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2016年 5月の日記 |
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5月31日 のち薄曇り ■かんかん照りではなかったので雑草をのぞく。これからますます元気になる雑草なので庭の一部のそれをむしり除去作業をする。 ■家人に酷使された掃除機が動かなくなったので、傍の電気スーパーで人気の品を買う。(性能より宣伝効果だろうが)国産品よりは小さいし軽いので家人には使い勝手が良さそうだから決めた。原資は25日支払われ二人合わせた高齢者用支援金(消費税還付金)。以前の掃除機より稼働音が小さく、ゴミ捨ても簡単そう。時々フィルターを洗浄する必要がり。紙パックになれている人はやや不快かも。 ■家人を入院させた1年前(6月7日から家人に入院記あり)にくらべ飼い猫も、家人も別の生き物に変わったように穏やかにくらしている。やや太り気味だが。 想定していなかった人生後期の平安な日々。 このような平安がやってくるとは思っていなかった、薬害の影響で仮死状態だろうと思い強制入院にあたった。予想が外れよかった。 入院時に多様に協力支援してくれたmy子供たちに多謝あるのみ。(一人じゃ対応できないのだとしみじみ思う) ■5月はおもったよりは範囲が狭かったが少しずつmy活動の練習をしている。コツコツ |
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5月27日 ■近所の建築会社の建てた建築物の引き渡しが済んだので外観などを眺める。引き渡し時の書式は何も整っておらず、何とも言いようがない。とりあえず発注者による火災保険などの加入だけは進めてもらい、他はおいおい対応するしかないので、多くは語らなかった。(取扱説明書や各機器の保証期間などを記述した書面など要るだろうに・・) ■25日のこと。花田先生とランチをし情報交換をする。(6月4,5日のジャーナリズムカフェや研究所のHP更新、新組織の様子についてなど) 13時からは2限目の「国民国家とメディア」講義を受けた。 中世末期の王権と宗教権力に対抗しブロジュアたちが国民国家の芽を作り出す過程の解説や背景などを前半に聞く。 その後、近代市民革命によって権力者との契約によるコンスティチューションを、憲法と日本語訳したことで起きてしまっている現在の日本政治家の無知を例に立憲主義の本義について解かれた。法治国家の本来の意味やアメリカ合衆国憲法の修正条項の概説。 ハーバーマス先生の直弟子の先生ならでは。中世のブロジュアや知識人、芸能人が集い共有したカフェの意味やそこで共有されるべき教養や情報のために新聞の登場し、それらが舞台となり多様な重る社会での事態がじわじわと変わる、それを後世の人々は革命として語り理解するために出来事を整理し歴史として語る。 文芸的公共圏から政治的公共圏(議会)がうまれだす素地、王権、宗教権、ブロジュアの私的空間と公的空間の特性を簡潔に語られ、なんど聞いてもおもしろい。 ■講義から導きだされるたものは現在の権力者と同等の力(経済+知識+人脈など)を持たない個の市民では社会を変革できない。(つぎの暮らしや社会をつくりだす源にはならない)という厳しい現実。単に現在の権力者に成り代わるぐらいの事態を生むだけだ。さてどう生き活動するのか・・とてもおもしろいmy人生の課題でもあった。 ■そのご四谷に移動し設計事務所を構える若い人とワイワイした。放射能がおおくある福島にて建築を建てる意味や恐怖心が無いのかなど確認してみた。 ■その後神田小川町に移動しまちづくりカレッジに参加した。都市計画の現場(2016年前期課程)と題された5コマ+ワイワイ。 この日のお題は「地方活性化のための都市計画の役割、講師は佐々木晶二先生。都市計画家のための都市計画論は無効で現場にある問題をいかに解き人々の暮らしを守るか、という当たり前の難問に答えを出せない都市計画などについて。(どこにでも共通してある専門家は地域に暮らす市民にとって有効に活動しているのか問題) 人口減少によって何をするにも財源が無い事態認識は共有されてしかるべき。補助金だよりの時代は終わった、そのことを自覚し活動しないで文句だけ言う人は化石人と称されるかもしれない・・詳しい内容は後日の日記で |
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5月22日 気温上昇している、日向は30℃ぐらいではないか ■参議院選挙に対するばらまき策だとか言われたり、8%になった消費税にたいする負担軽減策としての年金生活者など支援臨時福祉給付金支払い決定通知来る。我が家は低所得により市県民税が免税なので一人3万円支払われるとのこと。 ■17日〜21日までは近所の建築屋さんの補佐など途切れ途切れに対応しあっという間に1週間すぎた。 ■家人が臭いといいだしたので浄化槽の点検を依頼する。服用薬のせいでバクテリアの繁殖が抑えられ気味だとか。家人の薬ではなく数年前に鼻の手術を受けるために抗生物質を長期服用していたのでそのせいかもしれない。気温上昇と久方全槽くみ取っていないので汚泥が多すぎるのだろう。2万4千円ほどだそうだ、くみ取りを依頼する。 ■今年のお正月に次男が剪定してくれたので庭のバラが沢山咲いている。初夏の日射しに真っ白い花びら盛ん。 |
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5月16日 日中の気温は高いが放射冷却があり朝夕冷える 昨日は東京の四谷で建築事務所を開いている山道さん、千葉さん、建築会社の社長さんとともに避難指示解除準備区域である川俣町の山木屋の調査をした。 至る所に仮置きしてある黒いフレコンパックに詰められた廃棄物の山を見て複雑過ぎて未整理な様子だった。山木屋と浪江町の境にあるゲートも観てもらった。 周囲の山々にはツツジや藤の花が咲き誇り新緑も美しいままだが、そこに在る大地からの高い放射線は今後100年ぐらいは出続ける。 午後は発注者との打ち合わせ。家相を観ていただいたようで少し平面プランを修正するために数案その場で書いてさらに家相を観てもらうことになった。 若い建築関係者に避難指示区域に建築を作ることを通して多様な事態に思いを巡らしていただき、現地の状況を体験してから話し合うことで、何が起きているのか、について理解を深めていくことができるよう、できるだけ機会をもいけたい。 ■ 14日の土曜日は朝から福島大学へ行き、後藤先生が主催しているオープンゼミに参加させていただいた。午後は元NHKのデレクターで二本松在住の根本さんによる講演。現在のNHKの状況を憂うる内容なのだが第一歩をどこへ出すか、それぞれがどのように行動することで状況を変えるのか?の話はほとんど無かったのが寂しい。 公共放送が国営放送化している話は昔から続いている。総理大臣が送り込んで政権放送局化があからさまである現会長の様子は周知の事実で目新しい内容ではなかった。 2時40分からは朝日新聞の情感たっぷり入った本田記者の講義を聴く。その後よりそいホットラインを発明された熊坂医師により、ホットラインに寄せられた1千万件のアクセス分析ー求められる社会的包摂力の構築。 世界中で進む1%の富裕層と99%のその他についてが背景にある。その構造下で日本で暮らす人々の心に深くて暗くて重たい解消できそうもない現実をもたらしている。それを裏付けるような解析がされていてとても興味深い。心の状態がてにとるよう分かるお話だった。 地域の力がなくなり個々が分断され孤立化進むなか、むなしく感じ暮らす心境を持つ弱者をどのように支援していくのか? ワーキングプア、ブラック企業、孤独死問題、などサッチャーやレーガンによって政策化+政治化された問題。新自由主義経済下によって作られ続けられる社会問題について対応解消する方法を未だ私たち社会は発明していない。目をそらさず事実を知ることは大切なことだ。 ■オープンゼミなどを通しmy長男の近著である『大災害からの再生と協働ー丸山佐々木家の貯蔵蔵建設と塩田開発』を紹介すつ機会があった。後藤夫妻にも本田記者にも大きな評価をいただいた。 地震などの特異な災害時にかかわらず、雲の流れのこどく社会は次の社会へ変容して行くの、それをゆっくり続く災害言い換え受け止めれば平時から変化し続けることに対応した暮らし方や変化し続ける社会を前提にした組織や地域、そして地域社会の運営を考えて行うことで、それらに難問に対応可能になるとも思う。 老後のテーマとして日々考え続けていこう |
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5月13日 気温上昇し24℃ほどになる 日射し強し 方々にバラ咲き 特に野バラの香りたかし ■一昨日東北学院大学の菊池慶子先生に2冊の著書をおくっていただいた。早速フェースブックに載せ昨日2冊とも読んだ。 添えられていた手紙によると『江戸時代の老いと看取り』を書かれた切っ掛けはお母様が舅さんの長い介護のすえ52歳で亡くなられてのち、お母様の人生に思いを寄せたり江戸時代の介護の実態を調べて、江戸時代は介護は男性の責任領域だったことを知ったからとのこと。 現在は戦後持ち家政策によって生まれた多数のサラリーマンによる核家族構成員の老化が大きな社会問題である。介護保険などを生み出し運用されているが果たして介護される側施す側が幸せな営みを得ている制度になっているのかは不明である。 ばらばらの家族の様を見ていると戦後の経済政策を起動させるための持ち家政策は果たして地域社会と人々の暮らしによかったのか?当然議論されるべき問題である。 金融資本主義の荒波の中で暮らさなければならない現代人にとって身近な地域社会を解体させ続けていることは、孤立化した老人たちを誰が面倒を見てやがて看取るのか?今後20〜30年はそこから目をそらして生きていことは困難だ。 人は一人で死に自らの死体を自分で処理できない。そこから宗教や地域社会についてな多様なあり方が編み出され多様な文化や暮らし方になっている。 家人の病に中でいろいろ思案したがよき解答を身につけているわけでもない。だからこれからも自分の問題として介護や死を経ていろいろ気づかされることも多いことだろう。 菊池の著書は江戸時代の多くの人々が老いと介護と対面しあみだした暮らしぶりが示されていた。 その中には家族を持たない独身者同士が助け合い老後を乗り切る話もでている。単身者世帯が1/3の現代さてどのような技を発明するのか・・ともに考え続けていきたい 戦後の仙台が杜の都と呼ばれるようになるまでの人々の奮闘ぶりが書かれていて、こちらも地域に暮らすとはどのような意味や豊かさがあるのか示されていると感じ入った。 自然と親しみつつのんびり風雅を極めた先人たちの暮らしかたのほうが21世紀の暮らしぶりよりよさそう思えてしまうのも菊池先生の筆力によるものだろうが・・なんだか人恋しさがわき出る文章を書く先生だと思った。 ながいお父様の介護を経て両親を亡くされている人だから書けるのかもしれない。 |
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5月10日 降ったりやんだりし肌寒い気温なり 土曜からmy長男来てプレゼントを抱えやってきて母の日の祝ってくれる。日曜日の夜帰る。 カーネーションをめで庭の鉄線をめで、塩竃さんの日本酒・美味しい春たけなわという銘柄の生酒をいただく。酣(たけなわ)って漢字を覚えた ドイツ生活もすっかり落ち着いているmy長女、京都にくらすmy次男からも母の日メッセージ届く家人を幸いな気分に誘ってくれて、春たけなわを盛り上げていただきありがたきことこの上なし。 今日は支払日、近所の建築会社のお手伝いをしているのでお金を頂戴した。普通の大人はもっと沢山賃金を得ているそうだ。働かなかった年月が長かったのでピント来ない。欲しい物もほとんどない、自由な時間があればよい生活がなかがったので、お金に対しかなり鈍感になってしまっていると気づく。 土曜日の夜は遅くまで呑み会だったことを忘れている。いろいろ人と関わることが良きことなのかは分からない。 でもあまり個の欲望を追求しすぎて一人で居るときこそ本当の自分というもの孤立感多すぎて好ましいとは思わない。多中心的に進む関係が多すぎるいろいろな自分だらけというのも忙しすぎて楽しくない。 自分の時間を自分が意図的に使い切る日々はいいわけだが、人と関わりだすとそういう理想的は時間配分は難しくなる。 孤独や多中心てき人間に陥らないために参考になるのが分人主義をとなえている小説家の平野啓一郎さんの論だろう。新しい人間関係によって自分では気づかない新しぶきが飛ぶ、そのしぶきを観察することで自分では気づいていない異なる自分なっていく事を楽しむこと、が若者の姿勢だと言う。なるほど、完結した自分をお求めすぎて、一人で居る自分が本当の自分と思い込まない、そのむなしさを脱するほどほどの方法として参考になるように思える。 ■このところジャーナリズム研究所の活動が盛んになっているのでHPの更新作業が毎日のようにやってくる。インデックスの頁の面もだいぶ落ち着いてきてて、昨年新たに作ってこんな雰囲気にしたいと思った顔に近づいてきていると思う。 |
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5月5日 のち 夜半雨の予報あり ■10連休の人も居るらしい今年のゴールディンウィーク。建築関係をワイワイしている日が多いのでほぼ暦通り。今年は早稲田ジャーナリズム研究所の活動メンバーが多量に増え、いろいろ活動しているので休み時でもHP更新作業依頼が沢山入る。 細かな修正作業につては目も衰えてきたのでやや苦手意識芽生えている。依頼されたことは何でもコツコツ取り組みこなすことで脳の老化防止しているつもり。初対面であっても人間関係も苦手意識を持たずに応じていろいろな関係を拡張していくことで、自分の老後を、良くても辛くてもよいので、予想していない暮らし方にしていきたいものである・・とやや欲張り気味の連休。 ■先月の半ばから木造住宅の計画を提案していたが、発注者と工事受注者の理解が得られた。提案ないようで話し合いをすす今月末からは実施設計をすることになりそう。提案して受け入れられるように作ったので、歓迎されている意味は充分理解できている。以前my設計住宅のように自在に作り込まないけれど、現在のフクシマに問題を受け止め消化しているつもりだ。 10年ぐらい掛けて以前のような自分らしい建築設計ができるよう多様な人間関係を作り続ける老後建築人生にしてみたいものだ、と、こちらもやや欲張り気味。 |
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