聞き取り 御両親に辻琢磨さんの生い立ちを聞く |
記録作成:佐藤敏宏 | |
その2 ■独立に際しての一言 佐藤:ご両親おそろいでメンテナンスし合って辻さんの仕事を見続けていただければと思います。お母さんの仕事の話にもどりますね。朝から夜遅くまで働いているんですか。 母:9時、5時ですけど、月に半分ぐらい働いているので。 佐藤:辻さんは横浜大学に入って、変なやつに変わらなかったですか。 父:もともと変わり者といえば変わり者なので。どこが変わっているかな、親から見ると人に対して如才ない・・口下手っていうんですかね。 佐藤:辻さんは口下手じゃないですよ。奥ゆかしいんですよ。お父さんに似ているのか、物静かですよ。でも設計事務所を始めたから、押し黙っていると仕事は来ませんね。 「設計事務所始めて食っていけるのか?・・」と聞いたり、言ったことはないでしょう。 父:言ったことないな。 琢磨:無い。 父:ただ、大学でていきなり起業しましたからね、「一回サラリーマンを経験したほうがいいんじゃないか」と言った。「1年ぐらい修行したほうがいいんじゃないか・・いきなり起業するよりはちょっと修行したほうがいいんじゃないか」、とは言った。 佐藤:設計事務所に週3ぐらい通っていたんじゃなかったですか。今は大卒して一級の試験うかっても、いきなり設計事務所設立できないんですよ。管理建築士をえるために修行してましたよ。 父:横国を卒業して、いきなり起業したでしょう。だから少し心配はありましたね。 佐藤:いきなり起業がキーポイントです。でも建築家は金食い虫なので、お金がないとエンジン掛けて浮上し水平飛行は思ったより難しいかも。一級建築士の仕事は範囲が広いので起業は簡単です。 琢磨:仕事の話、してないですね。 佐藤:時々聞いてやってほしいですが、聞いても理解できないとは思います。 母:建てたところは見せてもらったりしてました。 佐藤:それは、いいですね、今日の場所は改修中ですから、ぐっと身近でわかり易い。でも琢磨的建築を理解できるか?それは、わかりません。 |
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■両親家を改築する 琢磨:実家の改修設計もしているんですよ。 佐藤:それなら腕前わかりますね、改修難しいですからね。 琢磨:両親の家の改修は、自分は上手くいったと思ってます。階段を付け替えるという改修です。緩勾配にした。45℃ぐらいの急勾配だったです。 母:緩やかに変えてもらったです。 琢磨:ワンスパン伸ばした、そうすると階段なんでいろいろプラン、回りに影響してちょっとずつ整理していくというか。 佐藤:お父さんプロだし、聞く気持ちあるから、時々仕事のこと話して聞いてもらったほうがいいよ。 琢磨:そうですね、設備の話しとか、たまに聞くけどね。 佐藤:空調一筋のプロ。お父さんの知恵を活かしてください。今改修中なのですが、これからおじいちゃんの家と琢磨さんの家とが融合して成り立っていくんです。完成してないので分かりにくいとは思います。 その家は郊外団地のカタログハウスと異なった家になっていきますので、注目して工事ごとに聞いてやっていただければと思います。じゃ琢磨俺の記憶もこの家のここらあたりに埋め込んで置いてくれ・・と皆さんで注文をだすといいと思います。辻さんが大金持ちになったら言わないけど 琢磨:ぜったいならないですよ。 佐藤:辻さんは家建てる努力はまったくいらないので、また作り変えても誰も文句は、ないいい環境です。お金持ちや建築家の息子に生まれたよりは自由という領域は大きくって可能性は大きいですよ。 奥様である村上さんとワイワイ語り合いして作っていくのが課題だし楽しいのではと思います。いまでも完成後の姿はところどころに表れています。 |
階段の勾配を緩やかに回収する |
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■記憶に残っている出来事あれこれ 佐藤:生い立ちなどはだいたいお聞きしたので、琢磨さんを育てていて記憶に残っていることがありましたらお聞かせください。 父:僕が覚えているのは中学の卒業したところ、消防車を呼んでしまったですよ。天竜川の河川敷で友達と遊んでて、ライターで付け火して。火事になってしまったんですね。それで、消防車が出動して。 たまたま私がそこに犬の散歩に行ってたら、あれ、家の小僧じゃないかみたいな・・・火をつけたのは友達かもしれないけど、燃えた。 その時にけっこう酷く、たまたま居合わせたもんですからね、消防署長にこっぴどく言われたのを覚えてますね。 佐藤:放火だと警察もでて、重罪ですからね。 父:警察というか消防署へ謝りにいった。 琢磨;僕が火を付けたわけじゃないけど。僕はサッカーしてて、一緒に行った二人がライターで遊んでた・・・気づいたら燃えていた。たぶん卒業式の時期・・・3月だと思うな。 佐藤:春先のもっとも乾燥してる時期! 琢磨:進学校に頑張って勉強し受かったんだけど、高校に行けないかもと・・。 佐藤:そう思うのも当然ですよね。 琢磨:あの時は冷や汗かいた。 佐藤:息子が火を付けたわけじゃない、友達が火遊びして燃えたんだね。 父:それはそうですね。 |
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■落ち込む琢磨を心配した 小さいときから建築に興味があった息子だった 佐藤:お母さんは、なにか無かったですか。 母:大学院を卒業してからの事なんです、予定していた留学・・・だめに。 佐藤:インドに行く予定のことかな? 琢磨:インドに行こうとしてたけど駄目になった。 母:その予定が駄目になっちゃって、急にすごい落ち込んでいたときがあって。もうどうなっちゃうんだ、と思って・・その時にすごい不安でした。 佐藤:琢磨さんは落ち込むの・・好きみたいです、お母さん落ち込み好きですか 母:私はそんなに落ち込まないです。あの時は不安だったですよ、これから先のことが見えなくなっちゃって。 佐藤:人間らしいとも言えますけどね。「なんとかなる」と思えばいいんだけど・・。 琢磨:その時は急に言われたので、家も引き払って、大学院のインターンのプログラム。 佐藤:プネーの話しですよね(プネーの記録を読む) 撮影辻琢磨さん インドプネーにて 琢磨:そうです!15年前の話し、本当にインド行きが決まっていて、家も引っ越します!みたいな感じで・・・・親たちが下宿先に来て一緒に帰るみたいなことでした。で駄目になりましたと電話が掛かってきて。 佐藤:就職先も決めてないし。どうなっていくんだということですね。その頃、俺と会っているのかも知れないね。 琢磨:そうかもしれない。 (小さい頃から建築に興味あり) 佐藤:興味あることは、なんでも一生懸命関わってやっていたし。偉そうにもならないので。お父さんは「建築科に行く・目指す・・・」と言ったときには意見はなかつた、やめておけとか言わなかったですか。 父:それは無かったですね。「好きなことやれ」っては言った。小さい頃から建築に興味があったような息子でしたんでね。私の家を建てようとしたときに「こうしたらどうだ・・」とか、ああしたらどうだ・・」とか、指示もらいましたのでね。小学校6年だったかな。 佐藤:家造りの対話してたんですね。そのときのナイスな指示はなんでしたか。 父:天窓? 琢磨:天窓は俺が言ったんだっけ。覚えてないな。間取り・・・こっちのほうがいいんじゃないの・・・というのは覚えている。設計士さんが2案ぐらい持ってきて、今のプランじゃない方をいいかも・・と言っていたような記憶があるな。どういう間取りだったかな。リビングとかの位置が逆だったかな。 佐藤:小学6年生で家造りの機会に巡り会い、語り合えた、それは珍しいね。 琢磨:間取り図が新鮮というか、青焼きの図面を持って来てて。それを見るのが楽しかった。 佐藤:お母さんは「建築科へ進む・・・」と言い出したときはどうしてましたか。 母:そうですね、作るのが好きみたいだったのです。図画・工作とか美術とか好きだったので、そっちがいいかな・・・・と思ってました。 佐藤:建築家の仕事は対話でなりたっていくんですけど。 母:そうですね。 佐藤:浜松市で、公共建築の改善とかにも関わっていて、面白い関わりかただと思います。社会が人口と経済的に縮んでいく、日本の世にあって建築家がどのように生きていくのかはモデルがない、もしたくさん建てたいのだったらインドのような地域があるかもしれないですね。 琢磨:インドはまた行きたいですね。 佐藤:14億人もいて、まだ増えそうですから、家や建築は要るでしょうね。 ここまで話を聞いていて思いましたけど、良い両親に育ててもらいましたね。 |
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大笑いしている。 お前でていけ、この家を誰かに貸して俺はそのお金で遊んで暮らすから・・と言わないんだもの。 琢磨:それはそうだね。 母:助かりますよ。空き家になっていくよりは住んでもらったほうが・・・。 佐藤:おじいちゃんが建てた家を改修しつづけて、建築にしていくという道を選んだのは、ナイスチョイス、グットだと思います。おじいちゃんの記憶、おじさんの記憶を反映していかに自分の作りたい建築を創り出していくのか・・今、実践中です。これからどのように変化を加えて行くのかは楽しみであります。 琢磨:ありがとうございます。 佐藤:私、役立たずでして、単に見ている変な老人なんです。 琢磨:不思議な関係ですよね。 佐藤:見ている、何もやってはあげないです。琢磨さんは奥さんも子供ももっている、まず平凡に生きる。建築家教育を受けてしまうと普通に暮らしすることは後ろめたいと考えがちですけど、「奥さんを可愛がり、子供をちゃんと育てろ!」と、それだけです。この家を建てたのはいつだったかな? 琢磨:45年前ぐらい。 佐藤:1970年代の末ですよね。高度成長期真っ只中の日本ですよ。今、建築家にもとめている社会の要求は、高度成長期のそれと違いますからね。・・だいたいこんな感じでいいかな、 琢磨さんはほとんど問題ない子どもだった・・・でいいかな、一行で書き終えてしまいそうだね。お父さんの息子は口下手だというのは見方が誤ってますね。 父:そうですか! お爺ちゃんの建前と 竣工当時の姿 2階増築部はまだない 佐藤:琢磨さんの書いた文章も読んでみてください、面白いですよ。 父:はい。 佐藤:お父さんは文章は書くんですか? 父:自分は管理的な仕事をしているだけですけどね。それはそれなりにやってます。 佐藤:人生で書いた文章は奥様へのラブレター・・・出しただけだった? 母:ないです 会場大笑いしている ないです。 佐藤:嘘でしょう。ラブレター残ってないのは残念ですね。辻さんのご両親は健全で、仕合わせですね。 琢磨:ありがたい話です。 |
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■お孫さん 佐藤:お孫さんが生まれてどうですか? 母:可愛いですね〜ちっちゃいときにそっくりですよ、そっくり。 佐藤:結婚に関しては驚きましたか?仕事もないのに・・とは思わなかったですか。 母:嬉しかったですね、いつのまに!っていう感じでした。 佐藤:村上さんもいい人ですからね。色々言わず、自分の仕事も持っているから、すごいですよね、並の仕事じゃないし、個性的でいい。 こないだ出された本『更新設計・・・・』。知らないですか。 琢磨:見せてないかも! 母:見てないです。 佐藤:今、そこにないの? 琢磨:上にあります 佐藤:直ぐ取ってきて両親に進呈しましょう!夫妻で作った本が刊行されているんですよ。会社の案内と自分の設計姿勢を表していて、そして、発注者も工事業者の声も掲載されている本です。 母:そうなんだ。 佐藤:いい本なんですよ。今持ってきますから、ちょっとお待ちください。旦那さんが席を外したので、パパには家事をしてほしいぐらいの要望ですかね? 母:そうですね、家事を一通りできるようになってほしいとは思いますね。 佐藤:ずぐ、恒彦さんは家事しだすような気がしますよ。 母:居ない時は、家事、やりますけど。旅行とか出かけたりしているときですね。その時はやってくれるんです。私が居るときはやらないですね、なぜでしょう? 佐藤:「これからは私が居ても家事はすることにしよう」と言えば済むことなんじゃないですか。会社を退職するまで5年ぐらいありますから、その間に教育して仕込んでしまえば、老後はともに自立できる共同生活者になっていきますよ。 本がどどいた。 母:これですね。 すごい・ 佐藤:この本は奥様が製本したんですよ。 琢磨:製本はうちでやって。中身のデザインと製本のアドバイスはもらったんです。 佐藤:本、お母さんお父さんも、知らなかったでしょう。これは辻琢磨夫妻の合作本、日本では初めての本ですよ。お母さんとお父さんに一冊進呈しなさい。 琢磨:そうだね、 佐藤:今日持ち帰っていただいて。奥様の両親にも進呈してください 母:そうなんだ。 佐藤:神棚ありますか、あったらそこに飾って毎日手を合わせてやってください。 琢磨:わらっている、神棚に飾らなくていい。 佐藤:友達のマンションの改修工事なんですけど、住んでいる人、仕事をたのでくれた方ですね、それから仕事をやってくれた人、請負人ですね。関係者全てが書いていて、一冊になっている貴重な書籍ですよ。お父さんぜひ読んでください、すごく面白いですよ。 父:本当だね! 佐藤:俺が息子の宣伝しててもしょうがないんだけど(笑)今日オンライに立ち会っていただきありがとうございました。ご夫妻の本が両親に渡せた、それだけでいいかな。 琢磨:本を渡す、その発想はなかった。 佐藤:お父さんに言っておきますけれど、こういう本を作っている夫妻は日本に居ませんでした。 母:そうですか!はははは。 佐藤:ですから大変貴重なお仕事の一冊です。 渡してもらって良かった、ということで 。 辻琢磨、村上亜沙美夫妻が日本に居なかったら、この本は生まれなかったし、これは優れた見本になると私は思っいます。そうそうに、息子さんにサイン入れてもらってください。お父様お母様へってサインしなさい! 父:よく見ておきますよ。 佐藤:読んで感想などありましたら、私か琢磨さんにお伝えください。よろしくお願いいたします。 辻さんの最新本『更新設計』ご両親に伝えることができて良かったよ。これを言うために延々しゃべっていたような気がする。 今日は長時間お付き合いいただきありがとうございました。大変は失礼非礼はお詫びしたします。 みなさんで、いろいろおきかせいただき。ありがとうございました。 一同 さようなら |
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以上で御仕舞です。 文責:佐藤敏宏 その1へ戻る |
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