辻琢磨さん大学で学んだこと 原稿  2024年10月22日 作成:佐藤敏宏 
その2
■ コンペ案かたり

佐藤;これは人参かな、筒状の家が二軒あって上下一緒で柔らかい硬いが分かれているんだね。
:大室さんの案が、これです。大西さんとの共同制作です。
佐藤:削除しないんだね。
辻:ユニオンは残してますね。
佐藤:大室さんあいかわらず棺桶あるじゃん、
辻:そうそう。ぼくはよくわからないです。手紙でやりとりしたんだっけかな。説明聞いたきがするんですけど忘れました。往復書簡みたいなので作ったと言っていたきがします。

佐藤:このコンペで俺たち行けるかもと思ったんだね。

辻:思いました、思いました。
佐藤:佳作だけど伝わるじゃんと。
辻:そうですね、引っかかるんだと。
佐藤:賞金で焼肉食えるね(笑)
辻:そうなんですよ。このコンペの佳作は大きかったですね。集合住宅の課題とこのコンペ。
佐藤:3年生では3件トライしたということでしょうか。
辻:3年生前期の話です。後期は住宅の課題があって、コンペはいつやったか忘れちゃいまいした。3年生の時ですけど忘れた。後期は住宅課題一つと、渋谷に若者が千人住むみたいな課題が一つ。千人の案はかなりよかったですね。一番よかったんじゃないかな。
卒制と千人住む案はデータが残っていると思います。

佐藤:辻さん独自の世界には到達してないよね。
辻:コンペ案、密度の家は家具を動かすというのが建築的になっている。対比の家の案が密度の家です。新しく何かを建築するんではなくって、今ある普通の家具配置を動かすだけで、面白くなるよという、それは今も続いている

佐藤:柔らかい対硬い、それが今は古い対新しいがセットになって成立しているコンペで芽が出たと。鈴木了二に感謝しないとね。
辻:三人でということですね。表彰式には鈴木さんいらっしたかな。建築家としても好きですよ。
佐藤:木造住宅、骨だけにして床に鏡貼ってたかな、アート的活動もしてたしね。
辻:物質思考でね。
佐藤:建築家では珍しい立ち位置の人だよね。
辻:このコンペの佳作とったときは、鈴木了二という建築家がどのぐらい凄いのか、まったく分かってなかった。
佐藤:笑)そうでしたか。分かってないかな。誰、このおじさんって感じだったんだな。
辻:そんな感じでした。
佐藤:いいんじゃない、知らなくっても勝手に評価してくれるんだから。では4年生に行きますか。 

4年生

佐藤:3人で、現在も設計活動してるんですか。
:二人は今はどういう考えなのかは分からないですけれど、根底にあるものは共有しているんじゃないですかね。

佐藤:卒業設計の年ですが。
前期は課題があって、都市リサーチ課題でした。403は6人なんです。6人組でやりました。その後に大学祭があり、仮設建築1/1を作る課題でした。コンペ形式で案を出して一つ選んで、それが実施される。みなで作るんです。けっこう大き、でかかったです。木造なんですけど幕構造で、ドーナツみたいな楕円の穴が開いている単管の舞台を、床高が1.2mぐらいで作って、真ん中に地面が見えている大きな穴があるんです。そこに幕を張って、場所は建築学棟の脇の広場に造るんです。建築学棟は8階建てで、8階の非常階段から幕の中心を引っ張って、テントみたいな場をつくる案が勝ちました。

ぼくらは、3人で挑んだんですけどぜんぜんダメだったんです。頭でっかちなプランを作って。

佐藤:1位案はアイディアで勝負ですね。
辻:そうですね、布が風でたゆたうんです。中、夜は照明がぼあんと光って、そこでイベントなどをやるです。
佐藤:これは唐十郎が横国の先生やっていた、その状況劇場の赤テントと関係あるのかな。
辻:直接はないですけど、間接的には唐十郎さんのテント。検索してみます、新建築に載ったんだ。これ凄いな・・これはwebにあるんだ。
佐藤:聞き取っていると、辻さんいろいろ思い出していいね。
:そうですね。今、リンク送りました。

佐藤:ども、なるほど。これが完成写真ね。蒸しパンみたいなものかな、どうなっているのか、蒸しパンに人が寝てる絵はなんだろうね。
辻:昼は布が全部地面についているんです。

佐藤:夜になると引っ張ってテントに変わる。
辻:中を使う。昼は下にある家具もそのまま布が下がってくるんで、布の上から家具を使う。
佐藤:引っ張り上げた布のテントの下には一杯家具がおいてあるんだと。学生らしい。
:そうです。面白い作品でしたよ。これをコンペで選ばれるときに、なんで俺らの案じゃないんだと、いうのは山本さんに意義申し立て、しに行きましたよ

佐藤:行動する、成長しました。その案は?
辻:無いけど、口で説明できるぐらいなやつです。一方に普通の間取りの家具があって、一方に平面図と壁に起こして立面図が3面ある。そこを行ったり来たりして、現実と虚構を行ったり来たりする作品です
佐藤:3年時の栄光をまだ引きずってしまってたと。
辻:引きずってる(笑)
佐藤:切り替えができなかったと。で、山本さんになんて言われて追い返されたんですか。
辻:なんて言われたんだっけな、とにかくこれが出来てみたら分かるから、そんな感じでした。そしたら本当に凄かった。これはショウガネーナと思ったですね、皆で造るのも楽しかったし。

佐藤:布はみんなで・・。
:縫って、でかい布縫ってましたね。
佐藤:毎年4年生になると、一点選んで実作を共同制作するんだ。それはいいかも。頭の中で考えて言葉にしているだけでは、社会性が、実現しない。みなで共同作業してみるといいね。布屋にいって生地を買ったり、糸を選んだり、縫いつけ作業したり、据付したり、組織を作らなければいけない。分担表、スケジュール表もつくらなければならない。社会の中にある建築の勉強になっているよね

辻:1位案はできてみて、凄いなと思いました
佐藤:夢もあるし。
辻:それで、その後卒制をやるわけです。



卒制

辻:なんだかよくわからない卒制で。
佐藤:「高速道路の下に墓」だって前、聞いたよ。

辻:そう、もやもやもやもやして、なんかやってやろうという気持ちだけはあった。
佐藤:高速道路下の計画も上下二分案じゃなかった?対比になってなかった?
辻:対比対立って感じの案ではないですね。
佐藤:くすぶって、燃えずに終わりと。

辻:ずっと考えてた、何らかのロジックがあって、首都高の下を、どういうプログラムであてたら一番批評的かを考えていた。たどり着いたのは墓地だんだんですよ。墓地でいこうと思ってたんだけど、非常勤の信頼していた先生に一刀両断されてしまった。絶対にプログラム変えなさい、と言われた。それで美術館にした。

佐藤:墓地でも美術館でも骨を並べるか作品並べるかだけだよね。
辻:笑)その時まで考えていた墓地の形は変えずに中身だけ変えた。
佐藤:墓地はなんでだめなのかね。

辻:たぶんプログラムの共感可能性じゃないですかね。
佐藤:都市には墓地重要だよね。
辻:今思えば押し切ってもよかったなと思ってるんです。その時は自分に・・・はい分かりましたとは成らずに、言い方が相当強かったんです。そこから1週間ぐらい悩んで、変えるかと。その時は精神的にきつかったですね。
佐藤:卒制だから、墓地でやらせればいのにね。非常勤の先生の考え方は分からないけど。墓地でも美術観でも訪ねる人、鑑賞者の思いはさほと変わらないと思うけど。

辻:今、思えばね。

佐藤:そこで、もやもやした思いを残したまま卒業したと。卒業はできたんですね。
辻:卒業できました。
佐藤:そのもやもやはどこかで決着つけたんですか。
辻:ついてないです。そのまま終わってます。


大学院へ

佐藤:大学院の試験はすんなり通過したんだ。
辻:大学院試験は卒制の前です。それはYGSAになるみたいな、タイミングだったんです。凄い広告かけているから、志願者が増えちゃって、内部生の倍率あがってる。

佐藤:院は、当時から半年ごとに先生が替わった。
辻:YGSAになった直後ぐらいです。スタジオ制で4人の教授がいて、構図だったです。広告やめてくれと思いながら受験してたかな。いろいろ研究室訪問とか東工大に行ったりしてたんです。東工大に行ったら徹夜でみたいな感じでした。ちょっと無理だなと。海外にも行きたかったんです。それで、YGSAに行けば海外にインターン出来る、という情報が出てきて。そのプログラム使おうと思ってYGSAに決めました。

佐藤:そこでプヌネーの話が出てきたと。
:そうです、で、結局行けなかったんです。卒業後の春休み、大学院の前にオランダにインターンに行ったんです。上原ゆうしさんという、東工大の塚本さんと西沢さんの同級生で、一人でアムステルダムで独立してたんです。OMAとか行ったあとに独立して、一人で事務所はアムステルダムで回していた。彼の所に一ヶ月おじゃまさせてもらったんです。
それは、同級生の友達のお母さんの知り合いとかだった。(笑)
佐藤:知り合いじゃねーな。初海外でしたか。
辻:初は2年生の時に、行きました。みかわやの竹山君を訪ねていきました。彼はイタリアで日本人学校、ペルージャという町で、でそこに行きました。
佐藤:イタリヤ観光にいったと。

辻:それは海外1回目で、2回目がアムステルダムです。
佐藤:1ヶ月滞在だと結構な時間あるね。
辻:そうですね、お手伝いというか不思議な課題でした。仕事の手伝いでなくって、架空の敷地を設定する、東京で、狭小で、建てられそうな敷地を見つけて来い、って言われて。品川の近くに在ったんです。不動産情報とか見ずにグーグルの衛星写真だけで見つけて、この敷地いいと思います、と。そこに上原さんの別荘なのか、分からないけど、とりあえず、そこに架空で家を作ると。それをスタディーして形にしてい1ヶ月は終わった。

佐藤:得るものはありしたか。
辻:得たもは、模型も覚えているし、上原さん一人しかいなかったので。マンツーマンでした。今の建築の日本の状況はどうなんだとか、ぼくが教えたり。当時オランダ人の方と結婚されていて、お子さんも居た。結婚は覚悟だとか言ってた。
佐藤:(笑)ひとそれぞれ違うよ。
辻:笑)その言葉も残っているし、上原さんの先生が坂本さんなんです。坂本さんが夜空の星は遠いところにいるから星座が描けるので、なるべく遠い所に行け、と言われてオランダでやっていると言っていた。

佐藤:素直な人だね、外国に行くと自分は何者か、歴史も考えるだろうし、悪くはないだろうけど、なるほど。仕事できれてばいいけんどね。
辻:けっこう大きな体育館とかやってましたよ。

佐藤:それはえらいね。やる気十分な人なんだね。
辻:それは面白い体験でしたね。
佐藤:その後は交流してないんですか
辻:一回帰国して今は富山大学で教えられているんです。たしかそう。ちょっとご挨拶しました。その後は連絡とってないです。名前は雄の歴史で上原雄史です。10+1とか書かれています。
佐藤:10+1マニアいるね。すこしもらったり買ったりしたか。チベットやメキシコの写真、頼まれて送ったけど、その後どうなったか知らない。修士、その話しましょう。
辻:YGSAね。


修士後半

辻:YGSAでは4教授の半年ごとの課題をクリアしていく。
佐藤:最初の課題からお願いします
辻:最初は飯田さんの課題で、横浜のさこん山団地の改修計画でした。飯田さん怖かったな・・
佐藤:辻さんの人生には時々怖い野郎が出てくるね(笑)
辻:そうですね、飯田さんで次が北山さん。北山さんの課題は30年後かな、その横浜の都市像みたいな課題でした。
佐藤:風呂敷でかいね。
辻:横浜の臨海部、大きな敷地が、これからブラウンフィールドがパブリックに変わっていく、マスタープランがまずあって、そのでかい敷地を相手にする。
佐藤:横浜の都市問題は課題になったんだね。

辻:山下公園よりでかいスケールで、川崎の方の臨海都市部も含めるし、外国ふ頭とかも含めて、海を囲んでアーバンリングと当時は言ってたんです。海を囲んだ都市像を新しく提案する。
佐藤:川崎周囲の工場地帯は問題が多かったのかな。公害の発生源も多いし。

辻:確か、横浜の万博ですかね。
佐藤:横浜に万博あったのね、知らんぜ。
辻:都市博か、それでコールハースとかが提案したんじゃなかったかな。アーバンリング構想。それを北山さんが引き継いで都市計画室とかとやり取りしてたと思う。詳しいことは分からないです。
佐藤:YGSAは半年ごとに先生がかわり課題一個を与えられ、優劣など評価はつけられるんですか。

辻:点数でますね。4教授が評価するんです。ぜんぜんダメでしたね。飯田スタジオもだめだったし北山スタジオもだめ。M2が西沢スタジオで最後は山本スタジオでした。西沢スタジオもさんざんだったし、山本スタジオだけちょっとよかったかな。それは浜松を敷地にし日系ブラジル人の町を作ったんです。当時浜松市には日系ブラジル人が二万人ぐらいいて。今は、だいぶ減っているはずです、1万人切っているんじゃないかな。西沢先生の課題は新しい時代の建築を目指してかな。

佐藤:抽象的で分からないね、デジタル都市のこといっているのかね。
:ふわっとしててなんでもあり、横浜近辺でやってください、と。あまり小さいものはダメですの二点。

YGASで学んだこと 最後に浜松に繋がる案

佐藤:YGSAの2年間で学んだことは何でしたか。印象でもいい。
辻:先生たち怖かったな。自分も全然だめだったし。出す課題が面白くなかった。空回りでした。卒制からの悪い流れを引きずってましたね。卒制の失敗がどういうものかと言うと、設計を真面目に積み上げずに、話のレベルで引っくりり返そうとしていた。そういう魂胆があった。で、最後の山本スタジオだけは上手くできたかなと思います。

佐藤:最後に、悪いものをうっちゃれてよかったじゃん。
:それが浜松につながってますし。


■実際に物をつくってみたかった

佐藤
:学生時代横浜での6年間。先生が怖いというのが、分からないですけどね、辻さんが課題提出しないから叱られるということかな、普通に恫喝されたこともあります。恫喝ってそれは先生じゃねーだろうよ。
:笑)お前、学部生か・・なんて何やってきたんだ学部生で
佐藤:人間は機械じゃないから、そう言われても合格して入学した学生は困るよな。

辻:何が、いい課題かもM2年間でもわからなくって。本当に最後だけですね、ちょっとつかみかけたのは。こういうふうに積み上げていく、設計の積み上げみたいな感覚が分かってきた。一方で403の活動とか、勉強会とか始めてたのもその時期で、それをYGSAでやっていたことが、あまりにデカくって、実感できなかったんです実際に物を作ってみたいとか、そう思った反動で、そっちの活動をやっていた。

佐藤:辻さんと仲間3人が、YGSAの教育手法に合わなかったということなんですか。多くの学生がそうだったのか、そこはどうですか。
辻:ぼくらだけそう感じた。
佐藤:他の修士生たちはいい学びがあったと。
辻:じゃないですかね、わからないけど。
佐藤:作品みてたら分かるでしょう。院生は何人だったんですか。
辻:1学年20人。M2もいるので倍で1スタジオ10人ですね。全員で40人です。

佐藤:M2では学生同士の対話はなく、ひたすら自分の作業ばかりやっているんですか。
辻:学部の時より、対話がなくって。学部の時の横のつながりみたいなのが無かったですね。
佐藤:自由な学びの場って感じがしないね。
:いや、ぼくらが合わなかっただけですよ。
佐藤:そういう発想ならいいけど。
:ぼくらと言っても6人いて、4人が修士入試に落ちているんです。ぼくと橋本しか受からなかったんです。6人いた仲間もいなくなちゃった。橋本と大学院で腐ってましたね。

佐藤:そこで外に目をむけてLRAJに参加したり。
:そういう感じでした。
佐藤:恫喝されたという思いに至るのは信じられないけど。教員として問題でしょう。
:叱ってたんでしょう。今は先生がた優しいですけど。

佐藤:怖い感情が沸くんなんて、先生じゃないんじゃないかな。土建屋の現場でもあるまえに。先生たちは博士号はもってたんですか。
もってないんじゃないですかね。
佐藤:そんな無博士、奴らに怒られても意味ないよな。
:笑)ぼくにとっては偉大な建築家なんです。

佐藤:笑)偉大な建築家って社会にも生徒にも害をまき散らすんじゃないかな。
:先生というよりは、建築家と話すみたいな感じでした。その4人は本当に面白かったというか、尊敬してますよ。
佐藤:笑)日本の教育システムってよくないけど、まあいいや。今でも先生がたと交流はありますか。

あんまり、ないかな。
佐藤:デジタル時代なのに交流しない(笑)弟子たちとうまういコミュニケーションできない(笑)弟子と仲良く交流している先生少ないのか、知らんけど。先生の仕事をただ働きはしてなかったんでしょうか。
:そういうのは北山さんが「やめろ」、と言ってた気がする。学生は労働力じゃない、と言ってました。
佐藤:だったら学生にはいいけどね。労働なのか教育体験なのかは知らない。


卒業後

佐藤:ご苦労さまでした、あまり明るい話にはならなかったね。
:そうですね。3年生の初めて集合住宅とコンペやったときぐらいかな。何か手応えを感じたのは。

佐藤:院を卒業し、大学で教える話は次回にするけど、いやな体験を活かせたんですか。
:あまり意識したことはないです。恫喝はしたことないです。
佐藤:修士は西暦何年だったかな
:2010年です。
佐藤:2010年から2020年までの人生の方が濃いね。
:それはそうじゃないですかね。濃さっていう意味ではそんな変わらないけど。大学院の時代も半分403の事をやっていたり、学会の学生のワークショップを音頭とったりもしてました。
佐藤:外部に目が向かってたのね。
:そうですね、大学院でなかなか上手く行かなかった分、その反動もあって。
佐藤:若いからいろいろ行動するのはいいね。労働奉仕でなければいいね。自分から仕掛けていろんな人に出会うのはいいよ、害もあるけど。年取ると閉鎖的になっていくから。
:そうなんですよね。
佐藤:体力も衰え、動けなくなるから仕方ないけど。川勝さんと会ったりするのは横国時代、横国で知っていた。
川勝さんとは独立した後です。

佐藤:辻さんの世代だとPC使って、秋吉さんとかも同世代だよね。
:2,3才ぐらい下じゃないかな。
佐藤LRAJで聞き取ってたから、同じ世代かなと思った、秋吉さんは田中浩也先生に教えられて、かれはSFCだから知らないよね。辻さんは今が一番楽しい感じだね。

辻:そうですね、けっこうそうかもしれない。
佐藤:なんでこうなるのかは努力もあるだろうけど、学生時代はもっとも楽しくてもいいし、それぞれ楽しんだろうけど、修士のあたりが盛り上がらないな。
:盛り上がらないですね。
佐藤:卒制作がうまく行かなかったのも響いているだろうし、
:そうですね。


■大学で学ぶって

佐藤
:大学で建築を学ぶって一体なんだんだ。聞いてても分からない。一番いい建築の学び方ってなんだろうね。
理念というんですかね。建築家とはこういう判断をするみたいな、都市に対して。それが理論だとは思うんだけど、プラクティカルな実務的な話というよりは抽象的な大本の判断というのを、こうしろ、というのを、建築家だったらこうしろ、というのをちゃんと学べたとは思いますよ。

佐藤:それがよかったのかな。社会に出ると理念を学ぶ機会はないから、実務に追われてしまうからね。
辻:逆に言うと理念しか、本当の意味では学べないというか。大学でスキルを学んでもしょうがないんで。一番根っこにある社会とか都市に対してのスタンス、向き合い方というのをちゃんと学んだというか。彼ら4人の発言とか態度を見て、学んだという感じです。

佐藤:4人の先生も実社会に生きて、実社会の影響を受けてるわけじゃない。現代性、現在という時代に規制されて、既定規定されてしまう。辻さんが単に彼らの理念を持って、活躍するのでは社会にも辻さんにも良くないよね。辻さんらしい理念をつくり、社会と応答しないと。
辻:そうですね。だから、彼らのできない事をやらないとしょうがないなというのはあるんじゃないですかね。
佐藤:デジタル化、や東京一極集中、グローバル経済と戦争で、学生時分とは社会が激変したからね。
辻:社会も変わったし、ああいうメンタリティーを持ち合わせていないというのは僕は思ったので。
佐藤:たぶん先生が社会とずれてしまっていたんだと思う、先生を社会が鍛えないというか。それで先生がたはその姿勢で死んで行けるわけだし。
:死んでいけますね、(笑)

佐藤:だから若い人の方が先生に合わないのは、当たり前のことだと思う。社会と応答して成り立つ領域の先生は、さっさと交代して若い人に譲る、というのがいいんだろうとは思う。日本の政治システムではそう対応できない。
辻:なんていったらいいのかな、言葉にできない感情はありますね。尊敬はしているし、先生が出来なことをやらないと、というのもあるし。彼らのやり方が、時代に合ってないとまでも思わない
というか、彼らなりに全力をやっていると思うので。自分の価値観とは違う建築の作り方。緊張感を持ったり、施工技術の難しいことにトライしているとか、見積がオーバーするのを監理して下げるやりかただと思うんです。そういうふうには僕は作れないなと、10年ぐらい掛けて学んできた、卒業してから感じていることです。それで僕に合ったやりかたはこれかなと思うんだけど、どっちが社会に適しているのか、

佐藤:辻さんの方が適している、決まってるじゃん。
辻:僕のなかでは、そこまで明確に判断してない、バリエーションが増えているという認識なんですよ。どっちが支流(主流)になる、正しいかというよりは建築の造り方のバリエーションを僕なりにふやしている、つもりではあることです。
佐藤:着実に実践してていいじゃないですか。

辻:そうですね、そういう意味では今すごく落ち着いています。

佐藤:大きな枠組み、先生たちが言ってるのは大きな枠組みを身に着けさせようと。いろいろな課題を出すわけだけど、それに沿って目的合理てきな解をみつけよと。この10年の間でその手法は役に立たないって分かってしまった。
辻:役に立たないかはちょっと分からないな。

佐藤:明らかだと思うよ、戦争も起きているし、再エネの問題も原発事故の問題、民族対立もあるし、グローバル高度通信は電気から光に変わったしPCもそうなるよね。先生のかたる大きな枠組みで語るまえに社会が激変する。
辻:そうね、そこは自分の存在証明にもなっているので、ネガティブには捉えていたくない。
佐藤:活躍できる世界が急に広がったし、捉えなくっていいじゃない。辻さんは日本近代の終わり、その境目に学んでしまった感じだ。
辻:そういうところあるかもしれんないですね。
佐藤:東日本大震災後、その10年を見ていると自覚できるし、戦争も起きるし、民主主義もかなり危険だし、政治状況も情報社会に合わずぐだぐただし。それを見ていると大きな枠組みで語っても、誰も聞いてくれないよ。残念ながら終わった。そいう教え方が有効ではなくなったということ。
じゃ何か提示できているかというと、学ぶこととは別なもことなので。辻さんのように地に足が着いたところで地方で、新しい建築造りをやっていく。更新設計みたいな感じで社会を更新していく。その先に現在とは違う新しい社会が出現するという心構えで、大きな枠組み捨てていい、情報がグローバルにつながってしまったので、小さな足元から始めると。

辻:僕もいいとは思うですけど、それは唯一の解ではない。
佐藤:そう言っていると、手がかりはつかめないじゃない。
辻:あくまでも、仕事のバリエーション、が増えたという認識です。手ごたえはあるんです、こういうやりかたしてたら、いいなとはあるんです。だけど、教わってきたような建築家像が無くなればいいとも思ってないんです。
佐藤:ああいう建築家像は維持できなくなるよ。

辻:全部はならないんじゃないですかね。
佐藤:それはそうだけど、市民の意見が大きくなる税金をベースした建築造りは旧来の建築家像は要らないよ。特殊な不動産屋の建物、東京都心はその建築だらけになってる。あれが超過密都市が人間にいい都市でいい建築なのか、怪しいところが多いよ。
実態としては、人間が暮らしやすく住み続けるという都市ではない、単に経済が回る見せかけの場でしょう。人間が暮らす場ではないでしょう。

辻:東京は特にそうでしょう。
佐藤:資本主義が行きついた成れの果て都市だ。日本人は無防備だからああいうふうになっていくだろうけど。資本主義が悪いわけではないけど、東京集中ベクトルでやらなくっても解は見つかるよ。日本人が都心づくりに参加しているというよりは外国人マネーでの都市市場建築になっている。今の人間にとっては幸福だといえるのかもしれないけど、俺は違うなと思う。違う都市生活の解があってもいい、俺が思うだけだけど。オンライン時代にああいう巨大な建築を造るって正しいのか?否でしょう、。地方でこつこつ、暮らして建築作っているほうが安全でいいと思うよ。

辻:それは人それぞれというか。僕もそう思いますけどね。祖じゃない人も居るし。
佐藤:異常過密都市に居るのは特殊な人たちだよ。そういう成功モデルを担っている建築家は俺はしらないけどね。行き詰って改修する、それが求められての仕事だけ。

:まあそんな感じですか。


403始め大変だった

佐藤:そうだね。いいじゃないですか。大学で学ぶというのは大変なことだな。
:人によりけりですね、僕は大変だった。403やり始めてほんとに大変でしたね。

佐藤:どういうことですか、仲間と一緒に活動やってるから楽しいじゃないの。
:大変だったなという印象の方が・・・。
佐藤:仲間6人の調整が大変だったのかな、
辻:独立してからは3人。

佐藤:3人の方が楽なんじゃない。
辻:3倍時間かかってますね。議論するのに3倍かかる。ああでもないこうでもないで。言ったり、連絡、現場で起こったこと連絡したり。意思決定が3倍になる。
佐藤:デジタル共有じゃなかったのかな。連絡網はHPとかメールなどで簡単に作れるんじゃない、逆なのかな。
辻:これをどうするのか、その判断を2人に仰ぐ。これでいくかどうかの判断、現場に入るとなかなか難しい局面もあって。現場は待ってくれない。
佐藤;それはそうだ、AIに決断してもらうわけじゃないから、人間が決めるわけだから。現場で切羽詰まったときに、意思決定の問題が立ち上がるわけだ。今だと愛パットで即決できるね。
:そうですね、だけど3人のクレジットで出すというのは、あらゆる判断、重要な局面の判断を3人で合意して進めないとクレジット付かない、それは3人とも思っている。一番大事な部分でもあるし、一番大変な部分でもあるし、ドライにやって誰かが妥協して、まあいいかでもクレジット付けるというスタンスで行けるんだったら、それの方が楽なんですけど。

佐藤:ということは403の話は共同会見じゃないと正式なコメントにならない、出来ないということなのかな。
辻:僕がインタビュー受けて僕の視点で話すということであれば、大丈夫
佐藤:大丈夫なのかな。もめないの(笑)

辻:揉めない。ダイジョブじゃないかな。
佐藤:揉めると思うよ。共同研究のことを思うと分かるけど、研究者は一人じゃ発言しないよ。
辻:インタビューに窓口が3人に対してとか、403に対してとであれば、それはお伺いをたてます。

佐藤:「辻琢磨入門」の聞き取りは辻さんがメインだからいいと。
:あくまでも僕が見た、齟齬があったら確認とります。基本はそれはいいんじゃないですかね。
佐藤:共同で行い一人が発言する場合は揉める原因になるのでね、確認しました。
辻:そういう意味ではすごく上手く行ってた。今、活動はだいぶ減らしました。喧嘩分かれとかではないし。解散しているわけでもないので。とても上手くいったほうだとは思います。お金でもめたとかないし。

藤:それはよかったね。
:会ったりはしてないですけどね。
佐藤;若い時に会ってエッセンスを共有しているので、会う必要もないと思う。

;そういう感じです。
佐藤:次に一緒になるかやるかは同じですね、
:そうですね、本当にやりたいような、やれるような仕事が来たらやるし。今は個人の事務所、更新設計をなんとかもっとやっていきたい感じです。

佐藤:辻さんが大学で何を学んだかを知るためにいろいろ聞いているので、よくわかりました。



■建築家の理念

学んだことは建築家の理念だけですね。
佐藤:先生たちの理念、各自異なるということで、自分の理念不在が浮かび上がるわけでしょう。
辻:そうですね、全然違うんだけど。なんとなく根底にある、何かは共有しているから、一緒にやれていると思うので。

佐藤:なんだろうね、それ。
:なんでしょうね。何か、なんていうのかな、あれは。
佐藤:そういう所に居たことないので、俺には分からない。仕事?
辻:なんていうのかな、建築家の社会と都市に対する態度、諦めるなという感じですね。

佐藤:諦めるなって、どういうことだ?
:要するに普通に住宅だけ造っててもしょうがないよね、みたいなことかな。

佐藤:なんでも作るでしょう、難しいな。
:理念をまざまざと言語化したことがない。
佐藤;違いに触れちゃったので、言語化するしかないね。
辻:おそれ多くで出来るかな(笑)
佐藤:失敗していいんじゃないの。

佐藤:建築づくりへの批判は出来るんでしょう。
:そうですね、批判精神、批評精神。
佐藤:解釈精神でもいいけど、辻さんなりに解釈して言語化するでいい。言語化しないと、自分の成りがでてこないでしょう。放置できないんじゃないかな。

:あまり。
佐藤:気が進まないことではあるよね。
攻撃はあまりしたくないからね。
佐藤:攻撃する必要はない、違いを明らかにすればいいだけ。攻撃することに意味があるとは思わないけど。消化しないと。

消化はできている、それが今の活動なんで。形になったとは思います。それは横国を卒業してないと今の取り組みにはなってないと思います。

佐藤:なるほど。その辺りが明らかになってないね。辻さんは素直に社会の状況に応じて建築に建築化に投影して暮らしているんだな、とは思ってました。先生がたの理念を咀嚼してるとは思ってなかったです。
辻:それは直接結びつくことはないでしょうね、ただ社会に対して、何か投げかけをするとか、今の更新設計という枠組みを作って提示するとか。それも含め、建築家としての態度。作品とセットでそういう枠組みを提案する立場。そういう部分に影響はあると思います。ただ、今の社会がこうだから、これでということではなく、反動みたいな部分んもあるとは思うんです。いままでの建築のつくりかた、僕が習ってきたような処は反動になって、こうだといいうのはあるかもしれない。それも含めて、それが無いと反動もできない。
ただ今の社会はこうだから、こうという感じではない。そう思います。

佐藤:だから、一度先生を消化するためには書くなり、言語化しないとしょうがないんじゃない。そうでもない、ぼんやりしたものでもいいのかな、わからないんだけど。

辻:どうなんでしょう。
佐藤:そういうことは考えたことなかったということで、いいけど。
:いやそれを書くとわりと、批判になっちゃうな、とは思ってます。
佐藤:批判になっても先生と違う時代・時空に生きているんだから、いいんじゃないの。
書いちゃうといろいろ面倒なことになる、攻撃されるとか、
辻:攻撃はないと思います。
佐藤:自分の中ですっきりしないと・・・。
辻:そういう意味では両方立てて、何かモノを言えるような解釈があれば、見つけたいなという感じ。

佐藤:今すぐじゃないので、見つけてください。大学に入るとそういう問題があって大変だな、先生がいるということは、親がいるみたいなもので、鬱陶しいものなのかな。
辻:鬱陶しいというか、拠り所でもある。どっちもあるといいか、そうじゃないパターンを想像できないので、受け入れるしかない。居ないというパターンは想像できない。

佐藤:なるほど。面白い。これから楽しみにしてます。
辻:言語化する機会は明らかに少ないですよね。YGSAとか横国で何を学んだかを。

佐藤:だから聞いてるんですけど。この場の答えは俺の問いかけだから。辻さんの問いかけではないから、別の答えはある。どこかで決着つけるのがいいような気がしないでもないね。
辻:決着ってなんですか、

佐藤:分からないけど、さっぱり一人になる気分というのかな。すっきりするかな、社会に生きるんだから何もすっきりせず暮らしていいだけど。
辻:今はそこにというのは無いかな。どっちかと言うと目の前の仕事を着実にやっていきたいということ。
佐藤:それはいいことだね、生活とか目の前の仕事をちゃんとすればいいよ。
:そうですね、何かそういう機会が来ればそれはやるだろうし。今、無理やりそれをやる気にはならない。

佐藤:一生やる必要もないかもしれないし。血肉になっているということだから。
:それは間違いなくあるでしょう。
佐藤:おれが、辻さんのあちこち突いてるだけだから。今は自他の理念についてはやらないということでいいんじゃない。やる気ある人がやるかもしれない。大学は一体なんだったか、問題を聞いてきました。

:なんだったかな。理念を学んだ場所ですよ

佐藤:建築は技術なのか人文系なのか分からなくなる点があるね。
:そうですね。すくなくてもYGSAでは理念でしたね、テクトニクスはあまり教わってなかった。教えられたかもしれないけど頭に入ってこなかった。

佐藤:人手不足もあるし、機械化と情報化も進んでいるし、俺は建築の世界の行く末は分からなくなってるので、興味ありますね。一体どうなっていくだろうと岡に登り眺めたい感じです。

:僕も分からないです。
佐藤:発注者の欲望は肥大し建築家はどう対応するのか、一体どうなっていくのか、気になるね。原発事故のことも、その後の廃炉(特定原子炉廃止)措置のことも、追っていますけど、人間がかわらない世でいいよ。人と関われなくなるのは寂しい気がちょっとする。もうちょつよお祭りつぽいのいいと思うけど。
:いろいろあっていいんでしょうね。妻の話聞きますか、疲れましたか。

佐藤:疲れてないです、奥様はそこに居るんですか。
:下に居ます。
佐藤:時間は大丈夫ですか。
:5時までなら、
佐藤:では1時間お願いします。