佐藤敏宏の 2010年 01月の日記       home  

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  1月31日 晴れ 

 のんびり過ごす ゆーちゅうぶで マンガ夜話を数本みる なかみはほどほどにし  構成と進行などを主に 1月がようやく来た感じ 


  1月30日 晴れのち曇り 

 正月を挟んで途中 精華大の「マンガ◎△概論」の5、6コマ急遽文字起こし依頼があり 大幅にずれ込むことになった。 軽く1月で終わる予定のじゅっくり会in京都文字起こしとweb頁つくり公開、1ヶ月延びて今日なんとか終わる やれやれ

今日は浅野翔さんの記録を公開した 30分プラス聴衆のつっこみ10分ほどの内容だ。

30歳前後に聞く」と設定してるんだが、30才前に建築の界隈から消えて無くなってしまう人が多いのではないか。建築あそびで 元気はつらつに関係した若き人人は大方消えた。かなり厳しい界隈なのだろう建築家界って。 で、俺には珍しい人種である (東北大の加藤拓郎さん 神奈川大学杉山聖昇さん)学部生のインタビュー記録は3人目となった。 現在京都工芸繊維大・大学3年生なので最も若い人の記録と言っていいだろう。彼らがおおよそ10年後 30才過ぎて 華々しい活躍をしているかどうか?記録しよう

浅野さんの記録の特徴は ツイッターを使い出した学生さん(ツイッター界では有名らしい)の生な声を記述している点と 話し合いの中からでた 松岡聡さんの発言 作らない者が批判できる そこが建築分野のよさ!それをを皆で確認した事だ。

作る人をありがたがる偏重の病が蔓延してるそうで、俺のような長い間作らないでうろうろしている者を敗北者と決め見ているんだそうだ。俺はそうは思ってないけど、他人は勝手に思う 互いに 勝手にしやがれだ。

 建築を共有の財産として語ることが少なくなる、その源の 因を吹き飛ばしてしまう松岡さんの言葉は今後 輝いてほしいものだが・・。 

偶然の出会いとはいえ 松岡さんは森田さんが推薦しただけはあった。森田さんの労にも感謝もうしあげたい 京都じゅっくり会の提案者は岡田栄造さんであることも記しておこう 。 色々な人々に支えられ 楽しく有意義にしんてんした会合であった

 1月29日 日中鉛色の雲が山々を覆うも 夜晴れる

牧野研造さんが持参した猪の肉を調理し、 真ん中にある猪鍋をみんなで喰らう絵

すき焼きくうような生卵につけて喰いだしたのを  写真を撮ったのは昨年の12月13日AM0:19。だいぶ真夜中だ

京都工芸繊維大学 3年生の 浅野翔(かける)さんが じゅっくり会in京都に参加してくれて、まずは腹ごしらえ

その後 インタビューした 30分ほど 後10分ほどはみんなさん 参加でワイワイ。主に松岡聡さんが話ていた

浅野翔さんの肉声を文字に起こしを終える。 明日web頁を作り公開できれば 嬉しいがどうか

学部生との出会いはほとんど無いので、珍しい聞き取りとなっている。社会人の方々よりキチント長く話を続けているかも!  これだけ話せれば将来には かなり 語る人になるのではないかの感あり

■my長女と長電話。 研究の成果や 我が家の飼い猫など 色々 ダベル


 1月28日 曇り すこし雨あり 

家人が今日もある物を見て ゲラゲラ笑った! 笑う門には福来たるなんだ。春間近かもしれない まあ2,3年焦らずいこう。焦ったところで 空になった財布が満ちるわけでもないし つまらん事物に出会って貴重な時間を失うだけ

我が家のような やる気のないエア人間たちが 猫2匹と のんびり暮らしている平凡なというよりは財布見事に空っぽ!!一生・経済危機!の中  殺し合い、傷つけ合いもせず 何年も暮らしている。そんな人びとは少ないかもしれない。

 公共サービスが行き届いて仕合わせになれる、なんて事は不可能で 自分で楽しく暮らしを発明し続けて生きる  適当生き日常についていずれ書いてみたいものだ。 そのためには 今年は人に会インタビューする機会を極力減らして のんびり何もしないで 生きていた と思ってるが・・・・ 去年聞き取った文字起こしだが まだ少し残っている。文字起こししてたら、あっという間に2ヶ月が過ぎ去っていきそうだ。 

■ 松岡聡さん 記録を公開した 前半1時間は 松岡さんの生い立ちなど、 後半30分は 子だくさんについて 楽しいワイワイ 



 1月27日 晴れ 空気が澄んだ月夜  暖かい

家人 家猫腎臓病通告ショックより立ち直りつつの感あり なんやらの知らせを見て吹き出して笑った!! 

■ 松岡聡さんのweb頁を作り始める、写真データの処理をすませ 2頁ほど仕上げる。

 じゅっくり会では 5時半ぐらいから1時間ほど食材の買いだしを、門藤さんとした。鍋調理したりした関係で写真を撮り忘れている、撮る暇が無かったので枚数が少ない。集合写真も無かった。

悔やまれるも遅し。 ぎっちり詰まって何度が集合写真撮ればよかった。


1月26日 晴れ よる雪 

なでやろう? 昨日やる気が起こらなかった文字起こし 元気が戻る 

現在京都造形大の専任講師をされている 松岡聡さん肉声を文字に起こしてしまう。

12月12日に行ったじゅっくり会in京都 記録作り 第二弾 松岡さんの話1時間 俺酔っていた頭回ってないけど仕方なし 

後に1997年前後の京大布野研究室の仲間がや入れなかった同期の人人ワイワイ30分ほど

 建築系の研究室の先輩後輩が十数年後に集まり酒飲み語るそんな記録は無かったので 酔っぱらい話だか記録として、珍しい集まりだったので 残しておこと思いじゃんじゃん文字にする 当日は京大卒だけじゃなかったので 嫌いだなと思った人も居ただろうが まあ許してもらうとする  明日からweb頁作りでき次第公開する

昨年 12月12日の新聞一面見出しを貼る (左 朝日 真ん中日経 右 読売) あの日はこういう事があったのだ。社会面三紙で同じはウッズ選手の不倫騒ぎでツーア出場自粛みたいな話題 そのなこと構わず 翌朝までワイワイ続けたよ

■12日第一弾ワイワイ記録  アガカーン賞の 王路 話し合いに参加してくれた 江崎貴洋さんはハイチに建築再建にでかけるようになるかもしれないとのこと インフラめちゃめちゃなので大変だと思うが 頑張って活躍して戻り また先斗町で1週間ぐらい続けて打ち上げやって欲しいものだ


  1月25日 晴れ 夜あたたかく小雨 

■ほとんど行かない中心市街地へ 月末の雑事をこなしに町へ 
■松岡聡さん文字起こし少々する
ツイログを作る 、呟き一覧表 12.1呟き/日だそうだ 

■映画 アバター観に行こうと思っててもなかなか実現出来ず 今日も逃した 
■我が家の 「猫 腎臓が生まれつき悪いらしい」 と話すmy次男「世話する」 俺とは性質が違うのは当たり前 

■鼻づまり薬のせいか 思考の持続力が無くなってるようなようだ 山羊の糞みたいにぽろぽろした書き方だな〜 日記に現れているな 

1月24日  晴れ 

■ 松岡聡さんの文字を起こしはじめる 8分ほど起こして休日

■ 我が家の白黒色の飼い猫 内臓が悪いそうでガリガリに痩せて来た 寿命みじかい かもしれない。 逆アニマルセラピーのような 他方にストレスが加わらなければいいのだが。


  1月23日 晴れ 

■風邪症状のあと鼻づまり治らず寝苦しいので、耳鼻科にいって治療してもらった途端 大寒が鼻の穴をかけ入る。きもちよか〜鼻の穴に空気がすいすい通る

じゅっくり会in京都 第一弾記録 森田一弥さん渡辺菊眞さん 江崎貴洋さん話し合い 「アガカーン賞の王路」の公開する 記録へ 

三人が 互いに 他個紹介 他者にはどう見えていたのかを初めにしていただいた。紹介は、江崎貴洋さん情報が無かったので多め話してもらった。 のちアガカーン賞を取るのだぞ〜作戦会議となる、笑える内容! 内容については解説したことがないししないので 読んでいただければ 嬉しい 

■じゅっくり会in京都文字起こし最終見通しがつきつつあるので。俺のツイッタも含めて 建築系のカキコは ほとどど 面ろくない! と書いて敵をつくてと  で myツイッターフォロー数を100人まであげる 混雑いいなだ〜から混雑がよい具合になっていきた 

ジャーナリスト マンガ家 作家 詩人 映画監督を見つけてない いろいろ異色の人を捜してフォロー 政治家は下心みえみえで分かり易い 

中学生以来エロ小説読んでないな〜 寮で同じ部屋のタッチャンは 川上そうくん大好き人間だったが、何時読んだか記憶がない エロ小説 男に読ませ勃起させ達人 それが仕事の人 

 77才 団鬼六さん書き込み(本人は書いてないんだろうが・・カキコの流れみてると・なりすましが書いていると俺は思う)こんなかんじ 男の妄想的女在り方!は参考にしべし 「十年、一昔というけれど、あの頃は女性のあそこのヘアーというものにはそれだけの価値があったという事で、今のヘアーの安っぽさに驚くばかりだ」  あそこだって、ほほえましい おまんこの毛は昔も今も同じで 価値なんかねーよ男達が捏造した幻想だよ がははははと 笑ってしまう リアストの俺。 エロ小説読めないわけだよな。 そのロマン語りを ほほえましい と思うのである

 20年後は 超・品の良いエロ話(むずかしそ〜)ができるお爺さんになろう 


1月22日 晴れ 数日暖かかったが 雪もちらつき 夜冷え出す

■食材を買い出す。 家人my次男ツイッター効果がつたわったかのようでしょうしょう親切ハートが戻っきて、コートのボタンを修繕してくれる
森田一弥さん渡辺菊眞さん 江崎貴洋さんに 「アガカーン賞の王路」 をweb頁を すこし作る

 1月21日 晴れ 

■熱無くはなずまり 風邪症状 改善せず 寝る時間を多くしよう 酒は呑んでない

■文字起こし森田一弥さん渡辺菊眞さん 江崎貴洋さんに 「アガカーン賞の王路」をしこしこ起こし 夜 web頁を2枚も作ってしまった、やり過ぎかもしれない、今週末に公開できそう 

■my次男 ツイッター効果 かもしれない、他者に認められるってが重要 よく話をするこの頃。 精神的にストレス掛かると どう考えてしまうか どうなるか 分かっている・・・ そんな内容を語っている。 時間掛かるのよ って唱う 矢野顕子の歌を思い出した 時間掛かるのよ!


1月20日 曇り 

風邪症状ぬけでず 熱無く咳は出ぬも鼻づまりあり

■12月12日におこなったじゅっくりの会in京都前段の絵右から 森田一弥さん渡辺菊眞さん 江崎貴洋さんに 「アガカーン賞の王路」とし

 中東やアフリカ東南アジアの災害地域などで建築家として活動する事の問題や面白さを話し合ったもらった

江崎さんの話もめちゃ面白く 一度読んだら記憶に残ってしまうだろうほど濃くって泣き笑いをとなるろう 関西ならあり得る 内容 

話し合った会場は川勝真一さんの家の2階で6帖ほどのゲストルームを借り、1時間半ほど話し合っていただいた。 その内容を50分ほど文字に起こす 

2時間ほど文字起こししてた 料金が振り込まれている 嬉しい 今年初入金! といっても俺の一ヶ月分の食材費と「ことば悦覧」のための1回分の交通費(活動資金)ほど

ささやかなお金で色んな事が出来るので、無理せず今年1年の活動資金をえるための 文字起こしバイトもしよう

 1月19日 晴れ 暖かだそうだが俺には冷える 

熱はないけど 鼻まわり風邪症状ありて、はればれせず 

渡辺菊眞さインタビュー記録をつくり公開する。菊眞さんとは7,8年会っていなかったが、去年の12月12日西大寺駅傍の事務所で2時間ほどワイワイして肉声を採取 そのまま文字にした記録である。 建築家の20代は色々異なった活動をするべしの見本のような人である。その経緯の大地に花開くものは多いようだ

良い境地を拓いて 建築や建築の教育の場と関わっていた。7,8年前に身を包んでいたあの苦渋が消えてて 楽しい内容になっている。 人とは長い間付き合って観ていないと その人間の本質は分からないものだが。まだ これから 能力が大きく花開く時期がやって来ることだろう。

菊眞さんの様な構え方で暮らし 建築と関わる人が居る事実は これからの 俺の(日本の) 建築の希望であり 多くの人々の誇りとなることだろ  多数の困難は予想できるのだが 今後の活動の飛躍と その幸運を祈念したい

■引き続き 京都の川勝真一さんの家を使い込んでしまう 「 じゅっくりの会in京都」 に移動し 建築家ととNGOの活動の関係や 「アガカーン賞の王路」を森田一弥さんと江崎貴洋さんの三人に語っていただいた。 記録は来週初めには公開したいが 

1月18日 晴れ 冷える

■部屋に閉じこもってweb頁を作っているだけなのに風邪気味 食材買いだしでもらったのかな〜 手洗いしているのだけど 体力落ちてるからから トホホ すこし鼻水でてきた感あり 

■週刊誌の表紙にmy次男ツイッターアイコンも印刷されたとかで、見せてもらう ツイッッターはいま話題らしい 、たしかに ある種の領域に効果のあるのは認める

渡辺菊眞さんインタビューweb頁つくっているも 終わらず 明日公開したいが


1月17日 うっすらつもっった雪 晴れ

渡辺菊眞さん文字起こし終了  web頁を作り始める 今週前半には公開できそう 記録はまいどのように批評もかく書かず マトメもなくリード文も書かず である

批評家ではない。建築を設計し建築を作ってた者として 批評されある種のカテゴリーに仕分けされて語られる事が気持ち悪いのである。建築家の可能性を拘束するかのような記録はつくりたくない 不親切でまとまりのない 記録。文字のの羅列様相。 過去の記録もこれから作る記録も成っている 勝手に読んでください という不遜な態度 

■東京地検と民主党の闘いのように仕立てらえちゃってるよ。本丸いかず秘書ばかり逮捕してるのはどうしてか。 一人の政治家・小沢政治資金問題が、明日から国会が始まる国全体の政治に悪影響を与える。

このままで進展すれば通常国会はグジャグジャになり、審議すべき議題は棚上げお蔵入りになってしまい 政権交代の意味を主権者が確認するまえに政治不信を加速させるだけだろう

民主党は小沢党だったような気配で内部からの発言がほどんど出てこない会津の黄門さまぐらいか。小沢氏に権力が集中し過ぎて民主党内の言論の機能停止に陥ったような気配。 田中時代に時間を戻ってしまったかのような錯覚すら覚える。未成熟な政治状況を見続けることが肝要 


 1月16日 晴れ

■食材を買い出す、久しぶりにイナダ400円弱で買い刺身にして喰う スーパも産直販売所や ネット販売の圧に抗うように 対抗手法を次々繰り出し、共食い状態になっているのが手に取るように分かってしまい 安いのはいいけど 店が消えてしまうのは困るよ

通販手段は従来の売り方の洗練と宅配の輸送ノウハウと需要と供給サイドをインターネットで効率よく組み合わせ で成り立つので現状では脆弱この上ない在り方だ。 まあ一時的に楽しむのはいいが 地のストックが分散されたり 極端に販路を一次サイトがを握っていまう問題がある。 楽しむにはいいけど、資源の(儲けの税負担) 配分方法を考えないと 地力はドンドン削がれて行くばかりあろう

 上手くやるやつと出来ない奴の同地域での格差が増すだけだ幸ではないだろう すべての人に努力が足らんと言い放す馬鹿を沢山出来そうだ

 そんな単純に事をかたづけてはいけない問題だと思う 

渡辺菊眞さんインタビュー文字起こしをすこしこする 1時間10分ほど起こす

菊眞さんとは20年ぐらいの付き合いなので色々話すことはあるが、まずは 彼の生い立ちから聞き ざっとこの10年ぐらいを語ってもらっている

 明日で 大方 菊眞さんの文字起こしは終わるだろう 菊眞さんに対する誤解やケツの穴ヶ小さきものが垂れ流す誤報が消えることおを 願ってのインタビューになっている 早く公開したいが手は動かないね

生理痛の女から電話あり しょうが入り ぞうすいでも作って喰わせるのが良さそうだ が距離が遠すぎて 作りに行けず カンカンと 凍った夜の生理痛 夜を駆け 地を舞う 生の鼓動

近頃というか以前からそうだがフェミニストでもないんだけど 女性からのシモネタ相談を受けることは多い人生である それはそれで異なる他者を知る事になってしまうので良い

柳原照弘さんから長電話 「デザイ・イースト00を語る」を読んで後色々語る 今日は今年のDE01に向けた会合があるそうだ。 仲間同士で記録が誤読されると拙いので要点を数点指示する

雑談で 柳原さんは「えいぞ父を語る」も読んで諸クックだったらしい しかし多くの人の感想は 簡単すぎると記録し者として思う いずれ詳細を伝え教えないといけないと思うの 呟いておいた

数日で気になってる えいぞう「父を語る」の受けとめる質=受けとめた悲劇質が実に単調で薄い そういう受けとめ方をしてる者が多いって事 貨幣なんていうのは信用や差異の別称なので一方的に成り立ってはいないので 金融の知識と事実を知らない 同情は糞野薬に成らん そんな馬鹿では建築は作れぞ

人間の底力を知っている者が少ない のだが 金融やそれにまつわる法の基礎知識が無いと単に恐れるだけで お化けを怖がると同じだ。

 本当のすごさや悲劇を知ることには成らない 眼を閉じるのは勝手だが 俺たちは事実中にフィクションのような建築を作ってしまうの輩なので 事実を事実以上に知り咀嚼しえなければ無責任だろう。 唯脳天気な建築家で死んで行くのもよけど 馬鹿は死んでも治らない それでもいいけど 生や歴史から厚みが失う様な行為は 先人達に失礼というものだ

 
 1月15日 きょうも真冬日ように凍えている


渡辺菊眞さんインタビュー文字起こしをすこしこする 森田一弥さん山本麻子さんと京大で同級だったとか。各地ことば悦覧ではよくあることだが、聞き手の俺だけが皆さんを知らないで、聞かれている人達は友達だったり知り合いっていう構図

菊眞さんのことは学生時分から知っている。それに大島哲蔵さんからみで 多様な交流もしてて当時の菊眞さんを知っていて 森田さんから 「菊眞がアフリカやヨルダンでがんばってる」 って聞かされた時は学生仲間に受け入れられている菊眞さんを知って正直驚き 同時に懐かしい気運が襲ってきた

日本の社会は教育・大学関係で人間関係が構築されているので仕方がない。 若い学生さんを見てても思うことだが 他大学や他学部を領域横断し知識を吸収するような行為をする者出会うことは少なく 囲われるような(よい子たち)に見える だから そこで作られる人間関係が社会に出てからも持続していくのだろうな〜と。、持続するのは良い方で消えて無くなってしまうのが実体化もしれない。

京都でおこなった「じゅっくりの会」は 大学も年齢も職業も異なる人人の交流であった。 未来の人間関係像を体験したような気分でとても 面白かったし 色んなアイデアと困難を知ることが出来て有意義だった。

またデザインイースト00を実行した人々は単にその地域で生きているという若者達の連携によって、つくられたイベントであって、教育系列で作られる関係とは異なるのが特徴 盛衰を持続して観察することは重要に思う

教育機関を離れた後 野に在る者・社会人人が連携でっきる場をどうう再構築していくのは課題のように思う 

ハイチで起きた地震の情報がすこすずつ分かるように。国家存亡の危機のように見える 日本の建築界は世界でやることは沢山ある

■ 政権交代後初の通常国会前に 東京地検と小沢関係者の闘いがすざましいようで、公共放送で連日トップでニュースが流れている。 民主党 来年の予算はなんとかずたずたになっても通すだろうが、 さらい年度の年間予算くめず分解して行きそうな気配あり。 自民 民主ネガティブ攻撃しても 70才定年ルールを守れなければ(青木・虎などを推薦すれば)こちらも分解し政界再編は加速するだろう 去年の選挙後から予想されてることだが この数〜10年ぐらいの間はグジャグジャになって事が進展する 政治の激動期



1月14日 大寒 真冬日である 身の回り凍えてしまってる

■ しこしこ柳原照弘さん「デザイン・イースト00を語る」web頁を見直し 足らない写真など補足。夕方 公開する(web頁へ) 「記録を残すことは重要だがなかなか手が出ない」と柳原さよりメールあり。 

何かについて 記録する行為は当事者ではないほうが良い。当事者だとどうしても自らに都合のよい情報だけを整理して発信してしう いわゆる嘘視になる嘘史を、見せられる者は ほんとに嘘くさいく 事実味がなく 厚みの無い御都合主義記録に見えてしまうことは多い。

主催者が自らを客観視した記録を作ることは不可能なので やる気が無くなったエア人間である俺のような 空気を漂うようにいボンヤリ生き酢かしっのように単に臭いだけの余暇人間リクリエーション・マン)が のこのこ出掛けて行って、聞き取る意義がそこにある。まだ実行委員5人の中の柳原さんだけの記録なんで 厚みはあまり出ていない。夏にかけて肉声を採取し 記録を増していく予定である 

身の回りには 子供のころからよい子教育が行き渡り切って 成功話被害に遭って自らの首を絞めてしまって先ばかり見え 足下を観てない者多し。 

生きる喜びや 単に生きている事のすごさを忘れてしまって
 いる教育震災若者は多い。 事実を知ることなく自分を救出すことは不可能だが、そうは考えてない。 世間はいいことだけ教えて人を促成栽培してる。教育・情報震災に遭ったような 被害者の救援策は 教えない。 システム人間が溢れている  

■ 昨年12月12日に奈良で会った 渡辺菊眞さんの肉声を文字にし始める。2時間弱あるので、来週半ばに公開できれば 余暇人間!


  1月13日 大風 霰 

鹿児島や熊本に5pほどの大雪とか。午前中大風吹き荒れ恐ろしいほどの音あり 外へ出ず静かに居る 

午後 柳原照弘さん「デザイン・イースト00を語る」web頁つくりはじめ 夜終える

えいぞう・きみこさん「新居を語る」を公開したら軽い感想があって驚く あんなにずたずたになってもまだ 建築を信じようとしている 岡田夫妻は例外の熱意ある、建築愛の深い 発注者である。

建築系側のノー天気で甘えた読み方をしてては建築の事態はよくならないだろう。記録の行間や、言葉の裏をそして記録を作る意図を読めないようだ。その様な情報解読の経験で建築家になってしまうようでは これからの社会にも困った存在のままだろう。

あれあれと思うようなコメントが出てくるのは現在の建築家教育や建築家の関係が病んでいる証なのだろう。出来上がった「建築の質」とはなんら無関係だが、ここで起きてしまったことは 「異常な事態」 だから記録を作っておかねばと考えたんだ。


1月12日 曇りのち小雨 東京初雪だそうだが 雪にならず雨

昨夜は えいぞう・きみこさん「新居を語る」のweb頁をを作り上げ 栄造さんにお知らせメールした後 

 深〜い眠りに入ってしまい 十数時間 夢を見続けながら寝込んでしまっていた。夢の中の不思議な部屋に暮らしていて 出て帰って来たく無かったんだと思うな で目覚めても 眼を閉じつづけ 続きの夢をみていたんだろう

 気持ちのよい 夢の数々を伝えるためには 言葉にも絵にも描くのには 夢は豊かすぎて途方もない時間を要するのが難点だ 瞬時なのになんであんなに情報量が多く有るものなのか? 

my長男が訪ね来ていらい 数ヶ月仕事場には誰も訪ねてもこない。 ドアのノック音がしても出て行かないので来ない 誰か来てるけど居留守だめんどくさい   電話さえ鳴らないので 寝て夢を見続けるのに適した仕事場になっている。

以前は2日間ぐらい寝込んでしまい 死んだと思って家人が見に来たけど それほど長くは眠りつづける体力が無くなったようだ寝込む時間が短くなていて 家人も来ない。ほどほどの夢を見る時間は確保出来ている

■長い夢から覚め 「じゅっくりの海in京都」2日目 柳原照弘さんへのインタビュー 肉声を文字に起こした。 柳原さん自身の デザインイーストについて語ってもらった内容だ。 数日後には公開する予定。

■夕飯たべてたら 公共放送でニューヨークタイムズが消えてなくなりそうだと アメリカの新聞の危機到来を伝えていた

新聞紙面は 無くなってもいいけどジャーナリストが作り上げる情報をプロダクトする何らかの媒体が無くなるのでは は権力の監視が効かなくなるので、民主主義を持続させるなら ジャーナリストを確保するための手法を発明しないといけない。

建築世界のようなある種の権力と併存ししてるだけで持続可能な部位では 民主主義との関係を発明できそうもないし ジャーナル主義と無縁の界隈ではどうでもいい話だが 

■年取ってお爺さんになると コレしたいなんて語れる夢は無くなってしまうものだ まだ見ぬ性器だって驚くような代物でもないし 彼女の言葉だって 同じようなもだと知っている そんなムダな夢を見、語るよりは 目の前の腐った性器のファクトの方が面白のはなぜか? 情報操作された社会から脱し切った あかしかもしれない ひょうやく ひょの事実を知ったのかもしれない それにしてもムダな性器を見続けたもんだ ひょな〜と  


 1月10日 晴れ まよなか風が出る

食材を買い出す。年末年始の一割サービス券を たくさんもらったので、使い切る。千円ぐらいサービスで手に入れた感じ、 元値を高くしてあったりするから、調子に乗って買ってはいけない 我が貧乏暮らしに付け回る空財布事情

夜に 酒を買おうと1枚残しておいたら、酒には割引券使えないと断られ寒空の下出掛け損した気分。1割分ランク落た質の酒を買う

オリオン座の左上の星が超新星破裂するとかで赤色ましているとのニュースをあり。ついでに眺める たしかに元気を失ったいるよう赤い色


■えいぞう・きみこさん「新居を語る」の文字起こしを44分ぶんする。

ちょうど1ヶ月前に3日間泊めていただいた おかださんの家の体験記は書いた

これからも それぞれの当事者へ深く入り込んで記録し続けることができるように思う。完成なったばかりでまずは 発注者から聞き取ったので 設計者そして担当の 構造家などから順次聞き出して まとまった2010年当時飾りの無い、そして 作りが少ないほとんど無い 生事実に近い記録を残しておきたい

そう思っている。たぶんそういう機会を持っ建築の事態はめったな事では起きない。 建築の神様のお計らい 巡り合わせの幸運だろう。


建築の理想は路上であると常日頃 言い放っている俺に 泊まって何か語って欲しかったそうである。今日の文字起こしの中身は 発注者とおれが 色々語ってるし、建築ができるまでの山在り谷在りの経緯などを聞きだした内容になもっている。



 1月09日 はれ 

年をまたいで依頼の大急ぎ文字起こし完了 大学マンガ教科書作成用 期限限定のケツ痛くなる〜文字にしの日々はようやく終了ホッ その間2升の日本酒700mlのウィスキーを呑みほす 3月には教科書として出版される予定 

この2年間でずいぶん本をつくるための賃あり文字起こしをしたもんだと振り返ったりする。建築系以外の文字起こしの方も面白いということが分かってしまった。各分野共通した問題でもあるように想えた問題もある。政権交代で政府の参与になった人間の肉声も文字にしてて、あの講義のときの肉声がどう政治に展開されていくのかを追跡できる点は予想外の楽しみとして残されている


 建築とは異なる人生の広さを肉声の向こうに感じることが出来て 興味深くもあるケツ痛い文字起こし作業の日々でもあった。

中断してたが 明日から「じゅっくりの会in京都」で採取した肉声の数々を文字に起こしつつ 2009年12月10〜13日の旅行記の続きを書き足していこう。


 1月08日 曇り 時雨る 暖かいようだ

大学マンガ教科書作成用 講義 文字起こしをする 1コマ分聞き直して 電送、のち30分起こす ケツいたし 明日で6コマ分全て 終わることができるかもしれない まあ のんびり起こそう 

マンガの講義はジャーナリズムの講義と違って超暗くてヘビーな重たい話がほとんど無い作り話の世界なので 気分も明るくすいすい起こせる。だから食事もすすむ そして 10分当たりの起こし賃料も高い めしうまってやつだ。

マンガの講義と教科書つくりの編集会議が同時に進むので本の編集者のつっこみとか参考になる プロはつっこみ方の厚みが違う 当たり前なんだろうが 編集作業ほとんどしたことない俺は勉強になる 来年あたり漫画家デビューしそうな気分になる おちょうしもんだな俺って


1月07日 晴れ 

ずーっと腰掛けっぱで大学マンガ講座講義の文字起こしをする ケツが痛い

象形文字ひらがなを使って文章を書いているオイラは マンガを読むのが極めて不得意。なので、マンガはほとんど読めない。脳が混乱するし絵を観ると妄想が暴走するので 読めない。もったいない話だが相性が悪いとしか言えない。展覧会で絵を観て話していて作家に殴られたこともあるし バケツで水を掛けられたこともある 無礼にも勝手に絵を読んでしまう体質なので あまり絵も見に行かないことにしている 

写真は好きでこれも語る。写真家は語り好きな人が多いので問題はすくない。福島で出会った森山大道さんに好かれたのか 殴ったる〜と思われたのか知らないが呑みに来いって葉書が 20年前に来たこともある 写真や絵を観ると何か語りたくなる体質が禍いしているんだ。ロバートスミッソンの悲鳴に似た写真は人間しか到達できない極北なので 嫌いではない。

 父親はマンガ大好き人間で、のらくろだの ふくちゃんだの少年倶楽部だのを買ってくすくすと漏らして暇さえあれば読んでいて、父の両親からひんしゅくを買っていた。 マンガのDNAは内包されているはずだが 相性がわるいのは母方かも 

日記はmyHPを持ち webペジーを公開して初めて書き出した 人生で日記を書いたのは10年前の48才からだから 遅すぎる 30代から48才までの本当に建築家していた、その生臭い話はほとんど日記に記録出来なかったので 悔しい webは日記を書くというより叩くって気分で本当に簡単だ

日記は親父も祖先もジャンジャカ書いてあって祖先の日記・古文書を見たことがある、とおに死んだおやじが祖先の日記を引っ張りだして 読んで聞かせてもらった記憶がある。手紙もあった。 女性が出したと思われる ひらかなだけの毛筆のラブレターを読んで聞かせてもらった記憶もある 庶民が漢字を使うようになったのはそれほど 遠い昔ではない。去年漢字検定機関の金銭問題がニュースになったほど今は漢字大流行

ずっとそうだが 書こうと書き出した 内容と 全く違う内容の日記になるな 頭イカレテルやちゅぱ   

家人は持っているはずだ そのラブレーターを子供に読んで聞かせたことがない 

 01月06日 晴れ  

近所の住宅建設現場賑やかになっている、日々出来上がっている外観をみるとプランがすっかり見えてしまい 小屋がたそそのままシンプルなハウスメーカの品が並ぶ

■ 栄造さん父を語る」はえいぞうさんが 兄姉やお母さんに記録を送りとうとう 本格的に縁者の間で語り出しそう。たぶん通俗的な小説より面白い展開になるだろう。 

期待としては 東南アジア一円に えいぞうさんの兄弟姉妹が20〜30人ぐいらい現れて、みんなであきれかえって開いた口がふさがらないので抱擁し合い 仲良くなってしまう、そして 親父を語り出すと 同時に地域の未来を語る展開になったらいいな〜と夢想している。

どうだろう 和冦だから船にも乗るし、東アジアの他人の妻も乗っ取るぐらいな 繁殖力が強いと想定してみた。中世期の 武士の発生当時のように 親父のすざまじい繁殖力によってサラ金のシステムを喰う尽くすかのように繁殖する、で 自らの命を縮める だから早期に日本でおろちょん演じたなら腑に落ちる、迷惑な話に決まっている

または サラ金使い込んで 海を渡り 戦後処理、戦中生まれなのに 自ら責任を感じ 枯れ葉剤や劣化ウラン弾を処理していて脳がイカレタとか。

それからお母さんが居直って実はね愛人が30人居てね〜みんなみついでくれてね〜〜でも一番愛してたのは あんたの 親父!! でも内緒で 異父兄弟がこんだけ! 

両親が お互い同じ合わせ鏡になっているもの いいな 

こんな せこい社会にあって自腹プロジェクトをしてしまう息子えいぞうさんを産んだ両親なら それぐあいは朝飯前だと想像している 
  

01月05日 晴れ 曇り 昼過ぎから大風ふきだし夜強し

 大風で東北本線が止まったとのニュースが流れていた 年賀状買った予想して買って枚数より多く 一部だせず 今週中にだせればいいだろう と買いに行くの諦める 

栄造さん父を語る」の中に出てくる旅館 鹿屋荘の写真がネット上にあったとの知らせあり

 昨夜は大勢のツイッターin鹿屋市周辺の方々から呟きありて ツイッタ威力を少し体験した気分だ。写真を拡大してみると鹿屋荘の文字が確認できた、1954年に第六回キリスト教会の集まりで鹿屋荘が宿泊場所になっていた その記録があった。記録のなかにこう書いてあった
一部抜粋する
 ◇祈り◇ 恵み深い天のお父様、1950年、昭和25年の秋、10月にマーク・マクセイ先生ご一家を鹿屋にお迎えいたしました。住む場所もないところに、アブラハムが知らずして約束の地に出て行ったようにして来られ、鹿屋荘という小さな旅館に仮住まいをし、宣教活動を始めました。

集合写真の人数を数えたら 外国の宣教師を含め 98人ほどだった 4部屋の和室10帖換算で 25室以上の旅館だったことが分る。季節は春か秋だろう 昼朝撮影したとして 門柱の影は右にながれて45度ぐらい 10時ぐらいだとしても 北側が門で玄関とだろうと推測してみたが どうかな 午後3時ぐらいなら 南東玄関かな分からんが  ネット力はありがたし えいぞうさんは 1970年生まれだから 生まれる16年前の写真ということだ。20年後に博奕のかたにもぎ取られてしまったわけだ。

独立したあたりで 昔だが 旅館の改修工事や事業計画は沢山つくっり実現したので 旅館の内部事情はかなり詳しいおれだんから。 ぐんぐん繁栄したり 潰れたり、夜逃げしたり、女将男と駆け落ちしたり 色々傍で起きて体験したいろいろな感慨が湧く

また近世期に俺の本家は宿屋をやってたらしく苅谷藩管轄だった当時の古文書があってmy長男が解読してくれたのを覚えている 旅館には縁が深いと思う

■依頼されている 大学マンガ講義教科書作りのための文字起こし 少し始める 今週中に納めたいがどうなるかな 無理せずいこう 


01月04日 はれ 

 ことし初めての食材を買い出す家人ことば数ぐーんと多くなりにょ! 元の家人力を手に入れつつあるように思うが 気のせいだろうか。

■すこし 年賀状書いた 手書きであるよけど それにしても選択縁社会ではあるとはいえ俺は人でなしのようであるな 市内には、ほとんど深い知り合いも、語る友もいなくなったな〜と 実感する2010年の 年賀状の様である 年老いるとはこういう事何じゃないかな 余暇 余暇人生 

栄造さんとの出会いは昨年3月幸運にもやって来た。 しかし ここまで幸運だと気付いたのは えいぞうさんの家を体験3泊4日を共に過ごしたそこでだね。

エア建築家を名乗ってすぐ幸運が訪れるのは 元建築家の俺にはなんとも 憎らしいような 羨ましい限りなことなんだな 

生建築家だった時分には 自分が発明した建築の形式の中で 他の人々が生きている様を想像し 生きている姿の家を共に生き 観察できる贅沢は ほとんどの建築家は出来ないだ。

 my次男いわく 軽く狂っているね=身内からも おれは狂気の人だから。意図的に実践して生きて来たけど=「お前の家は俺の家」のようなプロジェクトでね

すでに25年ぐらい前から実践してしまって大ひんしゅくを喰らいまくってけど、意図的挑発行為であるから 俺は傷もつかず 楽しかったけど。多数の人々に迷惑と争いを招いていたね 普通の社会は保守的 だからそれでいいんだね 

そういう行為を意図的に出来ている 建築家に生きている間出会えないんだから 間接的に体験するしかないわけで、エア建築家になってしまっても 評論家の ような生き方してもつまらないと俺は思っていて ねっとりした傷つけ愛の関係がいいわけだよね 生建築家に向かってお前死なないでくれ!と エア建築家が 思えるのがいい な 生きてても死んでしまった知り合いの建築家はあまた居るけどね

 えいぞうさんは「父を語る」で 明かしているけど 百姓=和冦の末裔であると。 俺の先祖もにたような百姓で100年前のバブルの時にエゲレズから競馬馬買いその馬に蹴られて死んだ 家も破産した家だから 自腹のような博奕プロジェクトが大好きなDNAを持っているんだね。

自腹プロジェクトのような行為から 生まれた家を新築から体験できて 同時に 設計者も発注者もどちらも フラットに語り合える立場に居るのは 偶然だが 俺しかいないわけで 建築の神様も誤配だよね ありがたき幸運な配当だ 建築家の年金手当てだ とおもってるんだよ 

これを記録しなかたら! 出来なかったら! 建築の事実誰によっても記述される機会を逃してしまう事になるんだな〜と 思ったんだよ 去年の12月10日にね 偶然とはいえ 導かれてしまうわけだ 

■ 松川さんと藤村さんのリアル 議論は何度も観ていたけど 今日お互いに ツイッター議論試みたが失敗してた ツイッタ議論元年 を記録したよ どうすればいいのか分からないよ。 議論はリアルの場じゃないと まだうまくいかないように思うんだけど 時間も距離もまだ生まれて来ない人間もそして 居るけど身体や 金銭の 能力の無い人を排除するんだよなリアルの場は  あらゆる議論は限定的だってことで いいの鴨な


 01月03日 はれ のち小雪ちらつき

 今日から普通の暮らしにもどる。 大学マンガ講義文字おこし前に 年賀状を書いてしまおうとじゃんと籠もる 日曜日でも年賀状配達するって知らなかったが来てお!これは書かねばと尻を叩かれたこともある 汚い手書き字で 絵無しだから 送り付けられる方もさぞかし 迷惑だろう がはははは 


 01月02日 細雪ふったり晴れたり 雪時雨もよう 

■ ことし最初の仕事 えいぞう「父を語る」web頁をつくり仕上る。後 えいぞうさんに目を通していただく。固有名詞の間違いがあった 「鹿屋大学短期大学部」→「神奈川大学短期大学部」、「ムラサキバラ」→「紫原」、「興銀」→「勧銀、ので訂正し公開する えいぞう「父を語る」

■my長女は今日から当直で昨夜 帰った。 午前中は雪見酒をmy長男とする。今は家人の対応が2日間が限度のようなので 夜に正月の宴を解散する。my長男仙台に戻る。 我が家は正常な日常をとりもどすかのような?過程にあるのだが、1年ぶりでmy家で寝ことが出来た。同時に2日が限界であることも知った。

まあ永久に無理かもだが、あと2〜3年気長に生き続けよう。その間出来る限り各地に出向き お前の家は俺の家を実践しつつ 建築家や建築系の人々の肉声様子をも見続けることにしよう

■正月宴を解散し 年賀状をつくりはじめる、 絵はなにも何も無しで文字だけにて手書きで始める。デカイ字を書きたい俺だが 住所は小さく書かんといかんので グジャ字になる もらった方もげんなりだろうな あっはははあはは 途中筆ペンのインクがなく買いに行ってもどったら、インクが出てきて がっくり。しこしこ書きだす、 今夜は30〜50枚つくりたいな〜

 01月01日 快晴の夜明け 降り積もった雪10pほど 夕方から細雪

    新年あけましておめでとうござます

 本年もどんど よろしくお願いいたします。

牧野研造さんからの年賀状に 建築スフィア=瘋癲の寅さんのようだと書いてあった。映画 瘋癲の寅さん数本しか観たことがない。あまりオモロしろくなかった。あれはヤマダ監督が抱いてるだろう あの時代の男の理想の生き方を映画にしたものだろうが 俺はまじにコツコツ暮らしつづけただけでそう言われているのでただの、バカモノなのだ。 でも 俺は自分を瘋癲おやじ=建築スフィアニストであると公言し活動しているので 新年そういう年賀状内発言=建築スフィア人と認知してくれている人がこの社会に出てきたのは とても嬉しい

だから 建築界のスフィア寅ですとと自虐、受けねらいで言い張って1年だけ過ごしてみるももよいかもしれない。舞台芸人じゃないからそんなことは直ぐ忘れてしまい マジスフィア生きしてしまうのでできっこないな

むかし おばちゃんが兎年生まれの俺を見つめ ぼやいていた。寅年生まれなら 三代続きの寅家になり 我が家は安泰だったのに〜と。迷信は怖いよ!また有り難い。虎夫を養子に迎えればよいではないか! 何が故に血縁者でなければならないのか?おれはおおいに疑問をもち その怒りと疑問が沸き上がりふくらみ とうとう 18才で家出をし はや40年 今ではただの愚うたららおやじ!=建築界のスフィアニストになってしまったのだ。迷信の逆効果はありがたい。 他者のぼやきは宝であるだと 今となっては思うのである

 今年は昨年の皆様のエールに応え さらに  じゅっくりの会in各地を 多数実践し(と言っても2、3箇所) 銭を得るためにはたらかず 努力はまったくする気なく ぐ〜っすり寝 目がさめたら聖歌のようなつぶやき歌 いい女だね〜と声をかけ うまい食い物は俺がこしらえ ほどほど喰らい 暇があったら東の者に建築話を聞きだし文字におこし、 怒りが湧くものあれば おいどうした?と、北に出掛け聞き入り寝 ときどき喧嘩の仲裁と煽りを同時にしまくって まったく俺の知らない 出会ったことのない人々、出会ったことのある人々と楽しく 交流 激交通し お前の家は俺の家だと 許可もえず泊まり込む不良・エア人間であるだろう 

  今年はお前の家は俺の家=寅寝をおおいに見習いましょう
        へたれた 年のはじめての日記にて ふふふふふふ 

  ことし1年みなさまにとってよき年 でありますよう 

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