03年07月の日記    HOME
 01  02 03  04  05 夜中 06  07  08 09  10 11  12 13  14    15   16  17  18  19  20   21  22  23  24  25  26  27  28  29  30   31                 

 7月31日  晴れのち曇り ・・

とうとう梅雨があけたらしい・・(まだらしい)。吹く風は昨日と違ってとても暖かいので「そうなのだー!」と思う。明日からカンカン照りが10日ほど続くとはなんとかなるかもしれないなー。毎年手に入れている果樹農家から葉書があったが文面は心なしか弱々しいものだったが、今日は胸をなで下ろしていることだろう。

明日の高校の先生達の自主トレのスライドをまとめてみたが、枚数がドンドン多くなってしまい、半分に整理しても40枚ほど・・一枚1分使って話せば40分になるので・・もうチョイ端折らねば。

写真館をかけ替える。三沢の寺山修司記念館まわり・・2回の掛け替え予定だったが、次回も記念館まわりになりそう・・・だ。

高山建築学校に参加予定なのだが、周囲の町や村を検索してみた。神岡町役場はやはり磯崎さんの設計の建物だった。ノーベル賞で湧いたカミオカンデが地下1000mにあるが見学は可能じゃないなー・・演劇祭りで湧いたことがある磯崎さん設計の利賀村・・近くに白川郷や・・村や町にはHPがあるので地図を片手にネットで事前調ができるので便利な点もあるかなー・・各町村は東京や大阪から交通ルートや時刻があったりするが、東北からのルートがないの・・可笑しい。東北にも人はおるよ(笑い)



 7月30日  相変わらずの梅雨終盤・・曇りだが暖かく湿った空気が漂っている、遠くで鳩が鳴いている。

我が家の蔦は 庭に植えた桜や銀杏が成長し日当たりが悪くなっているのでこの数年徐々に元気がなくなっている。一部枯れかかっているのだが、今年も花を咲かせた。

 蔦の花から甘い密が出ているようで、小さなミツバチが沢山集まって羽根をふるわせ密を求め飛び回っている。我が家の外壁が年に一度の唸りを上る。小さな音のまとまりが、さらに音の濃淡となって唸る。ミツバチ達はどこからやって来るのだろう。野生なのか誰かが飼っているものなのか分からないが、蔦の花が咲くとどこからともなくやって来て唸る。

照葉樹林都市と名乗りをあげている宮崎県東諸県郡綾町には広い・豊かな照葉樹林があり、おとなしい日本ミツバチが生息してて、ブナや栃などの花から蜜を集める・・この蜂蜜が超ウマいらしい・・なんて話を聞いたことがある

我が家の蔦の花から採れた密はどんな味だ・・ゲロゲロ味だろうなー・・



 7月28日 晴れ梅雨はあけるのか   時々地震あり・・眠っている宮城沖地震が暴れだすのか・・活動期に入ったのか・・大地震前にカンカン照りになって桃甘くな〜れ!

8月1日の工業高校先生達自主トレだ。その時の講演依頼があり準備のため母校にでかける。PCの能力やフォトコラソフトが開くか・・パワーポイントは有るか等チェックする。操作してて1時間はアッという間に過ぎてしまいました。ロクナ説明できゃしないなー・・1時間かー・・時間無いナーと改めて思う・・どこか端折らねば・・

 霜田さんからメール一部掲示板に貼りました・・・
・・・・・44歳のベトナム・ハノイからのチャン・ルーンがベトナム戦争の話をする。昨年の福 岡アジアトリエンナーレにも招待された彼は、国際的に活躍しているけれど、今回の 体験を心の底から楽しんでいる。昨夜テレビのNHKアーカイブで、ベトナム戦争のド キュメンタリーを偶然見て、みなに解説を始めた。彼の父親も従軍カメラマンだった と言う。「アメリカの記録フィルムは品質も良く今でもカラーで見れるが、当時北ベ トナムが使ったフィルムは東ドイツ製ですぐ退色して、まるでモノクロフィルムのよ うになっている。父親の兄もあの戦争で死んで、どこで死んだか分からない。しかし 優れた霊媒師がいて、死者と交信できてどこで死んだか分かって供養をした。ベトナ ム戦争で死んだ300万人のうち多く兵士は死んだ場所さえ分からずに、みな霊媒師を 使っている。」

彼の今回の作品は、現在ベトナムで横行している賄賂の風習を告発するものだ。赤い帽子の男が客席を見渡しながら、おもむろに後ろを向き股の間から手を観客に差し伸べる。その手に手を差し伸べた観客の手の中にベトナム紙幣の入った封筒をねじり込む。社会主義制度の給料では誰もが生活が苦しいから、賄賂の風習は拡大する一方だ と言う・・・・・・

霜田ださんメールの一部でした。




 7月 27日  久しぶりの晴・・で青空が見えてるだけで気持ちが軽くなるような・・昨日の地震は想定外地域と・・前震のあと大きな本震があったとかで2重に予想外だったとか。日本に住んでると何処でも活断層と思って暮らしたほうが良さそうなのだ。

昨夜みた夢 超高層ビルの 真ん中当たりのフロアーを著名な建築家が 住居としてリノべーションをして、竣工間近。弟子を大勢引き連れ建築家がアレコレ指示をしている。何故か子連れ・・妻と別れた風・・そうこうしていると関取のような体形の発注者が現れる。この方は焼きチエーンの総支配者と言うことが一目で判る。焼き肉じゃなくてハンバーグなどのチエーン店かもしれないが・・・内装がレトルト食品臭くておかしい・・・立ち去ろうとしてエレベーターで降り始めると、道案内の人が現れて案内図を示して「こちらへどうぞ・・」という。

絵を見ると消防署らしい建築の絵。「完成したから見に行こう・・」という案内なのだ。建築好きの私は断る理由もないので、ついて行くことにする。1階に着くとそこは竣工したばかりの消病署らしいインテリア。近頃病院と消防署がセットのようだなーと・・無菌室ふう結晶体だと思って眺めていた。

家に戻ろうとしているが、案内図を見ると歩いて帰れる距離ではない。門傍で車を探していると親子連れが同乗させてくれるとのこと・・川沿いの道を爽快に走っていると・・・なぜかはセーヌ川沿いの街らしい・・家とはトンデモなくかけ離れた場所と賑やかな商店街なのだ・・からセーヌ川じゃなくてテーマパークかもしれない・・親子達は右の方へ行くとのことで車から降りる・・

店には焼きたてのパン等が飾ってあり・・ここはオ・・ふランスかもしれない言葉がつうじねー・・・フランス語話せないので・・トボトボ歩いて風よけ室を抜け扉を開けると・・結婚式場に早変わりしている様々な花嫁衣装を身につけた女性達(何故か日本人)が大勢いるのだ・・これはファッションショーの会場かもしれない。全身レースのものや・・キラキララップのスカート風あり・・見たこともない面白い花嫁衣装を身につけた人・人がドンチャカドンチャカと現れる・・・おもしろたのしい・・・


そこで目が覚めた・・・・

myフォトコラってまだまだストーリーも画質も夢の領域まで達してないと夢から覚めて思った。


7月26日  雨 やまず 

イラク特措法の強行採決、強い地震が数度、夏なのに毎日雨ばかりで少し気が滅入る かなー・・

8月1日の講演用資料を整えている・・与えられた時間は一時間+質疑応答20分なので簡潔に整理してはなしたいのだが・・。

この10年間のmy建築の説明をスライドをつかって30分ほどするか・・後半はHPのおこと・・・と多次元フォトコラージュとの関わり(作っての感想・公開する意味)など。あぁ・・建築あそびの話もしたいなー・・となると時間が足らなくなることは間違いないので・・何処を削ろうかなー・・。


 7月25日  曇り 8月に入っても梅雨あけはハッキリしないようだとか。福島は今年は寒い夏になってしまいそう・・・・桃も甘くはならないだろうなー。

今年は報道関係各社から千万家の問い合わせが多いなー。TV界では住宅や不動さんのお話がブームなのかもしれない。今日も在京TV局から話があった。

千万家を設計したのは7〜8年前のことで、当時の事を鮮明に覚えているわけではない。建築文化2000年10月号に掲載されたので、取り出して改めて文章を読んで思いだしてみた。出来上がるまでの話が書いてあるのだが、設計意図には踏み込みこんでいなかった。8月1日の講演もあるので少しこのあたりの事を再考してみた方がいいかもしれない。

家族を建築が保証するような外壁を無くした・・他者性を思考、積極的に実践する建築とても言えばいいかなー・・そこの事をTV関係者にクリアーに伝えるのはあんがい簡単ではない。血縁によって一つの家型の中に寄り添って暮らすのが家族として自明の事・・としてコンセンサスがあるからだ。家を持つのが夢だなんて信じ込ませられちゃったりしてるし・・

 社会構造の変化や街や商店街の成り立ちがすっかり変化している上に、携帯電話などの個電の普及が、個のあり方を急速かつ根本から変えてしまっている・・だから血縁がよりそい暮らす家にだって、目には見えないだろうが大きく変化せざるを得ないのだが・・・

外界の変化に人はどのように反応するのかだが・・大まかに言えば お爺さん達が言い出しているような保守化・・家庭をしっかりだとか道徳教育の強化だとか・・的を外す意見の上に、家型だったら旧形態の大家族を復元再生強化するような提案がでたり、錯誤の反応がある・・これ書くとながくなるので・・私は保守化思考に大反対だ・・・面倒な話なので・・またいずれ書く



  7月24日 またまた・・雨だ。梅雨明けチョイ前がいやだね

my妻通院日。7年間通い続けて担当医師から「もうなんでもないね・・」と言われたそうだ。私が発病に気づいて今日までおよそ10年・・当初「治らないだろう」と思っていて、対応のしようがないのと・・毎日最悪で飛んでもない事が起きちゃうので、そうとうしんどかった。毎日目が眩むような事に対応していると、人間は強いもので、慣れたり自己救済法を見つけだしたりしてしまうのもだ。まぁ・・その間多くの事を学ばせていただき、my人生感や日々のmy生活は大きく変化したと自覚している。その変化が良いことなのか悪いことだったのかは問うてもしょうがない。

発病当初から完治の期日が分かっていると、辛抱もそう辛くなくできるだろうが、完治期日不明の病は、キツク関係してる人・人の人間性を問いかけるものなのだ。日々を楽し過ごすための常識ってものが非常時には禍になってしまうのでとても面倒なことなのだ。貧乏も同様常識を持って暮らそうとすると辛いだろうな。どちらも体験することになってしまって、ナイスな人生であるなー・・と妻の「もう何でもないよ・・」を聞いて想った。


7月23日
 曇りだ、こりゃホントに桃まずくなりそーな天気だなー

竣工して1年経った。南泰裕さん設計のPARK HOUSEを7月5日に訪ね、1年後のフォトコラを作っていたのだが・・なにやら田中浩也さんのメールによると、ソフトのあれこれをバージョンアップするとのこと。PA2パークハウスふたたびフォトコラ)のwebアップ待っていたのですよ・・。

昨夜田中さんが建築文化主催のU35の討論会のこと等で電話があった。御苦労さまでしたなんだけど・・・詳細は建築文化web版でいずれ眺めることが出来るらしいので、その話は端折って。ついでにその後のバージョンアップについて注文をあれこれ出した。話による、「1月ほどかかるかな・・」らしい・・マテねぇー・・ので・・。

それでは・・ PA2はアップなのだ!!でアップ・・PA2へ・・アップしたよ・・。ソフトが改良されたら、不満なヶ所は微調整が出来るらしいが・・それまで待ってられねー・・・・1年後のパークハウスを早く知らせたい・・大きなお世話の乗りでアップ・・一部画像が大きくズレルケンドも見せちゃう・・これは改良中ソフトだと・・ピシット収まるところに納まり、出るところから出る出るフォトコラになるとのこと・・ホントカナー・・でも本当のことらしい。

ということで見学前に考えていたフォトコラと全然質が違うものが出来てしまったが、これもまた人生の楽しみなのである・・と大げささ・・がいずれ PA1(前回フォトコラ)と合体+その後のネタ画像で 最終版PAを作りましょう!!とこれからの人生の目標を設定したよ・・(笑い)


 7月22日  少し晴れ間が見えたかな・・九州の一部梅雨明けとか。スーパーには桃が並びだしたが、この寒さじゃ不味いだろうなー。早いとこカンカン照りにならないと、美味い桃に巡り会えないのでは・そんな天気じゃチョイ淋しい。

三沢にある寺山修司記念館を撮って写真があったはず・・とスライドを方々調べる。1時間ほどで探し出しスキャンをして、数枚デジ絵(写真)館にかけ替える。何度か寺山ネタでかけ替えるつもり。

三沢の基地傍に建っていて、途中米軍用住宅があってフェンス一重でそこはアメリカなのだ。丘の上に寺山記念は建っていて湖や基地方面が綺麗に見えた。建築は粟津(潔)さんが「おれが設計した」と言っていた。天井桟敷の事務所なとのデザインをしてるから当然かも。真上から見ると時計の形をしているそうな。建築は普通だけど、(もうちょいイイ建築の方がいいのに)室内の展示が面白い。引き出しの中にある寺山の記録を懐中電灯を使ってこっそり・一人で見る仕掛けになっていて、こちらはイケナイものを見ちゃったなー感でて良い。これも粟津さんらしい。

開館当時の館長さんは寺山修司の従兄弟のかた。顔が似てても頭が光ってる寺山さん。ちょい変な気分がしたことを思いだした・・もうチョイ写真を手に入れたいので何時かチャンスがあれば出掛けよう。


 7月21日  雨のち曇り 梅雨 終盤 つ・ゆ〜¨な気分で鬱陶しい

ほぼ毎日食べてるトマトは直射日光に当たらなくてもても、道ばたの日蔭ビニールハウス中まで真っ赤に成長してるのだ。時々食べるブロッコリーは日蔭に保存してると緑色が飛ぶ。キューリは皮が深緑だけど中身は白い。植物は太陽の多様な光線から身を守るために多様な皮を発明して生き延びてるのだな・・。そいつらを喰らって、カビ生えそうな暮らしをしてては野菜様に申し訳が立たないな・・がつ・ゆ〜¨な気分・・だ。

長雨が続いて土砂災害に遭遇して命を落とされたかたが多いようだ。土砂崩れに遭遇体験者としては他人事とは思えない!自然は過剰に有ると恐ろしい。

高山あたりの山道を車で走って土砂災害に遭うなんてことにならないように、8月前に スッキリ夏になってほしい・・愚痴ってしまうよ梅雨終盤



 7月20日 晴れ タマラン湿って毎日・・今日は晴れて暖かいのでスコチ・・ほっ.。夏休みに入ったようだが・・カンカン暑くならないと、桃だった木で腐ってしまうぞー・・あと1週間はこんなだとか

高山建築学校から書類がとどく、主にHPで眺めることが出来る内容だけど、高速バスの時刻表と10+1に載った(中谷礼仁さんまとめ)高山建築学校の方法と軌跡はありがたい。

新宿から高山までは高速バスが6往復してることが分かるし、中央高速で松本経由で高山入りすることもわかる。福島からだと富山まで高速道を使い南下するのがよさそう、近くに神岡町というのがあるけど・磯崎さん建築があるあの神岡町なのだろうか・・・

軌跡を眺めてボンヤリ全体が分かり始める・・建築界をリードするとかしたとか書いてあるが・・尻込み気味でながめる・・・

開校は1968年武蔵小金井に倉田康男さんが開設したピンクハウス(ウィリアムモリスのレッドハウスに倣う)とか。拾い読み
・・「世界中の人間は家を作ったが建築を作ったのは西洋人だけだという気持ちがあった・・日本人が会得できる近代がどこかにあるはず・・」「・・食えっこないことばかりやる場がほしかった・・」


ストイックな環境で豊穣な思考を探し出すというのはインチキ臭いと思うが当時は真剣だったよう・・。

川合健二、石山修武乱入・・河合さんはナニをはなしていたのだろうか・・
「大野勝彦さんのやっていることは・・極端にいったら建設省が喜ぶ・・」
鈴木博之「個人を出発点にしているかどうか・・自分の立場はどうか」・・と続き

高山建築学校は外部との接点をついに持ち得なかった、それは外側は汚いという倉田先生の教えが浸透していたんですね(笑い)

現在は倉田先生が亡くなり、第四期に入っているとのことで模索中だそう。書類みただけでは分からないけど、講師がスターに成り上がる場だったのか生徒をスターに仕立て上げたかったのか・・・どちらも興味がないけど、行って話して眺めて帰ることにする。8月8〜10日まで高山建築学校へ遊びにきてください・・。


 7月18日 曇りのち小雨にて寒いようなかんじ

パークハウスフォトコラ2003の下ごしらえを終え、眺めながら追加したり絵に手を入れたりして、流を 修正している。

午後母校の県立工業高校の建築科へでかけ8月1日の建築分科会で講演の下打ち合わせをする。

デジタル化がすすみマネをすることについて質問される。私の建築をマネして作る人がいるとは思えないのだが・・マネされることに怒る人、喜ぶ人両方存在するでしょう。建築と言う技術は関係者が共有して育てて来たし・・育てていくものであるから、表層のオリジナルをそれほど守る必然性があるのでしょうか。マネは余り重要な問題じゃないと思うのです。マネされて喜ぶ人間の一人です・・と応えた。

マネはしたくないけど、建築へのアプローチにしかたや動機の発生法はマネや見習うことが多い。マネする側の問題を解明することが大切なのではないか・・世界がコピーされた同じ建築で成り立っていたらなにが問題なのかを考えてから答えるような問題だけど・・。

多分似たような建物を作る役所仕事などを請け負うと、既存設計をコピーし一部修正し納品し、楽して儲ける。そのあたりの話をしたかったのだと思う・・けど、そのような者どものこと 口にするのもいやだなー。
 汚い根性で税金かっさらえばいいのではないか・・恥を知らない人は。建築に興味があるんじゃなくて銭に興味がる人が紛れ込んでいるわけで・・仕事を出す方、受ける方・・呆れた人が・・いろいろ居るようなのだ・・マネじゃなくて一部コピーして納品してる話だったのかも

一部修正コピー納品で済まされてナニも思わない建築を発注する側の諸問題も多いにある。手抜きで美味い飯くって生きずづけることが出来るとは思えないけどなー・・手抜き出来るようにお役所はドンドン法律作って同じような建築の質なのに、あたかも建築の質が変わったかのようなに思わせる・・・・援助交際関係てありそうだなー。

千万家とエンドウ豆ハウスの話もでた。千万家は有名で高校生や美術の先生の間でも話題になっているそうだ。そこで似たようなことを作ってコンテストで賞をいただいたとか

千万家は家族のあり方を建築が保証しない・・または旧態的家族を守る為の建築の外壁・境界を放棄して 他者どうしが家族風に生活出来る仕掛けだ・・勿論塀門扉もないのだ・・個が天然に放置されたような格好で存在してる。

・・高校生の考えたエンドウ豆ハウスは家族を建築で強化する、ノスタルジーや現在の人・人の上に起きてる家族という問題の深層を見極めようとしないで、旧来の家族を強化しようとするベクトルは建築家を目指すのであれば、とても拙いのではないかと応えておいた。
予め家という制度を追補賞するものは必要なのかという問いに答えて、建築への動機へと進むべきでしょう。答えられないならエンドウ豆 に 大豆や 小豆やそれから野菜が何でも入り込めること、それから虫のような生物 も住み込めるような可能態(身近な公共圏)を提案すべきじゃないのでしょうか・・。


 7月17日 曇り北の高気圧の勢力が大きそうで梅雨あけが遅れる・・又はあけかたがダラダラしていつの間にか秋になるような感じになったりするとか・・で今日も涼しい。

8月1日の講演依頼の催促あり・・・建築話はナニを話したらいいか・・と考えていた、決めたらせっかち風だなー・・やる気充分は買うけど、1時間じゃなにも話せないので、的を2〜3絞って分かりやすく話すしかなさそうだ。

パークハウス・フォトコラ2003を作っているんだけど、建築の説明型フォトコラをドンドン踏み外してしまったるで・・、仕上がりがは?・・どのあたりに落ち着くのか分からないくなってる。もしかするといい感じ。下手すると何じゃコリャ・・・・7月5日東京・絵日記になつてしまいそ・・だなー・・グイグイ・・

大阪の新田さんは大島本を送ると電話してきたが・・予想通り今日になっても送ってこない・・スブシブ・・大阪myサポターの真由美ちゃん父からお中元だー肉くって元気出せー!のメッセージ風じゃん・・。モグモグパクパク・・


 7月16日 曇りにて梅雨がまた 戻ってきたなー

忘れていたが母校から再び連絡がある。福島県内の工業高校建築科で教鞭をとっている先生がたおおよそ20人集まり夏休みに自主トレを予定しているので、1時間から1.5時間でなにか話せ!!・・という連絡。もちろん建築漫談よろしきをもって引き受けるつもり。

工業高校は地元の建設会社の職員養成が主な目的なんじゃないか。中にはナニかが良くって県・市の役人になる者が希にはおるのかなー・・その程度。オモロイヤツはほとんど存在したためしが無いだろう・・まともな(勝手に決め、顰蹙かっておこう)先輩・後輩に出会ったことがない・・・・私が場違いな高校に行ってしまったのかも・・よんどころない事情以外は近づきたくない場である。

 教師にしたら建築の面白さを探求してる場合じゃなくて、金歯・銀歯に狸腹の金縁メガネ。思いっきり後ろに倒れかかっている建築会社の社長様の金の脳味噌ながめ・・同様・社長夫人様を御相手に教え子達の御就職依頼をしては・・みじめな気分を散々味わっているのだろうと、想像しているわけで・・自分で選んだ職業とはいえ、建築の世界にあっては面白く無きことこの下なし・・は当然として・・気の毒絵に描いたような職業だと思う。家に帰ってオヤジ面しないで欲しいが・・暇が有れば福島競馬にパチンコに、時々エロ映画などで気分を紛らわせたり・・気晴らしするがいいんじゃないのー・・とばかり思っていた。

どうしたことか今年の夏休みは座敷を設けるぞーと張り切ってる様子なのだ。渡り職人の末裔である 時々建築家・・日々生きるさえも難行苦行・・息絶えだえの者を見て哀れむも良し、近頃すっかり建築家という制度に飽き飽きしてほんとに飽きちゃった私の飽きっぷりを見るのも良し。夏休みの 貴重な時間を割いて、お小遣いまで差し出して、私を 迎えちゃうそうなのだ・・世の中大ジョブなの・・・・こんな日は先日見た演劇の劇中歌でも歌おう・・

唐版風の又三郎 

どっどど どどうど どどうど どどう
ふるさと捨てて巷に住めば
あの子も恋しこの子も恋し
あの子の胸にこの子の胸に

どっどど どどうど どどうど どどう
あまいリンゴに青リンゴ
あまいくぁりに青くぁりん
石榴も胡桃の吹き飛ばし
胸に結んだ北風日記



7月15日 梅雨の休みで 晴れ 夜になって雲一つない 

昨日から先週世田谷あたりで採取してきたフォトコラ用写真データを加工してる。南泰裕さんアトリエ・アンプレックス)設計の PARK HOUSEのデータである。デシカメで採取したスケッチや模型、それから人が住み1年経った 現在の建築の姿などのデータをたくさん手に入れた。フォトコラ用に切ったり消したり、相変わらずの仕込みなんだけど・・仕込みをおおよそ4割り終えたが、どんなフォトコラになるのか像がまだ結ばない・・あれこれ眺めてばかり・・が・・・・前回フォトコラとは全く違うPARK HOUSEフォトコラをつくりたいなー・・と思う。

myHPを見てる人からメールがあった。

それにしても、敏ちゃんのHPは、なんか暗闇のおもちゃ箱みたいでいいですね。ワクワクする感じですね

あれこれ考えて作ったり更新したりしてないんだけど、生の日々モロだしなんだけどね・・ナニが出るのか分からない魅力なんだすね・・・・ホラ出ましたよ・・Full Chin・・なんてねー・・こんな感じで続けて行きますが・・ドンドン作り方は変わって来てるとは思うけど、読み直してみる気になりませんねー・・ドンドン暗闇(笑い)へ進みましょかー・・



 7月13日  晴れのち曇り・・雨がふるかもしれない

新宿花園神社にて新宿梁山泊による「唐版・風の又三郎」の公演をみて一週間が経った。唐組の演劇は福島で公演されていたので手伝いつつ数本見ていたのだが、最初に見た記憶が曖昧なのだ・・手元にある「唐組(状況劇場全記録集)PARCO・1982年出版本。唐さんや李礼仙さんや佐野史郎さんなどのサインがあり日付は1984年5月23日となっている。買い求めていたモノを打ち上げに持参しサインをいただいたのかその場で買って書いていただいたのか覚えていない。

今から20年も経っているなんて気分にならないのには訳がある。唐さんの演劇は時間・人の記憶・著書の引用や誤読・場所などが 時間や地理学等とは無関係に配列されていて舞台に提示される。だから目の前にあるのはいつも現在であり、生物が生まれたばかりの遠い過去でもある。人のチョイトした過去や記憶から人類の記憶まで混在して、生き物のような様相が 目の前の舞台で生身の人間を使い演じられる。演劇を見ていると「生きてるってこういう事じゃないのかなー」当たり前の事を、演技の中から発見でもしたかのような新鮮な気分になるのがとても楽しく感動なんだね・・当日の事はいずれ書いてみたい・・

日深夜のこと

綺麗に片づけられた田中さんの部屋で2時間ほど話しが続いてた・・10時当たりに岡部友彦さんや山雄和真さんがデザイン・ヌーブへ遊びにやって来るらしいので待たせてはいけないし・・話の途中だったが田中さんの東京部屋をでた。仕事があるとのことで南泰裕さんとは途中で別れた。代々木の梅雨は福島の梅雨より暖かく高速道の音を伴った風が頭の上で吹いている。黒く固まったままの新宿御苑の森がときどき目に入る。樫原徹さんとトボトボデロデラ歩く。ヌーブに着く

まだ誰も着いていなかった。蒸し暑いので玄関の扉を開け放つ。すっかり使い慣れた建材をドアの先端に立てると風はさっきの高速道の音とともにヌーブに侵入してくる。
太田浩史さん山雄さん岡部さんがほぼ同時に現れる。

それから宴会がはじまり「逆建築あそびのよになりましたねー」と笑いなら太田さんと3時間ほど話している。クリマタイザーの全体の姿の成り立ちは間違っているだの、DUETは美的じゃないだの、そこから誤解されるだろうだの、何故雑誌に掲載されないかなど・・天こ盛りもり話していると、田中浩也さんがレコーディングを終えデザインヌーブへAM1時し過ぎに現れる。

そこからは太田さんと田中さんとが「多面体と建築」宮崎興二著をネタにドンドン話が進んで行くわ・・・もう止まらない感じだよ・・多面体絵やCGや四次元サイコロや4次元のドラエモンが炸裂し・・モニターから飛び出して、フラー話に落ち着くころは夜が白々と明けていたのでありました・・

事務所の主でもある太田さんが「又来ます・・なにかへんだなー・・」と言いつつ出ていくと同時にゴロリと床に寝込んでしまいました。




7月12日  晴れ間から夏の青空が顔を時々だしている

建築あそび時にお借りした諸物をようやくサポーターの家・家に返却できた。梅雨空や東京で遊んでいたりでタイミングが合わず、3週間も過ぎてしまった。高山の建築学校へはサポータの皆さんが連れて行ってくれるような話がドンドン煮詰まってきて、銭・無しの私はとてもありがたい

車で新潟を経し富山で高速を降りて岐阜へ向かう方が東京経由でいくより断然近いとは思っていたが・・そうなるのだなー・・・福島から車で高山へは一度大阪へ行くことがあって通過したことがあるので遠いんだけど身近な感じがする。東京から高山へ車で行くと東名や中央高速って超混雑してるイメージしか湧かなくって、少々尻込み気味だったから、サポータのやる気はとても歓迎だ。気が変わらないでほしいものだ。

唐十郎さんのゼミでは8月8〜10日まで金沢の香林坊ハーバーで「動物園が消える日」を公演する予定なので足を延ばして見た〜いし ・・藤本壮介さんの白馬の山荘も見たいし・・帰り道に篠原一男さんが30年ほど前に谷川俊太郎さんの依頼で設計した別荘も見たいし・・車で行くとなると、色々やりたいことが湧いてきて困るなー

高山建築学校では課題をだして24時間コンペをし講評なんかをしなければならないようで・・こちらは完全に恥じ書きそうだなー・・・だれでも作れるよ「千万家・話」は スライド無しで落語調で進めてみたい気分もしてる・・どうするかなー

それにしても明るい時間がとても長〜くなっているね。



 7月11日 曇り時々小雨

 「10+1」のwebサイト写真アーカイブスでmy写真・インドのコルビュジェ建築 チャンディガールが公開され

夕方大阪の建築家の新田正樹さんから「大島哲蔵さんの本が出たので送るよ」と電話があった。売れ行きははかばかしくないような口振り・・。大島さんのように挑発スル人がいないうえに不況で建築家の活動が止まってしまったような話もしていて。沈滞沈没が蔓延しててドナイモコナイモナラナイとのこと。元気な渡辺豊和さんはコンペに挑戦してるようだ。大阪に遊びに行ってみようかと思ったりした。

杵モチコさんから暑中見舞いが届く。ボインのお姉ちゃんがヘルメットに水着姿でスコップかっいで、片足を大きく上げて、安全第一の看板を踏んづけている・・絵つき葉書。彼女は建築家と漫画家を目指していてすこぶる元気な人だと思う。どちらも手に入れて面白い人間になってもらいたいものだ。年賀状も笑えたけど相変わらず笑わせるのが好きなのねー・・のようだ。


 5日夕方のこと

パークハウスで感じた放置された違和感というものに、発注者が建築の身体化を計るべく手を入れ続けるわけだが、入れれば入れる程その違和感が同時に成長して、マスマス見る者をも住むの者をも抑圧しているように見える・当然と言えば当然な一面である・・・そんな一面が強化されてもあるなーと思ってパークハウスをあとにした。

 豪徳寺駅まで戻って石川 初さんと別れ、再度南泰裕さんの事務所に戻って、模型や図面やスケッチ等の資料を見せていただき、それをデジカメで採取した。南さんの奮闘の跡はパークハウス・フォトコラ2としてまとめwebアップするつもりだ。

フォトコラの作り方を南さんに少し伝いようと思いPCを操作していただいたが、フォトコラ・ソフトで南さん手持ちの画像データが開かないので、操作方法を伝授できなかった。

 仕方なく代々木の田中浩也さんの家の傍で呑むことにして・・南さんの事務所を出た。代々木駅傍の中華料理店で南さんと呑んでいると、田中さんから「呑みに参加したい」と連絡があり合流して呑む。その場でフォトコラの操作を直伝となる。なにやら画像ファイル名の一部に日本語が入っていると呼び込み時のトラブルになりやすいとか・・いろいろ操作して・・なんとなく南さんはフォトコラの操作方法が判った感じのよう。グビグピワイワイ話していると樫原徹さんから電話。樫原さんも合流でワイワイ呑み会グビクピ・・となる。

8時頃中華屋を出て田中浩也さんの東京住宅へ行く。なんだかピカピカに掃除してあって明日当たりデートの臭いがする。今夜はここに泊まってはいけなさそうだな・・と思う。しかし委細構わず田中さんにち上がり込んで、都市や住居や交通などの話など数学なのか都市論なのか情報論なのか分からないが、田中・南ヒートアップしだしてドンドン時間が過ぎて行くのだった・・。

まだまだ5日の話は続く


10日の日記に続き・・ 5日のことを少し

昨夜はデザインヌーブの床に倒れ寝入ってしまったが、樫原さんは朝から仕事らしくシャワーを浴び8時頃でかけて行った。天気予報では雨なのだったが信じられないような快晴である。南新宿に建つドコモの鉛筆のようなビルが青空をツンツンしているようにヌーブの窓からは見えてオカシイ。
12時半に石川初さんと豪徳寺の駅当たりで待ち合わせをして南泰裕さんの事務所へお邪魔することになっているが、4時間ほどある。体力のことを思うとここでウロチョロ見学へ出掛けるよりはヌーブで本を眺めているのがいいだろうと思い、妹島和世さんのことをまとめた本があったので・・見ながらゴロゴロした。
 
 不勉強で彼女の本も実物も見たことは無かったが、雨漏りの悪評はさんざん聞かされていていた。本によるとプランはすこし面白いと思った。若者の間では大の人気なようで それはそうだろう解り易い・写真写りがいい・宙ぶらりんに判断を放り投げて作っているような感じが面白い。しかし私には少し退屈なのだ・・いつの間にか寝込んでいて正午に目が覚めた

おぅー遅刻しちゃいそうだ。慌ててヌーブを出て南新宿まで歩く。各駅の乗り豪徳寺に降りると、「さとうさん」と呼ぶ声が聞こえるが姿は見えぬ・・先に来ていた石川さんが目の前に現れた。石川さんは子育て一年生でも見学もガンパルパパです。少し道に迷い南泰裕さんの事務所へ着く。

事務所では南泰裕さんと妹さんが私たちの昼食を準備しているところで、丁度麺がゆで上がって、洗いコンでいました。簡単な挨拶をして早速いただきまーす・・ハイカラなイタリア料理風オカズも胡椒と塩をかけると・一段とすこぶるナイス・・・もくもくぺちゃぺちゃと平らげました。デジカメを数枚する。エディフィカーレの復刻版の表紙なども撮る。

パークハウスの工事写真データ等をいただき、三人でパークハウスへ向かう・・。

パークハウスへ着くと発注者の案内で早速豪快なスロープと屋上芝生を体験させていただきました・・これこれ・・この芝生く。「この雑草・ネジバナが咲くと芝生の庭は一人前」と石川さんの解説つきです今日は。1階の庭先ではお子さん達がビニールプールの中で水遊びをしていて、なんともいい感じ・・デジカメで切り取ると本当にここは東京なのかと・・そんな感じに写ってしまう。家庭菜園の枝豆はフクプクしているし、トマトもパチーンと張っている。

 建物そのものは元気な発注者が日々使い込み、手を加えたりしてドンドン都市的風貌が加わっていて 楽しくなっている。不都合な点もあれこれ指摘されるけど、なんだか嬉しくてはしゃいだ感じがオカシイ。

カメラは雨を予想し持たなかったのでデジカメバシバシ撮りまくる。お茶とお菓子をいただく間に石川さんの屋上緑化についてのお話が続いている。「いただきそのアイディアで・・屋上焼き肉一回ご夫婦で招待・・」なんて発注者の反応がまたオカシイ。予め知らされていた「夕方4時まで」を時計が指しているのでパークハウス引き上げる。

 続く

 7月10日 霧雨小雨が断続的に落ちたりあがったりの一日

朝方絵を見て欲しいとの連絡があり出かかる。二重人格になり損ねた女性の絵だ。両親の不仲を隠し続けるうちに、自己表出さえできなくなっていて強いストレスを内包して生きてしまった人の絵。・・と、数枚の絵をみて。彼女の絵が表現の域に達するとはまったく思えない。稚拙であっても表現になる可能性があるとすれば、他者を信頼できるように、自己を改善するのが先だろうと話した。絵を書き続けても効果が現れるとは思えない。

 多重人格の人を改善するには2mチョイの高い所から身を投げ出させ、直下で多重人格者達が身体で人が受けとめる・・そんなことを何度も繰り返す訓練が効果的だと聞いたことがある。彼女は結婚して夫にさえ、奥深く傷ついた感情をさらけ出すことができないのだろう。もちろん私にだってできない。その上生来の計算高さが禍して、他者を信頼する機会を失っている。悪循環の中で、生を持てあまし気味に見せている風・・・が信用はできない。自分を守ることにしか集中できてない うえに、廻りに人が居ないと淋しいという、わがままで傍迷惑な性格の持ち主なのだ。・・案外おおいのかもしれない・・。

そんな話をしてbox1まで送っていただいた。我が家の齋藤隆さんの絵を見せた。齋藤さんは禅坊主風なので多重人格とは違うが似たような白と黒だけの絵。表現ってこういうのじゃないのと示した。すこしは理解できたよう。BOX1を気に入って家を建て替えたいと話していた。それはそれで効果が上がることだろうと思うが、金がかかるのでどうなる事やら。

まともな人間になるのは案外難しものなのだと思う。まともじゃなくても生きていていいんだけど・・絵(?)を描いて自分を見つめゲロゲロ言っているのはいいことなんだろう・・。せめて他人を信用して自分の事をさらけだしてもいいのではないか・他者に語ることってほとんどフィクションに近いと思うものだから。



 7月9日 曇り時々霧雨で寒い 梅雨はまだ2週間も続くのか・・

先月末から続いた一連の太田浩史さんとの建築あそび 廻りに派生したいろいろをほとんど済ませることができホットしてる1日。

 6月21日参加していただいた五十嵐太郎さんからの土産イームズ邸CDをようやく見ることができた。CDはプラネットデジタルデザイン(tel052−939−1416)で企画・制作・販売をしている。CGの良さも分かるしイームズ邸も体験することができる。現地へ飛ぶよりは安価です。 CGの作り方も分からないのでその良さ具合を現せないが 相当手間をかけて造り込んでいるようだ。

一度入力したデータをなんども使い廻すことができそう・・いずれ3Dに挑戦してみたい気もする。フォトコラ を作ってみると、今でも充分魅力的ではあるが、細かな部分に不満が出て来て推進力が落ちて来てるのは事実だ。見てると3Dだなーって気分も生まれて来る。使い分けが肝心のよう・・。

 7月4日のことを少し
阿部仁史さんが学会賞を受賞してのパーティーが6ヒルズで行われた。借りの妻と上野で待ち合わせ会場へ。PM7時からおよそ2時間。顔見知りが少々と著名な建築家は数名。他は業界顔が揃っていたのかもしれない・・私はほとんど分からなかった・・年取った高名なお爺さんが長々挨拶・・こういう爺さんにはなりたかねーなと思う。・・中間ワイワイワイワイでシャンパンを借りの妻と飲みまくった。

会場を去るエレベータホールで藤本壮介さんに会ったので、8月頭に白馬の山荘の見学を申し込み、去年の建築あそびの校正を早くせんかい・・とお願いする。

シャンパンの酔い覚ましにタワー足下の名店街を散歩する。ベンチなどが小雨に濡れていたかもしれない。出来たての街角では犬の散歩をしてる人が、犬に便乗して仲良く話し合っていた。

借りの妻にタクシーで代々木あたり・・ 昔フジタといわれたビルの前まで送っていただいきそこで降りた。トボトボ歩いてデザイン・ヌーブの樫原徹さんの所へ。二人で近所の安い中華屋へ行って2次会開始・・ワーイ。建築あそびの講師依頼やらクリマタイザーの悪口やらワイワイ話していたら、槻橋修さんから電話がある。どうも2次会参加者がメタ少ないようなしゃべり方・・。遠い・参加費高い・・から行かないと断る・・と・・2次会終了後ヌーブへ寄るとのこと。

am2時頃かも 修・久仁子さん夫妻がお土産持参でヌーブへ現れる。金沢で始まった住宅の話や妹島さん達の美術館の話を聞かせていただきました。槻橋さんは樫原さんの面倒を見ていた・・いる・・こと知る・・そうかーみんなつながっているんだねー知らないのは私だけなんだ・・。・・ワイワイしてのちヌーブの床に転がり寝込む・・



 7月8日 小雨ふり続き 寒いかもしれないよ

4〜7日まで東京をウロウロしていた。南泰裕さんの「住居はいかに可能か」から沸き上がったんだが・・霜降り肉のように都市と住居が混在する様をこの体を使って作りだしてみたいなーと思ったのだ。私家版「都市に住居は可能だろうよ」を実地体験して、そこから浮き出る問題をそれなりに発見してみようと想った。宿泊する場は親戚とmy次男を絶対あてにしない。他人の住居等にタダで泊まり・・歩くぞーと決めて 寝袋は持参した。

松尾芭蕉は46歳の3月27日深川を発ち8月21日大垣まで 千数百キロを歩いたのだし、金はおろか寝袋など持ち歩いていたとは聞かないので、新幹線にて往復し、飲み代も持っていたわけでかなり 大げさな話の上に情けなさが積み重なるのではあるが、実行することにした。

その間の話はオイオイ書いていくことにするが・・少しだけ

4日は学会賞受賞パーティーが6ヒルズであり会費が1万円と超高い。主催者側には泊めてあげるなんて考えは端から無いのだ。案内には小さな文字で夫婦は15000円とあったので借りの妻を持参した。勿論2500円引きだった。それにしても会費が高い割に、感涙すような演出等あるワカけもなく、情けなさだけが身に染みたなー・・。早めに引き上げ、借りの妻に寝床をねだったが、危ないオッサンと勘違いした借りの妻は 何故かダメを出すのであった。

最初の発見  都市を住居にするためには 同性に当たるべきなのかもしれない・・私は借りの妻の乳などモムつもりは毛頭なかったが、やはりモムだろうと怪しまれて嬉しい気分でもあった。
 異性に住居を求めると困難が伴うような社会が出来上がっている。なにかしらの教育が予め施されてあるようだ。ある種の 性別制度で世の中は汚染されているようだ。異性の家を一時の住居にすることは本当に不可能なのだろうか・・・女と男が同じ場所に寝るという行為の中にはある種禁じられたなにかがあるのだろう・・・建築あそびでは異性と雑魚寝だけどなにが異なっいてそれを可能にしているのだろうか。・・・まずは寝床があり調理台があれば住居になるよな気がする。他者の住居は私の住居・・・・年賀状で「私は貴方の家になりたい」と書いてた女性に当たるのを忘れてはいたのだが・・。

中間を略してと・・(いずれ書く)

6日は新宿・花園神社の境内に張られた新宿梁山泊の特設テント内客席に泊めてもらうつもりであった・・ここは会費3200円で感涙・・感涙・・又感涙ああったぞー・・涙腺が逝かれちゃったかと思ったよ。男友達同伴でも劇団の女性男性の方々から嫌がられることもなく 差し入れられた 寿司や鯛の刺身・焼酎は二人で1本空にした・・会費ダダ・・で感涙・・ああ・・な・・演劇の世界では ファンを大切にするのだなー・・6日の話もほとんど省略したのでいずれ書きます

きょうはホンマに寒いなー・・。


7月3日
 曇りで涼しいのは相変わらずだ。遠くで烏が力無く鳴いている

太田浩史さんとの建築あそびの記録保存用web頁は午前中にi一端終わらせた。間違いは多いとは思うが、なんとか校正できる程度に作った。太田本や参加者の感想などを付けた頁もつくって残しておきたいので、公開するまでには、数週間かかりそうだ。

フォトコラをつくり、体験記を書き、講演記録を作って、振り返ってみると、太田浩史さんのことは理解できた。同時理解できないこ事も増えてしまった。その疑問は長い間観察して理解するしか方法はないだろうなーと思う・・。

なんとなくまとまり、明日から数日 東京に行ってウロウロできる準備は整ったなー。ホッ・・。



 
7月2日 曇り

1日 6月21日建築あそびの記録用ぺージを作っている。明日一日かかりそうだ。慣れて早くなったが、面白がって 何度も見てしまうので、思ったように進まない。7月4日夜東京の6ヒルズパーティへ出席するが、出掛ける前に、記録を仮アップしたいなーと思う。東京でノンビリ、犬のようにウロウロ遊べなくなるのは、つまらないからなー・・。

渋谷のシアターコクーンでは勅使河原三郎さんの「ルミナス」が再演と知らせがあったが、今回上京時には新宿の花園神社で今公演中の新宿梁山泊の「唐版又三郎」を・・こちらの三郎を見ることにする・・んだー。どちらも見る金がない・・。


7月1日 曇り梅雨半ば.これから3週間はドンヨリと冷えるんだよなー・珍しく体調が変だ・・冷えるからだと思うので厚着厚着で汗を流そう・・・。

西多摩群日の出町から便りが届く。絵本作家の田島征三さんからだ。田島さんに三多摩地域のゴミ焼却灰置き場の代案を頼まれ制作したことがある。提案は本などにして、都議会に配った。10〜7年以上前の話。代案は石原都政に変わって完全に潰された。田島さんは闘争の無理がたたってのだろうか・・胃ガンになり伊豆へ転居して静養している。・・少し元気になったようで「きみはナニを探している?」という展覧会を開いているとのこと。6月1〜8月31日まで、伊豆は伊東市の池田20世紀美術館。ガンが転移してもう・・無理かナーとおもって、一度現地を訪ねたことがあったけど、元気でなによりだ。

ル・コルビュジェインド建築群・チャンディガール・フォトコラをアップする。122枚1.39MBで分割方式。チャンディガールで撮った200数十枚の中から選別しつないだ。近々公開予定の10+1写真アーカイブスを補うことができたらいいのだが・・。

建築文化1996年10月号創刊記念増大号「ル・コルビュジェ」の編集後記によると、建物にも知的所有権!。コルビュジェ財団が知的所有権もっていて、許可を取った・・と書いてある。チャンディガール・フォトコラを公開するにも・・許可がいるのかもしれないなー・・英語もフランス語もできないので・・こまったよ・・。