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2024年 5月の日記 |
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5月31日 台風なみの雨の予想はすこしはずれて雨強くもなんとか飛行場まで行けそう。 宿4時45分に起きる。 朝飯をつくり食べ冷蔵庫を空にする。余った食材などは袋に入れ福島に持ち帰るためにコンパクトに詰める。 日暮里まで出てスカイライナーに乗り、成田空港に向かう。 出国手続きなどを済ませ、my長女と1時間ほどだべる。 出国げート10時半ごろ、記念写真を撮って別れる。 再度スカイライナーで日暮里駅で乗り換えて新橋駅でいったん降りる。ヒロタのシュークリームを土産に買うためだ。 12時半ごろの新幹線に乗り福島に戻る。空はどんより曇り空だった。 家に戻り、家人とだべる。その後少しデータを整理する。 早めに寝床につきぐっすり寝る ■FB投稿 my長女成田空港よりドイツへ?離日 ■娘帰国に合わせ、東京+長崎への漫遊おしまい・・・面白かった!お付き合いいだだきお世話にりました皆さまへ感謝申し上げます! ■娘の帰国に合わせて今回も東京・便乗型・宿住居をするする。今回は主に「文京区大塚の地形や公園」に絞りあるいた。飯炊き爺さんし、たくさん食べたので太ったしまった。さらに途中、長崎の坂道に突っ込み膝が笑ってやられてしまって筋肉痛だった。飛行機代高いけど長崎は一生に一度はいくべきだと思い、推し・推します。(体力なくなっているのを実感しまくった) ■40年(笑)ぶりだと思うよ、雨の成田空港へ。スカイライナーは料金は高いけど、スイスイしてて羽田空港へいくと通勤客もまじっているんだけど、こちらはそういうのないので快適な気がした。(直感だけど) |
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5月30日 午前中のんびりし朝飯をつくったり、データを整理したりしする。 午後、飯田橋駅で樫原先生に会いだべり後小石川後楽園を体験する。護国寺により宿に戻り、31日帰国予定のmy長女とわいわいして早寝する。 ■FB投稿 東京漫遊2024最終日 皇居以外にも東京の真ん中に田圃あるんですよ! ■工学院大学で教鞭をもつ樫原徹先生と飯田橋駅でお会いし、近況報告し合う。近々ベトナム研修旅行だそうだ。(俺・行きたいかも) ■そのご後楽園ドームに隣接・接続している「小石川後楽園」に行き、400年以上前(?)の基盤ができた庭園を体感する。田植えは終えたばかりで株が増えている様をみることができた。梅の実をもいでいる時期、で職員の方が梅干しとりしていた。資金支援していただいている方々に採りたての梅を送るのだそうだ。いい仕事しているよ公園職員の方々。 ■アイリスはほぼ満開、深い山もあり泉も湧きせせらぎも森の闇もし体験可能だ。地形に逆らわない庭園は学ぶ点満載だった。 |
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5月29日 長崎市快晴 6時半起床する。だべって7時過ぎにホテル朝食をいただくたんまり食べる。9時過ぎ部屋に戻りデータ整理。my長女はホテルの温泉に行く 11時までホテルでのんびりする。 午後、26聖人資料館から電車にのりグラバー邸を逍遙 見所満載の長崎市内だ 夜、最終便で長崎空港から羽田へ。宿についたのは0時すぎていいた 詳細は別記予定 |
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5月28日 羽田空港国内線ロビー雨ふり 長崎ときどき小雨 8時25分発長崎行きの飛行機に乗るため、文京区大塚の宿住居6時に出る。羽田空港着7時15分ごろ、修学旅行の高校生が沢山いて混雑しているた。雨のためか離陸は20分ほど遅れる。上空は雲の中。10時40分に長崎空港に着陸。大村湾といういあ湖のような小高やな水面に滑走路がある印象的な飛行場。観光客が沢山いて歓迎ムード満載。 飛行場から長崎駅までシャトルバスに乗る。12時過ぎ、改修盛んな工事中の長崎駅前に着く。駅の長崎ちゃんぽんやで、野菜たっぷりちゃんぽんを食べスイカで初支払いする。 バスの中にお土産を忘れたことに気付き、案内嬢に戻り、県バス車庫に行き、忘れ物を受け取る。 路面電車で原爆資料館にいく、坂道がキツイ。平地が少なく山の中腹まで家が建っていて坂道を昇り降りするのは疲れる。 資料館は修学旅行の大分県中津市から2時間ほどバスでやってきたという小学生、高校生などで超満員。展示内容はよい。広島長崎、福島と核兵器関連の場に立ったことになった。平和公園や爆心地にもいく、路面電車に乗り、長崎駅にもどる。宿や高級ホテルだった(飛行機代も宿代も娘のマイレージ活用)マイレージとポイントの威力を知る。 ズボンが破れたので長崎駅傍のすこし高いそれを買う。 16時30分、駅ビルの4階の居酒屋・新次郎で鈴木先生と集合し3時間ほどワイワイする。ご馳走になる。 my長女も俺も疲れる寝る。 ■恒笑顔の長崎大学・鈴木達治郎先生にご馳走になる28日夜@長崎 鈴木先生は俺より3ヶ月年上の同年代だけど超エリート。31日は国会の委員会にも登壇される切れ味するどい実践と思考で政治家たちに切り込むのだが・・・そういう方。山猿の俺は福島第一発電所の事故後ずっと、ご教示いただきワイワイも続けて13年間。 その間、長崎大学に職場を移しても、鈴木先生は世界を飛び回り核廃絶や核テロ対策について世界の科学者たちと語り合う日本では稀な、有言実行・平和の求道者でもある。トラキチでもあり映画をたくさん見ていて評論家でもある。 初長崎漫遊でした。膝が大笑いする急な坂道にも歓迎うけました!日本の窓、悲劇を伴って積み重ねられている歴史都市、さらに「トラムと歩道と車道の共存」も興味深く、なるほどばかりでした。日本が世界にずっと開いている最先端国際都市はいまでも続いていると感じることができました。地域の歴史的記録の保存と継承も学ぶべきこと山盛りでなるほどが多く感激しました。今後もよろしくお願いいたします! |
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5月27日 長崎に行くために今日は東京泊。初スマフォチケットを使ってみた。記録も残り紙も御釣りも要らないので快適過ぎる。 ■FB投稿 竹内泰先生とワイワイして後、文京区大塚にある宿住居に来る 東京も福島市内も曇り空。飯坂線9時47分発に乗り福島駅から東京お上りさんする。(明日、長崎市原爆資料館に行くため) ■東日本大震災が起きなければ竹内泰先生と出会い、長年ワイワイすることはなかったので災害は人との出会いをつくる。そのご竹内先生は、神田に事務所開所された。今日は経理ふうのお仕事をされていた。元気である。気になるよもやま話をしていたら、持参したお菓子より3倍ぐらいのお土産をいただいてしまう。 本がだいぶ増えていたし、相変わらず温泉愛好家で福島県内まだ知らない温泉を教えてもらう。(今世紀に入って温泉巡りしなくなった)。開所して2.5年ほどだと思うが印象深い出来事がたくさん起きた場所でもある。またお邪魔しよう。 夕食後にのど飴 飯炊き爺さんする 飯を炊いて文京区大塚の宿住居の台所で酒のつまみやみそ汁を作る。宿住居の冷蔵庫は冷凍庫が半分の容量で今時ではある。 竹内先生に頂いた日本酒を呑むために冷ややっこと刺身とみそ汁だけの簡単飯炊き。食後は糖分補給と喉いがいが払いのため小石川植物園で買ったのど飴をなめる |
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5月25日 26日 筋肉痛をいやすに福島に戻る お土産は、昨年谷中漫遊で見つけた店の、谷中の煎餅、谷中の佃煮。一駅間違えて谷中の尾根を歩く。 我が家に集合し昼からmy長女土産のドイツビールを呑む!!(笑) 久しぶりに家族5人が集合。子どもたちは小さい頃から変わらず、自由で自分に合った仕事につき生き方ている、そんな気がする・・だから、多方面の方々を迷惑を振りまいていることだろうな・・・まぁこういう生き方しか我が家の人々はできない。「好き勝手に生きよ!」と俺が言い続けたからな・・ |
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5月24日 ■石川啄木終焉の地の歌碑を訪ねる@東京漫遊 2年前に文京区と盛岡市は災害災害時に相互応援するよ!の協定を結んでいる。建築でも文学でもいいけどそれを通じて他地域間で災害時に協力し合うべき、災害が起きたら助け合おうよという協定があるのは心強いもんだ。 親子、友人、知人もどうように災害に遇ったら助け合うことでしかひとは生き延びられない。だから行政間で助け合い協定するよはいいな。東日本大震災を経て13年経ったけど多種多様な方々に助けていただいたことを思い出す。改めてありがとうございました。困ったことが起きたら、助け合いしながら、また日常的にも交流したいです。(文京区と盛岡市をみならって暮らしていきましょう) 岩手県一関市に1951年生まれの藤圭子さん(俺と同じ年齢)の歌碑をたずねたので歌碑繋がりでも漫遊しよう。近代曙期の文豪たちが多くくらしたという文京区、啄木終焉の地を訪ね展示内容を観察する。いいな・・。文京区は他者に開きつつ、つながる努力しているよ 旅先で災害地図をもらうのはいいよ。文京区防災地図とハザードマップをいただいた。 |
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5月23日 外歩きするにはたいへん快適な1日 東京漫遊にかぎらず、年老いてきたので午前中は宿住居にてのんびりしているのが常。がつがつ観光しないようになった。福島市での暮らしぶりとさほど変わらない。午前中はネットなど、日記を付けたり、連絡し合ったり、SNS投稿したり、飯を作り食べたりしている。 公園訪ね歩きがお上りさんの理由だったが、筋肉痛に襲われたので無理せず宿住居そばを逍遥することにした。 my長女と小石川植物園をたずねた。江戸時代から地形を利用した薬草園がてんじて植物園になっただけで、えにしえの人々の思考が理解できて植物園漫遊はまことによろしいととても気に入った。 近所の啄木の歌碑、教育機関、図書館、スポーツセンターなど詰まったいい場所が宿の近所にあってこころづよい。植物園のつぎに図書館がいいな。文京区民はうらやましいよ。 夜、ゴジラとゴジラ-1.0をmy長女と観るそして感想を述べ語り合った。 ■FB投稿 江戸の世から続く植物園(小石川植物園)漫遊 東京で大震災に遭ったらどこに逃げるのか?関東大震災時仮設住宅が建っていたと言う小石川植物園を漫遊する。ニュートンの林檎の木、実をたくさんつけていたので2ショット(笑)旅人の俺が首都直下型に襲われたら・・公園や大学へ避難する。 ■今日も文京区大塚の「宿住居」(星座型居住)に滞在しているので周辺の踏査避難所・兼・都市漫遊。文京区の図書館にも寄りハザードマップなど避難に関する地図情報をいただく、小さい図書館だけど相当に充実していて住民との距離が福島県立図書館とくらべると断然に身近だし、皆さん勉強熱心だ。いいな文京区、いいよ。(植物園を体験すると福島市の信夫山の扱いが酷いことが分る。もっと森を大切にした方がいい福島市民) 宿住居にはいると仮・東京都民とみとめられているような気がする で、東京くらしの防災という冊子が備わっている。ホテルなら従業員が案内するのだろうか?。直下型・ 関東大震災に襲われると津波は2〜3m、島しょ部では7〜28m。死者が6148人と細かい(?)帰宅困難者453万人避難者299万人と記されている。細かい(福島の場合はこれに原子力災害が加わる) ■小石川植物園漫遊その2 (正式名称は東京大学大学院理学系研究科付属植物園)( 園内では果樹など取れすぎて、その時期には市民にもとってもらい差し上げるのだという。また飴に加工して売ってもいる、小石川植物園のお勧めお土産の2種類、のど飴買った。 地形体験はすばらしい、デカくて森林浴いいかんじ、避難所にするよ、歴史の積み重ねが素晴らしい、植物の勉強にもなる。21世紀は公園巡りや公園づくりの世紀かな・・・300年は続く園なので近代名称の公園とはすこし違うと感じる。好い名称考えようっと。 ■今回の東京お上り爺さんは公園巡りだったのだが、筋肉痛がでてしまい、今日ようやく実現できた。 ■東京漫遊2024 飯炊き爺さんする 筋肉痛が回復しないので、活動せず宿住居(=台所あり、食器はプラスチックだけどある)にて飯炊き爺さんする。今日の朝飯はサラダとつけ麺にした。福島市の我が家よりスーパー近くって23時までオープンしているのでついつい食材を買って日頃の飯炊き爺さんの癖がでてしまう。東京観光へと興味が向かなくなった。まだ公園探索していないので「筋肉痛を無理・押して「午後は公園に行くぞ!」午前中に子供の声が聞こえて宿住居よし! |
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5月22日 シャツ1枚では涼しいかな。 ■スマフォが壊れた、充電しにくくなっていたがとうとう壊れた。筋肉痛がとれないので今日も午前中は活動せず。 ■午後新宿にあるアイフォンショップにでかける。店内は外国人客が4割ほどで円安 なのでアジア系の人がスマフォを買いに来ている。緑のティシャツを着た店員も多数いて、機種もたくさん並んでいて、手に持って感触を掴めるのでたいへんいい。 近頃はあまり出かけないので家でPC作業を主にしたので、高性能のスマフォを必要としなくなっていた。東京にお上りさんして待ち合わせ場所や、連絡用に使うだけだ。だが電話と紐づけになっているので、スマフォがないとPC作業も止まってしまう。 my長女にプレゼントしてもらった。ありがたい。 ■FB投稿 藤圭子さんの歌碑をたずねる (東京漫遊3日目) 演歌は聞かないけれど、1951年・誕生日が1日しか違わない、岩手県一関生まれの東北の女性だ。19歳で東京で働き始めたとき、彼女は恨み節を歌うスターだった。(演じさせられていたのだろう) 新宿のスマフォショップで思い出したので、数分掛けて歌碑をたずねご苦労様でしたと祈った。(老人たちは藤圭子さんを知っているだろうが、スマフォの店員は娘さんの宇多田ヒカルさんのファンだと言っていた。お母さんの歌碑のある場所を教えてあげた。 ■今朝、スマフォが壊れた。連絡できないので活動を諦めて、新宿のスマフォショップに行く。「こんな古い機種よう使ってましたな!」「10年前に買ったんや」「いやまだ7年1ヶ月です」と店員に呆れられる。 既に最新機種版の15は出ているのだが型落ち新品にした。データ移転も店先で店員の方がスイスイやってくれるた、で手間いらずだった。 スマフォを手に入れ次に、AUショップに行きシムカードを入れてもらう。合計4時間ほどは掛かったかな。(福島だと高価な最新版しか売ってないので、それを買わされちゃうだろう・・・東京で壊れてくれてありがとうだった)老人になったら「人は便利な東京に移住すべき」日本中の資本が集まって都市を造っているのだから便利を更新しつづけるに決まっている。地震に襲われたら能登地震よりは手厚いだろうが、餓死するを覚悟して暮らせばなんてことないと東京漫遊を楽しんだ。 (新宿東口は50年前と道も勾配もビル外観もほとんど変わらないので懐かしいばかりだ)50年前にはしょっちゅう行っていた、歌舞伎町周囲は激変しているみたいだけど興味無くなった。 |
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5月21日 文京区の宿住居で目覚める。福島から都会に出て来ると運動量が5倍ほどになり足腰が鍛えられる。で老人の体力は回復しにくいので活動せず宿にいる 夕方4時花田先生と高田馬場で合流しだべりビール一杯呑んで、次に花田先生お勧めの、焼き鳥屋に呑み駄弁る。心地よい疲れと楽しい会話で東京漫遊2日目は終わる。 ■my長女のマイレージが溜まったのでどこかに行かないと・・・で長崎の原爆資料館に行きたいと言ったら、切符など手配し予約がとれたので来週長崎に行く事になる。鈴木達治郎先生はウイーンに出張中だたが連絡が取れ、夕飯を食べることになる。 ■FB投稿 文京区大塚にある宿(1LDK)谷底地形の5階になので高層ビル見えず my長女帰国に合わせ便乗宿している。1970年代恵比寿駅傍東京支店のゼネコン設計部で働いていた。仕事は川崎市や千葉県内の敷地が多く、文京区の仕事には巡りあいがなかった。で、人生初大塚!を逍遥。このあたりは未知の地域だったが予想より樹木が多いのもいい。後楽園球場にも東京女子大にも早稲田大学にも歩いて行けそうなんだ。小石川植物園にも六義園にも歩て丁度良さそうな距離。全体の地形は丘。起伏が激しく歩いても地形を感じるほど変化に富んでいる。すり鉢の底だったり、丘の天辺だったり、切通しで道が突き抜けていたりと、阿武隈山地の里山で猿のように育った俺には合っているかも。 「宿は今年から行ったことない、東京の地にしよう」と提案していたが、ドイツからネット検索し予約・支払いだ。人間をまったく介さない。従来のホテルと違った体験、どこでも俺の家の気分になる、それを嫌がる人もいるだろう。宿とホテルの間に位置しているので機能名称は「宿住居」とでもしておこう。 外人家族や受験生親子の宿に使われたりする。去年までは羽田や成田から直行便で着ける隅田川沿いの宿だった。川面を見るのも楽しいが、宿の傍に公園がおおいのはいい。 ホテルではないから投資のため外国人や日本国内遠隔地のお金持ちが、マンションを買い宿に転用しているのかもしれない。下層部は事務所になっている。部屋は5階、ベランダが東から南側は全てあってかなり贅沢だ。傍に綺麗なスーパーが何軒もあり夜の11時まで開店している。大都市のス―パーは便利だ。 情報過多の世にあって、語力、ネット検索力、うろうろ力、お金と自由時間─ドイツでは年間土日いがいに30日休みを与えない上司は罰せられるそうだ─と好奇心があり、人に多く会うのが日常仕事の人には宿住居は地球を浮遊して感じで癒されるだろう。 ■東京漫遊2日目 筋肉痛でたので無理せず活動せず 宿のそばに小学校があるようで風向きによって歓声が聞こえて豊かな気分になる。笛も音も聞こえるので運動会の練習でもしているのだろうか。 ■福島から大都会東京にお上りすると、日常の5倍は足腰を使うので、軽い筋肉痛になり。昨日は夕方までなにもせず静養。宿の周りも起伏が激しくって地形形状は豊かだが、体力が衰えて来た元山猿の俺は地形を楽しむ余裕もない2日目だった。 ■夕方、高田馬場で花田達朗先生と会い、my長女と3人で呑んで夕飯をたべる。花田先生とmy長女は5年ほど前、ドイツでも交流していたので旧知、20数年前に花田先生の講義を我が家で受けてもいるので、長い知り合いとなった。 ドイツでの極右翼台頭の背景の話題(近々本になるそうだ)ドイツでの働き方、組合とスト、労働者と雇い主のよい関係により互いが豊かになっていくありかたの一例が語り合われて興味深かった。 もちろんゴジラ、とオッペンハイマーについて語り残したことも話し合った。花田先生はますます元気な自由人となり3万字の内容が近々刊行されたり、小説も書ていて出版社とワイワイしているのだそうだ。大学を辞されて5年ぐらいかな、大都会で隠遁ににた生活を続けているんだけど老後大学後の生活者としてよい例の一人だと思う。なぜなら寂しをまぎらわわすために、弟子を呼びつけて紛らすような・・・若い方々に迷惑を掛けようとしない点はもっとも清々しい。 |
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5月20日 福島も東京も肌寒いのでウンィンドブレーカ着用ででかける 7時半起床、掃除ゴミ出しを済ませて朝食。9時7分に家を出て福島駅に向かう。 、 my長女、ドイツから帰国。8時に羽田空港に到着するよていだったが、大塚駅から歩いて10分ほどに2週間ほど滞在することになったので。正午〜30分あたりに落ち合うことになった。 福島駅9時50分発の新幹線に乗った。後ろの席の老夫婦がずっと居間話を続けていて五月蠅かった。宇都宮付近にさしかかるころ雨上がり空が明るくなってい。上野駅経由、大塚駅11時15分早めについたので、駅改札口で行き来する人を観察した。 中東、西欧米国、東アジアインドなど20代から40代のペアが20%ほど。彼ら彼女たちは皆スマフォを片手に地図などを観ながら歩いていた。スマフォを持ちチラチラ見ながら歩く人30割りほどか。 1年ぶりか?my長女と合流し、大塚駅傍のすし屋で握りずしをたべる。庶民価格で1000円。現金払いは一割還元。カードで支払うと手数料をとられたうえに、数ヵ月遅れて現金になるので店としては現金払い大歓迎の姿は理解できる。便利だけど最前線のお店、とくに自営小規模経営者にはカード払いは負担になっているようだ。 ■宿は1LDKほどで3人まで泊っれるマンション型、東・南側がベランダが回っていて窓も大きく快適。冷蔵庫、洗濯機、インターネットTV、3人用寝具などある。台所はガスだった。 場所は文京区大塚で駅から徒歩10分強ほどか。チェックインは午後4時からだったので、大塚駅内のスイーツ屋でイチゴタルト1000円をたべる。まだ時間があったので都電に乗り、鬼子母神までお参りする。週末鬼子母神で公演されると知ったので、ひさしぶりに振りに、唐組の赤いテントを見に行った。 宿について駄弁る。途中傍を食べに千石あたりまで歩いてみた。お洒落な蕎麦屋で娘も美味いと納得、一端戻り、11時まで開いている、スーパーで食材を買う。 早ねする。 |
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5月19日 FB投稿 my長女、雲の上(帰国途中) 雲のかかる丸い虹の中に飛行機の影が写っている絵をmy長女が送信してくれた。 ドイツで働くmy長女、毎年一度帰国。東京生まれで高校は東京で暮らしたので、母親の生まれ育った東京が好きみたい。それはいい・・・俺様は便乗上京して漫遊。去年は下谷あたりをほっつき歩いた、面白かったよ。 今年は江戸の大名屋敷あとで、現在・公開されて公園になっている場所を多く歩くつもり。歩くと江戸の地形が理解できるので好き、だが久しぶりに野球観戦も、演劇みるのもいいかもな・・・。 |
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5月17日 午前中やや風強くも午後時が経つにつれて穏やかになる ■図書館に本を返却し、月末の雑事にて町にでかける。れいわの福島ボランティアの方々が解体され青空が多くなった駅の街角で紋切り型の演説していた。たったそれだけの賑わいでもあるだけましの駅周辺。れいわは、まだまだ地方には浸透して無さそう。 ■FB投稿 最上敏樹著『国境なき平和に』を本棚から引っ張りだす 本も買うことができた2006年1月刊行本。ひさしぶりに本棚を探しとりだす。大澤真幸さんの『資本主義〈その先〉へ』を読み終えた勢いで、というか少し物足りない・・平和とか国際法については同世代の最上俊樹さん本を再読するのがよさそうだと思った。 地上には両者が正義を主張することで始まる、戦争は今日の現実でマスコミのニュースを賑わわせている。作られた情報を浴びてしまい平和を望むひとも、戦争に備え武器を確保するために増税たと吹聴する政治家なども、あまた現れ「われこそは正義」と主張する、どっちもどっちだと俺は思う。が彼らは戦争したい儲けたい、反対意見は地上から消ししてしまいたい。正しいのは俺様だけと言いたいだけだろう。 乱調の世にあっては儲け時とばかりに、日本も軍産複合体国家になり一儲け推す経済人もおおそうだ。目下の経済拡張成長の芽は無いと思い込み旧態依然の経営を続ける社長さんたちもイカレているので、ますます不安定になる予感で満ちていてオカシイ 現実にはロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナの戦争。台湾海峡が緊張している、やれ北朝鮮がロケットを打ち話したなどと、少し遡れば湾岸戦争、イラク戦争などきりがなく戦争し続けている。 彼らと同類にならぬためにはSNS板に閉じ、快感を消費し安住している者は愚かと思うべきで、自身の意見に反する者の意見聞くために積極的に出向きワイワイするそういう場を作る、その能力をもっているか?を自分に問え・・・妻子の意見を消化しているか足下を見つめよ。と書いてあるかもしれないので読む |
May 17: Slightly windy in the morning, but calms down as time goes by in the afternoon. After returning books to the library, I went into town to do some month-end chores. Volunteers from Reiwa's Fukushima volunteer group were giving a rhetorical speech on the street corner of the station, which now has a blue sky after the demolition. The area around the station was just as busy as it had been in the past. Reiwa does not seem to have penetrated into the local area yet. Translated with DeepL.com (free version) ■FB Post Pulling "To Peace Without Borders" by Toshiki Mogami from the bookshelf. I was able to buy this book in January 2006. I searched the bookshelf for the first time in a long time. I finished reading Masayuki Osawa's "Capitalism: Beyond" with a little momentum, or rather, I thought it would be better to re-read Toshiki Mogami's book on peace and international law. On the ground, war is a reality today, starting with both sides claiming justice, and it is all over the news in the mass media. There are those who want peace because they have been exposed to false information, and there are also politicians and others who are blabbing about tax hikes to secure weapons in preparation for war, claiming "we are the righteous ones. They want war and profit, and they want to erase dissenting opinions from the earth. They just want to say "I am the only one who is right. Translated with DeepL.com (free version) In this turbulent world, it seems that there are many business people who are trying to make a fortune by becoming a military-industrial complex nation. Some of the presidents who continue to run their companies in the same old way, believing that there is no room for economic expansion and growth, are also crazy, which makes me wonder if the economy will become even more unstable. In reality, there is a war between Russia and Ukraine, Israel and Palestine. The reality is that there is a war between Russia and Ukraine, a war between Israel and Palestine, tension in the Taiwan Strait, North Korea launching rockets, and if you go back a little further, the Gulf War and Iraq War, and the list goes on and on. In order not to be in the same boat as these people, we should think that those who are living comfortably on social networking boards, consuming pleasure, are fools. Ask yourself, "Do I have the ability to create such a place where I can actively go out to listen to the opinions of those who disagree with me and have a good time with them? Read what it may say. Translated with DeepL.com (free version) |
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5月16日 庭の木々にも幸いな雨あり大地はすこし潤いもった。 ■FB投稿 大澤真幸著『資本主義の〈その先〉へ』を読む 若い人にも推しいたい一冊だった。もちろん老人にも。(章立て、目次など大澤さんサイトを参照ください) http://osawa-masachi.com/?p=1973 1995年「地下鉄サリン事件」や2011年「原発事故」などに際し、複雑で難しい社会問題が発生したら・・・どう考え、事態を理解するのがいいのか・・それらの指南書は大澤さんの著書だなと思って読んできた・・(最近は本を買う気にならずなので、県立図書館から借り読んだ)4回の講義内容をすべて書き直したそうだ、だから一人語りだとはいえ講義対話調の文なので読み易い。『資本主義の〈その先〉へ』は大澤さんによる集大成本に近づいている・・と思った。面白いです。 これから社会をつくっていく、世界を理解したい・・そう思う若い人にも推したい一冊。 ■実践・実例はペシャワール会の中村哲さんのアフガニスタンでの灌漑事業を読み解いた。地下鉄サリン事件発生時は、長野・松本サリン事件の被害者の河野さんの発言からから読み解いていた。 |
■FB Post Reading "Toward Capitalism's 'Beyond'" by Masayuki Osawa I would like to recommend this book to young people. Of course, the "Mere Old Man" would also like to read it. (Please refer to Mr. Osawa's website for the chapter titles, table of contents, etc.) http://osawa-masachi.com/?p=1973 I have been reading Mr. Osawa's book as a guide to how to think and understand complicated and difficult social problems such as "Sarin gas attack on the subway" in 1995 and "nuclear accident" in 2011 (I borrowed the book from the prefectural library because I don't feel like buying books these days). He has rewritten all of his four lectures, so even though it is a monologue, it is easy to read because it is written in the style of a lecture dialogue. I thought "Toward Capitalism's 'Beyond'" was close to a compilation book by Osawa. It is interesting. I would recommend this book to young people who are going to build a society and want to understand the world. As for practices and examples, I read about Mr. Satoshi Nakamura of the Peshawar Association's irrigation project in Afghanistan. At the time of the sarin gas attack on the subway, he read from the statement of Mr. Kono, a victim of the Matsumoto Sarin gas attack in Nagano. |
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5月15日 昨年移植したあじさいが蕾をつけて花開く気配あり ■午前中、『資本主義〈その先〉へ』を読む。 ■午後1時、家人の薬を2ヶ月分もらいに病院にいく。先生に状況を報告し薬の量を半分にしてもらった。副作用にて自律神経に効きすぎるように思うからだ。高齢になったのでよかろうとのこと。先生自身も高齢者になっている。 今日は20代の女性患者が目立った。ストレスが掛かる社会に生きづらさを感じて通院しているのだろ、見た目には患っているようにみえない。 ■午後、また読書。目が衰えてきたので明るい今で読むことが多くなったかも。 |
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5月13日 五月晴れ ■my長女帰国予定なので、月末の用事を少し繰り上げて済ませる。 ■昨日13日乾いた大地に久しぶりに雨。 ■12日、午後、地質学者が語る、1Fの地層と汚染水について拝聴し資料を手も入れた。隊へ因興味ぶかい、内容だったが、東電や規制庁に処理水の削減を提案しているというが、無視され続けているようだ。議論の場づくりと記録作りを誰がするのか問題を放置したままなので、分断され被害妄想がうまれ対立や溝が埋まらない、行政不信が膨らむという構図はどこに行っても近頃同じなので、飽きてきたかも。 ■他の時間は大澤真幸著『資本主義の〈その先〉へ』を読んでいる。図書館から借りて来たが半分チョイ読み終えるも、言いたいことは分るが、詳細はぼんやりと分る程度なんだけど、面白い本。被災し振りの大澤本を楽しんでいる。 |
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5月10日 五月晴れ ■前立腺癌の定期健診、じぶんが癌患者であることを忘れてくらしている。で、病院に行って俺患者だったな・・・と思う。放射線治療を挟んで、2年間ホルモン注射とホルモン剤を服用しつづけて、治療は終わるのだそうだ。血液検査でのマーカーも測定できる最低値、0.008だ。 放射線治療のダメージは爪の段々に現れているけれど、夕方の怠さは消えてしまっている。体力は回復してしまったのかな・・。 ■辻琢磨入門、日本語版と英文版を合成しようとしたが幅が大きくなり過ぎるので、断念。 最初から作り直すしかない。でどうしようか・・数日考えよう。 ■花田先生より投稿ありWEB頁を作り更新する ■古いPCで画像を加工しWEB頁に貼ると絵が出ない。で新しいPCで更新作業するしかないかも。又は古いPCで文字だけ打ち込んで、絵は新しいPCでつけるのがいいのかも。 試行錯誤してみて、対応を考えよう。両方で同じ表示になるといいのだが・・・。 |
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5月9日 はすこしあったが午後陽射しもどる 庭の野バラが咲だして野性の臭いを放っている。初夏近し。 ■昨日から辻琢磨さん入門を書き始め、今日の夕方完成した。 よる英文の頁もつくる。 |
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5月7日 一時風が強く吹いていてバタバタ賑やかだった ■今年度は地域の班長になったので、市政だりょりを配布したり、会費を集めて会計係に届けたりする、そういう役割になった。10年に一度回って来る。いい気分転換になる。 ■今日から辻琢磨入門を書き始めた。4月から始める予定だったが、他の記録を作っていたので、今月からコツコツ今年度中は書き継ぎしていく。まずは「出会い」から書き出した。 ■今日のFB投稿 伝記にオッペンハイマー1960年来日に関する節がないのは? 1967年2月18日土曜日午後10時40分オッペンハイマー(63才)は帰らぬ人となった・・と伝記にはある。1960年9月、来日時の写真も掲載されている。だから日本で湯川、朝永博士などとの交流を詳しく紹介するため、一節あるいは章があってもよさそうだが・・・・無い。みつけられないので、再確認のため伝記2冊を借りて来た。2週間かけて目を通してみよう。 メモ)福島駅周辺、西東からっぽ化、進行中 https://www3.nhk.or.jp/.../fukus.../20240507/6050026077.html 西口のこの店舗を施工した技術者はスーパーゼネコンに勤務して工業高校の先輩。上り下りのスパイラル斜路の型枠が難しく、ワイワイしていた。面白い先輩だったので東口の呑み屋や高級クラブに連れていかれて呑んでだべった。施工技術管理にめっぽう五月蠅いので、下請けの面々から意地悪されていたが軽く流していたのを思い出す 東側はゼネコンと行政と地上げ屋と地権者が絡んでいても、どうも暗雲立ち込め施工が止まってしまった。西口の閉店になったビルはまだ用途変更すれば活かせるだろう。が、首長や政治家と組んでなさそうで、見通しがたっていないのだろう。やっぱ公園でいいんじゃない。 固定資産税を支払うのは負担になるので解体され、荒れ地にもどるのか。主要産業は役所、この半世紀ほどの市・都市計画は大敗北。それを見せつけられて続けている。 |
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5月6日 風はやや強い日だった。気温も下がりはじめた。 ■県図書館にいき『オッペンハイマー』上下を仮て来て、その伝記に1960年の来日について書いてあるか、ないか調べた。見つからない。 ■唐十郎さんが亡くなったと樫原徹先生からメッセージがあった。樫原先生がどん底時代という頃だが、新宿の花園神社にかかった状況劇場の「唐版、風の又三郎」を観た記憶が蘇ってきた、何本も見ているので演目がそうだったかは定かでないが。 アングラ演劇を観た、昭和の思い出が一つ消えた。 ■FB 投稿 唐十郎さんが亡くなった・・と樫原徹先生からメッセージあり ポスターを引っ張り出して2ショットする 20年ほどの前のことだが樫原先生と一緒に花園神社に行き、状況劇場のシンボルである赤いテント(漫画家の赤塚不二夫が唐さんにプレゼントした)に潜り込んで「唐版、風の又三郎」を観た。それだけではなく、公演が終わった後テント内で酒呑みに参加した。曲をつくっている安保さんだとか、安藤サクラさんの御両親だとか、元気団員が大勢いた。 俺は仲間に頼まれて1980年代中ごろだったかな・・福島公演で裏方を手伝っていた。で、団員の方(番頭さん)とは顔見知りだった。そんなことで花園神社内での講演後呑み会にも参加できた。唐さん率いる劇団員のみなさんはmy建築にも泊まってワイワイした(宿代がないので知り合いの家やお寺に泊まるのは常)そんなことは、きり無くおもいだす。 樫原先生と観た1980年代のナイス演目と俺は思う「どっとどどどおどどどおどーで始まる、劇中歌が好きである」エリカの花も劇中でよくう歌っていたように思う。宝塚劇団は鑑賞したことがないけど、狭いテントに鮨詰めになって、おまけに役者の唾や、水をたんと使うので、最前列にいると水しぶきいです部濡れになる、それもまたテント内暑いからいいだな。俺はゲラゲラ大笑していたから、喜ばれた・・そういう思いでがたくさんある。 ・・・ご冥福をお祈りいたします。 |
May 6 The wind was somewhat strong. Temperatures began to drop. ■Prefectural Library and got a copy of "Oppenheimer" and above, and checked if there was any mention of his visit to Japan in 1960 in the biography. I could not find anything. ■I received a message from Mr. Toru Kashihara that Juro Karo had passed away. It was around the time when Mr. Kashihara was at the bottom of the heap, and it brought back memories of watching "Kaze no Matasaburo, Kara version" at the Situation Theatre at Hanazono Shrine in Shinjuku, although I am not sure if it was the same play or not since I have seen many of them. One of my Showa-era memories of watching underground theater has vanished. ■FB post Message from Dr. Toru Kashihara saying that Juro Karo passed away... I pull out the poster and take a couple of shots. About 20 years ago, I went with Mr. Kashihara to Hanazono Shrine to see "Juro Kara's version of Kaze no Matasaburo" under the red tent (a gift from Fujio Akatsuka, the cartoonist, to Mr. Kara), which is the symbol of the Jokyo Theater. Not only that, but after the performance, I joined a drinking party inside the tent. There were many Genki-dan members there, including Mr. Anbo, the composer of the music, and Sakura Ando's parents. I was asked by my friends to help out backstage at a performance in Fukushima in the mid-1980s, I think. So I was acquainted with a member of the troupe (the banto-san). I was able to attend the drinking party after the lecture at Hanazono Shrine. The members of the troupe led by Mr. Tang also stayed at my architectural building and had a lot of fun (since we had no money for lodging, we usually stayed at the houses of our acquaintances or temples). I think it was a nice show in the 1980s that I saw with Mr. Kashihara, and I like the song in the play that starts with "Dotto do do do do do do do do do. I have never been to Takarazuka Theater Company, but I have to say that the actors are packed into a small tent and they use a lot of spit and water, so if you are in the front row, you will get wet from the spray, which is also good because it is hot in the tent. I was laughing so hard that it made them happy...I have many such memories. I am sorry for your loss. |
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5月5日 例年並みに暑い日中 ■4月4日に語り合った花田達朗先生と鈴木達治郎先生との話し合い記録を英文付で、FBで公開をしらせた。FB投稿で公開を知らせたくないのだが、テーマが核兵器開発についてが主なので、公開を知らせることにした。記録作りはとても面白かった。もちろん対話の時はこのような内容にしようと考えて話し合っていたわけでもないが、まま文字にしてもこの内容だった。 課題は多く見つかったので、コツコツ出来ることを続けていきたい。そう思った。 2日、3日、4日は英文併記三昧、菊のが面白い ■家人の夏の上着を買いに量販店に行く、幸い、安売りちゅうだったのでたすかった。総柄物が欲しいのだが、景気が悪いのを反映してか、印刷費がかさみ利益が出せないからか、不明だが単色ものばかりで呆れた。 ■午後、辻さんのインド紀行を英訳を併記し、辻さんに連絡をする。 DEEPL使い易いし、英文にしたものを多数の国の英語読みで読み上げてくれるので、気に入る。自分が作成した記録を英文発音を聞いているのは初体験なので、面白い。飽きるかもしれないけど、英語の勉強になりそう。この手はあったかと気づかずだったけど、今年度からの記録には英文併記とすることにした。この日記はどうするか・・ ■FB投稿 花田達朗先生、鈴木達治郎先生と語った『ゴジラ』『オッペンハイマー』記録公開 http://www.fullchin.jp/etu24/20240404hss/hss01e.html (全4頁・初英文付。自動読み上げ機能を使って、見るというか聞と、気付くことが多いので気に入ってしまった。うざいと思われそうだが調子にのってお知らせするしだい。今後web記録作成はデータ量少し増えるだけなので、日・英文、併記に仕上げよか・・・) 記録内容は1ヶ月前の4月4日、映画1945年『ゴジラ』、80年後『ゴジラー1.0』、『オッペンハイマー』について2時間30分ほどの話合いの文字記録。1頁めは半分以上が俺さまの『ゴジラ・マイナ・スワン』語りなので、そこはすっ飛ばして、語り合から見る、自動読み取りで聞いていただければ・・・。 (次のワイワイはニューヨークで制作活動をつづけているアーテストの蔦谷楽さんとの語り合いを予定) |
May 5 As hot as usual during the day ■I don't want to post the record of the discussion between Dr. Tatsuro Hanada and Dr. Tatsujiro Suzuki on FB, but since the main theme of the discussion was the development of nuclear weapons, I decided to post the record on FB. It was very interesting to make a record. Of course, we did not have this kind of content in mind when we were discussing the dialogue, but this was the content as it was written. I found many issues, so I would like to continue to do what I can do. That's what I thought. The 2nd, 3rd, and 4th were full of English text, and it was interesting to listen to it. ■I went to a mass retailer to buy a summer jacket for my wife. I wanted to buy a jacket with a pattern, but I was disappointed to find only monochromatic ones. ■In the afternoon, I write an English translation of Mr. Tsuji's travelogue of India and contact Mr. Tsuji. DEEPL Easy to use and I like it because it reads out what I have made into English sentences in English readings from numerous countries. It's interesting because it's my first time to hear English pronunciation of the records I created. I might get bored, but it's a good way to learn English. I didn't realize this was possible, but I've decided to write my records in English from this school year. I don't know what I will do with this diary... ■FB post Record of "Godzilla" and "Oppenheimer" talked with Dr. Tatsuro Hanada and Dr. Tatsujiro Suzuki published http://www.fullchin.jp/etu24/20240404hss/hss01e.html (4 pages, with first English text. I like it because there are many things I notice when I watch, or rather listen, to it using the auto-reading function. I know this may sound annoying, but I'm going to go with the flow and let you know. (I will make the web record in both Japanese and English, since the amount of data will only increase a little in the future...) (The contents of the record are the textual record of the discussion on April 4, a month ago, about 2 hours and 30 minutes regarding the movie "Godzilla" in 1945, "Godzilla 1.0" 80 years later, and "Oppenheimer". (The next Wai Wai will be produced in New York City. (The next YYY will be a discussion with Tsutaya Raku of Artest, who continues to work in New York.) |
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5月01日 一昨日は真夏に近い気温だったが今日は肌寒く感じる。 ■my次男の誕生日なのでシャンパンをあけ、ちょっと高い焼肉を食べる。 ■花田達朗先生、鈴木達治郎の映画『オッペンハイマー』についてワイワイ記録、校正も済ほぼ完成。残るはタイトルつけと、あった方がいい絵付けかな。ままでもよいかな。 ■FB投稿。 『オッペンハイマー』を観て語る記録完成つつある 2時間40分程の語り合の記録作成中、もう少しで完成かも。web記録とはさほど関係ないけど、山下菊二さんの孫、あるいはひ孫のような蔦谷楽さんの話になったので、久しぶりに画集を広げて観た。 大陸にわたり日中戦争を戦って帰還した山下さんと、蔦谷さんの表現手法を比べて語ると、戦争の悲劇を伝える手法の変わりかたと、伝染力の差異が分って、時代に合わせた伝え方が分る。表現者は伝わらない事を知って事実を描くか、当事者は思いが強すぎて、自らの限界が分らないはず。それが分ったようなきがした。山下菊二さんと蔦谷楽さんお作品。映画か絵画かは比較してはいけない、多様な人の感性に触れ、共感されることを期待するなら、どちらもすべきなのだろう 山下菊二さんの作品は散逸してしまったかもしれない (これを検索してみて→https://ja.wikipedia.org/.../%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E8%8F%8A... 山下菊二さん故・夫妻を知る人は少ないと思えるので 山下夫妻の写真(違反だけど画集より採取)山下さんの絵画を観てくださいね。 この写真いいよね、山下さんは梟に鶏の頭を叩いて生で、それが餌だった。山下さんの奥さんはMY設計建築に来て山下さんの作品を展示してワイワイしたので、いろいろお聞きすること叶いましたよ、奥さんのファン多し。最近生きている人間にあまり会わないのだけど写真だけども生きている山下夫妻 |
May 1 The day before yesterday, the temperature was close to midsummer, but today it feels chilly. ■It's my second son's birthday, so I pop open a bottle of champagne and eat some expensive yakiniku (barbecue). ■I'm almost done with the proofreading and recording of the film "Oppenheimer" by Dr. Tatsuro Hanada and Tatsujiro Suzuki. The only things left to do are titling the film and adding pictures, which would be nice. I may leave it as it is. ■FB post The record of the talk after watching "Oppenheimer" is being completed. I'm working on a 2 hours and 40 minutes long documentary on the film "Oppenheimer", and I think I might be almost done with it. Comparing the method of expression of Mr. Tsutaya and that of Mr. Yamashita, who fought in the Sino-Japanese War and returned to Japan, we can see the difference in the method of conveying the tragedy of war and the difference in the power of contagion. The expressive person must either depict the facts knowing that they cannot be conveyed, or the people involved must have too strong a feeling and not know their own limitations. I felt as if I understood this. Works by Kikuji Yamashita and Raku Tsutaya. If you want to touch the sensibilities of various people and expect them to sympathize with your work, you should do both. Kikuji Yamashita's work may have been scattered (search for this) I believe that not many people know about the late Kikuji Yamashita and his wife. Please take a look at Mr. and Mrs. Yamashita's photos (a violation, but taken from their art book) and see Mr. Yamashita's paintings. I like this picture. Mr. Yamashita-san pounded a chicken head on an owl, raw, and that was the bait. Mr. Yamashita's wife came to MY Design & Architecture to exhibit her works and we had a great time talking to her. Mr. and Mrs. Yamashita are still alive, even though this is a photograph. |
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