佐藤敏宏の 2008年12月の日記       home  

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12月31日 晴れ

 年末年始の食材とおとその買い出しをする。スーパーは日頃より3割ほど人が多い。直段もやや高いかも

 今年6月1日にやってきた2匹のネコ 300gほどの体重だったが半年たって4kgに育つ。我が家のアイドル座を不動のものとしている。 ネコは炬燵で丸くなる、その歌のように炬燵を占拠しそうな大晦日の様

本年であった多くの皆様 ありがとうございました 来年もよろしくお願いします
(写真 ミハイル兄・ラルフ弟爆睡中)
本年縁がなくなった皆様、寂しくありましたが 来年は楽しいご縁を再開いたしましょう。 皆様よいお年をお迎えくださいませ
    感謝!!




 12月30日 くもりのち よる あめ 風も出てきた

予想してない沢山の出来事に出会い、幸が多かった今年も残すところ2日だ。

 居間の大掃除を行い、年賀状など作り始める。夜9時過ぎmy長男が来てワイワイ 

  12月29日 晴れ 

積もった雪が溶け始め 道路は水浸し 車が通る度にばしゃばしゃ水をはねかけるので、かなわない。 雪の後はこれが最悪 雨なら流れてしまうのだが雪は後がよくない。


NHK 夢の美術館 ー世界の名建築100選 新建築社編 1800+税 が届く。メキシコのエル・カスティーリョ の写真三点とカンボジアのバイヨン寺院の写真3点の計6点を提供したからだ。奥付に名前など表記がある。

高校のリンゴ農家の先輩の家に出向きダベル。毎年恒になっている 高校時代の先生と奥さんの悪口に花が咲きてダベリ〆。どうして先生はあんなに徳がないのだろうか。「先生って世間知らずだから」と先輩は言うのだが・・分からない。嫌われるのも一つの才能で、人間の不可思議さを示しているとは思う。 佳い反面教師なのであるな〜 この俺が 近づきたくないと思う唯一の人間かもしれない。スゴイ才能じゃないかい。俺たちが近づかないので 平安な日々が保ててる ってことにしておこうじゃないか。

  嫌われ者のお爺さんたちにも幸いな新年が訪れますように (笑)   


  12月28日 曇り 

ほとんど水とは言わぬが べたべた雪で、雪が重たくってしょうがない、さらさらした雪だと片付けはラクチンだぜ。 降った日に即 掃かないと 残った雪は氷状に固まり、ツルンル滑りやすくなる。 放置したままで 氷に固まらせ 片付け作業は 即 掃く数倍 骨が折れる。 

見渡す廻りを一通り雪掃きすうると 2時間ぐらい掛かる 運動不足気味のメタボもどきオヤにとって冬場の雪掃きは良い運動かも。 汗だくになる。

今日も 降雪のため 米沢福島間が不通になり新幹線が一時動かなかったようだ。夜になっても気温が下がらずべたべたのままだ。明日は晴れそうだ。

有馬記念は37年ぶりの牝馬が逃げ勝ちとか。 馬の世界も雄はへたれ多しなのかな・・女性好きの俺にとっては 男がへたれだろうが 一向に問題はない

(左絵 宣伝会議 1900円+税
 監修 伊藤香織 紫牟田伸子
 編者 シビックプライド研究会)


● 太田浩史さんに誘われ 船引町のまちづくりの一端に参加させてもらった。

そこでいただいた本

太田さんは「さとうさんの 建築あそびの一連の行為は一人町づくりだね」と。言わなかったが そういう自覚は有った。 自分で言い出すと 嫌われるから 言わなかっただけだかもしれない。 

福島にて建築をワイワイしに行こう」と 思い立ったら俺を思い出してもらえるぐらいには ならないとしゃーないでしょう・・・。それが地方で生きるってことだと思うのだ。

 そうなるためには色々な情報を自分で発信したり、他者と積極的に交流したり、多様な方法で 生きている建築家を実践するしかないわけだ。当たり前の話だけど。 

情報は誰かに与えてもらうものではないので、自分でつり出したり加工し活用するものだからだ。  30代からまちづくり行為のようものには 積極的に沢山参加して来た。 自分で企画しいろんな事をやったな〜と思っている。 だから多くの失敗や苦い思い出はある。 近頃は 建築関係に目が行っていて まちづくりには関心が沸かなかったは 正直な気持ち。 でも今月初めに 太田さんが軌道修正してくれたので 興味は沸々と沸き出してしまった。 休火山から活火山へ(笑) 

来年は (各地ことば閲覧+まちづくり行為)=シビックプライド醸成一人イベント として ガッ道=活動に目覚めるつもりだ(笑)  いろいろ行動し失敗を積み重ねてみようと思っている。


このところ 各地で 耳にする、まちづくり。 行政主導型のまちづくりは盛んなのだが、やはり 住民が主体となった まちづくりが起きないと 補助金乞食の様に落ちてしまい、補助金切れが まちづくりの活動停止。それでは淋しい限りではないだろうか。 だからと言って あらゆる人間がまちづくりに関わったり 興味をもつ というものあり得ない話。

 役所起こしのような様から出てから まちおこしへ。 そしてシビックプライド醸成への道のりは 途中で 商業主義や観光主義に偏って仕舞がちだろうから シビックマインドの醸成への路 は  とても険しいと予想できる。 しかし少子高齢化社会にあって その路を獲得せねば とても淋しい暮らしの様となる。   仕事起こし+人としてのプライド起こしを同時に達成し手に入れなければならない 課題だ

来年はいやがおうでも政治に注目があつまる年となるので、変革の節を付けることが出来るかどうか 注目していよう 

まちづくりって 大方いわゆるオヤジ達ばっかなんで 有馬記念のような 先行逃げ切り型の女性達が 活かせる職場・場所だと思うね。本当の事を書いたので 、俺の職場がまた消えたかも〜  笑〜  


 12月27日 雪 午後あがる よるチラチラ

今日の雪は湿ってて重たい。庭の雪をかいてへたる。トップライトガラス面の雪をかいてへたる

土地を買ったとき おまけで付いて来た、物置はへなへななので 総計40p弱の雪でもへたれそうだ。 で、屋根に登って 雪を下ろし へたる

右手首が痛くなる。重たい雪とは言っても、春先のべっとりとした重たさとは違う 昨日の細雪より重たいな〜と感じる雪

福島盆地の西を通過し大雪国へと至る 板谷あたりは積雪が多、2,3mはあるだろうか・・それは冬なら当たり前のことで、温泉旅館は営業はしてないの場所だ。 今日は新幹線が雪のため一時通行出来なくなったそうだ。

山形へ新幹線に乗って冬場に行くと、とんでもない雪国を通過している〜 ので、数時間停車したらど〜なの 凍死するな〜 冬通過する度にいつも 動揺してしまう俺だが、今日の乗客は皆さん 胆を冷やしだだろう。 幸、架線が切れてなかったようだから暖房はついていたようだが・・やっぱり、豪雪地帯を通過して 旅はしたくないと思うのであった。

 冬は炬燵でお姉ちゃんと共に ま〜るく なっているのが佳い。猫並人生期 


 12月26日  目の前が真っ白になってしまう吹雪あり

細雪が1日中ふり つもり15pほどに、目の廻りが真っ白な世界変わってしまった。今年初の吹雪大雪で道路は渋滞しているだろう。 役所は御用納め 年の瀬も雪と共に一気に押し迫る。 

各地ことば閲覧などで出会った人々はどのような年の瀬を迎えているのだろうか。 幸いな事 悲しむべき不幸な出来事 いろいろあったことだろう。 よい年を迎えてほしいものだ

世界的バブル崩壊である 金融危機が表面化して3ヶ月半 もう派遣切りなどで出てはいるが 来年は実態経済での悪影響がどーんと出て来て、多様な人間模様を観ることが出来るだろう。  危機の時こそ その人間が持つ本性が露わになるのだから、よい機会が訪れるとも言える。 好調な時の人間性など ほどんど当てにはならないということを充分味わう良い機会がやって来るのだ。

   危機来たりて 真の友を観る 


 12月25日晴れ

年末なので雑事をあれこれしてたら日が暮れた。 今夜から冷え明日は雪らしい。予想していることだけど 気圧の変化にともない同居人から発せられる言葉は険しい。 やはり穏やかな方が気が楽であるんだが天候を調整できる能力がないのでトホホだ。

人間の言葉の質が気圧に左右されるということを知ると、どんな気象状況下で他者に出会うか、そのことで互いの印象が左右される誤解が生まれたりする。

天気の悪い日に 楽しく会話を盛り上げる術は人を助ける。悪天候時には他者とどのように対するのが賢明なのか、注意深く体験すれば 分かるので、配慮した言葉にて対話を進め エンジンを掛けてしまえば 天候に左右されない内容の話に展開出来る 能力が備わる。そんな気がする


 12月24日 晴れ

法改正になり管理建築士に課られた講習を申し込む。24日までらしい。偶然知ったので手続きをする。講義料の15000円は高い。 

一昨年春から続いた我が家危機は2年ほどで大方の問題は終息しつつあるも、解決したわけではない。素人なりの対処法が身に付き 同時にそれなりの生活方法や経済問題の対応=日々のお金の使い方など 2年でなんとか学習し終えた。

春先から各地に出かけて色んな人に会いワイワイし 困難時の息の抜き方も覚えた。生き方を変えて暮らす方法もなんとなく要領がつかめてきた。三度 日々生きる場での人間関係ががらりと変わってしまった。

食材費は500円/人日をきっちり守っている。それは 今月に入り 円高が食材を安くしているからだし、灯油代が夏の高直より3割ぐらい安くなっている。暖房費は 壱万円/月 安くすみそうで 我が家の経済破綻は解決しそうで 嬉しい。 細かい直段もかなり覚えた 庶民感覚も身についた(笑) サイフに金がなくってもゲラゲラ楽しいことで世界は満ちている。

世は派遣切りの問題一色だが円高での庶民に よさげな話題は提供されない、暗い話がみんな好きなのか、告発しているのか?。 原油の値段はバレル40ドル切り 円も80円代に突入したのだか 18リッター1000円を割っても良さそうだが1300円ぐらいだ、来年は 1000円割ってほしいものだ、灯油を配達しているお兄ちゃんは配達の度にアラブの王様に代わって謝っているのが おかしい。

今日は 2年間の奮闘ご苦労さまということで サンタに成りすまして 自分でケーキを求めて食らう!。やや大きすぎ 5人ぐらいで丁度よい大きさだった。生クリームなので飯を少々にし ダイエットを持続。 

食べる事をかなり押さえてたので  5〜4sほどの 減量も達成

来年は経済的に自立できるよう 仕事に意欲燃してみよう。 まだ今年も1週間残っているが何となく 赤いサンタの商人達が目の前に沢山現れると華やかさは逆に作用し 反省気分になる  



  12月23日 小雨

耐震強度偽装事件によって建築士法が改正になり 建築士へのハードルが高くなって 関連の手続きが面倒になった。そこで、御役人様関係の仕事が増えた。だから うはうはな仕事忙し 関係者もいる。

しかし建築士法の改正後に建築の質が高くなるか?はなはだ疑問である。主観に属するような 建築の善し悪しを語るのは不毛であるけれど、確実に質の高い建築はある。 それは建築の概念を拡張してしまう建築であり、その建築を構想し実現してしまう建築家のことだ。 

 何のことだか分からない建築士も今度の法改正で生き延びることになるのだからややこしい。 一級建築士はナイスな建築を考え出す人間ではない!!。

建築士制度は端から興味が無かったし 近頃は建築にも あまり興味が沸かなくなったのだが・・・希にナイスな建築関係者に出会うことが 人生の喜びである。 だから まだまだ建築とは付き合い続け生きていく  糞の様な建築家には会いたくないものだが。さてどうなるか神様のみが知る 俺の将来。 そんな時は 自分で楽しくしてしまうからね、困ることは何もないな・・・ つまらん手続きの書類を整える   


 12月22日 小雨

昨年度 2兆円ほどの益をだした豊田が 今期は赤字に転落するといニュースを聞いて思うのね。60年ほど赤字を出さなかったわけだから 貯えはたんまり過ぎる  んだろうに じたばた騒ぐなって

世界は100年に一度の金融危機、そして恐慌への扉は開きっぱなしは現実だけどもだひょ。マスコミが ニュースに取りあげて 不景気風を煽るのは 派遣社員を切る口実にするためなんじゃないかい! そして貯えた冨を派遣のものどもにはびた一文やらないってことだ。

 そこは メディアや放送界がこぞって豊田様に奉仕しているように聞こえてしまうね。 騙されてはいけないね 情報なんか いくらでも操作できちゃうんだからね。

隠し持っている豊田内の財産はなんぼあるんだか知らないけれども、それは下請けさんや社員さんや 地域の人々 そしておおざっぱになるけど戦後の日本人の 総合力であるんだから 単なる会社の益と見なしてはいかんと思うんだよね。

労働法や税法を変えて 冨の 配分方法を 改めないと 社会が不安定になり、ますます奇っ怪な事件が起きてしまうので  いかんな〜と 思うんだよね。

時代の流れが変わったとか 社会が変わったから 個人の能力の問題だとか 言っていると やはり 権力サイドにやられっぱなしぶなっちゃうね。今回のような危機に出会っても ますます 権益強化に あんぽんたんな 言説が活用されるってことだね。

この危機にあって報道界が発したあんぽんたんな行為は きちんと記憶しておく必要があると思うね 大政翼賛報道の逆バージョンってやつですよ (笑い)

悔しかったらささやかな活動や行動し身の回りの小さな変革を行い積み重ねる しかないのだが ・・報道にだまされちゃっって その元気さえ起こさせない!! ってのが情報操作の 妙だからね (爆笑)  

 銭だけもってる輩が偉いっていう考え方を換えないと、今回のような信用収縮が起きたときに銭頼り社会は崩落するね。 

戦争の悲劇を体験することは無かったのだが その様な現実を観ることが 今生きる者達の宿命さ。で そんななかでも明るく元気に 幸多く 生きる方法は幾らでもあるのだってことさ。 言葉こそ 

 12がつ21日 はれ

俺にとっては船引町は幻影の町である、そんな印象がのこるのはなぜなのだろるか。 電車で行かないとその幻影、イリュージョンは立ち現れないし電車で帰らないと 幻影の印象が残らない。

そんなことで、10日間缶詰インタビューの最後に 缶詰になて床に寝ている間に出会った船引の夢娘の話を簡単にまとめて 船引娘幻聴話として記録に作りた。その記録です 僕の父や母の時代のワイワイにしました。ですから50〜60年前の時代設定です お楽しみくださいませ。

聞き取りの成果としてはこんな創作の方法はよいな〜と思いました。 またどこかで 幻聴娘話を作る機会があれば、それなりに幸かもしれません


 12月20日 はれ
 太田浩史さんに誘われ共に、11日から船引町で缶詰活動  20日今日をもって無事終了する

船引町の多くの方々に協力していただけ、楽しい10日間を もめることなく平和にすごした。予定の30人ほどの人々と出会い話をweb頁につくり公開することも。

現地に入り当初の計画より よい案を 2009年1月29日19:00-船引商工会2階で、発表することができるだろう

まちづくりに関して活動することは 25年ぶりで 遠い昔の出来事を思い出しながら、当時との違いなど、あれこれ気がつき勉強になった。 10日間で親密な会話圏をも手に入れることができ想定外だった

 オニンギョウサマ に 対面し町をでる


 12月19日 はれ

12月11日から始まった船引町缶詰活動はとうとう最後の夜となる 

インタビュー ホームシティもどき は実現したが マイ飯暮らしはできなかった。太田浩史さんが鍋道具を持参してくれたので 鍋をすることがで最後の晩に出来たのはよかった。

myぶーむの鰺のたたきもつくった。包丁がなくってカッターにてたたいた カッターたたきともいう あじよし

今日は 女子高生5人とワイワイする

ようやくweb頁が完成した 一度よんだっきりだがとりあえずアップしておこう 明日 読み直し訂正よてい  今日の わいわい記録へ

太田さんが電気もーふを仕入れてきてくれたので、コンクリートユカじか寝もすっかり 快適寝に変身してしまった。恐るべき威力 電気毛布


12月18日

今日は朝から山野辺さんとブラら部しおりまして 気持ちいいな〜船引町ってね〜 本当にみんなが優しくって本に良いとこやUDCTの土間コン だかもね(笑)

良いのは船引だ〜かもね。 web今日の記録は半端ですけんども、昨日の記録はスゴイと自画自賛美

 俺は毎日 いつもアップしたかも分かってませんね、でも記録は約束通りアップしまてますね〜。それは俺のみんな夢の中の仕業ですね。オヤジは時間の経過にうといんだよね トホホ。

そんなことで 即日録音、即日 web公開は本当に 半端ですけどアップして 忙しいんだね〜 だで^だから 暇を見つけて訂正しますよ 本当にね〜みてくなね〜  昨日の記録アップしたら朝だったね 17の記録 17の記録2

昨日が何日だかわかてないね〜す やれやれ と言いつつ UDCTのwebにて毎日アップしてますので 時間の許す限り みてくださいませ

明日19日は 冬休みに突入前日なんで 女高校生テニス部のだけで、司会は俺だけんね そのワイワイ予約あり(笑) 

今日は7日めにしてようやく船引町の男の人ごちそうになりました (あと2日でラストでんがね!

町をつくるのも 人を愛せるような自力を得るためにも 時間かかるのよね〜 

 12月17日 雨のち曇り

 今日のききとり記録はこんなかんじに

念願の船引町ホームステイを行う。UDCT関係者のおうち。(笑い) とっても歓迎されてまして。仲間はいいな〜って盛り上がるって どうなのかな?。 げららげらの1日た。インタビューの反応は予想以上におおく 激しく反応もあり1週間しか経ってないのに 町の人々のハートに大波・小波を発生させています。

事務所にも数人 異論、賛美や疑問のことば を持参され嬉しい限りです。

八十路の女性群に囲まれてワイワイ。 50年前の灯籠流しの様子を話あい聞き取る座談をし 脱線ばかりのないよう。

50年前のデートに詳細を聞かせてもらった、戦後なぜ自費出版の同人誌や文学が盛んだった、というとデート時の必修ツールだったそうです、クラシックも歌えないとデートにならなかったとは!驚き。僕の両親世代の人々は勿論デートは。左官だった。で^とのあれこれ話は記録としてアップできないのです。 あんまりおしろくって 80才になるまで秘密にしてたのに トシちゃんの顔を見たとたん あけすけに話しだしてしまいます。 

デーと話をサンザンしておいて元美女軍団は記録したら これから 話に付き合わないよ! と言う。20才の少女の輝きが再現された内容
  12月16日 はれ

ふたたび船引町に入る。午前中は 公開した記録を印刷し被取材者に配り歩いた。

なかなか盛り上がっているので、突っ込まれるなど・・・会話が立つ初日とは違う。 手応えあり、やや早すぎる感じだけど・・1月後は多様な反応を得ることができるように思う。

で 昼飯は2時頃なってようやくありつけた 疲れる へこへこ な・・ インタビュー開始は3時ごろから 4人  文字起こしweb頁を作ったら真夜中だった。 今日も UDCTの土間に床寝だ。

明日はインタビューが詰まってしまった。文字化するのに2日かかりそうな気配なのだ、その日の言葉はその日にアップが崩れてしまう ・・な〜そう思う。

今日の記録ははこんな感じだ。一度しか読んでないので誤字脱字あり 毎度のことだな 

途中 西須トミ子さんに冬至カボチャをいただく、食べ物をいただくようになる。少しずつ認知されるのだろうか・・ かもしれない。

 


 12月15日 晴れのち曇り 

船引町にて缶詰仕様でまちづくりあれこれのためにインタビューしてるが今日は中断して 食材などの品々を買うために戻って来た。 我が家での週末まで足りる量を買い出す。 いなだ、鰺があったのでイタダキ! 直段が年末仕様なのか!数百円高いじゃないかい!とすかり主婦感覚だね俺って(笑) 

刺身、鰺のたたきにて鰺丼をつくり食らう。 あぶらが乗ってて 鰺丼はうめーな。

冬は自家製 石焼きビビンバがなんたって美味いんだけど、ダイエットをしてるので 石焼きビビンバは お預けにてヘルシーな鰺丼に代わってもらってるというわけだ。


船引町のUDCTの事務所には流しがあるのだが、包丁や鍋釜の類がないので飯作りが思うようにならない。 コンビニ飯はゴメンだでな。、なんたって手作りをすぐ食らうのが美味いのであるよな〜 鰺丼つくってそう思ったよ。

また明日から手作り飯から少々遠ざかる可能性が高い。家捜しをしたが小さな鍋が無いので持って行けない、小鍋は買うほどのものでもないし。

それから風呂は無くてもいいのだがシャワーがあればいいのだ、欲しいね。何しろ予算がないので宿に泊まってしまうと、インタビュー用のお礼の御菓子だって買えるかどうか分からないのだ。できるだけ多数の町の人に会いたいのでね 御菓子の数がいるんだね。

ホームステイを断られ よかったかもだ。 銭の面では床寝が一番 ムダな銭を使わないで済む。 文字起こしの作業はま夜中まで出来る。でこの事務所床寝環境は町の人々インタビューのためにはすこぶる効率がよいと膝など打ってみる。 傍目にはむごたらしい様にて地震難民ように見えるはず。(笑)便所が無く野糞仕様なら地震難民そのものになるなが便所はあったよ。


 12月14日 田村市小雪ちらつき寒い

10時インタビュー開始予定が遅れて11時に、2人目の方からインタビュー開始。自分自身で捜しだした方じゃないので、勘所が分からないかった。で、うまく行かず。初対面で そくスタートは無茶だと思ったが、それなりに開始しそれなりの記録をこしらえて pm10時過ぎにアップする。今日の記録はこんな感じです

見知らぬ町の見知らぬ人から話を聞きだそうとさまよい歩く日々が4日続いてので 仕事場に戻ってみると、この世にない幻想の町から抜け出て来て今仕事場に戻って来たような気分がしてしょうがない。

車だとわずかだが電車でとことこ行き帰りしていると、赤飯がやたらにエロイ存在に見えてしまうのは 脳がいかれた成果だろう。俺にはかなり刺激が強い町なのかもしれないな〜 俺が会いたい人を 懸命に捜し歩いているせいかもしれない 

今夜はこれから焼酎でものんでごろごろして。ああ焼酎が無いじゃないか。コンビニだな

明日は 1日お休みしよう


 12月13日 くもり

土間コンクリートの上じか寝はやや辛いものがあるのだが・・・・今日も起きてすぐインタビューを開始する。その後 方々廻ったが3組4人できた、女性を捜しあるいてようやく聞き取ることが出来た。よかったよかった。

相変わらず太田浩史さんと二人で床寝ねです。ホームステイの願いは叶わない。しかし明るい兆しはでていますね〜 インタビュー後、茸の煮付けと赤飯をもらって帰ることが出来た。

チゲ鍋ふうの夕飯も届けれまして いただきましたね。 床の上に段ボールを敷き並べ、その上に布団の生活を脱することはまだまだだと思うのだが、徐々になじんで来てるのではないだろうか。なじむと作業時間が少なくなるのが贅沢な悩みになってしまいますね。

今日の記録はアップしたのだが 文字を起こしたまま読み直ししてないので、明日時間をみて訂正しする予定 


 12月12日 晴れ

田村市内ホームステイの願いは叶わず 駅前の旅館に泊まることになったのだが、朝方火事があったようでサイレンの連続にて目が覚める。客はだれもいないようだ。料金を支払い、御主人にインタビューを申し込む

快諾されて1時間ほどワイワイ 河川改修についての情報を得ることになった。UDCTの事務所にもどって文字起こし、をしweb頁をつくってアップしていただくも、事務局が大忙しで 昨日の記事に付け加えられてアップされるも、文字画像が乱れているので 一時こちらで今日のインタビュー内容をアップしておく (数日後に削除予定)

午後2時ごろ太田浩史さんが到着してそれぞれの仕事をこなす。6時頃北沢猛先生と前田英寿さんが来て30分ほどワイワイ

二泊目もホームステイの願いは叶わず。UDCTの床に段ボールを敷きツメ 敷き布団を敷き毛布掛け布団でなることにする。

pm7時15分なのに太田浩史さんはもう寝てしまって、pm8時前なのに大きないびきをかいて寝ている。きのうもそうだったがUDCTには誰も訪ねてこないので、太田さんは安眠できるだろう。 

パプアニューギニアの集落調査にて食われそうになったらしい 太田さんは人が少ないほど安眠できるようだ (笑)

 12月11日 はれ 

今日から田村市船引町の市街地に缶詰になることにした。UDCTを拠点にしインタビューを始めた。

電車のなかで腹痛がおそってきてなにやらよからぬ知らせであったが。脂汗まではいかず止まる。

頭よりmy身体のほうが状況察知能力があるよで、初日からホームステイはあえなく拒否されたのであった。

建築圏の人々の包容力と許容力大きさを再確認する事になったインタビューin田村市の初日でした。 

聞き取りはまずます 3人にし、文字起こしweb頁を作ることができました。まだ画像が動かないので調整してもらいます


12月10日 冬着に合わない気温 暖かすぎ

明日から田村市船引町においてインタビュー缶詰活動開始するので、あれこれ準備をする。まるで遠足に行くかのような様子になっている。買い物ついでに 船がたくさん印刷してある赤いトランクスを買っう(笑) そんなものがユニクロの店頭にあるとはね〜 想ってなかったのでつい手が伸び衝動買いだ。 アカパン来て船引町は燃えモエちゃうんですよ。

日記は20日まで更新できないかもしれない。ネット環境がどうなているのか知らない、myPCで旅に出て更新したことがないので、作動するのかどうかわからない。UDCTの田中大朗さんに教えてもらってなんとか更新するつもりだ。


 12月09日 あたたかい

仙台ことば閲覧 の記録は取材から1週間で公開することができた。今年1年各地に暮らす人びとの話を聞くこと三昧、文字起こし三昧だったが、web頁出来ても公開できない記録がある。

そこで少々戦略をたてたのが効を奏し1週間で公開!よかったよかった。 幾度もの失敗を繰り返し、失敗の積み重ねがないと短期間で公開は出来ないものだな〜とシミジミ思う。 ワイは 凡庸であるな〜ってことだ。

さていよいよ 年末
今年のインタビューの〆 会った事とも見たこともない田村市船引町の町民の方々へ突撃インタビューをする。建築系の人々とはまったく様子が違うのでどうなるのでしょうか?と聞いてもだれも応えてはくれないね

(左絵は田村市まちづくり UDCTのHP)

30〜40人を10日間で一気に聞き取りを行い、文字にしwebに公開することにした。大田浩史さんのお誘いを受けて渡りに船っとばかりに乗ったわけだ。(笑)

明後日から田村市に10日間 缶詰になってどれだけ成果があがるのかは全く分からない。もちろんお前の家は俺の家を実践し続けた1年であるから、田村市にはホームステイする(笑)

 大阪・金沢・横浜・東京・仙台ではラブラブありワイワイありのはっぴーな歓迎をうけたのだが、田村市では果たしてどうなのか、俺を泊めてくれる人は居るのだろうか!?全く予定はほぼ無く 現地入りする

田村市の寒空の下で冷え切って風邪を引くのか、招き入れられ 炬燵で蜜柑をむきながら 町の将来などについてワイワイ幸せな時を共有できるのか? 予想がつかないからこそ実行し、俺力をためしてみたり、各地の人々の他者を受け入れる許容度を比較してみたい。

名付けてまちづくり会話創発アートの開始なのです

大田浩史さん UDCT皆さん、そして田村市船引町の皆さん 粗末で野蛮な私ですが どうぞよろしくインタビューなど 嫌でも お受けいただけるよう お願いいたします。


 12月08日 はれ 

おれは テレビは 見ない暮らしをしている、仕事場にも無い

公共放送に対する受信料を支払ってないので、集金人がやって来た。こと細かに理由を説明する。編集権の放棄問題はその後どのようなかたちで立ち直っているのか?を聞いたのだが、明快な答えが無かった。で今年度も支払いませんと伝えた。いそいそと帰った。

ナガイさんというデレクターが涙の記者会見をおこないったことで露わになった編集権を制作者側が自ら放棄した問題。 自民タカ派と称される安倍・中川による編集権侵害。というよりは公共放送局が彼らに、御伺いを立てて、完成していた番組を改変してしまったあの問題だ。

総務省による予算審議などあるのだが、編集権を自ら放棄してしまった問題は許すわけにはいかないのだ。 放送権の自己規制が始まれば底なし沼に入ったことを意味する。公共放送は 底なし沼からは相変わらず脱出出来ていないのだが、あの問題は あれからどうなってるのか? 集金人は分からないのが情けないわけだ。 どうせ俺の問題意識に対して返答をもってきやしない。 ナガイさんは放送文化センターに左遷されて現場から外されたのは伝い聞いてしっている。

民放各社が50数年受信料を支払ってなかった特ダネは共同通信の記事とかしらないえわけでないだろに! 集金人は知っていて笑った。 

いろいろ言ったら 税金で処理してもらいたい集金人の辛さを上層部の会長などはわかっておらんおだ と本音を漏らしていた。

国営放送
・か与党放送局になってしまいたいかのようだ グzぐず・ぐず〜と溶融するかのような社会状況であるな〜 

キャノンの会長さんは俺は派遣社員を切ってない、切っているのは派遣会社だと抜かしていた。あの理屈で皆が納得するようかのような日本の社会を15年ほどの間に作ってしまった。、あのようなバカが経営者の集まりの団体の会長だぜ 日本における戦後史上最悪な社会状況をつくった奴らには自覚が無い。さすが立派なバカだ 会長!あんたは素晴らしい 記者会見で 見え透いた理屈を恥じなく部下に言わせてしまう、放てる欠陥人格者だ。現総理といい会長といい似たような人間しかあの世代には存在してないかのようだな トホホな指導者達ばかりかのようだ 各種偽装問題をおかす経営者達も同様だな〜

■ 加藤拓郎さん の記録をまとめて公開する


 12月07日 はれ 

 奇っ怪な夢を見続けたのでとても頭が重たくって昼間 ぼーってして過ごす 書くのは覚えてしまうのでやめておこう。貘さまに食らってもらおう〜っと。やれやれ自分の脳の仕業は厄介であるわい

石鍋羅馬さんがまとめ率いる妖怪=yokaiDESIGNみなさんの話をweb頁にまとめて公開する

メンバー5人の皆さんのうち三人はm2を終えても就職はせず、それぞれの課題を抱えて活動するようである。5年後はどうなっているのか興味深い

建築の道は険しいのか快よいのかは、各人の設定したテーマによるのであり、かつ答えは各自の内部にしか無いことは明らかであるから、1回かぎりの人生を使い切り生きるが価値であろう。

夕飯後 4組最後に登場した学部生の加藤拓郎さんの言葉を 25分ほど文字にする。明日で全て起こしweb頁も作る予定。

オヤジになってしもて 体力が落ちているので、光速にデータ化できないので、スコシコ離れず続けるとそれなりに データ化できるのは喜ばしい 


 12月06日 はれ 

石鍋羅馬さん、ブログが率いるyokai DESIGNのみなさんの話しを文字化する、1日、 web頁まで作れず 疲れたので 今夜はお休みと  


 12月05日 低気圧の通過にともない強い風と雨あり

いなだは出ているのかと 昼飯あとにスーパーに出向くと、3尾ほど売っていた。活きのよさげな奴のしっぽをつまんでレジに。レジのお姉さんが背びれで手を切る。それほど活きがよい!ので早速三枚におろして 刺身にして食らう。手作りの刺身はうまいね、うまいね。いなだやろうは 鯛にはかなわないが480円で 満足の味と量である

12月02日におこなった仙台ことば閲覧 採取音声 今日は豊嶋純一さん分をまとめる。仙台は1年ほど被取材者になってくれそうな人を捜していたのだが、とうとう年末となりダメか?とあきらめていたのだが。ことば閲覧2008年が終えてしまう〜よ。

でで、こうなりゃと五十嵐太郎さんの研究室の方に呼びかけてもらった。だれも応じてくれないだろうな〜との予測は外れて、4組6人の修士の方々の言葉を得ることができた。5年に一度の各地津々浦々ことば閲覧 今年度分の取材は終了 次回は2013年に行うつもりである。4年間で 80万ぐらいかな〜の活動資金ためなくちゃな〜ねぞ〜


 12月04日 

大田浩史さんと、一緒に活動を開始する事なった田村市まちづくり(UDST)への提案のための泊まり込み缶詰活動!は12月11〜20日までと決まる。その間雪など降らずによい天気であることを祈りたいが、どうなるのだろう。 結果の発表は1月31日だそうだ。俺に会いに来てください(笑)

一週間にの間に 仙台で採取した言葉をすべて文字にしweb頁をつくりたいので、シコシコ作業を行う。鈴木茜さん分をまとめる、図版が少ないので送ってもらいたいと伝える

鈴木茜さんは仙台のカリスマガールだそうで、インタビューに応じていただいた当日に 建築系ラジオの収録もあって大忙しだったのです。 、肉声はその内にwebラジオにて触れることが出来ると思います。中身が変わるのはもちろんですが そこらを共に楽しむ事ができるでしょう。 


 12月03日 ダメハウスにて昼ちかくに目覚める。

建築あそび@ダメハウス を提案し もりあがったので実際ダメハウスを体験してみた。若い人は明け方までワイワイしていたのだが、オヤジのおれはダウンして途中から寝てしまう。若者の体力にはついてイケナイようだ

ダメハウスは広瀬川のバッファーゾーンに在る赤い屋根瓦の大きな木造2階建て。1軒屋やであった。建築系の学生が5,6人でシェアしていてようだ。居間もほどほど広く建築あそびが出来そうである。

石鍋羅馬さん、ブログでも乗り気であるから、みなさんが卒業してしまう前   2月末当たりに是非開催してみたい。yokai デザイン・グループの皆さんよろしく



  12月02日 

五十嵐太郎さんの研究室の元気な方々にことば閲覧の被取材者になっていただきインタビューするために東北大工学部に出かける

教授室のミーティングコーナーをお借りして 行う、挨拶を兼ねて五十嵐さんと食堂にて昼飯を食いのち 12時からインタビュー開始する仙台ことば閲覧に協力していただいた方々は

、カリスマガールの愛称をもつ鈴木茜さん。

,工学院大学を出て謎の2年を経、修士過程に入った豊嶋純一さん

、yokaiデザイン・の石鍋羅馬(ろうま)さん・阿部篤さん・小池宏明さん

、学部4年の元気があふれる加藤拓郎さん

40分前後話をお聞きする、言葉にまとまらないような問題は5年後の宿題とすることでスムーズインタビューを予定通り4時に音取を終えることができました
 皆さんありがとうございました。文字起こしでき次第公開いたします 

■ 名古屋から講演にこられた、大同工業大学準教授の 山田幸司さんに ラジオ用インタビューを受ける、建築あそびなどの事をやく20分ほど。のち鈴木茜さんの収録を聞つつ 最後のすこし参加する

5時過ぎから7時まで 山田さんの自作と茶室と数寄屋の違いや日本の窓についての、講義を拝聴する

8時一番町にでかけ、ゼミ生の方々と飲み会をする、北海道の佐呂間町から授業のためにやってきいた、五十嵐淳さんも合流する。

宴会途中から 山田さんなどが主催する建築系ラジオのみちのくシリーズの収録が行われる、大いに盛り上がる 場所を変えて真夜中までワイワイ、途中 桜井さんと五十嵐淳さんの音声を収録する。 オヤジはへろへろとなるもダメハウスに向かう

yokaiグループの方々などがシェアしているダメハウスに泊めていただく



 12月01日 はれ

02日は五十嵐太郎さんの研究室の方々がことば閲覧のインタビューに応じようというなったなので、午後 仙台に発つ

my長女の家にて my長男と3人で2月ぶりに、互いの報告をしあいのちにワイワイミーティングを行う

夕飯は恒例の俺製お好み焼き、師走なので豪華なお好み焼きにと、てっぺんに豚肉がのっているはぶっとい海老入りと、豪華焼き(笑)にて食する

my長女は足をねんざしてギブス足になってしまい、歩行が困難なため 買い出しから後片付けまで行う

ワイワイ後、my長女と長男は史料などを英訳しはじめたので、聞いている。翻訳ってやっぱ文化の相違があるのし、概念が無かったりするのでとても難しそうだ

英訳会ご お茶のルーツを訪ねるドキュメンタリーDVDを観賞し寝る