佐藤敏宏  HOME 
2019年02月の日記へ
   2019年03月の日記      

 3月23日 

 庭の桜の壷が色づき始めていたが、一転寒さが戻り開花はしばらく間があきそう。冬支度で外出するのがよさそう。

■柴田俊彰氏の講演を拝聴@福島市大町
柴田氏は元福島市役所職員で現在は市史編纂室に所属されているとの事。
講義内容は旧福島県立図書館、旧日本銀行福島支店、福島県農工銀行、旧富士銀行福島支店、旧東邦銀行本店、旧県議会議事堂、開業当時の福島駅舎、福ビルなどの近代の建造物が作られた歴史的背景と時期、規模、設計者などについて。
 主催は(株)まちづくりセンター。題は「消えゆく福島のまちの顔」〜近代の歴史的建造物。まちづくりセンターが東京の模型会社に発注して出来上がった模型を鑑賞し解体されてしまった古建築たち。人々の記憶と写真や本などの記録に残されている。それらは福島市の顔とも言える古建築たちだ。模型や文章などを陳列紹介することで「今後の駅前開発などのまちづくりに活かしていこう」という思いのようだ。
 建築関係の団体や、まちづくり関係の団体の後援不在が気になるところだが今後参加されることだろう。...
 今、市民の方々が「福島に何を残すか、その事を共に考え始めましょう」という旨のようだ。 
■講師は「旧日本銀行福島支店に関する保存では苦い思いが残ている」との事。講演後その点を中心に15分ほど個人的だったが質問することが出来た。
 1970年代に藤森照信氏や福島市民などが共に「保存運動があった」運動の中心にいた女性や男友達にその話を聞いて、1983年頃、新聞記事に取り上げられていた記憶があった。当時の記憶に上書き保存するため、講師に色々質問した。聞き取り後「建築の保存や景観のそれのテーブルを作る場合のファシリテーターは、まちづくりや建築系の者ではなく、文系・歴史系の方がよいなー」とあらためて思うことになった。
 今日紹介された古建築たちは、福島の経済と政治を支えるために生まれた建築群だった。他領域のの古建築達の参加も待ちたい




3月22日 午前中強し 
 午前中もやな感じだったが、福島市の飛行場に根付いてしまい、マスコミがめでる飛行機野郎の乗るあの音、悲鳴のような機械音が好きになれない。平安で野鳥のさえずりが盛んの空がよいんだが。

■ゴリラの社会を観察し続け人間とは社会は何かを問い続けている、山際寿一さんの本を県立図書館から借りてきて読みだす。『「サル化」する人間社会』は学術論文のような『家族進化論』を平易に書き直しだろう初心者向けだが概略を知る切っ掛けにはよい。『家族の起源ー父性の登場』は最初にかかれた論文集に沿っているのだろう。『オトコの進化論』ー男らしらの起源を求めて。は大変気に入ってしまった。毎夜読んでいる。

 山際寿一先生の本を読みだす切っ掛けは、ネットで落ちて来た先生の動画を文字にしてみたことからだ。講演内の話し言葉だけだと分かりにくい言葉も出てきたので、修正してみようと本を借りて眺めていたら、読んでしまったということ。
 講演動画の内容は全て文字にしてしまったので、本を読みがら絵や注などを付けて自分専用の記録に仕上げて仕舞う予定。


 3月21日 暖かい 

フェースブックに投稿内容
山極寿一先生の本にはまったか!!も
山極先生の講義を文字にしてまとめていたら、ますます気に入ってしまった。そこで図書館から借りて来て目を通してみた。『オトコの進化論』にぐーっと、はまったな。
311後も優劣を競わせる言動が持て囃されている。まだまだ続きそうだ。ゼロ年代に有った多様さはsnsでも無くなって久しい。
「あそぶ」をメーインテーマ生き、そのように努めてきた者としては、この様はいささか単調な社会に見える。商業ベースの広報をなぞる事も、偉い先生の語りをなぞることも遊びではないが、そればかりのようで残念だと思っている。
増田レポートがきっかけではないと思っているが、優劣社会の頂点に立ちウンチク語り広めている、社会的地位の高い有識者や、ローカルコミュニティの権力者たちも似たような価値観の方ばかりになって、序列づくりに加担しているように見える。コミュニティの大切さを語る先生が「家庭内別居や孤立状態!それは多いのよ」と知人のジャーナリストかそっと教えてくれたが笑えなかった。...
奴らサルだなと思っていたからだ。サルは孤立するに決まっている。彼らは家族から孤立しても虚勢を保とうする。サルらしいではないか。
家族をつくるのは人間だけだそうだ。山極先生によると、ゴリラは勝ち負けの社会を作らないそうで、サルは強いサルを頂点にヒエラルキーをつくる生き物だとのこと。今日は家族って何を考えてみよう山極寿一先生の本にはまったか!!も
山極先生の講義を文字にしてまとめていたら、ますます気に入ってしまった。そこで図書館から借りて来て目を通してみた。『オトコの進化論』にぐーっと、はまったな。
311後も優劣を競わせる言動が持て囃されている。まだまだ続きそうだ。ゼロ年代に有った多様さはsnsでも無くなって久しい。
「あそぶ」をメーインテーマ生き、そのように努めてきた者としては、この様はいささか単調な社会に見える。商業ベースの広報をなぞる事も、偉い先生の語りをなぞることも遊びではないが、そればかりのようで残念だと思っている。
増田レポートがきっかけではないと思っているが、優劣社会の頂点に立ちウンチク語り広めている、社会的地位の高い有識者や、ローカルコミュニティの権力者たちも似たような価値観の方ばかりになって、序列づくりに加担しているように見える。コミュニティの大切さを語る先生が「家庭内別居や孤立状態!それは多いのよ」と知人のジャーナリストかそっと教えてくれたが笑えなかった。...
奴らサルだなと思っていたからだ。サルは孤立するに決まっている。彼らは家族から孤立しても虚勢を保とうする。サルらしいではないか。
家族をつくるのは人間だけだそうだ。山極先生によると、ゴリラは勝ち負けの社会を作らないそうで、サルは強いサルを頂点にヒエラルキーをつくる生き物だとのこと。今日は家族って何を考えてみよう



 3月20日 
 (fb投稿より)
福島市に遊びにおいで!
来週から県美術館で今世紀に入りドット人気沸騰してしまった若冲の作品展開催ですよ。美術館周りは歓迎のための清掃など、おおいそがです。もう展示作品の飾り付けはすんでるかも?
この処かつては、ケバい!とされた若冲人気の理由は、戦後が遠くなり人々がポスト近代の空気に馴染んで来たからだろ。県美術館では二度目の若冲展だと思う。
計らうように福島盆地が花盛んなりとなる来月に来福されると、桃源郷と若冲のリアル幽玄とが、混合自在なり存分に堪能可能となるでしよ。
ついでに盆地周辺の温泉に浸り、地酒をかっ喰らえば、すっかり我が身の動物も味わえるのではないかな。...
さらに体力に自信があれば、私と会いフクシマ問題の数々を語り会いまし!などと書き置こう。そんなことで春の福島市へ旅は天こ盛り盛り過ぎますかな



 3月19日 

サンチャイルド関連データ整理終え、こつこつ修正し始めている 関連記事年表となりつつある。こんな感じだ。 マスコミが単調な言葉の滝つぼに落ち込んでしまうかのようで、多様な議論が起きな因になっているような気がする。まだ手を加えていく予定。

薄暗き庭にでると、木蘭開花しだしていた。今年は木の下半分が盛んにさきそうだ。多量の花を付ける年と、勢いが少ない年が交互にやってくるような気がする。とうとう我が家にも春きたりという感じだ。 三寒四温の時期到来


 3月18日 

■家人と共に駅に向かい、ビールと蕎麦の夕飯とする、家人は引きこもりがちなので、誘いだすことにしている。寒さも緩んだのでちょどよい社会訓練といえるかも。いろいろ語り合うと、心配ばかりするのだが、なるべく負荷をかけて、共に解決すれば何とかなるという事で安心を得る訓練が要るような気がする。社会に対する不安というのは誰にでもあるだろうが過度に不安になるのは病だろうから。その対応の程度と手加減がむずかしい。答えは無いので試行錯誤続けていくのがよいだろう。

■今日FBに書いたこと

テン年代の傾向が現れている(記事など観察)
 サンチャイルド像撤去事件に関し2018年7月以前とそれ以降今月までに分け記事などを集めた。(福島県外もいづれ集める)そこで感じる事は、事前の方がサンチャイルド像に関して多様な見方を示し、評価したり愛でる記事が多いことだ。撤去事件についてマスコミやSNSで炎上が始まったのは誰の投稿かから、それは何時からかはまだ特定できていないが、2018年8月初旬からはマスコミが一斉に判で押したような、見出しと内容の滝つぼにでも落ち込んでいくかのような様をていしていた。
 その興味深い事実の中から「マスコミ自身はなぜ似たような紙面を作ってしまうのだろうか?」「マスコミから多様性を奪うのはマスコミが生きられる仕組みからかも知れない」などの疑問が湧いてくる。
 グローバルな情報の現実はポストツゥルースの時代と言われ、 SNSなどを使って「嘘を万遍すれば多くの人が事実と認めてしまう」時代なのだとされている。政治的にその時代の潮流に乗り、操り大統領にまで上り詰めたのはトランプさんだと言われている。彼は5600万人のフロアー数を...持ち日に数十回呟き支持者にリツイートを誘い一記事が数億人に配布してしまうことで、政治の流れ変えてしまった。(共同通信 津山恵子氏報告「ジャーナリズムとAI」)
 トランプ氏は意図的にこれまで民主主義を支えていた良識あるマスメディアや人などに対して攻撃的な呟きを続けることで、さらに支持を得ているそうだ。日本の政府関係者も記者クラブ制を通じ、似たような行為を行っている。日本においても政府自身が民主主義を末期症状に追いやっているのは周知ことだ。そのような事態の影響を受けたのだろうか、サンチャイルド像撤去事件も単調な報道のされ方になっていた。事が起きたら多様な議論を誘発するため、多様な視線を提示すためとして、マスコミの力は働かず、自ら同化視線に落ちってしまっていた。すでにマスコミは福島市民にとってはただの娯楽の一つで、民主主義の健全さを支える機能は死んでしまっていたのかもしれない。
 サンチャイルド像・撤去事件に対するマスコミ記事を並べて眺めると、記者の悲鳴やボヤキが陽炎のように立ち上がって来るかのようだ。私の幻視が事実ならば、マスコミにおける春のカゲロウならば、マスコミにおける次の季節の芽吹きが来るだろう。さらに悪化する可能性もあるけれど、どのように変化するのかは楽しみだ。そして福島市民が自らその陽炎を払いのけねばならないのは当然の事だ



 3月17日 
福島市主催の報告会に参加する。
地域の人たちがみんなで復元。お金をかけずには自力で 稀@文化財を復元していた。(報告会拝聴。記者は毎日新聞取材のみかも)
建築系の人々はこの仕業に追いつく日は遠いようにおもう(埋蔵文化財は法整備され、人員もくまなく配置されているから、いずれ建築関係も埋蔵チームに組み込まれていくのでは、それが良さそううだ)
■ 福島市飯野地区の人たちは白山住居を復元するにあたり、解体、発掘、復元を材料調達など一部専門家を加えたが、ほぼ地域の材料と労力によつて復元していた...
 復元作業には35日掛かりのべ162人とのこと。市職員以外は60?70代の方々がおこなつた。市役所の職員と地域の老人たちによる連携行為。今後、数十年間の多様な領域における、よき事例となっている。スタートは呑み会からだそうで、東西問わず呑み語り合いの場の有無が結果としてその地域の文化そのものを継承する種となってしまうようだ

■報告会参加者は飯野地区の老人の方が9割以上ではなかったか、地域の文化財を保全したり、歴史を伝えていくのは地域を愛するその地の老人たちなのかもしれない。地域教育があればもう少し地域史を知る人が多くなるかもしれない。そんな事も思った。

  3月16日 

■雇われマダムたちの追悼式なのか
2012年に参加した面々は(追悼式とシンポジュウム)それだったのか?7年後の追悼式にも誰も応じる義務を感じないのは、雇われマダムだつたからか?
福島県主催の追悼復興祈念式に先日参加させていただき、2012年当時の関係者が参加していないのはなぜか、不思議に思ったので調べ始めた。彼らはすでに県民をやめてしまって。遠くの地に脱出してしまったのだろうか?死んでしまったのだろうか?
県企画調整課をたずて、いろいろお聞きした。気さくに対応頂き、たくさんの気付き頂戴した。...
一般県民が参加可能になったのは、昨年からとのこと。以前7回の式はゲーティツドコミュニティ状態であって特別な人の参加のみだったそうだ。その理由は今後調査しよう。
2012年の式と関連した復興シンポジュウムの記事には「県民一丸で誓う」とあるがその日の新聞を開くと、その言葉が空疎な事だと分かってしまう。県内各地でバラバラな思いとそれぞれの式典の様子が配信されていた。
それから7年経ちあの日、登壇された佐藤元県知事や瀬戸元福島市長さらには、有名人と有識者、誰一人として、7年後の式の祭壇には献花さえしない始末であった。歴史的、原発事故を伴った大災害だつたのに。

第一回目の式は、演劇のように、壇上の人々は県民ではなく、式典用に雇われたマダムたちによる追悼式だったのだろうか? 口先だけで県民の共感を誘発させようとした、姑息な企だてたのなら、演じた彼らの罪は重かろう。
目と鼻の先の文化センターに福島市市役所の関係者は誰一人と参加していない始末だった。市役所職員に訪ねると「半旗を掲げ1分間の黙祷しましたが、何かご不満でも」
県庁内の担当者にとると「各市町村長には招待状を送付しておりますが」とのこと、福島市長を含めなぜ一丸でとならない式典になっているのか?時間が、できたら細かく調べる

■福島民報の追悼に関する記事が異様に多量だと分かる。2012年からの記事コピーを始めるよていだ。それを手に311関連追悼の小歴をまとめ、そこから見えたり気付いたりしたことこを記録しておきたい。例えば「県民一丸の実態とは何か」について。


 3月15日 
少し冷えていて春霞もなく吾妻山が綺麗にみえる。福島県立図書館の玄関より一枚撮る。

■福島市民は不寛容、そのような気がするレッテル貼られちゃった 記事を発見
サンチャイルド設置撤去事件のあと世界に向けて福島市市民として最も避けねばならない、避けたいレッテルの一つは「福島市市民の芸術品に対する不寛容さ」だった。そこで撤去事件を放置したままだとそう語られちゃうよと、いろんな場で、口を酸っぱくし、そうなる可能性を語って来たのだが。
1週間ほど前に、福島県内の方によって「不寛容がひろかっている」と問題提起され、それがタイトルとされ、固定観念化を進め拡散された、そう思う。語ったひとはさぞ、達成感があるだろうが、県民としては最も避けねばならない行為の一つなのだが。オマケに分断まで付いているよ。分かりやすく見出し付け過ぎじゃなか。
なんとか挽回し払拭してしまいたいのだが、自覚するひとがいないのが現状である。このままだと永遠に福島市民は、解り難いアートには全く不寛容な市民として固定化されてしまう。
この記事みつけたので再度、再設置あるのみだと確認できた1日となる。今日も図書館だ新聞重いので筋肉痛だ。あと少しだ



 3月14日 

 1か月分新聞を綴じた冊子はとても重い。それを1mほどの高さのコピー機に載せコピーするので、延ばした両腕の先に重い紙を持ち上げている格好になる。背筋をかなり使っているようで、今日は腕と背中が筋肉痛になっている。新聞コピーは体力が要るのだと知る。
■今日もサンチャイルド関連記事集め@県図書館
 2018年7月6日福島市長とヤノベケンジさんによる設置会見以前の記事も、探し始める。民報民友河北なども片っ端から集める。全国かくちへと配信されているので、県図書館に無い記事は国会図書館にて探すなどするしかないようだ。1年分は取り置きしてるだろうから、各新聞社に手紙で郵送依頼するのも手かな。
■ 2011年11月12日大阪万博記念公園にて、日本初お披露目された。そののち産経の大きな記事が最初なのかもしれない。図書館にあった。
俺が最初に対面したのは、土砂降りの中の岡本太郎記念館においてだ。狭苦しい場所に詰め込んだ感ある、実サンチャイルドに出会ったのを思い出す。その時は福島市にやって来て撤去事件へと発展するとは思いもしなかった。




 3月13日 

サンチャイルド関連の記事集め@図書館
 快晴なれど風強くも夕方やむ。図書館が混雑しだしたので家に戻る。福島市の空に住む幻の鯨は、パートナーに不満でもあるのだろうか、空模様落ち着かぬ一日だつたな。鯨が暴れるなら、土佐の酔鯨に詰めたかえた安価な地酒をのみその様を眺めよう。酔うほどにじさけも鯨酒に似てなかなかよい。福島市にも天空に鯨がいれば楽しかろうが、小魚の群れなす天空のそれも快適地なり
■記事検索pcあれど、図書館にはこの地に関する紙面しかないので、全てはコピーし尽くせない。そこで新しいサービスを思いついた、福島に関する記事が欲しい人は私に連絡いただけれあば、必要経費を負担いただき、コピーした記事を郵送する、というアイディアだ。旅費を掛けてかの地に行かずとも、連携し合えば郵送費とわずかばかりの待ち時間で要望の記事コピーが手に入る。老人連携作業の一つとして、なかなかいいのでのではないか


 3月12日  

 京大総長の山際寿一先生の講義動画を聞きつつ朝寝しながら、講義内容を文字にしようと思う。音は録ってない。その後もぼんやり、午前10時前に肉チャーハンをつくり食べ、そろそろ終わりかなーのリンゴも半分ほど食べる。
■サンチャイルド像設置的去事件に関する主なる記事を図書館に行きコピーしようと思い立つ。
 以下FB 311献花開き。サンチャイルド像関連記事探し■ ようやく図書館にてサンチャイルドに関する記事をコピーし尽くそうと身体を動かし始める。IT革命後に起きた像設置撤去事件なので、図書館に備え付けのPCで検索し、羅列打ち出しに慣れしまうと瞬く間にほぼ関連記事が出てくるのである。民報はITに力を入れてないのが歴然としてしまう。色々言っても検索方法など、初体験なので、半日掛かって14件コピーに終わる。マンズまんずだな。
新聞紙面は一月ごとに綴じてあり、ハンディーコピー機が備えられてなく、一般的なコピー機にドカンと載せ撮るタイプだ。なので実紙面は重いデカイ。でコピー、スタートしても、撮りたい箇所がすんなり写ってなかつたりして、老人には重労働に近い。金があったらハンディーコピー機寄贈してしまいたいが、貧乏老人には叶わず。筋肉を鍛えるつもりで手間をかけた。疲れたのて家に戻り一杯のみながら、14記事を読む


 3月11日    
■低気圧の通過で午前中強い雨。あの日のように 午後食材を買いに行く、地震起きず。スーパーは平穏。多様な困難に埋まってしまっていたが、今年になって身の回りの多様な事態に思いを巡らす余裕がでてきた。そう思う。しんどかった8年間。

■県文化センターに行き、式に参加してみる。家にもどり
 3・11 献花・献杯する@my家。参加し違和感の多い式典の事をメモ
 東日本大震災の発災と福島第一原子力発電所の事故から8年が過ぎ、今日から9年目である。ほぼ毎日WEB日記を保存しているので、あの日のことも鮮明に復元できる。だからあの日の日記なを含め多様な記録を読み返し9年目の課題を記述してもよいだろうなとは思った。だが、WEBから落ちて来た県主催の「東日本大震災追悼復興祈念」に参加してみた。
 理由は、福島県が手探りしている震災後のベクトルを体験し、その実情・実態をそこから知りたく思い、また参加することで知ることが出来るだろうと式典に参加してみた。タイトルと式典の式次第が示すように、国の311式典にがっちり組み込まれてしまった内容で、県の独自性が感じられない事態であった。今後も県は国の指示通り・共に3・11ごの行政・経営・運営しますという感じなのだろうか。
 さらに違和に思ったのは、主催地である福島市長の参加が見当たらなかった(献花も無かったのか、見落としたのかも)主催地の福島市長は押しかけるべきだし、当地で追悼式典を行わない県内・各地の首長は...「なぜ俺を招待しないのか」など申し入れるべきだろうし押しかける場合でしょう。このままだと、県各位と市町村各位の連携の悪さが目立つ場が、そのまま放置され続けるのではないだろうか。県内の行政の人々の連携と協働の欠落だけが強調され、互いに勝手に国を見つめ仕事を続けることに成るのだろうか。そのように思う与党などの代議士たち主要参加者の羅列内容であった。
 海外の来賓もよかろうが、まずは、県内で共に311後の苦難を経たて来た、首長などと連携できていない、この事態は今後の大きな溝を予め可視化していたと思う。先導者が不在ならば、その溝が埋まることがないようもも思えてしまうのだった。

 やはり県が主催した式典に総理以下要職の人々が来場して初めて、福島の震災の現在の意味が浮き彫りとなり、311後の日本の課題が共有され、世界に発信する場になるはずなのだ。だが今日の式典は国に組み込まれた下請け的な式典になってしまい、そうはなっていないかった。福一原発事故は福島県内に封じ込められ、福島のチベットと称された地域の、日本全体から見ればさほど問題にならない事態に仕組まれてしまっていただろう。そのように思えた。それは次世代の人々に対して、非常に怠慢・不作為な態度だったと、後々指摘されることになるだろう。

 参加者を一望すると、会場は収容人員の半分にも満たず、男性が9割以上に見えた。相変わらず被災地域女性は付け足しにおもうような態度なのだ。男代議士などの県関係者がほとんどであり、私のようはだだの民、自主参加は50名にもみたないように見えた。
 民への入場のさせ方・仕方が不快である。代議士たちはスルーパスだが私(民)は別受付から入り、手荷物の検査を受けなければならなかった。さらに「撮影録画全て禁止だ」と通告される始末である。問い聴くと理由は「加工され不正なニュースとして流されと困るから」だそうだ。
 各種注意書きと監視者のチェック項目は「福島県は福島県民および追悼式に参加する市井の民を信用していない」という証であった。ポス・トゥルースの時代においても、福島県らしい対応に、いささかの希望を見つけることも出来ない事態であった。申し訳程度に市民を招き入れないで、当初計画から市民の自主参加を断って、論文チェックなどを経て参加させる人を選べばいいだろう。そのような閉じた領域民と共に満足の行く追悼式を行えばいいのではないか。そのように考えざるを得なかった。

 さて次に、式典の内容に少し触れておこう。遺族代表の語りは岩手、宮城にて何度も聞いた内容であった。彼女の語りは、むごたらしいこと、この上ないのだが、福島県にはさらにむごたらしい現実が重なっていたのであるから、遺族の人選を聞く限りにおいて、今後の世代に継承するための福島県の姿勢としてこらも誠意が感じられないかった。
それらの事からも福島県の独自性は無いといえるだろう。強調して書けば福島の原子力災害の事実を覆い隠すかのような人選にも見えてしまうのである。県関係者の意図的した人選内容ではなかったのか?。ポストツゥスルー下に起き歴史的困難への対応の仕方が分からないのだと思いたい。

最もの救いは一つだけで。日々鍛錬している、表現の仕方を鍛え上げている、高校生による男女混成合唱隊の声の力だった。2曲の献唱がされると会場からは予想外に拍手する始末であった。県知事以下、登壇語りの方々は演説の仕方を日々高校生のように鍛錬したらどうだろう、彼らの言葉には全く覇気と感情が無い 初音ミク的語りだった。若い高校生たちの一途な姿勢と鍛錬を見習うべきだろう。彼らは指導者を雇いいれ日々政治を鍛錬し鍛え上げる、政治家としての技を磨けといいたい追悼式だった IT革命後の観客の視線は厳しいのだ、と肝に命じよ



 3月09日 
■資料整理しつつ 午後てつがくカフェ@ふくしまに参加した
■そこで本を3冊いただきました。@哲学カフェふくしま
牧野英二先生が法政大学を退官するにあたり、弟子達が各地から参集し現在の先生の課題である、311後の哲学者のあり方と対応の可能性を巡って3時間ほどの講義と対話であった。
悪意が全くない哲学者であったが、現政権や米国大統領の振る舞いにある、悪意とどう向き合うのか、そこが大きな関心事項であった。悪には悪をもって、背中では何方かたま対策道を探して活動などを提示しないと、今の多様な崩壊状況には抗えないし、無念さを与えてしまうだけだろう。それは悪に加担してしまう事にならないか?そのように問い続けてみた。




 3月08日 

建材やに行きコーナーづくりのための材料などを買い求める。ついでに、すっかり出歩かない家人のための、春着も少々買って来る。
■コーナー作った。311後の10年まとめ記述のために。
 放射能汚染後、苛烈極まった、ガムテープアートの残滓も方々に刻まれて取り除くことが出来ないでいる。我が家らしい311後の場となった。
私が暮らす町にサンチャイルド像が現れ瞬く間にお隠れになった。「サンチャイルド入門をスタートに、311当時から福一原発事故後の事を書きたい」そう思って関連資料を集めていたかも。かなり捨ててしまったが主なノートも資料もある。事情があって集めるだけにしていた。身の回りが落ち着いてきたので、2年掛け2021年3月11日を目指して書くぞー!な気分だ。
?? まずは2階に、311後資料や頂いた本部のコーナーをつくる。頂いた本を仕分けしはじめて、あるあるなー本。
田中浩也先生の処女作だと思う『FabLife』...
石橋湛山記念館ジャーナリズム大賞記念講座 45コマ分のCDと花田達朗先生の、著書
石川初先生の地上学への研究1年ぶむまとめた書籍とスケッチブック。貴重過ぎないか、動画データ。
石巻市の本間英一さんが出版された『津波に耐えた土蔵の独白』
松島潤平さん結婚式の手作り冊子。
五十嵐太郎先生の数々の著書。
藤村龍至さんの著書多数。整理せず読んでしまいはかどらず

■30年は使いこんでる安楽椅子もかなら劣化してきたが、なんとか使ってみよう写真だと立派に見えるが実はヘタっているのだ。


 3月06日  気温上昇し暖かい1日だった
 
■my長男が仙台の部屋を整理して、気分一新し何度目かの新生活を始めた。余った本棚を2週間ほど前に運んできてくれた。急いで対応しなければいけない用事もなくなったので、今日は本棚を組み立てた。新品に近いスチール本棚は5本だった。部材がバラバラなのがまだある、かなり古そうだが20数年前家から持参したものを返本棚みたいだ。4本ぐらいあるだろうか。
 人生終盤に向けて本を整理しつつ、情報整理したり、今までの資料をまとめたりし晩年の勉強体制を整え始めた。花見前には整えてしまいたい。

■モンローチェアー@磯崎新デザイン
TLで見た、磯崎さんは父親世代なのでピント来なかった。ぁあ、そうそう毎日まいにち、飯のたびに磯崎さんにはお世話になりぱなし!。夕方に思い出して、身近すぎるな、さっそく写真を撮る。
磯崎新さんプリッカー賞おめでとうございます
??モンロー定規を知る人は、少ないかも知れない。磯崎さんが考案した定規。マリリン-モンローの写真を元に作った雲形定規である。モンロー定規を使ってデザインされ生まれたのが、モンローチェアーである。(スケッチはとても小さかったそうだ)ポストモダニストならではの作品だ。
この椅子が我が家にやって来たのは.家が出来て2年後だ.。あのころは稼いでいたのだろう、モンローチェアーを家族分5脚を買った。物品税を払い一脚45万円だから総額で今の俺なら2年は遊んでくらせる。...
32年間にわたり毎日食事のときは、お世話になり続けている。座り心地抜群なり。長いワイワイと食事が楽しくなる椅子である。
独立し家を出た二人分は地下の模型部屋に置いてある。一脚毎に18金のプレートにナンバーとISOの刻印が取り付けてある。我が家のモンローチェアー、ナンバーは0211から0215だ。現在そのナンバーは幾つになったか知らない。制作秘話を天童木工の担当者に刷り込まれまくった。その方は既に退職されているだろう。なにしろ32年前だ




3月05日 

せんだいデザインリーグ2019のエスキス塾を見学し、懇親会は3次会、から4次会ぐらいまで全国各地からやって来た大学4年生たちとワイワイし、今朝がたカプセルに泊まり、午後一番に戻る。雑事をこなし、昼寝をする。

エスキス塾 各先生総評@仙台卒業設計日本一決定戦  (myメモ帳より)
■ものを考えるとは
 堀井氏:ものを考えるとは、学んだり身につけた記憶の切り貼りではなく、掘り下げ意味を考えることなのだ。掘りさげる訓練がなされん、ていない作品が目につく。そこで、たくさん書いている、たくさん作っているだけだ。それを卒業設計でするのはだめだ。
 社会に出ると「ものを考える」そのことを訓練する場が無いので、SDL2019を機に今から、ものを考える訓練をせよ。大学で建築を学ぶことは、「建築とは」ある一つの仕組みについて理論の筋道を深く追求することで、考えない事とは何か、それを自覚せよ。学ぶことは観たこと聞いたことを疑うことから始まる。
■自分との対話から
高橋氏:卒業設計日本一決定戦(SDL・せんだいデザインリグ)に初めて来ました。東北大学卒業生であるけど、当時はSDLなかったのです。ですから全体を理解していません。
「塾」に入っても「建築」にはとうてい到達できない。この場に参加し作品を持って来るのにも高額が必要なのだから、(自己投資したのだから)これを機会に自らの卒業設計のテーマを継続してやってくれればいい。そうして「自分のやりたいことは何か」を掘り下げてほしい。他者の評価を期待するより、自分との対話をしたほうが好い。
■アウトプットし発見する
西澤氏:私の場合、卒業設計は失敗だったがテーマは一生ものになる可能性があるので考え続けたほうがよい。卒業設計の効能は一回まとめ上げること、そしてアウトプットすることでようやく解ることが多い。
 今あるものを疑う、そして自分なりに再構築していく、今あるもは幻想でしかない、鵜呑みにしてはいけない、自分で考えこの壇上に立つて考え続けてもよい。まずは自分の頭で考えること。



 3月04日 

五十嵐太郎先生のお誘いで昨年はじめてと言うほどに、せんだいデザインリーグ・卒業設計日本一決定戦に参加した。そのごSDL2018に参加した人7名と布野先生に聞き取りした。1年かけて再度確かめたいこともあったので、SDL2019エスキス塾を観に行った。今年の評者は堀井・高橋・西澤氏だった。5人一組で40人の卒業設計を5時間ほどにわたって語り合う。昨年よりは学生も表者の声も多様で長時間だった。昨年にようにまとめ語る人がいないので、多様な意見が出る。分かり易く語ることが、果たして参加者の想像力を多様に膨らませるとも限らない。多様な評者が不可欠なエスキス塾である。ボランティアの会なので女性の評者がいないのは寂しい。そう思う。
絵は上 エスキス塾の様子。下絵は左から日本一位、二位、三位の作品


午後6時から懇親会は始まり、二次会3次会と真夜中まで語り合う 昨年より各学生の作品について皆で語り合う時間が長かったような気がする
午後6時から懇親会は始まり、二次会3次会と真夜中まで語り合う 昨年より各学生の作品について皆で語り合う時間が長かったような気がする


若い人と語り合う機会を得ることは興味意義ぶかいことだと思う。もうすこし大人の参加者が増え学生に飯と呑み無料で歓迎する会になるといいのだが。

 3月2日 

 東北大学で2月27〜3月1日まで歴史資料保全コーディネーター講座が開かれた。3日間15コマの講義と質問、各日討論が行われた。中日の夜は懇親会も開かれて、全国各地から多数の若者などが参加し熱い議論の中から、意義と現在の問題点など明らかにされ、共有されたように思う。
数年かけてあるべき講座がブラッシュアップ整えられ、、もしかすると教科書もできるかもしれない。

35年前の我が家
完成一月半ほどした頃の我が家だろう。朝日新聞福島支局の女性記者がやって来て、記事を書いてくれた事があった。それを「あー我が家の記事あったはずだ」と思いだした。
県図書館でアートイベントの記事を探したついでにその記事を見つけてコピーしてきた。やっぱ俺様の頭のてっぺん髪の毛てんこ盛り感!はんばないな、これが俺なのか?と。
ついでに、1983年の一年間、朝日福島版に挿し絵イラストを依頼してされ、描いたのでその記事もさがしてみた。あった!描き上がった絵は、最終列車に乗せられ東京まで、刷り上がった新聞紙面は福島市内に数日後に配布された。
30台は縁があれば何でも頼まれれば無謀にも挑戦してたのを確認できたかな。今後も、いろいろ未体験、未領域に挑戦するかも。(現在は新聞社メールなどで原稿やリ取りしてるのだろうな、印刷はどこでしてるのかさえ分からない)


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