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 3月30日  昨日より10℃下がって平年並み平年並みの気温なり

■昨日は起きたら庭の桜が一晩で満開になってて驚いた。上の絵は28日の夕方で、下の絵は29日の昼ごろの我が家の桜の枝の様子。ちょいと、枯れ木の枝に花を咲かせましょう、昔話ようような事が起きてしまう

 例年なら1週間ほどで満開になるのだが、今年の3月末の気温はどももかしこも高温気味のようで、東京も満開、我が家も満開。日本列島の特性を写さぬ桜の開花で多少情緒が無い。




■昨日と今日はSDL2018ファイナリスト10人の肉声を文字にした。さらに26日に貼った動画を見ながら画像を作りweb頁に貼り付けて、見やすく、理解がすすむような記録を作った。明日まで動画は公開だそうで、ぎりぎり間に合った。
 本戦のおける審査員方々の肉声も文字にしてしまい、web記録を作ってしまった。

 きちんと記録にして眺めて見ると、会場で受けた思いと、かなり違ってしまった。発表者は初対面なので、早口で聞き取り難いように感じるし、発表・情報量の多さ、俺の情報処理能力の無さ、さらに経験が無かったことによる、うわっ滑る理解であったなーと。
 なにごとも経験を積むことも大切なのだろう。他者の発表を聞く回数も多くなれば、聞き判断する能力も身に付くかもしれない。卒業設計の発表には縁が無いので、そうは成らないだろう。今回はよい体験にしたいので、聞き取り済んでら、気の向くままに記録をつくり、体験記を書くつもりだ。

 SDL2018本戦などの記録づくりを、急いだのは、5日当たりから上京し関係者に会い、卒業設計などについて聞き取り活動をするからだ。今日作った記録を眺めながらワイワイした方が、うわっ滑りしないだろうとの、考えた。
 聞き取り願いを出した面々には、幸い快諾していただき、予定もスムーズに整い宿も揃った。実行するのみ段取りは整った。


 3月26日 気温上昇し庭の木蓮満開となる

■昨日、須藤悠果さんによる「SDL2018語り」につてのweb記録完成。返信メッセージによると、須藤さんもいろいろ展開していく気配とのこと。なによりである。

花田達朗先生は今月末で早稲田大学を退官される。10年弱世話してるジャーナリズム研究所のHPについての長電話がある。大まかな対応を決めた。細かいことは4月上旬に上京してワイワイすることに。



■4月6日から「SDL2018について」東京圏で暮らす方々に聞き取る予定。で、関係者に連絡しだす、予定はほぼ埋まるような感じ。人も情報も東京圏に集まってしまうので、東京で聞き取ると効率が増す。暮らしている土地に行き体験する空気が消えてしまうので、問題あるんだが。



■SDL2018本戦を全て撮影した長い動画 (5時間ちょい)。今月一杯公開してるそうだ。残り数日だが貼ってみる











今日のニュース

☆老人ホーム三人転落死、元職員死刑・横浜地裁

☆米朝会談で日本は裏切られたか

財務省、森友との契約決裁に関する文章も削除…杜撰な契約、主導者は迫田元理財局長か

安倍首相、拉致解決へ危険な“賭け” 日朝首脳会談方針を伝達 共同通信が報道

☆自民の9条改憲、首相案で決着 2項維持し自衛隊を明記

☆「ヒモになりたかった」 9人殺害の容疑者が語った動機 神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件で


 3月22日 のち 昨日雪が降ったが今日も冷える

■ 食材買出しにスーパーへ。他は須藤悠果さんの肉声を文字にし続けた一日。明日には完了するあろう。

my長男FBに 下図のような投稿あり。多くの未来の人々のためにも国政の場で被災した古文書救済に関し、政府の支援策について議論が実現するよう、いのろう。
 財務省の文書改ざんが明らかになって来たいまだからこそ文書の重要性をみな認識しただろうから、タイミングは良いのだが・・



■ツバメアーキテックを率いる山道さんがFBに「範民家」を公開したので画像を貼っておくことにする ツバメアーキテックのみなさんには大変お世話になりました ありがとうございます


去年の暮に完成したのだが、画像処理など手間が掛かってようやく公開できたのだろう。311のショック、ようやく抜け出せつつあるような気分になる日が多くなってきている。呪いの罠でもあろうか、鉛を背負い続けているようなあの重たい感覚が消えつつあるので、嬉しい。

 3月20日  

■エスキス塾について堀井義博さんに語っていただいた内容をweb記録にまとめ、目を通して欲しいと、連絡する。公開は7月後半にするつもり。

■先週聞き取りした須藤悠果さんの話の内容は、主に彼女の卒業制作について。自分の病が発生する状況を分析し、結果を宗教建築に落とし込んだ卒業制作とのこと。自らの建築も手に入れ病も克服したいと、気張り過ぎるような案に到達していた。
 宗教と建築は古来密接な事態だと思うのだが、戦後の日本は政教分離の建前で政治が行われてきた。安倍政権にみられるように国家神道に傾斜し現自民と創価学会の公明糖との、連立政権による政治支配という現実が長く続いている。

 意欲的な取り組みにいささか戸惑う。俺が受けるには荷が重すぎる内容だ。聞き取ったので、勉強しながら、須藤さんの聞き取り記録を作ってみよう。

 参照動画



 3月18日  気温が激しく上下するこの頃 庭の木蓮も開花しそうだ

■SDL2018で一位になった渡辺顕人さんと連絡し聞き取り日時と場所を決めた。俺に興味がわいたので、会いたいそうだ。スムーズにきまってありがたい。

 エスキス塾体験記の裏付けとして、聞き取りは多数あった方がよいのだが、交通費がないので絞りまくるしかない。ファイナリストの中から渡辺さん、35選の中から須藤悠果さん。100選からは本戦後の二次会に押しかけてきてた熊本大の福留愛さん。それからエスキス塾の二次会呑みで語り盛り上がった鈴木貴晴さん(SFCの田中浩也さんや松川昌平さん教えだと思う、風貌はスモール田中って感じ、動画がよくい。) 
 京都の高橋あかねさんは4月からフランス留学するそうで、予定していた、関西圏の聞き取りまでには出国してしまうだろう。

■ 堀井義博さんにエスキス塾に関して聞き取ったweb記録は8割できた、最後の頁は堀井さんからの逆質問に俺が答えた内容だ。今後聞き取りづづけると必ず聞かれる内容だと思うんで、web頁に整えておけばダブり語りの無駄は無くなると思う。



 毎度のことだが、聞き取り記録の内容に合う、よき写真が少ないので心残り。しかたないだろう。聞き取りして毎度思うだけど、写真を撮ることを忘れてしまうほど、語り合う方がいいに決まっているんだ!と言い聞かせ、間に合わせ写真でよしとしている。

 3月16日 午前  夕方から風が出て 気温も下がる

■ 朝からしこしこ、堀井義博さんにエスキス塾について、語っていただいた内容をweb頁に加工し続ける。初版の2頁ほど租仕上る。脱線話も入れて全5頁の予定



■堀井さん分の記録は日曜日には仕上げる予定 

 3月14日  気温上昇し昼はセータ不要な気温になるも、夜は冷える。この時期は外気温に合わせ服装取り替えないと、体力が衰えて来ているので風邪ひくなり、注意して春先を過ごさねば

■各種税金の納税、しそて銀行への雑用を済ませる

■税務署から来年度の活動資金のめに当てにしてた還付金が振り込まれていた
 その銭で4月半ばから大阪周辺の建築家など聞き取る旅にでようと計画ていたのだが。10日前にSDL2018を観戦して以来、SDL体験記を書きたくなってしまった。で関係者に当たり聞き取りを始めてしまった。
  大阪への往復で、SLDの関係者を聞き取りし、記録を作りるかな〜。交通費に無駄がなくなりそうだ。同時並行で進めるのは好いのではないかと想ったりしている

■エスキス塾の講師の堀井義博さんの肉声を文字にし始める。30分ほど文字化し終える。

■若き建築家にして今有名建築家など多数の肉声を記録保存しつづけた、長年の相棒を仙台のどこかで紛失したしまった。2台で音録したほうが安全だと思っていたが、銭が無くって買えなかった。失ったのを機に奮発してCIレコーダを買った。
sdlの学生会議会長さんからメールが有って見つかったとのこと。相棒は見つかるだろうと予感してたので、しつこく思いつく場所にメールしまくっていた、とうどう見つかった。

3月12日 仙台 (白い部位はFB書き込み画像を示す

■ 早起きして仙台市内の予約していた口腔外科へ行く。昨年11月から続いた治療は今日でお仕舞となる。福島市内から仙台まで来てので治療は時間が思ったより必要であった。しかし丁寧な治療なので時間と交通費を掛けてもよかったなと思っている

■昨夜からSDL2018の関係者の聞き取りを始めた。最初はエスキース塾の立ち上げから、今年で3回目の講評者になた堀井義博さん。SDLNI関して多面的に話を聞かせていただいた。関西出身の堀井さんは、30年ぐらい前なのだろう、京都市内で学生による卒業展を立ち上が方の一人だという。学生の自立した活動には、やはり熱がこもった視線を送ったり並走をするわけだ。
 堀井さんお忙しい中ありがとうございました



...ょうもない、エスキース塾に関する発言だけ公開します。

 終わってしまった昭和生まれの二人がワイワイし過ぎて酔ったのだろう、持参した和歌山県産の柑橘類をリュックに入れたままで、渡すの忘れてしまった。 聞き取りに集中してしまい、蜜柑渡すのわすれてる俺のほうが酔ってどうする。聞き取りのプロになれそうない。ま、いいや


■話が弾み、久しぶりに気持ちよく酔っぱらいました、FBにロれロれ書き込みしていた。

出品者で35選となるも、10選・ファイナリストにはなれず、残念でしたの方は25人いるのだが、その一人と午後一番に仙台駅傍で会うことになり、聞き取りした
 3時間半ほどの聞き取りで、記録を公開すると、審査員の方々は震えちゃうでしよーね。
 SDL2018へ発言する場が設けられていないのか、公的な場になると語りにくいのか、両方なのか不明だった。語り場を学生たちが自分でつくることも可能だろう。本戦でも今日も女性は方元気ですなーの印象を持った。
 
別れ際に「すっきりしました、仙台に居るかどうか分りませんが、これから連絡し、友達さそってみるので、今夜・聞き取りしてもらえますか」と。

 春休み中なので卒業旅行などで、仙台を離れている者が多いのだそうで、夜のカタリ場は無しに終わった。建築系の学生に限らず、若者が対話能力を身につけるためには、意識しつづけて、個人の弛まぬ琢磨しかないのだろう。急ぐ者はビジネス学校系にありそうな場に行くのもるのだろうが、ビジネス対話が身に着くだけで、人間のための対話能力は身につかないように想う。




3月11日
 薄い  

■あの日の様に食材を買いだして家に戻ったが大地震はおこらず。
 あれ以来震災後を生き続けて今日から8年目。死ぬまで放射能事故後の生殺し状態で生きる日々は続く嫌だが主権者はそれで好いと考える政治家を選択するからなんとも。なので今日だからと言って特別の感慨は浮かばず。

 何も解決されずの気分で宙ぶらりん。原発は全て廃炉と決めて、戦後のエネルギー政策を大転換すると褌を締めなおして、新しい世界への歩みを始めるべきだった。その事で顕在化しちゃう困難は一つ一つ解決し続ければ世界は新しく生まれ変わった。
 日本におけるいまだ近代は終焉せず。戦後の歴史の様をだらだらと続くだけで何の教訓も活かせず、ひたすら忘れ去るのを待っているかのようだ。それだけでは若い人々に対して、無責任すぎる態度だと思う。

 それにしても福島から原発・震災スターがたくさんうまれた。皆同じような心根なんじゃないかと、ちらっと観てしまうと、気分が悪くなってくる。近づかない、見ないに限る。制度の手先になってやってミスリードしまくっていると思うが、かれらはそうじゃない、やった気になって得意満面である、そんな輩には今後も用心し避けたいものだ・・見極めが難しい。

 この間、福島市内に入った多くの有識者やボランティアなどを含め意味不明の面々とも遭遇したけれど、まったく会った事ないけど、有名人で真に被災者に寄り添い続けている者と事態は南相馬に移住した芥川賞作家の柳さんとその実践だけなのではないかと思う。尊敬に値すること間違いない。他はほとんど知らない。知らない所で被災者に寄り添ったよき活動が行われ続けることを願うのみ。

周りのことはさておき、自分が出来ることを地味に実践していく、そうさ毎年、同じことを思う。

志津川の悲劇が起きた現場をmy動画にしていたので、今日は311の日だからはっておこう



■読んだら福島県図書館に寄贈予定。県立 図書館で無く借りられず。しかたかく新幹線ですたこら仙台駅傍の丸善にて 『時間の非実在性』 を手に入れた。隣で『存在と時間』を買えや! と呟いたハイデガーさん。彼に従って連れ買い。アマゾンでは買わない主義者の俺



 3月8日  だいぶ春めいてきてる模様

■昨日書いた 4日から7日までの日記を読みなおす。日記で書くには長くなりすぎるので 「日本一決定戦体験記はwebで手間を掛けて仕上げる」と決める

五十嵐太郎先生からEメールが届いてたので、ざっとした仮説を書き送る。書き忘れてたのは、参加学生たちは講評者たちの言葉の数々を記憶したり、保存したりしようとしていたのか。誰にも聞いてなかったな。後日に行う聞き取りの場で聞き出してみたい。勿論、経費の出どころも聞く。

■グダグダに崩れ落ちてる近代の知性と治世。近代の教育で教える時間概念や国民国家で使っている時間概念をさっぱり捨てて、話し合い始めてほしい。そこから近代の終わりの後の始まりだ。
 それがスタートするのかもしれないと想えるweb情報が落ちてきている。各領域で年寄りと若者の議論がいい感じに始まりそうな兆し。

大澤先生は元東大教授・現早稲田 花田達朗先生とカルチェラルスタディーズを論じていた仲間だったと最近知る



 もう若手ではないのかもの東浩紀さんと仲間による>> 大澤聡×先崎彰容×東浩紀「『日本思想』の再設定 ――西郷隆盛と三木清から考える明治維新150年」が刊行された模様  https://peatix.com/event/350502

■上記二例のように メディアミックスして本の世界を保全していこうとするのが、ネット失望しすぎてる現状に対する健全な構えだ。ネットは紙媒体の機能を全て請け負うことは不可能だからだ。
3月7日  やや風があったが暖かくなってきている

■my次男 風邪で寝込んでいる
■午後、食材の買出し。仙台で卒業制作日本一決定戦に参加し、疲れが出たので時々昼寝する。起きて、あの場で出会った未来の道を拓くだろう若者の肉声を記録しておきたいと思い立ち、FBのメッセージ機能を活用し連絡を取り始める。彼・彼女の聞き取りは6月前には実現したい。

 3日からのことを思い出しながらweb日記を付けておこう。後追い日記だが。作業は夕飯を済ませてから始めPM23時前に終わった。明日、再度読み直し要。 

日本一決定戦についての詳細気味の体験記は、新たにweb頁をつくりを後日作業をしこしこするつもりだ。

3月5日  の仙台市内

エスキス塾に参加させていただく。決定戦で10人のファイナリスト以外の申し出た学生に加えて、塾の指南役五十嵐先生堀井さんが聞きたいと思う学生にに連絡。応じた学生にメディアテーク7階の会場に来てもらっているそうだ。

 本戦もそうだが、会場に居ない学生は失格となり、それまでの関係者を含めた各種努力がぶーッ飛ぶ残酷な仕掛けかな。そこまで親切にしたら指南役の身が持たないよね。

 エスキス塾は10時半から開始だった。
 昨夜の審査員たちによる呑み会場に押しかけて来た学生と話したら「もっと話したい」と言う者多数。で俺が勝手に「来い」と釣り役に転じ、話したい人に来てもらった。本当に来るとは思っていなかったが、10時前から待機した。「前座」と呼ぶことにした。
 前座に現れたのは女性は2人、「基礎ちゃんと呼ばれている女性と、欠席者の補充に充てられたしまったの名前すら分からない彼女。男性は一人、「金継ぎ」と呼ばれた彼。ファイナリストだとは知っていたが、さらに喋りたんだから前座に来て好いだろう。違反行為みたなのだ。もっと居たはずだが、名前をメモしていなかった。(五十嵐先生の意見を聞きたいのだと推測)
 前座開始、基礎ちゃんから五十嵐先生に講評してもらうも。一人の前座で終わる。一人だって建築スフィアーにとって好ましい機会を無理につくるのも、爺さんの役割だろう 



 エスキス塾の指南役は堀井さん門脇先生 五十嵐先生。俺は高齢者だ、耳も目も衰えて来ているので、審査テーブルの脇に椅子を移動して、エスキス塾を体験させていただいた。

 5人一組。各自2分の持ち時間で説明し、5人まとめて講師による質問と講評、さらに突っ込んだ話し合いがある、18分制限。一組30分ほどの時間割。
 順調に進み昼食を挟み審査員の各自の総評を終え、それでお仕舞。夕方四時。

エスキス塾は呑み会とセット超お得な場になってる。呑み会開始まで1時間半ほど空いた。五十嵐先生の提案で東北大内で行われている「窓学の展覧会へ」行くことになった。
 そこで7年ぶりに元仙台学生会議副委員長であった加藤拓郎さんに会う。すっかりお洒落なり、彼女も連れ(笑。2ショット撮る。独立系建築家になるような話をしてたかもしれない。

(参考)加藤さんの家・ダメハウスを借りて、加藤さんによる日本一決定戦の問題点を指摘していた7年前の彼の肉声記録。12年前に日本一になった現移築家・大室祐介さんが語る日本一だったぜ俺の現在記録も俺が作ったので案内しておく 



■ 仙台の町中に戻り いよいよエスキース塾本番の宴会だー!。盛り上がり盛り上がる。呑み放題で2時間3000円。そこでも終わらず、次の会場へ移動し2時間2000円。
 多忙すぎるだろう五十嵐太郎先生も止めどなく対話し語り続ける、建築スフィアーには欠かせない、愛すべき好き風景が生まれ出る場を観察してしまった。

 呑み放題の酒は色付きのみたいなも飲料物で、アルコールに弱い俺の体によい酒類なり。安酒であまり酔う事もない。若い人たちに「これがお酒だ」と勘違いさせる悪い酒。酒造り日本一が続いている福島県の者としては本物の酒の味を教えたいのだが、有るわけはなし。
 この場はワイワイの席料なの、でビールが一番美味い飲み物だ。俺はビールも弱いので、水に限りなく近いようなハイボールだけ呑み続け、トイレに行き続けた。 



■学生さんとのワイワイもお仕舞いとなり、堀井さん五十嵐先生と駅そばの居酒屋に移動。窓学に参加された先生方と合流して呑む。
 久しぶりに東京工大の塚本先生と2ショットを撮ったり、自撮り集合写真を決めたり、呑んだりと、なかなか楽しい賑やかな会場だった。

 これを毎日続けている五十嵐先生は体力あるなーと感心してしまう。(老化を早めるので俺は毎日宴会は嫌だね) 先生の仕事ももりもりぱりぱりこなし、さらに人とも多数・怒濤のように交流している、とんでもない情報整理能力である。だから先生なのだな。俺は建築・でいいよ。 



 桜井先生 本江先生に「2回目の聞き取りに来い!」と催促されてしまう。1時間ほどして、お開きとなる。スポンサーの方からタクシー券をいただいた、my長男の家で寝る。深夜なり。

参照)
これが公式発表だと思います

せんだいデザインリーグ2018

第1位 360 渡辺顕人さん

第2位 168 橋万里江さん

第3位 036 谷繁玲央さん

特別賞 115 平井未央さん
     227 柳沼明日香さん

樫原先生からは渡邊と聞いたが とりあえず 一位の方にお会いして聞き取り予定なので このままにしておきます

3月4日 曇りのち昼毎から の仙台市内 

 日本一決定戦当日。アイシーレコーダーを探して時間が経っていた。見つからず。討議内容を聞き取れない、神様の命令にしたがって討議録を作るのをあきらめるしかない。
 10時半ごろ五十嵐太郎先生より電話をいただき、慌ててSMTに。



 決定戦本番前の作業は、初めに100点に絞る、次に100点の中から35点にのだそうだ。35点のファイナル出場候補作品は昨日の夕方に決まっていて、今日は「競り」と呼ばれる、35点の中から10点に絞る作業が舞台裏で行われていた。

 「競り」では審査委員長は物静か。だが、他の審査員は意見を活発に語る。門脇審査員の説明・解釈で皆が引っ張られるちゃう気配もあり、面白い。

 競り人本江先生。失敬なのだが、横柄シャツ着衣なので、囚人服みたいだ。あの姿は学生への謝罪の意味もあるだろうと決めつけておく。競り人は残酷にならざるを得ず「学生さんご免ねー」と表していた

■本戦は3時から、プロレスの開始かと思うほどの賑やかな音が響き、始まり、派手な審査員同士の議論もなく、午後八時で終わった。

 俺の予言とおりの結果となる。工学院大学の渡邊さんが日本一位だった。今決戦はのちに「あの時・近代から続いた建築(建築教育)が終焉したんだと、警鐘を鳴り響かせるために神が送った作品だった」そのように語り継がれるだろうと思った。上の絵は一位の渡邊さん

 樫原先生の大学の学生さんで、先生と共に今後もいろいろ思い出とし語り合うことができるので、観戦は苦痛ではなく好き時間に変わった。

■終了後、審査員の皆さんに付いて行き、二次会に参加させていただいく。
 審査員の一人である建築系ジャーナリストのさんと話したかったから、付いて行ったのだ。
 そこでは一人の審査員が自らの不満が爆発させる、見っともなさを存分に観察させていただく機会となり、貴重だった。審査会場でこれをやらずに、二次会でやるのは馬鹿まるだし。大いなる近代的病・問題行動だと思う。自説に自信満々で未来を信じたくない者、今風に書けばのパヨク的言動に似ている。



■審査委員長が帰られた後に、磯さんに隣にきてもらい聞きだしたいことを語り合う。なかなかおもしろい話だった。
 許可とってないけど福屋先生のFB写真を加工して下に貼るよ。手前が辻審査員、反対の列の奥が磯審査員、俺、そして五十嵐審査員



 誰かが来いとツイートしたようで二次会場に多数の学生たちが入り込んで、椅子テーブルを外に追い出し立ち呑みとなる。俺は沖縄から来た3年生たちとだべる。彼らは明るい元気でノリノリ、大和人が8割。だがここまで来る情熱あり、やはり建築より基地問題、辺野古の問題だ 



さらに、だべる。熊本から来た学生とダベル。深夜になったところで my長男の家に帰って寝た



3月3日  すこし寒い 

■新宿に在る工学院大学の樫原徹・准教授に誘われたので、神戸大学の槻橋修先生が行う公園整備施設・建設前のワークショップを見学させていただくことにした。
 で10時仙台駅で待ち合わせになり、7時に起きて準備し体調を整えて家を出る。10時仙台駅のホームで樫原先生に会う。駅の構内のカフェで近況について情報交換をする。 



■11時から萩ホールの小さな会場でワークショップ前の説明 (デザインレビュー2)が始まる。世話係の人が10人ぐらい、総勢70人ぐらいか。説明、意見提出、その解説、意見交換へと進む。

 白壁に和瓦の武家屋敷大好、だからだから今の案の建築は絶対反対の集団が次々に発言する展開になっていった。
 気持ちは分かるんだが 未来も過去も、今ここに生きている者が創造する行為なのだ・・が。過去はゆるぎないと思い込むでしまっている者の語りが続いてしまう。価値が固定されたままで時間がつながって行くのが歴史だと信じる、時間の順序説というものに囚われちゃって、新しい時代を拓けない、拓かせたくない、自分たちの固定感を人に押し付けたい。そのような凡庸な語りが多い。

 義務教育効果ってものだな、残念な模様に立ち会ってしまった。時間は順序ではない、全て今であり人間とって時間など無い。あるとすれば過去も未来も創造・想像し続ける今だけがあるだけ。そうは教えないし、順序として時間が積み重なってあることにしないと国民国家も運営できないので、有ることにしているフィクションなのだが・・(笑。大多数の人は理解できない。

 堀井さんがツイートしているので拝借。「本当に「伝統建築」なら今日でもそ空間が実用されてるはずだし、また、その工法/構法も新築の工事手段として用いられるはずだと思うからだ。 しかし非常に特殊な例を除いてそうはなってない。だから基本的には死に絶えた技術/空間たちであり「古建築」と呼ぶべき類なのだと思う」 
 歴史は順序だ〜説に凝り固まっている方々には堀井さんの論で対応しかない、その通りである。
 震災遺構の対象建築なら、物自体として力と311によって意味が発生しちゃったので、そのまま残す努力をすべきべきだと考える。が、武家屋敷を同じ語りで考え残しちゃうと一般の人を惑わせてしまう。その注意は要る。
 大橋渡った右側にある国際センターの姿をどうして武家屋敷風にせず、つくられているのか周りを観てから話して欲しものだ。
 武家屋敷大好き集団の人たちは敗北意識で固まり、歴史をつくらず、固定させちゃう、自分が思う未来を手に入れたいだけで他者を排除する、扉を閉じるような、蛮行じゃないか。



■ワークショップをチラ見して樫原先生と仙台メディアテークに行く。卒業設計日本一決定戦の準備風景を観るためだ  
 以前は600点ほどだったと聞いたが18回目となって、最近は人気が落ちたようで、出品数は350点ほど
 1作品1分間で観ても350分、6時間過ぎてしまうので、さらさら眺めることにした
 会場は二層にまたがる。仕切りもある。どう巡ったらよいか分からず場に酔っちゃう気分。予想以上に時間を費やしてしまう

 一巡してこれが今回は日本一になるべきだと樫原先生に伝えたら。「工学院の生徒だ」と樫原先生が言う。「学内では評価が低かった作品ですよ」とけ怪訝な応答。

■ 作品を一巡し終え、堀井さんが設計したベニーランドの入場券売り場へ。設計者自らの車で案内してもらう。堀井さんの実建築を観て体験するのは初めてであった。堀井さんらしいデザイン手法で、環境に応答し合って在る、好き建築であった。



■再度smTに戻り裏方を観察する。8頃から10時までメディアテーク傍のおでん屋三吉で樫原徹先生と語り合う。

その後、槻橋先生の二次会に合流し深夜まで呑んで。友渕さんとも久しぶりに会うことになった。彼は仙台に引っ越して来るらしい。神戸大学傍の彼の住まい泊めてもらったり、エロい若者文化の数々を鑑賞させて頂いたり、気仙沼では被災地での互いの活動状況を教え合ったりした。懐かしい者が仙台に来るという。

仙台入りした初日から深夜まで呑んだだな。

3月2日 昨日の午後から春一番吹き荒れ 雪もちらつく 

■強風で新幹線も在来線も仙台以北でダイヤが乱れているとの事。北海道も大荒れで取材に出かけた公共放送の職員が動けなくなって救助を求めたが、救助に向かった方が一人亡くなってしまうという事故も告げられる。

■数日前から卒業制作日本一戦の作品が仙台メディアテークに届いているようだ。4日に本戦が行われ全国から学生さんが押し寄せるという。
 その場に席を用意したと五十嵐太郎先生からメールをいただく。ファイナル審査会場を含み色々案内していただけそうだ。作品が並んでいる事前審査会場にも入ることができるとのこと。それらの様子を記録してみたい。
 建築系ジャーナリストの磯さんが審査員とのことで、審査後に声を掛けていろいろ聞き取る機会にしたいので連絡しした。声を掛けてと返信が来た。建築系ジャーナリストのあれこれを聞き取りたい。

■28日に和歌山県御坊市から春をつげる八朔を含む柑橘系色々届いた。新鮮でうまい。毎食後食べている。

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