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    2011年  06月前半の日記

    
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  7月01日  塩竈快晴 

仙台駅で森田一弥さんに会い 塩竈の有名物件の被災状況を調べ 時間があったので 桂島から朴の島を巡った島々の津波の被災状況を体験しながらそこに 被災後その島々に生きている人々の笑顔にふれ 職人さんと語り なかなか 島々の港の津波の被害は全体に的には3割、程度で地船着き場の盤沈下が1mぐらいなので満潮になると 水没していた。動画を撮って いずれ繋いで公開する  
 


  6月30日   塩竈準備 の1日 早大の文字起こしをすする



 6月29日  

仕事場当たりは福島市内のなかでも放射線量が高い 2.3〜2.5μsvぐらいなのだが 暑すぎるので窓を開け放ち 自らの身体に自分で人体実験をしている と書いても どのようにダメージがあるのか 測定する機器もなく単に躰に害が出てくるまで 何もしようがない

■1月ぶりに動画を公開する myフォルダ内の動画データをそれぞれつなぎタイトルなどつけてレンダリングし直さないと公開できない 40分ぐらいで書出2時間以上掛かる ユーチューブに転送するにも1時間以上は掛かるだろう 撮るためにその地にいかないと その人に会わないと撮れないしデータを加工し公開する時間も多量に要る 

観る人が少ないとやらなくなる人が多いだろうと推測 おれは後々の記録として使いたいので 単に続けるために公開までの作業は続けたい 311が何かは 5〜10年後ぐらいに考えればよいとノンビリ構えている

それぞれの311in金沢  おおよそ49分ほどの動画を公開する


 6月28日  野鳥さえずり 植木職人は家々の庭の手入れに忙しい

金沢、神戸、大阪、京都、唐桑町で6月に撮り貯めた動画を見つつ繋いでみた。失敗の連続でまだまだ 動画ソフトの使い方が分からない

■無理せず 動画ソフト使用法が身につかない場合は無理せず 依頼された建築だろう図面を描く 設計図にならないような書き方をいろいろ試してみる

設計するってなんなんのだ 既におれの頭に出来ている概念をその敷地に合わせて微に入りあれこれ調整を続ける作業のことななのだろうが 色々やってみよう 思わぬ「何やら」が現れてくるかもしれない 

■動画ソフトの使い方を支援していただくために 外注の人に少し手伝ってもらう、自分で動画を繋いで アップできるようになりたいものだ 画像ソフトも初めは使えなかったが 諦めず使い込んでいるうちに 覚えたので 動画ソフトもその手で焦らず少しずつ日々暇をみつけては 触り続けて 動画をアップできるまで にはなりたい

手を掛けようと思えばきりがない 能力がないとある能力でできることだけするのでそれはそれでいいと考える

45分の動画を書き出すだけで 2時間ぐらいかかるようだ アップするのも何時間かかるのか試してみたいが 今夜中にはできそうもないな

■ 国地自体にいよる放射線マップ 
  我が仕事場などは 2〜2.,5μsv 当たり 予想通り堀川町の処理場たかし 阿武隈川もそうとう集まっていそう などと


 6月27日 少し 梅雨天気

6月に撮り貯めた動画をなんとか繋ごうとあれこれ 試しているが うまくいかない 試行錯誤して間違えながら覚えていこう レンダリングに時間がかなり掛かるのでコツコツ作業をしていないと 動画データがたまりすぎて手に負えなくなりそうだ 慌ててみる 

全国各地の大勢の人に話してもらったので 一人で見てては怠慢なので 公開したいと思いあれこれするも ほとんど進まず  今日1本レンダリング出来れば充分と思い大らかに構えよう と焦っている


 6月26日  梅雨特有の1日 あめふり

須賀川市のHさんに依頼されている 冬の家を設計するための打合せをする 定年になったが 安積高校に週4日通い教えているとのこと 奥様は来年退職かもしれない 23年ほど前に作った BOX5だが もう一件つくりたいとのこと 

須賀川市内の被災状況は解体された建物で空き地が目立つが 被災建築の修繕はあまり進んでいないような外見だった

往復に各駅停車に乗る 行きも帰りも社内で出会う福大生はほとんどマスクは付けていない、不思議であった

夕飯食べに飲み屋よ寄り呑んでいたら オヤジに絡まれた、向こうは俺に絡まれたと言っていた。 興味ぶっかった、原発事故後福島市内は安全であると信じ込みたい、それ以外は考えたくないオヤジは 少しでも危険であると語ると絡んでくるのであった 安全であることと安全であると思いこむから安全であることは かなり異なるのだが同じ仲間になりたいようなので 笑いながら話しているとますます怒るのだった

 もはや原発病まっただ中なのだ。こんな状況が30年間以上も続く福島市内に暮らしているの意義ははほとんど無いと 俺は思うのだった 。古里捨てて巷に出れば〜・・・・という詩が聞こえてきた

■my長女と 鼻の手術を含め あれこれ 長電話する 



 6月25日 曇り よる雨落ちる

中京テレビの笠井千晶さんの文字データを整理し転送する 夕方来週の調査からの調査についてデータを整理する



 6月24日  時々小雨 梅雨特有の蒸す 暑い

充分寝て起きて 午前中しこしこ文字起こし 午後 街中の銀行にいく 放射量の多い雨が落ちてきそうなので 降り始めは危険なので大急ぎで戻る。α線は5p以下しか飛ばないそうだが γ線のように計測できないので 皮膚に着いたりすると厄介になるからだ

午後もしこしこ文字起こしをする 中教テレビの笠井千晶さんの講義

■公開された結果をみて 俺の暮らしている当たりは 2.3〜2.6マイクロシーベルト/時間だと判明 α線もγ線も多量に落ちているだろうと と考えるべきなのだろうな それにしても屋内にずーっと居ても 2ミリ ずっと屋外暮らしなら20ミリシーベルトになる数字だ どうしようとうろたえる も色々考えて諦めることにするが もう一度「移住しよないかい」と 言ってみよう。

 
今頃測り公開しおって 遅すぎるにもほどがあるぜ 



 6月23日 早朝  ぐずついた天候 梅雨特有の蒸し暑さ 仕事場27℃

早稲田大学講義文字起こしをすこする。近頃填っているかもしれない「会津娘」4号瓶で 1250円だから高い を買って来て呑む でも家のみだから。昨日のんだ福島で最も安い飲み屋さんよりもさらに安い・30数年通っているが 311以降御役人さんに会うことが多いのは どうしたことなんだろう 庶民の飲み屋だったのに

会津娘を呑んで ぐっすり寝込む こころゆくまで寝込む ことにして寝込む 


 6月22日  とてもカンカンと暑い 熱風あり γ線に α線に熱線と合わせ技の福島 暑いのか危険なのか分からない 様

20,21の報告をまとめてネット関係者に報告する 。日記のデータベースになるので領収書などの伝票整理をしてしまう 

京都の報告会に参加してくれてた 松本崇さんから電話があり 福島大学で助手をしている友達の処に来ているそうだ。 夜呑むことになり γ線浴びにきたのだろうかな〜 

■京都の森田一弥さんに電話する 7月1、2日予定の 塩竈に来ていただき左官技術支援 それから車座会議についてあれこれ。


6月21日
  梅雨入りしたとか 暑いので7月と間違えて表示してしまう

早朝my長女の家を出て 鼻づまりの手術のために陸前高砂の病院にいく この3ヶ月症状はよくなっていない ので手術を9月9日と決めて予約をしてしまう 

その間は活動しながら 薬で凌ぐことにした 梅雨にはいったとたん暑い、し雨が時々落ちてくる 湿度たかし

午後塩竈にいく 塩竈のかまって難しくって書けないわ 口が4つ並んで蛇の尻尾がついているような感じかも 

斎藤善之先生と合流し K邸へ

1)斎藤善之先生が指南されているNPOみなとしおがまの皆さんは 物事を良く理解しネクスト社会を実践されている と私は思いました。k邸は平面図あり 立面図無 311により被災報告書あり内外部の被害情報を他者と共有するために書類を整えていましたその姿勢は各地の方々も鑑にすべきです

3)レスキュー要請は左官の技術支援でした。その場で京都の左官系建築家 森田一弥さんに電話しました。7月1,2日に車座会議を開くことになりました。森田さんにその会議に来ていただき 技術など支援をしていただくことになりました。運賃、宿、飯などは NPOで用意しますとのことです

4)大正時代につくられた産婦人科建築や周辺の津波被災建築2棟も見学しました一棟は解体されて何もありませんでした遅かったようです

5)千葉大関係者が以前測量などを行い中途ですが図面化あり図面は 完成されておらず 課題が放置されていました(大学系は人が変わると その地域が放置されて仕舞う、その問題あり)311以降の建築班の活動も同様な穴に陥る可能性があると考えていました。野帳内にあるデータを 正式に誰が共有できる図面とするのか。仕上げるか?問題とデータをどこに置くのかなど その課題は通底していました

建築士の方や職人の方も参加されているので7月1,2日それらも話し合うことが出来るよう マネージメント予定です

5)木造でモルタルで被う 偽洋風建築に見せる手法は日本独特のものでしょうか湿気と腐敗に弱い木造 そのの欠点を助長しまう構造手法でもあります。庭の木々との関係も今後話し合いし 構造体が腐っている問題を解決しないと表象を修理しても 崩落してしまう問題があります そんことも 次回車座会議で話し合ってみます などどメモをまとめておこう



6月 20日  

早朝 放射線ふりしきる福島駅を出て仙台に来る。午後市内の被災蔵を調べ、どりっぱな施工業者ということで紹介されたので現場である。予想道理の展開となる  やれやれ 。何の因果があって分かっていることを されたりするのか?と たたずむ。 できることを処置して戻る

初動の設定の悪さがそのような結末をもたらすのだが、そのように委任範囲を決め案を出しても理解されなかったのである。

 震災バブルのして起こる様 あきれた堂々巡りは 専門家が引き受けるしかない。相手からみれば話は別になる。施工業者にとってはあらぬ外敵が現れたに過ぎない構造になっていることを理解できる人がいるだろうか? 説明するのが難しいし 社会はそちらの流れて動いていて潤っているのだ。でーおれが思う問題点をsyてきしても しょうがない様になるので 単に付き合っているだけだなのだ。

人はこの解っていることを解っているような結末になるけども行えることによって、力を蓄えることができるのだろう と考えて諦めた 

明日はどんなことが起こるやら 311以降色々な蔵に出会う 蔵なんか好きになれないよ 蔵好き者よ早々に現れて作業千回



 6月19日  

今日までの資料を整理しまくり 明日からの仙台での蔵調査の準備をする あまり進まず 蔵の図面などお金を払えば進むのだが ボランティアで作図を急がせるのには無理があるので 俺が書きまくるしかないのだろう やれやれ 野帳と写真データがあれば 粗い記録は作れるだろうと 楽観して 活動を進めよう


6月18日 昼 こ のち夕方上がる やや蒸し暑い

・早稲田授業 文字起こし 丹野恒一さん分 仕上げて電送する 

・動画データなどを大きな外付けハードデスクに移動する

・夏の鮪立湾での活動など色々考えて 事前に手に入れておかなければならない、整理しておかなければならない 内容をあれこれかんがえて 色々な人に連絡する。

・乗りかかった船なので キチントデータも共有化できるようにしたい。活動途中でいろいろ 面倒な人間関係のトラブルが起こっているが 活動動機が不明だったり 共有できる考え方なり 哲学とは言わないが 生きている目的など合わない人と 活動を続けていても お互いに不愉快で効率が落ちるたけなので 活動も第二段階に入ったのを機に 人間関係を精査し整理 事に当たることにしたい と 思ってみる 



6月17日  のちあがる 

震災からまりの対応に追われて どんどん時間が経過してしまい 記録がないと記憶を確認するものがなくなってしまうので、とても拙い状況がつづいている。一応領収書を整理してるので それを見るて写真データを合わせると記憶は蘇るだろうとたかをくくっている。

早稲田大学 の講義 丹野恒一さん 「性分化疾患」についての粗文字起こしを完成する。DVDが届いたら観ながら仕上げる。

昼飯を食ったあと 食材買い出しに行く なるべく内部被曝を防止したいので放射線量の多い地域の産品は買わないように品々を選ぶ。

my次男は今月から職業支援とかいう公的プログラムを使って 近隣の農家で働いている PCばっかり、PCにかじりついている生活が少し嫌になってきてようで、リアルな農作業をしつつ よる音楽などをつくっていようだ。サクランボを少しもらってくる、汚染量はわからないけど あまずっぱい佐藤錦を数粒喰らう

すこしゴタゴタがあり 統治能力がないのに作業だけで満足できる人には付き合いきれないと 思うので ドンドン作業を進めてしまった やれやれ 

 6月15日 

 13日の夕方からでかけ宮城資料ネットで色々打合せを行う。夜はmy長男長女とで数ヶ月ぶりの夕食会。お互いなかなか大変そうであるが 311後の世界に生きているので 多少の凹みなどは仕方がないのであるが お互い疲れてているのが分かる、仕方がない

 14日 午前は仙台市内の蔵の応急処置をする。午後石巻へ行き 本間さんと残った蔵や建築業者に会って見積もりや行程などの打合せを行ってて 夜福島に戻る

■お爺さんのこれには堪えるのだろう 眠くって仕方がない1日であった。午後早稲田からデータが送られてきたので 丹野恒一さん の講義を30分文字に起こして寝る 寝ても寝ても眠い 眠り病になった気分 真夜中から雨になりったようで夢のなかで 雨音激しい




 6月02日 さわやかな風と五月晴れ

寺尾ユリ子さんの家の屋上で昼飯をごちそうになる 3日乗る予定の電車の時刻だと金沢滞在時間が少なくなり、神戸で多量の待ち時間をもつことになるので、金沢駅に出向いて3時間指定券を3時間遅らせる 

CAAK直ぐそばの寺尾さんの家で、ティータイムを持ちつつ早稲田大学の授業の音声データをダウンロードする。今日の授業は鎌仲ひとみ監督の講義であった。1時間半びっしりで質疑応答が持てない音声データだった。文字起こしをしている時間がない。

少しデータ整理をしたりメール整理をして いるとCAAK講演の時間が迫ってくる、食い物は持ち寄りせいになっているので、寺尾さんは唐揚げを作っていた うまそうだが我慢している





 6月1日 福島  金沢 

強から各地に暮らしている活動資金支援者に対しての、第一回被災地よりの報告会をするので 福島を出る。各駅停車にて金沢に夜着く予定

福島8:43 郡山9:33 会津若松 10:54 新津 13:14 昼飯と待ち時間で1時間 新津13:14 直江津 15:54 富山 18:09 金沢19:37着

福島駅からは福大生が大勢乗っているが マスクの着装率が10%未満だろう、放射線量が多いので30才までの若者はそうそうに原発事故疎開を行い、次の社会をつくるために健康を大切にしてほしいと願いばかりだ。 もうじき311から3ヶ月が過ぎようとしているのにいまだ 大学の方針は定まっていないのか 無責任に指示せず被曝を放置しているとしか思えないのだが ガキ生に直に聞き取る時間もなく見過ごすのみ。

郡山〜若松の間は各車両ガラガラで 車窓からみえる新緑に目を奪われて時があっという間に過ぎてしまう、会津盆地に入ると田植えの様子が見えたりして 当たり前に農作業を行っているのだが、福島市内の様子が変だから、別の惑星に来ているのではないかと感じてしまった。

会津若松から新津に至る移動は車ながらなんども体験しているのだが電車では初めて経る景色ばかりで こちらも楽しい 阿賀野川は地形と対話しながらうねうねゆったりと流れていて 川面のそれらの関係性も個性豊かで変化に富んでいて美しく見飽きない、 飯豊のあたりの山中には残雪が残っていて、新緑とのコントラストも美しい。放射連量が多い福島市から離れるほどに肩の力が抜けていき、何でもない風景が、ぐーっと美しく見えたりする 原発事故病目のなせる技なのかもしれない。ぼんやりとそのようなことを思った。

新津に着いたら昼飯を食べに途中下車しようと思っていたので ぐーぐー鳴る腹の虫をなだめながら 30ほど耐えた。

新津に着くと空は灰色一面で 進行方向が暗いので雨が来るだろうなと思うも 放射線がほぼない穀雨なので それも豊かさの一つだと思う

新津に着いたら 金沢終点の特急が下車した目の前にやって来たので飛び乗ってしまう 食堂車ぐらいあるだろうと思うも無くて 1000の車内販売の弁当を買い求め喰らうも、あまりにの不味さに 新津で昼飯喰えばこんな目に遭わんで済むだろうと 後悔が湧き上がる仕方のないこと 

新津からは一気に特急だが、あんがい自動車のスピード並でノン振り走る電車であった、北陸新幹線の工事が方々で進んでいて北陸へも長時間費やさずともお金持ちなら行ける時代がやってくるのだなと思う 

★★ 金沢駅には予定より2時間半も早くついてしまう。橋本浩司さんに電話をする 8時頃CAAKで夕飯を食いながら古建築測量半と中村彩さん、寺尾ユリ子さんの6人で 前夜祭をすることになる。

CAAKに着くと吉田健二さんが 早々に来てしまい、慌てるもメールるなど整理するあいだ 待ってもらうう。吉田さんが缶ビールを買ってくる。呑む、女性の愛し方などを伝習するも 要領をえず だべっていると寺尾さんが7:30頃やってくる

8時頃 中村、野田、橋本が食材、酒をたんまりもってやってくる、宴会が始まるも吉田さんの独演会場となり 他の者皆涙をこらえ腹を抱えて見事な芸のかずかすに圧倒されてしまう。時も12時となり解散する

 寝る