佐藤敏宏
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2021年6月の日記        

6月30日 

■Twitterログをまとめて2012年の日記を再生させる。絵付いちぶあるので混乱してしまうのだが、まま並列して置くか迷う。あした決めよう
同じ形式で長く日記を続けるのは思ったより難しい。紙と筆しかない時代なら整えやすいのかもしれないが、現在は、HPやSNSなど多種多様あるので、目まぐるしく変化しているだけで、書籍のように形式が整っていない媒体を使うときには、気を付けておくのがよい。日記はこの形式で続けて変えない。

■花田先生が久しぶりにネット更新。今月でサイト閉じると投稿していたのだが取りやめて再開した。よかった。で表紙の色をかえたり目次を整理したり、記事頁をつくったりしてアップする。



6月29日  気温下がり梅雨冷ます

■20年来のWEB日記で欠けているものがあるので、Twitterログから拾い出してWEB頁に加工している。20年分の日記をなんとか今週中にまとめてしまいたいのだが。
ツイッターはショート会話だったり、独り言だったりの内容だが、まとまると、当日の気分の変化も分り、記録としてある方が現実味がうまれる。だからまとめる。

■5月初旬に申し込んでいた新コロナ対応予防接種が今日の午後だったので家人と共に近所の病院に出向く。小さな待合が一杯になっていた。一時間ほどで済んた。
 夜になり打った部分の周囲が少し痛い。また頭がやや重い。注意書きにあるように酷くはなっていない。明日で反応は消えるようだが。

■福島県の浜通りで開発している水素とそれを使って走る自動車が、走行距離で世界記録を達成したとのニュースあり、エネルギーを水素に変えるという話は40年前にも話題になっていたものだが、福一原発事故から10年でようやく実装しテストできるまでにきたようだ。
でも俺が水素自動車を買って運転することはないだろう。


6月28日 

■明日、新コロナ予防接種なので、おとなしくしている。
 『夢のすむ家ー20世紀をひらいた住宅』鈴木博之著(平凡社刊行)ちかごろ鈴木博之さんの本を読む機会がおおくなった。東大系建築史家でイギリスの近代建築などを研究されていたので、ジョサイア・コンドル直系と言えるので、筋が通っているし文章がこじれていない点もよい。

■過去の日記データが見当たらない日時の日記をツイッターとフェースブック過去ログを見て再生し始める。ツインログは民間のサービスだがとても役立つ、他方フェースブックは2011年から使い始めたのだが、過去ログを探しだすのが手間取るような気がする。この機会にこちらも使い方を研究してみる。


来月末東京でオリンピック開催するとか、都知事は過労で休養中、で首相の目が座っている会見を見聞きするに、新コロナ蔓延で心配する人が多数なのに、押し切る。成功させて衆議院の勝ちに導きたいようだ。
人命を政争の具に使われるのは主権者として甚だ気分が悪いわけだが、中国の1っ国2制度は言論弾圧というリンゴ新聞社が閉鎖したとことで終わりを象徴した。資本主義は民主主義とも共産主義ともくっつくいて、専制化する体制を生み出しやすいことを見続けていて、さほど驚かないほどに神経が麻痺しているので、要注意だ。
6月27日 

 午前ゴロゴロする 午後食材買出し
 午後以前のWEB日記を整理してアップし続ける。2008年までアップしおえた
 新聞記事も集めてアップする予定。だいぶスクラップ集めた
 まず 自分の過去データをまとめアップしてから、活動始めようと思う

6月25日  断続的に 

昨日から2001年からのWEB日記を整理してアップし始めた。理由は23日の記事をさがしだすことが出来たのは2002年11月5日の日記に記事掲載にいたる経緯が書いてあり、記事をさがすことができた。だから記憶が消えるので、以前の日記は活用した方がいいように思ったからだ。見やすく探し出しやすくするために、インデックス頁に貼ってみた。賑やか過ぎるけどいいだろう。

 今と過去とが並列されてあるのがいいように思う。人間思いって、過去と現在と未来を混ぜ交流させて生きるほうが快適だと思うようになったからだ。

■200年に掲載された
6月23日 時々 梅雨らしい

「千万家」が福島民友新聞に掲載された日時を忘れてしまった。20年ほど前の日記に目を透したら、2002年11月5日だと分った。家にあるはずの当日の紙面日と揃えのありかが分らないので家の傍の県立図書館で紙面をコピーした。一回に一枚しか取れないので、二度出向いた。

■一部は県の住宅課い資料として提出。特集された1994年の建築文化、や滋賀県大での講義録を納めた本、福島県文化賞受賞時の講義録、さらに建築学会に掲載された記事1518号と1636号の記事もつけた。

担当者の方と、20年来語っていることなんだけど、その件についてもいろいろ話をすることができた。また建築学会賞の賞状を盾を撮影させていただいた。

6月22日 

午前、住宅課にとどける各種データを整理する。民友新聞の社会面に掲載された記事が見つからない。県立図書館で発掘するしかないのかも。(地下室探してなかった)

午後食材を買出しにスーパーに行く。その間に住宅課から電話が入る。「建築学会賞の賞状と楯(鏡なので盾と書くのかも)の撮影許可が出た。現在は定例議会中なので忙しそうだ。

■風待ち時間にDVD CARUMENを観る 原作は古建築保存家でもある多才なプロスペル・メリメ 
古建築保存家など多能のプロスペル・メリメ原作
風待ちタイムに、CARMN (カルメン)DVDを観る。舞台は200年前スペイン。プロスペルさんの幻想的+熱情恋の破滅物語をビンセンテ・アランダ監督が映画化。
 東西に限らず、時代劇の見どころは衣装、背景や建築の内外装、エキストラの動きと衣装。さらに当時の人々の暮らしぶり。
凝りに凝りますます監督。女優のパス・ヴェガの(カルメン)変幻自在な演技に圧倒されますが、相手役レオナルドバラクア(ホセ)の心理描写、表情もうますぎる
◆原作者は聖ヨハネの洗礼堂の保存に尽力したとあるwebにあった写真の教会建築なのか不明。(最古のフランスの教会建築とあるが)




6月21日  
貴重な資料をいただいたので挨拶に行く。311直後の貴重な意見を拝聴することもできた。

■FB投稿
建築学会賞・賞状と盾を拝観しました
 迷惑だとはしるも観にいってしまいました

◆311直後、未体験の領域へ入らざるを得ず、そのなかで被災者支援のために行政の仕事を、家にも帰らず(床で寝る)続けた、その対応などの各位の行動は涙を誘いますよ。千年に一度の物語ですね。全国から300人の行政マンの支援も得ています

◆福島県住宅課が建築学会賞を受賞したと知り少し話を聞かせて頂きました。311直後から半年ほどの年譜を作ったので、申請作成した大和田さんに文章年譜に沿ってすこし話しをお聞きしたり、貴重資料や書籍など紹介頂きました。





6月20日  たり たり

県立図書館にいき、南相馬市刊行お『東日本大震災記録誌』を借りてくる
18日にいただいた資料と付き合わせながらWEB記録を作り始める。一度作ったけれど改良して作り直している。

FB投稿
東日本大震災(誌)資料集めては比較
311後の出来事を立体化したいので、あれ以来時々講演録つくりを含めいろいろ集めたり、眺め自分誌web作っている。ようやく公的記録も内容形式も整いつつあるように思う。おおいに参照し続けている。
 行政の記録は専門業者による編纂なのだろうか、それぞれ個性もあるがわ似たまとめ手法もある。予算によってページ数と質・体裁がかなり異なる。(福島市の記録誌は線量記録はよい)















6月18日  

dvd観過ぎたのか、昨日から頭痛が起きている。
午後食材買出しに二度スーパーに行く。

FB投稿


■各種資料など頂きました
 311直後から福島県の人々は多重・複合災害などに遭い様々な体験と知見を身に付いたと想像する。てまずは建築関係者の肉声やそのときの対応、研究したり、その資料などを含めて、その時々のweb記録をチョコチョコいろいろ作りたいと思いっている。
 まずは、県庁関係者の方々に協力をお願いしていた。2019年秋、京大の柳沢究講座のみなさんと県庁を訪ね応急木造仮設住宅などにつてお聞きしていた。今年は少し広め人に焦点をあてて、すこしずつまとめていきたい。
(応急仮設でも生活したいるので、火災、屋根が飛ぶなどしていた、ことも分かる)


スピルバーグが描いた日中戦争もの
『太陽の帝国』(日の丸の帝国)切れ味悪い作品だと思って見た。それは子供の戦争災害がテーマだからだと思う。子供を主役にスピルバーグはたくさんの作品を作っているし黒澤監督大好きだから戦闘しーんなどはエンタメ色過大かな。(零戦好きにはたまらんかも)
上海の租界を舞台にイギリス人の少年が戦争に遭い人間生を破壊されてしまう絵描きかたで反戦を現しているも、同監督作『シンドラーのリスト』はユダヤ系の人々から批判が起こるぐらい良い作品だと思ったが、DVD見過ぎてか、いまいちであった。
(映画批評家は朝から晩まで日に4?6本見て書くらしい 真似はできない)
■1945〜45年を舞台にしたDVD観まくる
目が疲れ頭痛ぎみに
 侵略する者とされる者の視点双方から作られた映画を片っ端から観る。同一の戦争という人災が立ち上がり簡明になる。(.なりすぎかも)
 チェコを舞台にした『素晴らしき世界』はあっと驚く展開で難を逃れる。日本が非支配国となつた戦後6年間を想うと、チェコ夫妻による女性を存在を最も尊重する男性が少ないこもが浮かぶ。ドイツ支配下て同朋を裏切った者たちと、戦後共同し国をどの様に再建するのか、人災、自然災害に関わらずき原点がわかりやすい。311放射能災害で夫婦や家族、地域の人々との絆が強固になりましたか?と問われるわけだ)
◆ハンガリーを舞台に描かれた『人生に乾杯!』は戦後をいきてきた、年金で暮らせず家賃を取り立てまくられている研究者と看護師の老夫婦が強盗を働き『俺たちに明日はない』同様の死を選択してきまう。ジメジメ感が無く描きだされているのは、ハンガリー人の凄い力である。
日本でこのようなテーマで映画が作られるとは思えない。やはり『万引き家族』のような描きかた、老人は床下に埋葬(遺棄)に落ち着くように想う。お国柄とはかくも違うと再確認できて面白いかった。
あ!1930年代の戦争映画のこと忘れそうだ


6月17日
庭の杏 割って煮るよ
世話してないのに直径5センチほどに







 6月14日  のち 

 すこしつかれたので10時まで寝ていた。
日記書き忘れている(元気が落ちているのかも、注意しよう)
午前 米を買いに農協直はへ。午後食材を買いにスーパーへ 
もどって資料を読む 
■昨日は、ぬる湯の傍の屋根をチェックしにいく。高地であり樹木回りにない建てもおだったので、破風や棟が飛んでいた。積雪も多そうだし、建てものいとっては、過酷は気象状況にはちがいない。
FB投稿
雨漏点検、屋根に登ってみた
完成当初から吹きっ晒しにぽつんだったろう
誰が設計したのか?不明だが高地寒冷地で緩い勾配の、瓦棒屋根は貧弱すぎるのでは
高地の牧草地なので強風によって、棟押さえ、妻破風が吹き飛んでいる

■ 磐梯朝日国立公園内じゃないのか?
 太陽光発電所の予感。もしそうだとりたら、完成したら激醜そう。環境評価してるとは思えない、再エネファシズの嵐の一例になるのかも。



数日前にみたDVD

相互監視社会の事例について2本観る
 昔の映画なのに身近な問いになってる。冷戦崩壊によって明らかになってるのは、右も左も長期に権力を与えると主権者はろくな目に遭わないんだね
国家権力の私物志向化が教える一つは、今日の我が国のデジタル大臣のニュースに見るように、恫喝からやがて、敗戦前後の各国にあった特攻警察や各国の秘密警察による盗聴と粛清に至ることまでを参照にし、心構えておくべき段階に来たようだ。
 デジタル省ができて、主権者の自由が極度に奪われたり、相互監視社会にならなければよいのたが。大臣の恫喝をまま放置してしておくと基本的人権である表現の自由も剥奪されだろう(これも主権者の選択によるのだが)
 東ドイツにあつたシュタージ=国家保安局の実態は膨大な記録として残されているようだ『善き人のためのソナタ』によってシュタージの内実は人々の共有知として残されている。
でも日本の現状は政府が行政文書を改竄したり短期間に破棄する、のり弁にして公開しない。四半期したら公文書が公開可能な日常のための行政公文書館がない。ここら辺りも自由を保全するためには致命的。






 6月9日  福島市は30度超えの夏日になとのこと

2日間雑用をしたり、資料を読んだり探したり、またのんびりゴロゴロしつつDVDを見ていた。情報の整理が徐々についてきている気がする。整理できなくってもいいのだが。

■鈴木博之氏の最終講義をネットでみつけたので、今日は2時間ほどのデータを見ようと思うのだが。まずは資料を手に入れよう。

FB投稿
鈴木博之さんの東大での最終講義を聞く
立原道造全集4を開いて 『建築 未来への遺産』に辿り着いてしまった。建築界はとても狭いとシミジミ思うばかりだ。
立原道造〜大江宏〜鈴木博之〜法政大学〜高山建築学校〜石山修武〜、日本の建築保存論にも出会い東京という都市のでき方の基盤や展開も分かった。さらに保存、東京駅、アンコールワット課題まで理解できる。いろいろな建築山脈の連なりが分った気分
高山には五十嵐太郎さんに誘われて行った
地雷をさけあがらアンコールワットに行ったが銃で威嚇されて逃げ帰った思いでもあり。色々重なっているので5歳年上(敗戦時に生まれた人)興味深いし鈴木博之氏の目を通してみると建築というのもが抱えている諸課題が分かり易くなるような気がする。

★高山建築学校は  法政大の建築関係者主催だったみたい。
高山建築学校に呼ばれて、ワイワイしてたら学生さんがスッ裸で目の前
議論のデーブルを舞台にして、身体表現をした。セルフビルダーの岡さんもダンスしていたが、ピント感じなかった。それは数々のセルフアート作品や暗黒舞踏や大野一雄さん、勅使河原三郎さんなどの舞踏をたくさん見ていたので、余りにの下手くそさに、呆れたんだろう。黙って、観てたら先生が止めた。
思いだしたので、本をさがしたら、伝説集が有った。俺が呼ばれる場は大概終末なんで、生きがい落ち場が多い。世代的にそうなのだろう

 








6月6日  気温たかく蒸し暑さがでてくる

『建築 未来への遺産』を全体をぱら見しつつ 保存に関する箇所をよむ。建築の保存はとても困難なんだけど、考え方おおいに参考にしようと思える内容だった。

■午後宮城資料ネット総会 ZOOMに参加し、若い泉田博士の講演を拝聴する、熱情が伝わるないようであり、若い人はこうでなくてはと思う。反面ご苦労も多そうだが切り拓いていくことを多いに期待したい。

(FB投稿内容)
泉田博士の講演を聞く@歴史資料ネット総会
資料ネットで最も若い博士による石巻市博物館(設計:藤本壮介)311被災から現在の開館準備状況や課題などを拝聴。(このようなご多様なご苦労の積み重なりによって、それぞれの地域の記憶が記録され継承されていく。そのような具体的な様子が詳細に語られ勉強になりました。人不足は各領域同じなか、泉田博士の今後の活躍も楽しみです)

被災直後の文化センター内を案内され見ておりましたし、小学校を保管庫にした所に資料運び込んだりしたことがありましたので、泉田博士の熱情とご苦労様がひしひしとリアルに実感する事ができました。
 藤本さん(設計者)には20年ほど前に我が家に来て頂き講演頂き、旭川の実家に初期建築見学にも行きましたので、他人ごととは思えず、見学させて頂きたくなりました。新コロのなかで開館準備作業、興味深く拝聴することも出来ました。
ありがとうございました。
(本間家の被災土蔵保存のために、たびたび通ってもいたので懐かしくも思いました。web記録あり)


6月5日のメモ FB投稿

新関さんに相談にのっていだく
人生の多くの時を、福島県の建築行政に関わり続け、今年退職された新関さんの問い返しは私の意表を突いて新鮮でありますよ。
建築の世界はほとんど知らないと思って生きてきましたが、福島の原子力災禍の多様な建築行政に携わって生きてきた方の声を、キチンと記録するために、野の者わたしは、常識はずすほど?問うかも知れません、御指南を新関さんよろしくお願いいたします
新関さんと知り合ったのは、宮城県ないでたくさんの古建築にかかわって、福島県内で古建築に興味のある人は居ないですかと県庁を訪ねて紹介された方でした。
紹介した方は「飯食うより古建築好きなひと」と語りました。10年経つたけど、未だになぜ古建築に燃えるのか理由が分からない、不思議な人であります。建築好きには変わらないけど、私の建築の興味とはまるでちがう。それも面白い
建築は豊かであります、多様なひとが関われる豊かもそなえます

並べておる
左本は最近、東大発建築史。、右ほんは30年前に買ったんだけど建築家の源姿がわかる感じ捨てないで持ってる




6月3日

午後一番で食材を買いにいく、5000円で手に入れると2000円割り増し付クーポン券と取り換えて支払う。

■他はデューラーな1日(朝から晩まで資料読)だった
デューラー著『測定法教則』手が届かない(金持ちになりたい)
「紀行文」を手に取るとどこでもドアのように今ではない世界に飛んでいける。旅する巨人は宮本常一だけどイザベラ・バード『日本奥地紀行』も負けてはいない、150年前の日本を他者視せで克明に記録している。小津久足さんの『陸奥日記』日本語で書いてあるのに現代語で理解できない部位が多い(誤読・誤理解だらけだと思う)。

 500年前に1年掛けたデューラー晩年の日記『デューラーのネーデルランド旅日記』には関税の支払いなど旅に欠かせない金銭の出納が書いてあり食い物やワインの値段など細かに分かる。イタリアの絵画手法をドイツ人が理解し展開しているそのことも分かるけど、関税要らない銅版画を売ったりしつつ年金確保を願い出る当時の表現者の苦労が手に取るように分る 





6月1日 

5月8日に開催したZOOM記録にイザベラバードさんの横浜につての記述分を写し加えた。写真も少しはった。

■花田達朗先生より花田達朗ジャーナリズムコレクション第四巻『メディアの制度論と空間論ー両義性の葛藤』が送られてくる。珍しいことだが添え書きがなかった。
FB投稿
花田達朗ジャーナリズムコレクション第4巻発売
6月8日に発売される1冊は『メディアの制度論と空間論ー両義性の葛藤』です。帯には「抵抗空間を展望するために メディアは表現の自由を助け人々を解放しているか?」 とあります。愛称「花コレ」4冊目の刊行となります。 第3巻は『公共圏ー市民社会再定義のために』でした。可能態としての社会空間論が2冊つづけて刊行されることになりました。(全7巻なので半分刊行済みとなります)
 建築家界の皆さんはご記憶があると思いますが仙台メディアテークの設計概念として採用され、2001年9月22日には、花田先生は建築学会に招かれ「公共圏 概念、メディアとしての建築」を講演され議論もされました。第4巻には「9放送空間の生産 ━ 放送空間におけるインフラ、景観、場所の織り合わせ」がおさめられ景観として表象される放送空間が論じられてもいます。
 石川初著『思想としてのランドスケープ』と合わせて読ことで、混濁している現在の社会空間の見通しがよくなるようにおもいます。