03年 8月の日記      HOME  

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8月31日 今月は今日でお終いなのに雨が降ってて寒い。冷夏を象徴するような日曜日

昨日は高山の講評ページを作っていたが、目眩なのか目霞なのか・・グルカス・・してきたので午後横になってぼんやりしていた。栄養不足か・・冷えたのか。8月だというのに今月は涼しいを通り越して寒い。しならぬ間に風邪引き模様か。
10日ほど机の上に置いてある夜食のパンにカビが生えない・・この時期にカビ生えない・・こいつのせいかグリゲロ目眩は・・防腐剤を天こ盛りぶち込んでいるんだなーパン屋め・・。

サポータの方々から高山の反省会をしようと 誘われたので久しぶりにお好み焼きをつくり食べた。お好み焼きは上手になってしまった。美味い酒もあり栄養補給になったねー・・。世界陸上の男子マラソンをダラダラ眺めて過ごしたら、目眩が治ったので夜中に講評用ページを作った。

今日もつくっている。石川初さんの講評用掲示板石川さんの「菜園」語りがはじまっていていますから、みて感想など書いていただけると嬉しい。

10月4日の建築あそび、講師寺田真理子さん宴会では、手に入れることがなかなか困難超ウマ地酒の「熟成酒」が呑めそうよ・・と教えていただく。春は新酒で 半年寝かせた秋は熟成酒。今年は冷夏だったので地酒はどんな味になったいるのかな・・。


 8月29日  晴れ てて暑かった

高山建築学校の課題を講評準備を始めてたが、昨日2頁ほどアップした。講評に参加していただく人・・・巻き込んじゃった人なんだけど・・石川初さんはこちらがメールする前にmy掲示板に書き込みをしてくれていた。とても嬉しいなーの感謝メールをしようと思い、アドレス調べをするため初さんのHPを訪ねると、講評のための専用掲示板が出来ていた。最初の文まで書き込まれているー2重の嬉しいが重なると超嬉いになるね!!

いそいで残りの作品ページを作りアップしなくちゃーなー・・シコシコ作業する

あなたと私との関係は最近誰かに監視を委ねる傾向が強まっているんだなー。犯罪にテロ防止にと理由はいろいろだが、監視カメラを建築やパブリックスペースにジャンジャン設置してあなたと私を「監視する社会」が出来つつあるようだ。 さーどうする あなたと私は◎◎に監視されている・・不自由なのか安全なのか。

Nシステムというのは有名だったが、町の通りや建築に取り付けられている監視カメラも ◎◎システムとして組み込まれそうだよな。監視技術のハイテク化とともに◎◎監視システムとして構築されてしまうのだろうね近頃の傾向では

HPを公開しているということは個人が自由に情報を発信できるんだけど、監視もされやすい。されているね・・発言力を得るが監視圧も当然かかっているんだね

他者は恐いんだーとあおりまくりは最悪メデイアだけど、監視強化するまえに犯罪の背景要因を調べ除去するための政策など施してもらいたいね。監視を強化することによって、私が被害者にも加害者にもなるかもしれないなーと思う想像力が衰えることが問題なんだ。

建築を作るっていうことは公衆に作ったmy建築を無理矢理見せちゃうのだから、建築家は普通の私より晒され監視されるのは当然だと思っている。隠れて変な建築作っておいて、しらねーよって顔はできない・・建築芸人には覚悟がいるんだね




 8月28日 曇り

朝方大阪のmyサポータの真由美さんから電話がある。仕事の話や身の回りのワイワイを聞いて勝手な放言し放題。なんだ・・・大阪に出稼ぎにいけるかもしれないー・・なんでもやるよ建築作れれば私は・・。仕事がないので何処へでも出稼ぎに行きます・・と話すと元気が湧いたようで・・出た出た・・火星が出たと歌う真由美さん。一級の免許書持参で行きますよ・・なんて話すと建築節を鳴きながら歌い出しました。

昨日の夕方高山建築学校事務局の面田晋太郎さんから、課題の作品の一部14点が送られていました。講評方法をアレコレ一日考えてみた。一番上に在った作品の感想などを書き・・始めました・・ぺージを作ってみた。

いろいろ考えて、私に出来る範囲で講評して行きますので、提出の方々も気が向いたら参加してみてください。そんな気分でますー・・課題講評専用ページをアップ。全部講評するのに2〜3年かかりそうなんですが・・・ね。


 8月27日 朝方降っていた雨は上がったが曇り・・雨雨あきたよ!

新潟あたりで48mほどの橋が崩落したとラジオが伝えていたけど、おおかた塩害腐食でもあろうと思っていたら、この春に完成したばかりの陸橋だった!!。なんてこったー・・新聞の写真からは仕口の破断のようにも見える。施行不良か強度不足か・・他に原因があるのか・・新聞では分からない。構築物が落下しても人命が失われなくてよかったね・・不幸中の幸いだ。設計は超有名な槇事務所が担当したらしい・・あり得ないお話なので、お爺さんになった槇さん・心労が重なるだろうが、原因を究明して公開してほしいものだ。


腐っちまった今年の夏。桃を食べ食べ建築あそびを開く予定だったが、天候は一向に快復せずじまい。桃はぼとぼと地に落ちて稲は実るか・・凶作絵に描いたような夏で予定も腐りかけてしまっていた。ようやく建築あそびの予定を決めた。

10月4日にします。秋は腐らないでほしいよ・・
 初めての女性講師・寺田真理子さん・メディアとして建築をつたえるということで語っていただくことになりました。・ジャンジャン参加してくださいよー。時々お顔を拝見させていただいていましたが、六本木ヒルズの都市展で打ち上げ呑み会縁・・。彼女の詳しいことは分からなかったのでwebで検査しましたら、ギャラ間サイトにのっていたので、寺田さんの略歴をコピーしておきます。

1968年神奈川生まれ。90年日本女子大学住居学科卒業、鹿島出版会SD編集部入社。99年オランダ政府奨学金取得、オランダ建築博物館でアシスタント・キュレータとして「Towards Totalscape」展、「Town for the films」展など、日本に関する展覧会を企画。01年〜(株)インターオフィスにてキュレータとして巡回展「ルイス・バラガン 静かなる革命」の企画に携わる

こいいう方だったのです。

10月4日の建築あそびの詳細頁ここにつくたので見てください。おおくの方に参加していただけると嬉しいなー



8月26日
 曇り 雨が降りそうだな・・降っているかー

 今年の角館木匠塾・サマースクールのいろいろ

昨年反省会で角館木匠塾に私が与えた課題はweb上での年度の結果報告サマースクール活動状況をりリアルタイムに発信すること。それからをマメにシツコク・・マスメディアに配信することの2点だった。

1年経ってweb上での公開はにできた・・御苦労さまでした。内容には不備・不満はあるが、サイトを利用し公開するにあたり関係各方面と交渉したり煩雑な活動交渉御苦労さまでした。昨年までの主な画像などは秋田県立大学HPに寄生させていただきみることが出来ます・。ここです。勝手気ままに何時でも更新できないのが玉にきずなんですが・・徐々に完成させましょう

今年の・リアルタイムな角館木匠塾サマースクール活動状況報告は瓦版が作られていて、web上から見ることができるようになった。角館町のHPに加えさせていただきました・・・社会性もばっちり確保・・素晴らしいことです。

それへは角館町HP扉の左上にある新着情報の文字から入ると、次ページの右上のほうに「角館木匠塾瓦版」のデザイン文字があります。そこから入ることができます。彼・彼女達の活躍と木匠塾の社会性の現在をみて頂けると嬉です。

マスメデアへ対するアピールはNHKから打診があっただけで、サポートが出来ず取材はキャンセルになったようです。今年も課題として繰り越すことになりました。

参加学生さんは70〜90人/日と自主参加。地味できつい作業の連続なのですが、相変わらずの熱気でした。年々社会性の作り方が上手くなってきて、町の人人との交流も活発になり、活動の伝え方も上達しています。責任も大きくなりますが、参加学生の緊張を保にはとてもいいことだと思います。他者の視線が大切なんです。

町との関係は8班にわかれて行われたワークショップがとても効いています小学生とのパズル作りの交流から町内 案内看板への各種提案書。それから周辺にある面白い木造建築の調査報告など、観光資源の掘り起こしを行うかのような報告。多方面に多様な活動を知らしめることが出来る内容になっていました。

報告会での手法は、2班の提案が従来の手作り紙ペタペタ貼りつけ型報告。他の6班はパワーポイントを使った、見た目に洒落で他者にとてもよく伝わる方法でありました。後者の方法は 参加いただいた町長さん教育長さんはじめみんなとても感激していましたので威力があります。

最後に サマースクール参加者のなかから町の職員になって欲しい!!と、町長さんからの呼びかけがあり・・超盛り上がりでした。来年度は厳しい町の財布状況のなかから補助金増額のあるような話もあり、・・議会のヒト・ヒトの参加が無かったので分からないが・・期待できるかもしれません。
 参加している みなさん、よくやってましす・
完成作品についての感想は・・続く・・



 8月25日 晴れていて暑い 夕立があるかも

午前中 角館にて渡辺豊和さんから南方熊楠コンペ案を説明していただく。だれかに見せたかったそうで 嬉々として語るリポビタンお父さん健在です。10月末に「事務所の30年記念のパーティーをやるから来い・・」とおっしゃる・・会費はなしで宿泊費は渡辺さんの自宅で・・どうだ・・・サポータと同伴でもOKよとか・・と言われても・・誘われるのはありがたいが・・。10年前の豪華なパーティは飛田新地の有名な料理屋で安藤さんなど著名人がどっさり来てた。 今回は身内のささやかなものにするとか・・1時間ほど話して別れる。新幹線は速いナー・・・角館から2時間ほど・・午後仕事場に戻る。

 23日夕方のこと
 土砂降りのなかで大曲の花火をみる。中止にしないんだそうです。一度雄物川が大水で仕掛けが流されたことがあるんだそうです。その時はさすがに中止だったとか。そのほかは土砂降りでも決行する・・とタクシーの運転手が話していましたね・・数万人の町に 全国から60万人も集まるので、そりゃ中止にしたら大変なことになるでしょう。

 観客席もそうとうの気合いの入れようです。頭〜足先まで完全雨対策で会場に乗り込んで行く人多し。さすがだ観客。私と内田さんは途中で逃げだした。土砂降りなんだよ・・・でもバカスカ上がるデカイ花火・花火に呆れる

角館木匠塾 に着き話を聞く・・なんだかモジモジ・・・様子が変なのだ・・・コンペ作品が6年目にして初めて完成を断念すると決めたとか・・・・全員集めて怒鳴る 私は損な役割だな〜。真夜中のショボイ話しあいに成る。全員に意見を言わせる。

 原因は能力の無い者が施行のリーダーになっていて、段取りからヒトの配置など・・メチャメチャ。その上 図面ミスと基礎の施行誤差を修正せず木材加工をし施行をしていたとわかる。メチャメチャの雪達磨状態・・・無理矢理叩いて、引いて入れるなんことでは組み上がらない・・どうにもこうにも成らず・・施行を断念していた。・・コンペ要項には10日で完成させるが条件なのになにも、施行反省したり翌日の作業確認をしたりと毎日段取りの調整をしてないんだから・・施行担当校はやる気がないんだーと追求の声が・・沢山あがる・・・精神論が圧倒的に多い中 方法論でいこうやと提案する。

やる気の(無能)ないヤツがコンペを取るとこういうことになる・・審査員の責任なのだー。私は太田さんと建築あそびしてたので、審査してないのに完成式に呼び出された?!審査委員長の温情が仇となる・・意図的かも・・ 悪い予感が当たりました。今年は審査員してないのに呼び出されたのは・・こういうことなのね・・事務局に乗せられ・・私は・・・と思う。

続く・・

  8月23日  曇りの間にジョボイ入道雲ふう雲くすんだ青空がみえ、ミンミン・ジージ・・ 方々で蝉が鳴いている。

今日は午後角館木匠塾へ京都の内田さんとでかける。ついでに大曲で花火を見るのだか、天気予報だと今夜は大曲・秋田県は雨だとか、二年連続雨になるのかなー・・その後 角館町提供の研修センター で大雑魚寝。今年も70人ぐらい参加しているのだろうか。一つの大学から15人としても90人だからモット多いのかも。

高山建築学校は今年は終了したようで実行委員で事務局の面田晋太郎さんからメールあり

・・・・8月20日をもちまして、メイン日程・オプショナル日程ともなんとか終えることができました。今は、ほっと胸を撫で下ろしているのが、正直なところです。・・・・・・「24時間コンペティション」の作品につきましては、早急に郵送させて頂きます。2、3年掛けて講評してくださるという、佐藤様の真剣さに答えられるものかどうか不安でいっぱいです。今後とも高山建築学校をよろしくお願い致します・・・・・

面田さん御苦労さまでした。
また社会人さんかの岡崎浩司からも情報量のおおいメールをいただきました。どうもありあとうございました。一部のせます。

・・・・・私と菜園とあなた」の課題に2.3年かけて講評するということが、 既に日記において始まっていることに、佐藤さんの関わった人に対する 誠意のようなものを感じています。 あの場での「2.3年かけて・・・」の佐藤さんの台詞に 敏感な学生は、驚愕したといっておりました。 若者的に言えば「マジかよ・・」です。すごいことです。批評であり決意であり、わたしには思いつかない美しい言葉でした。・・・・・・・・・ 五十嵐さんの「佐藤さんに来ていただく」という直感的判断も、菜園みたいに2.3年かけて実るような類だと 考えてみたいとも思っております。 素性の悪い畑でも、耕していけばなんとかなるの思い込みが妥当かどうかそっちのけで高山に関わる者として、この出会いを生かしたいです。・・・・・

以上高山学校の面田さん岡崎さんのメールでした。

2〜3年かけて講評するという私の姿勢に提案した皆さんが驚かれている。その反応に私はチョイト驚く。参加者はコンペをおおく経験しるのだろう。

その経験において、自らの提案は多様に見えるだろうが、作者が同一人物であれば、動機というものは必ず共通してあるものだ。その提案の中に 自らの動機が姿を隠し脈々と流れているもなのだ。

創作者になるならその存在の所在と水質とベクトルを早く(若い時期に)自覚するとこが肝心なの・・・・創作者になると決意した者にとっては自らの地下水脈のそれらから逃れることは出来ないの・・・・水脈の善し悪しは誰が判断するのか、本人の知性や見識という場合もあれば、創作者が生きていた社会のそれらである場合もある・・

出来たあがった建築がその水質の悪さを覆い隠してしまうこともあるんだけど、逆現象の建築もあるから注意ね・・・素人じゃないだから、創作者はそのことにも気づかなければならない、確信犯建築はみとめるわけね・・。

さて今課題で、参加者の身体に無意識に流れる それらの水脈を暴いてしまおうというのが、2〜3年かけて講評するという意図・・・暴かれよ・・オノノケ・・うろたえながら自信を得ようではないか・・そんな気分なのね・・。もちろん私はその場限りで瞬間的に反応してコメントするという体験少ないので自信がないということもあるのね・・。

内田さんから電話で「東京駅を出ました」ということなので今日は終わります


   8月22日 一月ほど続いているジメジメ天気を吹き飛ばす・・ではないが、青空がチョイト見える夏のような晴れ。ミンミン蝉も澄んだ音を発している。

myサポータの方が 住宅特集9月号を届けてくれた。大島哲蔵さん関係知人の藤木庸介さん、木村博昭さん、楠本菊實さんの顔写真がでていて懐かしい。近々建築あそび講師予定の寺田真理子さんの書評も載っている

 高山建築学校で五十嵐太郎さんから「住宅特集に建築あそびのこと書きました」と聞いていた。五十嵐さんの傍で聞いていたmyサポータ様々は足が速い・・本屋に飛んで行っていただき 感謝!です。

p155時評の真ん中に「建築あそびという公共圏」というタイトルでした。五十嵐太郎さんよりのエール・・・心より嬉しく思います・・名古屋でのカフェ・ジーベックのレクチャ・シリーズのヒントになったとかで、建築あそび ソレゾレ方々版が開催されているとはとてもいい感じです。建築あれこれ普及させるぞー・・にとってはまことに喜ばしいない出来事話。

 建築ソレアレ情報の数々・・限定された媒体や機関から流れてくる情報や非社会的な場でグルグル煮詰まる情報も大切なんだけど、建築話というやつは日常の中で当たり前に方々で語られ 建築という事態を伝染させるべきなんだ・・という思いと経験がある(幼少時の体験話はいずれ)。そんな考えを素直に手軽に実践しているだけだから、「ワイもやろー」と思い立って実践・真似して欲しいなー・・。

19日に書いた 今年末の建築あそびはBOX5を使わせていただき、菅野裕子さん講師で「音楽と建築」の件・・菅野さんからメールがありチャクチャクと音をたてて動き出しましたよ〜、菅野さんありがとうございました準備進めます。
そのまえに元女子校高校でしっかりしたmy建築の講演をしないとイケナイイケナイ・・

京都の内田康博さんからメールがあり新幹線の切符取得したとか。明日は大曲で全国花火師による花火大会があり、秋田方面は超混んでいるようだ。

参加している学生さんたちは、仕上げに向けて今日もダラダラ汗を流して作業をしているのだろうなー・・御苦労さまです。明日午後家を発ち月曜まで角館木匠塾関係でワイワイにでかける。日曜日は昔関西の三奇人。チョイ前は建築界のリポビタン男・・と呼ばれ続けている元気な渡辺豊和さんが奈良の自宅を早朝に出て合流・・元気な呑み会になりそー・・大変だー・・・ 



 8月21日 曇っているけど気温があがり、死に急ぐかのように蝉・蝉・蝉が鳴いている。今年は夏がないけど土の中で腐ってはいられねーと方々で鳴く。

私ってなんだ・・寺山修司は偉大な質問である・・ありたい・・だったか永遠の質問でありたいとか言っていたような気がするなー

近世日本における人・人の意識のなかに「私」という概念が存在していたとは思えない。人は家によって保証されていて、それは身分という名だった。身分にかわり「私」として社会(社会という言葉も近世にはなかった)に出現したのは何時なのかなー

・・・「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とう言葉をもって「私」の発生といっていいのだろうか。そんなわけねーな・・。人間皆平等だー・・と言い張ってみただけだろうな・・平等なはずないのにねー・・その当時は人をその気にさせるのに充分有効だったのだろうなー。現在ではヒトは平等だなんて信じて居る人はいまい。平等な社会を作りましょという理想をいいはるのはお好きにして・・。

語る福沢諭吉は身分制度から離れて自律した「私」を自覚していたのだろうか。万延元年(1860)勝海舟らによる幕府の遣米使節、翌年の遣欧使節の派遣の際には翻訳方として随行しているそうだから、「私」なんて日本語言葉を取り入れたりして翻訳してりしていたのなかー・・

23歳の1900年イギリスに留学して日本と西欧の間で超悩んだ夏目漱石が「私」を最初に自覚し実践した人なのなかー

話は飛んじゃうけど現在でも名刺などをいただくと株式会社などに所属する個人。企業に保証されている人間という紹介のされ方が多い。素の人間そのものの名刺を持ち歩く人は少ないなー素人間で生きて行くのは辛いのかも・・

近世の家という存在が現在の企業や大学に変わっただけで、私の自立なんてのは別の世界・・と言う人は多そうだ。器用に使い分ける人間が多いのかな。五時から素人に変身〜!刻々と変身しまくり人間にて 私を閉鎖するってことなのかなー・・個人の尊厳より会社の存続が優先される目的合理性のシステム優先型人間社会をトリアエズヨイショしておこう・・近世の社会でも本音と建前なんてのはなかったのか、あったのか・・。

私性・個人として人そのものを受けとめて交流するという意識は薄いよなー・・自ら真価を判断して群がらず交流するより、雑誌や学会賞に保証された建築家だからといってキャピヤキ群がる人おおそうだよな・・・・ 私・・・ねー・・あなたの所属する会社をヨイショしてプライドを守ってやる方法が喜ばれそう・・だらだらした・・だらだら書き・・・腐って地に落ちてしまった今年の夏がダラダラ垂れ流れている・
蝉は蝉の存在としてのプライドを守るためにたった一日の夏においてミンミン泣き叫ぶみんみん・・たったい一日の夏のような気がするからミンミン蝉の鳴く声を聴いている



 8月20日 小雨曇りで今日も青空が見えない1日

安中コンペの最終5に案藤本壮介さん案が残っている。安中市のHPから辿ると審査経過や5案の絵をみることが出来る。与えられた面積を1つの部屋として提案した藤本さんの案は青森の案の後退とみていいのではないだろうか。青森の案は全体とか一つのカタチを放棄しようという意図で挑戦的な案であった。一寸目の図像的には安中案も同じようなものであるが、一つの固まりとして表現されていて、屋根をかけ上空からみれば大きな建築全体が顕わになる。藤本さんの変心ぶりを伺うのが楽しみである。

市民との協議による諸問題について、2日目の審査会場にでかかた生研在籍中の山雄和真さんに意見を聞いてみた。山雄さんの返信メールの一部コピー

佐藤 様
山雄です。
住民参加的な要項には常々疑問をもっています。
責任の所在が明確でないという意味もありますし、(行政の責任逃れ?)一番ゆがんでると思うのは、コンペに案を出す当の建築家達が本気で信じているわけでもないのに「一応」それを満たすような案を出してきたり、制度に反発するのでもなく純粋に賛成の意を表するのでもなく、やりたいことは他の部分でやっちゃおうというような態度が透けて見える気がするところです。(みんながそうではないと思うのですが。。。)
・・・・・・・おそらく来場者の9割方は応募者で、そのうちほとんどは暇な学生だったと思います。市の役員のような人たちも何人かいましたが、審査に関してはかなり部外者的な態度でしたし(主催者側であれば当然かもしれませんが)、一般の住民はおそらく皆無に近かったのではないかと思います。
・・・・・・
まだ模索している段階なのだとは思うのですが、建築家にも、住民にも、主催者側にも明快なイメージが無くて、とりあえず住民参加だと言っているような実態があるのではと思います。・・・・・・


住民の方と公共建築の関係は語られなければいけないが・・・・公共建築の発注のされかたは十数年の間に少し変化してきている。公開コンペが多く催されてきていい結果もでている建築もあることはある。
コンペの審査経過などもHPや報告書が発行配布されたりして、密室談合体質が徐々に変化してきていてそれらの環境を育てるのはこれから問題だ。とはいえまだ市民(他者)と満足な関係が構築されている訳ではないので、注視していきたいと思う

公共性の受け取りかたや解釈には困難が付きまとう。西洋的個人と土着(日本的)的私との2重構成の上に、さらに解釈が捻れていて曖昧。整理改良飼育し現在の他者性を構築共有するための作業に は、まるでもつれた愛情の修復作業のように相当な困難が予想される。

まずは他者性の問題を解決したいと思うこの頃。一昨日いただいた水野仙子の資料の中に地元の高校教師橋本今祐さんが研究された「明治維新と芸能政策」という目次が見える。仙子の陶の土のなかの芸能人・大方は河原者と呼ばれた人達。河原者達と商家の人人の交流から見えてくる、当時の人人のなかにあった他者性の有様。それから花田達朗さんに教えていただいた 西洋における他者性の有様。複雑に重なってしまって在る中から新しい他者性を構築し提案しなければならないように思う。

開かれつつあるコンペが従来の指名競争入札の変形としてのみ残るののでは淋しい。

行く末は市民コンペを主催する側に立つ建築家諸子の見識に関わっているが、参加する側の諸問題をも語っていかないといけないのだろうなーと・・山雄さんのメールを読んでいておもった。




 8月19日 曇り 予報だと夏の天気になるはずだったのにドンヨリとしている

昨日は早起きして須賀川市ないにある高校へ。10月に依頼された講演の打ち合わせを兼ね会場見学だ。元女子高校は現在共学だがおおよそ7〜8割は女子生徒だそうで、夏休みのクラブ活動で賑わう講演会場である屋内体育館は見渡す限り女性ばかり

91年に福島大学へ呼ばれて講演したことがあた。数週間かけて建築のビデオを作り持参したが、大学のビデオモニターが壊れていて、まったく放映出来なくて・・大学の対応にむかつきながら講演し、終いに怒りを爆発させたら会場が多いに盛り上り好評だった経験がある。単なる事前調査の手抜きだったと反省して、以後事前にチェックできるものはすることにしている。

高校のパワーポイントを使いステージに映像を投影を確認させていただいたり、当日の話の内容や資料作成などを担当のY先生・H先生と相談する。

打ち合わせ後H先生の家族の方と昼食を蕎麦屋さんで食べる。以前超ウマ中華家さんへも連れて行ったいただいたことがある。食い物関係でも私が住んでいる町より断然レベルが高い須賀川は!と再確認。

H先生より昨年まとめた国語教育研究会冊子をいただく。須賀川市出身の水野仙子(1888〜1919)という作家と作品である短編小説を授業で取り上げたことや研究会、それから数度開いた仙子の研究者などを招き講演の記録などがまとめられている。

web上では青空文庫の中から水野仙子の作品の一部を読むことが出来る。

資料のなかの高校生の感想のなかに「おれはこんな事いやだなー・・自分の家に他人が来るのなんて」という感想が目に入った。平成12年の最初の授業で「陶の土」という作品の一部を使ったときの生徒の反応だそうだ。

「陶の土」という作品は会津を拠点とする旅芸人(踊り子)と須賀川の商家(仙子の実家)の交流を描いた作品だそうだ。商家の一時パブリック化(私が勝手に命名)と芸能の民の背景を描いているらしくタイトルの陶の土とは会津本郷の本郷焼きの陶土を指すらしい

ドーランを買うことが出来なかった芸人が陶土をドーラン代用品としたと推測出来るタイトルで、タイルのセンスの良さ。商家の一時パブリック化を暖かい眼差しで描いた作家いの姿勢。商家の一時パブリック化をよしとする当時の人人の心の有り様。陶の土を顔に塗り踊る様を想像すると、なんとも言えない人人の生き抜く力と哀れと失った人情を重さを同時に想う・・

陶の土における他者との有り様は、住居の一時パブリック化をもくろむ建築あそびと共有できるものがあるが、こんなこと嫌だと感想を語る現在の高校生の心の生成過程やこの100年ほどの間に起きた人と人の交流に対する人人の態度の激変などを・・H先生や家族の方と熱く語りあう。

須賀川市には松尾芭蕉も長逗留していて、他の芸能人との交流も予想されたことだ。ちちまと外壁を立ち上げ他者を拒絶する現在の蟻様を100年前の須賀川の人人は想像するは不可能だろう。

我田引水であるが建築あそびを思い立って実践していることとも それらは関係していると思うので、水野仙子の作品に触れて失ったモノを広く知りたいと思った

最後に12月又は新年早々、菅野裕子さんを講師にお招きし「建築と音楽」をタイトルに建築あそびをH先生の住居で開くことで話はまとまる。菅野さんにはまた確かめていないのだけれど・・・よろしく !菅野さん。





 8月18日 昨夜から断続的に叩きつけるような強い雨がふっている、夕方あがるかな・・とても寒い一夜が過ぎ・・暑い日がない夏も終わったな

公共圏というなの社会空間を相変わらず読んでいるのだが、日本は明治維新時に外国の考え方を取り入れて国をつくってきたのだが、日本に無い概念を翻訳するときに相当に無理して日本語を発明・造語し定着させたようだ

そして戦後に一捻れしているのでややこしい日本語がそれぞれに勝手気ままに使われていて、混線しまくっているようだ

もつとも大きな混乱又は使う人によって意味がまるで異なってしまう言葉は公と私かもしれない
     公=国家=官   私=個人=民

このような混乱があるなかで公共圏(パブリックス・フィアー)という言葉も誤解を招いてしまいそうだ

それからコミュニケイティバな合意も難しいなー。コミニュケーションするって簡単に理解し合うとか白黒つけて手を打ったり反目したりとなって理解されるのだが、反目も手も打たない合意というのがあるのだが・・敵・味方論でばっさりと斬りつけて片付けられちゃうしな・・

今日は須賀川の高校へ講演準備の為学校へ行って、H先生や関係者と事前打ち合わせと調査をする 晴れて欲しいが・・雨やまないかなー・・


 8月17日 曇り雨が降るかもしれない

今週は全国的にお盆という行事が行われていて、古里に帰って先祖の墓を参るのだそうだが、罰当たりの私はこの10年墓参りをしていない。私が死んで他人を煩わせたくないので、他者である父が10年前に死んで後はその気分がマスマス強くなり、母が死んでも墓などお参りなどして煩わされたくないと思っている。

 姉のトミヨ様がおはぎを持ってきてくれたが傍迷惑なので止めろと言ってもトミヨ様は頭が可笑しいので、時々やって来ては野菜だのお菓子だの置いて・・私に供えていくという感じである・・私は死んでもいないのに姉にお参りされていて可笑しのだ・・トミヨさまといって手を合わせるのは私だけど・・。

墓も参らず・・では何をしていたのかというと、2年ほど前に買った花田達朗著「公共圏という名の社会空間」と読んだり、エディフィカーレ・リターンズを読んだりしていた。ダダそれだけんなんだけど、したいことをする方が先祖供養になると屁理屈を書いている。

前著は2年前は読み始めても全く歯が立たなかったが、花田さんの2度に渡る講義でおぼろげに、バラボリニ腑に落ちるようになって来るようになった。リターンズの方は南泰裕さんの試論と準備論を読んで、こういう人間が建築と格闘していると思うと熱くなり、なんとかして俺も建築に再び参加したいと思う・・・この地に居ては縁が成さそうなので・・渡り歩き・・行き倒れなのかなー・・・などど諦めに似たものが同時に湧いてくる。選択した生き様なのでそれは正しい死に方だろう。

そのためには妻と別れて、my妻様に迷惑がかからないようにして置くことが大切だと思ったりする。寺山修司の「家出のすすめ」を30年前に実践した私としては、自ら作った家をも出なければナラナイわけで、それはとても全うな家出人の生き方なだなー・・と思う。

墓参りの話だった・・人は死んで祖霊になり子々孫々を見守り 生あるものは先祖に恥じないように日々家業に励んで祖霊を目指・・というような伝統的な生き方を放棄したのだから、行事だろうがなんだろうが、家を出たモノは理由はともあれ墓などお参りしているような人間になってはいけないと思っている。・・バカナ人間が一人オルワイと先祖は呆れることだろう・・でも墓なんかお参りする暇があったら建築のことなど寝っ転がってでも思っているのが先祖の供養というものなのだと私は勝手に思う。

建築における コミュニケーション・・てわからねーなー ・・ジバラクかかりそう・・


 8月15日 小雨降り寒い

家に戻り昼飯を食いながら甲子園で行われる高校野球の中継をみてると、サイレンが鳴り響き、ゲームは中断、1分間の黙祷。my妻は飯を喰らうのを止め、両手を合わせ祈った。

今日は58回目の敗戦記念日だ。終戦記念日ともいう。日本の憲法は戦争を放棄したはずだが、解釈論でめちゃめいしゃごり押し・・時限立法をつくりイラクという戦場に自衛隊を派兵しそう・・・・58年前に自覚的に犬死にした戦死者たちは嘆いていることだろう

首相として靖国参拝を行い米国に一言もの申すのかと思いきや、大量破壊兵器いまだ発見出来ぬところをみると、でっち上げた戦争だったと思われる、そのいい加減な侵略戦争に法を作ってまで荷担しようとしている・・尻尾を振る飼い犬のように・・。ウゥ〜ウゥアゥ〜とサイレンが鳴響いてる・・・・政治家(権力者)の暴走を阻止するために日本国憲法があるのだよね・・戦争を放棄するというのは理想で実現は難しいことだろうが・・相互主観性の演じられる場で戦争放棄を掲げ訴えることはいいことなのだ

高山建築学校 課題講評準備メモ3
 資料より・・
倉田氏の「・・・建築家同士の討論がまったく不毛であったということ。もう一度建築が世界を学び直すためにはそのための場所と時間が必要だった。そしてその場所として、都会から絶縁されること。テレビ、新聞、電話、といった情報機器が無いこと、喫茶店がないこと、時間をもてあましたら、星や目と向き合う以外ないこと。・・・・


不毛と語る建築家の態度は問題だったと今は分かっているのかな・・主体中心的理性からの脱出を試みてないのではないか。相互主観性を否定していて、世界から学ぶと語ることは大いなる矛盾ではないか・・絶対の自分を発見して自分から学ぶのかな・・・・。   もしそうであれば、私の方法と異なるのだが、それは指摘していいものなのだろうか・・・

世界とは何を指しているのだろうか。語らぬモノ達 星(天然)目(自己だろうな)など、自分以外人間を否定していたと思われる・・・・多分 神を目指していたのだろうなー。都市=人間と言い替えても現在ではあまり異論が出ないと思うのだが、30年前の当時は人間と対立する事態として都市を捉えていたようだ。地方にだって自殺するやつはいたのに「都会では自殺する若者がふえている・・」と強調し歌っていたなー・・・システムによって生活世界が植民地化されているというだが・・生活世界が様々に病はじめた時代ということかな・

同様に情報、テレビや新聞というコミュニケーションメディアを否定していたのだ・・・まったく今ではお話にならない、ものの考え方。または、コミュニケーションメディアの成立の歴史を知らなかったのかも・・。ほぼ全員が携帯電話を持参して高山建築学校へ参加しているのだからなー
 

 8月14日   雨にて9月末から10月中旬の気温とかで寒い

昨夜は近所の盆行事の花火大会に誘われてでかけた。地域の花火なのでささやかなんだけど、子供には強い良い思い出となるんだろうなー。花火の後に地域の盆踊りとなり、少々賑わう。福島周辺の盆踊りはテンポが緩慢で、踊りのバリエーションが無い。衣装でも凝らしてくれないことには見るものにとっては退屈だ。

高山建築学校 課題講評準備メモ

20年ほど前に3日ほどのパフォーマンスを開催企画して本にまとめたことがある。そのなかで、禁止令は出していたのだが、参加者の男性数名が公道で裸の表現を行い、警察ザタになり・・当たりは騒然・・とても迫力在る演劇空間と化したのね・・でも、後の身元引く受け逮捕男の愛人がわめきだしてね・・とても疲れたことがあった。その他に参加者が街の女の子を連れだし・誘い出して、親が怒り出して大騒ぎ・・あっちでもこっちでも騒然の3日間。

開催地にまれびとがやって来ると騒動が起きるのは古来当たり前のこと。地域との交流や交流によってもたらされた騒動をどのように処置したかを比較すると面白い・・高山建築学校の裸は、20年前の裸の人とまったく動機が異なるのが面白い・・じょじょに観察ノートを書いてみるが、参加日が重なった五十嵐太郎さんの・・・感想などを・・・いただいておきます

以下・・  五十嵐太郎さんの03年8月11日 日記写し・・

*1998年以来、連続で6年目の高山建築学校の参加となりました。
・今年は僕のリクエストで、佐藤敏宏さんを呼んでいただく。僕の参加する前日、おそらく高山はこのままでいいのかという挑発もあり、ちょっとした事件があったみたいです(詳しくは、佐藤さんのページをご覧ください)。昔の高山建築学校では、厳しい山中生活から学生が脱走したり、泣かせるまで講師同志が喧嘩したりと、激しいシーンもあったときくので、そうした原風景がよみがったのかもしれない。佐藤さんはそうした時代の雰囲気も知っているので(高山は初参加ですが)、なんとも思わなかったみたいですが、今日の学生はひいていた模様。
・佐藤さんの課題の講評会は、高山側からの提案で、通常と違うスタイル。全員が制作物を壁に貼るけれども、発表したい人だけが発表するというもの。一部の学生が自分の案をほとんど説明しないのに、僕の案をどう思う、どう感じる?とひたすら粘る一方、興味深くても発表しない案もある。個人的には、全員が発表する方が「平等」だと考えるので、違和感が残る(自分が歳をとったなあと思う)。昔の高山、あるいは通常の講評会では、こんなプレゼは許されないだろう。良くも悪くも、(高山に限らず)今日の学生の傾向をよくあらわしていた。一方、佐藤さんは、要望に応じ、2-3年かけて、すべての案について考えていきたいと語る。3日間で1100点を審査するなど、しばしば瞬間的に作品を判断することを要請される僕にとっては、驚かされる対応だ。しかし、それだけの覚悟をもって課題に挑んだ学生がどれくらいるのかで、新しい方法を模索する高山の真価が本当に問われる。
・僕は、8/9の夜、発売まじかとなった著作「戦争と建築」を軸に同名の講議を行う。続いて、岡さん、マイアミ、溝口さんらの「前衛的」なライブを楽しみ、そして深夜まで飲む。創設者である倉田先生が亡くなられ、30年以上もの歴史のなかで、現場でモノをつくるということは一貫しつつも、時代の動きとともに、確かに学校は変容している。
・翌朝は佐藤さんとサポーターの方々と崇教真光の本殿と光記念館へ。久しぶりです。信者の対応は相変わらず、とても丁寧。ツルピカ度が落ちていないので、メンテナンスが行き届いているからでしょう。




 8月13日 快晴だ・・真夏の天気ってこんな感じだったね

須賀川のH先生から葉書をいただく。須賀川に在る元女子高校での(数年前から男女共学にかわったばかり)講演依頼が以前にあった。共学とはいえほとんど女子生徒だという・・圧倒されそー・・。

アジッテしまいフルマン騒動が起きたりするとね・・・私は興味ツンツンだけどね・・H先生に迷惑がかかる訳だから、アジッテはイケナイんだけど・・どうも心配だなーと思ったので、講演前に現地を訪ねて会場などを見学して、心の準備をすることにしていた。

その日取りの連絡でした。来週頭に女子校生が群れ群れしている学校へでかけるのだー・・早起きしなければならないんだなー

高山建築学校 課題講評への準備メモ

「あなたと私と」 という言葉から若者がよりよきコミュニケーションを構築しようとするのはなぜなのだろうか。「みんな仲良し村の住人だね」って思いたいのかな
コミュニケーション は良いことだ・・だから推進しなければならない、コミュニケーション  を心地良い会話とはき違えてる・・対話ベタを隠蔽しようと粉飾解を出してきた・・

 コミュニケーションの発生は問答無用の貴族や宗教的権威からの開放を目指した結果てできた国民国家の前提に成っているもので・・気持ちいい人間関係を求めて出来た事態ではない。そこは日々が他者との闘争場だろうな・・ 弁論と討論の目的は国民国家の成員が権利を行使しているのか・・義務は果たしているのかとお互いに問い合う場だろう

日本には上意下達ってことは在るし、生・生してるな・・けどけど、コミュニケーションてあるのか・・コミュニケーションの発生をしらべなければならないのだな・・

あなた=公 あなた=他者 あなた=私が思うに存在するから私の想像
私 =私という言葉そのもの 私=私を保証する身体そのもの

そこらもしらべなければだな・・。

漢字学者の白川静さんの字統によると
私 (会意)   は耕作のもの、ム  はスキ(漢字が出ない)の形象。

スキをもちいて耕作する人をいう。私族の耕作者で隷農の身分のものを言う。公は祭祀儀礼の行われる場所。

ということで近頃の両者の使われかたは古代日本的でも西洋的でもないので、私とあなたをキチンと定義し共有し講評しなければいけないんだな

手に負えないなー・・出発まえの予想通りだ・・

あなたと 私と 菜園と を 空間概念に置き換えたらどうなるんだという話にしたい気分だなー 答えは簡単 建築あそびの菜園化 ということになるな・・。



 8月12日  雨のち曇りだ 涼し氣

昨日も少し書いたけどアレコロ・・
先週月島で手に入れたエディフィカーレ・リターンズの中身を読み始めた。一号目を読んで早速驚いちゃったよ。五十嵐太郎・南泰裕さんの書き下ろしは新幹線の中で読んでたんだ。珍しくむき出しの南さんだとおもった・・なんだか熱いものが吹き出しているな・・だった。

今日よんで驚いたのは南泰裕さんが12年前に書いた「共同体についての試論」なんです。高山建築学校での私の課題は「あなたと私と菜園と」だたの。なんでこんな課題をおもいつたのかなーって考えてたし、解答わかんねーなーなとも思っていた。

高山建築学校からいただいた資料には、自らも建築家なのに建築家は信用できないし、社会を認めていなくてキタネーと思っているのだよね・・そいういう個人が創作するって・・あるのか・・だから、あんたら「身勝手に一人で嘆いてなさい」と私は思うんだよね。個人のレベルを上げるとは言ってる個人が唯一絶対の神に成る事でしか解決しないような事を延々とやっている学校のように思ってた・・出発前に。

現地に着いて見渡すとゴミばかりで集落の天然だけが青々としているではないか・・予想とうりだったから疲れるね・・おまけにサラ金取り立て風の男が出入りしているので・・・タコ部屋とサラ金業者はよく似合うけどね・・拙いとこに来ちゃったナーとおもったよ。

サラ金の取り立て家さんという職業があるとすれば、外部の存在を遮断しておいて、高金利で追いつめる、命まで吸い上げて換金する職業だとおもうけど 、ここは存在しない高い理想とか真理とかいうもので追いつめて、その営みをゴミ化する施設だとおもったよ

それでトリアエズ「外部との関係の模索と構築や存在の発見が急務だねコリャその外部にもう一つ天然の要素のような他者を入れておいて、タコ部屋が煮詰まるのを拒絶する方法がいいと思った訳よ。

で課題は「 あなた と 私 と 菜園と 」にした

そうしたら南さんはそのあたりの手がかりや、その答さえを既に出していたので・・驚いた。

いろいろ終えて帰りの午前中に学校の有るあたりに建っている、新宗教の施設・・・多分高山建築学校と同時進行してたのではないかと思われる施設・・・・そこを五十嵐太郎さんに案内いただきサポターの方々と伴に体験して福島にもどってきた。

その施設は綺麗、水ふうなものも流れている、光も、彼らの歴史にも触れることができて、そにも居る人みな礼儀正しい・・これらの施設は明らかに良いところを取りまくりのフィクションが芯に有る。その吹くションを成立させる為には都合のいいとを世界から検索する引用し実現につとめる・・聞いたことあるなこの感じ・・動物化するポストモダンだったなー・・なんだか高山建築学校と対比するととても可笑しいの

最後に宗教のことにも南さんは触れてるのだよ・・!!。この一週間は南さんの 12年前の思索である「共同体についての試論」を追体験する旅であったなー・・とつくづく思ったねー・・縁が合ってよかったよ

いろいろな幸運に出会ったなー


8月 11日
  晴れ 暑い夏になってる。夕立は来るのかナー

 渡辺豊和さんの事務所を経て京都で設計事務所を開設した内田康博さんから電話があり、8月24日PM3時から開かれる 角館木匠塾の完成式に出席してほしいとのこと・・。昨日高山建築学校から帰ったばかりなのに・・また学生へのボランティアなのねー・・。グエ・・23日には大曲の花火師が競う花火大会があるので、前日からどうですか と・・毎年恒例になりそうな気配濃厚だなー・・


昨日の深夜まで高山建築学校へ関わっていたのですこし書いておこう。雑に書くので問題多しだけど、メモ代わりで詳しいとは後日・・専用頁を作る〜


7日の深夜サポーターの方と高山建築学校目指して家を出る。途中のSAで仮眠して富山当たりで7時に朝飯を喰らう。五箇山 相倉地区の合掌造りに立ち寄る。30年前に訪ねた白川の合掌造りを思い出す。共用便所も綺麗に手が入れてあり村の人人の意気込みが分かるなー・・合掌造りの中に流れているコキリコという民謡も良いリズムであるなー・・村を出る

細島という当たりの温泉とは名ばかりの沸かし湯の風呂に入り畳でゴロゴロ1時間休憩。

菅沼の合掌集落を見学。昼飯ように蕎麦を喰らうが おぉはズレ・・セコイ家主の根性が露出してる、不味い蕎麦。観光収入に頼っているのだろうから、セコイ内心にたいして不快に思ってはイケナイのだが、あんまりにもなー・・・・不味い蕎麦出すなよなー・・・田舎ものよ蕎麦の勉強不足だよ・・

白川村のは観光客で溢れかえっていて、県都福島市内の店店なんて問題にならない賑わいなだがゲロゲロしてきたので・・チョイト見て去る

高山建築学校へ到着4時。岡崎浩司さんが現れる、大手で設設計されていて、15年ほど世話をしているとのこと。御苦労さまです。myサポターの同伴が無ければ東京から車に乗せていただく予定でした。

岡啓輔さん現れる。大工さん で喰っていて、今年のSDレビューにて「蟻、鱒 鳶ル」という自邸のプロジェクトで入選したとか。高山建築学校全体の世話をしている。岡さんがいなければこれは成り立たないかもしれない・・ような活躍ぶり。ダンサーでもあり画廊主でもある。

吉江庄蔵さん現れる。彫刻家であり、作品は空蝉彫刻とでもいうのでしょうかねー・・写真を見せていただいきました。開設者の倉田泰男さんの意思を受け継いで、亡き後に情熱を注いでいる方です

事務局の面田晋太郎さんと交通費や飯代などの打ち合わせ、宮川宗治さんと二人をお供に学校 周囲の過去の遺物・・・ゴミに見える・・強者どもの出来損ないだよなー・・よう分からないなー・・を案内していただく。お二人は法政大学の学生さんで全体の事務局を引き受けていた。

夕食を食べ、スライドとダベリで2時間半ほど話す。11時ほどかなー、呑み会になり、アジッタようで、参加者の一人がフルチンになり、皮がむけないチンチンを差し出される。育ちが悪いので食べるわけにも行かず、名を訪ねたが答えがない・・周囲の方が怒り出す、私はフルまんがいいなー・・。

・・こういう事はあるだとうと思っていたので笑える・・・・FULL CHINがフルチンをよぶなんてなー・・騒然としつつ、myサポータは唖然としてたそうだ。ワイガヤは深夜の3時まで続き、どうもサポータに床に引きずりこまれ寝かされたようだ、私は。

サポータとともに行かねば、コンクリートに詰められ基礎に成ったりしたかも・・なんてのは嘘だけど、そういうことを真面目、ありそうな地下水脈があるので、笑えないなーー

浅間山荘にサティアン内部に・・きっと少し似てるんだろうなー・・

課題を出す現地に着いて、体の中のにうかんだ言葉「菜園」と出発前の言葉「あなたと私と」を合成して
あなた と 私 と 菜園 と」にする


9日pm4時から課題に対して成果物の説明を聞く見る体験する。それぞれへの講評は2〜3年かけてするつもりなので、その場では全く無し。会場から文句も出ず・・。

途中参加の五十嵐太郎さんの「戦争と建築」のレクチャーを聞く、太郎さんの卒業設計を見せていただいて、大満足でした

その後パーティと参加者のライブ・・即興劇風パフォーマンスは内向きのモノ内容力が社会に、外にむかわなけれが芸能には成らないだろうと思う。 哲学スルほどの能もなさそうなので、病かも知れないが、質は高いし面白かったよ。社会化するに値するような代物ではないなー・・個人探しと言った体裁だね・・つくづくサティアン向き身体表現なんだなーと思った。それにしても自分に向かって真面目だよなー、自己愛過剰だ・・無意識でも身体は自己を愛しているから、外に興味をしめし行動すべきだろうなー

酒を全く呑まなかった。そんな気分にナラナイ。楽しくないといえば嘘になるけど、そういう事じゃないだろうーと思うよ。

質問も無い。課題への応えの大半は良きコミュニケーションを作り出すためのものいろいろ。、コミュニケーション病を患っている患者ばかりがやたら目立つなー・・この病は本人も周囲も気づかず進行チュ

五十嵐さんの話だと、近頃セキュリテーィーグッズが大人気で売れているとかで、課題に対する、彼らの反応は社会状況を映しているようで・・多いに納得。私は良きコミュニケーションなんて嘘臭せー・・そじゃなくて少ない親密圏を!!と思って生きているよ

若者の病を発見してしまったということで、ナイスな課題だったなー・・・で自慢しておこーっと。

詳しい内容は専用頁を作りまとめたいと思っているのでザットしたことを書いた。


エディフィカーレ賞
のことなんだけど受賞理由が不明だったんだが発見しましたよ 五十嵐太郎さんの2003-08-08日記を写しておきます

*五十嵐・南編『エディフィカーレ・リターンズ』(トランスアート社)の出版パーティが行われました。当時、寄稿しつつ、ともに現代思想の読書会をやっていた教育学の永井さんや音楽学の吉田くんら、懐かしい顔ぶれと再会。集まっていただいたみなさま、ありがとうございます。編集を担当していただいた長谷川一さんお疲れさまでした。
・ところで、会場でエディフィカーレ賞を発表。第一回?は、佐藤敏宏さんに。これはエディフィカーレ独自の視点から判断し、建築文化の活動に寄与する人であり、メンバーともゆかりのある人ということで、佐藤さんが選ばれました。そのお祝もかねて、『10+1』ウェブ版の写真アーカイブでは、佐藤敏宏さんの建築特集です。
http://tenplusone.inax.co.jp/index.html
個人の建築家として、磯崎新、安藤忠雄、ボッロミーニに続く快挙。




 8月7日 晴れ
巣鴨の傍の山崎裕史さんの家で目覚める。山崎さんはジョンポーソンの事務所を経て現在ヤマザキアトリエを主宰されている。住宅の設計中でした。図面など見せていただきワイワイ話たのち、巣鴨の棘抜き地蔵を案内していただき体験する。(京都の古山正雄さんのお弟子さん)

昼飯をデザイン・ヌーブの樫原徹さんと食べ打ち合わせワイワイし後・・事務所でワイワイする。昨日イングランドの都市調査から戻ったばかりの太田浩史さんに、お疲れさまのところでしたが取材写真を見せていただき・・ワイワイする。

福島に戻り明日のスライドを整理や身の回りの準備などをするスル・・

6日の事

午後一番でサイバーフレンドだったパンダちゃんと上野公園で落ち合い写真教室を開く。シートを持参したので噴水傍の小高い丘に広げ、実空間で出会えたので乾杯して呑むゴクゴク・・後・・講義2時間・・の間に現代美術家の駒形克哉さんも加わり、デジカメ教室。

講義を終えて動物公園で実践する。デジカメはそれぞれの手引き書がないと、教えることが難しいのだから、手引き持ってきてくださいね。

 6時から墨田川そばの 月島にある タマダさんとこで エディフィカーレイタリア語で建築する、理論を構築する・・南泰裕さんの命名)の 出版記念パーティ に参加して大勢の方に出会う
名刺交換した皆さん、またお会いいたしましょうーで・・詳細は後日。

栄えある第一回エディフィカーレ賞をいだきました(感謝)

五十嵐太郎さんが撮影された写真(my建築)が「10+1」webサイトに アップしたと教えていただき喜ぶ私。この日に間に合うよう忙しいなか準備いしていただき、会パーティー会場で見せていただきましたよ・・五十嵐さん感謝です 、なんとも光栄なことです。

2度訪れていただいて、my建築をバシバシ撮っていただきました。スライドとデジカメの違いもあるし、季節も異なってたりと・・面白いです。詳しいことは後日 ・・これらを加えてフォトコラ作ってみたいです

明日から高山建築学校です・・


 8月5日  晴れ曇り夕立あり、夕立が行ってしまった暗闇のなかに夏を慈しむように蝉が鳴く

朝立ちと夕立は突然やって来くるのもだ。真夏の天候の中街まで雑用にでかけ、チョイトBOX12に立ち寄り、アレコロ要件を打ち合わせていたら、突然夕立が来る。BOX12は屋根が一部鉄板なので雨の強弱が音に変わって人に伝わる。BGMが聞こえなくなり、やがて目の前の人の声も聞き取れない程の強い雨が降ってくる。

目の前を払川が流ていて、強い雨が降ると、一気に水かさが増し、流も早くなるので人・人を不安にかき立て、床上浸水間近と思わせる。土砂降りの夕立見ていると慌てる人が居るのも頷ける、泥臭いにおいが一気に一面を覆う。

そんなこともあろうと、川が溢れて、周囲に流ていくし、万が一にも周囲一面が浸水してもOKなよ・・床面は20pほど周囲より高く設定している。しかし土砂降りの中の人の目にはその差異が分からないので慌てる土嚢好きの親戚の方が後方に控えていて夕立の中 土嚢抱えて飛んできたことがある。学習効果があって・・あんばことは無くなったな〜と大きな親切を笑いながら夕立の行き過ぎるのを眺めた。


 8月4日 曇りでも暑い

昨夜1時間半ほど停電になった。my家の南の区画はコウコウと電気がついているのだが、北側は真っ暗だ。近所の人・人が家から夜道に飛び出し、あちらこちらしゃべりまくっている。犬は吠え子供は避難訓練ダーなどとはしゃいでいた。

配電盤の事故 らしく20年住んでるがはじめて。ブレーカーが落ちたことは何度もあるが当たり一面停電は記憶にない。電気も空気のような存在になっていることを確認。同時に非常時の備えを何もしてないと気づく・・・まいいやー。

今週は下記の行事に参加するので、my妻にハサミで髪の毛を短く切りそろえていただく。そよそよ風が気持ちいい。

・エディフィカーレ・リターンズ出版記念パーティ
・日時:8/6(水)、午後6時より
・タマダプロジェクト コーポレーション(東京都中央区月島1-14-7)
・会費:500円〜1000円程度

高山建築学校 8〜10日まで

どちらも 好天に恵まれればいいなー・・。


 8月3日  ようやく日射し気温とも夏らしくなって来たか

雨ばかりの後 特産の桃は少々カンカン照りが続いても、甘くは成らず・・成長加速して後ぶよぶよになって落ちてしまうのだそうで、やはり甘い桃を望むのは無理とのこと。8月末に出る最も遅い品種に期待。

大島哲蔵さんの本スクウォッターを少し読んでいるが、「10+1」2002年29号の追悼の中の福田晴虔氏の「工作者」の影(大島哲蔵論にかえて)という文章が大島哲蔵氏のあらましを簡潔に書いた最初のものだと思っている。身近な人で福田氏より詳細を知る方も多いと聞くが、私は晩年の7〜8年の付き合いだったので70〜80年代の大島氏の周辺の人間関係と行いを知らないので一層そう思うのかもしれない。

もう少しふくらみのある本にしてほしかったなーと感じるのは何故か・・
福田氏は参加されなかったが、渡辺豊和氏・古山正雄氏・磯野英生氏・本多常友氏・安原盛彦氏を中心に中谷礼仁・新田正樹さんの司会進行で昨年の7月27日に一心寺で、多様な大島氏を語られたままである・・その追悼会受けて、それぞれのメンバーに相談をもちかけて、大島哲蔵モノローグ集を脱してほしかったと思う。大島さんは多くの人に語られることを望んでいたと思う。

大島哲蔵アーカイブの将来像も示されていないし・・一部の人が独断先行したような気配にも思えるなー・・webサイトも作ってあるのだから、サイトを活用して、教え子の皆さんに協力していただいて、大島さんの立体的な像を作り上げてほしい・・と望んでおこう。


 8月2日 晴れたり曇ったりでトウトウ梅雨があけたとかで、気温が32度ほどになったようだ

昨日果樹地帯にでかけ桃を買って食べた。やはり甘みが足りないのであまりお薦めできない。これから10日ほど照るとメインの暁という品種に甘みが取り戻せてまあまあ味になるかもしれないので、2週間ほどのカンカン照りを期待したい。

福島市内では恒例の祭りらしいが、盛り上がりに欠けているようで華やいだ雰囲気が街中から溢れてこないなー・・青森では ねぶたが始まり秋田の竿灯仙台の七夕と夏祭りは東北を南下しはじめた・・夏祭りはカンカン照りが似合う



 8月 1日  曇り時々日射しあり 梅雨はあけてないようだ 

早起きして飯坂温泉はずれにある高校建築科先生の勉強会会場へ講演にでかける。先生方は昨日から勉強会を開いているようで、昨夜は宴会もあり御苦労さまムード。会場で9時から10時までmy建築などのことをダベル。予想通り時間が足らなかった・・欲張り過ぎの内容ということで反省。フォトコラや建築あそびのことはほとんど説明できなかった。

my建築の話も答えがないことなので、答えが有ることを前提に日常生活を送っていると思われる先生方には「なんのコッチャ・・でいいだとうろ・・」と思っていたので踏み込んで話さなかった。1時間ほどで分かった気分に成られても困るし・・。
建築の実践から遠い立場いらっしゃるようで「つくれない・・」とのコンプレックスがあるようだ(時間を作って作を実行すれば・・)。中身がない建築を 作ったからどうじゃー でもないしなー・・、作って得る経験が最上と思わないのだが、作ることへある種の憧れがある方・方の前でそれを言っても何にもならない。だから自ら設問し答えのないことを模索し人生を費やす面白を、短時間で伝えることは充分にできないのであり、建築と生きながら対面し続けることの・・・それあれの面白さが伝わらないとしても、私の問題ではないので生意気だけど放置した。・・同時に他者へ建築の楽しさなど伝える方法を引き続き試行錯誤せねば・・ともおもいました。

今日のところは変なこと考えてるヤツがおるわー・・程度で吉としましょう。続きがあるかどうかは分からないけど・別れ際・・・「住宅ぐらいの設計は出来る・・」と話すので・・答えに窮した・・。互いに御苦労さまでした。


 大島哲蔵さんの本(スクウォッター)が送られてきた。「10+1」の2002年29号で、追悼記事がまとめられたが、それを学習してないのでは・・・と思わせるような内容とデザインにてガックリ。

タイトルよくない・・なんで表紙が川合健二さんの自邸なのかさっぱり分からないし、量が少ないのに本がやたらに重たい。デザイン・・ダセー・・なんだよなー・・この程度の内容であれば、大急ぎで出す意義があったのかー・・と文句を垂れちゃうよ・・なー・・ブルブリ・・友達のNはもうろくしてんじゃないかー・・。