佐藤敏宏の 2009年 5月の日記 home 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 5月30日 曇りのち小雨 食材買いだし。村上満宏さん文字をweb頁に加工し 電送する。言葉という葉をみてる 目がすこぶる疲れたかな 5月29日 曇りのち小雨 冷える わがんね〜さっぱりわかんね〜で始まるkurosawaの映画 「羅生門」 芥川龍之介の原作。人が1人殺された、その裁きをみたお坊さんなどが、今日という今日は人の心が信じられなくなりそうだ と語る。 坊主 盗賊 世阿弥 薪切りの男 などそれぞれかが話す 殺人の様子を繋いだもの。中身は 真実を人(当事者)の記憶や感情にもとづいて知るのは困難だということ。(映画 羅生門へ) 果たして事実はどうで、真実をどのようにしたら第三者(裁判員)である人は確認することができるのか?という 黒澤の問題提起だ。 裁判員裁判が始まった。被害者家族などが意見を述べることがある刑事裁判にて、素人の裁判員が 真実を知り感情を介さず 公正な判決を下すことが出来るのか。困難だと思うのだが、あらゆる人々の社会復帰を可能にし 寛容な市民社会を手に入れる、社会をつくるためにするためには、感情に左右されることなく、被害者家族の感情に取り込まれたりせずに、事実を正確に確認し理解し判決を下さなければいけないのだ。 来るべき寛容な市民社会を望むからには、この困難を乗り越えないといけないようだ。 偶然 裁判員になったら羅生門を観て、読んで、事実と真実の困難のなんたるかの一例を確認し、裁判の場に臨むのがよいかもしれない。 羅生門ブームがやってくれば、まずは感情に流されることのない判決が多くなるだろう。 逆に感情に取り込まれたり 私的感情で処理すれば 極刑を望むような被害者感情同調してしまい極刑を下すことだろう。そうなれば不寛容な社会が訪れるということだ。 ゼロ年代末に入って日々強い思いは多くの分水嶺の中で暮らしている実感だ。、裁判員裁判の実施に当たっても、そのことを再度自覚したほうがよいと 思う 文字起こししつつ 小雨がふる夜。 5月28日 曇り 大学講義文字起こしを始める。弁護士村上満宏さんの光市母子殺人事件に関しての講義。 多くの犯罪報道は事件発生時には警察発表をメディアが垂れ流しているだけだ。でTVなどで放送するに当たっては、視聴者が受けとめ易くするため?なのかな・・筋書きをでっちあげた内容になってしまっていることが多い。だって誰もまだ知らないのに報道するわけだから、違うわけだ。 そんなことは 大人なら知っているだろう。それを知っていても人間の不可思議さを楽しむために事件報道が好きな人はいる。 事件の事実を知るにはニュースなどの二次情報を見てはいけない。裁判に立ち会い通い詰めるしかない。ワイドショーのネタは大方ずっこけ内容ばかりで害にしかならないので触れてはいけない。大人の常識。 ■部屋を整理いしたら レム・コルーハース著『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房 1995年10月発行 4200円)が出てきた。 1978年に英語版などが発売されていたのだが、版が無くなってしまい 再版されず。1994年に出されものを翻訳し図を初版にもどした内容だそうだ。 レムは現在の建築家界でもっとも影響力が大きい建築家である。完成した建築の写真や図はみていたが 著書をしっかり読んだ記憶がないかったので、ひょつこり出てきたついでとはなんだが、読み始める。 ジャーナリストから建築家へだとばか思いこんでいたのだがシナリオ作家からAAスクールを経て26才でOMAを設立したとある。 内容はレムがマンハッタンになりかわって、ゴーストとライター化し 島の歴史をシナリオ風に書き上げたもの、のようである。 1626年に原住民から24ドルでペーテル・ミニュイが買った話からはじまって、この350年どどの島の変遷史。 「自分の思い通りに進めぬのなら、なぜ我々に精神があるのか」と、いきなりドフトエフスキーの言葉があっておお!と面食らったが、シナリオ好きの俺には読みやすそうな本である 研究書とも紀要とも違うし 小説でもないし 叙事詩のような独特の表現になっている。 記述内容は歴史研究の人から見ると甘いのかもしれない。建築家で歴史家じゃないから、許されるのかどうかは分からない。 なにはともあれ、オランダ人のレムがニュー・アムステルダム=マンハッタン島の歴史を語るのは腑に落ちる。 日本の近世期の都市との違いに目がいく、路上で行水していたのどかな社会とは違う。 マンハッタンの都市の歴史にも興味が引かれるようになった(笑)これは太田浩史さんに船引町のまつづくりに誘っていただいた賜である 感謝。元気で先生してるのでしょうか太田さんは。 5月27日 時々 はれ 雲も多し 家に蚊が一匹舞いこんで飛びまわっている。飛んでいるのか気流に押し流されているのか、迷妄な軌跡を残している。 気になる。刺されることにではなく忌々しい飛び方。捕まえようとしても易々とは捉えることは出来ないことは分かっていても、捕まえてみたくなるのが人情、か。傍で猫が2匹、寝子している。闇雲に蚊をめがけ新聞紙を振り下ろし黒い床を叩いて大きな音をたてた。 細目を開けたネコがしらけ、また寝子する昼下がる。 ■ 衆(参)議院TVにて党首討論をすこし見る。3ヶ月内には国民主権か官省主権かがかかる=政権交代が掛かった選挙がある。4年前の郵政民営化ワイワイはマスメディアのイカレタ報道があり(例えばホリエモン刺客は悪い冗談だった) 9・11選挙で圧倒的多数を得たはずで、頭数は多いし役者がそろっているのだろうが・・・、4人めになるほどにキャラが立たない、立てることができない底払いしたかのようだ。 現首相は、政治が一番嫌い!と言いたげな顔に見えてしまう。我慢してやってやっているんだ〜。 スネているようにも見え。衆議院TVは政治家にとってはとても残酷な媒体だ。しかし主権者にとっては好いツールだ。国政の場で地方から出た政治家がどのような活躍をしているのか分からなかった。しかし今は各委員会の討議のアーカイブがしこたま残されている。 誰がどんな顔でどんな内容の質問し、応答したその姿がはっきり残されている。 衆議院TVが出来る前には討議を見ているのは、政治部の記者ぐらいはだったのではないか。今はPC持っていれば、いつでも何処からでも見ることが出来る。 オバマ大統領はインターネットで政治資金を集め、票を集め、ITを使って勝利した初めての米大統領だ。インターネット選挙の開幕を大々的に見せてくれた。(インターネッを使って集めた両党の選挙資金は600億ほどだとか) 間近に迫った日本の選挙においてインターネットが人々の投票行動にどのような影響を与えるのか 興味が持たれる。 蚊が迷妄し飛び交っているかのような、人々を惑わし、狂わすかのような忌々しい マスメディアのイカレタ報道は今回の選挙では願い下げにしてもらいたいものだ。 しかし、メデイアによる不況感染は広まるばかりである。疫病流行記 ならぬ不況流行記を読んでいるようだ。政治的に作られた不況に感染したかのように 今年に入って毎日100人ほどの自殺者がでているそうだ。この調子じゃ年間 自殺者は4万人に到達してしまうではないか! 皆の衆 皆の衆 間違っても、インチキ自己責任論で押しまくる、(常套手段) 例の自己責任に惑わされ 死んではいけない。窮状を訴えよ。 または 自己責任論を振りかざし他者を傷つけてはいけない。 蚊を追いかける遊べ 生の奇跡やその豊かさが分かる、生の忌ま忌ましさも だ。 目をこらし自己観察し続けてみるとこんなオモロイ 生の愉悦に勝もの無しが ドカーンと見えるだろう。「死ぬよ」と宣告されても死んでる場合ではない 140年ほど続いた世がふょきょ〜と変化しだすかもだ。 んだんだで 100年に一度の愉悦・愉快のときなのだ。 イカレタパーソナルメディアになってら〜か か (爆笑) 5月26日 はれ 暑い 食材を買い出す。暑い重い。 今はそうではないが、家人が言葉を発しなくなってから必要な食材をメモに表し指示してもらうことにしていた。 。死ぬまで声を発しないのではないかと、あり得ない、こと、無用な心配をし、食材メモ保存を始めたのだろうと思う。指示されたメモでも記録になるだろと思い大切に紙に貼っり、1月ごとに整理して保存していた。 もうだいぶ貯まっている、貯まると、途中で止める気にならなくなるからおかしい。 そういえば建築あそびに掛かる経費例えば、食材費などもそうしていたから(一度会を開くと幾ら金額が掛かるのか領収書などまとめて貼って記録を作っていた)記録を作るのは苦にならないのかもしれない。 建築の設計書を想えば、おれんちの食材費の記録なんてチョロもんだな。 3月46340円 4月 54647円 5月67759円 (3人分) 5,6月は 急に食材が値上がりしだしたの・・? ■ 大人から大人達人になるためには 色んな道があると思う。まずは言葉を発しない人、言葉の通じない人と長い間暮らすと解ってくる。そこを経ると 俺って 誰と(8割方の人々)でも楽しく暮らしていけるんじゃないか! そういう境地に入ることがある。 言葉は通じれば通じる程に クリシェ化し 「おい 茶」で全てを済ます、バカ暮らしが手に入るのかもしれない。それは人間らしさを捨てた暮らしに突入し動物的直感を腐らせ 大人達人のへ道は閉ざされてしまった暮らしなのだと 近頃思うのである。 全てが他者であるわけだから、やはりクリシェ化するような 暮らしを大人は避けなければならないのだ。誰と暮らしても傷つきにくい動じないタフな精神は 個を守ったり、個の壁を強固に高く厚くする、その構え方からは生まれない。 5月25日 晴れ 鼻づまりを治すために酒をのまず本を読んでいると一日がながい、けどあっという間に2日経っていた。 路上を公・私に分けた使い方は日本で何時から始まったのか?あれこれ読んでいた。、イザベラ・バード(1878年だろう)横手では「私をみようと風呂から飛び出てきた。男も女も同じように着物一枚付けていなかった」男も女も素っ裸で往来に出て外人を眺めたようだ。 オーストリア外交官の明治維新(人物往来社)によると「通りを歩けば視線はわけなく家の内側に入り込んでしまう、 ・・腰まで裸になって家事をしている女性が2,3人見られるものだ 男たちは褌を締めただけで素っ裸で床に横になって煙管をふかしている」往来から家のなかがすっぽんぽんで見える様子がえがかれている。 庶民にとっては家の内と外は画然と分化していなかったことがわかる。路上の空間や機能を庶民から公共の空間として取り上げる切っ掛けが要る。 明治維新、文明開化というのは私生活を家に閉じこめる出来事でもあったことが分かる。(戦後も田舎では乳房を露にして働いている、お婆さんは大勢いたが今現在は誰も乳房を露わにして作業をしている人見ることは出来ない) ■この数年で 貧困ビジネスの最右翼で危険が一杯と認知されてる、インターネット漫画喫茶は、いつどこに出来たのかを調べていたら、1998年8月 春日部市に1号店を開いた社長さんの本を見つけた。銀行が潰れ自殺者が3万人を越えたあの時期であった。 社長さんは 個室の仕切は全てスタッフの手作り!と自慢をしている。 建築や設備の専門家にはコストがかさむので頼まないと言い切る。 喫茶〜漫画喫茶〜寝るため場(=メガ複合カフェ)と進化し、今では日雇い労働者の寝床になり、スクウォッターと一般の人の休憩なのか区別がつかない、貧困が表象化し見えにくくなり 社会問題化してしまっている 究極の個室 = 21世紀に創られた 生きながら死ぬための墓 かもしれない。 5月23日 雲多し 高知新聞 石井研記者の文字をweb頁に加工整理する。 石井さんの話をまとめていると60年ほの間にあっただろう日本の風景が走馬燈のに巡る、そう感じるので面白い。 戦後40年間に起きた各地方の山村の状況変化は農林業を衰退させ 暮らせなくなり若者が居なくなってしまい 結果として、限界集落を生み出している。林業や農産物の輸入自由化で仕事を無くし 田舎を追われた若者は都市へ流れ出て車や電化製品を作って主にアメリカに売った。田舎の出の者はそいう仕事に従事した。その大きな流れは政治家や官僚がつくっり 企業人たちが動かしてきた。 昨年起きた100年一度の金融危機は未だに落ち着く気配はないなかで、近代化以降 日本人が進めてきた、工業製品を輸出して生きていくという方針では、(外需頼み)今後おれたちは生きていけないんだということを知らしてくれた。好い機会だった。 今年度は一番GDPが下落し(10数%)成長率でマイナス4%ぐらいになるとの予想だそうだ。女性では5割にもなっている 派遣労働者を切りまくって、なんとか生き延びたとしての数字だろうから、工業製品輸出廻りの実態はもっと悪い数字になるのだろう。 金融危機が訪れ知らさせたのは やがて日本各地の 工業地帯が 現在の山間地域にある限界集落の様な状況になるのか、それとも日本独自の変容をし生まれ変わるのか、分水嶺のような状況に立ったというその事だ。だから政治も暮らしもこれから明治維新に匹敵するように激変するだろう(2、30年ぐらいの間に) 興味深い事態が各地に現れるのであるから 死んでる暇はなさそうだ 5月 22日 曇り風がで方々バタ音たち 天気は下り坂のよう 高知新聞 石井研記者の文字起こしをし終える 長い間地球上にただ一つの自然としんじられていた環境や景観、その中で暮らす人びとのレポを中心にしたお話だった。 自然と人間と政治や行政の制度が起こす諸問題のあれこれだ。 インターネット普及後この10年の間にとくに目立つようになったメディア・スクラムという、今世紀に現れたもう一つの自然が吹き荒らす病は今日も猛威をふるってラジオ・新聞テレビなどの媒体から流れ出て、人々の生活を侵している。 メディアスクラムという脅威の源は 人間が生み出した第二(都市と生活)の自然。第三(情報・その環境や技術と生活)の自然からだと言える。とくに第三の自然の威力や欠陥はインターネットが普及しだしたと同時に自覚されだしたのではないか。 だからまだ、誰も日々生まれてしまう メディアスクラムという第三の自然をコンロールする術を持たないのだと思う。第三の自然は日々留まることを知らず、不意に私達の身体を侵し続ける、厄介で人間にとっては相当困難な自然だ。自分自身の自然ともよく似ているからだろ。 その自然の脅威の実態と実害がようやく具体的に、多くの人々に認知されだしたのは好い ことだと思う 5月21日 晴れ 32℃半ばの気温となり パンツ姿でいて丁度よい。明日は10℃ほど下がるそうだ 体調を壊さぬように 着たり脱いだり いそがしい 新型インフル対策にとマスクをいただく、福島市内でも品切れなんで、急いで手に入れたのだそうだ。季節型インフルと症状が似ているのだそうだが、国中各地で大あわてでマスクを着けだした。 オイルショック時のトイレットペーパ無くなるあれに似ておかしい。花粉症が出ているので酒はこの数日呑んでないく鼻づまりの症状は収まりつつあるが、その対策にマスクが要るので、とてもありがたし ■2006年小泉改革の(三位一体)の弊害が地方の隅々から出始めた時期、高知県の大川村に1年ほど住み込んで ルポを書いた 高知新聞の石井研記者の講義の文字起こしを始める 四国はほとんど行ってないのだが地形でみると断層の中央構造線に押しつけるように山々がぎゅーっと押しつけられて在る様子がわかる 宮本常一の「忘れられた日本人」が今でも暮らしている、そう思わせる話の内容である。高知県は黒潮直に当たり温暖で山深く雨量も多そうで、東北の地に暮らす者には気候風土から生まれ土地の気質というものを知らなかったが、少し理解できそうだ。 5月20日 はれ あついほど 香りの強い、庭の野ばらを折りスキャンする 庭の木々は大木になるようなものばかり植えたので15年ほど経ち鬱そうとしてきた。なかに越境し隣の敷地の枝葉を伸ばすものまで 剪定をするべきなのだが、もうすこし放置しておこう。盆栽の竹も地植えにかえたら根が方々にはりだし、始末におえない。去年は筍を食ったが今年は全て処分。 今となっては全ての竹の根を掘り起こすのは容易ではない、野生のたくましさを日々眺める my長女 研究テーマプレゼンを終えたとのことで長電話。自分の暮らしや興味と地続きの研究なので長続きするだろう。 my長男も長女も我家系のスタイル生きているようだ。そうすると 色々その世界には壁があり、当初から苦労が多そうだ が、一生その分野の研究をするのだろうから、多少の外圧ありを想定しておかねば、うぶすぎるだろう。初回レクは無事それらもクリアのようだ。 予断はゆるさぬもまずは めでたし。 それにしてもオイラの難問は何時になっても解消しそうもない、病や困難は排除せず共に暮らせば、それほどの困難にはならないのだとの実感は永い間ある。自分という病とも共に生きればいい。初夏の青葉はあらゆるものを落ち着かせないが(笑) 5月19日 晴れ 暖かし 30℃ぐらいになったのではないか 1週間ほど鼻づまりが治らない、体温が正常なので花粉病のような症状だろうな。酒を呑むのが、鼻の症状に悪影響を与えているのかもしれないな〜。 寝てるときが息苦しい、アホのように口を開けてしまうのでマスクを着用し寝ている。が、喉がからからになって目覚める、ひりひり痛い。目覚めたときの、喉からからがつらいね。 断酒1週間したほうがいいかも。(笑) 5月18日 晴れ 午前 風強く方々バタバタ音をたってて騒々し 成城大学で先生をしている北山研二さんから翻訳書が送られてくる。著者はベルナール・ジュルシェさん、書名は 『ジョルジュ・ブラック』ー絵画の探求か探求の絵画へ。発行所 未知谷、マルセルデュシャン全著作を発行したところ。4000円+税。330頁、絵画史研究者必見だと思う。 海外で出版されたアーテストの評伝書にふれて、最初の感想はいつも同じだ。資料の豊かさ、写真の良さ、緻密な論 など今回も変わらない。 北山節が開陳される 翻訳者後書きは毎度だが、読んで楽しい。学者をさすれているかのように、心情が吐露されすぎている、からだ。 5月17日 曇り時々小雨 風つよし 藤村龍至さんの事務所へ電話し催促していた RAJ vol8が送られてきたんのざっと目を通す。神戸・広島・銀座での大勢でのワイワイ内容は読んではいないが、ファッションデザイナーの山本里美さん、日建設計設計部門副代表である山梨知彦さんのインタビュー内容によって、今後への活動の光が示されていると思った。 デザイン手法はvol8が最もおとなしいと思う(vol1,2が合併号は面白い)。全ての記事の整理の仕方がほぼ等価に見えるように印刷されていた。そこでは新聞がもつはずの記事の優劣が一目で分かる(一覧性)良さ、その特徴が失われている。雑誌ではないのだから、どうなのかな〜・・疑問が残った。 (毎度のことだが、日本の大方のマスメディアにも共通するが 専門の写真家が関係してないので、写真が悪い 写真家を雇うのは僕も困難だ!) 山梨さんの記事をどーんと見開き全ページでも扱ったほうが、活動の意図ーを強く出せたのではないか、そこが残念だ。(vol9と重なる内容もあるようなので) 山本美里さんの内容はシンプルかつ基本を押さえた語りと姿勢と実践が示されていて強い。そのことが 建築関係のワイワイの甘さを照射してしまっている。福岡の井出健一郎さんは悩んでいるようだが 活動力は面白そうだ。 なにわともあれ 関係者の皆様大変 ご苦労様でした!! この2年ほどの間に疾走するかのような勢いで各地を飛び回り、多様な多数な人に話を聞き続けた、藤村さんとチームRAJのメンバー熱意は 0年代末にあって 敬意され記憶されるべき 建築界の事件なのだったと思う。(ラストvol10の発行が残っているのだが) 5月16日 曇り ひえる 今夜から荒れるとか 新潟産のイナダを買い求めさばいたら、4、5p鰺が4匹腹から出てきて驚く。鰺を食ってイナダになり 鰤になるのか〜 湯浅誠さん文字をweb頁に仕上げ送る1日 5月15日 はれ、今日もやや冷える 朝から湯浅誠さんの講義の文字起こしをする。昨日の日記(my長男論文)と関係しているな〜と思う。 湯浅さんは『反貧困ーすべり台社会からの脱出』を著していることは周知(大佛次郎賞受賞)だと思う。 溜が無くなった社会で起きる精神的な貧しさを表す、貧困への滑落の表象に接しても 社会全体が沈黙している、その構造に警鐘をならしたわけだ。 働く多様性や自己責任論で 処理された問題は 昨年9月中に世界的な事実として露わになった金融危機によって めったやたらに派遣切りが行使され今も止まってはいないだろう。。その結果、派遣村に集まらざるをえないような人々、(多数、たぶん20から60万人ぐらいだと思う)が多数声を上げ始めた。 湯浅さんの活動は1995年以降だそうで、97年に起きた日本の金融ビックバンと言われた銀行潰しまくって外資に買わせたそのときも観ていたのだが、小泉改革の負の側面に、メディアなのどが気づいた2006年以降世の多く人々も知ることになった見えなかった問題。 神野直彦や大沢真理さんは以前から警鐘をならしたいたのだが、深刻には受けとめなかった問題と社会の現実があった(2006年世界5月号参照)。ゆわゆる溜の無くなた社会故において、おきてしまう、沈黙。が起こす悲劇。そしてその状況から社会を救い出す手法。 my長男論文によると、近世社会にあった 献金という名の、その社会に生きる市井の人間として、とうぜん誰もが行った社会還元の献金のような行為がなぜ消えてしまったのか?その転機はいつだったのか?を調べ社会で共有しなければならない問題なのだ 市民社会をつくりその中の市民として生きようとし、活動し、よりよい市民のための社会を作ろうとする人間が行うべき、あったり前の大人の行動と活動が消えた謎を 市民を目指すべき大人は、調査し知っておかなければいけないのだ。つくづくそう思う講義の内容であった。 まだ問題の所在が明らかになっただけだけれども、みなで活動しつづければ、そのような市民社会を私達は獲得できると 思わせる21世紀的新しい活動家の出現とその具体的な存在を知らせた講義でもあった。 5月14日 晴れ 気温が下がるも良い天気 浴室の排水が詰まったので修理する。ネコが松ぼっくりを排水目皿を取った間に配管に入れてしまったからと判明。取るのに一苦労。 ■my長男論文掲載誌『東北アジア研究 13号』。 my長男が書いた「仙台藩の献金百姓と領主・地域社会」を読む。 都市の商人や在村の豪農商などの人々は藩主に対して盛んに献金をし、反対給付として経済的、身分的な特権を得ていたという。献金を動機付けるシステムがとても良く作られているうえ、集められた献金が社会に還元され様が理解できる内容だった。 献金は産業振興に投資されたり 社会基盤整備作りにために集められた人々の労賃として再配分された実態が書かれている。 内容は 19世紀の仙台藩における献金の実態を地域別、身分別。褒美内容と献金額、内訳。記載者の人物比定。ある家の年代別に献金額と褒美内容を調査してまとめた内容。 現代では献金しても名声も高くなるわけでもなく 褒美を与える者も組織も仕組みもない。 近世期にあった市井の余剰の富を献金という手法で藩主が集め、再配分。再配分の方法は飢饉時の救済資金、産業の創出のための財源、道や川の整備、新田開発や山林の保全を行い 仕事のない者たちの労賃 として再配分するその実態について詳細に書いてある。 ■ 昨年露わになった金融危機のもとで 世界で日々起きている企業倒産や労働者の問題を 余剰金=冨の再配分の大失敗としてみる視点はある 余剰金を社会に対する献金として還元させるためのインセンテォブを日本自身が構築していなかったことは反省するべきだろう。 アメリカの国債を買うよりは、金融立国などと賭博政策に邁進せず その金を 、献金し名誉を得る、名誉の表象の方法を制度化しておく。献金された金は 若者のスキルアップや若者年金、 貧困者や失業者の救済、中山間地の整備や山や海岸の保全 として各地方に再配分ていたと仮定してみれば 日本社会が現在のような希望も無い、閉塞感ばかりの社会にはならなかっただろう。 あめりかこにへつらい続ける官僚や政治家たち、宗教団体を母体にしても派遣切りに遭った者を救済しようとしない腐った精神の宗教的政治団体が 生み出した 失政なわけだ。 左表は web読売からだが・・ 警察庁は14日、昨年1年間に全国で自殺した3万2249人の年齢や動機などを公表した。 20〜30歳代を中心にした「若年層」の自殺者が増加したのが特徴で、特に30歳代は1978年に統計を取り始めてから最も多い4850人だった 3万人を越えたのは 97〜8年の銀行や証券会社が倒産した年からだこうなった現実のなかにおいても 一部の経営者や政治家が言う、職業選択の多様性の確保や能力がないからなどの自己責任論に騙されてしまう人はいるかもしれない。 前回の小泉改革のときのように またまた派遣労働者や派遣切りされた者が自民党に投票してしまい、自分の首を再び絞めるのだろうか、もうすぐ行われる 総選挙の結果が興味深い、一つ騙された後の日本の精神状況を表すことになるだろう。 5月13日 晴れ 14日仙台にてインタビューするも 対話が進展せず! 困ってばかりの2時間。音声は全て採取しているのだが、文字にしweb頁をつくり記録をつくり、公開するか?・・どうしようか?・・・迷っている。 このような事態に至ったのは初めてである。因はいろいろ分かっているが、簡単に解消に至ることはない根深い要件 14日 夜 仙台駅傍の あめよこビル(朝市)にて店しまい間際だったので、すし各種大安売り、買い求め、鮪もどうよう大安売りでゲットする。駅まえで待ち合わせ、my長男・長女とじゅんにやっていくる。 (仙台駅まわりには格差社会の露骨に表しつつあるようだ。酔っぱらい宿無しのような人々が多くなった。金沢駅からアル中の人々が一掃されたのとは違う) my子達とビールで乾杯し、すしを喰らいつつ、互いの現況を報告し合う。方針と 今後の対策などあれこれ話し合う。 1ヶ月前ほどに出た my長男論文掲載誌をもらい読む。感想は後日書く。 my長女ようやく博士課程の研究体勢が整い、多様な人々と交流しているとのこと。合間に仕事もしつつだから 大変だ。のこり3年は体調に気を配り頑張ってもらいたい ■ ラジオから 東北大内で準教授によりアカ・ハラがあり、理学研究科博士課程の学生が自殺していたとのニュースが流れている。 他人事とは思えないな! 5月11日 曇り あたたかい 近所の小麦の青い穂が美しい。緑なのに青いと書いた。まだ食えぬ、刈り取ることができない様に合っているように思う。青い小麦の穂。 小麦の方だって見かけることは少ないのに、〈 麦とろろ飯・・〉の大麦は、数十年見てないので、どんな形をしていたか?思い出せない。7月ごろには黄金色に輝くだろう。パンやうどんにして食ったらうまいかも(笑) ■ 今年度は身近な場所(福島の隣接県)に暮らす、建築家や表現者をこまめに訪ね、インタビューしようと考えている。活動資金が貯まれば(笑)昨年度のように、遠出もする予定。 明日、仙台でインタビュー予定だ。カメラ重いけどな〜最終的に「本を作るならフィルムカメラで撮っておく方がよい」と思い久々にカメラを手にする。フィルムが入っていたが、取り出せない!ああ、操作方法を忘れてしまった?!ほど使ってなかったかな〜 。長期保管なので電池を抜いてケースに保管したのであった、ホッ。 画像がネッ用トだけ、ならデジカメで充分間に合う。印刷用デジカメはデータ量が多すぎて、日々のネット公開に際しては扱いにくい。そして保存用サイトでも借りないと始末に負えないデータ量に なりそうだ。 web用は性能の高くないデジカメにて 画素数を少ない絵にすれば、保管がし易い。デジカメ、フィルム機、両方使うことなっていきそうだ。 5月10日 はれ 暑い 県内でも30℃こえた所があるそうだ 新緑が盛んな信夫山の中を散歩しっよう!と思い、すたこらと外に出たが、あんまりに暑いのでやめる。 途中の県立美術館で体操をしたり写真を撮ったりする。 歩く人の象も異様な暖かさに似合いいかれた気分であるが、ところかまわず出る孟宗竹の筍も、同様に違和を醸し出していて、おかしい。 暖かさにつられ虫がわき出すかのように、人が行き交う。散歩したり、家族で運動したり、ラブラブしようとしてうまくいかない若者、仕事の悩みなの深刻に語り合う友達たち。 色んな仕草の人間が芝生に在る。 5月09日 晴れ 暖かし 花粉症のような鼻づまりこの数日酷くなって辛い 奥田雅治さんの講義を文字にし終え web用に加工し、転送し、1日が終わる。 ジャーナリストの姿勢のなかで 誰も未だ自覚できていない問題を 多くの人に自覚させる在るけど見えない!その問題の発見のしかた、発見した問題を映像として作品として提示社会化する手法、映像を放送させるまでの組織内外への調整手法など 建築家のにとって違いも多いけど 参考になることも多い。 ■囲碁界の藤沢秀行さんが亡くなったそうだ。勝負を抜きにして実験的な手法を本番でさしてしまう姿に俺は魅力を感じていた。 20代のサラリーマン時代にはよくやさした囲碁だが、建築家として活動しはじめた30年だいから既に四半世紀さしていない。 いまはどんな棋風が流行っているのかしらない。 藤沢さんの後輩教育は習うべき点が多い。 5月08日 晴れのち曇り ■ 一日中文字起こしをする。 2007年12月に放映された「夫はなぜ,死んだ − 過労死認定の厚い壁」という番組を制作した奥田雅治さんの講義。放送界の総賞を総なめされた方。マスメディアはジャーニーズアイドル使う関係やトヨタやキャノンは 大スポンサーだったりで実名でネガティブな内容の報道をされることはほとんどないのは常識であるけれども、トヨタの実名をだしての報道。関西は違うね。 MITの博士課程の学生さんは激しい競争のなかで研究を続けているのだそうだが専門の学問の他にまったく違う学問を学ばねば学位が取れないのだそうだ。 建築と異なる領域の講義は俺にとっては 建築界の閉塞性を照らし出すのでとても有意義だよ。 政治の話など日記に書いたりすると 白眼視する者は多いんだけれど。移民を受け入れる以外には ゆっくりと衰退せざるをえない社会にあって豊かさをつくりだすためには 自立した市民の存在が不可欠なわけで、政治だろうが裁判だろうがあらゆることを 御上・官僚ませに出来なくなったことは自覚し行動すべきだろう。 稚拙であろうが、欠陥のある論だろうが 公開して話し合いを多くもち 自分たちでで解決していくのだという自覚をもった 市民が連なる社会を実現するしか方法がない。 無為無策に 政治家などに任せておくと 規制ばかりが強くなって豊かさとほど遠くなる社会が出現する 誰にためになるんじゃ?こん建築基準法のように仕立てられ 法律が出来て運営されてしまったではないか。永い永い徒労と試行錯誤の先にしか 来るべき社会はない。 あれこれ批判しつつ 行動・試行錯誤を繰り返すのがよいわけだ。 「裁判員制度を廃止しろ」と印字されるなどした文書五十数通が郵送されていたという今日のニュースを目にしても、(逃げてはいけませよ) 市民としての自覚のなさ、未成熟を乗り越えるのは相当に 困難なように思うがだ。 ということで 講義文字起こしがあたったお陰様でトヨタの地域に暮らして たった一人で労基署と闘い夫の過労死を認定させた 主婦の存在を知たことは、励みと活動の 参考になる。 5月07日 曇り スパムメールばかりだった大型連休が終わり、まともなメールが来る(笑)ようになった。 ■藤村龍至さんいらいで書いたmy文の版下もやってくる。 6月10日発売だそうだから 上手な文章ではないけれど 建築雑誌6月号を買って読んでいただければ 嬉しい ■丁度一年前 金沢で出会った 筑波大の 一ノ瀬彩さんから葉書がある。松本で湧水のあるくらしを楽しむ プロジェクト進行中だそうだ。サイトはここ。お近くの方は訪ねてください。 5月06日 くもり しこし冷えあり 薄紫のテッセン 咲き始める。 デジカメのデータ移動がスムーズにすすまなくなったので絵はなし 絵があるほうがいい 仙台ワイワイいらい使ってないな。長いあいだ写真を撮らないのはめずらしいことだ 1995年以降 前半1/3ほど読 インタビューも難しいものだ。テーマをもっって臨まないと流れるな。 それなりの流れも面白いけど・・・ いろいろ考えさせてもらう 俺は思い立っておこなった インタビュー暦1年だけど、そうとうに下手くそだ。 雑誌や新聞などを参考にしつつ 読み手にとって読みがえのあるような内容にすべく 腕をあげてみたいものだが・・むりか(笑) 5月05日 くもり 朝日朝刊 新聞のぼくの好きな先生にはモデルがいて、終生交流していたとのことが詳しくかいてあった。社会面トップ(笑)ももえちゃんの旦那さんとも友達だったそうだ 新型インフルの感染力は季節性と同じ程度か 熱がでたら 早めに病院にいき治療すれば恐れることはなさそうなニュースも 5月03日 くもり 憲法記念日・・政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存する・・本土の沖縄化がじっくり進む中今年度は選挙の年だ 政権交代が起きないとね こまるよ このままじゃ〜 忌野清志郎さんが昨日なくなった。冥福を祈ろう。 喉の癌で転移してしたとはことは知っていた。58才 同じ学年だ 彼が作る歌詞は腑に落ちるものが多い、団塊の世代よりちょい遅れた 俺たちの気分=ロマンとリアルをきっちり混在させ 理想も希望も自らの現実の中できっちり受けとめる、その気分を 明確に平明で端的に表せすことが出来る希な表現 そういう者であった。 いまでも存在しないが こんな先生いたらいな〜+ 絶対いやしないこの政治行政の中では を表現した初期の2分40秒ほどの名作 「ぼくの好きな先生」 をはじめて聞いたのは40年ほど前。(今はカラオケで歌ってます) この歌・ぼくの好きな先生 を最初に聴いたのは 会社の新入社員 歓迎会の席でだ 。同郷で2才下の その新入社員の彼は12弦のギターを抱え歌い出した。ソフトな声 雪国の者が知る冷たい長いあの季節の感情が交じる 合っていた。エンターてーメント大爆発の時代ではない。演じる忌野さんは分かるが イマイチ腑に落ちない 大ファンではない理由だ だから、有名になった時分の歌は あまりしらない。歌い手の生命である喉に癌が出来たことも 彼らしい。 ガラクタという詩も 意の切っ先が 自己と他者に同時に向かい 主客が激しく転倒しても成立している内容で とてもよい詩だ なにも変わっていない! 40年間 鋭さが どんどん 消えて行くだけだね! 繊細に飼育された繭の内で飼い殺しのようだ 大丈夫が主権者たちよ アメリカ化がどんどん進むのは いやだ そういう歌だ 君たちも僕たちもガラクタの集まりさ ガラクタ 僕に〜聞かせておくれ 君たちの悪い企みを〜 僕に〜見せておくれ 君たちのどん欲な黒い腹 を〜 でも そんなに簡単にはいかないさ〜 そんなに簡単にはいかないさ〜 そんなに簡単には僕らを潰せないさ〜 僕に〜 聞かせておくれ〜 君たちの次の からくりを〜 僕を 傷つけておくれ〜 君たちの卑劣なやりかたで〜 でも そんなに簡単にはいかないさ〜 僕らは君たちとは違うよ〜 そんなに簡単には僕らを潰せないさ〜 僕らを潰したその後は 一体どうするつもりだい〜 だれの盗作をするの〜 今度は誰も真似をするの〜 あぅああ〜 僕に〜聞かせておくれ 君たちの悪い企みを〜 僕を傷つけておくれ〜 君たちのいつものやりかたで〜 でも そんなに簡単にはいかないさ〜 君たち じゃ〜 たぶん無理だろう 君たちはガラクタの集まりな〜んだから(さ)〜 (RCサクセション ガラクタ へ) 5月02日 さつきばれ あたたかし 庭の木々の新芽も輝きを増しうつくしい ■休日高速料金乗り放題 1000円/日は連休と重なり市内の東北道にも長い渋滞が発生したそうだ。 詳しい料金体系を知らないが 岩槻から青森まで24時間かからず 走り抜けることが出来そうに思うから 1000円で走り抜けれなら 混雑するだろう。 ■ラジオの新インフル関係のニュースに1日接したけど 酷い!垂れ流し情報ばかりだ。恐怖ベースのアナウンスが主 総体の記事をきちんと書いて伝えて欲しい。偏り放送は 医薬バブルの情報操作に荷担しているかのように思える市民に有益な態度とは思えない ■公文書法ができそうだ、ようやくそうなるか! 保存文書の内容と方法がわからぬけれど、知らぬ間に公文書が破棄され続けるような事態はそくやめないと、民主主義に欠かせない 基本的な情報公開すらままならないわけだから。 5月01日 五月晴れ あたたかし ■ 家人 きょうは よく おしゃべりをするも 同じ要件にでスリップを繰り返すけど、言葉の数がましたから 元気になっのだ ■豚いんふるの情報と社会の対応 主にメディアだけれど、どうもうさんくさいと思うのは俺が変なのだろうか?現実に起きている実態を調べもせず、手軽に上面だけで 大騒ぎ! はなぜか? 豚えんふるはソ連型のそれと症状がどう違うのだ 肝心な点がアナウンスされない。 風邪でも対応が間違えば・栄養が足らなければ、人は死ぬ。 単に恐怖を煽り、メディアを乗っ取り練習するかのように、根拠があるのか・無いのかさえ分からず 大騒さしているのは変だ。 無意識に行政や政治やメディアが連携し なにか事が起きたときに実社会がどう反応するのか、シュミレーションしているような 気配だと思う。 厚労大臣は「見えない敵と戦い必ず勝つ!」なんて言い放つけど インフルインザウィール巣は寒冷地にひっそりあり人類史よりながく偏在し、人類以前からのもの 煽らないでほしいものだ。 9・11のときの映像や隣のビル崩落の様子も、因も、アルカイダ仕業にまとめ、戦争まで突入した軍産国家の本音をむき出したときのような気配ではないのだろうか。保険や金融バブル前の後 医薬バブル(笑) をめざすのだろうか? あの状況となにか似ているように感じるのだが。 報道の速度が高いので普通の メディアリテラシーを身につけていても巻き込まれるのではないだろうか。 こんなときだから実のメキシコ発豚インフル患者が様態がどう推移し、死に至る、または回復したのかを ます・メディアには浮つかないで、筋道をたて基本に則り 冷静に報道してもらいな〜。 |