佐藤敏宏  HOME 
2019年01月の日記へ
   2019年02月の日記      
 

 2月28日  小雨のち曇り

27日から3月1日まで東北大にて「歴史資料保全コーディネーター講座」に参加している3日間で15日コマ と20分ほどの討議 28日は午後6時から8時まで懇親会があり参加した

講義内容

◇講義内容と担当者
○2月27 日(水)
9:45〜10:45 1:講義全体の説明、災害直後の対応=藤澤敦(総合学術博物館)
11:00〜12:00 2:法律上の文化財の範囲と保全対象=関口重樹(宮城県文化財課)
13:00〜14:00 3:保全活動の体制構築と安全確保=藤澤敦(総合学術博物館)
14:15〜15:15 4:遺跡・建造物など不動産資料への対応=関口重樹(宮城県文化財課)
15:30〜16:30 5:3次元計測技術による被災状況の記録=鹿納晴尚(総合学術博物館)
16:40〜17:00 意見交換

○2月28 日(木)
9:45〜10:45 6:様々な資料の保全@:古文書・古記録=佐藤大介(災害研)
11:00〜12:00 7:様々な資料の保全A:考古学資料=菅野智則(埋蔵文化財調査室)
13:00〜14:00 8:様々な資料の保全B:有形民俗資料=小谷竜介(東北歴史博物館)
14:15〜15:15 9:様々な資料の保全C:無形民俗資料=高倉浩樹(東北アジア)
15:30〜16:30 10:様々な資料の保全D:美術系資料=安田容子(災害研)
16:40〜17:00 意見交換

○3月1日(金)
9:45〜10:45 11:様々な資料の保全E:地学系資料=鹿納晴尚(総合学術博物館)
11:00〜12:00 12:様々な資料の保全F:生物系資料=鈴木まほろ(岩手県立博物館)
13:00〜14:00 13:様々な資料の保全G:行政文書・写真記録=加藤諭(史料館)
14:15〜15:15 14:文化財マップの防災への活用=蝦名裕一(災害研)
15:30〜16:30 15:被災しない体制構築の課題=藤澤敦(総合学術博物館)
16:40〜17:00 意見交換
(部局名のみのものは東北大学)



 2月26日  快晴 雪化粧してる奥羽山並みが美しくみえていた

 確定申告書類を数日かかってまとめた。開店休業状態なので領収書整理などさほど手間取らなかった。今年は仕事したものだが・・どうなることやら。申告書は今日提出しよう。

23日書き忘れていたのでFB投稿記事を貼る
100人の若者をあつめて自由に表現させた(1984年
 温泉町でアート系イベントを主催した事がある。「そのことを書け」とmy人生初の新聞記事用の原稿依頼があった。原稿料で焼肉食べた(笑)タイトルは「メビウス的社会」だった。自分で書いても忘れるね
いまさらだが、記事を読んでみると「現在の方が個の表現意欲と地力は衰えている」と言える。バブル前だった1984年当時のことだが、個人の表現は公的資金や企業の資金支援をうけずに、関係者に交渉し、ただ飯、ただ寝床を自力で確保、それが参加者もみな同じ意識だった。自腹旅費で現地まで辿ろ着く。外国人も参加していた。さらに地域の路上や道路を表現者に解放した。そこで3日3晩自由な表現をしてもらい尽くした。事件にもなり、若い・苦い・好き時空をつくった!と再確認できたかな。
■サンチャイルド事件でアートや表現などについて、あれこれ思うことがあるで当時の記事を探して確認してみた。県立図書館にて。35年前の毎日新聞記事を見る。さすがキッチリ保管してある。コピーする。記事写真内の俺は髪の毛が邪魔なほど!てっぺん飾ってたんだな。
人生初の依頼原稿が記事になってしまう。1984年9月12日毎日新聞 東北版
{メビウス的社会」ー不可思議な共同体(福島県立図書館に新聞が保管されている)

1984年7月14日毎日新聞、東北版。福島県紙はここまで書けないほど、キチンと書いてる、毎日新聞の眼鏡の若い記者はしつこく取材もしてたし、原稿依頼にも押し掛けて来るし、さすがだった。
アートイベントの記録を残すために本を刊行した。東京では売れたのだが、福島県ないでは10冊ほどかな、渋すぎでほとんど売れなかった。記録書とはそんなものだろう。でも気合い入れて作ることが参加してくれた若者たちへの返礼なのである。やりっぱなしならフォームやイベントするんじゃねーよ!と思ったりするのだが




 2月24日  

■図書館で昔の新聞記事を探してみた。半地下の書庫の一般公開日だったので、司書の方の案内で100万冊を収蔵すしている状態を見ることが出来た。お目当ての記事はみつかる。記事の新聞社名と掲載の日付が分かればすべて保存してある。古い記事はコピーできないのだが撮影は許可になる。

■35年前の集合写真@福島市温泉街(1984年7月
懐かしいので写真を引っ張り出す。写真家に依頼した。何か催したら、記録を残す!その大切さしみじみ今実感しちゃうな)
 左上の写真は大工職人たちの聖地である温泉街内に在る太子堂の前で、一部参加者とともに集合写真を決めてた(前列左から2人目髪の毛てんこ盛りで今とは別人だ!俺)
 左下と右上の2枚は道路にシートを敷き詰めて講義を拝聴してる参加者と観客(観光客もアイスナメナメ参加など、全体把握困難)
 右真ん中 4枚目は荒川の上に吊るされたアート作品、(もちろん不法設置なのだろうか、誰も通報せず。町の人出したかも)...
右下5枚目は荒川河川敷に降りて単独の身体表現をしてる女性(もちろん河川使用許可など出さずだろうか、町の人出したかも)






 2月23日  
春めいてきている。今年は暖冬のようで、寒がりの者には幸だ。
■16日におこなわれた「サン・チャイルドを取り戻すために」とのお題で2時間ほどワイワイした。作者のヤノベさんと福島市民をまじえ総勢20人ほどで語りあった、その内容の記録を作成している。文字お越しに数日、仕分けに数日とおもったより時間が掛かってしまった。
 でも、注や添付資料をどこまでつかるかあるけれど、内容が分かる程度の記録を作ったので、一段落。

 昨年11月10日の制作者と市民の話合いより、内容に広がりが見えているのはよいのだろうな、そんな傾向だ。てつがくカフェ@ふくしまで今後も同様なテーマで語り合いを続けるのか、どうかは分らない。だれも語らなくなっても、興味深い問題を多数含んだ出来事あので、コツコツ今後も調べたり、記録したりし、記録の作り方を試行錯誤していく。
 まずは 記録は下の絵ような感じにした。どの記録も形式は同じにしているの。 市民が多数参加なので了解をえるのがめんどうだから、集合写真や参加者の顔写真は撮らないようにした。文字ばかりの記録となっている。顔が写らないようい会議の様子を撮るのはすこし難しいのだが、何かの機会に試し撮りしてみたい。司会者にお願いして撮影OKか聞いてもらほうが、参加者の意思把握はしやすいのかもしれない。


2月20日 

今日は家人の通院日だった。徒歩で片道25分ぐらいの位置ある病院に2月ちょいの間隔で通っている。年老いて足が弱っているようで、奥羽山脈から吹き下ろす冷たい風、向かい風の強い日には途中2度ほど休憩してしまうほどだ。
今日は風もなくぽかぽか陽気であって、途中休憩もせず目指す病院につくことができた。

■夜8時前にmy長男が、不要になったスチールの本棚を多数運んできてくれた。もう少し暖かくなったら書の整理をする予定だ。

■昨日、みずみずしい和歌山の柑橘類とどきました!今年は八朔が、不作とのことです。ありがとうございます。産直ならではの香りと味。果物さんちょくやっぱいいなやー〜。美味しいミカンを送ってくれる、Oさんに感謝


 2月18日  

■ 16日にあったサンチャイルドワイワイの記録をどのようにつくるか思案整理しつつFBで秘密なサイトを作ってみた。使い方いまいちわからないんだけど、FB秘密サイトを続ける事がベストだと思っているわけではない。でも紙媒体を使うほど金が無い、売る力もないので、まずは、出来る事をできることをする。それらの前段の活動としておこう。

■FBに投光した
サンチャイルド像「再設置の会」を始めました
制作者であるヤノベさんが参加のなか2019年2月16日pm4時から「てつがくカフェ@ふくしま」の主催で真夜中まで8〜9時間超に渡り、さながら「饗宴」風な「てつがくカフェ」となっていました。主催者の掲示板には否定的な書き込みが11件ほどあったそうです主催者によると「彼らと直に語り合いた、ぜひ参加して欲しい」とのことでした
 私は思うところあり「再設置の会」を始めました。サンチャイルド像再設置などに興味のある方なども含め、意見を「FBメッセージを使い」私に頂ければ幸いです

 2月16日 

■ サンチャイルドを取り戻すために@福島市
 てつがくカフェの主催にてワイワイ9時間する。 京都よりヤノベケンジさんも参加され、最初の2時間は右派から女高校生など含め女性7人男性13人にて「サンチャイルドの今後など」あれやこれや、賛否など多様な内容の対話(記録作成予定)。
14人で呑みなが二次会4時間。場所を二ヶ所渡り歩く盛り上がりぶり。こちらの方がテツガクしてると思えた。
その後4人で三次会。久しぶりの長時間語りまくる。サシでワイワイ予定が、寂しがりでことなかれ主義ふう老人の参加ありて。予想外に時間がかかり、話したかった内容に至れず。仕方なし。



 2月15日 
数日使い始めた薪ストーブは暖かいので 来年は初冬から使いたい気分になるものだ。家人も積極的、ふたりとも薪で風呂を焚いた世代なのだからかな。

■『資料 マンハッタン計画』(1993年大月書店)を買った。
 福一原発事故とその後について考え続けるためには、unclear 核兵器開発の記録を読んでおくことが肝心だと思い至たので買い求めた。
 米国政策秘密文書の翻訳本で、時系列にならべられているで読みやすい。■米国は、このアインシュタインからの書簡から人類の核兵器の歴史が始まったと語られる。1939年8月2日の「資料1アインシュタインから書簡」で始まり、原爆開発、製造、投下、広島投下以降の米政府内などの決定経過などを知ることできるように思う。(買い求めていただきたいので、参照までにコピー貼る)

■資料1アルベルト・アインシュタインからロースヴェルト大統領にあてた書簡

 E・フェミルとL・シドラーによる最近の研究論文が原稿で私のもとに届けられましたが、これは、近い将来にウラン元素を重要な新エネルギー源に変えうるという期待を私に与えてくれます。すでに起こっている事態のいくつかの側面について、政府は警戒するとともに、必要ならば機敏な措置をとらなければならないように想います。したがって、私は閣下に 次の事実と勧告に注目していただくこと...が私の義務であると考えます。
 最近4か月の間に、米国のフェルミーやシラードだけでなくフランスのジョリオ(キューリー)の研究によっても、次のことが有望になりました。すなわち、大量のウランのなかで核連鎖反応を発生させることが可能なのであり、それによって巨大なエネルギーとラジウムに似た新元素が大量に作られるという可能性です。近い将来にこれを実現できるのは、まず確実であるとみられます。
 初めて発見されたこの現象は、結果として爆弾の製造にもつながります。それほど確実ではありませんが、これによってきわめて強力な新型爆弾を製造することが考えられます。この型の爆弾一個を船で運び、港湾で爆発させれば、それだけで、港湾全体のみならず、同時に周辺地域の一部をもたぶん破壊するでしょう。しかし、このような爆弾は、航空機で運ぶにはおそらく重すぎるでしょう。
 米国には、きわめて質の悪いウラン鉱石が多少あるにすぎません。カナダとかってのチェコスロヴァキアには良質のウラン鉱石が多少ありますが、しかし、最も重要なウラン産地はベルギー領コンゴです。
 このような状況から考えると、政府と、米国で連鎖反応について研究しているグループとの間で何らかの恒常的な接触を保つことが望ましいと考えられます。これを実現するために考えられる一つの方法は、閣下の信頼を受け、かつ、おそらくは非公式の場で仕事をやれる個人にこの任務を委嘱することでしょう。その任務には、次のような事項が含まれるでしょう。
 (a)政府各省に出入りし 、今後の開発について絶えず情報を提供するとともに、政府の措置に資する勧告を提言し、米国が必要とするウラン鉱石の供給確保の問題に格別に注意を払う。
 (b)もし資金が必要であれば、喜んでこれを寄付しようとする個人との接触をつうじて資金提供をしてもらい、また、必要な設備をもつ企業の研究施設の協力を得ることによって、現在、大学の研究室予算の枠のなかで行われている実健作業を加速する。
 ドイツは、同国が接収したチェコスロヴァキアの鉱山から産出するウランの販売を実際停止したものと思います。ドイツがこのように早めの措置をとったことは、ドイツの国務次官の子息であるフォン・ヴァイッゼッカーがベルリンのカイザー・ヴィルフェルム研究所に所属していることと、米国で行われた、ウランに関する研究の一部が現在そこでも繰り返し行われていることを考えれば、たぶん理解できるでしょう。
    アルベルト・アインシュタイン

読み物としては『原子爆弾1938?1950年』2015年作品社より刊行 こちらが読みやすいかもしれない


 2月13日 
数日 アンケート分析三昧だった。ようやく一節でた感じで、一杯やる。首長は撤去会見で世界に向けて事実誤認を伝えたと言えるのだなー。議論の場設置せずアンケート結果を理由に分断対立有と決めた(それ問題なので根拠が要るから、サンチャイルド設置に関する反対アンケート分析している。
■首長によると、設置した動機は原子力災害の記憶の継承、原子力災害からの安全と克服、未来への希望を表現し それら3つの象徴となりうると期待したサンチャイルド像だった。だが・・・アンケートを採り風評 違和感 設置場所の問題で撤去したと言うが アンケートを観る限り首長の語りは誤認であると思った。そこで反対アンケートを4つの領域を指標とし、仕分けしつつ、寄せられた言葉の種類を類分し分析してみた
■1位)感情系37.0% 2位)politico democracy 系 29.8%    3位)nuclear系17.7% 4位)place系15.3% であった(私感で読まないようにしたが読んでいるのは承知で、賛同者がいない現在は一人で分析するしかない)
 SUN CHILD SHAK@fukushimashi の仕分けし受け止め理解する法は方予想より難しい それは4つの領域に仕分けして余る領域は承知しているのだが、それぞれの領域には細かく分類できるローカルな領域があり、それがまた分裂し、加えて時間の積み重なりと 意味の重複があるので 俺には相当重荷である でもコツコツ、亡くなった人が積み上げたと言われる賽の河原の石積みの、それを仕分けする気分で根が尽きぬようのんびりマイペースで続けてみるよ


 2月12日 

■サンチャイルド設置後の自主的活動が重ならないか、着工なった双葉町の両竹で着工なったアーカイブの内容を調べだした。いろいど辿ると「生涯学習課@福島県庁企画調整部文化スポーツ局」があると分かった。
 新聞や動画ニュースによると、福島県内の東日本大震災-原子力災害アーカイブ拠点施設が着工なったので、施設の目的や、収蔵されるはモノと紙などが予想されるが、担当者などと直に会い語るのがよいので出掛けた。県庁マンのかたがた親切である。アーカイブ作業内容は福大に委託してると分かる。(知り合いの多いの福大内のセンターであるので、こちらの活動とだぶらないよう指導してもらおうと思った)
 配置図を見て県民活動支援課があると知る。サンチャイルド像事件以降なのだからか、像に目に行く、目に付く、気にかかるようになった。県内の像を撮る。県庁前広場にたっている「平和の像」は私の年齢と同じだ。敗戦の戦後が続いたなかで、県内の人々の寄付によって建てられた像だ。敗戦ご日本の独立を祝って寄付集めがなされた。


■宮城県図書館から礼状が届いた。
発行したMy新聞とフリーペーパー寄贈したかも。311災害に遭いバラバラになっていた津波被災地の人々の意識をまとめるため全戸配布した。今まとまる必要のある課題を一覧可視化し記述。うちひしがれてしまったローカルコミュニティ内の議論を進展させるために、人生初のMy新聞を発行したことがあった。発行後に各紙面やフリーペーパーを図書館に寄贈してたかも。2012年の行為なので忘れていた。震災文庫整理チームからだった。
新聞配布の威力には驚いた!ぜ。宮城大だった竹内泰先生と竹内ゼミ生に編集作業をしていただき助けられっぱなし!彼らには改めて御礼を申し上げます。
フリーペーパー『鮪立』は京都工芸繊維大の岡田栄蔵先生と岡田ゼミ生の取材と編集と製本デザインまで、すべてして頂きました。女性学生はとくに地域の老人たち元、鮪遠洋の船員たちに大人気!で増刷までして頂きました。改めて御礼申し上げます。...
礼状みて昔を思い出しました。その時の縁で和歌山育ちの元学生さんとは八朔つながりになり連絡しあっている。人生はどこで縁が生まれのか分からないものだ。ほんとうに若い学生さんたちの力は凄いよ!若者とワイワイし活動するのが、どんなにいい感じかしみじみ思いだす



 2月10日 

 昨夜 my次男が薪ストーブ 8年ぶりに火入れた。311以降、薪を燃すと放射能排灰を作ることになるので使わなかったのだ。我が家は30年弱、床暖と薪ストーブの併用で冬を過ごしていたのだが、近隣の山々に放射能が沈着した、薪の燃料である楢やクヌギの樹皮にもたくさん放射能が付着したと言われていた。それを燃すと放射能灰になると予想した。そんな理由で福島一事故後、床暖のみで暮らし続けたが、、。そろそろ汚染も少なくなっただろう、適当な山勘で燃してみた。さて放射能灰になってしまうのか?。計測器が無いので測りようがないんだが。近所の測定所に持参するのが唯一の方法かもしれない。
やはり家全体に暖気が行き渡り、隅々までまで温かさが違う。来年の冬からは薪ストーブ復活させようかと思う。


■市役所に寄る。議会事務局に行き疑問の点をたずねた。
政務活動費の報告書内容が各会派コピペの様だったので、なにか縛りがあるのか訪ねた。議会事務局ではなにも表があるだけで、報告の中身についてはなにも決まりがないとのこと。市民が議員の報告書をみて、訴えるなり、問題だったら声を上げるしかないとのこと。 政務活動費が有効に活用されているかどうかを監視すことに、興味がないので、今はままにしておこう。暇な時にでも各会派を訪ねて、ないようについて聞き取りなどしてみるもの良さそうだ。
■昨日の事

福一原発事故災害の記憶を保全する施設@福島県+国。双葉町の両竹ちくに発災直後から計画されていた、岩手、宮城、福島、3県につくられる311災害の記念施設
知人が、福島市で起きたサンチャイルド問題を調べてることを知っていて、関連の記事画像と公共放送で放映されたとのデータを送ってくれた。ありがとう!参考になります。



 2月09日 

 サンチャイルド設置事件以降、関連資料を探しつづけている。今日はビキニ環礁水爆実験に遭い、第五福竜丸と漁夫が被曝したとの第一報を読売新聞が発信していたので県立図書館でさがした。(実は、多数の漁船と漁夫が被曝しているのだが当時は福竜丸のみ大きく扱われた、『X年後』映画や本を参照のこと)

 ラッキードラゴン関連記事はあったが、古いのでコピーじゃなく写真撮影をするよう指示され、たので朝刊一面を撮影しデータを手に入れた。
読売新聞1954年3月17日を頂く。東京では3月16日に発信されてるが地方版は1日遅れで再度整理部にて編纂されている。(新聞研究者による)『x年後』によると米の水爆実験によって1000艘以上.1万人の邦人漁夫が被災したとある。が第五福竜丸と漁船員たちが著名にあつかわれるも、幸成丸と乗組員などを含む多数の被爆者の存在は隠された。漁夫たちも口を閉ざし(理由も記述されている)。日本政府は水爆実験に協力するのは当然であるとしたり、見舞金二万ドル(7.2億円)で1955年1月手打ちした.とある。

■昨日は市議会議員の政務活動費を手に入れてみた。たった一度の閲覧とコピーだが、福島市民は政治家を監視したり応援したりしていないことが分かる
 


 2月07日  うろちょろしまくる一日

■地酒で乾杯!。望みの福島市製による放射能災害記録が有ったので地酒で乾杯する。会津若松の酒蔵の庶民の懐ぐあいに適度に良い日本酒にて祝うなり。
肴は大川+阿賀野川系の先にあるらしい焼きあご。顎を上げたくなる時はこれをしゃぶり、しゃぶり続けると深い味が染み出て、困難な困難問題も解けてしまう感が口の中から滲み出こと、真っことよろしく思う肴なり。
気分が楽しくなって難問に当たればよき解が表われ出るなり、そんな倍増気が起きてしまう。そう感じるのは俺だけかな。
福島市内の高校の校庭より放射能廃棄物を掘り出す作業が始まった。福島高校と福島工業高校のそれにあでくわす。絵は近所の工業高校の作業風景なり...
持ち出しても環境内にある全て放射能は取り出し除去出来ない。ここからは金の無駄行為とするかは政治的な判断と、もつとやれよなどの人々の我慢がどれたけなのか、そにに委ねられる。(そばにあっても即死しないのでそうなる)そこは確認し共有したいのだが、さて。観察し続けて報告した


■報告書は作成されていた。市役所職員やりっ放しでなく頑張ってました!ご苦労さまです。で報告書ありーました。良かったです。でも内容は派遣目的が食の安全性と農業再生に関する取り組みなので、放射能災害全般を網羅してはいない。次世代への伝言記録にもなっていない。現在の人々へ向けられた情報を採りに派遣されたる感で、満ちている。その事が分かる報告書でもある。
 福島第一原子力発電所事故によって生まれた放射能災害にはお仕舞いがないので、今後 気付きの案件をまとめながら、多年度に渡り視察など行い、311後の記録を継続的に作成することが肝要。
 市民がその事に理解を示すのか?その事も福島市の災害の記憶の継承事業のためには通過しなければならない関門だろう。
福島市が平成24.25年度にわたり放射線対策先進地視察事業を実施している。2冊とその都度開いた市民フォラムの簡単な綴りもあった。(my課題は報告会についた内容が薄いので音源を見つけ出し文字化したい)...
 加えて消費者の代表と共に視察した記録もあった。唯一Aさんとおっしやる女性の、方がチェルノブイリ博物館の感想をつづられていて少し救われる。今後、農と食以外のテェーマに触れているのだか自覚がない、原発事故博物館の存在の意味は次世代へのため不可欠なものとして捉えられてはいない。少しもったいない、言葉を引き出し語らせる者の不在を実感した。
 市民が市役所職員などを積極的に応援し記憶作りのため協働する環境をつくりだせるか?そこに次を開く鍵がある




■ 『長崎原爆の記録』を読み始める。1984年10月5日発行。第6章 原爆に関する見聞のページを撮って貼る(第5章に医師撮影の被爆患者の惨状は多数掲載されている、惨状なのでコピー貼らない)
 泰山弘道(やすやまこうどう)海軍軍医少将による、救援活動の記録であると同時に、敗戦に伴う病院の運命に関する記録でもある、そう解題に記されている。
さらに、長崎の惨状を目撃された泰山氏は、長崎が最後の被爆であることを願って、そのさまを人々に伝えんものと、昭和26(1951)年4月21日に本の稿を起こし、同年8月9日、長崎原爆犠牲者の七回忌にその冥福をいのりつつ脱稿された。種々なる事情によつて33年目の今日出版の運びとなり、泰山氏の意思を実現することができるわけだが
と続く。2日前、米によるINF脱会によって再び冷戦状態が始まって、しまった。



 2月06日 

■花田達朗先生よりHP更新依頼あり 更新する
ドキュメンタリー映画『福島は語る』を観た感想文(HPへ) 原子力災害に遭い沈黙を強いられている14人の方々が沈黙を破り、撮影者(監督)さらに背後にいる多数の無自覚に沈黙を強いる人々に向けて言葉を発しだす深みについてなどである、一読されたし。

■夕方 市役所に出向き定例議会一般質問発言表(@福島市議会)を目指す。暁参りの草鞋レプリカが飾ってある福島市役所にて9月12月定例のそれをいただく。

ついでに「報告書」を探してみた
平成24、25年度ベラルーシ視察交流事業報告は有るのか無いのか?分かる人分からず。で有無さえまだ突き止められず。
職員、市民、市会議員、市議会議長も同行してるのに有無わからずなのかー。...
事業主体の市民活動支援課は解散してしまい現在は存在しない。定住交流課が引き継いでいるので訪ねたが今日は分からず。電話で、連絡するとの事。
18時30分ごろ電話あり、報告書はあり配布できるとのこと。帰国後の市内で開催した報告会議事録の有無は調べるとのこと。


 2月05日 
■ 米 INF全廃条約破棄発表 ロシアに正式通告 半年後に失効へのニュースが流れた。半年後今年の8月には再び冷戦時代、通告したということは今日から冷戦構造が始まったということだろう。

■ビキニ環礁水爆実験につちえの、関連本をいただきました。映画 放射能を浴びた[x年後](福島フォーラム2014年5月に上映パンフもみつけた。)
 1954年3月1日ビキニ水爆実験で被爆した漁船は、第五福龍丸だけてばなく(読売新聞1945年3月15日朝刊で第一報)、幸成丸など高知県などの漁船も多く被爆している。それを発掘したのは1985年から高校教師の山下正寿さんと、高校生による現代史調査活動によって、だった。映画は南海放送の方々が制作した。 関連本も、同名 で 伊東秀朗著 
■ 武谷三男著『死の灰』(同書内容へ・下段のほうにあり)が世にでたのは1964年なので50年後に、この本に書かれていない被爆者たちの姿が映画によって明らかにされたということだ。シミジミ時間が半世紀経っても明らかになる事もあると実感する。(映画予告編へ X年後2は下段に貼り付けた)
■福島原発事故災害や被曝に関することもコツコツ記録し続ける意志が不可欠である




 2月04日  風つよし 

■朝起きてメールを開いたら、my長男から驚きのニュース!
                   めでたし!
■一年でもっとも寒い季節だというのに 昨夜は小雨ありだった 昼頃、晴れていたが吾妻の山々ももやっていたので変な気温だなと思った。それらは温暖かの一例なのかもしれない。 
 「関東東海は5月並の暖かさであり、榛名湖では氷が柔らかく今シーズンのワカサギ釣りはとりやめ」とのニュースが流れていた。方々春のような気温なのだろうか。寒さが戻るようで午後から風強よし。時折バタバタと音がしている

■原子力ムラから横滑りして、スウェーデンなど北欧の自然エネルギーを調べ、再生可能エネルギーの旗手のような、飯田哲也さんのWEB頁データを作り始めた。
今日は動画のデータを文字にした頁や『北欧のエネルギーデモクラシー』の目次を打ち込んだりしてみた。 本も見つけ次第加えていく予定
下の絵のような感じ 頁へ 




 2月03日 

■県立図書館に行く

「原子力ムラ」の語彙を使った最初の論考だと著者自身が語る、飯田鉄也さんの論(1997年R onza 月刊「論座」2月1日)コピーをいただく。
目次のタイトルは 「暴走する原子力ムラの人々」本文は 「模索する原子力 ムラの人々」となっている。
 原子力利用について硬直した対立構造(推進派対反対派)を「市民によるエネルギー円卓会議」実施するなど数々の提言あり。
原発ムラを脱し、横滑りした飯田さんらしく、独自の再生可能エネルギーの在り方を語るものの、311以降 のような、太陽光発電 一辺倒の論ではない。その点は記憶しておきたい。
原発踏み絵と称する力を働かせて、もんじゅ事故調査を命じられた動燃職員の自殺を、例に異論を徹底的に排除する原子力ムの硬直で知の空洞状態を語っていた。(20年経とうが日本はムラムラの連なりにて、能動てきな人々が存在していないようである)



2月02日 

資料マンハッタン計画』@県立図書館を借る。サンチャイルド設置撤去事件より4か月ほど資料を追っていたが、ようやく原爆製造から投下のアメリカ政策資料を翻訳した本にあたった。これを読まずに死ねないと思い 古書を探し注文する 元値がいくらかは知らないが12000弱最も安い本だった。

■内容はぎっしり 巷の現代史を読むよりこちらの方がより知る価値があるかとも思う。700頁もあるけれど 本が届いたらコツコツ読む 今年中には読んでしまいたい

■米国政府内部の政策文書 で原爆の開発、製造、使用、投下目標の設定委員会、広島投下以降の議事録を編集、翻訳しまとめた本
全760ペイジで公文書の保存公開をしない日本と米国の記憶の継承に対する意識差異が分かる本。政策文書なので実に詳しいく圧倒されちゃう内容。コツコツ読む
1945年5月12日第2回の目標設定委員会では宮城原爆の可能性が議論された。のち最初に選ぶべき目標は京都、広島、横浜、小倉兵器○と勧告。
巷で聞く「原爆と対ソ関係」も90ペイジほど収められている。8月6日投下日と日本の天候も詳し政策検討...
投下後のトルーマン大統領の語りをペタンする『資料マンハッタン計画』@県立図書館を借る
米国政府内部の政策文書 で原爆の開発、製造、使用、投下目標の設定委員会、広島投下以降の議事録を編集、翻訳しまとめた本
全760ペイジで公文書の保存公開をしない日本と米国の記憶の継承に対する意識差異が分かる本。政策文書なので実に詳しいく圧倒されちゃう内容。コツコツ読む
1945年5月12日第2回の目標設定委員会では宮城原爆の可能性が議論された。のち最初に選ぶべき目標は京都、広島、横浜、小倉兵器○と勧告。
巷で聞く「原爆と対ソ関係」も90ペイジほど収められている。8月6日投下日と日本の天候も詳し政策検討...



 2月01日  

■リンゴを仕入れに近所の産直売場に行く。そろそろリンゴも終わりかも

■歴史文化史料保全コーディネーター講座のご案内があったので全講座受講で申し込みメールを送る。
◇開催日時:2019年2月27・28 日、3月1日 9:45 〜 17:00
◇会場:東北大学大学院理学研究科合同A棟2階第3講義室
◇主催:歴史資料保全の大学・共同利用機関ネットワーク事業東北大学拠点

■大沼正寛先生と阿部正さんの連載開始@『建築士』2月号CPD講座、全11回。雄勝の屋根材としての天然スレートについて資源と産業の起こりについての論考のようだ。311で縁が出来た地の天然スレートについての話なので毎月楽しいに読むことにしよう。


■記憶の保全=記録の作り方を今年は主に酒呑み話にもなるので勉強し続けよう
2019年01月の日記へ