辻琢磨さん大学で学んだこと 原稿 2024年10月22日 | 作成:佐藤敏宏 | |
辻:何をやるんでしたっけ、大学時代でしたっけ。 佐藤:そうだね。大学時代は6年間あるから、長いよね。辻さんの大学時代のことを教えてください。 辻:藤村さんのイベント(LRAJ)でしか会ってないですよね。 佐藤:修士のときでしょうか。 辻:大学院のときです ■横国へ 佐藤:横国を選んだ理由を御聞かせください。 辻:横国は、建築をやろうとは決めていたんですが、サッカーばっかりやっていて、大学のことをあまり調べてなくって。赤本を見て、建築学部と書いてある国公立大学の関東で行けそうな大学。東工大は6類とあり、建築と書いてないんです。学部の名前に建築って書いてないと建築が学べない、と思っていたんです。環境デザインとかは外れて、今のようにネットも無いので、大学の知識不足だったんです。結果的に、首都大と千葉大と横国で三つ選択肢が出て。響きで選んだんです。 佐藤:横国は実家から近いからかと思ってました。新幹線で浜松〜横浜間近いよ。 辻:当時は東京、関東はどこへ行っても一緒って感じでした。 佐藤:首都大、千葉大と横国では実家からの距離はだいぶ違うよ。 辻:ぎりぎり現役で最終的に入ったんです。私立も滑り止めで受けていたが、センター試験が失敗したんで、それを利用するものは全部落ちて。横国の前期も落ちて、7校ぐらい落ちた。 佐藤:親は受験料一杯払うから大変だったね、7校全部落ちた。 辻:そう。逆に入学金を支払っていなかったので(笑) 佐藤:親孝行したわけだ。私立7校、合格したら入学金支払うのたいへんだよね。 辻:そうです。親には心配はかけたんです。横国は前期より後期の方が学科試験の配点が大きかったので、センター試験がある程度とれてなくっても、逆転は出来る。で、最後の後期試験になんとか合格しました。何で合格したのか分からないです。受かった。 佐藤:後期の試験は論文だけですか。 辻:学科試験なんですよ。一般的には前期が学科試験で後期が実技系の試験なんです。横国は逆でした。前期が数学と面接だった。後期が学科が3科目。物理、英語、数学だったかな。それでギリギリ合格。 佐藤:ギリギリでも受かればよしだね。 辻:たぶんギリギリで受かった。 ■1年生になりました、クラスは何人 辻:60人ぐらいのクラスでした。工学部建設学科の建築学コース。建設学科シビルエンジニアリングと海洋工学と建築学の三コースです。シビルエンジニアリングが土木です。 佐藤:海洋も土木も面白そうだね。 辻:そうですね、当時はそういう海洋とかシビルの人たちは絡みはないんです。 佐藤:学生は全国からくまなく来てましたか。 辻:首都圏は多かったんでしょうけど、全国からだと思いますよ。 佐藤:地方での友達できて、遊びに行ったとか、なかったですか。 辻:友達はサークルで、サッカーに入って。そこに「403」一緒にやった彌田がいて、彼は茨木県でした。サッカーと建築がかぶっていたので彌田と仲良くなったんだっけかな・・。 ■学生の1日、タイムスケジュール 佐藤:学生時代の1日のタイムスケジュールはどんなでしたか。 辻:全然覚えてない。2限ずつだったかな。午前、午後2限、授業は単位がとれりゃいいって感じで授業は受けてました。基礎教養はありますけれど、単位が楽にとれる。レポートだけ、とか。設計の授業が始まるのは2年生の後期からなんです。実技も1年生の時にもあったんです。基礎的なデザイン、空間造形課題が出て。その辺までは全然身が入っていなかったんです。住宅課題から設計が始まって、そこから建築にのめり込んだ。 森の中にセカンドハウスを造る課題でした。それと元町中華街に3階建てぐらいの商業ビルを造る課題、両方やりました。 ■住んだところ 佐藤:大学で学んだ中身に入るまえに、浜松の実家を離れてどこに住んだんですか。 辻:1年生の時は三ッ沢上町。市営地下鉄ブルーラインの駅沿いで、後期で合格だから物件がなくって、3月末に決めた。 佐藤:学生用の賃貸物件あるですか。 辻:たくさんあります。1Kのアパートですね。坂道が多い所だったんです。そこに住んで2年になり引っ越した。同じような所ですけど相鉄線沿い。最初の1Kは狭かったのです。5帖+高さが400しかないロフト。幅も1mない。屋根裏、筒みたい。そこに寝てた。 佐藤:ずいぶん狭い寝床だね。 辻:でロフトが広いアパートに引っ越した。 佐藤:学生にはロフトの広さに惹かれるわけだね。近所に図書館はありましたか。 辻:図書館、在っても使ってない。全然行ってないですね。 ■飯はどうした 佐藤:1年生で朝飯はどうしてましたか。 辻:ぜんぜん覚えてない(笑)初めて自炊する、親にカレーの作り方だけ教わった。カレーは作った気がします。 佐藤:今の学生はYouTubeで朝飯作り方学ぶんだろね。 辻:そうですね。2005年入学だったかな。2008が卒業です。 佐藤:webはありましたね。 辻:そうですね、PC使ってましたね。 佐藤:PC日本で爆発したのはウイン95からで、1995年から当然学生は皆さん使っていたよね。 辻:当時Twitterの前のSNS・ミクシーが流行っていた。そこで日記を書いていた気がする。 佐藤:現在も残ってますか。 辻:残ってんじゃないかな。最近見てないからわかんない。ぼくと友達になった人だけが見ることができる。 佐藤:昔の辻さんに会いに行くのも楽しいよね。人はどんどん変わっていくからね。 辻:そうですね。 佐藤:20年前の社会と現在では原発事故にも遭ったし、激変したね。日本が自助と政治の右傾化始まった世だった。 ■設計課題 辻:1年生のときはのらりくらりやっていて、建築は2年生の設計課題からだいぶ好きになった。設計面白いなと。どういう点が面白かったかな・・・。なんで評価されるやつとされないのがあるのか、コツがぜんぜん分からなかったです。友達とああでもない、こうでもないと話をして、エスキスかな。製図室が60人一部屋だったんです。製図室に夜遅くまで残ってたかな、製図室は24時間開いてたんです。今は開いてない。 佐藤:製図室にはいつでも誰かがいた、それがいいね。居場所だね。 辻:製図室で何人かのグループで仲のいいやつが出来て。夏休みとか冬休みとか、建築を観に行ったり、スノボに行ったりしてました。深夜バスに乗って、そのあたりは普通の大学生だった気がします。 ■サッカー 佐藤:サッカーの話も聞かせてください、横浜スタジアムで観戦するとか、ですか 辻:当時、三浦カズが横浜FCにいたんです。カズ好きだったので、三ツ沢競技場がホームで、たまに観に行ったりしてましたね。サークルも夏とか春とか休みになると合宿で山中湖とかに行って、3日間ぐらい大会するんです。サークルは建築と関係なかったんで先輩がすごい面白い人たちが一杯いた。 設計課題は一所懸命やってたけど、建築を見るとかインターンやオープンデスクとか、他の人よりはぜんぜん行かない。3年生の時に横浜のプロダクトデザイナーなのか、建築家なのか、分からない所に2週間だけ行ったり。電車賃も一切もらえない。そこで模型作ったりしてました。なにやってんのかな。 佐藤:若い時分には有名事務所に憧れちゃって行くんだと思っていたけど。 ■アルバイト 辻:俺なんで、その事務所に行ったんだろう。ミクシーで募集があって行こうとなったんだかな。何も分からないそこに行った。 佐藤:あぶない方法だね、闇バイトでなくってよかったね。 辻:非常勤の先生がたの知り合い経由でのキッチン・バイトだったかな。 佐藤:非常勤の先生って博士号はもってないけど建築家と言われてる人、卵かな。 辻:ミクシー経由でバイトしたんだね。大学はバイト斡旋してなかった。月に4,5万ぐらい稼いでました。 佐藤:実社会の人間と付き合う場は、インターンやバイトに行くしかないのでは。 辻:バイトですね。アサヒビールの直営店が横浜駅の地下にあって、そこのレストランバーでビール出してました。時給は最初850円だったな。キッチンも入っていて料理もだしました。 佐藤:バイトで調理は覚えてしまうね。 辻:パスタとか、キッチンのコックさんが凄い怖い人でした。怖かったな〜。ミクシーで連絡とっていたかもしれない。 佐藤:バイトの金は何に使ったんですか? 辻:全く覚えてないな。仕送りしてもらっていたので、家賃ももらってました。家賃は6万円だった気がする。仕送りいくらだったかな、覚えてない。 佐藤:10万円ぐらいかな。 辻:5か10万かな。10万円だったかな。 佐藤:本も食材も買わないとね。 |
||
■ 本 辻:本なんか全然買ってないですよ。 佐藤:今は事務所に一杯本あるじゃないですか。学生時分から集めてたんじゃないんだ。 辻:学生時代に買った本はあまりないですね。本はあまり読んでなかったと思います。 佐藤:資料だから後々役立つとは思いますが。あとで手に入れる方が大変だ。 辻:当時はそんなふうに思ってなかったです。 佐藤:今は県立図書館で借りて買うことないけど、高価でいい本はリクエストすると買ってくれることもある。 辻:バイトの金は何に使っていたんだろう。洋服とかかな。 佐藤:ジーンズにTシャツで暮らしてたんじゃなくお洒落してたのね。 辻:そんなにお洒落ではないです。 ■大学の男女比 佐藤:60人一クラスで男女の割合はどうでしたか。 辻:3:2ぐらいですかね。 佐藤:女性も4割もいたんだね。 辻:うろ覚えですけど。 佐藤:当然のこと女性の方が優秀だったでしょう。 辻:そうですね、当時の設計課題の成績は女性の方が優秀だったと思います。 佐藤:社会にでると優秀な女性は育ちにくくなる日本だ。なるほど。途中で建築は嫌に成らなかったですか。 辻:それはなかったですね。先生は、北山さんと西沢さんと山本さんもいたし。非常勤の方も野沢さんとか、宮さん、槻橋さんとか樫原さんとか。 佐藤:当時、樫原徹さんと代々木の事務所に泊めてもらってた(笑)横国にも行ってたのか、知らなかったです。 辻:先生がた面白かったです。 佐藤:いい先生に教わってたんだね。 ■友達 辻:友達もよかったし、先生も親身になってという感じではないですけど。ゼミとか研究室は無いので。 佐藤:先生誘って建築見学するとかしないと親密にならないでしょう。 辻:YGSA、大学院に入って設計助士だった中央アーキの松本さんは兄貴みたいな感じになりました。学部の時は先生とはそうならなかった。 佐藤:いろいろな先生と交流しながら建築について分かってきたんですか、 辻:分からないですね。設計が上手い下手は全然分からなかったです。レームコールハースとか言説が面白いとか、この人違うことやっているなと、なんとなく判断するようになりました。 佐藤:ジャーナリストから建築家だからね。違う領域から建築に入ってくる人たちが活躍してしまう。リサーチはやってましたよね。 辻:リサーチも流行ってたし、YMOとかも。 佐藤:世界の潮流を感じとって学んでいたんだね。 辻:そんなことはないですね。でも、やりながら。1年生に入るタイミングでは、西沢さんの存在知らなかったんです。入学してからどいやら凄い人だと分かってきた。ちょうど金沢21世紀美術館が出来たぐらいかな。出来て森山邸という素晴らしい建築が2006年とかなんです。その時に青森県立美術館に行ったりした。伊東豊雄さんも台中の前の構造形式が波の建築を発表したり、リーマンショック前までは凄い、形式とかダイヤグラムがそのまま立ち上がって建築の発明になる。それを追っていた気がします。建築界全体がそういう雰囲気だったと思います。 佐藤:リーマンショック来て、日本経済バブル崩壊と世界バブル崩壊の間が大学生だったんだね。 辻:そうです。 |
||
■院になり自主グループ403 佐藤:定期的に読書会など開催してなかったですか。 辻:ぜんぜんやってないけど、大学院の時に自主的に403アーキテクチャーの活動を始めて、そこで勉強会などやってました。 佐藤:自主勉は他の人たちもグループ作って開いてたんですか。 辻:大学院のときは大学関係なく、ツイッターで呼びかけてました。大学院と社会人になったぐらいのタイミングかな、2009年、2010年ぐらいです。403の活動としてやってました。 佐藤:その動機はなんでしたか。 辻:動機は建築の歴史をもっと実感したい。 佐藤:著名建築家が揃っているので、彼らを観てると建築の歴史をみている感じにはならなかったですか。積極的に外に出たのかな。 辻:本を読んだり、コンプレックスがあったんでしょう。本読んでもあんまり入ってこない、そういう感じ。それで、ちゃんと読みたい、実感したいと。現在思っていることに引き付けて見よう。現在から始めて遡ってみようと。 佐藤:喋り得意の学生時々いるけど、辻さんタイプが普通の学生ですよね。情報整理術にたけている若者はいる。理解しているのかどうかは分からないけど。 辻:コンプレックスはありましたね。大学の一年生になったタイミングで横を見たら、みんな親が建築やってますとか、そういう人たちが多かったんです。 佐藤:二世、三世、三世はいないかな。建築事務所の子供がおおいんだね。 辻:工務店とかも。 佐藤:辻さんはサッカーしてて建築界を見ないで大学に入ってしまったから、そういうコンプレックスだね。 辻:家は普通のサラリーマンだったので、建築の本も身近に無かったんです。 佐藤:どちらがいいとは言えないね。有名建築家の息子とも交流したり、見てきたけど、なんともいえない、功罪あるよ。親子とは言え、生きている時間と育つ社会状況が異なるから関係ない、とも言える。同床異夢は当たり前。多少の建築知識があっても現場に立っていたかどうかかな。 辻:建築をやるのがいいのか、それもありますし。 佐藤:建築の両親と関係ない方がいいんじゃないな。世襲なら企業になるので商売は継げるけど、建築家の精神は継げないからね。親が建築系でなくっても、体験や場に立つ回数が増えると挽回できそうだけど。 ■本との距離 辻:本の世界と読書行為は今も遠いなという印象は今もあります。本を開くまでにかなりハードルがあるみたい。 佐藤:ぱっと開いて目次と奥付みればそれでいいのでは。開かないの? 辻:開かない。 佐藤:笑)なんでよ。ちらちら見て目次見て、何年に刊行されたか、概略知るんじゃないかな。 辻:それぐらいはしますけど、ちゃんとじっくり読むというのはなかなか出来ないです。 佐藤:そういう読み方はまだしなくっていいんじゃない。じっくり読まなきゃいけない時が来るまで、資料として積んでおくだけで、いいのでは。 辻:1年に一冊ぐらい、これはという本があるんです。はまればばーっと読めちゃう。 佐藤:読書や本に慣れてないんだね。 辻:そうです、慣れてないです。 佐藤:人生かけて慣れればいいんじゃない。目次見て内容をざっと把握しておくだけでもいいのでは。思い出して10年後に読んでもいいと思うけど。全部読んでもどうせ忘れるからね。 辻:そうなんですよ。 佐藤:読んだからとうじたこうしたはない。著者に会ってみたいなら会いに行けばいいし。どこにどんな本があるか、それだけ知っているだけでいいよ。建築の必読書ってなんだろうね。ないんじゃない。社会学は必読書はあるけど。建築歴史書かな。建築家の本を読んでもわけわからない内容がおおいんじゃないかな。建築家が書いた本読まないけどね。物を見ればいいんじゃないかな。(『現代建築家宣言文集』は推し)建築家の言葉が建築界に必要な言葉にはならないよ。 辻:大笑いしている。ピンキリじゃないですか。 佐藤:渡辺さんの『芸能としての建築』はおもしろかったけど、他の本読んでみたけど、意味あるのかな、俺には分からないよ。建築家の本で社会は変わらない、行動も思想も変わらないじゃん。学生が本から刺激うけて行動を起こさないでしょうし。これは面白い建築家だと行列、成してくるとかないでしょう。 辻:それは建築の本というよりは日本における建築文化全体の話ですよ。 佐藤:もう諦めきってるんじゃん。そうかね。建築つくると何かが変わるよね。自分も変わるけど発注した人も変わるよ。 辻:そうですね、そういう草の根的な。 佐藤:政治家じゃないからね。建築できても社会も変わらないし革命てきなことも起きないし、制度も変えないし。建築は権力者のもんで保守的な領域にあるからね。建築家は指示しているだけで何かをつくっているわけではないから。 辻:そうですね。 佐藤:建築家の言葉では変化がおきない、そんなことが起きたら最大の発注者である日本国は困るよ。建築の材料を発明したり、工法を発明するわけでもないし。3Dプリンターで建築作るのあるけど、建築には成長してないよね。 |
||
■小学6年生で実家の建築づくり、設計士を知る 辻:作るのではなくって、考えるだけ、設計するだけの仕事があるんだ、と小学6年生で知ったのは建築の道に入った理由ですよ。 佐藤:誰の何をみたんですか。 辻:家を建てる時に来た設計士をみたんです。 佐藤:設計図が実際に家になった、その現場を目撃してたんだね。目の前に設計図からお父さんの家ができていくのを見て、そう思ったと、いい建築体験しているね。 辻:そうですね、建て方を見たりして。爺ちゃんが大工っぽい、日曜大工もやっていたんで、作る、大工さんという仕事があるのは把握してたんです。考えるだけの仕事があるんだ!。 佐藤:難しいこというね、全体を考え指示もだしているよね。あ、民間の住宅だと議論したりしないか。 辻:作らずに設計するということ。作らないで考えることをメインとする職域があるんだと。そう思ったんだと思います。 佐藤:自分で施工もやってしまう人もいるから、考えるだけ設計と施工請け負いとの仕分けが難しい。工務店の息子は仕分けが難しそうだ。体動かして作ることに傾倒する、それが分かりやすいし。作ることは限界があるよね。指示だけだしている分には限界が無い。俺はそれを高校生の時に考えた。作る現場は面白いんだよね。 辻:今、考えてます。 佐藤:現場は毎日変わり続けるから面白い。図面は枚数増えても現実の社会は変わらない。今はデータが増えるだけだね。出来たら目障りだし邪魔にも日陰もビル風もおきるし。 辻:作るの面白いですね。 佐藤:作ってる場の気象状況も毎日かわるから面白いよ。いろんなことが起きる、図面書いてもほとんど何も起きない。現場対応にエネルギー吸い取られるからどこまで関わるかは難しい。俺はまったく手は動かさないと決めて暮らしてきた。きりがないから作ることには関わらない。棚板もつくらない、何もしない。 辻:まさに今考えている感じですね。 佐藤:セルフビルトしているから考えちゃうでしょう。 辻:セルフビルトは家だけです。日曜大工です。 佐藤:村野さんも床柱付け替え一生やってたと、読んだことある。自分の家まではセルフビルドで、他の家などは手を動かさない。 俺は高卒で、ゼネコンの設計部に入ったので、大学で建築を学ぶってなにか分からないんだよね。世が要求する建築って多様すぎて、大学では教えられないと思うね。 大学生って中途半端な人間だし、彼らの扱い方も分からないな。何をアドバイスしたらいいのかも分からない。人生変えちゃうような事も言ってはいけないと思うし。多くを経験するのがいいんじゃないの、ぐらいしか言えないよ。建築現場に行ってみたり、完成した建築を体験したり。 東北大から芸大に行って竹中の設計部に入った女性の、日本一展で聞きとりしてんだけど、現場に配置されて、打合せから始めるんだと語っていた。現場の下働きからスタートだよ。 辻:ゼネコン、工務店の現場監督も、作らないですからね。 佐藤:収益計算と下請けに指示しているだけだ。 辻:そこも設計と現場監督とも微妙にニュアス違う。 佐藤:まるで違う世界だよね。作ることが面白くなって現場に行くことにもなるし、設計事務所は請負者みたいに多くのお金が回らないから金の扱いを学べない場だね。設計事務所で20億円の建築図面書いても、20億動かせないから資金繰りもたいしたことしないし。現場は20億円のお金を動かし人も物も動かすからね、賑やかだ。 辻:人が動くからね。 佐藤:社会的な意味合いは現場の方が大きい。人に与える影響が全く違う。そこは若い人は迷うと思う。両方する人は失敗している人が多いかな。 辻:現場監督というチョイスは無かったですね。 佐藤:自分で請け負って大損した建築家も知っている。 辻:分離発注という選択はなかった。 佐藤:分離発注して、指示をあたえ現場を統合するのは小さい物件は作れるけど、大きなは建築はそれは無理です。建設業法もあるからね。小さい物件だと請け負う業者がいない場合もあるから、設計者が自分で発注したり、請け負う人探して分離発注するしかない、ことも起きる。 辻:請け負ってくれなかったらそうですよね。 佐藤:いろんな職人さんに打診してつくる、俺は会社の経営状態を調べてたから無いけど、途中で請け負ってくれた業者が倒産すると、面倒だよ。下請けの人は請求を発注者に直に来るから、管理建築士は腕の見せどころでもあるね。分離発注の場合は継続し通年仕事があるとお思えない人、仕事無い設計士にはついてこないからね。 辻:営業のことを考えたことないので。 佐藤:営業しないで注文来るといいけど、どうなんだろうね、浜松市の状況はわからないな。 辻:そういう風に思ってもらってない気がしますね。ぼくと関わった工務店の人たちは。ぼくにくっ付いていれば仕事があるとは思ってないですね。ぼくがお願いして請け負ってもらってます。 佐藤:京都のO邸を請け負た方に聞き取りした、どうしてこんな面倒な建築を請け負うんですか、と聞いた。時々難しい建築を請け負わないと建築づくりの感がなまる、と言ってた。 辻:そういう難しい設計をやるつもりも無いです。 佐藤:建築家の設計する建築は一品生産みたいで、技術が一般に普及することないので、特殊解だけで建てるみたいなことが多い。 辻:一般的にはそういう側面あるかもしれないですね。 佐藤:基礎が蓄積されてないと曲芸的施工はできなんだけど。話がずれてしまってるね。戻そう。 |
||
■大学2年生 佐藤:2年生になってセカンドハウスと元町のビルを課題設計して、セカンドハウスは木造平屋でしたか。 辻:木造なのかな。2階建てでしたね。 佐藤:具体的な縛りがない課題なんだね。 辻:構造形式は指定されていなかった気がします。 佐藤:俺は中学生時分からRCじゃないと建築じゃないと思っていた(笑) 辻:構造の形式が何かまでは想像が行ってないですね。模型をスチレンペーパーで制作しようかなと。 佐藤:ゼネコン時代は模型は数点しか作らなかった。自分で始めてからは模型作って設計して伝えないと、理解されない。確認申請するとどうなっているのか分からない、と言われた模型で確認申請だよ(笑)。木造建築はパースの学校で絵を描いたくらいで、模型を作ろうとしたことない。ゼネコン設計部に入って社宅でRC3階建て6所帯だった。公団タイプの指定だったけど。今はURというのかな。木造は火事になると全部燃えちゃうし、地震でつぶれるのは建築じゃないと思ってた。 中学生でコンクリート打ち土方バイト建てたNTTの事務所6階で交換機室2階だったかな、何度も地震に遭っているが、今も綺麗な現役建築だ。NTTの仕様書も施工管理もちゃんとしているんだよ。築60年だから立て替えたらよかろうと思って観察しているんだけど、相変わらず現役建築。 辻:RCは造ったことないから分からないな。 佐藤:コンクリート打設時は殺気がただよっているよ。俺がゼネコンでRCもポンプ車が無い時代だからコンクリと打設は緊張しました、辻さんと俺の建築体験はだいぶ違うね。 |
||
辻:だいぶ違いますね。 佐藤:木造建築は設計部の女性建築士が専属で設計していた。 辻:大学時代は構造形式、構造の素材とか一切考えてなかったです。 佐藤:建築基準法も考えないんですか。 辻:法律も考えてないですよ。本当に抽象的な事を考えてましたね。 佐藤:抽象的って例えばどんなことですか。 辻:形態、ダイヤグラムてきな話かな。 佐藤:24才のとき大きな食品工場をやらされてけど製品の出来る道を知らないから、一個の製品出来るまでのフローチャート最初に書いて、各部署に分解して面積を割り当てて、それぞれの工程の工場の担当者と打合せ確認し、統合して図面書いて、工場長や社長などと打合せして造った。一人で開発許可から工場立地法からなんでも。一人でこなさないければならんかたたので、死ぬかと思って泣きながら仕事してたよ。現場に入ると監督は年上で怖いのなんのいじめるし(笑)もの凄い利益でてボーナス他の部員より多く通常の数倍もらった。課題では床は平らにしなさいと言われてたんですか。 辻:それはない、卒制作の時はふにゃふにゃしてたかな。 佐藤:養老天命反転地、あれはぜんぶふにゃっている、あんな感じかな。学生のときは知ってたでしょう。住んでると危ない。 辻:それよりは伊東豊雄さんの展示でふにゃふにゃした床とか、オペラシティ、台中のやつのちょっと手前でたしか。新しいリアルという名前の展覧会があったんですよ。それで、ふにゃふにゃした床がそのまま展示されていたんです。 佐藤:地上は、全部そこらじゅうふにゃふにゃした台地じゃん。 辻:建築家がそれをやるんだと。 佐藤:最近、地形や自然をなぞるようなのが建築は多いかもね。近代建築が敗北してその先へという感じの状況なんだろうね。 辻:当時、伊東さんが流行ってたんですね。 佐藤:伊東さんは若い所員の発想をいただいてそうだからね。 辻:そうですね、これも平田さんのスタッフの時代。 佐藤:若い人と所内コラボ建築は悪いことでないけど。 電話が入る 仕事やっていていいね。電話に出てください新しいリアルは床ふにゃふにゃしてないね。 辻:展示会場が床ふにゃしてたんです。これこれ、当時そういうの流行ってたというだけかもしれないけど。 |
||
■大学3年生 佐藤:ここから3年生に入りましょうか。 辻:3年生の前期が図書館の課題でした。前期の後半が集合住宅で、それをグループで3人でやるんです。図書館は一人です。3人組、組んだ奴らが後に一緒に独立することになった。その時にちゃんと評価された。議論も面白かったし、評価もでてきて、一人でやっていてもあまり面白くないし、評価もよくわからない。3人でやったら面白いなと思った。 佐藤:課題の評価は先生がするんでしょう。 辻:そうです。 佐藤:ゼネコンは発注者が評価するから恐ろしいんだ、ぼろくそ言われる。先生はけなしたりしないでしょう。 辻:けなしは無かったかな。 佐藤:授業料とっておいて、ぼろくそ言われたら金返せと言えるでしょう。 辻:ん、でも先生は怖かったですねどね。 佐藤:怖い? 辻:何言われるか怖い。特に大学院に入ってからは怖かったですね。 佐藤:学生がお金払ってるんだよ、分からないな。まだ3年生だから、図書館と集合住宅つくるときに、モデルを見学したりする、リサーチしてから考えるの、いきなり考え出すのかな。 辻:図書館は前期の前半なんで6週間とかです。7週、7週だったかな。 佐藤:成果提出は模型と図面ですか。 辻:模型とプレゼンボードです。横国は全員発表じゃなくって選ばれる者が発表、上位10とか、15とかでしたね。 佐藤:15に選ばれないと評価したり喋ってもらいんだ(笑 辻:そうです。 佐藤:俺の作品評価してくださいって、先生に持っていかなんですか。 辻:そういうのは全然しなかったですね。 佐藤:どうして評価してくれないのか、それじゃ自分と建築が分からないじゃん、どうしたの。 辻:そうなんですよ。 佐藤:授業料払っているだけ聞かないと、あほくさいじゃん。 辻:そういう思考すらなってない。 佐藤:そうなんだ。先生に言われたまま静かに聞いているんだ 辻:そうそう。 佐藤:俺はむかつくねそういうのは。だめでもいいから聞かないと。だめだとも言ってほしいよね。 辻:4年生ぐらいになって、山本さんには聞くようにはなりましたね。3年生までは分からなかった。 佐藤:建築界の言葉は独特だからな。 辻:出たとこ勝負だった。 ■3人でコンペに出す、佳作に 佐藤:まさか先生に気に入っていただける案を作ろうと思ってたわけじゃないよね。 辻:全く思ってないと思うけど、評価は気にしてました。 佐藤:評価される案を造れないじゃん。 辻:作れないから、キツかったですね。 佐藤:自分が何をやっているか分かってないと、何言われても分からないよね。 辻:そうですね。ただ考えたり、議論することは楽しかった。だから続いていたかんじです。特に集合住宅の時に3人でプロセスもすごい面白くかったし。それが野沢先生が評価してくれたし。去年亡くなってしまいました。そこで手ごたえを感じて、そこから3人でコンペを出すようになっんですよ。初めてコンペだしたのも入賞して、それはユニオンというハンドルメーカーのコンペでした。鈴木了二さんが審査員だった。もの派な審査員に受けたんだね。 辻;そこで拾われて、「対比対立のある家」が課題でした。それに大室さんも入賞してたんですよ。 佐藤:大室さんとは長いご縁だね。 辻:その時は知らなかったんです。 佐藤:大室さん、棺桶つくっていたからね。その案も今URLを送ってください。対比対立のある家とは解釈自在でややこしいね。 辻:わりと手応えあったんです。初めてやっている事と、評価が合った。 佐藤:抽象的で分かりにくい課題だよね。それに建築として答えを与えると。家にしなくちゃいけなんいんでしょう。 辻:二つ目のリンクが作品です。 佐藤:佳作だね。 辻:家具を、床を半分は柔らかくして、半分は硬いままにして、家具は硬い方に全部寄って。密度がすごい高い。 佐藤:笑える案だね。絵が面白いね。 辻:この絵は橋本が描いたです。 佐藤:これは評価されるね。 辻:橋本は不思議なセンスをもってます。 佐藤:正方形を真っ二つにして床の仕上げを真っ二つにしたのが効いているね。家の半分は布団ということだね。 辻:床が布団になっている。 佐藤:常時、布団が敷いてあり寝ることが出来ると。こういうことを考えると建築家に伝わるんだとコツがつかめたのね。 辻:そうかもしれないですね。 佐藤:一位はなんだったのかな。 辻:北口さんという、今は独立されていると思います。 辻:二つの筒みたいな場所で窓でつながっている。 その2へ続く |
||
■ | ||