佐藤敏宏
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2022年10月の日記          

10月7日 

サヨウナラ大阪!
2008年からはじめた俺の私的(ことは悦覧)聞き取り活動は15年目で〆と決めていた。途中東日本大震災に遭って混乱したが2022が大阪ての15年。いろんな人々に会うことで、三都のひとつ大阪の人々の自由で独自で権力に媚びず、法を犯しても、行基や重源のように弱者のために人生を賭け支援しようとする、大阪人の精神は、曇り空の今日も健全にこの地にある事を確認することになった。(詳細略)
大阪で生まれ育った原田祐馬さん、家成俊勝さんは独自の立ち位置と生き方をつくり続けていて評価はハイレベル。
また他県で生まれ大阪に根をはり独自な活動を続けている幸家太郎さん、笹岡周平さん。柳原照弘さんは世界各地で拠点を手に入れ移動する人としても少しずっ成果物を示している。
組織事務所で働く今井敬子さんは長年のアーキフォーラム事務局仕事には頭がまだ下がるばかりだった。
大学の教授を辞し(見切った)自由人を生き始めた岡田栄造さんの生は岡田栄造自身を的確に表していて清々しい。この20年ほどの大学改革がいかに駄目政治だつたかは周知のことだが、教授職を見切った人は私の友人知人では岡田栄造さんと竹内泰さんだけだ。
古来単純な生き方である、自由で明日死ぬ思いでスリル満杯の生こそ人間らしい。それを、実践している方々とこの15年間付き合いして頂き、何にもない私の生も面白い事態となってしまった。改めて15年間お付き合い頂きありがとうございました!



10月6日

土産物は福島駅そばのあまいもん。堂島川に吹く風も秋めいてしまってる

13時原田佑馬さんの事務所に伺う

今世紀に相応しいデザインを拓いてました!
原田祐馬さんと15年ぶりにワイワイする
15ねんまえはスタッフなく事務所もシェアしてたが、現在は原田さんをのぞき男性2、女性5とジェンダーバランスよく、女性陣の年齢は20代半だとおもう。作品紹介して頂きましたが原田事務所の若い女性やるーよ


大阪聞き取り活動最終日〆イベント
18時30分から柳原照弘さんの事務所でワイワイします。(非公開.脇俗のみで)
岡田栄造先生、柳原照弘さん、幸家太郎はん、今井敬子さん、笹岡周平さんと私



柳原事務所にて。みんなで呑む。ふふふふふ。大阪聞き取り活動2022〆
語り合い始まりました。非公開座談会!柳原さんの事務所にて!



10月5日  

早朝データ整理して、兵庫県の塩屋へ行く、小さな坂道のある、そして昔ながらの瀬戸内海で釣ったさかなを捌いている魚屋さんがあった。釣りたて鯛350円、海の傍で津波にも遭わない高台で暮すのは心臓も鍛えられるし足腰も鍛えられるのでよい。

橋本健史さんに聞きました。
再開アーキフォーラムのメンバーのお一人橋本さんです。初対面でした。彼の家をたずねて聞きました。六甲山西端にある御自宅にて。4時間ほどワイワイアレコレ。瀬戸内海そばの塩屋駅よりだらたらうねうねを登りますと




10月4日 
午前中データ整理と記録

■12時に宿をでて、家成さんの北加賀屋の事務所に向かう。10年ほど事務所を移してないのは珍しい。元のスタッフは誰もいないが、女性2人と男性2二人のジェンダー・バランスの良さ。


八戸市美術館のジャイアントルームのコンセプト(公共圏てき場)が大阪の廃れた造船工場跡、都市のなかに生まれていました。最初の絵・外観はそれぞれ別の建物に見えますが、一体の建築(違法・ジャイアントルーム)で建築基準法も破って誕生していた点が痛快


八戸市美術館のジャイアントルームのコンセプト(公共圏てき場)が大阪の廃れた造船工場跡、都市のなかに生まれていました。最初の絵・外観はそれぞれ別の建物に見えますが、一体の建築(違法・ジャイアントルーム)で建築基準法も破って誕生していた点が痛快
送信済み
未来をつくるのはいつも違法行為の中にあるんですね。そういう意味では八戸美術館のジャイアントルームよりは賊・俗・公共圏であります、生き続けようとする住人たちの切実な欲望が町並みの表情として顕れ、住人たちのエネルギがまま外観に露出しています。ですからお洒落な都市建築とはことなり危険賊建築とも言えます。法隆寺の対極にある建築だと思います
10月3日 今日も暑い大阪

早起きして西九条に行く。

西山卯三・三昧となる
知る人ぞ知る東の丹下健三、西の西山卯三と言われ1970年代は万博会場をめぐって週刊誌の記事になるほどの人気ぶりのお二人。
今日は西山卯三さんが生まれ育った辺りをうろうろし、歴博に行き古図(江戸から明治初期)平成古地図を6種類ほど手に入れた



大阪城から安治川河口まで歩く。途中適塾に行くも休館だった。
歩くと中島当たりの地形・起伏、賑わいが分り、さらに土地勘が身に付く!(2時間あれば十分か?)天満から谷町への起伏は激しい(地盤沈下??)

大阪城デカイ!上町大地の最突端に建っているし津波も安全。



大阪のシティーボーイとガール。ザ大阪(笑)
大阪はこうでなくちゃと思ったが
残念ながら大阪の仕業でなかった、
花柄にカラーするのは東京のサロンまで電車賃掛けたそうだ



西九条(西山夘三・生誕の地)@大阪基礎資料
西山夘三さんの大阪の古地図を眺めて大阪入門書とする。宝永元年(1704)の古地図をコピーする。大和川から淀川を含め大阪城やその西側の堀の形状、地名など2022年の大阪(西九条)の川の流れと河口と河口付近の地域を知るための基礎資料を手に入れた。目的以上の資料各種だった。





10月02日 

データ整理をし知り合いのパン屋さん、靭公園そばに10時すぎに行く。12時淀屋橋待ち合わせだったので、堂島川(旧淀川)を東に、大阪城にむかって、徒歩であるきだし、淀屋橋まで。中の島を一周徒歩の旅でもよいと思いあるいたが、おもったより快適だった。

井上勝文さん(教授)の人生相談にのる(笑
5時間半もワイワイしてしまう(笑)竹中工務店に勤めてながら京大から博士号を授与された、人生を大阪の都市づくりに人生を捧げたスーパーエリート。
野ザル瘋癲かつ不良爺さんの俺に、答えを求めるのは勘がいい、正しいと思った。(中身は内緒の心なんです)
中之島徒歩で一周しようと思ったが出来ず.土佐堀川の風をうけながら、5時間!ずーっと呑んでました。







10月01日  大阪30度ほどと暑い1日

少し早起きして、狭山池を体験する。

はるばるはるばる来たぜ!狭山池。
1400年の時をへても生きてる行基の仕事場を体験しに来ました。土木建築関係者なら誰でも知ってるはずの狭山池。初期、東大寺を設計した行基の仕事がここにもある。
建築どうよう地形や景観は現場に立たないと分からない事がおおい。狭山池の堤に立つと1400年引き継がれ泉州の人々の生活基盤を支えていたこと。その事こと今も十二分に機能している。包みは4キロたらずで水をたたえることの他に、人々の散歩、お花見、ジョギング、会話場としてあった。1400年間この地の人々はこの池を愛し活用し続けていた。
関西圏のこのような場所に在る。
今日は快晴なので霞んではいるものの、遠くに千早赤坂や信貴山、生駒の山々も姿を見せている。六甲山の山波は霞すぎて見えず
狭山池は年に一度の水抜き期なので池の水はへってます。
金剛山、葛城山もいい感じ
サイクリングロード、バードウオッチング、昼寝してる 読書、瞑想してる 昆虫採取もいけそう、1400年後 都市民の親水公園となっている


幸家太郎さんと久しぶり駄弁る。近作と多様な活動を3時聞き取る