鈴木達治郎先生「2010年代を語る」 作成:佐藤敏宏2024・10・18
 その2    

■原発事故下の避難情報

鈴木
:スピーディーが機能しなくって問題になりましたね。
佐藤:便利な道具があったのも当日は知りませんでした。後に、気象庁OBの方が福島市で講演したので、聞きました。彼によると放射能放出量の連絡なく計算できず、機能しなかったと語ってました。
鈴木:計算はシュミレーションだからできる、仮の数値入れればいい。
佐藤:彼はどうしたのか、というとたくさんの点をきめて線量を測って逆に放出量を想定したと語りました。

鈴木:計算はできるんですけど。何百枚もシュミレーションしているんです。風向きによって変わってしまう。どれを公表していいか分からないという話になったんだけど、全部公開したらいいじゃないですか、と提案。選んでる時間無いんだから。佐藤さんの仰るように同心円状に広がるんじゃない、ということを知るだけでも違う。20km圏逃げなさいと言っても、風が吹いたら30kmまで飛んでしまうかも知れないから。風向きによって家の方に飛んでくるのを知ることも大事。その時の風向きによって全然違うかもしれない。あ、こうやって飛んでくるんだと、絵を見るだけでも逃げるから。公開したらいいじゃないですか、これはあくまでも推定値であって測定値ではありませんと書いて公表すればよかった。


 Twitterより落ちてきた佐藤が2011年3月末にしった放射能雲の動き

佐藤:独特の役所の考えかたがあって、住民を信用していない。正しく誘導してあげます、だから不確かな情報をださないという。事故が起きたばかりなので、その発想の仕方が分からなかったですね。福島県人は暴動起こさないと思います。
鈴木役所の人は混乱するという言い方してました。
佐藤:混乱すると言われてもね、混乱させても誰の益にもならないの知っていますからね。
鈴木:現場はもともと混乱しているんだからね。
佐藤:逃げるための基礎的な情報がないと、浪江の避難民のように町内で一番高線量の津島地区に逃げちゃった、と浪江町長は悔やんだまま亡くなった。春先だから南東の風が多く吹く季節、だけど遠くに逃げた。双葉町両竹(もろたけ)に知人が居て、原発の煙突が見えているけど低い汚染でした。距離、同心円状の汚染ではないことがわかります。で気流の流れと放射能噴き出した量で、台地の汚染は雨と雪の有無で決まる。そういう事も、ほとんど分からない。(元・気象庁の方の2013年4月11日講演録

鈴木:そうだから、その日の天気予報と合わせて明日はこっちの方向に流れますよ、と絵を見せてあげればいい。
   
2011年3月13日正午ごろ
福島県田村市の様子
消防団員も子供もマスクはしてない




上二枚 福島民報記事より
佐藤:現在は天気予報アプリをスマホに入れておけば、雨の移動も、風の方向も台風の進路も分かるようになりました。放射能の流れる方向沈着する場所は、そのアプリを見て予想できると思います。地形も影響するのでどこにも逃げず屋内退避が一番いいと分かることもある。日々スマフォ電源の充実が大切ですね。

鈴木:分かる、同心円状に避難指示だして逃げるのがあまり意味がないと。分かる人がいて、逃げないで家の中に居る人が現れるかもしれない。
佐藤:Twitter情報でしたが、最初は2km圏以外は屋内退避とアナウンスあった、その記憶が残りました。

鈴木:それは原則です。
佐藤:今、振り返っても事故直後は屋内に退避している方が無駄な放射能浴びず、吸わずに済む。
鈴木:本当に大量の放射能が来れば家にいても被曝してしまう。

佐藤:風向きで薄まるから即死とか急性障害が起きても即死はないんじゃないかな、そう思う。マスク持たずに子供を連れて外をうろうろしている方がリスクは高かった。が、しょうがないね。

鈴木:しょうがない。何時、ヨウ素を呑むかも混乱していたでしょう。
佐藤:混乱してましたね。ヨウ素配布には年齢制限あると知りました。近所の高校の体育館に行ってわかりました。浜通りから避難してきたおばあさんに聞いた内容です、ヨウ素は高齢者に与えないのだそうです。で、見捨てられたと言っておばあさん泣いてましたよ。記憶違うかも知れないが、ヨウ素の配布は40才まで配布だったかな。高齢者は見捨てられた、そう受けとめ泣く。高齢者がヨウ素を飲んでも意味がさほど無いとアナウンスしてないから、老人は酷な扱いされたと記憶が刻まれてしまいました。配布してもプルーム来た時に呑まないと効き目がない、そう言われてましたし、対応が市町村によって配布はバラバラでした。で、見捨てられたという意識が刻まれやすいですよ。
原発で過酷事故が起きたときの避難方法やヨウ素の与え方が住民に知らされてはいなかった。安全神話によって思考停止になっていたので対策がないなか、被災民は右往左往してしまった。だから原発が傍にある行政で100キロ圏内はプルームが来て被曝すると教え、対策を教育しておくべきでしたね。
私は、チェルノブイリ原発事故時の放射能拡散図を見ていて、風向き次第だから何処にプルームが落ちるのかは分からないと思ってました。雨でもって東京圏に落ちなくってよかった。

鈴木:千葉の柏の方には結構届いたんですね。
   

2024年10月28日午後の気流


普段からマスクとタイベックスーツを備え
身に着け可能じゃないと
原発事故対応は不可
で、屋内退避が安全性は高い
そのように思う
     左絵 佐藤が最初に見た汚染図
Twitterから。
米軍機飛ばして採取とのこと
福島市は黄色
沿岸部のほうが
汚染が少ない地域もあることも分かった

佐藤
2号炉の格納容器が割れた朝(3月15日)、北風吹いていたので、放射能は南に流れたんだ。
鈴木;そうそう。今思えば大変でしたね。あんな経験は二度としたくないですね。
佐藤:福島県民は安全神話のもとで原発事故後の対応知がない。そのことが一番の問題でした。しなくていい不安をもちながら避難行動もする。鈴木先生たちは全機爆発するとは思わなかったですか。
鈴木思った。1号機爆発した瞬間に原因が分からないですから、原子炉が破裂したと思ってしまった?同じことが2,3号機でも起きるかもしれないと。

佐藤:5,6号機は点検していた、がそれも知らなかったです。ですから全建て屋が吹き飛ぶと恐れて放射能の情報探ってました。
鈴木:4号機も止まってました。4号機の使用済み燃料のプールが一番怖かったです。
佐藤:量が多いし露出してますから全量取り出しが済むまではずっと心配してました。
鈴木:爆発しちゃってから、写真で見たら瓦礫が飛んじゃっていて、プールの水なくなったんじゃないかと心配した。 朝日新聞の青木美希さんの本にインタビューされて書いてあります。
アメリカの友人からメールが来たんですよ。彼はホワイトハウスに入っていた人だったので、達、お前は4号炉のプールに水が入っていると思うか、というメールが来ちゃった。現場に行かないから分からないけど、写真見る限りは爆発しちゃっているから、水が無い可能性は十分にあるよ、と返信打ってしまった。
後から水が残ってたと分かったから、よかったですけど。NRC(米原子力規制委員会)の当時アメリカの規制委員長さんも、もう水が無いと判断しちゃって、で80km避難としてしまった
使用済み燃料の水は大丈夫か、と聞いたのは1日目の夜にフランク・フォン・ヒッペル先生から初めてメールが来た。さすがだなと。私はスタッフの人に計算して!どれぐらいの時間持つの、と。今は70℃ぐらいだというから、1週間は大丈夫だ、と言う。だけど、水が無くなったらアウトだろう、と言うんだよ。使用済み燃料プールだから大丈夫だ、と言うんだけど、結局、4号炉が一番危なかったですね。量はフルに入ってましたからね。

佐藤:どうして身の回りが放射能汚染したのか、長い間分からなかった。3月15日2号炉の格納容器が割れ放射能が噴出した、それを知ったのは、資料や公文書を申請したり、ネットでデータを手に入れたからなので、だいぶ後です。
鈴木:2号炉の量が一番多かったですよね。
佐藤2号炉は水素爆発しなかった。後で聞くと、それは1号炉爆発で2号炉の外壁が壊れて水素が溜まらず吹き飛んで引火しなかったと、後で知りました。単なる偶然で、三機吹き飛ぶ絵を観ずに済んだ。今でも事故の経緯が記録されて編集された記録がなく、共有すべき資料が出来てない、と思います。廃止措置中で原発事故は終わってない。

鈴木:おっしゃる通りで、NHKの原発事故、Nスぺを本にしたのがあって、なかなかよく出来ているんですよね。いまだに調査しています、NHKが調査して、なんで政府が調査しないのか、と思うけど。国会事故調も提言しているんです。全貌がまだ分かってないので。

佐藤:NHKからも事故関連本がたくさんでています、署名を教えてください。

鈴木:・・・本棚をさがす・・・『福島第一原発の真実』上下。これは後ろに解説を書かせていただいたのです。講談社文庫から出ています。
佐藤:その本が正確ですか。

鈴木:一番よく出来ていると思います。専門家が分析して新しい事実も一杯書いてあります。


   

日本被団協 ノーベル賞受賞者となる

佐藤:長崎も日本被団協の方々がノーベル賞を受賞され盛りあがっていると思います。活動を参照に思うことは原発事故の事実の記憶を共有し、どう伝承していくのか、うやむやになっていると思います。原発事故後、県立図書館には特設コーナーが設けられ、日々書籍は増えています。が、福島第一原発事故の通史のような書籍が無いです。

鈴木先生は若い人とともに核兵器廃絶運動も行われています。福島の原発事故の場合は大きいものは伝承館ぐらいしかないので、次の世代の人々が共有すべき情報が整理されていないと感じます。私設の伝承館もできているますが・・。

鈴木高村館長、事故後福島と寄り添う長崎大学の教授と紹介されてましたよ。

佐藤:伝承館は福島イノベーション・コースト構想の組織に組み込まれていて、福島県の組織ではないんです。建設時は県建築課などが関わって建設しました。が、その後の運営は機構の中の伝承館になっています。だから県を調査しても、機構で聞いてくれと言われます。

鈴木:そうなんだ。国の外部組織じゃないんですかね。


 イノベ機構組織図 サイトへ


佐藤:分かりにくいです。理事長はIHIの元社長で、民間の組織構造になってますね。民間組織に県民が文句を言うのは筋が通らないですよね。他方、原発事故は継続中で、デブリも取り出せてないので、事故は終わってないですから、伝承館は存在が矛盾しています。事故は済んだ、〆のコーナーはドローンを飾ってます。福島はロボットやドローン基地、水素もあったかな・・・福島再生だと言いたいんでしょうか。

鈴木:伝承館の場所にはビックリしたんですけど。まっさらな敷地に津波が来たらアウトでしょう。

佐藤:調査中です。県の建築関係者にも、東日本大震災・原子力災害伝承館(以下伝承館)建設前の議論も公文書開示請求したので公文書を手に入れました。伝承館が発電所と対面していない、向いてない点は重大な欠点だと思うんです。

鈴木:向いてない。海を見てる。

佐藤:広島の平和記念公園、資料館行くと原爆ドームを向いている。長崎資料館と爆心地はセットになっています。
鈴木:そうそう、平和公園、あれはちゃんとデザインしてある。

佐藤:丹下健三の設計です。福島の伝承館も広い敷地があるのだから、広島・平和公園の思想を引き継ぐべきだった。何に向かって対峙しているのか重要なんですが。
鈴木:確かに。
佐藤:伝承館と原発の間に双葉町の産業交流館センターが設置されているので、目隠し、屏風のような機能を果たしてしまい伝承館を訪れても事故原発の方は見えない、見せないようにしていると疑いたくなります。
鈴木:交流館のほうは4階まであるから屋上にあがると煙突は見える、伝承館は2階建てで屋上も少し。

佐藤:そうです。伝承館で不満な点はまだあります。その一つは一筆書きで見せる、学ぶが基本になっていて、鑑賞者はトコロテン式に押し出される形式です。あの構成は古いと思います。
各セッションから出たり入ったりしながら、資料を見て考え議論して、また展示室を選び戻れる構成がいいと思います。もちろん事故が継続中ですから、ドンドン新しい伝承すべきことが積み重なって量が増えますし、新事実も見つかる。
資料庫とワークショップ机と展示室を自由に行き来できる形式が、事故が収まっていない現況にも合っていると思います。1階と2階は現在の逆の構成でいい。現状は一筆書きプランで、最後はドローンで〆られています。津波も原発事故にもドローンは無関係だと思います。
次世代の人たちが福島の原発事故を学ぶ形式ではなく、大人たちは事故をこう考えた、と押し付けられるだけです。展示業者が主導したようにも思います。展示費用関係が11億円ほど、建築費26億、展示費用も金額が多いんです。公文書公開してもらい持っています。

鈴木:えー、それは凄いね。

佐藤:建築図も公開してもらいましたが、金額や事前の議論を詳しくは分析はしてません。

鈴木:入った瞬間にでかいホールがあって5分間の映画がある。あまり意味ないよね。もったいないよねあの吹き抜けのところ。

佐藤:同意します。来館者用に世界の原発事故史の図書館に転用したほうがいいですね、登り切ってから入り口が狭くて暗い。




鈴木
:2階、入り口一つしかないですよね。
佐藤:一つです。一筆書きのように訪問者もなぞって歩く。最後はドローンを見て帰る・・・なんなんでしょうか?原発事故後伝承すべきことは、ドローンで福島が復活する、ということでしょう(笑)。それならイノベ機構の宣伝施設に成り下がってしまっているのではないですか。民間施設なら分かるが多くの人は公共施設だ、と思い込んでいる。

鈴木:去年、公害資料館のネットワークというのがあるんです。それのフォーラムが福島でありました。

佐藤:鈴木先生語りとずれてしまいました。フクシマのことを語っても尽きないので元にもどしましょう。伝承すべきはこれ、事故の資料はこれ、と整理する人と場所は要りますね。
   
絵web地図より。
絵の下が南の方向で発電所(下図参照)
左 原子力災害伝承館
中央の下 産業交流センター



プロメテウス罠

鈴木:事故処理も東電に任せていると、それもうまくいかないと思うんですよね。東電が情報を管理しちゃうので、うまくいかない。国が責任をもって対応するようにしないと。事故については、それだけで語りあっても、いいかもしれませんね。

佐藤:鈴木先生の2010年代語りから離れてしまいます。が目的は若い次世代に原発事故をどう伝えるのか、です。自分たちが事故起こしたんじゃないけど現役世代は責任を負わなければいけない、その問題も未解決で、あります。
鈴木先生の2010年代語りにもどりましょう。
2012年に核燃サイクル、をめぐる攻防、プロメテウス罠とあります。あの連載は依光隆明さんが始めました。依光さんご存じですか。

鈴木
:知っている、彼は移ったかな。
佐藤:高知新聞から朝日新聞へ。花田先生と共に早稲田でジャーナリスト教育を実践されていました。プロメテウスの罠の後は諏訪支局に配転でした、今は高知でNews kochiで発信中です。

鈴木
:プロメテウスの罠取材班は、毎日新聞の記事を読んでいて、おかしいんじゃないかと思って取材に来てくれた。その中でそういう体験がありましたか、という話になったときに、最終的な原子力委員会の決定文があるんです。その文章のドラフトを書いている最中にいろいろ書き直されたという話をした。それがちゃんとした記事になった。裏採ってくれて、情報公開請求して、私の書いた原稿ドラフトと、出てきたドラフト、毎日新聞とのスキャンダルで学んで、ワード・ドキュメントで履歴が残るようにして残す、と決めたので履歴は全部残し、誰が履歴を直したか、ワードに残る、そのまま残してあったのを情報公開請求して、私のオリジナルと、事務局、電力のスタッフが書き直した文章を全部、彼が見つけてきてくれた。
裏採れましたと言って記事にしてくれた。

核燃サイクルについていろいろ選択肢があるので、全量処分、15%再処理、直接処分、20~25%再処理、直接処分などの提言をだすんだけど、再処理と直接処分と両方できるようにしたほうがいいんじゃないか、原子力委員会の提言になっているんですが、全量再処理をどうしても残したい、という人がいた。

で、全量再処理も残ってしまった。残ったのはいいんだけど、三つのシナリオを考えたら、将来どれになるか分からないので、全量再処理はもうやめたほうがいいんじゃないか、という文章を書いた。核燃料サイクル政策は変更されるべきものとする、と文章で書いた。

そしたらビシビシっと電力業界の人が・・・。

佐藤:今になってみれば鈴木さんの方が正しいと分かるけど。

鈴木:そう、で、削除されて現時点では、どの選択肢を選ぶにしても将来の政策変更に対応できるような備えを進めることが重要である、と長い文章を、近藤節です。

私はこれには全然不満で、これでははっきり意味が分からないので不満。で、政府に発表するときに定例会で、分からないのでここはこういうふうに書いてあるけど、これは柔軟に対応すべきだと書いてある意味は、全量再処理を見直すべきだと、いうのが私の意見です、という発言を定例会でした。そしたら新聞記事になった
その時はもちろん委員長にも相談して、「言っていいですか」、と、聞いた。お前の意見は勝手に言っていいよ、と言われて、じゃ~言いますと(笑)
佐藤:両方ありとなったんですか?

鈴木:なってない、まだ全量再処理のままだ。結局私が失敗しちゃった
佐藤:まだ諦めてない、と2000年代語りで仰ってました。
鈴木まだ諦めてないです。この時絶好のチャンスだった。民主党政権は全量再処理はもうやめて、六ケ所は動かしてもしょうがないけど、将来は直接処分も可能にしようと言って。それで手を打とうと、経産省にも文科省にも話をつけて。ほぼ話ついていたんです。
それなのに青森県が反対して、だめになった。

佐藤:お金もからみ、むつ小川原計画から続いていた六ケ所村再処理工場ですから、複雑になりますね。青森県は簡単に同意しませんでしょうね。

鈴木:この文章を書くのにたいへん苦労しました。私がほとんどドラフトを書いたんだけど、とにかく直してくる。近藤委員長は、いうこと聞いちゃうわけです。

佐藤:ここは複雑で微妙な絡み合いがあると思うので、自伝を書いてもらうしかないですね。
鈴木:ははははは。ここは新聞記事になっているから皆さん知っているので、ここは言えるけど、さっきの話は言えないね。青木美希さんにインタビューされた。で彼女の本にはけっこう書いてある、電事連にいろいろ言われて大変だった、と。
たぶん今も同じような事が起きていると思うんです。核燃料サイクルは全量再処理は見直すべきだというのは、柔軟に対応すべきみたいな話は今も書いてある。何が柔軟なのか分からないんだけど。将来の政策変更に対応できるような備えをすすめること、という意味は直接処分を可能にしなさい、という意味だと近藤委員長は解説するんだけど、これでは普通の人は分からない。

佐藤:直接処分できない国は日本だけなんでしょうか?

鈴木:中国はどうかな、ひょっとしたら日本だけだと思うね。

   
 
佐藤正力松太郎が東海村の原子炉、実験炉を造るときに、「イギリスはプルトニュウムを資産計上できて、使用済みの燃料を日本は計上できないので帳簿上は成り立たない」、と役人の方が忠告したそうです(『巨怪伝』参照)。
今でも使用済み燃料は電力会社の財産として計上してる、直接処分してゴミにしてしまうと、潰れるかどうか分かりませんが、かなりの損失金を帳簿処理しなければいけなくなる。で、ゴミにしないのかなと思ってました。

鈴木:潰れはしない。が、全部一緒にゴミにする必要はまったくない、並存とはそういう意味で、凄い柔軟で再処理するまでは資産として計算しておけばいい。最終的にゴミにしますと決めた瞬間に、廃棄物処分場に持って行く。そのときに初めてゴミだからゼロ円にする。電力会社が持っている間は資産として計上しておけばいいんですよ。
これが全量直接処分になってしまうと、全部負債になってしまうので、可愛そうだから。

佐藤:並存案は帳簿上も賢い対応ですね。
鈴木:そうなんです、どっちかにしろと言っている国はどこもない。イギリスもアメリカも両方あり。決めるのは企業。アメリカは軍事用の再処理は禁止したのかな。当然民生の再処理もやっちゃいけない、となった。どっちにしろ、というのがおかしいです。ドイツも日本と同じで全量再処理だったんです。法律でそう書いてある、80年代にすぐ、改正しました。

   

佐藤:80年代に分かっていたことを日本政府はいまだに対応できていないのは、なんんて愚かな。
鈴木:愚かなのは彼らもなんだけど、それを直せない日本社会、私も含めてなんだけど、どうやったらこれを変えられるのか、な・・・・・。政権交代あってもダメだったんです。政権交代あればできるかと思っていたけど、出来なかった。深刻な問題ですよ。
今の沖縄の辺野古基地問題もそうです。どう考えても無理だよね、工事続けてはいけない。ぜんぜんやめるつもりない。私が平たく第三者機関が必要だと言っているのは関与している人たちが意思決定してては変わらないからですよ。裁判所もだめだからな。

佐藤:関与している人たちに、うま味があるから、変えなくっていいよ・・・となる。で、ずるずる続けてしまう、のちのち非常にこまりますよね。


関西新空港の話 

鈴木:関西新空港の話はしましたっけ。
佐藤:聞いてないです。

鈴木:MITの私の恩師が都市計画の専門家で、しかも空港計画の専門家なんです。彼が日本に半年かな、サバティカルで来て、日本の空港計画を調べたんです。時期はちょうど関西新空港が計画に入ったばかりだった。
彼が関西新空港の歴史を調べた。そしたら、達、おかしなことだ、あれはどうしてやめられないんだ、と。和歌山の陸から5kmの所に空港を造ることになっているんだけど、5kmをどやって決めたんだ。騒音対策だと言う。5kmが4kmでだめで7kmまで引かなくっていいと誰が決めたんだ、と、目安で決めたらしい。5kmの所を掘ってみたら軟弱地盤だった。
その時に普通だったら、5kmの建造はやめるじゃないか、と。もっと先まで、あるいは別の所を探すかだろう。なんと日本は5kmが義務でそれを変えないで、軟弱地盤でも造れるように、コンピュータでコントロールしているんです。油圧ジャッキを下に埋めて、ずれたら水平に保つようにしているんです。ものすごくハイテクなの。だから1兆5000億円。当時は世界でも最高の金額です。
彼は建設省の役人に、何で他の所を探さないんだ、他のところ一杯あるだろう、と聞いたら、決めたものは変えないんだ、と言われた。こんなクレージーなことがあるか、と言ってきた。私は分かりました、どうしましょうと、どこかに発表できないか、と言うからアエラにインタビューしてもらった。で、アエラにデカデカと彼のインタビュー記事が掲載し出たんです。ちょうどその頃関西新空港の本が出た。そこだけで終わっちゃう。結果的に騒音問題も解決しなかった。地元の人たちに保証金を払っている。

騒音問題はアメリカはどうしているんですか、と聞いたら当然アメリカでもある。でも離着陸の方向性さえ考えれば騒音はかなり減るという。陸地に向かって飛ぶから騒音が五月蠅いんであって、海に向かって飛べば問題ない、滑走路の位置を変えればいいんだと。確かに。

佐藤:計画時には簡単なことですね。
鈴木:ちょっと向きを変えればいい。
佐藤:2010年代の初めは東日本大震災もおき、鈴木先生は対応など大変な時期でした。
鈴木:高レベル廃棄物の話も長くなりますね。


   
絵:関西新空港

長崎大学へ

佐藤:2014年に長崎大学に。
鈴木:原子力委員会は任期が3年なんで、2010年から2012年の12月31日でお役御免です。ところがスキャンダルがあって原子力委員会の見直し議論が起きて、原子力委員会の改組が入るんです。5人態勢から3人態勢になって、役割が減る、弱体化してしまう。2013年の夏ぐらいに議論が起きてたので、残念ながら新しい原子力委員会の委員を選ぶことができません、と言われて。任期を延長します、と。いつまで延長するの、と聞いたら、見つかるまでだから分からない、と。5人の内の2人の非常勤の人は予定通り2012年の12月31日でお仕舞。常勤の3人だけが残った。

任期延長がいつまでになるか分からない。原子力設置法も改正して3人になるというのも、1月の正月明けですぐぐらいに呼ばれて、法律改正になりますのでこれからは3人態勢になります、今から新しい原子力委員会は3人になります。いつになるか分からない、法律改正の内容も相談なくて酷い話でした。それはそれでいいんだけど。いつになるか分からないと言っていたのに、1月の20日ぐらいになって、見つかりました、で、3月31日に代わりますと。ちょっと待て、2ヶ月しかないじゃない。俺たちは職探さなければいけない・・・メチャメチャ。
実は2012年にRECNA核兵器廃絶センター)が出来ている。その時、梅林センター長が就任した時に73才、自分は一期しかやらないので3年経ったら後任を探す、と言っていて。2013年の春ぐらいに私に連絡があって、12月31日で辞めるんだったら、辞めたらRECNA来ないか、と話があった。残念ながら原子力委員会の任期が伸びそうなので何時になるか分からりませんと、言ったら、待っている、と言ってくださった。

で、2013年の3月で原子力委員の終わると分かった。で、大丈夫ですかと(笑)、分かった、と言われ、急遽長崎大学に決まる。大学が決まるには半年ぐらい掛かるんです。それを急遽3ヶ月で対応してもらいました。実際に就任したのは4月の中旬でした。

佐藤:核兵器の廃絶、核の不拡散、ポスト福島の原子力政策を三つの柱にして長崎大学にて新スタート。これだと鈴木先生世俗から離れて落ち着きいい感じですね。

鈴木:気分的にはプレッシャー無くなったし、原子力についてはしばらく休んで本格的に長崎に行った、で、一人暮らし。長崎、そんなに遠くないですよね。飛行機で2時間だから。

佐藤:鈴木先生の研究されてきた内容と提言は、政治家や役人、電気業界に活かされていないような気がします。

鈴木:核兵器廃絶、こっちも行政の壁は厚いですよ。同じです。大学の中の自由度は東京大学よりずっとフリー。雰囲気ものんびりしているし。とても素敵な街なので、私はすぐ気に入ってしまって。最初は2、3年でいいやと思っていたんだけど、これはしばらく長くいそうだなと。
佐藤:今年の5月末に長崎市に人生初1泊二日滞在しました、この町はいいなと思いました、2日間の記録を作って刻みました(笑)。いままで私が訪ねた地のなかで長崎も独特で歴史的な出来事もたくさんあったし、江戸期に海外に開かれていて、その自由度とフロンティア精神があるのはいいですね。豊かさと世界中からもまれ、交流してこそ成るんだと分かります。(参照:『戦国大名と大航海時代』)

戦国時代とキリスト教の問題、いわゆる鎖国問題と出島の現状ともつながっている。キリスト教と資本主義が一気に押し寄せてきても、植民地にされなかった。当時の日本・地力の強さも、長崎に行って分かりました。西坂公園に立つとキリスト教徒の被害者意識が保存されて誰でも見ることができるんですが、彼らは加害も奴隷も植民地も手にし布教してたので、そこに触れてないところも興味深いです。肉も食べ、砂糖で造ったお菓子や食べ物、それらはみな美味しいです。
長崎被団協の方々も息長く原爆投下後問題に関わっているリアルな方が生きている場所としても貴重です。

フクシマ問題はまだ13年しかたってないんだけど、語り合っている人見えないです。原発事故を継続的に伝えようとしている人は少ないです。外部からやってきて伝承活動している人たちが目立つ程度です。地元の人たちは原発と共に貧困から脱した暮らしでした。で、県内でも所得が高い地域でしたので、事故伝承は難いのかもしれません。行政の人たちもそういう思いですね、加害も被害も自分だという意識がありますから、白黒つける伝承も難しい。

長崎では若い人が地元に戻って仕事をつくり、核廃絶運動に加わって生きていく活動があるのは、見習うべきですね。

鈴木:いわき市にあるじゃないですか。

佐藤:そうですか、福島県「ははま・なか・あいづ」という称されるほどに違う。それぞれに阿武隈山、奥羽山脈がありますし東西の交流は少ないかもしれません。東西に磐越西線、磐越東線はありますけれど利用する人が少ないです。
鈴木:南北には鉄道はありますしね。



佐藤
:浜通りの人々は上野・仙台へと行き来し、中通りは奥羽本線、東北本線、新幹線あります。会津は新潟や栃木県との交流が豊だと感じます。江戸期の藩の構成も地形に逆らってないですし。

鈴木:新幹線はいわき通ってないものね。

佐藤:山を隔てて、それぞれ文化が違うとは感じます
鈴木:福島の原発の体験をどうやって伝えていくのか、深刻な問題ですよね。

佐藤:そうです、身の回りの誰もその気になっていないのが不思議。鈴木先生の関わる、核廃絶の活動や他の方の核に関する活動を聞いて分かっても、では実際に原発事故後問題を、福島の地でどう継承するのかは難しい問題です。被団協の方々も原爆投下されて直後からスタートしたわけではない。スタートまでは長い時間がかかっているようなので。

鈴木:なんていうのかな、団結力というのかな同じ体験した人たちが同じような被害の感想を持っているんだけど、福島の場合はバラバラじゃないですか。

佐藤:そうですね。原爆投下と違い、団結がそがれるのは原発で働いて生きている人が大熊町の町民だったり、周辺市町村の住民だったり県民だったりしますから、団結しにくい。でも福島原発と名づけられてしまっている。
原発事故が起きて避難してしまって元住民が帰還しないと、将来、大熊町の町長さんが電力の元社員である可能性は否定できない。で、原発事故について語り合おうとは言わない、福島市の者からは言いにくいですよね。
原爆投下後の明確な敵がフクシマ問題においては不明です、突き詰めていくと、自分たち、身の回りの人に関わってしまう。県は誘致して交付金で財政も支えられていたんですから。原発事故の被害者はだれか、それを突き詰めていくと、日本人一人ひとりになるんだけど、大熊町だ、双葉町だ、いや浪江町だと、分断されてしまったりする。逆の加害者も同様です。その問題もあるので語り合いにくいです。だからこそ原発事故後を語り合い共有すべきなんですけど。

鈴木:たしかに、原子力市民委員会というのがあるんです。脱原発を目指しいるグループがあって私もアドバイザーになっています。1月前に福島で会議を開きました。オンラインで聞いていたんだけど、地元の方がひとりずつ喋った。みなさん恨みつらみ、全然、変わってないのでビックリしちゃいました。

佐藤:福島県は全県あげて原発を誘致したし、水力発電では尾瀬や猪苗代は東電の水利権域です。長い年月にわたり電力県が福島県議会の誇りだったわけです。明治以降の背景も知らないと、平和利用もアメリカの核兵器政策の中での原発なので、正力松太郎中曽根康弘などの戦後米国エージェントたちが活動した結果、原発事故にまで繋がっている。で、それらの背景を知って語り合えると、いいんだけど。

鈴木:10月7日の会議です。彼らの活動はホームページでしか知られてないので15,6人です。
佐藤:マスメディアが作り出す負の影響が対立構造を作りだします、とういうことですかね。東電悪、脱原発善という対立。単純にし対立構造にしてニュースを流すので・・・原発が福島県で電気が造られてきた歴史を振り返る時間がない、というか切り捨てられてしまている。被害者意識だけが大きくなって残るのは、そこの問題です。共有すると言っても恨みつらみ語りが一番単純ですから。これでは思考停止になって人間の活動を否定して先に進まなくなってしまう。だが自覚できないので被害者のままで語り続ける。

鈴木:凄かったです。ビックリしちゃった、事故直後とほとんと変わっていない。いい意味で記憶を継承している、風化してないです。今の廃炉の問題、廃炉措置の問題から始まって、いつになったら帰れるんだと。その話が全くで、てこないじゃないか、と。相変わらず廃炉40年と言うけど、誰も信じていないぞ、とか。補償だって東電に任せきりで、国は何もやってくれないとか、帰って来たい人たちだけOKで、帰ってこない人は補償はダメ、そういう差別が一杯あるとか。福島原発事故直後の不満とまったく変わっていない。
   

佐藤:同じ内容で11月10日に伝承館の語り部の方が講演する場があるので、聞いてみます。同じだと思うな。
鈴木:びっくりしちゃった、あれが本音なんだと。処理水の海洋放出のアンケート調査を見ると福島県の方もあれは仕方がない、大丈夫だという意見が増えてきている。でもぜんぜんそんな感じではなかった。

佐藤:活動が党派別に分かれてしまっているので、なんとも言えない点はあります。今回の総選挙も野党がバラバラで叩き合う。あれと一緒だと思ってます。被害者がまとまれない、結集できない問題。知恵が無いというしかない。
鈴木:政権交代の絶好のチャンスなのに、だめだね。

佐藤:長年の安倍体質政治を脱することができるはずなのに、バラバラになってしまう。政治の話は尽きないです。一強の自民党は割れ、立憲も割れ、多数党多弱で、政策ごとに合意となり、政治状況が変わり政策も更新されるんじゃないですかね。多様な社会をつくる気持ちなら、政治はそうなる。まだ一強とか二強とか言っているので現況に合ってない。

鈴木:国民民主党がまず(与党に)行ってしまうかもしれない。

・・・・・ 政治談議がつづいている・・・・。

佐藤:米国大統領選もありますし、政治状況の先がわからない。北朝鮮兵もイラク・ロシア戦争に参加しているとニュースがながれています。2010年代を語る前半で2時間経ってしまいました。

鈴木:次回は「2010代後半語り」をやりまししょう。

佐藤:そうですね、パグウォッシュ会議2015年からですね。次回をここから始めたいと思います。鈴木先生もマスメディアに登場して、エライコッチャになった2010年代前半でした。

鈴木:子供たちが、NHKのニュース9で悪者扱いされ、アニメで叩かれているのを見て、みな笑っていた。私が耳がダメになってしまって・・・家に居る時間が長くなっちゃった。ニュースをしょっちゅう見てた。(笑)世の中ってあんまり関係ない、忘れてしまうんですよね。

佐藤:マスコミが流さなくなるから、それでお仕舞。後は未解決のまま忘れさる。受動的な人が多いでしょうか、それを知っているから政治家たちは続けていられる。

鈴木:大笑いしている

佐藤:特に安倍的政治家は大衆・主権者から学ばない。不記載(裏金)問題も、そのうち忘れるだろと思っている。民主主義などなりたたないと思っているから、放置しておけばそのうちマスコミも新しいニュースに飛びついて、みんな忘れてしまう。その繰り返しで更新されないこ事ばっかりです。

鈴木
:本当だよね、旧統一教会もどうなっちゃったんだんろうね。

佐藤:森かけ桜、問題なども忘れ去られてしまった。鈴木先生のアメリカ仕込みの研究に基づき進言しても受け入れられない、それを知っただけでもありがたいです。あとは原発事故をどうやって日本人の共有財産にしていくのか、それも残っています。

鈴木:デブリも3グラムも取り出せないのに880トンどうするつもりなのか。
佐藤:「取り出せません、廃止措置できません」と言わないのは今まで通りの手法ですね。あれにむらがると、打ち出の小づち、永遠に儲け続けられるから。
鈴木:メーカーさんは儲かるでしょうね。

佐藤:福島問題は巨大国家プロジェクトの悪い面が露骨になっているんです。日本の廃炉術は世界中に出ていき、儲ける世は来るのか?、今回はこんなことで〆たいと思います。次回は2015年から始まるというこにしたいと思います。

鈴木:11月に2010年代後半をやりましょう。


佐藤:鈴木先生が関わって世にでた本のリストはありますか。
鈴木:一応あります。
佐藤:著書は凄い量ありますか。
鈴木:リサーチマップといのがあって、最近全部電子化されて、そこに行くと見れるようにはなっています。ほとんど共著なので単著は例の『核兵器と原発』 ぐらいなものなので。

佐藤:2000年代で提案したように共著を抜き出して全集を作るというのがいいかもですね。次回は2010代後半でお願いします

鈴木:では日程調整しましょう

佐藤:よろしくお願いします。ではさようなら。大変面白かったです。
鈴木:(笑)では失礼します。

ではさようなら  次回2010年代後半かたりとなります


   
 
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