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   2018年 02月の日記              

 2月28日  

■和歌山県の御坊市から春のみかん10Kg一箱届く。京都で知り合った学生さんの実家から毎年送ってもらっているが、鮮度・瑞々しいさ甘味もほどよく、毎年むしゃむしゃいただいている柑橘系色々、ことしも素晴らしい味である



■仙台のSMTで長年開催されている卒業設計日本一決定戦、今年は3月4日決定戦で、五十嵐太郎先生と堀井義弘さんが開いているエスキース塾が5日。
 年の始めに呑む機会があって「席を確保しますよ」と五十嵐先生に誘われ、決定戦鑑賞とエスキース塾に参加することにした。参加の主なる目的は学生さんが置かれる社会環境と、その社会に対して彼らが発するだろう言葉、(言葉が無いらしい単に選ばれるのを待つ学生が多いとか)それから会場における彼らの振る舞いなどを観察することだ。

 学生さんたちにとっては憧れの場だろうが、老人の俺にとっては建築好きの大人たちに、一気に会えるかもしれない珍しい場。そのあり様は有名建築家の葬式会場に似ているかも知れない(それほどでもないか)。
 お金を稼ぐことが目的で建築に関わっている請負業者的志向をもつ者は多いが、建築を思考し実践する・そのプロセスや若い人が先輩たちの建築的態度を批判しそこから生み出る数々の新しい建築動向についてなど、興味を持つ者は少ないように想う。そういう意味での建築好きはそれほど多くないし、若い建築家未満の学生に興味を持つ者はプロフェッサーを目指す人者ぐらいだろう。学生は誰も知らないが、集い来る大人たちは初対面の人は少なそうだ。

 仙台や大都市周辺で行ている似たような建築的イベントに、地域周辺の老若男女から興味を持たれる、集いがあるお祭り的場になっていないようだ。建築ファンを増やすためには公共建築をつくるプロセスに興味をもってもらう事から始めるしかないのだろうか、色々興味がわく、この頃。

建築領域って広範囲過ぎるので的が絞りずらいし、不動産という誰かの所有物だったりするし。一般人は投資家ではないので興味を持たないだろう。環境や景観を好くして楽しい町にしたいなどと想う人も少ないだろう。

 2月26日  春めく陽射し 寒さ緩みよい

■ 欲望の経済史2018を見つけた。定義も各自色々だが 経済を学ぶための入門初めには好い動画かもしれない 中身は資本主義はどう発展してきたか、これから資本主義がどうなるのか、どうなればいいのかなど。長い動画なので、末尾にある論客たちの言葉を文字にしてみた  

資本主義の本質とは

グレゴリー・クラーク 2:46:32〜


私の意見は資本主義は何千年もの前から存在していて、近代の発想ではありません。人によって資本主義の定義はバラバラです。搾取、権力とコネを持つ人々の勝利、開かれた社会、能力主義、血筋や家柄に影響されない社会、国家から逃れられるシステム、自由に我が道を進める社会など。 しかし私が思うに、資本主義とは人々が交流し、ビジネスが行われよりよい結果を産もうとすることだと思います。
 このような経済のルールはずーっと存在してきたもので、産業革命以前にも、例えば日本でも観られました。ですので、主本主義はいつでもどこでも、色々な形で存在しています。マルクスが発明したものではないのです。誰もが使う言葉ですが、人々のよって概念が異なり、定義は困難ですね。

ジェイコブ ソール


アダムスミスが最初に資本本主義の本質を捉えました。彼は言ったのです「お金を稼ぐ目的は教養を学ぶためだ」と。これだけは言っておきたいです。人文学、つまり哲学・宗教・歴史・文学を学ばない限り、安定した持続可能なシステムに辿り着くことはできません。問題を解決するのに必要な見識なのです。
 ウーバーのように「効率的な配車システムをつくる」と言った小さな問題ではありません。
 社会のビジョンの話です。それは教養ある想像力豊かな人間から生まれます。資本主義の未来に賭けるのなら、人々に夢を与える芸術や人文学に投資すべきです。自らの歴史や文化を深く理解している国は財政もうまく統制できています。そして資本主義にトリクルダウンは存在しません

■ ウルリケヘルマン 2:4912



資本主義が非常に魅力的なことは明らかです。人類が考案した最初の経済成長を産むシステムだからです。それは成長をうみますが、残念ながら永久に成長し続けられないのも事実です。現在の消費社会はいわば地球を二つ分必要としています。実際は一つしかないのにね。つまり今の主本主義社会の終焉は見えているのです。資源の限界環境の限界、二つの限界がその理由です。一方に目覚ましく成長し続ける資本主義、他方にエコロジー型循環経済、いまだこの二つが結びついていません。悲劇的なことに両者の結びつきについての研究が全く進んでいないのです。車は発進しているのに、どうブレーキを掛ければいいのか研究されていないという状態ですね。

ダニエル コーエン 2:50:26



 資本主義の進む方向をかなり言い当てることは可能です。人々の仕事はルーティンワークでは通用しなくなります。今より効率化を求める企業の在り方は働き手にさらに過酷な競争を強いるでしょう。21世紀のユートピアは失業の危機から守られる社会です。失業が先進的なダメージとなり社会に混乱を招かないように保障することです。
 大学が人々に対して開かれているようなシステムを考えてみることも大切です。卒業した若者を大学がもう一度迎え入れ、卒業後2、30年学の場を提供するのです。人々は皆、途方に暮れている。工場は閉鎖され、コミュニティーが消え、全てを失ってしまう。だからこそ、大学で様々な世代が毎年再会できるような永続的な養成システムをつくることが大切です。
 フランスや日本のようなヒエラルキーの社会では生涯を通じて選ばれる養成の仕組みが本当に大切です。今困難な状況に居る人々に研修などの機会を与え援助すべきです。寛大になることです。困難な状況に置かれている人々を理解しなければなりません。

ロバート スキデルスキー



進歩とは歴史を繰り返すのではありません。そうではなく歴史を越えることなのです。「資本主義がなくなる」と言う人がたくさんいますね。でも、その先に何があるかははっきりしないのです。資本を蓄積する仕組みがさほど重要でなくなったとき、既存のシステムが必要なくなります。儲けるというモチベーションが重要ではなくなるのです。物質的な欲求が満たされると好い生き方とはどんなものかなど、他の事を考えられるようになります。
 資本主義がこの先どうなるのか答えはまだ見えません。ポス資本主義とだけ言っておきましょう。その中身については、まだ言い当てられる段階には無いと思います。 (ここまで文字起こし内容)


■4年ほど前に発売された新書、水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』はたくさん売れたようで、続編というか姉妹本というか『閉じて行く帝国と逆説の21世紀経済』が刊行されていた。my長男家で目を通してみた。
 水野さんの仮説は、400年ほど前に教会から5%ほどの利子が許されて始まった資本主義(動画あり)。利子をもとめ続け、新しいフロンティアを求めて地球の隅々、アフリカ大陸まで到達し新しい大地は無くなってしまい、今ではAIを使い電子空間で瞬時に利子を得ようとしているのだそうだ。
  実空間では日銀はマイナス金利である。歴史上に利子が2%を切ることが無かったのだそうで、資本主義の終焉というタイトルが編集者によって付けられた。売るための過剰なネーミングであるが、売れた。(雑誌が消え過剰なネーミングの新書多数の現在)

■いまでは8人の富裕層と30億人超の資産が同額だという成熟してしまった資本主義。日本では対策も無く、さらに貧困層を生み出す派遣労働者を増やし、正規労働者には残業代を支払わず済ませるためお、労働裁量によって主権者を分断して搾り取ろう索を練っている。サッチャーレーガン主義(新自由主義)を続ける自民党と現政権。選挙によって多くの主権者が許している政策でもある。

が果たして人々の暮らしによい影響を与えるはずもない政策。世界各地でその流れに抗う運動や変化が起きている。資本主義はいつから始まり、終わるのかなどに触れている動画であった。被る内容が多いので末尾の方だけ文字にしてみた。 

 2月24日  午後、風が出だす

■311以降ようやく、建築やアートの事をあれこれ想う余裕がでてきている。建築は仕事と直結するので気に成ってはいたが、アートはほぼスッとんでいた。
 人間の面白さと存在の不思議さについてはアートを通して初めて気付かせられたり、まったく意図しない場へ連れて行ってくれたりする。だが311後からは現実の方が非現実的だと感じていて、そこから離れる事が出来ずにいたように思う。

 大林組がスポンサーになり会田誠さんが今日まで青山辺りで開いていた、都市や建築家批判のような個展が話題になってて、各種TLに流れおちてきていた。何気に動画で検索してみたら、人間がやりたいことをやるとここまで面白くなるのだということを思い出してしまった。



動画サイトには若いアーテストの紹介動画もおちている。意識して動画公開している作家や作家を抱える画廊が積極的にアップしてるのだろう、名前で検索すれば概要が判る。前世紀では新聞や美術の専門雑誌を見て知るぐらいが関の山で、多くの作家は知られずにいることが多かった。 
便利なのか、窮屈になって世界が狭くなったように感じるのは不便なのかは分からないけど、心に余裕を持って メディアミックスを駆使すれば、興味深い情報は沢山手に入る。だからといってpc画面を見ているだけでは拙い。展覧会などに行き生な作品の事実に触れるそこで作家の息遣いを感じることが何より大切な生活の行為だと思う

■ 我が家で講演していただいた石川初さんは慶応大学藤沢キャンパスの先生になっていて、多方面に力を発揮したり、目の前の風景の見方を発明し続けている。講演録動画があったので 貼っておく。時間が出来たら観る




 2月20日 仙台 

■昨夜はmy長男と共に、竹内泰先生より焼き鳥屋にてビールをごちそうになる。
 歯の治療を終えた午後、東北工業大学の竹内先生の研究室へ、今頃ではあるが、新年のあいさつに行こうと思い、連絡したら、文化横丁で呑みましょうと返信があった。元気な様子に即、そうしましょうと返信。

 7時待ち合わせし、二人で小さな焼き鳥屋さんに入り呑み始める。店内は仕事を終えたサラリーマンなどが一杯呑んで帰宅するのだろう引っ切り無しに客が入れ替わる。つま先から頭の天辺まで、焼き鳥の煙で燻されてしまうかのようだ。体中に焼き鳥の臭いが浸み込むみたい。臭う!

 しばらく呑み語り合い被災者とは誰かについて絞り語り合い。いい感じな頃にmy長男も参加。8時ごろだったかな。3人になったところでカウンター席から椅子席に移動しだべる。しばらくすると志津川で活躍中の建築士の阿部さんも参加。被災地のその後の復興の様子や、確定申告での節税の話になる。阿部さんは景気がすこぶる良いのだとか。鼻が膨らみっぱなしで、鼻息が荒い!そんな状況のようだ。儲かっているのは良い事の現社会なので、なによりである。



 竹内先生とは311後の夏に唐桑半島の鮪立で出会った。その後多様に支援していただき、特にmy新聞発行時には学生さんによる編集作業の参加いただくなど、大きな支援をいただいた。その後2年ほどで津波被災地の支援は終えてしまったが、竹内先生との交流は今も続いてる。

 こんな呑みかただったのだろうか、竹内泰先生のビールの注ぎ方が凄まじく早く、盛岡の椀子そば屋の給仕さんみたいなのだ、ビールが少し減ると猛烈なスピードでと注いでは呑み。なので、あっという間に俺は酔っていた

 竹内先生は大阪の堺で育ち、京都大の布野修司先生の最初のお弟子さん。なので東北には先生を知る人は少ないかもしれない。311直後から被災地に飛び込んで、被災地域の主に漁業従事者の支援に真面目で熱い行動をとっておられた。

 竹内先生が学生時代の卒業設計の話にも出て、もりもり盛り上がりすぎてしまう。 11時半ごろ4人の呑み代は竹内先生が支払い別れる。親子でお酒をおごっていただいた。いつかお返し呑み会をしなければならない。

 2月19日 仙台  

■my長男の家から早起きして、予約していた仙台市内の航空外科へ出向く。

 昨年末、突然左の頬辺りが腫れあがり1週間弱入院してしましまった。日に3度抗生剤入りの点滴を続けてた結果、醜く痛い腫れは引いた。その後レントゲン撮影により後上あごに付ている歯の奥の方にある原因で副鼻腔周りが炎症していたことが判った。
 原因となった2本の歯は何年前に治療したのか覚えてないほど遠い昔に神経を取り除き、被せ物を施していた。たぶん老化による抵抗力の衰えによって、その被せ物の奥から炎症し始め、善玉力が勝っていたのだが、数日し抵抗力は尽きてしまい、炎症が加速した。左頬がどんどん腫れ上がった。それはそれは痛くてだるくって、日常行動さえままならない状況になってしまった。

 町場の病院や歯科医を渡り歩いたが、治療の決めてに欠いていて、まったく腫れが引かぬ状態が続いたので、311直後に副鼻腔の手術で仙台市内の大学病院に入院、加療していた耳鼻科の先生を訪ねてようやく原因を突き止めてもらった。
 人間の体に細胞は全て繋がっ全体が機能しているので、歯とは言えガタが来る、動けなくなる。若いときは大丈夫だとうと放置することが多かったが年老いた今はすぐ専門家に治療してもらうことにしている。治療費もかさむが長生きしなければいけない理由を持っているので躊躇しないようにしている。

 今通っている口腔外科の人々は清潔で、手早く丁寧で優れた技を身に着けているように感じる。安心して治療して頂いている。今まで通っていた町の鹿医が藪だったとも言い換えられるかもしれないが、いい先生に出会うのも運命だ、薮医師のことは忘れてしまおう。今日で8割方と完成に近づいて来たように思う。歯の治療被せ物を取り除き、歯の奥の方までガーガーグルブルづ骸骨に大きく響く音を立て、口の中で土木工事が始まっいた。2週間置きぐらいの加療だが2月ほど経った。口の中に賑わいにも慣れた。

 2度目の治療時には歯の磨き方の講習も受けた。しゃかしゃかと済ませた歯磨きだったが歯科衛生士さんより丁寧ではないけれど、磨く回数は多くし時間も長くなったように思う。元気なときは自分の体を粗雑に扱っているが、クラッシュしてようやく「長いお付き合いの自らの体を大切に扱わねば」と思うのだが、すぐ忘れるのも常。人生は丈夫な体が資本だ、と分ってはいるのだが、いつもそうなる。

小平さんという日本の女性が地域のお医者さんや仲間に支えられ体を鍛えあげ、技を磨いき上げ、500mスピードスケートにて世界新で金メダルを獲得し、失意の底に落ちた銀メダルの外国ライバルをいたわったニュースが溢れ流れている日。


 2月18日 時々吹雪く 昨日から一段と冷える 春と遠し 

■16日夕方確定申告書を税務署に提出する。311以降いつ何時何が起こるか分からないと痛感したので、すべき作業は色々考えず、体・手を先に動かすことを心掛けているつもり。で、年々早まって来てる提出日。今年はとうとう初日に提出した。
■花田先生よりweb更新依頼のメールあり対応する、どうしたことか不明だが、訂正が何度も続いている。
■明日一番で仙台市内の口腔外科に予約していので仙台に来る。福島市内より雪は少ないし気温も少し高いようだ。
■TVが無いのでネットTL情報だが韓国で冬のオリンピックが開催されているようだ。女性が活躍しているようだ。数日前は将棋のニュース賑わっていた。中学生でプロ5段になったばかりの藤井さんという中学生のが、国民栄誉賞を受けたばかりの天才羽生さんに勝利し、直後の決勝点でも勝ち、タイトルをものにし、さらに6段に。最短で昇段したらしい。 (絵:ネットより)
 

 若者と女性が頑張る、頼もしい限りだ。

オリンピックの賑わいの裏で開催されている、現国会では2015年に残業代ゼロ法案として提出され潰れた法が、口上を変え「働き方改革」と、さも良さげなな語り「戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革だ」とか。実は、残業代を支払わぬ雇い主に対して裁判も起こせない法案が通りそうだとか。
 法案が通れば、主権者を限りなく企業の奴隷へと押し出すような政治が続いて止まらないだろう。マスメディアは機能していないので、成立すれば主権者同士が首を絞め合い分断されることで、資本家だけが潤う図式だ。奴隷たちは連帯もできぬ状況が狡猾に作り続けられていく。
だれもが気づいているのだが止めれれない主本主義の弊害。この社会では1%と99%へと本当に至るまで、この状況が続いてように思えてしまう。ここらがどん底にしてもらいたいのだが・・。

2月14日 冷える春はまだ先だ 昨日数センチ積もった雪はほぼ消える。三連休は家に静かに居る。

■源泉徴収票が届いたので、12日から確定申告のためにデータを整理したり、集計したり、のんびりスタートする。来週半ばには提出したい。視力も衰えてきたので、夜は細かい数字が見にくく、照明を確保すれば夜鍋で一気に処理可能だが、日中の陽射しの下で作業する。

■早稲田大学ジャーナリズム研究所のHPを更新する。「ワセダクロニクル」は創刊1周年を機に研究所と大学からも離れ独立した組織となり(色々理由はあり知るが記さない)NPOとして活動を開始した。ここまで来たかと感慨深い。組織の中心で活動している人たちは、クラウドファンディングと寄付によって成り立たせようとする、意欲的で実験的な新しいメディアが2年目に入った。(寄付方法が理解できていないのだが、いずれ寄付したい)
 探査ジャーナリズムジャーナリズムの記事第二弾が「強制不妊」のタイトルで、13日にリリースされた。今日はその件に関して花田先生からHPの少し訂正依頼がある。3月に退官されるので研究所は新しい先生に引き継がれるのか、全く変えて新たにスーとするかは不明。残り一月半ほどで結論はでるだろう。でHP更新作業がその後は不要になるのかまだ分かってない。

■数日前に花田先生から『ジャーナリズムの実践』本がおくられていた。一冊を最終講義の会場で買っていたので2冊となる。県立図書館に寄贈するつもり。

 花田達朗ジャーナリズムコレクションは全7巻になるそうだ。第二巻がまず刊行され、この7年の間に書かれた論が時間順に整えられている。その後に続いて2010年7月から研究所のHPで公開されたいて花田先生の伝言が日付順に、新たにタイトルが付けられ、グレーの頁にまとめられている。さらに先生が誕生した1947年から1971年までの年譜がついている。その内容は木村英昭さんの聞き取りで手際よくまとめられていて、花田先生を見知らぬ者でも戦後の少年の息遣いなどに触れることが出来る内容になっている。

FBの画像を貼っておく



 2月9日  陽射しが明る、日も長くなり

■銀行などの雑事を済ませる 
■昨夜は久しぶりに映画を観る。客は4人しかいなかった。

いまごろスターウォーズを観る。多数の見方ができ楽しめたオモロ映画だった。

 三沢基地にだってF35配備され(
1機207億円ほど)
無人兵器を作り、いままでの原則を捨てて日本は輸出して生き延びようとしている。懸命に憲法改正しようとしてる政治状況なんだが、映画に描かれていた、銀河界戦闘では、自殺型の特攻で描いていた。
 多くの戦闘シーンでは人間同士が殺しあう、時代遅れのチャンバラ感が、集客をねらう映画ならでの作り方なので、そこがまたよい。
 さらに善悪の二項対立で脚本されていて、両派の戦士界も男女とも老人の価値が支配し旧来の価値継続の呪縛から若者が逃れられない。いわゆる価値や血による世襲型で閉塞した社会を描く老害ダラケ!化だ

 映画の世界も親の遺産価値を受け継ぎ若者が苦しむ姿を描いているのじゃないか。あまりにも日本の現在の世情に合っていて、笑ってしまった。

アメリカも閉塞してのだろうか。単純な善悪で世界を理解できなくなって、それは資本主義の先頭を走っていたが、その世界の終焉期を映画なりに写しだしていかのようだ。



 日本の老人達も1500兆円ぼどの資産を持ち、若者たちから背骨を抜きとり、支配しつつ価値観を押し付け、社会変化をさせない。だから、スターウォーズを日本の政治家たちの争いに変換して観るのが最適だ

 権威主義独裁が帝国軍。その最高指揮官スノークは麻生副総理に似ている気がした。スノークをウザがる親の呪縛から脱出できない小心者=カイロ・レンが安倍ってな感じにしておこう。父の幻影やその価値を滅多打ちにしたはずだが、死滅させ新たな路をひらきたいが、旧来以下の道に戻ってしまう、絶望感だけの小心者、それは現在の自民支持になっている若者に共有されることだろう。
 ダークサイトの他は白装束の奴隷型兵士たちで顔が消され、言葉を発する事が出来ない抽象度が高い奴隷だけで強い印象を残すのだ

(中曽根政権から日本のサラリーマンや派遣者は着々と奴隷化進められて、過労死=奴隷の死だから誰も痛みを共有しようとしない、銭儲けが善なる社会が出現してしまった)

 共和国は参加型社会志向のようで合議制。誰でも、どんな動物も戦士に顔出しでなれたり協力できる。発言も許されている。年老いたプリンセ・スレイは土井たかこ、年老いて悩むだけのルークは村山富市がいいかもしれない。
共和国軍は顔だしで抽象化された奴隷型の兵士ではない、レジスタンス型だから特徴ある顔が出て来る。なかでも天童ヨシミ似の女性整備士兵は言動で、いい味だし...てた。

 映画の戦闘シーンの背景は乾ききった塩の真っ白な地表と、地下の真っ赤な結晶のコントラストがよい。
既存価値から脱出できない 善なる世界の、スカイウォーカーのバイブルを、それを読み確信するための菩提樹を、宮沢総理似の年老いたヨーダが焼き払ってしまうシーンもよかった。

 311によってセシウム都市を押し付けられた俺型生活世界に生きているから、ラストの子供奴隷が銀河に向き合って立つ、子供に正義を託すシーンは不要だ。もっと孤立し絶望感だせよ!絶望で終わりなさい、と瞬時に思った。

デズニー映画は出口を作り集客を企てるのだろうが(また見に行くけど)フクシマに出口などないよ。出口は在るといった仕草をし続けるのは帝国型政権サイドの老害オヤジ達だ



 2月8日  

2月3日に早稲田大学の15号館で行われ打花田達朗教授の最終講義内容を文字にしweb頁をつくった。

当日は原稿を準備されていて、その内容は雑誌掲載される予定なので、my記録を公開することはできない。でも原稿と話し言葉を文字化したものは、読む側は受け止め方が違うようにい思う。メモだけにしておこうとも思ったが一気にweb頁まで作成してしまった。記録として仕上げておけばいつでも共有できる。



 2月5日  時々  

■山道さんから 山木屋に建っている範民家の竣工写真データが送られてくる。同一建物を撮っても撮影者それぞれ観ている姿勢がことなるので面白い。

■花田先生から本を送るとメールある。5000円を払い会場で買ってしまったのだが二冊あってもよいので頂くことにする

■2月3日午後3時から花田達朗教授による最終講義が早稲田大学15号館でおこなわれたので参加した。
 会場には花田先生の教え子や関係者が多数来場され立ち見がでてしまうほどの混雑と熱気である。受付では全7巻による花田先生の著作集・第二巻が販売されていた。

講義のお題は「公共圏におけるアンタゴニステックな文化的実践としてのジャーナリズム」。原稿を用意されていて、読み上げり解説を加えられたり、ドイツの授業形式に近いかたちだという。



 
内容はドイツ語で自己認識を獲得して来たので今でも半分はドイツ語概念で考え来たことに始まり、公共圏を書き始めた動機、ジャーナリズムを観察してきたこと。
中盤からはジャーナリスト教育の実践について。日本のマスメディアの状況を改善すべく「トロイの木馬作戦」と称し教え子たち送り出したが多くの困難に直面している事実・・・
後半は、記者たちと研究所(花田先生)が連携し日本初の寄付や会員によって動くジャーナリズム系組織ワセダクロニクルの立ち上げ探査ジャーナリズムという言葉が確立されるまで。
顧みて社会学者を脱し社会学臨床教授変容したと語られていた。近年、自身は臨床社会学者であったと自覚されたとのこと。
 大学を去ったあとは「宮沢賢治の詩に残されている 黒い花とは何かを考えていきたい」が講義の最後言葉だった

講義会場は熱気にあふれていた。花束贈呈も続いた。

 6時から近くのレストランに会場を移し花田先生の退職を祝う会。会費5000円で開かれ、教え子たちの挨拶や学生による沖縄民謡の唄と演奏などが賑やかアッとフォームな感じで続いた。


最後は博士課程の学生が宿題を花田先生に求めたのに応じ退職にあたり皆さんへの言葉は

闘え
ファイティングポーズをもって生きよ
私は皆さんを観察し続けていく

(ジャーナリストは何のために闘っていくのか?現在 企業の奴隷になって気づいてない、他者にとっての自由を守り続るため)



最終講義が済んでも現政権などの権力に対してはますます戦闘意欲盛んであった

発売された『ジャーナリズムの実践』第二巻」にはHPで公開された論やHP内の所長の伝言なども多数掲載されている。だから俺の氏名も出ていた。
木村さんによって編まれた年譜が最後をしめていてシミジミ来る

 2月01日  冷え込んでいた気温すこし緩んだようだ

■昨日からデータを探したり画像を探したりしてようやく一段落
 堀井義弘さんと建築あそび講義録公開した。2004年9月18日に我が家で開いた「建築あそび」の記録を15年ぶりに公開。堀井さんの思いによってmypc内で醸造に似た時を経ています。(まま公開しますので、リンク切れが多いですがご容赦ください)ってな感じだ。
 ゼロ年代に建築系の人々に人気があったサイト「サイバーメトリックをどういう思いで運営し始めたのか」を語った内容だ。ここに建築家・堀井義弘さんの建築と社会に対する、教育者としての真摯な姿勢と作法が存分に語られています。長い記録ですが。
 奥様の現東北工業大学の福屋粧子先生が読「みたい」と言ったような気がした・・もので(勘違いしているかもしれません)しこしこ作業してみた。
文字記録にしておくと、時間に耐える。建築物より長持ちするってことを知ってる。さらに人間が語る内容はその場でしか出てこないと思う、人も社会と共に変化していくんだ。だから記録はキチンと作って残し共有すること肝要。

■1月30日仙台市内のビルで京都の満田衛資さんの講演会があったので、参加し、二次会にもmy長男を呼んで共に参加させていただく。 my長男の家にもどってfbに書いたいた

満田衛資さん(京都在住の建築家であり構造家) 仙台市内にて、満田さんてきなコンセプト+テクニカルを平明に砕き講義をされた場に参加さて頂きました。
2時間半の、レクチャー後仙台市内の居酒屋で福屋先生、堀井先生とマイ長男も参加させていただき、311直後構造家を、を被災現地に呼びつけ被災地に立せる!そのことは他者に意義はあるのか?などさまざまに展開てきる内容の概略をなぞりながら、聞きだし真夜中までワイワイし続けまました。
建築ふうには、おもに、SMT後のモダニスト形状をどう受け止めてさらに、展開するため構造家として伊東さんの展開と構えてについて率直な感想を質問したつもりです。言い換えると、仙台メデアテークから始まりる架構は構造家において伊東さんの展開をどのうに受け止め、さらに展開できるのか、静観なこか、など。まとまりなくワイワイ。時間ないもんだねー!京都に行きききとりするがよい!と再確認できた夜かも...さらについでに関西圏にてイケてる若手建築家を教えていただきましたが記憶出来ませんでした。



 仕事が忙しい、好奇心が少ないのか、お金が無いのか・・いろいろ理由が分からないけれど、呼んだ講師に食らいついて何でも聞きだし語り合おうという姿勢の方々居ないみたいなんだ。大丈夫なの老人の俺が心配してもしかたがない事だけど

■満田さんが石巻本間家土蔵を訪ねて感想をフェースブックに公開しているので 全文コピペさせていただき my記録にも勝手にペタンしておこう

月曜から東北に行っておりました。
シェアした福屋さんの投稿にもありますが、30(火)の午後は石巻にも行ってまいりました。訪れたのは2011年4月11日(12日だったかも)以来。約7年ぶり。
津波で壊滅的な被害を受けた門脇地区の中に、本間家の土蔵が倒壊や流出を免れて奇跡的に残っていました。残っているといってもポツンと残っ...てるのではなく、瓦礫の山に囲われ、倒壊したもう1つの土蔵に寄りかかられ、屋根の一部は折損して、という傷だらけの状態ではありましたが。

訪れたメンバーは半分が歴史チームで歴史資料のレスキューが当時の目的。蔵などの保管場所が取り壊されると同時に大量の歴史資料も処分されてしまうことが多いようです。(持ってる本人は社会的にどれくらいの価値があるのかわからない場合が多いですし)
一方、佐藤敏宏さんがメンバーを集めた建築チームは、蔵は安全な状態なのか?物理的にどの程度補修する必要があるのか?をまずは調査することが目的。
というのも、瓦礫撤去の自衛隊が近くまで迫ってきており、今だったらタダで壊してもらえる、という状況で、残すのか壊すのかを所有者が即決しなければなりませんでした。
蔵の中に入ると、蔵らしさのある太めの立派な柱が沢山あり、梁も何ら問題なく、あくまでも屋根の垂木の一部や土壁の一部に損傷が認められるだけで、本体に関しては全く問題なし、と言い切れるものでした。

この一言だけがこの時の僕の役割で、建築を通して東日本の震災復興に関わった唯一の出来事でした。

蔵はその後、補修もされ、地域の地盤の嵩上げに伴い曳家もされたようですが、津波に耐えた土蔵として地域のシンボルとして生き続けています。
土蔵には僕が京都に戻った後に提出された調査報告書が残されてあり、その中に当時の自分の姿を見つけることが出来ました。

瓦礫の山の上を踏み分けながら門脇地区を歩いた当時のことを色々思い出して、グッとこみ上げるものがありました。
その時はまだ新幹線も動いてなくて、東京からの夜行バスで朝に入って、その日の夜行バスで東京まで戻って朝の新幹線で京都に戻る、というスケジュール。

土蔵のその後の姿は佐藤さんからの伝言やネットを通じて知ってはいたけれど、リアルに関わったのがあまりの一瞬で、時間と共にその他の出来事と同じように遠くから見ている感じもありましたけど、今回現地を訪れ、本間さんとも直接お話しすることできて、やはり僕にとっても特別な土蔵であること再認識出来ましたし、あの瓦礫の山を歩いた記憶は消しさることの出来ない身体に染みついたものだということもわかりました。

今回、僕の方から石巻に連れてって下さいとお願いしたわけでなく堀井さん福屋さんのチョイスだったのですが、間違いなく行っておかねばならない場所でした。

いい機会を与えていただき、本当に感謝です。



以上こぴーでした





2011年4月4日の(上)写真を貼ります、満田さんが掲載されたモノクロの絵は一週間後に撮られたはずです。自衛隊の面々があっという間に瓦礫を処理していました。危機一髪で残った
 
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