佐藤敏宏の 2009年06月の日記      home  
 
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 6月29日 曇り 

■ 家人 my長男が一度も身につけないかった新品ズボンの裾を縮めて、my短足に合わす手芸を数年ぶりに。佳回復中出来事。10pスパッと切り落し。ズボンに合わせ夏シャツなどユニクロ物。バイト代入り半年ぶりの買い物(苦笑・買い物上は、情けなオヤジだ)

■電話あり。京都の若手建築家の魚屋繁礼(ウオヤ・シゲノリ)さんから。「ことば閲覧in京都(8月2〜10日予定)の手配連絡などの様子が気になり・心配させてしまってるようで心苦しくもある。直電話にドーシンと応えるようなキチ〜ントした質問を飛ばし記録を残さねば、大変もったいない真夏の事態になる〜。と、気負っても俺には無理だろうかな(笑)が・・気負うよ、オヤジは。
(←3月07日 スフェラにて撮影 左 魚屋さん) 

魚屋さんの魚は足の部分は点々4個ではなく大きいという文字なのであるがPCでは出ない文字で漢和辞典にも出ていない、なんだか想像上のドデカイ宇宙魚のような未来生物を想像してしまうのである。 魚やさんではない魚屋さんとはいかなる思想を内包し続けて来た系列の人々なのだろう?

青春18切符にするか、高速バスにするか 検討したり 宿を色々検索してみる。大まかなスケジュールを表にしてみたりする。 

■京都へ行く経路に名古屋東海市に暮らす中部大卒の小林聖明さんに電話をしインタビュー依頼をする。元気あ声だった。

■ 明日インタビューを行う東北大学の 本江正茂先生とメール交換 沢山つたない質問はあるが、1回では済まないと思っている。明日は大枠を聞き取り、その後、細部へ分け入るような具合にしたいのだが。どうなるか分からない。生な面白さに身をゆだねよう。 

■宇部市長選 女性のかたが当選する。地方は土建地方から福祉社会への切り替えを望んでいるわけだよ。「久保田氏は、約70項目からなるマニフェスト(政策綱領)を公表。市長退職金半額化など人件費見直しを中心に40億円の財源出を捻出し産業や福祉など5分野に力を注ぐ計画を具体的に示し、幅広い支持を集めたそうだ


 6月28日 曇りほどよい。

■横須賀市長選、小泉元首相応援者敗北。政権交代への路の兆しかも

■日中読書。隣、日曜なのであろう、隣アパートに仕切おばはん来て異様。ドアを静かに閉める事できんのかな〜。今時珍血縁濃オバン仕切家族関係鴨。

■体験的に焼酎より安価(1000円で2週間)で酔える!を近頃知る。夜 ウィスキー買って呑みつつ、ユーチューブ内マイケル・ジャクソン聴く。80年代末にかけて創作ダンスを沢山観て来たが、改めて見るマイケル創作ダンスはアフリカエロス・ダンスと直結し、そこを起点に作られたかのようであり、アメリカで得たインタメー性も充分加えられて、まさにマイケルそのもの、好感がもてる。情報すくなきアフリカ大陸には超ダンサータント存在している(続ける)はずだが、とりあえずワールド・メディアの中のマイケルは20世紀末の生セックスに意味を失った人類が酔える貴重な宝だ。

■ ことば悦覧イン京都 面会以来をしていた、2日ちょいしかっ経ってないのだが予想以上の了解!反応がある。予定してる7日間の滞在では取材仕切れないだろう。 困った。資金が無いのでやはり野宿とか、おみやげ持たずに行くとか、飲み会はしないとか 、色々対処法を考えねば。焦る

出会ったことの無い建築系の方に直メールにての依頼なのだ。が、myHPに触れていいただいている方の割合いは多い!。 超暇オヤジPC使えないオヤジがヤットコサ書きつづったり、聞き取って誇示脱字の文字起こし公開だ。予期・意図せぬ受けとめられかた は 焦る。 単なる田舎のオヤジです 私(汗)
 

 6月27日 かんかん照り 昨日につづき 35度7分!国内最高温度のよう

ドキュメンタリー映画監督 李纓さんの講義内容をweb頁に加工し電送する。

映画「靖国」昨年春、全国的な問題としメディアを賑わす切っ掛けは映画館が上映をを自粛したことによる。

自民党の稲田朋美議員が週刊新潮を見「文科省の助成金750万円がつかわれ反日映画がつくっれたのではないか?」という政治圧を掛け実質の検閲である試写会が行われた。

彼女は映画を観て後カメラに向かって感想をのべている「いやいやこの映画がどういう映画であるか、表現の自由に関連することなので、とやかく言うつもり全くなくって。この映画が文化庁の外郭団体の税金を使って助成金の対象となる、政治的に中立な日本映画と言えるかどうか。その一点です。観たかったのは。 検閲とかですね、公開にあたってどうこうこと事前に言うこと まったくありません」 政治的に中立なドキュメンタリー映画は作れない!中立な言動なんてのも無い、これは常識なのだが確信犯的に発言していると受けとめるべきだ。

自由な発言の危険性に耐える姿勢が聞き手同士に無ければ、自由な発言を語り合う場は成り立たないわけだ。

そのご有村治子議員がドキュメンタリーの登場者である老刀匠に電話を入れ出演シーンを削除するように圧力を掛けたと言われている(論座2008年6月号p28) 

監督の意図にもっとも近いことを語っているのは誰なのか?知りたくなりて・論座6月号をざっと読み直した。意外や!鈴木さんに失礼になるが、制作意図や意義をほとんど理解していた 一水会顧問の鈴木邦男さんであった。映画監督の是枝裕和さんは制作意図には触れず作り手としての部分の全て理解している、当然か。

■ 日本の近現代史は義務教育ではほとんど教えられてないような状態だ。歴史教育は現代から始まり、近代、近世、中世と遡上するように教えるべきなのだが、逆に下るように教えるので時間切れで教えずに済ませるような教科書に作りに成っている。この国の人々は現代史を学ぶ機会は奪われている。

その上 天皇主権国家であった戦前と、国民主権国家に変わった戦後社会とのねじれがある。実社会には天皇主権国家下で培われた精神がいまだに生きている。例えば 全ての公務員は入れ替わってないので、公務員を絶対者のように思う考え方がそれで、地方を伏流し続ける。 主権者である市民が公務員に対して批判・意見を言う機会は大方奪われているのが 実情社会の様だろう。 人々は物言わないを通す多数の主権者は主権者を自覚しないよう目をつむる、口を結ぶのかもしれない。

2006年小泉前首相が8月15日に参拝した日に靖国問題に行って体験したみたが、李監督が提示している日本の精神を観察するための 優れた舞台空間が靖国であるという指摘そのものであった。 戦後通史は これから、マダマダ先に書くような無様なさまであるが、映画「靖国」は多数在るだろう、その切っ掛けを一つ作った 右も左も中間も 多いに語り合う場が少なすぎた、その点は明らかになった。

6月26日 かんかん照り 35…5℃ 猛暑日になってしまう

「マイケルジャクソン死」のニュースが1日流れていた。米国での人種差別と父親の虐待という二重に彼の人生を襲った困難が原動であり、死期をも早めた因でもあることが語られていた。

アメリカに住む大スターの黒人にある苦悩を理解することはできないが、世界のポップス界に与えた影響は絶大だは理解できる。両方スゴイ!歌って踊ってのポップスの帝王逝く

映画を観てない右翼一青年の街宣活動によって、日本中の映画館が自粛したのは1年ほど前。のち公開されたが、その事件を記憶している人は多いかもしれない。 映画「靖国」の李纓 (リイン)の1時間半の講義を文字起こしする。現在生きている日本人にとって最も重要で貴重な外国人の一人であることが解る。思慮深さ、議題の設定のしかた、作品に対する姿勢、日本語でこれだけ考えることが出来る日本人も少ないだろう中国人。 4点ともに超重量級 そのことを知る 

■ 「ことば閲覧in京都」面会予定者にお願いメールを出す。早速返信も来る。反応が好いので、楽しくなりぞ〜 京都インタビュー三昧

 6月25日 快晴 梅雨の晴れ間の夏日 32度ほどに明日は34℃だそう

■ メールボックスにてドキュメンタリー映画監督李纓(り・イン)監督の講義音声が送られてくる。大学講義音声は数時間後にはmyPCのHDの中に収まる。高田の馬場と福島の350km程の距離はあ!っという間に消える。便利な技術だ。メールボックスを使ってデータを送ったことはないが、いずれ映像など数ギガのデータを送ることが出来るようになるのが楽しみである。 DVDの画像だってあっという間にmyPCに届いてしまう。夢のような技術だと思う

DVDのデータは実体験より受けとめ易い音声と動画に単純に整理されてしまうからだ。 その他の感覚に訴える情報は切り捨てられるのだが、その事で2つの情報が強くデフォルメされる。デフォルメ整理された情報を受け取るだけなので、反動としての利便さに盲目になり 空虚さも同時に背中で大きくなる、この事実をしっかり実感・体験して自覚しないと人間力のバランスは極度に偏り、自然人としてIT社会を器用に渡れないだろう。 実体験から遠く隔たったような、空虚さと茫漠とした寂しさに包まれ 鬱的内在を萌芽させる因になるだろう。予防策としITを激しく使う者は激しく実空間を移動し、両方の術による事象を多くの人に伝えるべきでなないのだろうか。 超IT術生き方の意見を 伺いしてみたい。

■我が家の猫 暑そうだが、年中 寝子しているしている。家の中を探索し、いたずらしまくって、ツメは立てるは、物をひっくり返すは 大暴れだ。暴れた後は疲れるようで体をもんでやると 気持ちよさそうで、モミモミを止めると催促する 始末だ。人間でも猫でも体を触れモミモミは気持ちが良いのだ。俺の顔を見ると寄って来て催促するようになる。綺麗なお姉ちゃんなら嬉しくもあるか・・もしれないけど、猫を時々モミモミしアニマルセラピーの労をねぎらってやる。もんだ後ビヨ〜〜んと体長を二倍ぐらいにして伸びをするのが おぁ こんなに長いか〜!?とおかしい綺麗なお姉ちゃん=人間をもんでもこんなに長く伸びした人をみることはないものだから 本当に気持ちよさそうに伸びる猫は羨ましい身体表現をするものだ。 嬉しい気持ちを猫の伸びのように人間がひょげん出来たら幸いな空気が多くなるのだろう そう想う 猫の仕草の一つだ

■ラジオのニュースによると、炭と硫酸を合わせた新触媒にて生ゴミや木くずなどを糖分に変える。、そのような触媒が発明されたそうだ。石油に依存した社会が大きく変わるかもしれない触媒だそうだ。発明者の教授の話だと石油は糖のなれの果てなのだそうだ。糖に変えてアルコールに変えエネルギーを取り出す。酒にして呑んでしまう輩もいるかもしれないな。温暖化はどうかしらないが ゴミがエネルギーに代え利用する 意外な社会になるかもしれない。


 6月23日 快晴今日の様な天気は梅雨のまにあってほしい。
         イチジクの木は枯れてしまったが 庭の色づいた杏を採る

面会者を募集中である(京都盆地などに暮らしている建築系などの人山崎泰寛さんから申込があった。ありがとうございました。5年以上前から山崎さんには面識があった。顔を知るだけで何もしらないので、「10+1データベース」で検索し、論を2本印刷し読んだ。無料である。「葛藤する家具」のテーマは理解できる、それ以上に無自覚ではあったが、山崎説学校化する社会に対する対案としてmy建築を考えていたような気もした。便利だ。

ぐーぐる帝国は私企業にもかかわらず繰り出されるサービスの利便性に魅せられ、アイホンやPCにてwebを使者なら大方の人間は、使ってしまいはまってしまう恐ろしい帝国である。最近はブック検索関連で、「再びやってくるだろう、儲かりすぎで金融投資で潰れたらどないなるじゃ〜」とか色々が話題にのぼている。

日本の建築界では齋藤歩さん(この頁の後半からその話あり)などが頑張って「10+1データベース」この4月から一般公開された。使っている人も多いだろう。

まだ50冊分全てが公開されているわけではないが、いずれ公開されるだろ。無料で使えるわけだが、著作者へはアマゾンリンクがあり利用者が本を買えば著作料が還元される仕組みである。( 利便な検索帝国より1つより10+1ようなローカルサーチスポットが多様に重複して在るのが健全に思う)

グーグルブックサーチの方は経費を引いた残りの36%を著者に還元するそうである、実入りはこちらが断然高額だから、物としての本を出すより、やがてはグーグル上で出版する本も出てくるかもしれない。材料も販売コストもほとんどかからないエコだと言って。地域差の受読益に差異はない。(現在1割の著作料が入るのが一般的だそうだ)著作権を死守し本を売って儲けたいのは出版社だと赤裸々に事実が晒されてしまった。まずは書くのは 印税目当てに書く人より、自費出版してでも本を読んでもらいたい作者の方が多いのではないだろうか。建築系の人々は。で、建築系の著者は原稿料は無しだろうと推測するが・・分からない

とにかく俺の著書を読んでくれ!という動機が先にあっての参加で、著作料で左団扇生活を夢見ているような人間は建築系本の世界に参加しないだろう。市場が小さすぎるて、団扇用の材料さえ買えないことは明らかだ。5000部売れたら大売れだろう。大方は1000〜数百部が普通の売れ具合なのではないだろうか。

著作者はさておき、建築系出版社が無くなって困るのは建築に関わっている人々自身だ。実物本が法律ものやハウツー物ばかりになっては困る、カチカチの訳の分からんコアな建築本もなくてはならない。

佐野眞一さんが6月20日朝日新聞のオピニオン異議あり頁で 小泉改革によって効率化や経費削減によって、本来の図書館機能が失われ、知の深度や広がりが無くなることを心配していた。 買っ読め!本、例えば『1Q84』のようはベストセラー本や文庫本ばかり揃え、本来の その館に相応しい本の収集が出来なくなっているのだそうだ。ポピュリズム全開の惨状の現実の一例を 図書館から語っていた。 

ネット検索は便利であるが、本屋さんや実社会にはごく普通である 誤配列の妙偶然出会う機会が奪われている点も咀嚼し身につけ日々の読書活動をしよう


6月22日 曇りのち夕方から 雨 気温やや上がる

ぐずついた天候の中てくてくと映画館に出向き 「トランスフォーマー・ リベンジ」を観る。実画とCGの合成が巧みなのは言うまでないが、2時間半の間スートーリはどうでもよくほどんどないに均しい、 歴史的建造物をふくめあらゆるものを破壊しまくり尽くす戦闘シーンの連続である。そんな高等な技術を持つ生命体ならローテクなる 民主主義はなぜ必要なのか、バートランド・ラッセルの著書読んでから地球に来い!とやじってみたくなる。

同じトランスフォーマー同士の戦闘だから当然だが 善玉悪玉の姿が似てて、そのシーンはたんにグジャグシャ絵と爆音である。人類(地球)を我がもにしようとする悪=ディセプティコンVSオートボット=生命を愛する変身ロボットが織りなす画面からとびたしまくる戦闘シーンの連続。破壊シーンが多種多様で失笑しながら観ても飽きない。馬鹿さんシーンの連続だが、スピルバーグとマイケルベイの協力強力タッグチームの放つお馬鹿画像はET以来の肝・超娯楽なのだ。米国人はすっきりするのだろう。

観ての感想はトランスフォーマーってのはキャピタリズムの喩えだな〜ということ。何にでも変身可能であらゆるものを破壊し尽くすのは金融危機を経た今の時代は、だれでもが同意できるだろう。調整不能に落ちいった資本そのものを悪と感じる人が多いのではないか。上海(次に資本が集まる世界)やエジプト(過去の知が集積している場)へ行ってまで破壊しまくっていた。それはスピルバーグたちの劣等意識の現れのようにも思える。資本は人間が歴史的に築き上げた人々のつながりや共同体を破壊する力をもっていた。 歴史的に構築したシステムや技術や物を買いたい尽くし、ペンペンク草も生えそうになくなっている。 多様な蓄積を破壊し尽くしトランスフォーマーしても幸なることはない。今後何が生まれるのかさえ誰もしらない単なるキャピタル・システム。それを知っってしまったいらだちを表しているようだ。。

デバステーターと称される 悪玉は巨大な掃除機トランスフォーマーで コントロール不能は金融市場の喩えだろう。その姿は単に寄せ集め巨大ガラクタ姿大爆笑間違いない。この方達は想像力ってものが有りすぎて世界のポピュリズムをあざ笑っているのだろう。

ウルトラマンが生まれた60年代は冷戦構造があったので 善悪は明快で、牧歌的でさえある。悪は共産主義思想とその国家が抱えた核弾頭の喩えだ。敵国からみれば反転している姿だとは想像もできないお馬鹿さん時代。真っ赤な背景から出現するウルトラマン(m78星雲人)単純な世界を懐かしんでも、何も生まれないけど読み返し 過去をかみしめる時なのかもしれない

ウルトラマンにしても トランスフォーマーにしても国家が国民を防衛してくれるんだ、というインチキは共通している。その点を注意して観るべきだろう。

恐怖心を煽り続けて、善玉ぶりを発揮しつづける国民国家というシステムなくして、個人の自由や生命を守ることが出来ないのか?という疑問を持ち続けなければ 次の社会をつくることはできないだろう。


 6月21日 曇り 気温上がらす

不可能性の時代の決定的な変身姿はまだ現れていないのだろうか。平野敬一郎さんが『ドーン』で描き出したかもしれないな〜

ショボい天候だ! 昨日から始まったsf映画「トランスフォーマー」を観にいこうと考えたが行きそびれてしまう。どのような変身者が登場するのか単にそれだけが興味の対象だ。スーパーマンやバットマン、スパイダーマンは人の大きさだが(人間の女性と恋ができないからね) アメリカ人はどのような者に変身したいのか? B級の興味なんだが。下の絵は 映画館のサイトから拾った。金融危機を経て、武装をし過ぎて身動き取れなさそうな変身者で 笑止千万かも

鞍馬天部からはじまり白馬童子を通過し月光仮面 七色仮面あたりが者どもが 俺たち世代の善悪対立の簡単構図

ヒーロー死ぬことはない 勝利するストーリーは少なからず人々に影響を与えていることは間違いない。

単純に世界構造を考えてしまいたい俺たちは、北朝鮮を完全な悪や凶暴凶悪と設定しずにはおれない。そして自分たちを唯一正しい正義とする。現在の政治や軍事防衛の言葉に端的に表している。非常に危険な状態が続いている、漫画のような反応で興味ぶかいけど。北朝鮮とは休戦中なのであるから、実戦に突入させないための行動や考え方の政治手法こそが 最善の選択肢なわけで、小さな正義を獲得するために 大きな危険・戦闘に陥れる言動は慎むべきだろう、やたら恐怖を煽る報道も害。

俺たちの後の世代は何たってウルトラマンだろう。原爆・水爆に対抗するためにはこれだ。、宇宙人や変身者に成長している。人間を越えた巨大な姿と力をもつ。月光仮面も人間の寸法だった。仮面を捨てつつ変身過程者は、仮面ライダーなんだろうか。宇宙せんかんヤマトは男根のようで笑えた、エネルギー集めて巨大な発射はまるでそれだった。 武器はなぜ男根の形に似るのか?

敵なんかどこに居るんだ、お前の脳みその中か! より強くなりたい空想・願望が選びとった技は 変身。ウルトラマンの技はジャイアント馬場の技に似ていて、マンネリ技で進歩がない。経過技、その点が可愛いので子供は混乱せずに没入できる。 

ガンダムからエバンゲリヲンへとだんだん悩んでしまう者が登場し 中性化も激しい。巨乳をも装備していたりして、女性も戦場へかり出されている。

トランスフォーマーはどんな巨大な人間に代わる闘う者、や人間ではない何がかが変身するのだろうか? 来週からエバンゲリヲン序破急の破も はじまる


6月20日 曇り 天気予報当たらずやや冷え

森達也さん講義内容をweb頁にし電送する。


 6月19日 曇り

酒をすこし呑んでも鼻が詰まるのはなぜか? そう、年老いて来て体力・免疫力が衰えたからだ、そうかもしれない。しかし酒はの楽しみたし、鼻は詰まる。ドウしよ

鼻づまりながら大学講義文字起こしをする、坂本弁護士一家殺害事件や 地下鉄サリン事件を起こした オーム真理教の信者をTVドキュメンタリーとして作ったが、被写体である信者があまりんも純真な人だらけだったので、メディアで作り上げた凶悪犯人像と違い過ぎ、て、TVでは放映されることはなく、映画にして公開した『』や『A2』の監督であり 昨年は『死刑』を出版された森達也さんの講義

(写真はネット上より)

鼻づまりの時期には合わない死刑問題あれこれ、息苦しさが死刑の実感と重なるのか、妙に気分が悪くなるのであった。内容の質とは全く関係ないんだけど。体調悪いと妙な受け止め方になってしまう。

04日の日記に書いたが4月から裁判員裁判が始まったので誰でもが裁判員になる。そこで死刑と無期懲役の違いも知らずに裁判員に選ばれても裁判になるんかいな〜と思う感情は消えない。市民(裁判員)がメディアが作った凶悪報道に晒されて怖がって、例えば和歌山カレー事件のような成り行きで、死刑を言い出したら 裁判制度は崩壊だ。

日本人は81%ほどが死刑存置を望んでる(他の世界は40%だとか)異様な国なのだそうだから、「死刑って何?」を知るためにも森さんが出された『死刑』を買って読むで裁判に臨むのがよいだろう、または政府が率先して公開処刑を実施し、みんなが絞死刑執行の場に立ち合って、死刑の何たるかを学んでから 裁判員として登壇してもいいのではいだろうか。死刑を宣告するんだったらそのぐらいの責任とってから裁判に臨むのが 大人の態度だろう。


 6月18日 曇り 冷える

人間は機械じゃないので 機能の集合のごときに考え修理したり部品を交換するような感覚を持って技術を向上させようと考えているとしたら 人間の理解を大きく損ねている 人間の存在価値は複合的で時間の流れと共に揺らいでとどまらない

ドナーは15才以上という年齢制限が取り払われた、そしてドナー自身の意志が確認されなくっても(幼児ドナー想定だろう) 家族の同意(人は家族だけの存在ではない)があれば移植可とする 臓器移植法へ改正可決される。海外へ出かけ移植する人がでて 自分の国の臓器は自分たちで確保しろと外圧批判が高まったこともあるのだろう。修正A案ですんなり可決だ。

家族の範囲の定義も曖昧、愛人や隠し子が居て「俺も家族だ」と言い出して後で訴えられたら大事になるだろう。また移植したい医師に「あんたの家族は脳死しました、さー移植に同意して」と聞かれた家族の者だって、悲しみや動揺混乱の中で、まだ息の有る親密な者に対して 死の決定宣告する(殺す事に手貸すような行為)ことは、後の人生に大きな負担になるだろう。安楽死認可の問題も同様、死は生き残された者の問題だから普段から話し合っうべき大切な事柄なのだろう。

大方が提供するようになっっても、受け入れることが出来ない者に対して 臓器提供しない!と白眼視する社会になっても非常に 困る

改正しても術数は増えないだろう ドナーは増えないだろう。自分が生きている間は愛する者の死を受け入れる事がない、何時までも一緒に生きていると思い暮らし続けてきた人々、 我が国の長い歴史の中にある生死感になじまないように思える。

こちらに税金を使ってもらいたいものだ。IPS細胞にて人工臓器どんじゃか山中伸弥教授に増産しいだだければ、免疫不全も起きるような危険きわまる他人の臓器を当てにした医療行為が無くなるだろう。まだまだだなのだろうか。


■ 俺が高校生のときに北海道大学でおなわれ心臓移植のニュースには驚いた!!俺の心臓もむしり取られ他人様の心臓になっちゃうなんて〜トンでもなく怯えた記憶がある。そのご宮崎さんという移植された青年は2ヶ月ぐらいで死んでしまい 和田という医者の強引ぶりが 殺人じゃないか?と問題になったことも うっすら覚えている。ネットで探したら色々有った。

1972年に日弁連が医師に対して発した警告文の一部をコピペしておこ(写真ともwebより)

一、心臓移植における受給者の適応は、当該心臓移植に関係のない内科医を含む複数の医師の対診の下に決定すること。

ニ、提供者の死の判決は、当該心臓移植手術に関係のない麻酔科医を含む複数の医師の対診の下にこれを行うこと。

三、関係資料の散逸を防ぎ、爾後の検案に支障なからしめ、いやしくも、隠匿または湮滅を疑わしめるような行動をしないこと



6月17 曇り やや涼し

インタビューイ(面会者)募集
8月初旬に京都市内を中心に「ことば悦覧in京都を行う予定。30才前後の、独立系建築家などを中心に建築批評家やアーテストやデザイナーをインタビューするつもりだ。 今月中に希望の方、メールいただければ幸です

3月に 岡田栄造先生に紹介いただいた、川勝真一さんと魚谷繁礼さんには数名紹介しいただく。縁あった人を介さず 今日まで縁の無いけ話を聞くべき建築など系の人にも出会いたい。募集してみることにした。(不特定多数の人がこの日記を読んでいるとは思わないのだが・・)

衆議院TV 45分ほど党首討論 人間(福祉や弱者)に重心を移す政治か 従来型とおり聖域無き構造改革 福祉や医療も切り財政保全を優先する政治か くっきりわかれた 

 6月16日 晴れ日中真夏なみ よる冷え来る

庭の木々が大きく成長し日当たりが悪くなり我が家の壁の蔦は枯れ出していた。いつか芽吹くだろうと眺めていたが、2年経っても芽は出ない。あきらめて 壁から枯れた蔦の幹を一部外し処分する。25年物で太さは4、5pもあった。 RCの壁には蔦の生きた証である、樹幹の跡が薄黒く刷り込まれている。

庭には個人住宅では禁じ手である高木になる木々が植えてある。もみの木を除き全て落葉樹だが 道路から眺めると、こんもりと茂り森らしくなってきた。電線や道路上に繁殖しはみ出している枝もあり、野生を手なずけるのはこれから大変になりそう。いつか一斉に自宅の建物の高さに切りそろえ、自宅のボリュームや質と 木々のそれらを並べて眺め楽しむ予定なのだが・・野生は勢いよくって こちらがへたれてしまうかもしれない


 6月15日 晴れ日中真夏なみ 夜冷えあり

食材買いだし。スーパーの店のガラスに小学1年生前後子供が父さんを描いた絵が貼ってあった。大きな顔だけで手足姿の無い絵 色鮮やか全身を描いた絵、モノクロで目鼻だけの絵・・などその子と父親の関係がはっきり読み取れる。 飾らせた家の人はその絵が、家庭の中での父親の置かれた状況というか、父親がどのように認識されている存在なのか はっきり読み取れてしまう。 実は赤裸々に家族関係を表している、写真より恥ずかしい物であるということを分かってないのだろう。こちらが青ざめたしまう絵もある。 

一通り見て感じたのは、父と子のふれあいは 顔の表情だけ済せている家庭が多いことが分かる。これも現在だとすれば子供たちが成長した15年後の社会が理解できたような気分になってしまうのだが・・・俺の予想は外れてほしい。

■家人「町で14年ぶりに物を買た」とのこと。お互い長い闘いであるな〜まだまだ続くんだが・・。人間は不思議な存在だ、その時々の状況の流れに身を任せ抵抗せずに生きる術を学んぶための長い時間、14年だったように思う。同時に貧乏暮らしの幸と平安のなんたるかもしった。

■『羅生門』大正6年(1919年だろうか)に出版された芥川の短編集を1982年に復刻したもののようだ、古物屋さんから300円で買い読む。身につまされる内容が多いのだが、黒澤監督映画「羅生門」との違いを比較し思うも、中身がまるで違う作品であり、黒澤監督の誤読ぷりというか、類似作品を生み出す監督の視線の果てと原作のそれとの違いがはっきりわかる 面白い。 黒澤映画って原作と違うな〜と思ったその違いがどういう精神性なのか、分かった。

古い書体・活版印刷だし、漢字も今は使われて古いもものが多くルビもふってあることもあり、黒澤監督と比べても芥川さんは人間離れした精神世界に暮らしていたことが理解できたような気分になれた。

人間の冷酷さを見詰め記述する視線においては芥川には、かなわないんだけれども、映画「羅生門」のラストは 捨て子を家に連れて帰って育てようと立ち去るシーンだ、そこには黒澤の人間性が溢れていて、未来に希望を投棄しようとする態度は俺は好きだけど、異論はあるだろうな・・。

 6月14日 午前 雷雨 ごご曇り、蛙が鳴き梅雨らしい夜 

13、14日と大学講義文字起こしをしとweb頁つくりを行い、先週ぶんの追加訂正を加えようやく電送する。

  LGBT問題は「ハートをつなごう」というNHKの教育テレビの番組で引き続き作られていくそうです。マスメディアの対案形式の番組で 視聴者=当事者参加制作する番組です。

で建築界にも居ると思われるのですが、 L=レズ・G=ゲイ・B=バイセクシャル ・T=トランスジェンダーなどの方や セクシャルマイノリティの悩みを抱えててくらしている皆さんは参加してみてください。出されたメールはデレクターの宮田興さんが必ず目を通すそうです!


■ 東北大の本江正茂先生をゲスト迎え 6月30日19時ぐらいから 仙台の呑み屋さん(場所未定)でインタビューをさせていただくことに。
 ワイワイ予定の内容
 情報技術の使い方は
 1)建築系ではどのように進展しているのか
 2)建築(物)にどのような影響を与えたか
  特徴的な具体的例を2、3
 3)教育(自発性の発露を助ける)の場に与えた影響
 
本江先生の「研究史」について
 
「仙台という建築的事態」を咀嚼するまっとうな態度と手法とは
  などを語っていただく予定 

 6月12日 

鳩山総務大臣、事実上更迭され辞任。カンポの宿をオリックス不動産に一括売却することになっていた問題を再度検討しはじめたことに端を発し 東京駅前などの郵便局保存問題のゴタゴタなど は、自民党内の上げ潮派(小泉改革派)の意見を採用し総務大臣が身を引いた。問題の真相は曖昧にされそうだ。

■社会が成熟することと 平行し、近代初期に作られた家族制度は崩れだし、高齢化という波も押し寄せて、血縁に基づいた近代家族関係に代わる新しい人間関係のあり方が探られている。 戦後経済政策によって生まれた核家族の強い縛り(規律訓練型社会の害によって生じる反動である、家族内殺人や外向き行動である通り魔事件などは、この1年もメディアを賑わしている。 周知の事実であるが、根本を解決すべく 代わりの人間のあり方・関係手法を人々は手に入れてない。

血縁や異性愛による人間関係だけではない 多様なありかた ゲイレズのカップルで人生を全うする人は多くなったいる。しかし、カップルが壊れたときの諸問題が語れることは少ない。長い間あったけど歴史の事実から隠されていた セクシャルマイノリティーの存在について語られる機会は多くなっている。そのような中の問題を提起しているNHKのハートでつなごうを制作している宮田興デレクターの大学講義の文字起こしをする。

講義の内容ではないが、
男の金玉を包むフグリの中心を前後に流れる縫合の線は、男は女性を経て男に成ることを示しているのだそうだ。お実ちゃんがのび男根となり、女性器が縫合し閉じ金玉が体内から降りてき 男のホルモン体系と形体が作られる。ふたなりと呼ばれたり、性同一障害と呼ばれる問題の発生源は 女から男への形成過程でのようだ。だから ゲイは体は男だけど、脳が女性、レズは体は女だけど脳が男のように発動してしま人間、 さらに両刀使いと言われる、曖昧なあり方もある。大方は異性愛者。 それらは皆 人間の豊かさや多様性を表すわけで、感情的な扱いは別だが 忌み嫌うような性質の問題ではない。そういう事が理解され多様な人が在る社会は、アウシュビッツの対極であり よい社会の一つなのだ。


 6月11日 雨のち曇り 

東北地方も梅雨入りしていたそうで、雨などふる。

住宅ローンの返済が終わり、抵当権設定が解除された。登記上の書類を銀行に取りにいく。手数料をくれと言い出したので、話の筋が合わないと、抗議したら、あっさりと手数料の件は無かったことにと引き下がる。あきれた言行だ。貸し手を信用しないから抵当権など設定して、万が一に備えるのは借り手の都合だ。そのための経費を借り手に負担させようなんて、認める借り手はいるんだろうか。言われた通りに支払う者が多いのかも。ダメもとで言うのか、ヤレヤレ。 家を建てる金が無い、貧乏だからといって卑屈にならなければならん?そんなはないぞ。20年間ほど、この地の住宅政策の貧困を体験し続けたたローン支払期間。建築家としてはよい体験。これからも貧しい住宅政策を考えつづけねば。


6月10日 曇り 夜ぐずつきつき小雨など

食材を買い出す、レジ袋が有料(一枚3円)になっていた。

■宝塚市湯本町で設計事務所を営み大学で教えている、宮本佳明さん著 『「ゼンカイ』ハウスがうまれたとき』(2006年王国社出版)細かく読み終える。

5年ほど前 宮本さんにゼンカイハウスなど数件、直に案内していただた。その時の内容は体験記に仕上げるため下書きしてある。聞き出したいことがあって、数年そのままになている。この夏には宮本さんに再会しインタビューさしてもらい、仕上げる予定。本の内容と重なりダブりがあっては、拙いので、細かく読み進め、聞き出すべきことを整理し眺める。

■ 大阪の柳原照弘さんに長電話をする。近況と今年後半のことなど聞く。

■夜、my長女と長電話。 


6月09日 晴れのち曇り 西日本は梅雨入りしたそうだ

昨夜は久しぶりに映画を観たので感想を書いておこう。「消されたヘッドライン」

いつ起きるか分からない事件を扱う事件記者は寝る間は無い、夜討ち朝駆けはごく当たり前、苛酷な生活を生き抜かなければならない。全国紙がある日本とは違ってアメリカは地方紙がメイン。エリアが小さい地方紙で事件記者をするのは公私混同しそうな困った立場に置かれる可能性が高い。 例えば殺人犯が同級生だったり、親戚縁者だったりと、知り合いだったりと。事件記者を辞めてしまいたくなるような、泣きたい場面に遭遇するだろう。それでも事件記者は・・。

消されたヘッドラインの構成は 大学に三角関係にあった友人たち、3人の10年後当たりを軸にテンポ良く展開する。

主役は女性デスクに豚野郎とののしられるラッセルクロー演じる事件記者。悪役は軍事費の不正使用を追求する政治家。三人目が元マドンナで、不正追及委員会のナイスな女と不倫イク行くされてる政治家の

元マドンナは 三人が関わってしまう、殺人事件を境に心が激しく揺れ動く。夫と分かれ事件記者に求愛したりとケツが座らなくなる。ここまでは豚も食わない腐った同級生ラブストーりーか〜とうんざりさせられる。1回落される。そこから先が思わぬ展開が続き、さらに、最後の最後にどんでん返しがやってくる。作り事ってのはこれじゃなきゃ〜と思わさせてくれる、映画ってオモロイね〜と言える娯楽作品。

ラッセルクローの役作りも見物である。大学時代ラブ競争に敗れ冴えない独身生活。いかにも不規則な生活を続ける事件記者らしく、でっ腹に無精髭に長い髪に、着替えない洋服。ちょっと近寄って欲しくない、すっぱ^い臭いが漂い、入室瞬間に汗臭さが仕事場に充満ししゃそうだ。 スーツ姿に朝しゃん、警察垂れ流し記者クラブ情報をそのまま書く日本の事件記者音かっこいい姿とはまるで違う。こんな事件記者いやしない。作り物、嘘だ分かっているが、警察まがいの行動で取材を続ける、かなりな不正行為も平気実行、記事を書くためなら、何でもしちゃう。元マドンナにも、私はあんたの取材源だけね!とぶち切れられちゃう。

嘘か本当かは知らないが我が地方紙のとある温泉地おかみさん担当記者はイケメンが続く。 取材源と広告源とラブラブ源が共存共栄(曝笑)が続いているそうだ

この豚風貌事件記者も殺人事件の取材源である、政治家との妻(元マドンナ)とヤッタ!やったね!「やったから事件の記事を書かないんだ!」とデスクや同僚から冷笑され続ける。ラストに向かって、友情愛か、取材は続き、事件の真実は何か、と複雑な状況は ドンドン窮地は狭まり、記事にしなきゃ首が飛ぶ、圧迫死しそうな最終局面=スクープ締め切りへと進展する。 ということで結末は観てください。

イラク戦争や経済危機を経てなのか学習したってことかもしれないが、 中国映画の様な誰も主役でなく、決してハッピーエンド無しの世界はそんな風に淡々と続くのさといった 大人の味わいが出ている 映画として仕上がっていた。



6月08日 晴れ 

秋葉原殺傷事件が1年経ったことで、ラジオでその話題が流れ続く1日。まだ裁判が始まってないので、真相はわからない。ラジオなどの情報は、警察ネタなのだが人々の記憶は警察直伝内容で固まってしまうだろう。 監視カメラや、見守りたいもそうだが町警備などの人々は 警察テリトリーに組み込まれていく様子がうかがえる。そんな話が多かった。

数日前に巡査だったかが、お婆さんをひったくって高校生に追いかけられて捕まった。その時高校生は「世も末だ」と言っていたが、以前から 世は末だったのだ。 親は、子供にその様な社会に生きていることを 教え込んで、度に他者を恐れないための手法、例えば 他者を見抜く目と、フレンドリーな人間関係を築くために、コミュニケーション技術が 重要なスキルだということを。具体的に実践して見せることが大切なこと。
不可能性の時代と言われる現社会を生き続けるためにも、異なる他者との対話術は必修だ 

■久しぶりに映画を観よう(笑) ラッセルクロー主演だと思うけど日本タイトルが「消されたヘッドライン」 感想は観てきてから



 6月07日 晴れ 

近頃新聞広告をみて、やれやれと思ったことが2つほどあった。ソウカガッカイ、オーム真理教にづづいて コウフクジツゲントウの 新聞広告が出ている。憲法20条、との関係で微妙だ、政治的行動をせぬがゆえに免税があるわけだろうし、一括教祖に従い投票行動は個人の自由な精神活動を侵す、そのもだ。 与党を握っているわけで 困窮期に派遣村的活動をまったくしようとしない宗教団体の現実を見て 免税は廃止したほうがいいと思う。実現しないだろうが・・。さらにもう一つ

■ 3日ほど前の新聞広告に目が止まった。週刊新潮最新号の広告見出しだ。そのなかに新聞社の押し紙の割合が「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに棄てられていた ジャーナリスト  黒薮哲哉とうとう新聞社内部から押し紙や再販制度を解決するべく、雑誌広告のかたちをとりながら、そっと新聞各社の暗部を晒し始めたのだな、そう感じた。

押し紙ってのは販売数の水増しのことだ。水増し分の新聞は刷っている。水増しするために新聞販売所に、実販売以上の部数を押しつけることで新聞社には残紙は無い。 業界用語で押すというのだと想う。押し紙の目的は、折り込み広告や広告費つり上げるためで、シェア率をあげてたり、発行部数を増やす事で、それらの料金をつり上げるため押し紙するのだと思う。 水増ししてる分は古紙として誰にも見られずに即廃棄処分場へ直行していた。業界人なら誰でも知っていた暗黙の了解ってやつだった。

素人は 廃棄処分するなら、実数を明らかにして 水増し分を刷らず経費を削減し、購読料金を安くするのが良いだろう、そう考えるはずだ。甘い、素人は。そうならずにズルズルと押し紙は続いてきた。新聞ファンとしては困ったもんだと思っていた。

昨年の金融危機以降新聞社などは広告料が激減し 広告収入と販売収入の 割合が逆転したそうで、この夏のボーナスは以前の40%に落ちてしまう、そんな内部の話を聞いた。 地元の新聞社も同様のようだ。新聞社もいよいよ、なるふり構ってられないせっぱ詰まった状況になり、つぶし合い=新聞社戦国時代に突入したようだ。(ミサイル・インフルなど沢山ありすぎる、メディアスクラムのような様は 記者クラブ制で・飼い殺し・飼い慣らされて、へたれてしまったこともあるだろう)

冷戦構造が崩壊して20年経って右左論壇の配列区分けが意味を成さなくなったこともあるが、 新聞同様危機にある、雑誌は休刊が続き旧体制の論壇の存続は風前の灯火が続いていてる。同時にプロ編集の意義と、プロ専門誌の存在の意味と意義の洗い直しが続いていて、とてもスリリング。紙媒体は異様な状況になっている。(他方、情報操作が効を奏し・1Q84は異様な売れ方だ) 各地世界は「虚構の世界へ」と突入しているようで、アニメやコスプレの世界進展拡大とは対照的だ。

新聞・雑誌がこのような危機的なのか異変状況であるから、露出する暗部やアキレス腱を素人はチラリと見ることが出来るまたとない機会だ。そのことで、素人勝手ってメディア連は 学ぶチャンスと目を凝らして些細なネタも見落とさないよう注意していたい。


 6月06日 曇りのち雨 ぐずついた天候

洋書店を営みながら建築批評や若い学生に薫陶を与えようとしたり、身近な大学で講師をしていた、大島哲蔵さんが亡くなって7年が経った。関西ではどうなのか知らないけど、家人が時々泊めていただいた大島さんの実家での様子を話すぐらいになった。それいがい身の回りでは話題にも上らなくなった。人間は忘れる。それでいい。 だから記録を作りのこして振り返って記憶を呼び起こす。そういう作業は生きている間は繰り返して行うのがよさそうだ。  

ゼロ年代に入ると、女性の知り合いも死んでいくようになった。発注者であった二人の女性もこの10年で亡くなった。

死んだり、無縁になったり人もいるが、 新たに知り合いになり、親しく交流させていただいている 大勢の若者と出会った。人生はそういう両極のベクトルの瞬間の狭間に揺れ動いて在り続けるのがよいさそうだ

 死んだ人よさようなら!  出会いあり人 よろしく! 

 6月05日 曇り

家人 数日まえから手芸をしだす。本来の自分の一部を回復した出来事。やや安堵。3年後ぐらいには以前のような活動範囲になるだろう、そう想像する。

朝から晩まで大学講義文字起こし。公共放送の鎌倉英也さんの講義。アウシュビッツと広島を題材に「記憶と記録」をテーマとしたドキュメンタリー番組制作現場の内側の 詳細状況と課題と反響など。 番組改編圧力の問題など、公共報道と政治の関係もすこし。

6月04日 晴れ 

裁判員裁判がはじまったばかりだというのに、裁判員に選ばれたら困難なことだらけ。死刑とは何か裁く側は無期懲役と死刑はどのような違いとして理解しておかなければいけないのか

弁護士だっったら知っている、基本の基本さえ知らないわけだから、そこを知って学んでからじゃないと、 裁判員裁判は時期尚早ではないのか、と考えさせらるニュースが2っあた。

(写真 web朝日より)

一つはDNA再鑑定の結果犯人とは異なるとわかり釈放された、無期懲役が確定していた菅家利和さん(62)自白を強要したのだろうから、今後 調書を取る取調室は密室をなくしTVRなどで記録するのがよさそうだ。裁判員が事実をしるために役立つだろう。

もう一のニュースは 土浦市のJR荒川沖周辺で8人連続殺傷と別の殺人事件を起こしたとして、殺人罪などに問われた 金川真大被告(25)の裁判。この被告は 裁判制度を作った時点では想定してない人間だろう。この被告をどう裁くかという問題。 犯行動機が 「自分でギロチンのボタンを押すより、人に押してもらう方が楽だから」といわれちゃ。被告にとって最も苦痛な刑は無期懲役ってことだ。2人以上殺せば死刑っていう暗黙の制度がある日本。困惑させるような被告の主張。

この被告のような 日本人なのにおおよそ仲間としては困った存在を 仲間として認めてともに暮らすことが出来るような、人間らしさに変えてしまう術を 日本人は手に入れることができるのか そこも試されている

■06日追記=釈放後 会見詳細へ 足利事件は他に2件の殺人事件の自白も強要されたと語られている。無実を信じて支援した 主婦の西巻糸子さん(59歳、「菅家さんを支える会・栃木」代表)を記憶しておこう

 6月 03日 

仙台藩を中心にした近世期の歴史研究をしている my長男の話によると「外様藩だったのでだろうか、公文書は書体や記述法が独特で、特性があり、くずし字一般に比べ読みにくい」のだそうだ。そんな近世の地風を今も背負うわけでもあるまいが、僕にとっては仙台はなかなか 読み込み、食いにくい地である

そこで今年度は仙台を芯にした建築関係者に会い「読み込み、食いにくいと感ずる、それは何が原因か」を確かめようと インタビューを試みている。「独特な文字体系をもった閉鎖性 故に 内向き・守る方法が140年経っても続いてのであろう」との仮説を立て話を聞き始めている。

建築関係者を中心にしての活動なので、その大風呂敷に対応した解答を手に入れることは出来ないと思ってもいる。後は行動しながら考えつづける方が健康によろしい。

 櫻井一弥さんの記録を作り公開する 櫻井さんありがとうございました 


6月02日 晴れ 暖かし 

MGが国営会社になったというニュースが新聞で届く。貧乏を幸とし 車には乗らない生活に変え 6年ぐらい経っただろうか。車に興味が沸かないので 思い出せない。米国に国営企業が出現しちゃうなんて

■昨日 仙台で買い求めた 思想地図vol3
   藤村龍至さんが「グーグル的建築家像をめざして」を著している。

1995年以降の中でも、とぎれとぎれにではあるが藤村の考え方は出ている。だが、薄いバラバラで読み応えは無かった。この本の論をもって補われたな〜と感じた。彼の活動が一段落し、次の段階に入るのだと知らせる本でもある。

一年半ほど前に初めて聞いたときに、「批判的工学主義の批判って、混濁していて分かりにくかった」しかし1年ほどの間に行った藤村自身の活動や、仲間・チームラウンドアバウドジャーナルの活動などを経て、初期の不明を誘うムダな言説が落とされ 広く一般の人々の下に届いても 理解されるような 内容になった。そのことを確認することができるのは嬉しいことだ。(多くの他者と討議するベースが出来たこと) 言論の界隈で藤村の論がまとめられて出版された事実は 建築界の見えない病の重さを照らし出してしまったわけだ

時々田舎から出て行って、身近にて藤村を観察しているけれど、建築界の他者の人達の反応や受けとめ方などの諸相を知らない。

感想を書いてメールし たら今日返信が来て、建築雑誌の感想も書けと言う なかなか 積極的 百列流星拳を放つ 憎めない男だ 俺はそ のような仲間が大勢増える様を望んでいる。それから 藤村のような若者が大勢出やすくなるような、社会を支える、そのためにささやかな活動をして行きたいとも思う


 6月01日 快晴 さわやか 

31日は夕方から仙台。myy長女の家でワイワイ。 pm8時過ぎにmy長男が合流。先日発行された近世史論文「仙台藩の献金の百姓と領主・地域社会」の解説を聞く。今に換算すると、金銭感覚がどのぐらいなの?そこが分からなかった。 無理やり現在の金額にして1億〜2億円ほどの献金だそうだ。 献金へのインセンティブと結果として献金者への表象しかたなど、「巧みな仕組みだ」と思う。逆ベクトルの調査も課題としてあるそうで、それも面白そうだ。

それにしても近世期の文章の漢字はよめるが 意味が全く分からない! 。同じ漢字おなじ日本語にて書かれた文章に 接すると 文字の不可思議と可能性、社会との関係で意味が維持される面白さなど、味わい深い。

時間や場所と地続きである近世という異界を想像する柔軟性は、現実の豊かさを保証してあまりあるのではないか。シミジミ  

のちmy長女の研究議題の設定のしかたなど話してもらい ワイワイ。 面白そうだが 一生掛かっても解明できるかどうか 大きく長い射程、広範な領域に渡ので、最初地味、小さな領域地味から開始するのが、良さそう。 研究者は大方が変人だと思うけど、おもいっきり変人になってもらいたいものだ。

変人になれなかった俺は、そう思うのであった。羨ましい。時 既に遅しってことだな。やれやれ。これから やれることだけやろう。 

左絵 4年生 大橋秀允に撮っていただく

■ 01日は櫻井一弥さんにインタビューをする、雑談などや、見学など含め4時間ほど。ザッダン内容は除き速やかに文字にし公開予定。 櫻井さん時間を割いていただきありがとうございました。

場所はトンチクをお借りしたので、先生に挨拶すべく 出向いたら本江正茂先生が偶然 仕事してたので、厚かましくもぐいぐいと 月末インタビューのお願いする (笑)。

今年度は 足繁く 仙台に出向こうと思っているので、幸運だ。