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 12月31日 

■東京オリンピックに向け 福島の原子力発電所の事故を忘却したいベクトルが強くなるど、俺は忘れないように原発事故のあれこれを書き続けるつもりだ。
■フェースブックに書き込んだこと

動き続ける我が大地。それを確認しつつ
酔鯨と墨の江どちらも日本酒、2酒ブレンドにて ぐいぐい
☆どちらも巨大地震がある場所で生産された酒だ。混ぜ酒酔いはキツくなるが、呑んでみて。呑むとつよーく気持ちよいすぎ、酔いまくる。でも大みそかはブレンドして呑むのが楽しい。一蔵・日本酒に飽きた人におすすめだ。相性があるので失敗も多い、ご注意を。
☆ブレンド酒の肴は地震学者・石橋克彦先生の講義。
話の中身は通称・「4大プレート」と「巨大地震の源」と「活断層と原発危険」などあれこれ。お年玉にして東京都民・各位に配りたいほどフクシマでも有り余る使用済み燃料。...
 世界の表面積が1パアセント無い日本は世界の地震比で1割も起きてだだんという。他国に比べたら原発稼働は100倍危険ということなのだろう。俺の生きる大地は地震大国日本。日本列島の地下層地状況はズタズタだと予想される。石橋講義を聞くにつけ腑に落ちる。だから直接地層処分などもってのほかだと分かる。

 巨大海溝付近で生産される日本酒のブレンドはまこと結構だが そこに在る原発と巨大地震と使用済み燃料の「一機ブレンド」そいつは避けたい、あって欲しくないが福島県以外の場所で起きるだろう。青森か若狭湾か伊方原発あたりか

新年以降も数十年の間に起こると予想される巨大地震。使用済燃料はさっさとプールから出して乾式貯蔵にせよ。石油や電気に頼ってい保存する今までの保存方法は早急に変更すべきだ。朝鮮半島のミサイルの危機の比ではないよ。
今のまま冷却保存すれば地震時に油が切れ、福島の事故に似た事が起きても、命からがら逃げようとしても日本列島・原発だられで逃げつくせない。諦めて毒を食い生きるしかない、福島の人たちが先、へぐった事だが、ここで生きる定めだと覚悟するしかない。
☆石橋先生によると、南海トラフ巨大地震と糸魚川静岡線の破断はもしかすると樺太までアムールプレートの東端が一気に動く可能性だってあるのだそうだ。人生の時間とは異なる地球時間で、同時に起きるようだ。地上はどろどろのマグマに浮くつかの間の楽園なのだろう
☆一方関西の電源である、若狭湾は東向きに移動するアムールプレート 西進する太平洋プレート、間にある我が大地のあるオホーツクプレート割って入るフィリピンートフィリピンプレートなどの歪が重なり、ブリブリバリバリ、明日巨大地震が起きても、地球時間では当たり前のことなのだそうだ。つかの間の平安を酔鯨と墨の江ブレドで酔いましょうwag



大晦日読書
柳さん著 戯曲集 『町の形見』
「沈黙の中心に声を届けるために」とサイン入り本
12月1日小高駅前にある柳さん営むフルハウスにて買う
帯びには「過去も未来も、いま、ここにしかない」とある。...
帯びに記された言葉は原発事故後、多くの人に共有されていることだろう。双葉町の看板にあった標語 「原子力明るい未来のエネルギー」あれは真っ赤な嘘看板だっ事を恥たのだろう撤去されてしまった。
 あの街の人々は命からがら避難をつづている。それほど辛くなくも、フクシマを生きる人たちも、二度と「未来」なんぞと口にしたくないだろう。「 いまここしかない」そう覚悟し、今を重ね生き続ける。そんな事態を自身の宿命とし受け止めて、平凡な暮らしをやめない。それしか以前使っていた「未来」なる言葉を包括して余りある概念や新たな言葉を手に入れることは出来ない。そう覚悟してもいる。ではどうしてそこれを達成するのだろうか。柳さんの脚本には一つの手がかりがあると思う。
演劇 町の形見は、311と原発事故に遭い南相馬市に暮らしていた(暮らしている)8人の老人達の身体から湧き上がる、消すことができいない記憶、それを語る肉声と、体験者でなければ伝えられない現実がベースに描かれて、外部から南相馬市に来てそれを演じる7人、演出する一人に総計16人によってこことみられる原発事故に関する劇。
当事者と他者が協演することで、人間の悲劇である一つの記憶の継承を手探りつづ、一枚の布を編むよう、布に記憶を刻かのように書かれている。
聞き取りもたくさん積み重ねてつかみ取ることがえきる言葉も多数ある。れがらそ重成合うことで、遠い貴方、または生まれ来ていない貴方へ、311災害のある部分を伝えようと模索してるいい脚本だと受け止めた。真摯で意欲的に書き上げられ、柳さんは記憶を弔うと記してもいる。

「沈黙の心の中心に声をとどけよう」とし例は福島市にもある。サンチャイルドを設置することで「あの災害の記憶し継承する」そのシンボルとするため実施されたが、はからずも未熟くさにおいて、世界的な恥を晒してしまった福島市市民。必要本だとも思う。まずは、関連死した彼ら彼女の氏名を刻み悼む、その行為を忘れて、災害の記憶の継承だけに走るのは不可能だということだ。それが明かされた設置撤去事件だった。
まだ継続中である。 サンチャイルドは、恥ずかしさの余りお隠れになったまま(大雪大寒の下 福島市内に解体され置かれている)
「あの日あなたはどこで何をしてましたか」
という問いは福島原子力発電所を経た日本人は全て負わなければいけないということを『町の形見』教えている



12月30日 雪時々晴れ
 家人とともに年末年始の食材を買いに行く スーパーも人手不足のようで除雪もなまならようだ。
■暖冬と気を抜いてたら「12月の記録的な大雪来る

雪 降り止まぬ3日目 地吹雪あり 時折陽射しあるも 夕方まで雪 止まぬそう
降り続き野も木々も屋根至る所 綿帽子にてモコモコ感増し
食い物運ぶトラック野郎さまご苦労様  お正月の食材買いに行くよ

豪雪に限らず自然災害が起きると 食い物が止まり買い占めに走る現在 冬場南海トラフや糸静線が同時に動き大雪くれば餓死を覚悟
我が家周りは50センチ弱 311を切っ掛けに独居老人は移住

豪雪地域の独居老人たちは 除雪も買い物の行き来すら難儀してるだろう
年老いたら核家族を解消し図書館付きシェアハウスがよさげ
女性たちはしなやかだろうが団塊含め年上の男たちはシェア意識教育要
そんな世代だと見受けるが金持老人は若者に世話させ暮らす
二局分解か





12月28日 昨夜から雪が降り続いている 30センチほどになるかも

烏賊人参の季節 ワシでも出来る 寒くないと腐り臭くてクエンスルメを手に入れ刻む 酒でふやかす ふやけるその間は 死んでしまった友人作  吹雪の中の鹿絵つき茶碗でビール 混ぜて醤油酒をぶっ掛けて混ぜま 一晩寝かせば食える
凍るほど美味い フジ林檎も冷え冷えを炬燵で囓るに限る



 12月27日 

昼ビールのみだす@仙台空港
my長女ドイツからの飛行機遅れにて乗り継ぎトラブル。仙台到着3時間おくれ。9月仙台で開かれた国際会議にて、やり残した仕事処理のため帰国。my長男合流し昼呑みいい気持ち、昔世界の遺跡めぐりでの飛行機待ち4時
間は当たり前で、待ち時間で呑み語りにて酔っ払ってしまった、あの頃に似てる、年末


 10月23日 

藤村 龍至先生最新作を観に行く @南相馬市小高
311原発事故後に福島にあるべき建築が出現しました、関係者の皆さんおめでとうございます。2年目の、スタッフ高橋さんが担当し頑張りました。
今日の見学会には若者、近隣の方々。マスコミ取材人など大勢の人が押し寄せています。

建築あそびの精神を消化し、ライブ・ラウンド・アバウト・ジャーナルなどの活動、さらに独立系事務所設立後の体験、教職行為などを存分に重ねられた場となっていて爽やかです。さらに、これからの暮らし方、生き方、他者との交流の発生させのさせ方、仕方などが、意欲的に提案されて極めて明確な建築となつています。...
機会をつくり原発事故後の福島の現在を観ながら、藤村建築を皆さん見学しに来てください!内部と分立し混乱仕立ての外観絵などは、次の投稿で紹介します



藤村さんが意識しようがしまいが、この建築の外部表面のそれぞれと設えかた、或いは表象 がフクシマ後を記録した姿になってしまつている。この混乱放置されたか、のような幼児的な様は、明らかに近代後でありフクシマを取り巻く者たちの今の姿そのものなので、歓迎したい。残念な事にフクシマの状況を忘れてしまいたいとするベクトルが重なり合い続けている現況では、ほどなく藤村建築の意義も忘れてしまう事だろう。根拠は示さないがそう感じる。私見と異なる時が経過することを願ってみるが。
幸い公共交通の運行時刻のため、見学会開催の現地に1時間前に着いてしまった沈黙の時間が続いていた、しばらくしても、周りには人の気配すら感じられない。前の道は車さえ行き交わず、単に無い状況があった。それはフクシマのよう得難い時というものだ。
30分ほど経つと東京から大勢の人が、やって来た。その時間のズレと賑やかな様は更に、ふさわしい事だった


多様な姿を現わす藤村建築の内部
外部との分断がとめも強くその構えも今そのもの





12月22日 

三浦さんの仕事を見学する。
三浦さんは古建築を主とした工務店を長年営まれ、最近息子さんに社長を譲られたとのこと。ヘリマネの先生。
??信夫山南西斜面に在る古民家改修。渋い瓦は新潟県産。平屋は西側へ移動するぼど今時の新旧混在型。新しく加えられる平面機能ぼど外部環境との融合を遮断してるので、外観にそれが反映される。動物的ポストモダン民家とでも言えば分かり易いかも。
内部は発注者の感覚が存分に投影されていた。内部ほど動物的ポストモダン表象が強くなっていた。設計者不在を示しつつ現在福島にある一つの深層を定着させている。


夕方からある会合へ参加する フクシマ内ローカルコミュニティに内包する問題を体験して貴重だった

12月21日 

今年は暖冬な気配だが、朝は寒い。ネコは炬燵でまくるなっている。

■サンチャイルド設置事件をきっかけに、原子力発電の歴史は自分史と重なるような気がして、こつこつ調べたり、隠れサイトに思うことを書き続けている。
そうしていると時間がいくらあっても足りない気分になる。分からない、調べたい事が次々でてきて手当たり次第図書館へ行き資料や本を借りたり、新聞をコピーしたり、それを読んで考えては書いてみたり、それで時間が足りない気分になる。
■こつこつ書き続けていると、頭も整理されるし、健康にも良さそうだし、長い文章の書き方も身につきそうだ。「老人よ文章を書け」ってことなのかもしれない。若いうちから文章を書来続ける事は健康づくりにも役立つだろう。子育て中の人は子供と一緒に文章を書く時間を持った方が後々お互い好い関係をつくれそうだ、などとおもったりする。

■18日に借りた。
国会事故調の報告書を県図書館から借りる (憲政史上初の国会事故調)今回の事故は人災であるとp12に記載されてる
サンチャイルド事件は、原発事故の記憶を継承する象徴としふさわしい像だとし設置した。にも関わらず、何を記憶するのかさえ議論せず、福島市には反対する者多く、などどした旨にて、市によって1月半ほどで解体撤去された。
何を記憶するのか?問題。改めて最も混乱して不明な2011年3月15から16日の記録を再読し始めた。東京電力福島原子力発電所 事故調調査委員会を再読し 何を記憶するべきなの?それを確認してみた

12月17日 

■花田先生よりいただいた全著作集第一巻を読み始めた。
木村英明さん作成の花田達朗年譜がますます充実していた
最初に刊行された第二巻にはなかったが、解題が二本収められていた。(見直したら第二巻目も解題あり)
マーティン・ファクラーさんによる「理論と実践の融合から生まれたレガシー
大石泰彦さんによる「敢行と敗北と
 どちらも、花田達朗先生の実像を浮かび上がらせているようで、花田先生を少し身近に感じたり、本文を理解するためにはよい企画だ。これから刊行される追加されるだろう内容と解題・年譜の展開も楽しみ。

以下、紹介したい内容をコピペしておく

■花田達朗ジャーナリズムコレクションの第2回配本で、第1巻『ジャーナリズムの実践~主体・活動と倫理・教育1(1994?2010年)』が完成し、今日発売となりました。
今年は第1巻と第2巻を出版しました。来年はできれば第3巻から第5巻の、3冊を刊行したいと思います。
■主な内容は
西ドイツに留学中に偶然出くわした「メディア産業労働組合」の結成は、 花田の下宿先で隠密に交渉された。...
花田は、組織を超えて連帯しようとする西ドイツのジャーナリストたちの躍動を目撃し、 目撃者として、その論理的意味を抽出する論文を書いた。
著作集・第二回配本では、その貴重な論文 「ドイツにおけるメディア産業労働組合の結成とその背景―対抗公共圏構築の試み」を収録する。

■出版社の花田コレクションについての案内をコピーします

花田達朗コレクション。花田達朗の仕事はジャーナリズム研究という一本の柱を通すことができる。公共圏論、空間論、制度論などの研究に貢献した学徒は、ジャーナリズムの改善を通じた豊かな市民社会の創造を追求した。花田の筆は、日本のジャーナリストへの共感と連帯、そして、怒りと絶望を隠さなかった。同時にそれは、信頼を失う既成メディアと軌を一にするように、ジャーナリズム研究を痩せ細らせていった日本の研究者たちへも向いた。理論と実践を通じ、ジャーナリズムに自己の宿り場を探し続けた孤高の社会学者の40年にわたる全仕事。



 12月16日 

■my長男 パリのユネスコ本部に招かれ講演後、my長女の暮らすドイツへ移動し、いろいろ報告がある 電車好きなのでそれに関した楽しい報告も多い。日本ではほとんど成されない記名顕彰について報告あり面白いので

■以下報告コピー

12月13日、ベルリン・オリンピアシュダディオン。ナチスドイツのプロパガンダとなった、1936年ベルリンオリンピックの会場。日本にとっては「前畑ガンバレ」や「友情のメダル」、そして朝鮮半島の植民地支配をめぐる焦点の地。

パリロンシャン競馬場とは異なり、スタジアムツアーがあり、入場料を払えば見学可。ツアーガイドに申し込むと、1時間で隅々まで観られる。ナチスの負の歴史はもちろんだが、サッカーワールドカップや世界陸上など、戦後にここで開催された行事での印象的な場面を引きつつ、各施設が紹介されるのが楽しい。ベルリンオリンピックはまさにこの施設の誕生と関わっているが、それもまた歴史の中の一ページとして咀嚼されていた。

今のスタジアム、2000年代の初めに大規模な近代化改修を行っているが、外観、材料、歴史的な部分は保存。

.翻ってどこかの国立競技場。ここより20歳以上若く、戦後復興の象徴だったはずが、取り壊しに。円谷幸吉の力走、ラグビー新日鉄釜石の7連覇、1985年ワールドカップ予選韓国戦、Jリーグ開幕、横浜フリューゲルス最期の戦い、長嶋茂雄氏の絶叫…その場に立って振り返るすべは、もうない。


 12月15日 

ジャーナリズムの実践 拝受
花田達朗先生とは20年弱の交流となった。今年から花田達朗全集が刊行され始めた。今日届いた第1巻は2冊目。花田年譜も充実
花田サイトHPの世話人としても9年過ぎ、どちらか亡くなるまで続ける。本作りもお手伝いした。日本の第一線で活躍するジャーナリト約60人の講義を4年間に渡り受講しつつ記録係にもなって、四冊でた、興味深い体験を得た。本が売れない事も実感した。
■ジャーナリストは独立系建築家に似てる。だから関係者とワイワイし続けても飽きることがない。建築家より実社会にあたえる影響は、凄まじく大きく比べようもないほどだ。よそ者なのだが、花田先生な日本酒好きなこともあり、酒の宴で貴重な出会いも数多く頂いた。宴などで、日本におけるジャーナリストの現状を観察する事になっていた。
頑張ってジャーナリストの皆さん!と言いたいが、状況は20時前より更に厳しくなってしまった。だがコツコツ新聞社員を脱しペンを研ぎ澄まし続けている人もいる。その事実を観る機会さえ得て、なんだか真実を一人で覗き見してるような変な気分にもなる




 12月13日 

■花田達朗先生の全著作集 第一巻(二冊目)が昨日発売となったとのことで花田HPを更新する。花田HP更新作業も長い間やているが、今年度からはタイル状に並べる目次に変えて、8ヶ月ほど経った。


出版社の花田コレクションの案内をコピー
花田達朗コレクション。花田達朗の仕事はジャーナリズム研究という一本の柱を通すことができる。公共圏論、空間論、制度論などの研究に貢献した学徒は、ジャーナリズムの改善を通じた豊かな市民社会の創造を追求した。花田の筆は、日本のジャーナリストへの共感と連帯、そして、怒りと絶望を隠さなかった。同時にそれは、信頼を失う既成メディアと軌を一にするように、ジャーナリズム研究を痩せ細らせていった日本の研究者たちへも向いた。理論と実践を通じ、ジャーナリズムに自己の宿り場を探し続けた孤高の社会学者の40年にわたる全仕事。

12月12日  やや疲れ気味かも

■初積雪は春先のようなベタベタで重い雪
県立図書館に行く。偶然に藍原寛子さんに会う。現在の活動内容や、サンチャイルド事件について意見交換しつつ駄弁り、問題点を共有できたかも。
県図書館にある保存版紙面は大きい重いんだが、鈴木達治郎先生 脱原発か否かの対立をこえよプルトニウム管理の論点 日本経済新聞2016年1月20日と2018年7月26日年の記事2本をコピーする。図書館は便利である



12月11日  寒さまして来て冷える

■my長男ユネスコ本部 パリに招かれて2011年東日本大震災の歴史資料の保全活動について英語で報告を終えたとのこと。今年は外国へ招待されることが多くなっている。歴史資料の保全は地味な活動だが、記憶の保全には欠かすことができない活動だ。そこに光を当て興味を示す世界の人々と連携できる機会や組織を作るうことになるのかもしれない。21世紀は災害の世紀なのかもしれない。






12月10日  一段と寒くなり冷える

■居住支援講義録づくり、絵を付け続け1日終わる。地味時間要するも

■my長男パリへ、ユネスコで11日に英語演説とのこと。パリの黄色いジャケットデモの様子が少しわかるので我が家のパリ特派員な気分。



12月9日 初雪ちらちら屋根に薄っすら 冷える

■my長男フランパリへ着いたようだ、早速でもの写真がフェースブックに載っていた、Wi−Fiも安価で世界中で使えるので、瞬時に投稿できてします、それを実感する機会ともなる。距離は無関係に縁の有無だけで、それぞれの人に人生の出会いがまるで違ってしまう時代になった。よき人間関係にして行くためにコツコツ行動するのが肝心なのだろう

SNSが流行りだして、気付付け合うのも投稿も日常茶飯事となり、21世紀初頭にあった、ネット幻想はすっかり消えてしまい、IT技術に明暗・両面を実感する日々が続いている。それぞれの人にとって好き活用の仕方はそれぞれ技が要るでそれぞれ磨き使い続けるしかない。


■居住支援に関した講義録づくりで不要な言葉、文字整理をしているのだが予想外に癖があるので、整理に手間取っている。コツコツこつこつ。作業続けている

■須賀川市に来月11日円谷英二記念館がオープンするとのこと、数年前東京で展示された居たものなど常に観ることができるのだろうか、いつか行ってみたいね、水爆怪獣ゴジラも展示されているようだ

12月08日

my長男、物騒なパリ入り
現地時間12月11日のユネスコ「世界の記憶」部門主催の行事にて、3.11後の資料レスキューのお話しをするようお招きいただき、日本政府のきもいり...でもあるようで英語で10分、それ以上に、今後の交流に繋げていけるのかが?課題なので。 責任は重いが頑張って今後も国際交流などの活動もしてもらいたい。




■居住支援講義の記録づくり、文章を整理こつこつ、癖があってなかなか文字お越しより数倍、手間取るが常、コツコツ続ける1日




12月05日 晴れ北西の風強し

■2月ぶりに家人の通院に付き合う、向かい風強く体力消耗するようだ。次回通院は、来年二月なので冬のと真ん中だ。

帰り道の直販倍によりリンゴや里芋仕入れる、途中の魚屋に寄る。烏賊さま!800円/一杯。近頃お目にかかる事か少なくなった、でっぷり黒黒とした生烏賊。思わず買ってしまい、さかさしゃと塩辛にした!うめー!身は4ミリほど厚く、腑の色はやや薄め。ウニ色が好きなのだが。つべこべ言わずさばいて塩辛に。美味い!噛むほどにねっとりクリーミー。満足。下足は里芋と煮る。茶碗酒で一杯呑む。


 12月02日 

小高の柳さんが営むフルハウスでのトークショウの前に 埴谷・島尾記念文学資料館で 吉増剛造さんの生写真を観る カラーフィルムを多重露光した大きな写真で、詩そのもの響き合う作品である。稀な写真家にして著名な詩人だ、文化(=人々の優れた営みの結果)が常にある町は、いいものだなー。としみじみ思うのであった。


12月1日 

小松理虔著鍵『新復興論』をテーマに小松さんと柳美里さんのトークイベントに参加する@南相馬市小高フルハウス 

演劇 魚の祭で柳美里さんを知って以来 初生柳美里さんに会う。2ショットを決めてみた

 ゲンロンの本をまとめ買い。福島市内で買うには時間要るかもなので。ゲンロンスタッフも数名、今日は寒く風強く、実気温より寒い寒いの小高にて仕事頑張ってました。本を売る事について勉強になる

 長時間にわたった販促トークショウだったが後半は質疑応答時間で、柳さんが会場の質問を読み上げ、小松さんが応答する形になっていた。町の形見とうう劇の舞台がそのまま残されていて、過ぎ去った演劇の舞台の中央で語る形式だった。ツイートしまくる初挑戦な感じ。講演でツイートはしないタイプだったのだが、なぜかツイートし易い会場と雰囲気だったからだろうか。

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