映画 『ライオン・キング・ムファサ』鑑賞録 作成:佐藤敏宏 2025・1・2


2024年末、フォーラム福島で上映中のお正月映画、『ライオンキング・ムファサ』字幕版を観る客は10人足らずだった。親子連れは、代わりの映画館で吹き替え版を観て年末を過ごしているから少ない客なのだろう。

映画館、オンライン化進む

映画館はオンライン受付で席の予約ができるようになって、1年ほど経った。各・職域での人件費削減は福島の映画館まで押し寄せている。若者の働く職場がIT技術によって縮小するのはよいことなのだろうか、浮いた人権費が福島の商売には向かうことはないだろうし、若者たちはバックヤードの隠された仕事を担う、パートタイム労働に置き換えられ続けるのだろうか、だとすれば心が痛むばかりだ。

映画館の受付で事務手続きのように料金を払うと、下図のシールが渡される。ムファサタカキロスの三角関係は、同映画に数多く設定されている三角関係のなかで、最も見せるため作った肝の三角関係を、玄関先で客に提示し、この映画の筋書き、物語に必要な関係の理解促進を図っているようだ。人間の社会は簡略的な三角関係で描き、善悪二項対立に仕分けできるほど単純ではない。その点を注意し鑑賞する必要がある映画だった。

いただいたシールを観ると、左から太陽を背にし顎をあげたムファサが主役で、真ん中の所在なげなタカは右往左往する役柄に見える、右がわにあるキロスは氷の世界から現れた強面の白ライオンで悪役、冷たい者として設定し客を誘導していることが分かる。



『モアナと伝説の海・2』(感想録)につづき、ディズニー映画を観ることにした。本作は世界でヒット中なのか?それは知らない。続けてディズニー映画を見ることで、米国の2020年前半の制作者の意図を知ることができるような気がした。

関係があるのかは不明だが、2024年末に二度目のトランプ氏を大統領と選出した、米国の人々。彼らは新自由主義を捨てたかのような、自分主義の政治を強く押す政治家を選ぶ、そんな世において、映画のアメリカ人制作者観客、その関係を想うことに佐藤の関心はあった。強い者に憧れたり、そのような政治家を選ぶ社会は不健全ではないか、と思っているからだ。人はなぜ強者にあこがれ、強者を選ぶことに無自覚なのだろうか、その答えもわかるかもしれない。



日本人が初めて観た体がライオンで顔が人間の像
1864年日本人が初めてスフィンクスと対面した写真
webより遣欧使節団の武士たち
我が家にも獅子頭

我が家にも正月飾り用の獅子頭(ししがしら)は2つあるので、多くの家庭に飾ってあるだろう。佐藤が幼少の頃(60年ほど前)、どこからともなく現れる、門付(かどづけ)芸人たちが獅子頭を片手に、多少の舞いを披露しては茶碗一杯の米を納める、と去っていった。現在身の回りで獅子舞はみることがなくなったが、伝統保存会がある地域には今でも正月に舞う芸能の一つだろう。また、獅子頭は神社の門飾りとして、左右に阿吽の狛犬(獅子)が鎮座しているので、由来は知らずも日本人にはなじみのキャラだ。架空の動物だが、身近な神社を世間の邪気から守る、神聖な結界の始まりに設えなくてはならぬアイテムだ。狛犬のない神社の門は、鼻の頭の無い顔のようなもので、締まりに欠けて見えるかもしれない。

狛犬と似たものでライオンは古代エジプトやメソポタミア文明において、勇気統治者の象徴とも言われたようだが、現在は獅身人面・像(ししシン・じんめん)のスフィンクスやピラミッドを観に、日本から遠くエジプトまで出かける人も多いだろう。それほどにライオンと王の関係は脳の古い記憶になってしまっている。しかし、ライオンを見て獅身人面像へ至る古代人の想像力は現在の日本人でも分かる。動物園ではライオンもパンダと双璧の人気ものであろう。

我が家族は猫4匹と暮らし、日々彼らの行動を観ている。ライオンがキングに至る私の想像は乏しく、年中寝ている子つまりネコのままだ。たまに野良猫が庭に入り込んでくると、飼い猫がたてがみを逆立て牙をむいたときに、それらしい─かって野獣の王の仲間─風貌を見せることがあるぐらいだ。

中世ヨーロッパでは、ライオンが多くの国や家系の紋章に転用されたそうだが、日本の中世の武士たちが獅子頭のを作った、という話は聞いたこともない。日本ではキングなどには値しない、ネコ系はペットあるいは動物園の人気者なのだ。



獅子狛犬の違いは口にあり?
古代オリエントから辿る狛犬5000年の歴史(webへ

手塚治虫作ジャングル大帝
粗筋

『ライオン・キング・ムハァサ』は両親、群れから離れてしまったムハサが、自然現象や地形から生まれる自然災害、それらに加えライオン同種の勢力や覇権争いによって起動してしまう、多数の艱難辛苦を克服し、動物の仲間から支持を得ることでキングに成長する、その姿をロードムービー形式を用いたキング誕生譚だった。

日本のキングあれこれ

日本の戦国武将に照合して無理に書けば徳川家康といいたいところだが、家康は乱世を平定し、人々に戦闘のない260年ほどの天下泰平の日本近世をつくりだした、その偉人だから比べることにさほど意味は無い。

日本には野生の狼を神として祀ったり、天井画にしている神社は福島県内にもある。検索すると、日本に生息していたニホンオオカミは、田畑をあらすイノシシ鹿を狩り、農地を守る存在として人からあがめられていた、とある。定住し田畑を耕し暮らした人々が、野生の狼を神と崇め祀った、古の人々の思いは狼を狛犬のような門番に格さげせず、神として扱う人々の農耕による豊作を願う、そのことはだれでも理解できるだろう。

投資を推す、金儲けを優先するIT時代の世にあって野生の外敵は存在せず、もっぱら人が投資せず暮らす人に恐れを抱くことだろうが、自然に働きかける農生産の行為から離れてしまった現在でも、仕事始めには柏手を打ち、業界の繁栄を神なるものに祈念することはおこなわれている。日本人のキングはそれぞれの人々の心にある、それぞれの神で、具体的なライオン・キングを思う者は少ない。

心の中にある神について分かりやすくするために、YouTubeに落ちていた動画『ブレーブ・ストーリー』を見たい。仲間のために自分の夢をかなえず、仲間の心に生きる道を選ぶ少年の物語である。

『ブレーブ・ストーリー』の主題歌はアクア・タイムズによる『決意の朝に』で、タイトルは硬いが、詩の内容は負け組と称される者の本音を歌いあげていて、腑に落ちる。ライオン・キングへの夢を持たない者たちがどのように、自己肯定して暮らし始めたかが分かるないようだ。
日本はイノベーションも起こさず、人口が下降し始め、経済的なめんで先進国から脱落し続けていると言われ続けるが、自分だけ、今だけ、勝ち誇ればいい、という米国人にあると言われる─日本にも一部居るが─新自由主義の雄たけびを、吹聴する者たちとは異質でゆったりし、仲間と共に豊かになる道を選び生きることを示している作品だ。

主題歌の冒頭はこのようなもので、〆も同質のないようとなっている。失われた30年の世を生き抜いている、日本の若者の心を打つのはライオン・キングムファサのような雄たけびではなく、現状を、足元を、仲間と共にある暮らしを見つめ、自分の足で平凡に歩くことなのだ。主題歌の歌詞の一部を掲載し『ライオンキング・ムファサ』 の感想録とする。

(「決意の朝に歌詞へ。)

どうせならもう ヘタクソナ夢を描いていこうよ
どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を
「気取らなくていい かっこ付けない方がおまえらしいよ」
 
中盤と〆はこのような歌詞だ
・・・・・
もう二度とほんとの笑顔を取り戻すこと
できないかもしれないと思う夜もあったけど
大切な人達の温かさにささえられ
もう一度信じてみようかなと思いました

・・・
思い切りヘタクソな夢を描いていこう
言い訳を片付けて 堂々と胸を張り
自分という人間を 歌い続けよう







YouTubeにおちている 宮部みゆき原作
ブレーブ・ストーリー』2006年7月8日に公開された長編アニメ映画