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2016年 04月の日記 |
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4月25日 とても暖かくなり過ごしやすくなる ■十数年前に治療した歯の具合がわるくなったので歯科医院に行く。受付も医師も客も皆老人なり。予約制でもなく客も少ないので対応素早く15分ほどで終える。 ■早稲田大学ジャーナリズム研究所のHP更新作業。細かな一部訂正なので目立たない割には疲れる作業だ。HPソフトも細かな修正方法が分からない。それに WINとmaxで見ると文字など特に位置表示がかなり違って現るので、戸惑うことも多い。何とか対応していこう。 ■矢吹町の災害公営住宅の内覧会に参加した。インタビューを続けている岩堀、倉本さんたちが設計監理に関わっていた建築。矢吹町は311の震災で多くの住宅が壊れ、仮設に暮らしている被災町民方々のために建築されたそうだ。 旧奥州街道沿いにも新しい建築が工事中で外観や色が統一されているそうだ。東京大学の生産研究所の先生方がまちづくりに関わって進められているとのこと。いずれ話題になるかも知れない。 帰り道 山崎祐史さんに会いだべり、やんでいる建築設計の下で2ショット。本当に病んでいる設計はどうなんだろうと話が合ったかもしれない。 ■23日は宮城史料ネットの講演会+総会に参加した。総会前に講演会が開かれ大勢の市民の方が参加されていた。 二次会はmy長男、天野さん、斎藤先生、博士課程の泉田さんで12時まで有意義な内容を語り合う。これからの市民とともに展開だろういろいろのな出来事はきっと楽しいことになるだろう。my長男の本も完成していた。 |
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4月22日 暖かくなり庭の雑草もさかん。スミレなど咲き春らしさます 14日に発生し熊本から大分周囲で続いている地震災害について、多様な報道が続いている。 活断層データマップが公開された。日本各地にある活断層のデータの詳細を観ることができるようになった。地殻の活動が活発化しているので活断層図を見て日々の備えをするもよいだろう。吾妻山・西の山裾を南北に走る断層があるので福島市周辺を再度チェックしてみた。赤いラインが活断層の位置を示している ■早稲田大学構内で毎年開催されているベテランジャーナリストと若手ジャーナリストの交流会、Jカフェ。今年度の開催日程を公開した。 第1回 2016年6月4日(土)〜5日(日) 第2回 2016年10月9日(日)〜10日(月・祭日) 詳細をジャーナリズム研究所HPに更新した |
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4月20日 ■この数日は新築住宅についての提案を若い建築友達とワイワイしている。アイディア案ではなく実施前提の案なので若い人も集い元気である。なが年一人で設計していたけれど、若い人と考えることにし始めて数年たった。 建築を作る行為はどこまで行っても他者との協働作業で目的を達成する事態なのだ。発案から資金調達、建設工事、メンテナンス、やがて至る解体まで全て共同作業のなかで練られていく。 計画案づくりの作業を 建築系の若い人々が置かれている独自の悩み。建築系全体が抱えている困難など含め、解決すべき課題が多方面から明らかに浮かび上がる点も協働で進めるよい点である。 若い人々がシェアオフィスしている四谷に在るビルの5階で打ち合わせしている様子。模型作りには関東圏の建築系の学生さんがアルバイトに来ている。福島市内には建築系学生が不在なので・・うらやましい状況がある。有名になってオープンデスクに世界中からやって来るに努力しないで建築家人生をすごしてきた私が怠慢なのだろう。 |
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4月17日 福島 金山町 ■県庁の新関さんにお誘いいただき金山町の古民家を女川町に移築するための事前調査の同行させていただいた。福島駅西口を10時半集合し途中蕎麦のランチ。1時半現地到着。4時まで現地で実測調査などのお手伝い。 明治初期の建築のようであるも棟札などなく不明。元の家が18×9m=50坪ほどで一部二階あり。 解体費用は茅の処分費と移築のために手でばらすので通常の倍額は要るとのこと。移築とは言え新築費用より多めに掛かるようだ。ようはかけ方、総額でおさえ移築坪数を抑えるかによって変化する。 ■行く途中で只見川の桜をめでる ■4月15日 福島県内の建築業者の現況を知るためにフォーラムに参加した。大小にかぎらず後継者問題や脱3Kをどするか、社会的にどのような位置づけを見つけ積極的に役割を伝える行為ができるのかなど・・多面的に語れ興味深かった。 ■12日は郡山で開催された木材市場を見に行き材木の値段など勉強する |
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■ 4月11日 my長男が事務局長をしている宮城歴史史料ネットに関する動画が公開された。 https://www.youtube.com/watch?v=vkhNiM4NrPU |
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4月10日 早朝やや冷え 夜冷えます ■早起きする。それは9時ごろから建築談義をするために千代田区四谷駅あたりまで行くため。間違って各駅停車の新幹線にのってしまう。四谷駅は出口が2箇所有り待ち合わせ場所は赤坂口であった。駅で談義相手と写真をおさめる 駅から徒歩5分ほどの最上階の貸事務所にて建築談義。昼食などすませ、続きの建築談義。 ■生活が以前の建築家的時間割に戻ってきている感じ。まだまだ本格的ではないがこんなふうにワイワイ。若い人々に建築的老人介護されている気分で、なかなかよい。若い人々にとって迷惑なのか時間か有意義なそれかは問うきもない。ただ若い人と建築に関するワイワイがやがやしていた。それでお互いがいい気分のように思えた。今年度は時々上京してワイワイするよ、って気分なり。 |
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4月09日 関東地方の一部に夏日の気温よのニュースあり ■今年度福島大学の後藤先生夫妻が開くオープンゼミの課題は『デモクラシープロジェクト』を読んで語り合う。一回目のゼミに参加して参加者の意見を聞くことができた。前回は2月中頃だったので、参加者の身辺雑記的報告は多様で長時間となった。 金谷川駅からキャンパスまでの路の両側は桜が咲き誇り春満載であった。遠く吾妻山や安達太良山の残雪を身にまっとった勇壮はこの時期ならでの眺めである。(安達太良も駅も真ん中にあります) 午前10時〜1時半までワイワイ。参加者の大澤先生は宇都宮大学の英語学の教職にあったということで、前回、偶然にも隣で論文発表を聞いていて彼女に誘われて参加したのだが、今日も駅で会い教室まで語りまくる彼女におつきあいする。元気なおばあさん先生でもある。 NHKと三春町の協働で作られた番組の英語版の英訳を担当されたそうだ。ストーリーは三春町の人々がにわか勉強し独自のネットワークで連携しヨウ素剤配布の実施に至るまでの話らしく、初耳のことが多かった。三春町の体験は原発立地の人々に生かされているとのこと。彼女の英訳が地球の隅々まで至ることを皆で願った。 難しい本をいろいろ紹介される。参加者の多くはマルキストなので資本と富みにについてピケティー氏の欠点を語る場面が印象的であった。 また知のストックの共有の仕方とそれにどうやって対価を支払い、知的共同体を維持存続させるのかも少し話題になった。 月二回開催されているオープンゼミであるが、月一参加を努力目標にして家に戻る。 |
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4月08日 やや風あり ■昨日はやや雨が強く降ったりした。ジャーナリズム研究所のhpの更新をし夜中までやりとりし完成させた。今朝は花田先生の研究所開所記念講演の英語版を公開した。英語版の頁づくりは英語が読めないので苦手だがなんとか仕上げる (英語版へ) ■今年度から福大の後藤先生によるオープンゼミが始まる。 課題本は『デモクラシープロジェクト』で一読した。 世界の経済史というか主に資本主義の発生当時のことなどいろいろ知識が要ると思った。 400年ほど前にヨーロッパの中世が終わり資本主義が始まったようだが、それらを世界システム論としてまとめたイマニエル・ウォーラーステインや彼のお弟子さんである山下範久先生の著書を読んで予習してみよう・・・。そんな気分。なので一昨日、県立図書館より三冊借りてきて目次を眺めた。 地球上で過去におきていた人間の営みをどのような角度からみて語るか。それは語り手や知識によって多様にあるのだが、まずは自分の語りではなく先人の知恵を借りて、自分で考えることが知の道理し理解を増す近道。 1年掛けて行われるオープンゼミなのでざっと目を通し参加してみよう。目次眺めるくらいでまずはよい。 ■もめまくっている様子の新国立競技場についての設計など。2020年東京五輪のメイン会場である新国立競技場の旧計画をデザインしたイラク出身の女性建築家ザハ・ハディドさんが3月31日心臓発作のために亡くなったとのニュースが流れていた。初期は実作に恵まれなかった彼女であったが同年であった。これから新しい建築の地平を開くはずの才能があふれていた建築家が亡くなったのはとても残念である。人類の損失ともいえる。 新・国立競技場建設にあたっておこなわれた国際コンペでの扱い方のひどさも建築の歴史に刻まれるべきだ。 |
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4月01日 ■1日中早稲田大学ジャーナリズム研究所のHPを更新したり模様替えしたりしていた。夕方花田達朗所長と電話でワイワイし今後の方針を語り合う。 記者周りにおいて日本の状況は悪化し続けている。2010年に公開した「ジャーナリズムを経済的にどう支えるのか」を再掲した。関連した内容で昨年7月の花田先生の講演録「ジパング」の権力とジャーナリズム を加筆修正の更新した。 多くの人に読まれることを願っている。 逆立ち歩きをしている豚の絵は花田先生が探してきた。がこの姿が日本のメディア記者の姿を現している。現在の悪化したジャーナリズムの様を多くの人に知ってもらいたい。 ■暖かかったので昨日から床暖を切っていたが夕方から冷えてきたので稼働させる。 ■新国立競技場の設計者だったザハ・ハデイドさんが亡くなたとのタイムラインの書き込みは、四月馬鹿ユースかと怪しい気分で開いてみたら本当だった。日本での彼女の扱い方が酷すぎた。気の毒な思いとゴタゴタに巻き込んで失礼極まったことを日本人として詫びるし申し訳なく思った。国際的な恥を晒したことを自覚していない政府関係者など多そうだしそのことを恥ずかしく思うのみ。 ■藤村龍至さんが今日から東京芸術大学の准教授に就任されたとのこと。めでたい限りである。 絵は2004年に我が家で開いた建築あそびの集合写真の一部で一番右側が藤村さん。あの日集合した松川昌平さん田中浩也さん、石川初さんは数年前から慶応大学の教員になっていっていた。建築あそびのゲストとして来て頂いたかたで残すは藤本壮介さんが東大の教員になるかどうか・・か。 |
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