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  2016年 02月の日記


   

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 2月28日  

■家人間食後おう吐2,3度する。床に寝てしまい寒く目覚めてから卵ご飯の後寒気がしおう吐とだと言う。顔色は薄紅色なのでさほどでないかも知れない。後昼寝に入る。

河北新報よりmy写真掲載紙面(2月25日)が贈られてきた。
311直後に石巻市門脇町の本間さんの土蔵の被災状況を撮った写真データが掲載された。

建築家とし称されていた。記者には俺が建築家に見えたようだ。再び建築家らしくなるために動き出したばかりではあり建築家と称されることには戸惑いが湧いてしまうが、エールと思い受け止めておくことにした。

記事内容は日記にはって記念として記録しておこう

河北では311後5年目に当たり門脇周辺に暮らす人々に焦点をあて特集連載記事を作っているとのことだった。大震災直後の様子を思い出すと現在の区画整備された様は嘘のように何もかも消えてしまって土蔵だけがぽつんと建っている感じがするほどに激変した




 2月27日 

■26日は東北工業大学の卒業設計講評会に参加してみた。311後のぐったり重苦しいぐったり感がようやく体から抜けて来て建築の話にも興味が湧いてきたほどに体調が回復したように思う。

福屋先生の司会進行で手際よく講評会は進みました。ゲスト審査員は学会賞を受賞された福島加津也氏、八重樫直人氏など。会は4時間ほど。

脱建築している2作品に勝手にmy賞をあげた。

その後居酒屋でワイワイする。それから締めの言葉をはっせられた竹内泰先生と落ち合い仲間たちとワイワイ。(ふざけてちゅー面をすしている)

 最後に竹内先生とふたりでワイワイなりお酒をのんでしまっていた。

 
久しぶりに八重樫さんと会う      竹内先生の教え子たち参集

竹内先生の教え子さんは高橋香奈さん 佐藤彩香さん 酒井拓実さん、みなさん大きな設計事務所で活躍中とのこと。年に2回ぐらいは竹内先生と語らう会を開催しましょうと提案してみる。

深夜 my長男の家に行き泊まる。朝飯はmy長男せいの野菜天ぷらと味噌汁と納豆。my長男はますます料理の腕を上げていた。来年土の研究費は無いとのことであったが元気であるから、過渡期の困難を乗り切ることができるだろう思った

 2月23日 

はるの香りをおたのしみください 春のおみかんお届けします
和歌山県御坊市からやってき!大谷さん家の庭や山て収獲しもの。紅はっさく、黄ハッサク、伊予柑、ポンカン、かぶち、金柑

すーぱーの品々しか食していなかったが一度 和歌山産直送のものを味わってしまうと瑞々しく香りは忘れがたい。 お金は無いけど全国各地に知り合い多く、それぞれの地場でよきものを教えてもらう幸いは残っている。

 (福島県内の知り合いより県外の知り合いが多くなってしまったのは、我が家のヤマイ環境によるだろう。徐々にだが県内の知人友人も増やしていくつもり)

■家人の表情は病以前のものに戻りつつあると感じる。私に対して妄想めいたことはほとんど吐かなくなる。意味不明な独り言もめっきり減った。猫と親密なコミュニケーションをとっていもしかすると対話が成り立っているのかもしれない。

■この春から1年間は福大の後藤先生のオープンゼミに参加させていただきヘ、311後の困難や現在世界で起きている環境問題、難民問題、金融資本主義についてなどを自分の言葉で語れるようになりたい。まずは基礎としてドイツ観念論の本流のカントヘーゲルに至る哲学につて再読しようという話になりそうなだ。 でネット動画で少しお勉強を始めた。

ネット内のデータが豊富になりべんりになってきている。我が家ではうろ覚えの料理についてレシピを眺めたり、難しい話を解説動画を見るなどしている。便利になってきている〜。

■今週は午前中は木造建築2階建て程度の建築を3D・CADを使って各種図面を表示するために新しいソフトを練習している。(ほぼ使いこなせそうな気分になってきた。)午後は申告などの雑用に当てている。
  2月20日 のち昼過ぎから

■知り合いの藍原寛子さんが福島大学で修士論文審査後に市民に向けて公開する発表会があったので福大まで拝聴しに行った。花田達朗先生の公共圏をいかしつつ311後の福島についてどのように語るのか または語れる人はどこに暮らしているのか問題をテーマにしていたように思う 
 質疑応答は公共圏にまでたどり着かず 藍原さんが自らの論文の限界という議題の設定をせずに語り出したことによる質問に集中してしまいもったいなかったのである でもそのことによって行政寄りの先生はそれを指摘していたことでその先生の腹の中が明らかになってしまうという 災いも転じていておもしろかった

■質問したら となりのおばあさんがいろいろ説明してくれて話が発展してしまい 午後のオープンゼミにも参加してしまった。石井寛治著『資本主義 日本の歴史構造』の読書を通じて語り合う場だった。大学であり教室の壁はあったけれど 自由に語り合う場作りに留意しているこが分かるゼミであった 

 4月からは本が新しくなり 『デモクラシー・プロジェクト: オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』 著者はデヴィッド・グレーバー  さん 俺には4000円ほどの高価な本であるけれど 来年度一年間に渡って語り合う土台本なので買ってもいい気分になる(笑)

■オープンゼミ修了後藍原さんに我が家まで送ってもらってしまう。家人はすっかり通常の人となりお茶まで出してくれ、雨に濡れて帰るのではないかと心配までしてくれる人間にもどった事を証明もしてくれる事態となり 望外に幸せ多き1日であった

SNS投稿文
藍原寛子さに俺の家までおくってもらった .(修士論文を拝聴しに行った俺なのに)
311によって心あいた大きな空洞は福島の被災自身のそれぞれの言葉を発明することでしか満たせない。「その言葉をどのように発明するか」は先人の知を元にコツコツ休みなく発明作業する以外に術はない。運よく藍原寛子さんとに出会いそのご縁にて福島大学の後藤康夫先生と仲間たちとともに今日の午後もワイワイできてしまった。議論のネタは石井寛治著  資本主義日本の歴史構造であった。本ををベースに多様言葉が飛び交うなかで沢山の発明作業に有効な端緒をメモできた。
4月のオープンゼミにも参加したくなりました。本は 「デモクラシー・プロジェクト: オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力です。311の災害に釣り合う言葉の発明作業は根気が不可欠だからね


■一方このような動きもあるので画像でぺたんしておく

 

 2月17日  

■午前、建築系3Dキャドを操作したり、あれこれ語り合い相談にのったり
■午後、確定申告のための準備を始める 去年はほぼ何もできなかったので楽ちんそうだ。人生最低の年収となるだろう。去年を底に今年から上昇してみたい
■新聞社の方からメールありて、依頼の内容を知らずに返信していた模様。取材意図をきちんと伝え合いで交信している時によくある行き違。なにはともあれ関係者に投光はよいことだ。

■3月11日に向かって大震災の事を語る紙面などに触れる機会が多くなってきている。腑に落ちる内容にであわないけれど神戸大の奥村弘先生が岩波に寄稿した内容がweb公開されていた内容に強く同感したので画像にして貼っておく。
特に2点は肝に銘じて活動しているつもり。大学で文系廃止の嵐が吹くなかで強く思うのだが:::理系の人にはこうい言葉を書くことはできないでしょうね

歴史を描く視点として、大震災の歴史を防災・減災という視覚から一般化してはならない
地域の歴史文化全体が大切にされていない所で災害の歴史だけが未来に継承されることはない
 

 2月16日  

■ 午前 3Dキャドの操作をし平凡な木造アパートの透視図にしてみる。ほとんど分からないものの透視図ができた。使いこなせる必要があるのか?は不明なれどソフトを作り普及させ収入を得ようとするサイドの人々の魂胆が分かりだした。さらにこのソフトを使えばぼろもうけできるという凡庸な建築士の心根も理解できるようになったような気がする。平凡にいえば資本主義下でおこる出来事に批評は可能だが口出しする動機も起きず。

■新聞社の記者のかたより石巻本間家土蔵に関するmy画像データを使いたいとの連絡があり承諾する。もうじき311から5年経過するのでカレンダージャーナリズム風味の記事をつくるのかも知れない。 メールでのやりとりで記事にしてしまうのだろうかとの疑問も湧いて来たが掲載された記事が送られてくれば見ることもできるが新聞購読してないので、見る機会はないだろう。

(東北学院大学の齋藤先生による土蔵の歴史的経緯についての解説

 2月15日  昨日は4月なみの暖かさだったが今日は戻り風もあり

■午前10時より近所の建築会社にて住宅のプランについてアドバイス。のちプランを少し手直しする。社長さん用弔辞の校正も頼まれて手入れをする。のち夕方までワイワイ。
■14日未明から風強く昼過ぎまで春一番のようなあらし。夕方から風やむ
■13日は近所の建設会社から呼び出し。15日にプラン打ち合わせなので少し住宅の案に手お入れる 後建設予定地を社長の車で案内していただく。
■12日真夜中my長男来る 翌日上京し会議と言う  

 2月12日 

■株価が不安定で今日も下落し日経平均が15000円割れたそうだ。円安誘導や日銀の量的緩和にて粉飾気味のよき景気の演出、アベノミクスの本質がばれてき 市場も悲観的になっているのかもしれない
■一月後に大震災から5年経過となるので昨日は関連ニュースが沢山ながれていた。有志でつくる代議士たちの会(第三回原発ゼロの会 福島第一原発視察 国会議員:近藤昭一共同代表、逢坂誠二世話人、初鹿明博世話人、阿部知子事務局長)が2015/12/07に福島第一原子力発電所の現況を視察し記録公開している動画がもあった。方々に在る人間に感じることができな高線量の場を示し生々しい放射能災害の現実の一端を見せてくれる。  

■数日CADを使って計画図を書く練習をしている。少し書き印刷してみた。1月もすれば使い物になる図面も書けそうな気分になる。 生涯現役の路に復帰できるようコツコツ・・コツコツ

 2月10日 のち雪の量は少なくも 強い〜 吹雪

■ 風強く自転車が転倒しているので、何度起こしても倒れたままにして置く方が自転車は傷まず。

■3年前のmy動画がフェースブックから落ちてきた。竣工時の記録動画であるが、そこに集いし関係者のその場でしか採取できないだろう生の声が記録されていた。こういう仕事が時とともに生きてくるのではないかと 感動を覚えてしまう。今年は少し取材を開始してみようと再度強く思う機会になる。 お節介なSNSもたしょう意味のある存在になっているようにも思えた
 

■数日建築系の方々と交流しつつ不慣れなCAD(設計製図用)のお勉強をする。

■上記を勉強しつつ人々交流をして巷の面白さを体験する。お金で買えなくって楽いくって建築系以外の人々の役に立つ行為を沢山知っているし実践できるので、いまさら巷の出来事とや多様な暮らしぶりの人々おつきあいしてもな〜。お互いに不利益の方が多いように感じてしまうのである。付き合い方の勘所がまるで分からないほどに浮き世離れして生きていた。これからも浮き世離れした暮らしでいいので・・・。

 2月08日  

■数百万円ほどらしい建築3次元CAD。現在は誰も使っていないので使いこなして欲しいという話があった。BIM (ビルデング・インフォメーション・モデリング)として転用できるのかもしれないと思いソフトを販売している方に説明していただいた。「木造2階建て程度で慣れるのが初心者入門としてはよい」とのことなので、概要をしりるためにマニュアル本を頂いた。

 手引きに目を通したが木造住宅などの建築工事に必要な図面や積算、申請資料などのおおかたの図を書き出せるソフトであると分かる。2次元キャドは早晩だれも使わなくなるかもしれないと思うほど便利なソフトだと思う。難点は簡単すぎるので銭儲けのために金太郎飴のような似た家を量産する輩が出てくるという問題もあるように思った。使い手の倫理建築に対する考え方が不可欠に思う。文化との領域に触れたものならそうするだろうし、よきCAD使い手がCADの能力を生すした社会貢献の道を拓くことになるのだろう。その姿勢が無い使い方では安直な建築へと流れ行き無残な景観を作り出すようにも思える。

 数ヶ月使い続けてみてあれこれ知ることにしよう。まずは ツールバーにある各種アイコンの機能や簡単な動かし方の説明をしていただいた。あしたから即使えるわけではないが、使って覚えるのが良さそう。

 数年掛けてBIMも使えるようになるかもしれない。販売員の方によると「BIMソフトは若い人じゃなきゃ使いこなせない、無理無理」と突き放してくれた。

 2月07日  

■家人が落ち着きmy心に余裕が出て来たので平成25年度に受講したヘリテージマネージャーの復習をはじめる。
 講義の様子は建築士会のサイトにて動画で公開されている。資料とノートは保存してあるので見比べながら復習ができる。動画は音が聞き取りにくいのが難点だが、なんとなく分かるのでよしとする。

 受講時にいただいた『民家のみかた調べかた(文化庁監修) を読み通す。これから作られるだろう現代民家と比べ古民家から見えてくる在りし日の庶民の暮らしぶり・自然とともにある・生きる姿のすがすがしさに衝撃さえ覚える。化石燃料を燃し作り出す電気や暖などを用いぬくぬく近代暮らしが一般的なのだが、そのことによって数十年長生きし得たある種の豊かさは無理があるように感じてしまうのがおかしい。

 原発事故が起きてみないと何がなんだか分からない様で有機的に連なる近代の技術によって成り立っている現在の庶民の暮らしはとても根拠の不安定な多量の連なりによって保たれている。それは生物だからそうだろう と言えばそれまでだが、古民家の暮らしぶりよりリスクが多い暮らし方なのではないかと想像してみた。この当たりの疑問はゆっくり考え続けていく

 今年は建築の事や歴史やヘリテージマネージャーの仕事にも挑戦していく予定。家人の病に翻弄されている時分と比べるとずいぶん変化した今年のmy暮らし方になりそうだ。こつこつ復活していくことにする
 

 2月05日  のち 

■自宅の敷地の西側の土地を購入したときにおまけで付いていたぼろい物置の修繕してもらう。(道具を買ったり廃材処分をしたりすると大工さんに作業してもらうほうが安くて安全なのだ)
 近所の工務店に昨日頼みに今朝観に来てくれた。「今日は暇なので作業したい」と早速作業に取りかかってくれた。午後4時前には作業を終了した。春一番が吹く前に簡単な処置ができて安心

■家人が工務店の方々に自然に普通に応対しているのを見て大いに安心。順調に回復していることも確認できた。今日のような日常が戻り来るとは長年思っていなかった。肩の荷が下りた気分。 残るは家庭経済を豊にしていくことのようだ。こつこつ仕事探したりしてみよう。お金にはならないけど重要な事後とは沢山有りやり方も知っているのだが、まずは欲張らず、my経済を立て直したい。

 2月04日  今朝は冷え霜柱たち

■人任せにして数十年だったJWキャド(環境ファイル)の調整方法をようやく身につけた気分。数日しか掛からないのだからもっと前もってできるだろうと思うのだが、そこは環境が整わないと技だって身につかない。
 調整方法が身についたので新しいPCに買い換えてもキャドの環境ファイルは使いまわせるようになった。
 家人が順調に回復してきた。それでは俺も建築系仕事に復帰するための環境を整えてもいいな〜と落ち着いてきたのだ。 いろいろやる気が少し湧いてきたのだ。長生きして昔のように建築を設計しつつ、方々のまちづくりのお手伝いをしたり 、古建築の調査などもしたりと、何かの役に立ち生きていきたいものだ。(長期計画で回復していくつもり・・だれか誰か仕事を注文してくれるかもしれないので死ぬまで現役の準備開始

■いつになったら難問から解放されるのか、難問を抱えて生きるのも世の常とはいえ、やはり疲れていたなーと今は思える。家人は「病が回復せずそのまま死に至るのではないか」と無力な気分になることも多かった。何もできず・・手も足も出なうえに「なんとかせねば」といった繰り言様は続く。先が見えない状態も長期間続くのであった。思い出すとぐったりする。でも少しだけだが解放されつつある

 家人の退院後リハビリ半年ほど様子を見ていたが日々対話の数も多くなり、人間らしさい表情も日々増している。薬の副作用か、太りすぎか、分からないが息苦しそうではある。 飯坂線に乗り福島駅まで行き買い物をする行為はできないが、引き籠もり状態も改善しつつある。散歩がてら近所に在る2軒のスーパーに買い物には積極的に行くようになった。 


 2月02日  

■ 何年前につくったのか思い出せない。家人が鰺の叩きを食したいというので鰺をスーパーから買いだす。作り方を忘れてしまったのでweb検索で見つけ、それを読みながら思い出す。腕も錆付いていればなっきり包丁だって錆び付いている。脳みそはwebで磨き、なっきり包丁は砥石で磨く 便利な社会状況。 油がのっていて美味いと好評だった。
 1年前の引き籠もり時はインスタントのようなものに偏った食事だったと推測していた。退院後、食生活も少しずつ多様になった。その効果だろうが表情も落ち着いたものとなる。入院し普通の食事を採る習慣を強制されることも効果が大きい。薬とよき食生活があったので今日の幸いなる平凡な日常が生まれた。

■高齢者入りが近づいたからではないが キャド的脳みそも錆だらけなので、2月はキャドにトライしたい。数年ぶりに使い方を思い出して古建築の図面などを書こうと思う

 昨日から始めた。まずは沢山の方が使っているだろう無料ソフトJW)を手に入れた。
 モニター表示はMさんに作っていただものに。以前の配色に近づけようと思うがなかなか思い出せなかった。
 そうそう環境ファイルを作りだ!と思った。だが更新の仕方がさっぱり思い出せなかった。
 一晩寝て起きたら、少し分かってた。 3回ほどトライアンドエラーしたが環境ファイルを書き換えてみた。
 レイヤーグループそれぞれに各レイャーごとに書き込む。こんなふうにLAYCOL_3 = 2 7 1 1 6 4 8 5 5 色番号を入れていくと右絵のようなカラー線で表示される。 色は自在に作り、選択できるのだが、それほど凝らずまずはこのカラーにて使ってみよう。モニターで美しく目の疲れない配色かどうか不明だが今日のところはこれでよしとした。ついでに印刷時の線の太さなども調整してみた。印刷してないので何度か調整が要る。

 明日から、作図の練習してみよう。今日の環境ファイルで快調に使えるかどうか不明。練習を続けいつか洗練なった環境ファイルに仕立てたいものだ。
 

  2月01日  たり  

■ 30日の昼にかけ 神戸に暮らす内田先生とmy長男とでワイワイ。少子化や過疎化が進むなか大きなお屋敷を保全するには古建築や古文書など各種什器や掛け軸に漆器などと伴に全体を守り保全しようとする内容。各領域が連携し地域に残る暮らしとともにそれらを守るような全体像がつくれたらいいな〜話し合う。
 その件については具体的なお屋敷があるがまだ件名は記せない。関係各位である近隣の方々、関係行政の方々も所有者も博物館などの関係者も意欲充分なので 10年ぐらいを目途にしなんとかモデルのような形にして欲しいとの要望らしい。できるかもしれないので集合しワイワイをすることになる。

 my長男 お正月から家にあったNゲージの電車にこり出しているようす。口もきけない頃から電車が大好きだったのだから一生鉄男なんだと思う
  
■家人がお正月後すこぶる病識もありきちんと薬を服用し、お正月に子供が集まったことも効果的であった。妄言もほとんど無いほどに安定している。
 退院後半年が経ったが1年前の暮らしとは激変した。これが普通の暮らしぶり、なんと木が楽ちんなんだろうと、四半世紀にわたる病との付き合いをもったいない期間に想えたりする。いろいろあってとても貧乏になったが平凡な暮らしになれたのでよしとしよう。

■今年は仕事ができそうな気配あり。でキャドを立ち上げてみたが環境ファイルが無くなってしまい、以前のように使い図面を書き出すことができず。設定の仕方を勉強を始める。まだ理解できていない。2次元図だが・・巷で近頃はBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)と言う3次元キャドが主流になっているようだ。 知人の田中先生は3Dプリンターで物作りをしつつ交流の場を創造し社会貢献がすばらしい。あれを逆にたどれば建築図面になるのだろうとおもう。
 先週はPCがプロ碁の棋士勝ったとにゅーすになった。(AI)人工知能に関して昨年中頃からブームになりビックデータを使い学習してしまうというデープラーニングも注目されている。AI使うと建築現場は劇的に変わると若手の学者は言っている。2001年宇宙の旅を思い出すが今年はAI系sf映画もブームなんだそうだ。

 年老いていくとともに ますますPC系は発達し 飛び交う日本の会話についていくのも大変なもの。10年後にはまったく新しい言語も飛び交っていることだろう。ぼけ防止にいろいろ雑学していこう。検索エンジンやグーグル・ツイッターにフェースブック、ラインなって言葉も10年前は一般的じゃなかった 無かったかもしれない。