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  2016年 01月の日記


   

  2016年12月日記へ 

 1月27日  日中は風もなく 日陰の雪もだらしなくとけていた

■今日は8週間ぶりに家人の通院日。この時期は防寒いるので通院は辛そうとおもっていたが、心配無用だった。 病院もがら空きで着いて即診療というながれ。待合室もすいていて日射しだけが強い、カーテンなしでは汗くほどの暖かさで長時間待ってはいられない。 薬局もすいすい。

次回の通院も8週間後となり 退院後半年にしては想定より安定しているので、だいぶ気持ちも楽に成りぐっすり寝る時間が多いので体調もよい。

■病院傍の直販所で野菜など買う。時間が午後2時過ぎなので陳列台の品々ほぼないが キャベツ、リンゴ、ジャガイモなともとめる。スーパーよりはちょい安くって新鮮なので人気がある。販売時間は10時〜4時ぐらいまでのようだ。

■ 寒い時間は読書に限ると大澤真幸・本ばかり読んでいる。 やや頭でっかち老人化しているような気配 暖かくなったら 活動したいものだ。活動資金を稼ぎたいが・・ なにかよい方法がみつかるといいが・・・。家人が電気ヒーターを使わなくなり、灯油も安くなっているので生活費が少し節約できているので 電車賃ぐらいは蓄えられるかもしれない 節約して 活動費ためるのが 早道かも


 1月24日 

奄美大島にみぞれがふったそうだ 長崎も大雪とのニュースがTLにおちてきた。福島の我が家あたりはうっすら積もっただけだった。

■昨年から年3,4回を目標に早稲田大学ジャーナリズム研究所では定期的に優れたドキュメンタリーを鑑賞し、作品を作った監督や被取材者などを登壇させ 話し合いを行い、レポートを公開しはじめている。 そんなことなどを紹介した日経新聞の記事を公開した

 ユーチューチュー部にも多様な動画がストックしてあって、それらを活用すると多様な過去の出来事をも現在に起きているかのように鑑賞することができる。
 それらのは像を見る者はミネルバのフクロウふう歴史的視線を手に入れることができる。優れた映像の活用方法を検討してもらいたいと常々思うことだ。

 たとえば公共放送の優れた過去の特集番組を受信料支払っていない者でも活用し映像型論文のような形式の画像を作ることができれば 歴史を確認し歴史を能動的にとらえた暮らしができるように思える。著作権の問題もあるので映像の蓄積が人々の暮らしに役立てるような法整備が求められている。 

 権力と石油 はユーチューブから削除されてしまったが 現在の国際紛争のあらましを辿り知るためによい映像だった いつかdvdにて販売されるなどを望んでいる

 百年の悲劇  はここから始まった「新・映像の世紀」 もよい動画である 第一次世界大戦から オスマーン帝国の解体 石油利権を支配する米英のあんやくなど現在中東で起きている混乱の元があまさず描かれているように思う 

 やがて削除されるだろうが ぺたんしておこう  死体が多数でてくるので見るに堪えられない人もいるだろうが・・・ 


 1月19日  

■昨夜降ったみぞれが凍り付き日中も溶けず。真冬なりの気温になる
■早稲田ジャーナリズム研究所に残っていた本3冊 各3部ずつ県立図書館に行き寄贈手続きをする。受け取っていただいたので近々公開され貸し出し可能になるだろう。歩道は雪が残っていて自転車をこぐのと車輪が轍にはまり運転しにくい。今時分になると舗装道路のありがたみがしみじみ分かる。


■山崎泰寛さんに教えていただいた 山崎産の博士論文『1950年代のニューヨーク近代美術館が日本の建築界とデザイン展に与えた影響に関する研究』を読み始める。 京都工芸繊維大学のサイトにて公開しているので興味のある人ならだれでもデータを手入れ読むことが可能だ 

 1月18日 雪降ったり と一日中冷える

■この冬初の雪かきをする 真冬だというのに春先に降るような湿り気の多い重たい雪なので、近所の人々もあごを出しながら雪かきしていた

■昨日上京したのでその時のことを時系列に並べておく
 早稲田大学ジャーナリズム研究所所長の花田達朗先生と高田馬場で会いいろいろ話し合いランチをする。
 内容は書けないのだが研究所はかなり賑わいつつあり、場の雰囲気もよくなっている。詳しいことは今年の秋あたりには公開可能だろう。
 ランチごちそういただいた後そばの喫茶店でゆずティーを飲みながらだべりまくる。午後2時半頃予定の時間となり分かれる。

■午後5時から松島潤平産の展覧会に合わせて若い建築家を招集したオープンゼミに参加する予定だったが2時間ほど余裕があったので千駄ヶ谷駅から南青山4丁目まで逍遙としゃれ込む ぶらぶらの目的は国立競技場の跡地を観ることと塔の家にご挨拶することだ      
 
丹下さん設計の国立競技場はなくなり地形があらわになってはじめて観るような気分がした 新国立競技場を建設するに当たる手法が国際的に笑いものだ。エンブレム問題も含み かっては国民国家における国家的事業であったオリンピックも、311の被災手当もまともじゃない2016年現在はほとんどの国民にとっては無意味であることだが無理に仕立てる国家権力がなす滑稽さ。それらの問題は明かす事態となっている。その点が露わになっていて 時の神様に逆らう愚かさを観ている気分なり 

■東さんの自邸
である塔の家は建具がアルミに変わったていどで健在。都市に居住する原型として今でも力が衰えていない。建築家は60年間ほど塔の家に変わる居住を提示てきていないように思う


確か敷地6坪ほどのだったと思う コンクリート打ち放し仕上げだ。型枠は現在のような合板に塗装をしたパネルコートではなく杉板をつかっていたのだ ^ー どう。20前に東さんの著書を手に入れ見に行ったり感動したことを思い出した

■1時間半ほど早く 会場に着き 先に伊庭野さん家族がきてて楽しくだべる

先月13日に結婚式をあげた松島潤平さんと奥さんのに会いワイワイ 子供を産みどう育てるのかも話題になり 彼らと知り合った10年ほどの時の流れを思う
 女性も共に働く夫妻がおおくなり 託児所を探す難しさと料金の高さなど聞かせていただいた 若い家族が安心して子供を育てることができない事情が痛いほど分かるのであった。とはいえ対策は分からない

■5時になり多くの若者が参集しオープンゼミがはじまる。先の1時間ほどは山崎泰寛さんの研究論文についての解説のような講義。
 続いて藤村龍至さんと浅子さん山崎さんが兄貴ぶん先導役となり参加した若き建築家たちそれぞれがマニフェストを紹介し話し合いが進む。
 
順にマニフェストを各自公開する
 藤井亮介「偶然の建築」 本瀬あゆみ「公共設計の技術展」 伊庭野大輔 「全力」 富永大毅「建築的記号の新しい使い方」福西健太 「ニューシンボリズム」 稲垣淳哉「ヴァナキュラー」 大室祐介「ムロチンレシピ」宮内義孝「未定」 元木大輔 「完全 関 「係性」 黒川彰「永遠の現在の実践」 坂山毅彦 「C・C・C」 藤田雄介 「テクスチャー・イズム」 村山徹 「明るい建築」
 
 大室さんとは3年ぶりの再会となり 311直後我が家に来ていただき被災地を鎮魂してあるいた事を思い出した そのときの大室産の言葉をメモしてきた 
 見え ないもの 見えない部分 見えなくなっているものをどうやったら見えるか 未来をみよう 発明をしようとううのではないく過去と現在でも見えない 見えにくくなっているものをどう 

最後に藤村さんの声かけで集合写真成り 

建築家の卵 あるいは若き建築家の声を直に聞くことは 現在を他者の目を通してみることなので とても豊なり

こういう場を設え同世代の面々に声を掛ける 松島さんのその姿勢に敬意をこめ 盛会おめでとうございました

 1月15日  

昨夜半から小雪がふり2,3p積もるも昼中の日射にてほぼとけてしまう。今年は雪のない冬になるのかと勘違いしそうだったが、これからの1週間は寒波到来にて大雪ふる可能性があるそうだ。

■東北電力から 平成28年4月1日から電力小売りの全面自由化開始されるとのことで知らせが届いていた。選択料金プランが並んでいるのだが詳しい違いが分からないので4月までには勉強してから契約したいと思う。

お正月を挟んで使った1月分の使用量は260kwh。これに0.573を×とco2の排出量kgになるそうだ。請求金額7487円 内、再エネ発電付加金課金410円

 1月13日  冬らしい気温にて最高気温5度ぐらいな気分 冷える 

■本ばかり読んでいて体がなまるので今日から家の内部などのゴミ、少し運動のため処分し始める。去年多量に処分したんだけど まだ残っている。夏までは空にしたなー。土地を買ったら付いて来た安物の物置小屋は30年ほど経ちぼろぼろになり風で飛ばされそうで、危ない。で解体したいこともあり、運動にもなるし、毎日1時間片付けする予定だ。

■家人より「夕飯に土鍋ビビンバ食べたい」とのリクエストがあり、すっかりわすれていたけどネットでレシピを見て、my土鍋でアレンジし作ってみた。「好評だった」次回作るために反省としてカルビの脂身が少なかったのと 肉を焼きすぎて堅くなり歯ごたえあるすぎて失敗。良い味のキムチに助けられてまあまあの味になる。写真撮り忘れたのでネットより拝借した。色あいもよし。ご飯の水分が多すぎたので、次回はそれらを注意してさらに美味い石焼きビビンバにしたい。

■原油の先物がバレーレ30ドルを切ったとのニュース流れる。中国の経済がおかしくなって来ているので中国政府が株取引に連日介入したりし年の初めから株を含め乱高下激しくなるニュース多し。中国が投資している資金を引き揚げる時期がいよいよ近くなっている気配ありて、アフリカの貨幣レートが暴落しだしてもいる。リーマンショック後にバブル崩壊は予測されていたことだが、中国発バブル崩壊にて世界的金融危機は今年おきそうな気配が漂う。

■2冊は読み3冊目・・・大澤真幸さん著『戦後の思想空間』 手に取ったが知識がなくって応じられなくって分からず読みにくくって、手にとってぺらぺらめくって数日。ようやく腑に落ちる箇所から読み始めた。

P64のウルトラマンとしてのアメリカ (なるほど!ウルトラマンをそういう読みかするのか〜や 小島信夫著『抱擁家族』について、それを批評した江藤淳著『成熟と喪失』などの例が語られだして、何を語りたいのか分かってきた。 大澤さんの著書は分からん部位はさっぱり不明だけど、、わかり出す部位はめちゃ分かるからやめられない。そういう部分読みでわかりながら自分の思想を深めるってことでいいのさ・・・と思っている俺
 1月11日 がち

■サウスカロナイナ大学、教養学部生物学科教授ティムシー・ムソー教授による講演会に参加する。場所は青少年会館。演題は「動植物の変異から福島人の今日と明日を語る〜チェルノブイリと比較して〜」 質疑応答を含め3時間。
 チェルノブイリへは30回、福島へは今日を含めて18回入り調査研究しているとのこと。

 参加者は老人男性が8割ほど中年の女性が残りで若い人はほとんど見かけなかった。
 精子数の減少による野鳥の個体数の減少やツバメの癌の例が報告された。質疑応答でもきっちりした生物科学者であることが理解できる内容だった。しかし研究数や研究人員と資金が無く、調査期間も短いため、断定できる内容が少ないのは仕方の無い事態だ。

放射線が動植物に与える影響についての調査が遠くアメリカの研究者によって成される事態の方を憂うべきだ。それを確認した講演会だった。
 日本・福島にも生物研究者はいるはずだが、ネガティブな研究結果ができる可能性が高いので(研究費は付かず)研究意欲が高まらないのかもしれない。いずれにしても核種がセシウムだけの対応で済む福島は不幸中の幸いだったと言う。

 高度成長期ののち地域や職場さらに家族が解体されつつある中での原発事故なので個人と行政+国が直接向き合う結果となり、上意下達の情報が優先的に流され個々が判断をせざるを得ない貧困な状況をいかに脱するのか、そのことが課題だが、ほとんど解決策もない絶望的な様だ。
 被災地域の人々が自主的に研究費を集め自分たちにとって必要な情報を得て対策を要求する、立ち上がる、そんな事がほとんど起きない地域社会をおそった原子力発電所の事故は多様に興味深い。次に国内で起きる事故に際して助言できるようになるために、福島原子力発電所の事故の後の状況をきちんと観ておくことが今俺にできること。

 1月08日  のち  真冬なみの平年の冷えた気温に戻る

■茨城大学から展示図録 『東日本大震災と文化遺産- 学生と市民が守ったふるさとの記憶』5部届いた。

 昨年11月14日から12月6日まで茨城大学図書館で展示された図録である。石巻市本間家土蔵に関する保全活動で撮った画像や動画についての展示依頼がありデータを送ったことがあった。
 表紙にmy写真が使われていた。ありがたいことである。 この写真を大きく引き延ばし展示したいとのことだったが、展示会場の様子が分からないので、どのように展示され来場者によき効果があったかどうかは分からない。
 
 表紙に使用された絵は2011年4月12日に撮影したものである。小さくして南側と北側から撮った絵を貼っておこう。歴史に残される記録となり。地域の記憶の保全に役立つとは望外のことである。 それもこれも義援金など送っていただいたり物質支援などの多様な支援をいただいた全国各地にくらすmy支援者の心温かさのおかげである。すこしはその方々に顔向けができるのではないか、と肩の荷を下ろした気分




1月07日 がちの天気 冷え出す

■311にともない我が家族におきた多様な困難を解決するために各地に暮らすようになった。そのことに伴い皆の考え方や日本の現状認識を検討し暮らし方を変えた。
 my長男は研究の国際化を迫られ海外に出かける機会が多くなった。日本の近世末期の豊かな文化や暮らしを外国の人に伝えたり多様な人々と共同研究などの行為は楽しげである。さらに日本各地域の人々と交流し親戚扱いを受けいろいろなお土産を頂いてくる。地域に生きる人人は自分たちの先祖の情報を贈答として受ける。返礼としてお土産をくれる。学問の力を知ることでさらに地域の人たちへ歴史的情報を贈与する。そのような地域に生きる学問と人々の好循環する姿をみせてくれている。

 my長女の希望は日本の制度を変えないかぎり実現することが不可能であった。娘といろいろ話し合いの末、男社会のを出て海外に行くことを勧めた。幸運にもドイツにある医学系研究機関にプロの研究者として採用された。(プロなので実力が衰えると放り出されるはずだ・・)研究所では国籍も性別も年齢も壁も無いかのように扱われ目指す研究も順調にすすみ論文をまとめ著名な雑誌に掲載されるまで至った。
 大家さんはまるで娘であるかのように日々、親切に対応してくれて豊かな交流・支援があったおかげでたドイツ国の語学資格試験にもパスするまでドイツ語が上達したという。振り返れば4年ほど前の手探りの決断と行動が今日のような事態をうんでいるように思う。

 my身近な場で外国人を対等な人間として大切に扱いともに仕事をし明日を切り拓くことで協働しているという話をあまり聞いたことがない。日本人が就きたがらない仕事をしてくれる安い労働者研修生というなの現場労働者だったりして、3kの現場を支えている話が多い。
 
■大澤本を4冊図書館から借りてくる 
マスメディアに原発事故に関する実利的な対応に関する言葉がほとんどである。それも大切だが腑に落ちない何かが残ってしまう。311に受けた衝撃の中身をきちんと言葉にできるようになりたいので、311後に発せられた本を探して読み始めている。昨年末に読んだ小室直樹博士のお弟子さんでもある大澤真幸さんの『夢よりも深い覚醒へ - 311後の哲学』をよむ。後半の階級の話は難しかったので再度時間を空けて読む予定。岩波新書820円なので買おうかと思う

二冊目の『大澤真幸編 311以降の思想家』 は古今東西の25人の思想家を紹介した辞書のような形の本で好きな思想家から読めるし、彼彼女たちは311をどのように考えていたか(時や地域を越える普遍的な論を展開しているのでそのように読める)わかりやすく書かれているのでおすすめ、左右社発行で2500円、こちらも買おうかと思う。


 1月06日  たり 

 my人生とはよいものである

■お正月は3人のmy子たちも集い、5人で年越しそばをいただき、正月を迎え楽しむことができた。このような平凡な正月を得たのは実に久しぶり。3・11以降は家人の病も激変し不安定になり籠もる生活も加速化して日々の生活さえ困難な状況だったから5年以上経っているはずだ。
 昨年の初夏に入院し家人が退院し5ヶ月すぎたばかりなので正月を平凡に過ごせるかどうか不明だった。だから具合の悪い症状がでたらいつでも各自・家族団らんを解散できるような心構えで、かつ「ありのまま家人に対して特別な対応扱いもせず」の心構えで集まって来たのが幸いしたと思う。
 ドイツからmy長女、京都からマイ次男、仙台からお酒や食材を背負ってmy長男がやってきた。
■ 見送ったがmy長女は昨日7時45分に仙台空港を発ち成田経由で今朝5時ドイツ家に着いたとメールがあった。「到着時の気温-4℃.雪が数センチ積もっています」平年より暖かい日が続く福島とちがって寒そうである。
■各自土産もそれぞれで特に各銘柄個性的な味のドイツビールと石巻市産の純米大吟醸谷風」は細胞をきめ細かに酔わせるよき日本酒であった。

お雑煮は下記の 焼きハゼを入れた仙台雑煮をmy長男がつくった。my長男は味付けが上手く大好評であった。沢山の具は一端凍らせて煮込むのが仙台流儀とか、仙台藩の多数の古文書にふれているので作ってみたくなったのだろう。焼き ハゼは一尾千円もする珍代物 

もうちょい写真ぼけ色柄もそれえればでしたが下の絵のようなもの

ドイツ土産のケーキ 見た目はさほどでも無いが甘さが抑えられていて各種実がびっちり詰まっていて生地もしっとりしなやかで大好評だった。ドイツの方々はさらに砂糖をまぶし食べるのだそうだ。



■my長男・長女はそれぞれの研究内容が充実して来ているのだろう、顔の表情に出ていた。my次男もきりりとしたよい顔になっていた。(どや!顔でないのが嬉しい)
 生老病死から解放されたくってがむしゃらに生きた戦後の混乱期の大人たちへのなり方とは異なり、my子たちは一億層中流社会・高度成長期後の社会に生きながら大人を目指しているので当然のことで、その道のりは複雑で多様なので手がかりを見つけ歩きだすまでもとても時間が掛かるのは必然だった。

長い道のりではあるが、my子たちとメールし合いながら、傍で観るかのように苦楽を共にでき今年の正月を過ごせたと想える。平凡な幸せが今年の我が家の正月にあふれていた

 時間かかるのです