腕も、文芸の腕も優れていて、商人であるが故の移動と時間使用の自由を自覚していたようだ。映画監督の小津安二郎さんの先祖筋にあたる人物だともいう。豪商にして壮年期の久足さんだから、蝦夷の前庭である、東北の旅をすることが可能だったのか、江戸庶民は陸奥の旅はしなかったのか。俺にはその事は分からないけれど、「籠がない街道はきつい」と記しているそうだ。1ヶ月のあいだ徒歩だけで籠に乗らない旅は、江戸末期の壮年男性であっても、辛かったようだ。(以上、陸奥日記解説つまみぐい)

 江戸末期の旅を想うと、180年後の現在は電車に座っているだけで、甚だ楽な旅だ。電車と徒歩を組み合わせた旅なら、旅の楽しみを取り戻し本来の体験を存分に味わうことができるかもしれない。風雅に生きた江戸人のように、旅を棲み処とし旅に果てることは夢想なら出来るが、スマフォの画面を通すことで、瞬時にどこへでも視覚的には行け、辺りをキョロキョロ見回すことが可能な現在において、徒歩旅行によって果てる、そういう思いはロマンチックすぎるだろう。

 現在人は地球温暖化対策に参加するためにも、飛行機には乗らないのがよい。で、福島市から高知市まで行く場合の一般人の選択は新幹線と特急電車を乗り継いで8時間半ほどの行程を選ぶだろう。日中の6時間を東海道と山陽新幹線と繋いで、車窓を見続けるのは退屈そうだ。パソコンを持ち込んで仕事をしだすサラリーマンもいるだろうが、視力が衰えて来たので、目に悪い行為はしたくない。
 瀬戸大橋を走り瀬戸内海を渡り四国に入る。坂出からは2時間とすこし在来線の特急に乗る。そこで四国の地形を初体験することになる。ずーっと車窓を眺めていたい。



『陸奥日記』上・中・下巻 慶応義塾大学文学部古文書室所蔵

 
 東北文化資料叢書 第11集
2018年3月31日東北大学大学院研究科東北文化研究室発行

 1950年、戦後の混乱期を脱し、特急電車は東京駅から大阪駅まで走りだした。特急列車「つばめ」はその年の5月に登場し、9時間の所要時間だった。内田百閧フ『阿房列車』の表紙にある電車のマークは「はと」である。「はと」は「つばめ」の姉妹列車として1950年5月に登場した。その年の10月にダイヤ改正があり、東京から大阪までの所要時間は1時間短縮、8時間となったそうだ。
 片道を何の目的もなく、冗談のような列車の旅に発ち、内田百閧ヘ紀行文を残している。それによると、大阪駅に着くと、とんぼ返りで、帰り道はとたんに東京に戻るという目的のある旅にかわってしまうと、ぼやく旅だ。その変わった旅のつれずれを『阿房列車』に著しているので、それを読みながらの新幹線の旅もよい。
 内田百閧ウんの大阪へ8時間の旅は、電車のスピートがアップされた現在、福島から高知までの所要時間の旅だ。70年前と同じ時間で福島から東京間と、大阪から高知間での距離を加えても行程はこなせるようになった。これは便利なの事なのか。それは乗り手の人生観や哲学に関わる問いだろう。
北村和夫朗読 阿房列車 朗読 


 8時間を単に車窓を眺め続けるのを避けるために、さらに時間を加えサンライズ瀬戸という特急寝台車の旅がよさそうだ。その寝台列車は東京駅発22時。岡山駅まで行き、そこで高松行の瀬戸号と、出雲行きの出雲号に分かれる。
 寝台車の旅を思いついたのは、my長男が「乗り鉄男」であり、息子のおごりで、数年前に盛岡から上野まで、片道一人10万円ほどの運賃で乗客を募集した、特別仕立ての「カシオペア」という寝台車の旅を体験したことがあったからだ。2人個室でトイレもついていた。もちろん飯付きだ。アワビなどの豪華東北の海産物のおかずたっぷりの夕飯つきだった。東北の人は味が濃いのが好きなのだろうか、薄味好きの私には、しょっぱくて閉口する夕飯だった。カシオペアには高価な食堂車も付いていた。席は出発と同時に満員となった。長い待ち行列に参加し1時間ほど突っ立っていなければならなかった。せっかくの稀な機会だったので、列に加わり高級ビールで乾杯した。父親孝行の息子をもったものだ、そんなことを思い出し「サンライズ瀬戸に乗ろう」と決めた。




2018年5月19日盛岡から上のまでカシオペア号
 福島駅の観光案内所に行き全ての電車の切符と、高知市内の宿を確保した。 確保した特別な切符は2種類。一枚目の切符はサンライズ瀬戸のもので2019年12月2日22時東京駅発→坂出7時10分着。二枚目は坂出発7時37分発→高知9時39分着、特急列車「しまんと3号」の切符だ。福島市から高知までの通常料金を含め、全3割引で4万円ほどだった。
 宿は渡辺菊眞さんの建築個展会場から最も近いホテルを検索・地図を見て見つけた。1泊4000円だった。福島駅の旅行代理店にも登録されてはいないホテルであり「よさこい祭りにぶち当たらなければ、安い」と窓口の人は言った。
 建築系の集まりは、真夜中まで呑んで喋り続けるのが常だから、宿は寝るだけなので、風呂付きであれば安宿は助かる。インパウンド政策の効果もあるのだろうが、日本各地に東アジアの外国人旅行者が多くなると、同時に宿の料金も下がっていて、貧乏老人には助かる。だが、そこで働く労働者の賃金は低そうだ。宿賃が安くなったと単に喜んでいるばかりでなく、地域崩壊の一つに加担している気にもなる。これも人口減少と団塊世代の高齢化にって起きる社会現象に遭遇した、老人の心象の一つだ。

  (つづく) 

日本の観光データより。中国、韓国、台湾の順に多い
 (内閣府によるweb資料より 2020年)

    (つづく)