HOME   佐藤敏宏が作成しました     20132年  
 
福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
葛尾村における避難と復興に向けた取り組み
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 自然を失うということは大きな痛手で。 なんのために葛尾に戻って棲むのかっていうことになると。山に入れないとなると、本当に葛尾に戻る価値が半減以上ですね。なっちゃうということで今悩んでおります。ですから早く綺麗になって欲しいという思いですが。なかなか上手くいかない状況であります。

そういうことで復興のイメージ図ということで、壮大な夢を描きまして。この黒い太い線は高規格道路。福島空港に行く小野から相馬の、福島に行くあの高速道路に、こういう高速道路作ってもらったら阿武隈山系かなり発展するんじゃないかという。夢ですね。こうして本当は欲しいですが。国の予算はなかなか厳しいですね。

福島再生計画やているんですが。そこに乗っかった事業はなんと、予算の付いたものしか載っけてくれない!。我々の考えたこうしたい、この道路はああして欲しいということは、ほとんど載っけてもらえない。「何の為の計画なのか」と私怒ったんですが。他の市町村でもそういうことやって。「いや今後見直していきます」と。とりあえずこれで出さしてください」と。かなりがっかりした再生計画ができあがりました。

そういうことで村としては、このピンクのところは畜産振興ゾーンにしようと。黄色は畜産振興ゾーン。緑のところは農業振興。水色の処は再生可能エネルギー。この水色の所この地域がいまかなり高い線量でありまして。浪江との境。ここはいまもって20、30あります。私の家もこの地域に在りまして、今もって室内で5とか6ある。そういう状況ですのでなかなか帰れない状況。




ただ役場近辺から西側は制限地域がちょっと在るだけで。こちら側は低い状況でありますが。ただ山に入ると山は汚れている。何千ベクレルって有るんですね。そういうことで、水も山の中から引いてますし、山に入れないということになるときのこ採りにはいれない山菜採りに入れないこれで!本当に葛尾村に帰る意味があるのか!っていうことを住民からは言われております。

時間も1時間過ぎまして。そういうことで、このような形で復興計画をつくりましたが、どうしても総花的な計画になってしまいますが。先ほど申し上げた若い人達と「今後ですね葛尾村どんなふうにしたらいいか」っていうことを今後、実践に進んでいきたいと思っております。そういうことで、ちょっとお話をさせていただきましたが。

帰還に向けての課題というのが見えて来ました。本当にこの除染の難しさですね。先ほど申し上げましたように安全の除染はかなり難しい。それから国は生活環境からの20mの範囲内での除染。山林はですから、家の敷地から20mしかしない状況ですし。

農地も やるということ言ってますが。農地はうちの村は反転耕とか 沈耕には向かないんですね。作土層が薄くってですね15センチから20センチ。20センチあれば良い方。ですから全て環境省にお願いをして梳き取りにしてやりました。梳き取りですね。でそこに客土をしていただくということで、何とか粘って粘って最近になってようやく返事をいただきました。

そうなると今度は廃棄物がかなり出ます。当初、住環境だけで、除染だと仮置き場「10何ヘクタールあれば間に合うだろう」ということで、村でもっていた採草放牧地、をですね16ヘクタールぐらい在ったんですが。それを「造成したら10ヘクタール」ということで「だいたい間に合うかな」と。

農地をそういうことでやるとなかなか足りないわけですね。新たな仮置き場の設置とそれから減容施設、仮焼却炉の問題等で今地元に話しをしていますが。まだ決まらない状況でおりまして。

環境省さんにも来ていただいてますが、本当にこれ「25年度で除染が完了するのかなー」と心配があります

また何を持って安全と判断とするのか? 先ほど申しましたけれど。20ミリシーベルトと1ミリシーベルトの問題がありまして。その間 本当にどこがいいのかなーと。おのおのの判断で、役場がここが安全だよという判断で、例え住民の方に帰還をお願いしたとして、本当に納得していただけるのか?ってい思い。

それから「若年層が、若い人達が戻らない」という。それは既に避難している 他所の町村を見ますと若い人達がなかなか戻ってもらえない。これは放射線に対する不安。それから発電所(事故)本当に収束したというのは名ばかりで、まだまだ。1号機2号機、3号機中が見えない状況で。安心が出来ない4号機の相当数の1500体という あの使用済み核燃料棒取り出せてない。そういうところで若い人達が「また逃げ出さなきゃなんないじゃない」とう不安があって。

それから、普通の災害ですと元の戻せばそれで万々歳で よかったんですが。この放射能汚染だけは元に戻すっていうこと不可能。な状況で。本当にそれが頭の痛いところです。

私も役場ながく勤めてまして平成元年にはすごい水害経験をしてまして。その当時建設課にいたもんですから。公共土木、河川と道路だけ公共土木だけで300ヶ所近く、それをたったの3人で、担当職員がですね。そこを2年ぐらいで完成させていたんです。それぐらい努力できたんですよ。



今回は放射線の汚染で 2年経っても何にも手をつけられないですね。この差は大きい。で、もどかしい。ということです。

そういうことで本当に国も県も当事者である市町村も、この2年間みてみますと、手探り状態が続いてる。ような感じがして。本当に地域の復興を今後、政府には住民も含めて相当の覚悟と努力が必要でないかなーということを私は最近感じております。

そんなことでちょっと時間オーバーしましたが、つたない話しでしたがうちの村の避難と復興に向けての取り組みをちょっと紹介させていただきました。

また、皆さんに聞いていただきたいものがあります。先ほど坂下町に避難したと申し上げましたが。そういう葛尾村との絆の中で「葛尾川」というを作っていただきました。これは作詞したのは福島市の矢口洋子っていう方で。その詩ををちょと手直ししていただいたのは三本杉先生という葛尾村で国語の中学校の先生をやっていた先生で双葉町出身の方です。その方達が・・というイベントがあり。そこに会津坂下町の江川さんという方が曲を作って来て発表したんですね。その曲を聴いて矢口さんが是非葛尾村のために曲を作ってほしいということで出来た曲です。聞いてみてください。5分ぐらいですので 。(曲が流れ出す)

       


どうもありがとうございました。この葛尾川とういうのはユーチューブで検索しますとでて来ます。会津坂下のバンドの方が出してくれまして。(2013年) 3月の17日に下に赤い字で書かせていただきましたがNHK総合で10時05分から43分間ぐらい葛尾村を紹介してくれるということです。今 取材に来ております。先ほど話しました避難の経緯だったり、あるいは住民の声とかをまとめて。 その方も参考にご覧いただければと思います。

つたない話しどうも お聞きいただきましてどうもありがとうございした。

  会場 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち  

         写真中央 金谷喜一さん