HOME   佐藤敏宏が作成しました     2012年  
 
福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
「新生ふくしま」の原動力としての「社会的起業」の意義と可能性〜福島県での起業支援活動を通じて感じたこ
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 それはあれなんですけども。とはいえ。この18年間で。ちょっと撮している所が違うから〜どうなのみたいなのありますけれども。まあー要はそれなりに形状それなりに、復興したでしょう。いうふうに言い切っちゃっていますよね。

もちろん被災でみていて、例えばソフトウエア−みたいな処でね。地域の機能であったり、みたいなものはなお続いているというふうに伺っておりますし、細かい処ではあるとおもいますけれども。大きく見てみて何となく戻ったでしょうというふうに言えてます。言い切ってます。


一方で、27年後のチェルノブイリの。まあチェルノブイリの原子炉の事故みなさん御存知だと思いますけど。1986年ですよね。私も小学校5年生か6年生だったと思うんですけれども。27年経ってもまだまだ。えーと、ウクライナは大変ですよっていうNHKの特集が組まれています。これ去年の12月ですかね。去年の12月ぐらいに。9月に1回目を放送したあれですけれども。

まだ、27年経ってもこうような現状が遠い異国の地である日本に流れて来るというようなかたちです。そう考えたときにそこまで行くまで何をやって来なきゃいけないのかなーと。いところが今 もう2年経っちゃましたけれども。我々、要は27年なのか25年なのか分かりませんけれども、その先、世の中が 19:53 この福島がどうなってんだ?っていうことは何か思いを寄せながら、考えながら、仕事をしながら取り組んで行く必要はおそらくあるんじゃないかなー。というふうに考えております。

そういう中で、これはあのーえーと繰り返しかも分かりませんが、まあボランティア活動とその社会的起業というものがどんな関係。これもあの〜福島大学の学生さんにお出ししたものを、まったく同じものを使わせていたただいておりますけれども。

ボランティア活動って、本当に発災して直後っていうのは、ずーっとマスコミに出てこない日は無いような。出ていて。ずーっと続いてきたのかなーというふうに思いますけれども。それがまあ、最近はちょとそのー なかなか出こなく成りつつあるのかなーと。というところは、なんとなく感覚と皆さん感じてらっしゃるのかなーと。いうふうに思います。

やっぱり あのーそうですね。えーと〜。例えばその瓦礫の処理であったりとか、津波の例えば被災地における炊き出しであったりとか、まそういうものですね。

大変だというので日本全国から色んな方々来てそれで、いわゆるその手弁当で色々と活動して、いくと。いうのが、あのー展開されたのが。発災してしばらくということがだったと思いますけども。とは言いえ皆さんやはりね、2ヶ月3ヶ月してくると。やはり、皆さんご自身のフィールドを皆さん自身の家庭家族 みたいなものも。出て来るでしょう。なかなかやっぱりそのー。ねもっともっっとやり続けなきゃいけないというのは分かっているんだけれども、とはいえやっぱり、もうできない。いうような方がというのが出て来た。

これも 被災地、震災の被災地活動だったりではなくって、意外とみのまわりにそういうようなもんて、あるんじゃないかなーというふうに思うんですね。例えばーお祭り。うん。あのー。秋祭りとか。でも、そうですし。まあ、ひょっとしたら、・・活動もそうかも分かんないですね。2週間とか位だったら、がんばれる、だけどこの1ヶ月2ヶ月例えば毎月毎月同じ事されたら困ります。いう世界ですね。

でもたまに、そういう事、やってくれるから、例えば夏祭りとかでも秋祭りとかでも協力できるし。選挙も4年に一回、知り合いがやっているから感じではできるけれども。それが毎日毎日、毎年毎年、行われるなら、やりきれんよと。逆に言うとね。そういうような、ずーっとある意味張り付きでやんなきゃいけないような方々も一部いらっしゃいますけれども。皆さんね、例えば議員秘書みたいなやったりとか。どっかの事務局のスタッフみたいなかたちでやる、お金もらっていらっしゃいますよね。 1:23:06 

そういう方々に対して、支払うべきお金っていうもの、なんらかのね、それが公金なのか分かんないし、もしくは事業収入なんのかも分かりませんけども。何らかの収入があってそういうような、定常的に発生するコストに対する支払うというような、組織体であったり、活動のモデルみたいなものがあって、初めてそういうずーっと支援をし続けられるようなモデルっていうのが出来てくるでしょうと。

そういう処かと思います

まあちょっとそのーえとー幾つか。そうですね事業と社会的利益の関係 社会問題の解決アプローチ、収益性みたいな処、幾つか類型化しておりますけれども。そういう意味ではボランティア活動に対してはなかなか継続運営というのがしずらいところ本質的にあるんじゃないかなーというふうに思いますが。

息の長い支援を考えたときには継続運営というのものを担保するような工夫であったり、組織みたいなものは考えて行く必要はあるでしょうと。いう処がお伝えをしたい処です。


まさに、今風化っている事もでて来ておりますし。あとそうですね、災害復興というのも、本当に瓦礫を処理しなきゃいけないというような処から徐々に普段の生活支援であったりとか経済、産業支援みたいな、普段の活動の支援ですよね。みたいな処に移りつつある。

18年なのか27年なのか分かりませんけれども、いずれにしても18年経れば みなさん等しく年を取るわけで。27年だったら27歳が等しく年をとる。今南相馬で先ほどちょっとお話をしました、相双の1人でお住まいの方々。今60歳でも27年経っちゃいますと87歳になってしまいます。

そういうときに、南相馬の社会というのはどうなっているんだーっていう処ですよね。若い方々が入りづらい、そういう方々がドンドンドンドン一つずつ毎年毎年年を取っていく。そうなったときに、普段の生活をずーと見守っていく、やりかたっていうのですね。継続してやっていくという視点では考えていかなきゃいけないし、 やり続けなきゃいけない、・・やり続けられるのが仕組みっていうことをみんなで考えなきゃいけない。

今回の2年生の・・・サークルの二年生の方々丁度この1月でみなさん成人式に行ってきたと。いう方ばっかりで。本当にこれからっていう方ですけれども。まさに27年に当てはめた時に彼らもたぶんその時期には47歳ぐらいになっていて、おそらくこの福島県、社会、民間企業なのか、行政なのか、もしくは違うフィールドなのか分かりませんけれども、おそらくこの世の中を引っ張っていくような、人材おそらくなっているでしょう。

そういう時に、まで、意識してですね、ずーっとやり続けてられるような、仕組みっていうのを考えなきゃなららないでしょう〜  処かな−っていうところで。

   なが〜い 沈黙 

で最後。もう8時ぐらいになって来ておりますので、一端まとめさせていただきたいと思います。

これ えーとですね、今回のそのー我々の事業 N先生と共にですね。審査員として、活躍をしていただきました。福島大学の特認研究員でもあられます、社会学者のkさん、いわき出身のかたですけれども。 その方がまさに、お話を今されていらっしゃいます。本当にまさにその通りだと思うんですね。

復興被災地、被災者という外からのとらえ方というのはもうおそらく限界に近づいて来ているし、外でこういうことを言っている人達というのはドンドンドンドン、意識しなくなって来ている可能性っていうのは出て来るでしょう。

2011年の発災時の頃 4月5月ニュースの課題設定といのそろそろ断ち切らなきゃいけないでしょうと。あと中央の論理、地方の論理という処ですね、地方の論理って地域であったり、論理だというふうに我々、読み替えていいのかなーというふうに思いますけれども。我々目線で広い福島県ですけれども会津は会津でみておりますし、相双は相双の方の目線っていうのを見方管理の仕方みたいなのあるんじゃないかなーと思いますし。

そういう方々が、それぞれの、考え方というものを獲得した上で、それをベースに活動して行く、っていうような。非常の必要になっていくでしょうし。

そういう中で書かせていただきましたけれども。政治糾弾的な「社会運動・社会活動」から市場の「社会運動・社会活動」への移行の必要性の増大。その担い手として「地域社会課題起点の目線」を持った福島県における社会的起業」の存在は今後ますます大きくなっていくでしょう。いう、メッセージを 形で・・・・

起業という言葉がね。なかなか、捉えにくい部分があるのかも知れませんけれども。サークルでもいいと思います。こういうかたちでもいいと思いますけれども。皆さんね。それぞれやってらっしゃる、皆さんの普段の思いであったり、意識みたいなものを地域の方々で、集まって。持っているものを出し合って。それでなんらかの、みんなでその地域をみんなで地域の課題解決をしていきましょうとみたいなね。そういうような。部分の担い手っていうのが皆さんなれるような、資格みたいな一つあるんじゃないかなーというふうに思います。

皆さんリーダーとして手を挙げる方もいらっしゃれば、そのリーダーをサポートしていくフロアーの方もいらっしゃますし。さらに、取り巻きみたいな形でね。色んなところで、例えばイベントであったり、物を売ったりところで、関わる。もしくわ応援するために、お金を出すという方もいらっしゃると思いますので。

そういう方々が、これから、福島、特に、福島県。いうふうに、福島県で自立していくっていう部分を考えたときにでて来ているっていう処で あの〜皆さん これからもお付き合いを・・お付き合いだけじゃなくっても話しを聞かれたら ということもあったらですね。ご支援をしていくということをお願いしたいなーというふうに思います ひとまず 私からの発表を終わらせていただきます。

  (終わり)