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  11月29日 曇りのち雨 あと一日で師走か〜 寒くなるはずだ

松川昌平さん初建築in砺波市 での インタビュー文字起こし したものをweb用に作りかえていたが。、 校正用 記録 が ざっと仕上がり 校正依頼の連絡をする。

多数手に入れた写真などのデータはいずれ、フォトコラなど用に加工したりして公開したい。そして立体的に松川さんの建築的実践を知っていただけるようになれればいいのだ。 フォトコラ作りなどの作業は来年 あけての 真冬に行い、webアップすることにするつもりだ。



11月28日 晴れのち曇り、天気は下り坂

 松川昌平さんインタビュー記録web頁作成している1日。 

 今日川崎市はグランドステージ川崎大師にたいして 使用禁止命令を出したそうだ。耐震強度偽装に関連しているようだ。 民間の確認処理の面々は、俺の予想通り 役所のOB達だった。 だから、お役人さま達は 下々から 早速ほっかむり〜の準備〜でもしようとしてでもいるの〜だろうか。 偽装問題の経過を明らかにし 公開し 共有化しつつ 対処ほうの検討・経過を公開しつつ 、今回の問題は解決すべきでしょうに・・ 

宮城沖地震を切っ掛けに 82年だったと思うが 構造計算方法は新耐震に改正されたので、それ以前の申請によって確認し作られた建築は数多あり現在使用されているハズだ。 地震時に強度不足が多数 予想されるのは 20数年来の旧知の事実・現実だ。口をつぐみ 放置してたのは誰だ〜。所有者に、俺を含む建築関係者に、お役人様達だ。 

だからって今日から多数のお役所様達は 強度不足の数多の建築所有者にゾクゾクと使用禁止命令を出し続けるのだろうか。 ホテルだろうが温泉旅館だろうが、ビルや共同住宅だろうが、数多の強度不足建築・目が眩むほど多数ある。

10年前の阪神淡路大震災では、あんなに沢山 建物がひっ倒れ、潰れたのに 官・民ともに だ〜れも首さえはねられないかったんだぜ〜。法の下に作られた建物だって潰れたのだから その責任の源さえも明らかにし どうなってんねん、そこの議論は起きなかった。 のに、今回はどうしたことか、大騒ぎ。 大問題を隠すための素早い動としか思えないのだが。

法改正し基準も強化し数多の建築士の首でもはね、建築士的人員の整理でもようとするのが本音なんだろうな〜

食いもの に 乗り物に 建物に問題が大噴出しつづける。 この国の屋台骨はすっかり骨粗鬆症になっているのだろう・・ ・・ そう思って生きていくしかないのか〜・・。地震大国にあって基本的な人間の生命も守れない国家ってのは・・どうなんだ・・近頃おおはやりの 民で出来るとは民でやれ か〜おいおい・・ 


 11月27日 晴れ夕方 時雨れる 冷える 一日

金沢の旅で採取した写真ネタの一部を現像しスキャンする。今まで使っていたポジフィルムは 1本1200円ほどだが、今回は節約しようと思い1本300円のネガフィルムを10本ほど買った。30本は必用なのだが、10本では少ない。フィルムだけでも36000円に成っちゃうので、デジカメにて節約してみた。で2000円・ええ!で澄ませたのが仇になる。

比べるまでもなく 現像し結果は思わしくなかった・・これほどまでに違うとわ・・は〜呆れる。 

綺麗な写真を撮るためには太陽の光を待たなければならない、素人決め込んでいるので、サッサと歩行速度に合わせて撮ってしまうわけだ。 だがやはり拙い。 それにフィルムもまずいかった。期限キレ間近だったのか質の悪いのかは解らぬも、拙い・・安いから質がわるいのか〜・・。

時雨が頻繁にやって来ては晴れたり曇ったりするこの時期なので、一つの建物に数日かけないとね〜、いいネガを手に入れることはできない・・それをすればプロってものだが・・アマチャン決め込む。チョイト口惜しくもあるが・・ま〜仕方なしと。

アマチャンだが、せっかく 金沢まで旅行して、二度と巡り会うことは無いだろう建築には大変失礼な話だな〜と反省する。ネガの結末 銭稼がなくちゃ〜な〜・・。

日中は松川昌平さん富山県砺波市内の初建築インタビューのweb頁をつくり始める も、出入りしてたので あまり進まず。中身は面白し

夜 旅行中できなかった 建築士による構造計算偽造事件の新聞記事をスクラップをする。この問題に関しては沢山書くことができるし、書かなければと思っている。事件が一段落したら、 web頁を作ったり 新聞社などに投稿することも考えているので 中身と詳細は今日は省略。。




11月26日 晴れ 

庭の木々の葉は9割ほど散って、地は色とりどりの落ち葉製の絨毯を敷き詰めて美しい。梢を通過する冷たい風は枝をならし、地の葉を誘い音を鳴らし なかなか晩秋らしいつかの間の 風情がある。

大相撲の朝青龍さんは7連覇と年6場所完全制覇(史上初)。年間勝ち星を83勝。78年に北の湖が作った82勝(8敗)の最多記録を27年ぶりに更新したそうメデタシ。

24日の夜から松川昌平さんのビデオにてのインタビュー記録の文字おこしをしていたが、夕方までで全て終える。砺波市ないにある松川初建築ない控え室にて槻橋さん いる建 に続き 1時間ほどの インタビュー内容で、今週初めに行われた 熊本アートポリス内 コンペで藤本壮介さんと天辺を競い合った話などもあり 盛りだくさん。松川さんの現在を紹介し現在を記録保存するには充分の内容。

夜 松川さんの言葉をweb用頁に 8頁ほどに 割り付ける。明日から画像などを加工したりし、校正用の頁を作る予定。



11月24日 晴れ 午後3時ごろ時雨くる もなもなく晴れる

家を19日の午後でて、仙台のmy長男とダベリpm9時50分頃の高速バズで金沢へ行き、今朝 仙台にもどり、仕事場にたどりついたのは午後3時頃。

今年は旅行はできないだろうど思っていたが、my長男・長女の支援のお陰様にて 車中2泊 金沢3泊の資料集めの旅をすることができた。 20日の6時前に金沢駅についたが真っ暗で、待合い室は、アル中の男(駅に住み着いてるようす)どもが占拠してて「酒くさー」の手荒ァ歓迎をうけ タマラン旅なるなの予感に反し 資料集めは滞りなく全て出来た。 もっと沢山あつめることはできたのだが、なにせ足が老化してて、3時間ほどあるいては、ホテルで休憩を取り、午後3時間ほどしか歩き採取できないのだった。この時期は日が短いのでしかたなしとしよう。

● 20日 午前 金沢近世資料館 にて 1831年 河野久太郎通義さんが作成した 長家(3万3000石)の屋敷と下屋敷 の写しをみせていただき写真を撮る。1枚の絵図を150カットほど撮ってしまい、学芸員に笑われる
●     午後 槻橋修さん金沢建築 内覧会に参加し写真を撮る 200カットほど、槻橋さん や担当した斎藤さんとワイワイする、見学者多し
●     夜  金沢駅構内のおでん屋で槻橋修さんが高速バスに乗る2時間ほどの間金沢建築について インタビューをする。深夜まで 斎藤さんや東北工大の学生さん3名と呑む。 槻橋修さん・斎藤さんに工大の学生のみなさんお付き合いいただきましてありがとうございました。

 21日 近世資料館の絵地図を参照し 一日中 長家屋敷・下屋敷 跡の現況を 取材 撮影する 870カットほど 足が棒になる〜

 22日午前9時〜2時まで金沢21世紀美術館を訪ね 取材・撮影する。720カットほど
       午後3時〜百万石通り東の筋から近江市場尾張町 浅野川周辺を取材・撮影190カットほどか 

● 23日 10時〜  0スタジオ松川昌平さんの運転 案内にて富山県砺波にできた、松川昌平さん初建築を 取材・撮影する。インタビューは初建築内の休憩室を貸していただき2時間ほど行う 贅沢な一日でした、松川さん・発注者みなさんお世話になりました


★★撮影ネタは加工し フォトコラアニメにしてWEBアップする予定。槻橋さんのインタビュー内容は爆発!なので・・WEB圧婦できるのでしょうか・・おれが聞いてどうする(爆)これこそアップして槻橋さんが叩かれて叩き返してってのはいい と思ったりするんだが・・例の 他人の不幸はオモロイという根性じゃ〜いかんかね〜(爆)

 松川さんインタビューは最優先し、WEBアップするつもり。 槻橋・松川・建築体験記は勿論のこと  21世紀美術館 体験記も書くだろう・・と思うな〜

 なんだ・・もの凄い量のネタを集めちゃったよ〜 笑・・・  



11月18日 山には雲がかかるも 晴れ 夜 時雨あり 

  建築コスト削減圧にまぎれ構造計算を誤魔化しコストダウンし、仕事あつめにいそしんでいた 構造計算専門の建築士が 耐震性の無い〜建築物を沢山たてていたことが発覚。住人や建築の持ち主に多大な不安をあたえてしまっているとかニュースあり。長い間 多量に確認を下ろしていた〜民間建築確認処置でチェックミスしていたようで無様この上ない。両者に 怒りなんて感じないよ 呆れるばかりなり。建築関係者は一様に 金で買えない もの を失ったわけだ。 同様な民間会社は福島にもある。それは主に 役人様の天下り先になっているようなのだが たいした機能を果たさず、この地でも 退職後の銭儲けの場になっているのだろうか・・民も官も困った人の集まりになってしまってるんかな〜・・ワカラン輩が多い。

槻橋建築体験記 4頁目をアップする 。金沢行きの準備少々する。  明日から 金沢き にて PCは持参するも、PC操作をこなかもぜ〜俺 PC使って普段のように WEBアップできるのだろうか〜自信なし〜PCもワカランことばかりじゃ〜 


 11月17日 晴れ 冷えるな〜の一日 

週末からの金沢行きはいろいろ目的があるが、13日の日記に書いた1831年 河野久太郎通義さんが作成した 長家(3万3000石)の屋敷と下屋敷を訪ねることも 一つ。 屋敷内を流れている 鞍月用水・大野庄用水の川面をなめるのは勿論のこと 航空写真をもとにしただろう現在の地図と164年前に作成した地図がぴたんと合うのもきもちいもんだ。久太郎さんに拍手パチパチぱちぱち〜

長家の屋敷(東側の薄黄色の部分)・下屋敷(西側の薄緑色の部分)。 1678年長家の屋敷には 長家の家族12人 与力3人 給人 89人 侍分と役懸之者132人 掃除坊主17人 足軽 126人 大工6人 中間・役小人191人 女房 53人がくらしていたそうです(吉田伸之著 巨大城下町江戸の分節構造p354) 今風に言えば侍さんたちによる ゲーテット・コミュニティー。屋敷は 御成御門 表御門 裏門 黒御門の4つの門から出入りのみ。下屋敷は木戸番がおる 北木戸 南木戸 がらがら門 の三箇所から出入りのみ。 ・

維新によって 解体 七尾市の田鶴浜追放された・(新政府によって追っ払われた人達はどうなったか〜等も興味涌くね・・) 明治2年から2005年は 138年ぐらい経つた〜 屋敷がどうなったのか。 つまりゲーテットコミュニティーに対する SF的興味が涌いてしまったこともあるんで旅!

現在日本でもゲーテッと・コミュニティーは作られつつあるようだが、長家 屋敷跡をたずねて その将来を予想するっていう旅は 案外いいじゃないかと〜1人でおもったりするね〜  1831年の地図に2005年の地図を重ねて見る〜 うむ〜・・なるほど検索地図も便利ではあるな〜 過去の地図 近世や明治 地図検索エンジンも あるといいのにな〜  あるなら誰か教えて(笑) 無いなら作らんかい! 文部//省(爆) 俺が会社つくって請け負ってもいいよ〜(爆)

1831年の思いを持って〜長家 屋敷内の道を歩いて画像採取する予定なんだけど。、細かく見てると日が短いので〜 2日位 かかってしまいそうだな〜 南側には村井家の屋敷があり街区もおよそそのまま残っているようだが、久太郎通義さんが 屋敷図を 残した長家の屋敷跡を調査しちゃうね〜 資料を残すってのは・・のちのちまで ・・人の動機に影響をあたえるね〜 


 11月16日 晴れ  今夜の里も こうこうとした月がでている。

今日は最高気温が9℃ちょいで最低気温が2℃と12月中頃の気温かもしれない。吾妻の山々には雪を多量に含む雲が一日中かかっていたので 明日はれたら真っ白になった山々が出現するだろう。これから半年は雪化粧した山とのお付き合いになる。

槻橋建築 体験記の3頁目をWEBアップし、4頁目にとりかかる。端折って書いているのだが、ドンドン長くなってしまう〜、終わり無き念仏のように続ちゃうな〜なんだけど、 そろそろ 終わりにしようかと・・。現地を訪ね 思いのままメモした目次に沿って書き始めなくって よかったか 。心残りになったら・・いずれまた書き足せばいいわけだし。

書き残してしまう体験記の一部や メモ目次の部分も発酵させてから書くのもいいように思ったりする。明日で一旦体験記は終わりとし 週末からでかける金沢探検行き〜の準備などしなくちゃー・・ 

気温が下がってくると、当たりが 澄んで見えるのは 湿度が下がり 水蒸気に含まれたゴミが消えてしまうからだろう・・低い気温のなかの空気のような体験記を書くことができるように なるのは何時のことやら・・。



 11月15日 晴れ コウコウト 月が輝いていて 初氷もきそうか〜まだはやいよな。

テンノウ家の結婚式とかで、TV局は同じような画面を流している。コメントなどを流れてくるものは、優勝劣敗が進む〜 アメリカ化によって消えかかっている 日本伝統(笑)の麗しき家族像の模範言語。 その行事の影に隠れるかのように 米国の大統領が京都に入る。 基地・食いもの・の次は金融の米国支配 が進むのだろう。したたかなアメリカの戦後支配 戦略は 上手すぎる。アメリカ化と古来の伝統を同時に語る 敗者達が選出した 政治家の口と口。

今週末の金沢行きのまえに 処理や準備が沢山あるけど、先だって槻橋初建築の体験記はなんとしてもWEBアップしちゃいたい〜・・ので、作業をつづける。終わらないのかな〜と。 未処理のWEB頁ばかりが増えちゃいそうだよな〜・・ 

 11月14日 冷たい小雨が降り続いている一日 

槻橋修さん仙台建築体験記の2頁目を公開する。 1頁目のときも 画像ネタが少ないな〜と感じていたが、2頁目はもっと少なくって困る も 持ちネタでつくるしかなし。沢山写真撮っておけが良かったな〜と 、毎度の反省をしている。

 11月13日 晴れよる時雨がおちる

今日は市長選の投票日なので投票。面識はほとんどないので、新聞のアンケートに採点をつけ、上位2人を見比べて、政治にたけた方に投票する。政治の世界では代議士以外は 主に下請け業者の悲哀を味わうものたちが中央集権国家のなんだろうから・・・。、先の選挙では自民党が自ら改革し以前の自民党と異なる政党に変わってしまったのだから 政党はあまり拘る必用もない地方の選挙だ。
候補者皆 今やおはやりのお題目「町おこし〜」とかほざいているが俺は反対である。 歴史的価値を破壊尽くしてしまった町なのだから、賑わわなくてもいい。税金の無駄使いは止めるべきだ。再生するならとんでもなく長い時間をかけるかとんでもない銭をかけるかだよ・・だから静かで空気が綺麗で交通事故に遭わないような 静かな町にしてほしいものだが・・。


19日から23日
まで金沢に行ってうろちょろしようとおもって調べている。福島から金沢までは、電車じゃ時間が掛かりそうだし、車だとやはり時間がも金もかかる。高速バスがあるはずと思い昨日検索するも見つからず。 今日ようやく宮城バスが運行していることが判り予約する。ついでに宿も予約する。 金沢市内の足には自転車がよさそうなんだけどレンタサイクルの予約サイトがなく〜・・宅急便でmy自転車を送ろうかと思ったりする。明日、業者に値段を聞いてみよう。さ〜と町を見るのには自転車に限る。詳しく触れるなら徒歩。

左の地図は吉田伸之著「巨大城下町江戸の分節構造」p348の延宝期(1750年頃)の城下町・金沢の一部である。上の太い水色が浅野川で左下の水色が犀川である。上下の青い線が西内総構堀で その左の水色の線が鞍月用水。その左が大野庄用水。

緑色が金沢21世紀美術館。小豆色が現在にも続く近江町。鞍月用水と大野庄用水にまたがる黄色が、金沢藩家臣の長家屋敷と下屋敷。

左の図は長家屋敷と下屋敷の拡大図で(p351より)彩色したものである。東京大学の敷地の大半は金沢藩(102万石)の江戸屋敷なんだそうだ(p334)その屋敷の構造と長家の屋敷の構造が同じなんだそうだ。
金沢の町は、前田・奥村・横山・本多・村井・長・今枝の八家といわれる江戸屋敷と同じ構造を持つ屋敷=小城下が複合した町・・都市だそうだ。(p358) 

現在の百万石通りで 前図のこんな色の近江町などの町人町とは異なり それら小城下町はそれぞれ八家以外の人に対しては閉じていたんだそうだ。、木戸(赤とオレンジの)や表門を通して人が出入りして屋敷内は袋小路になっていた。(青)これは藩による強制であったそうだ。

現在も町名がのこっている本多家が5万石でもっとも大きい下屋敷だったが、検索地図でみると江戸の町は崩れてしまっている。他方 長家の石高は3万3000石。100石当た75坪の屋敷が与えられたので、2万4759坪ほどの下屋敷。それに屋敷が1万2000坪。

この屋敷の形状は残っている。袋小路は壊され通行できるが現在も面影は残っているでしょうかね・・。長家の殿様がくらした御屋敷は玉川公園や玉川図書館などとしてつかわれている。長家は明治2年能登田鶴浜に移りすんで長家の人々と家中の人人(1678年現在約626人)の営みはあっけなく断たれたそうだが たゆたゆとうとうと今も流れる二つの用水の川面を体験するのは良さそう。

中世来の湊。 三津七湊(さんしんしちそう)であった加賀吉本にもいってみたいな〜・・やっぱり自転車を確保しなくちゃ〜・・。

三津=伊勢安濃津・筑前博多・和泉堺 
七湊=能登輪島・越前三国・加賀吉本・越中岩瀬・
     越後今町・出羽秋田・津軽十三湊

上に貼った地図各種は金沢市立図書館内 近世史資料館にあるそうで長家家臣の「河野久太郎通義さんが1831年4月6日〜9月2日にかけて作った絵図を見せていただけますか」と問えば みることが出来るかもしれませんよ〜


11月12日
 晴れ 北風が強いので庭の木々の葉が舞う 一雨毎に寒くなるんだな。吾妻山は薄く雪化粧をしはじめた。

昨日偶然 教育会館の前を通ったら「あれ」と・・違和感をおぼえたので 阿武隈川の堤に登ってしばらく眺めてしまった。 何時 改修したのだろうか・・知らなかった。打ち放し部分には薄いペイントが施され、サッシやガラスが取り換えられていた。本来のスチールサッシと波打った透明硝子や粗い打ち放しの面が追放されてしまい、面影は似てるが 別人に会ったような・・恐れと戸惑いが生まれた。これじゃ―・・台無しじゃないか〜。

福島にあり貴重なモダン建築だったのに残念だ。ああいった建築を改修する場合にはそれなりの研究者が関わって改修するようにしないと いけないんじゃなかったの・・持ち主と建築家の関係が切れてしまっているのだろう。残念なことだ。



 11月09日  晴れ 奥羽の山には鉛色の雲がかかっていて、時々切れる間から吾妻山に初雪が降った様子がうかがえる。すきま風の音だって寒さを増すような憎らしい気分だよ〜

先月体験した槻橋修さん初建築体験記を少しずつ仕上げて公開することにした。全て仕上げて一気に公開しようとすると、何時になるか判らないし、放置したままになってしまいそうだからだ。 仕上げた分だけ少しずつWEBアップして行くよ。これならいいや・・と 1頁分の作業をしてみたが予想外に時間はかかるものだ。

10月18日の日記で目次を上げてみたが、目次のままだと相当長くなちゃいそうなので、当日の体験のみの感想にし 短めを目指すことにした が・・でも 長めになりそう・・。 今日公開した分です 


  11月08日 晴れ時々風強く曇りのち時雨来る〜山はみぞれかも

 銀行のキャッシュカード器の前で列を作っていると 突然 超強風が吹いてきて、向かいの事務所の数個のゴミ袋が道路に舞い上がり 飛び散る。 車が踏んづけるので、ゴミ袋が解体し ゴミが散らかって行く〜、見ていられない様になったので「ゴミー・・ヒデー・・サッサと 片づけろ〜・・事務員メー〜」と独り言を放ったら、振り込みをしてた30位の事務員風女の人が勘違いして、作業をドントン間違え、とうとうコーナーから出て行ってしまった。

あれ〜?!)悪かった あんたの事じゃないんだけど〜・・  勘違いしたらしい。 小さな声だったのに案外キャッシュコーナーで作業している人は耳を立て、イライラ キー操作をしてるのだろうか・・集中力のない女の人だったんだろうか。 突然 ゴミが舞い上がったことに後の悲劇を想像し反応した 俺が馬鹿なのか・な ど ど思った・・ら市長選の名前連呼カーが飛び込んで来て〜喧しいのなんの〜・・ 世の中 なんだか 説破 詰まっているな〜 。

帰り道はドチャ降りになり ずぶ濡れツメテーのなんのって ツメテーよ〜 この時期の雨だよ 、罰が当たったのかも・・奥羽の山に鉛色の雲がかかり、街には 時雨がとうとう来てしまった。2時間ほど経ち虹が時雨れ虹が出たのでデジカメで撮る 


 昨日はmy長男がmy仕事場から仙台冬季間に引っ越しをしたので、my妻とともに 1日手伝う。朝一で仕事場から荷物を送りだし、3人で仙台冬季間に向かう。 昼前だったのに 仙台行きの高速バスは満員だ。仙台の街は 東北の中で最も プチ東京化している街だ。 プチ東京化と自然の融合がオモロイ街でもある。 欅並木やお城のある当たり、東北大学キャンパスと山や川など融合などまだ 荒々しく天然が残っているのがいい。八木山が西への都市化をばっちりと阻んでいる、都市と天然のベクトルが釣り合って締まった 姿のようにもみえる  


  11月06日  晴れのち 曇り 市長選が始まった。選挙恒例の名前の連呼・・なんとかしてくれ〜んかいな〜この選挙に対する無策。 4人が立つ選挙になったようだ。

チョイト 放置してしまっていた 槻橋修建築体験記を仕上げる。WEB頁は数日内に作り 公開する予定。

02日に仙台で行われた高橋匡太さんの講演で紹介された高橋さんの作品リストが出てきたので記録しておこう

 1970年京都生まれ 京都市立芸術大学大学院修了
01年 卒業制作
   と言っていたように思うが、大きな渦巻き模様を投影した作品

    神戸・旧居留地 
    ドット文様を建物や敷地に投影した作品

    
03年湊町アンダーグランド・プロジェクト内作品
    蛍光灯のインスタレーション (俺は 体験しました)
  
     京都・二条城 
     城壁に幾何学紋様や錦鯉を投影 
     美術の教科書に載るそうです

     青山国連大学 
     ドット文様を投影

     仙川 ・安藤忠雄設計集合住宅 
     柱とパラベットに白色光投影

    キリンプラザ 大阪  高松伸設計
    行灯が象徴的な建築の構造をてらし出す
    建築家が忘れていたコンセプトをあぶり出す投影 蛍光灯設置

   タマダプロジェクト
   元倉庫の空間を想起させる青色投影

 05年  夢の種プロジェクト


   11月05日 秋晴 

南の空にオリオン座を今年はじめて見る。寒さが増すほどに美しくなる星座だ。リンゴ農家の先輩に洋梨をいただく、香り味ともによしい。菜園実践はまだトマトがなっている、ミニトマトは以前より小さいが味は濃い。

my長男冬季に備え仙台に移動準備開始し荷物が仕事部屋に溢れている。引っ越し屋さんは近頃つかいやすいくなったね・・値段と早さ共に・・サラリーマン時代に手伝い なしよ で何度も引っ越したし。、何度も引っ越しの手伝いさせられた〜ことか・・。 


  11月04日 秋晴 

 2日午後家を出て 仙台逍遙し夕方 戻る 仙台の中心市街は山形や福島をはじめとする周辺地域の数々の欲望を吸い込み成長し続けているように見える。特に、貧富の差が目に見えるかのように、高級住宅が超利便な地域に高さを競って多数工事中。

2日夜は阿部仁史さんの事務所で2月ごとに行われている、ハウスレクチャーに参加する。講師はアーテストの高橋匡太(キョウタ)さんで そのことは五十嵐太郎さんからメールにて教えていただいた。今回は五十嵐さんがコーディネーター。

阿部さんの事務所は駅から4番乗り場のバスで卸町3丁目でおりチョイのところ。余裕をもってでたので講演前 1時間に着いて当然一番乗りのり(笑い) 途中八重樫さんが設計した10BOXという演劇 練習場兼劇場を見る。純なミニマリズムは猥雑な演劇や身体表現などの力に食い尽くされていた〜様をみてトボトボ歩いて 行っても 一番乗り。

早く着いたが、阿部仁史さんが仕事中。やや 早めに仕事を切り上げてくれ、2階のソファーで ワインで乾杯しつつ、近頃の仕事写真や模型を見せていただく。「建築を頑張ってつくり続けなきゃダメじゃない」と激励される。ありがたし。前回参加したときも励まされた。む〜・・

スペインから留学中のマルタさんにmyHPを開き一物件づつ阿部さん・・説明・解説つき・・の激励なので、前回よりも ありがたさ こたえるな〜。
 

高橋さんの講演はやや遅れて始まる。2年前のラブラブ大坂で高橋さんの蛍光灯が1280本ほとだったかな〜の 湊町アンダーグランドプロジェクトを見ていたし、なぜか・・打ち上げにも 参加して 高橋さんとも超ワイワイしていたのであった。2年振りの高橋さんは以前にも増して超イイ感じでした

講演の内容は即興演劇に近くって、高橋さんは現場で作品を作るように 講演もつくって行くのでした。この点がとても面白いのです。 講師も観客もコーディネーターも合体させ 講演の場にて、何かを生みだし共有しようとしているわけですが、今回は、仙台の学生さんは のりが悪いので、高橋さんはや・や・やりにくそうですが、そのことがまた面白いのです。

 何は・・依頼主や場所や建築によって異なっていくのですが、高橋さんの強い 純朴さがあらゆる状況を純化させてしまいます。やがて一つの結実した作品となり 目の前に提出されていました。 以前に会ったときも「この人は天才だ」と思いましたが再確認する講演会となりました。同時に彼を生みだし彼を支え続ける京阪地区の人々の力の固まりの存在を思わずにはいられませんでした。関西の底力を しらなあかんよ〜・ホンマ・・

夢の種プロジェクトという1万人の小学生が参加し1年かけた最新作品が紹介され終わりました。夢の種の詳細 仙台の町に出て呑み気持ちよく酔っぱらいました。皆さんに迷惑をかけたと思います お許しくださいませ。

高橋さんの話は 沢山かけちゃうけど 省略・・


 11月01日  晴れ
 
 今日から四月までの半年は寒い半年だ床暖房の試運転 してみなくっちゃ〜・・・。30代はナイタースキーに毎日行っていてように気がするが、10年ほどかな・・スキーに行くことがなくなってしまったので 冬が待ち遠し〜い!大雪降れ〜!カンカン寒くなってパウダースノーがいいな〜!・・などとと思わなくなっちゃったよ (笑)

 my妻ワイワイ旅行の話が尽きない。子育てが済んで 親の介護をしている人もいるようだ。親が野生動物化し方々垂れまくるので処置が大変とのこと・・苦労がわかるような気がする・・子供だって方々垂れまくったしな〜・・幸い我が家には親は無しなので介護の問題は発生しないだろうが。my妻か俺かmyサポータ達の 誰かが ヨイヨイ呆けウンコタレ婆や爺になるだけか〜(爆)・・皆さま〜コロリと死ぬのですよ〜(笑) 90過ぎても小説を書いたり読んだりしてる お婆さんが いるとのこと、人は色々だな〜・・

 自分の死に様や墓や介護などおおいに語っっている。みなコロリ往生を願っていて廻りを信じてない人が多いようだ。心から安心して呆けられない社会だと思っているようだ。 呆けたら安楽死を認めた場合、保険を掛けて後 尊属殺害するヤツが現れそうだ 対策として、呆け年齢になったら高額な保険を禁止すればいいのかな・・。子供も夫もいない人がいて、現況では自宅などの財産を担保に、公的機関に厄介になり死後財産を処分し経費をまかなうにようにするとのこと・・・・なるほど。
   
数ヶ月まえから仕事場傍で住宅だろう工事があって、囲いが取れた。開口部は白い縁取りの小さい窓が並んでいて、外壁は鮮やかな黄色だった。閉鎖志向なのか開放志向なのか・・道を挟んで北側の定年退職悠々自適のオジサンもさぞ仰天したことだろう。雨風に晒されては汚れるし、四季の移りと共に空や樹木など 色彩の変化が激しい このあたりでは 無彩色またはそれに近いほうが難が少ないように思ったりするが どうなんだろうか・・こんなのは見たがこんなのに 出くわす日も近いのだろうか。