佐藤敏宏
 HOME  
2024年3月の日記          

































3月28日 

■昨夜『オッペンハイマー』下巻を読み終えて、今朝は余韻に浸っていた。これからどうまとめていくかあれこれ考えても見た。俺のお爺さん世代のオッペンハイマーは天才と言われていたのだが、どうも俺は好きになれないけど、福島原発事故にも遇ったし原爆の父と言われるまでのことは調べてまとめておくべきだとは思う。

■午後、12時半から『津島』、3時間ほどの証言もの。長いので中に休憩時間15分の設定してあった。

■今日のFB投稿

原爆の父と呼ばれた科学者『オッペンハイマー』読み終えた。
2007年8月3日刊行。俺様が生まれてから現在までの人生に、オッペンハイマーの核開発(量子物理学が生み出した核兵器)と核が地上にうみだした冷戦時代を重ね合わせて読めむことで、自分がどんな社会と世を生きていたのか、それを実感することができた。
1989年の冷戦構造がなくなるまでは「何時核戦争が始まるのか・・」と怯えていた。それはあの時代生きていた人々が誰でも実感していたことだ。
 1970年代以降「核の平和利用」と称される核発電によって311には核発電炉が割れ、俺の身の周りに放射能は沈着した。あの日からフクシマを生活して13年がすぎた。まだ理解できないで鬱鬱している人も多いように思う。その暮らし中で身の周りにある「核の歴史」を熟知するためにも書籍『オッペンハイマー』は必読書だと思った。
 内容は歴史学者2人で書きあげるまで25年間を要したという著作物だけあって(目次に難点あるんだけど)読み応え申し分ないし、広島長崎になぜ核兵器が落とされたか、オッペンハイマーは核爆発の実験はしたけれど(特に長崎投下に)投下には反対だったことは理解できた。
彼の具体的な人間関係─(両親、兄弟、長男長女、彼の多数の性愛関係者、理論物理学者、核科学者と軍人たち、政府高官たとえばケネディー大統領などと彼の生い立ちや家族を営んでいた生活環境(俺には最悪な家族だと思えた)多様な学問を身に着ける環境、近隣の人々との関係、交わした言葉など丹念に描かれている。対話劇を映像で観てるような具体的内容で一気に読み終えることができる。
俺は妻の精神病と35年ほど暮らしているので、オッペンハイマー家は全員が精神が病んでいたのではないか・・そう想えてしまう。オッペンハイマー家の日常、暮らしぶりも具体的に想像でき読み進むのが辛い章もあった。(アルコール依存症は精神疾患なんでしょうね)
上下巻を〆る最終章・・・・両親の遺骨が眠る美しいカリブ海とオッペンハイマーの長女の悲劇が鮮明な画像になり迫りきて辛い。
311を経た俺は「核文明を生きる」ことはオッペンハイマー家の実態を知り生きると同じ意味なのだと思う。
■あすから映画『オッペンハイマー』がフォーラム福島で上映される。難解で長時間と前評判の、この映画を観る人も多いように思う。鑑賞後いろいろな人たちと核兵器、核発電、フクシマの原発事故とその後、悲劇と背中合わせに生き続ける現在人の心構えなどを語る場と機会をつくっていくことにしよう。


一推し!『津島─福島は語る・第二章』を観た。
館内は上映最終日とあって津島の人々が夫妻で、あるいは仲間と一緒に、中には4回目ですともいうなど、ほぼ満席だった。開始時間前だろうが休憩時間だろうが前後左右の津島の観客の方々に質問してワイワイできた。そんな映画はいままでなかった。映画館がナイスな交流場となり彼女たちが生み出す哲学的な時空を体験することができた。
 観ないで「一推し」とは酷いじゃないかと言われそうだが、被災して13年間もフクシマを生きていると、原発事故後のフクシマを撮影した映画の良し悪しは観なくても分かる。(理由は省略))言い過ぎではないか!爺・・・と吐き捨てられそうだが、津島で暮らしていた人々の肉声が、観客にそして元津島の人々の心を打ち続け、地球の隅々に暮らしている人々にもその振動、福島の悲劇の一端を伝えて余りある映画でしたよ。
 少し早くフォーラム福島に行って、待合室で待っている津島の人々と語り合い、質問もできたるだろうと出かけたが館内でもワイワイできちゃった。皆さん活動的で話の乗りもいいのだ。10年前の重苦しくって質問できない状況とは違う、様変わりだ。一緒に写真も撮った。その中の1人のご婦人は映画にも登場し証言していた。彼女の肉声は涙なしでは観ることができないだろう、映画を観てくれ俺が書くことは易いがやめておくよ。
お近くの映画館に『津島─福島は語る・第二章』がかかったら観てください、そして福島のことを理解する手がかりにして、福島に遊びに来ていただければ歓迎しますよ。
難点は一つ。〆歌の・・ふくしま、ふくしま は、津島 津島にかえて歌って〆てほしかった。









3月26日  のち夕方から雪

■あさから『オッペンハイマー下』を読む。
■午後1でmy長男からPCのプレゼンとがとどく。10年もつとすると、前立腺癌がどうなるか不明だが・・人生最後のPCになるかもしれないので、丁寧に使う用途を絞ってみたい。
人生の仕舞にPCで何をするのか・・考えたり実践・行動するのは楽しい。
PCの型と性能など

■今日のFB投稿

新品来たよ!シンクパットを頂戴する!
今日は気温が下がり曇天ドン雨きて、木蓮の花は開花時に毎年寒さに遭い蕾の先端が凍みてしまい開花すると茶色い縁取りが施されてしまい、一成に満開となるのが常(3月末は気温変化が激しいよね)

「人生最後のPC」を手に入れようと、昨年末から電気屋などをウロチョロ、ネットでサクサクと探していたが品数が多すぎて・・わからん!もじもじしていたら新品が今日の昼過ぎに届いた。ありがたい!!(探す手間暇要らん)
今世紀にはいりシンクパッド4代目。なにかシールでも古いのに貼らないと見分けつかないな・・・毎度のことだがOSしか入ってない。人生最後に何をすっかな?・・それを決めてからソフトを入れをしよう。もう一台新品買うまで生きているのか不明なのでPCでなにするかは。my〆を考えることと同じなんだな・・。
新品PCの重量は筋肉衰え癌持ち老人も片手でひょいと軽い。手もち感古いシンクパッド、大げさに言えば半分ほどの目方に感じる、とにかく軽い、老人にはいいね。(PC持ち歩き各地を訪ね歩くなど、出かけることもなさそうなのだが・・・)



















3月24日  午後一気に温かくなり木蓮満開近し。桜の蕾も膨らみ咲きそう。

■昨日かりた本をパラパラめくって見る。タイトルは誇大だと思う福一事故の真実をしるためには原子炉を切り開いて、どのように溶融した、どこがどうなったか調べないと判断できないはずだ。だから真実の途中経過くらいな感じだと思うが、力が入っれ土俵から出たタイトルのような気がした。

土俵と言えば今日は110年ぶりに尊富士という青森出身の新入幕の関取が初優勝してしまったとニュースがながれていた。凄い事かもしれないし、大関横綱など上位陣がだめだとも言える。なにわともわれ新人が活躍する世代交代はめでたいと思う。

■スーパーに二度いく、日曜日なのでその後は『オッペンハイマー下』をコツコツ読む。原爆投下後の国際政治による彼の変わりようと苦悩がリアルに書かれている。ドイツ敗戦、ヒトラー自殺後から実験成功、日本への投下の切迫した感じよりは劣るけれど、国際政治に翻弄される彼の姿も興味深い。


■今日のFB投稿
白木蓮いっきに開花 
午後きおん上がり足踏みしていた木蓮がさきほこってしまった。桜も明日開花しそうに蕾が膨らんだ

黒田レオン(85才)さんの推し本『福島第一原発事故の真実』
2021年2月25日講談社刊行
県立図書館には311後に刊行された福一事故関連書籍(郷土資料)コーナーが急設された。毎日10冊刊行されているとも聞いた。全部収蔵しているかしらないけれど、そのコーナーは年々書籍量が増え続けているようで見た目にも存在が大きくなっている。そこにこの本も収められていた。分厚い方かな・・。
■734頁と分厚く床に立つ。文字が大きく行間も広い図版も多い。で資料用に詰めれたとすれば500頁ぐらいなのだろう。タイトルがいかめしいが「原発事故が起きた真実」は原子炉を解体調査しないと分からないはずだから、何年先になるか予想もつかない。俺が生きている間にそれが解明されるとは思わないから期待して読まな方がよさそうだ、それが手に取った感想。
■だが資料としては良さそうだ・・・なので定価も3200円と内容に比べ安いと思うので買うかもしれない。『マンハッタン計画』は古書で1万円したが資料用に買った。それでも建築洋書にくらべたら超安い本だと思った。


















3月23日 小雨ふりつづく  

県立図書館に本を返して、2冊かり、2冊2週間延長する。 家からは徒歩でちょうどよい距離だ。
本を借りたあと県立美術館に寄り美人画を見る、しべ日本画だ。色彩がなんとも美しい、顔の表情はさほどいいとは思わないが日本の美人の形式がおちょぼ口と黒髪と、長い身長と美しい着物をまとっているという様式化が隅々まで行き渡っていたこが分る

また戦争中にも関わらず日本画で美人を描いている人の存在は何か救われる気がする。みな同じ戦場を向かずにキャンパス(日本画は絹地だな)に向かっている姿を想像していた。浮世離れしている人はいいよ。


■FB投稿

雨落ち曇天のなか散歩(俺優待券あり)
県立図書館で本を借り、県立美術館で美人画134点を走りながら観る。一番の美人を決めて!と受付でいわれたのだが、俺は女性の美を観る目がないと女性から言われることしきりなので、美人決めには自信がない。
祇園の若い芸子さんモデルはどうもいけない、働く女性も少しいた。気が付いたことはセイラームンーン城の主たちにように美人がはやたらに縦に長い、それは現在も続いている。裸婦美人も数枚あったが今のように巨乳モデルはいない、戦争中でも絵を描く人が居たのに救われるよ。そうそう乳の話だった、日本人画家たちはでか!パイをよしとしていないことが分る。

黒田レオンさんの講義メモつくり公開!
http://www.fullchin.jp/f/20240321/kuroda.html
聞き取り違いもあると思います.。動画もつけたりしました。
で、『原爆死の真実─きのこ雲のしたで起きたこと』を合わせて読み間違を各自修正お願いします。(話芸人でもないかぎり普通の人もまったく、同じには話せない語れないと思います)











3月22日  

■のんびり『オッペンハイマー下』を読み始める。原子力の平和利用を言い出したのはオッペンハイマーで1945年11月2日だった。ロスアラモスを辞して2週間後、一緒に働いていた4000人ほどの科学者を前に名演説のなかで語られてたそうだ。

■FB投稿

「原子力の平和利用」を言い出した奴は誰か? 分かったよ!
『オッペンハイマー』上巻読み終え下巻に入って分かった、オッペンハイマーその人だった。原爆が炸裂すると世界がどのように変わるか、核が暴走し(核兵器競争)止められない、その事も知っていた。今では大人なら誰でも知っている3度目投下したら人類の滅亡だってこと・・・そこでニールスボーアの語る世界を信ずるオッペンハイマーは核の平和利用を追求し、国際共同原子力委員会を組織し「核」をソビエトとも管理しようと米国の政治家に訴えた人でもあった。アメリカ人社会が言い出さなければ実現できる国家はないと訴えていて、いい。科学者を超えていて大勢の人に響く言葉を繰り出す天才でもあるな・・と感じる(世界を見渡すと今でも核の共同管理は実現していない、フクシマの核はどうするのか問題もある)
 ドイツが敗戦してからは警告だけでいい、原爆の実投下はやめようと訴えていた。日本には・・広島には落とすな、落とすなら事前警告してから落とせ・・・とも助言している。が政治家・トルーマンがちょっとイカレている政治家、軍人たちもイカレている(原爆がどういうものか理解していないかった)彼らにに押し切られてしまう。広島長崎投下後、彼は辞職するが原爆を開発して人間に向かって炸裂させてしまったリーダー科学者の苦悩がどのようなものだったか詳細に書いてあった。フクシマを生きる者には必読書だと思った。(すーぱ原爆を造りたい、科学者も居たりっして水爆実験は止められなかった)
■特に、ロスアラモスを辞職し2週間後、1945年11月2日メサでの講演は人々の疑問、恐れ今後の核の希望を明瞭に語った名演説だっそうだ。(聞きたい、読みたい)
 当時、今も世界の科学者と科学者たち、科学者と政治家、軍人と、そして家族、研究開発の人々の生活支える多くの労働者と下働きする兵士の「からみ合う話は興味深いものばかりだ(一種ゲ〜テッドコミュニティーの実験場でもあるかを覗いている気分)オッペンハイマーはトリニティでの原爆実験に成功したあと=ドイツが敗戦迫ったころ(連合軍のノルマンディー上陸後)科学者として原爆投下を阻止しようとしていることも分かった。まがりなりにも都市に暮らす人を標的にした3発目の原爆投下が実施されていないことを評価したい。核兵器が炸裂する世をつくらないためには「戦争反対、9条守れ」しかないようだ。


































アフタートーク・・黒田レオンさんの語りの方が今日のメインイベントだった。と振り返っている。それはなぜか、たぶん映画に余計なものが付いていて相対化したり、何を・・が薄くなったのか、意図をストレートに編集できてないか・・そう思うのかもしれない。などと思い出して考えてみる、資料もあるので結論を急ぐ必要もない 科学と政治にまたがる問題なので 根は一緒で戦争の無い地球を目指している 平安に人間が平安に暮らせる政治とはなにか 哲学的な問いもふくまれている。議論の場が無さすぎるのかもな

3月21日  

午前『オッペンハイマー 上』を読む。

■12時家をでてフフォーラム福島に行き、『サイレント・ホールアウト』を1時間半観る。
黒田レオンさんのアフタートークを拝聴し質問する。
■家に戻り『オッペンハイマー 上』を読む。今年は原発と原子爆などにかんして集中的に考えたり読んだり資料を集めたりすることにしているので、そうなってきた。

■FB投稿

人生初リトルボーイ炸裂下にいて生きていた少年と2ショットしたよ!!
『サイレント・フォールアウト』を観@フォーラム福島。21日が最終上映だと知り観に行く。1945年8月6日原爆直下傍、御幸橋まで走って6分ほどの自宅で朝食中、6才の少年・黒田レオンさん(85才)「15歳まで生きていたら奇跡だ」と米軍医師に言われたが奇跡の人生を生き続けている「生の人」と初めて話し合った。(映像では沢山見ている)
「15歳過ぎてから好きに生きて来た」というという黒田さんのアフタートークがセットだった。お客さんが少なかったので質問もできてよかった(内容はメモしたのでまとめてWEB公開するかも・・)。現在は会津地方に暮らしているそうです。
 全米で上映し米国の被曝実態を伝え核兵器・原爆や戦争を止めようとする意図なのだと受け止め鑑賞していた。子供の親たち、リーダーはルイーズ・ライスという女医さんと夫。母親たちが集まって何を語り合い行った得たのか、議事録が図書館に残っていた。それを研究者が発見する。記録がないと記憶が掘り起こせない、映画も造れないという実例だろう。(フクシマ問題の記録を集めるのは不可能に近い研究者も居ないし・・とほほと想うこの頃)。
 映画の内容は1950年代ネバダ州で行われた原爆実験による子供の被曝の実態をしらせる母親たちの活動と、当時こどもだったが現在も生き残っている癌などに苦しんでいる人亡くなった方の思いなどを被曝者の肉声、イギリス兵が核実験場を片付けし被曝してしまった若い兵士が40代で亡くなった実態なども集めた作品。図録も買ったのでいい資料の一となる。





























 3月20日 曇りのち小雨から霙に変わる。木蓮は咲いたけどまだ寒い3月

■昨日は朝から晩まで伝記『オッペンハイマー』を読む。今日は読めず。338/1000頁なので1/3ぐらい読んだかも。
■午後食材を買出しにいく、休日なので混んでいた。夕方海老の下処理をして家人に天婦羅をあげてもらう。美味いと好評だった。天婦羅あげられる老人になりたいよ。今年なんとかしたいな。

■FB投稿


このトークショー記事じゃなくって全部拝聴したいよね!
白人男性が制作した娯楽興行てきな映画なんで・・・そこを外して・・・ここもか、太平洋戦争終末迫る状況で米国あげて製造した原子爆弾、さらに「オッペンハイマーは時代の子で 生まれるべくして登場してしまった天才と彼の暮らしにある悲劇要件を受け止めて観たいものだ。
上映された今の時代状況下で監督を断罪するのはよいとしても、オッペンハイマー(生きていれば115才。日本軍も作ろうと研究はしていた)を断罪するのは、この映画の問題の本質が見えなくなるよ、そして今とるべき行動も分からなくなるように思うけど・・・どうかな?「伝記」を読むかぎりオッペンハイマー「変な成長の仕方で、人になっている」おれは気の毒だと思った。これが近代教育の結末の一つってやつさな・・とも思う。

・ 一年ちょい前から原発事故を整理してから冥途を目指ざそうと思いいろいろ調べたり絵を描いたりしていたら、今年は原子爆弾ルネサンスふうの風が吹き始めた。そうか敗戦後80年経つしな・・米国犬的政府もがたがたになってみんな銭設けしか考えてないと分かってしまったし、戦争や原爆を再考する時期かもな、日本も武器輸出準備を始めたし、戦争しようと煽る人も多いし

・ 夕方から雪、みぞれ来たよ 天丼だ海老をじゅわとあげた
近所のスーパーに日曜とは知らずに行ってしまったら混んでいた。だが海老ちゃんはたたき売られていて半値チョイだった、貧乏人は値に弱いコロリと買った。
下ごしらえをして揚げるのだが、揚げるそこは家人に依頼した。下ごしらえが下手だからすこし海老ぞり気味の天丼となり。「まあいいか」の飯炊き爺さんだ。今年は天婦羅もあげら夕飯爺さんめざしているのだが・・まだ無理。天婦羅大好きなのでタイの天婦食いたいよ!などと妄想しているのだが腕が上がるかは分からない。
半値チョイ海老は冷凍焼けで味が落ちているだろう・・と想定し下ごしらえしたのだが、味は落ちていず、とは書くものの本当は俺様は捕りたての海老天を食った事が無い・・美味いことにしておこう

・フォーラム福島でも来週から上映されます
(長崎県内などのような議論の場ができるといいですね)
『オッペンハイマー』伝記を読んでから鑑賞しよう。途中までの感想では映画1本で表現するには難しすぎる対象・人物の物語だと思います(若い時分の統合失調症状と鬱症状とは人にとって何か・・それを知る必要もあります)

3月18日  風強く各地で被害とか 吹雪くも積雪にはならない冬に戻る

■『オッペンハイマー』を読みはじめる。
■my長男より朗報あり。















3月17日昨夜は風もつよく、朝地震もあり昼 よる雨

めまぐるしく変わる春の天候らしく、明日は強風だという。午前中食材を買出しに行く、日曜日は日中から家族連れて賑わう。

午後ひさしぶりに町に遊びにいってワイワイする。

■FB投稿

京都から中学卒業の写真送られてき、庭の木蓮開花!
春到来(中学卒業おめでとう!もう大人だね)
今年からは原発(原爆)や他人史のネタ集めたりweb発信したりを8割、聞き取り活動2割にし人生をお仕舞にしていこうと思いスタート。
■他人史の見本みたいな2冊を原発事故後手に取っている。『オッペンハイマー上・下』は25年間かけ歴史研究者と歴史学教授の2人共著で刊行。『巨怪伝上下』は佐野眞一さんが9年間かけて(もちろん文芸春秋社の下っ端の記者たちが資料集めしたのだろう)刊行している。どちらも1000頁ほどあり、原爆誕生から原発事故後のフクシマ、今後のフクシマと原発の展開、プルトニュームの事、あるいは日本の原発の収束がどうなるのか、など・・・あるいは「日本のマスコミが不全であり、主権者にとって民主主義が正常に機能しないように思える、その原因の一端を知りたい」それらに関心・疑問をもって暮らしている人には、2著書はお勧めだ。全体の構造が霧が晴れるように明かされてしまうきがする。が、マスコミの雑多な情報に身を任せ漂いながら快適に暮らしている人や原発しらんがな・・俺様が天下をとっている、と想う人は読まなくっても済む4冊。
■今年は、原爆ルネッサンス開始はなぜかは知らないけれど・・映画『オッペンハイマー』はアカデミー賞を総なめしたようなニュースが流れている。『ゴジラ-1.0』もVFX賞を受賞したことで、原爆・原発ルネッサンス到来なのかもしれない。
■オッペンハイマー伝記の頁を開くと戦争の世紀と言われた20世紀を思い返し世界史の中でしか個人が生きていくことが出来ない様を理解できて、なんとも切なくなるだろうが、人が生きているというのはそういうことなのだろう・・・・少しでも自分が生きていた現在や「フクシマの時代」を理解しようとする者には両著は必読書だという気がする。
■来月は「ゴジラとオッペンハイマーを語る会」を開催する予定だ。



























3月16日 

自分史に関する本をざっと見た。午後原爆の父と称された評伝『オッペンハイマー(上)』を読み始める。面白いけど分厚い上下で950頁もあるので、毎日少しずつ読むことにした、面白い。


■今日のFB投稿

目標15人・「他人史」の書き方の準備開始とまとめ方の模索開始
「他人史」(俺発かも)という言葉があるのか・・しらないけれど、「似たような問題があるだろう・・」と図書館に行き「自分史」に関する本を借りサラ見読みした。「俺様の他人史」の目的と他人様による「自分史」の意味と動機はだいぶ違うと知ることになった。
『物語られる「人生」─自分史を書くということ』1997年刊行。これが一番情報量がまとまり素人向けであった。

次に『元祖が語る自分史のすべて』2000年刊行は、妻である上野千鶴子氏が夫色川大吉さんを聞き取りし問と答えの記録によって編まれていて、「自分史」を歴史の中に位置づける意欲作。だが「他人史」を書こうとしている今の俺には「自分史対歴史」の構図が強すぎ、プロ向けのように思え、まだ参考にはならない。
3冊目が『自分史の書き方』2013年刊行、立花さんが大学の授業であつかった自分史の実例を簡潔にまとめたもので、書き手に沿った具体的な実例と手法が満載なのだが、私には授業の目的が前面におしだされていて、どうも合わない。

■2000年代にはいり建築系の人々などを招き、我が家で「建築あそび」を開き、2008年からは自邸を出て他者の家に泊めてもらいながら住経験を重ねてきた。(星座型居住の実践と課題抽出のため)2020年以降はそれらの聞き取り記録をまとめた「他人史」(←「評伝」とは違い私が見たその人を語る)をweb記録にしようと目標を立てていたのだが、癌発見や家人の症状悪化により、「他人史」を作成するための準備はすすまなかった。2024年春がきて、ようやく聞きとりはやめ過去のweb記録をまとめた「他人史」づくりを始めている。

■家人の小学生時分からある「彼女のアルバム」と、そこに添えられた書き込みは「他人史」を書くためにたいへん参考になる。意図しないものがたくさん写っているので、質問しやすい。だから精神がおかしくても記憶はおかしくならないのだ、で、2年間でいろいろ聞き取りし記録したので、まとめるだけになってきた)
めも)「孤立死」おおくなったそうだ。
311後に完成入居の福島県内の災害公営住宅でのこと。(孤立死と孤独死の違い説明要だし、新型コロナの影響だと伝えるのだが・・・孤立死あるいは孤独死への視線が単純すぎて・・・押し付け型の報道になっていないか?) 我が家の周囲も一人暮らしを選ぶ老人が半数だ。あるいは老人ホームへ入所させられている。

■鮪立の防潮堤と取り付け道路は完成したそうです。
鮪立(しびだち)のみなさんおめでとうございます!!
(鈴木さんの投稿をシェアさせていただきました)




3月15日  午後から風強くなる

0時15分、震度5弱(ニュースでは4)の地震があり床暖房の耐震装置働く。起きてリセットしつつ、火事がおきてないか見回す。夜の地震はニュースより震度が数度増すきがする。

■花田達朗先生の「私の装具自慢」記事アップ、いい新聞記事の写真も付けた記録となった。

■鮪立の防潮堤まわりが完成したそうだ。よかった。


■FB投稿
花田達朗先生発「私の装具自慢」公開しました。
http://www.fullchin.jp/00sakin.../0hk/20240314/20240314.html
(『ポリオの会ニュース』の2024年1号に「私の装具自慢」と題する一文を寄稿しました。2024年2月1日発行、増刊通巻6012号、35-37頁。それをここに転載します。「装具は私の身体の一部だ」と述べています)
花田達朗先生に装具をつけているなどの写真を送っていただき、記事内に貼り付けました。装具のあれこれが具体的に理解できると思いますので記録を読んでポリオや装具に興味をもっていただければ嬉しいです。


3月14日  時々晴れ  

■鈴木先生1950〜60年代年譜 おおよそ完成。
■花田先生久しぶりの投稿記事をWEB加工してチェックしてもらう。18時頃30分ほどワイワイする。
■FB投稿
世界の原子力産業動向と日本への示唆
2022年1月19日(水)18:00〜19:45
動画と自動文字起こし 共にみることができます








3月13日 のち昼過ぎ強い風あり

鈴木達治郎先生の1950〜60年代の年譜づくりをするのための聞き取り記録ができた。次はいよいよ年譜づくりだ。
■昼過ぎ、銀行と食材買出しにいく。風強くって自転車をこぐのがたいへんだった。

■FB投稿
鈴木達治郎先生先生は大の映画好き!(幼稚園時から!映画観てる)
俺と同じ年齢の鈴木達治郎先生に会ったのは2012年11月10日福島大学の階段型教室。そのご原子力政策などについて情報をいただいたり、WEB機能を使ってワイワイもしている。
ふと「鈴木先生の人生というか年譜づくりを始めよう」と思い現在はいろいろ質問など・ワイワイしていて面白い。ワイワイの中で、だいの映画好きGSなどの歌謡も大好きが語られもする。今は『ゴジラ-1.0』や1954年11月に公開された『ゴジラ』第一作についても語り合いを始めた。さすが科学者、おもろいよゴジラ話も・・・。(絵は全てwebより)
 2024年現在映画好きにはたまらない、ブルーレイで観なくってもDVDで昔の映画を観ることも手軽になった。何度でも観てあれこれ語り合える、また構成や演出、シナリオだって自分なりに作り直すこともできちゃう、たまらない。スターが年老いて何を語っているのか、それを見るのもそれも面白い。スターが人間であるが語られたすると、そのスター時代が輝いて見えるのも面白い。ひたむきに好きな事をして生きている、そこから面白さが湧きだすのは共通の泉のように思える。ひたむきに生きられない若者に、ひたむきに生きることができる社会を与えよ!と願うお爺さんである、











3月11日  穏やかな小晴日和だった。

■東日本大震災から13年が経った。神棚に燈明をともし柏手を家人とともに打った。

■50年間使い続けたガス台に載せるオーブンで鳥のももを焼いてたべる。

■今日のFB投稿
今日からは3・11以前の物や記録に触れたい!触れ・記録するよ
 あの日から13年が過ぎました。皆さんにはたいへんお世話になりましたが、お元気でお過ごしですか?運悪く天国に召された方々は私たちのことを応援しながら見守っていただけておりますか、まだ悔いが残っておりますか?フクシマは相変わらず見通しもなく、他人任せの浪費というか徒労を積み重ねているかのようですが、300年後の草案を私なりに手に入れることができました。
 また多くの友人知人の皆様には義援金などをいただくなど心温まるご支援にて311以前の私の人生の設計図には無かった活動を行うことになりました辛くもあり幸甚でもありました。
  このように自然のエネルギーは、人の人生も一気に変えてしまう偉大な何かだなとシミジミ思います。あの日が無く311前のままの世が続いていたならば会う事のなかった多くの賢人たち、フクシマを通して多数知り合うことになり、人生の質が変ってしまった13年間です。
 ありがたいと言っては変ですが何かお返しができないものかと考え続けているのですが、いまのところ見つかりません、単に生き続けることで皆様のことを忘れず思いつづけることにいたします。
 50年前に買ってもらったガスオーブンを40年ぶりに使ってみました、私に似て古いのですがいい味に焼けます。今日からは311前の物や記録にふれながら、それを記録しつつ生を刻んで行く予定です。こんな事しか年老いた私にはできそうもないのですから。
 あなたに悲しいことや辛いことがありましたら、私に連絡しその話を聞かせてください。私に話してそれらを忘れて、今を一所懸命に生きてきださい、生きていきましょう。遊びにも来てね。2024年3月11日

・3月11日家人と共に燈明をともし柏手を打つ!!
県主催の追悼式に一般参加はかなわない(新コロナ発生時から)












3月9日 

7日に確定申告を済ませたので、そのごから鈴木達治郎先生とワイワイした肉声を文字記録にしている。まだ1時間ほどしかできていない。鈴木先生は幼少期からお爺さんに手を引かれ映画館通いにょって今日まで変わらぬ映画好き、つまり都市の人だった。同じ年齢だけど山間地育ちと都会育ちではこうも違うのかと面白過ぎて、味わいながら文字にしている。

■FB投稿

大阪市北部にある郊外住宅の生成を少しよむ
大都市史、住宅と都市計画を勉強するなら大阪に的をしぼると効率がいいかも?。造幣局、砲兵工場などの重化学工業、大阪紡績などもあり煙突だらけで「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたそうで、その下に住宅が密集してた、西山夘三の生まれ故郷の『住まい方の記』に記されているように、大変な暮らしぶりだと推測がつく(時々西九条を生誕の地を逍遥してもいる)大都市の居住問題を解決すべく、関一博士(市長)などの尽力で北部へ住宅地開発が始まり、俺が関西に行った1970年には千里の丘で万博が開催されていた!現在は万博公園の他にも美しい公園もあり、大阪市街に近いし港湾部とは違う良さがあるので訪ねて観たい〜場所推しの一つだけどね。上町台地も徒歩うろうろ推します。いいよ

■7日FB投稿

年に一度よ、税務署へ
例年2月に済ませる確定申告、病院通いでぐったりぐたぐたな身体なので遅れてしまった。天気がいいので今日提出に税務署にいく。風は冷たいよまだまだ福島県選出の政治家達もキックバック(裏金)じゃねー、脱税じゃーないと言い張っていてSNSも賑わう珍しい年度末・申告時期。福島税務署の窓口でもゴネゴネしているオジサンに会えるといいな・・それを楽しみに向かったが窓口持参の人もまばらだった。
















3月6日 積雪あり 除雪する 

体調不良にて早ねしていたので、日記書かずにきてしまった。

■大腸ポリープ切除の結果を聞きに日赤に行く。3個とも良性だったので一安心、今後は3年後ぐらいにチェックするといいらしい。今回は10年間放置してたので、忘れないようにしよう。

■予約制の消化器内科すいていたので、おもったよりスイスイ、戻って、家人の通院していう精神科医院に行く。こちらは満員で2時間要した。担当の先生と3年半ぶりにお会いしたが老人になっていた。もうじき80歳まじかかもしれない。精神科医に年齢制限は不要だと思う。


■ FB投稿
病院の梯子する
出がけ早々、飯坂線の鉄路を横切ろうとし転倒!痛テー・・するも打撲もなにもなくひょいと自転車をこぐも痛さもなく無事。
日赤の消化器内科は老人で埋め尽くされていた。(前立腺癌をあつかう泌尿器科も同様。)
・)一端家にもどって、近所と言っても2km弱の精神科医院に、こちらは中学生から老人まで、働き盛りの若い人も多い、満員常態。そのようななか来年五月移転となるとのこと、my家人の薬を受け取りならが、移転後の通院に通院について担当医とワイワイ。週一でもいいのでこの場で診察、不可能なら先生独立して開業・・をお願いしてみた。精神科は医師との相性が大切だからだ。「俺もここで、このまま治療を続けた!・・・」とのこと。意見は一致したがはたしてどうなるか・・・電子カルテもないし、支払いも自動じゃない。古いシステムのままだから消えていくのは仕方のないようだが・・・ぶつぶつ。

精神の診療は家族だけでも受診できるので、心配な方は一人で悩まず家族にお願いしてみましょう。身体性が欠如しつつ、ネットのような情報の過多に漬けられ生活してしまうと 若い人ほど心が病むのは必然のように思うのですが ・・ 情報シャワーを捨て、野生的に生きようと試みるのはいいかもですが、山登り、スキーなんでも運動するのがいいかも、机に座って炬燵記事書く方がらくだとは思いますけれど(無理かな)町に出ると転倒する楽しさもありますよ

・)磯崎新さん、亡くなり寒いな
毎日モンローチェア暮らしに感謝している

・)庭は真っ白な綿帽子のような雪で覆われた朝
2月には4月半ばの気温となり、3月に寒さ戻り吹雪く日が多く、とうとう積雪。気温は乱れ老若をとわず体調を崩しやすくい年度末のようなきがする。のんびり働き睡眠を確保してね・・・と投稿すると、ボケ爺!と言われるか?庭に野鳥が来て賑やかだ、天気は回復気味なのだろう。












3月4日 気温さがり寒い
数日ポリープ切除の反動が胃腸の消化機能が衰えていて、どうもいけない。吐きそうになるしもれそうになり大忙し。なにもする気も起きず、なるべく暇をみつけては寝る

■19時から1時間半ほど鈴木達治郎先生の生い立ちを聞き取りするなど、余計な話もし楽しい1時間はんだった。すこし元気になる。話し合いの仕舞にNHKアーカイブのURLを教えて頂く。一気にみてしまう、2013年から現在までブレない語りに本物感を教えている記録。 

■FB投稿

今夜は鈴木達治郎先生と長時間ワイワイ。
2013年12月13日に収録された動画[戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか]を紹介します。使用済み燃料やプルトニュームをどうするか・・・など鈴木先生の提案が分り易く語られていますので、原発の電気を使っていた方々にも観ていただきのでシツコいですが、紹介いたします(鈴木先生お付き合いありがとうございました)
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/...


処理水廃棄 差し止め訴訟 始まりました 
興味ぶかい訴訟です(長い裁判になるのか玄関払いなのか)注視続たいと思います(体調不良にて現場に行けず─後半の方が分り易い動画かも)


帰還率につてのニュース






3月1日  
福島県内の高校の卒業式があって両親と歩いている高校生を観る。いいなや社会人おめでとう!いい人生てにいれてや!と願うのであった。

DVDドライバーがうまく作動しないので新しいのを買いに量販店にいく、ついでにアイフォンのコードも買う。どちらも同じ値段だ、がドライバーの方には沢山ソフトがついていて、画像や動画など編集に焼き付け、なんでもできるようだで4000円だった。

PCの周辺機材をほとんど買わない、興味ないおれだが、久しぶりの量販電気屋の品数におどろく、だれが買うのか知らんがとにかく欲しくなる人も多そうだ。俺ほしくならないから、資本主義社会に生きている人間じゃないのだろう。

■FB投稿

外付けDVDドライバーを買う(PC周辺機器オタクじゃない俺・・珍)
3月1日高校生が両親と歩いている姿は毎年観てもいいかんじだよな・・社会人になっていくんだな、幸多かれ!だよね。

■DVD見過ぎたのかなので・・動かなくなった。新しいドライバーを買ってみた。老人には効きすぎるほどソフトが付いてきて4000円ほど。ソフトの中身は動画再生、動画編集、画像編集 データ整理用編集焼き付けソフト・・こんなに要らんがな・・と思うがこれが一番安かった。動画編集してみようか、画像加工はペイントやギンプで充分だ。何かしたくなるかものソフト。(インストール時間掛かりすぎ壊れたかと思うほどだった)