2022年7月19日 川勝真一さんと語る「再開・大阪アーキフォラム」について 作成文責:佐藤敏宏
  場所:京都北山にある川勝真一さんの家  土砂降りに遭う
再会アーキフォーラム主メンバーのお一人

川勝真一
(建築リサーチャー)
1983年兵庫県生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。同大学院工芸科学研究科博士後期課程単位取得退学。建築に関する展覧会のキュレーションや出版、市民参加型の改修ワークショップの企画運営、レクチャーイベントの実施、行政への都市利用提案などの実践を通じ、 建築と社会の関わり方、そして建築家の役割についてのリサーチをおこなっている。


佐藤:ZOOMでは駄弁っていたんですが、京都で川勝さんに久しぶりに会ったので前語りが1時間になってしまいました(笑)アーキフォーラムの話をおうかがいに来ました。これから一時間ほど、お願いいします。
 (お茶をいれている川勝)
奥さん(芳木さん)の作品を越後妻有芸術祭に展示するのね?

川勝枯木又集落という所の「京都精華大学 枯木又プロジェクト」教えに行ったりしているんです。精華大学は芳木の母校でもあるんです。大学の企画をやるので、その一部の企画に参加しています。作品自体は1人で作っています。古い学校を使っていたので他の部屋は他のアーテストが準備します。小学校を一校を使って展示するんです。

2021年10月、鹿児島県立美術館で展示した「フロム・ジ・エッジ ー80年代鹿児島生まれの作家たち」ときには、鹿児島の火山灰をインクに練り込んで刷った版画を出品していました。


  (2022年 大地の芸術祭 枯木又プロジェクト FBより 芳木さん右)

佐藤:いい感じじゃない。桜島からふる火山灰を採りにいけるんですか?
川勝:鹿児島は火山灰降ったら集めるんです。それをもらってインクに練り込んで刷ったりしていました。
佐藤:鹿児島に暮らしている芳木さんの家族に火山灰を集めてもらうんですか?
川勝:一回、採りに行きました。

佐藤:硫黄分とか混じっていて臭いはきついの?いろいろ入っていて固まらないとか。

川勝:硫黄は入ってないけど、金属を含んでいて磁石にくっつくんですよ
佐藤:吸い込んだら大変なことになりそうだね。
川勝:そうそう、吸い込んだらだめ。作品番号はT427。

佐藤:越後妻有、出品数多いね!全作品巡りは体力要るね。
川勝:福島市からは見るからに近い、後で。ぜひ!十日町へ(笑)




枯木又小学校(webより)




 2022年7月9日web産経より

佐藤:福島県の隣の県で只見町に隣接しているが、地図で見ると近いんだけど、福島市からだと車で5時間弱は要るかもしれない。東京に行けちゃうよ、そのぐらいの距離。俺は自動車もっていないし只見線開通したのかな?磐越西線(8月に甚大な水害に遭う)でぐるりと遠回りするしかないかも。

川勝:ここに大室祐介さんの奥さんの作品があった。
佐藤:大室さん奥さんの作品は日本画ですか?
川勝:彼女の作品はね、うちの奥さんは浮き出るんですけどね、大室さんの奥さんは掘っているんです。逆向きです。

佐藤:芳木さんが凸で大室さんの奥さんは凹の陰翳で見せるんだね。
川勝:凸凹コンビ(笑)掘ってあるんですけれど、浮き出て見えるんです、不思議な作品です。


 中谷ミチコさん作品 webより 

佐藤:大室さんは建築設計とアート制作してたけど、今はしてないのかな?大室さんの家は京都からだと行き方はどんなルートなの、どうやって行っている?
川勝:あそこは、・・・。

佐藤:建築設計も再開していたね、住宅のような作品だったかな。
川勝:三重県内でけっこう仕事やっていますよ。私立大室美術館も運営しているので、美術館運営してたらアート系の人が来ているから、いいクライアントになっていく、好循環が三重で生まれているようです(笑)

佐藤:周囲に太陽光発電所の建設を阻止するために発電用地・土地を購入して私立公園にした、なんて投稿してた(笑) 福島市には私設の花見山公園がある、平らじゃない山だけど。

川勝:私立、大室庭園美術館ですね。
佐藤:京都の人たちは古町家を改修して美術館にしているの、たくさんありそうだけど。大室さんの所は放棄農地たくさんありそうだし、土地は広く確保できそうだ。

川勝:ウィットに富んだというか斜め上に行く。芳木さんの作品分ったら送ります。

私立大室美術館 絵:FBより
三重県津市白山町川口731

大阪アーキフォラム再開について
 1:08:30

佐藤:それではここからアーキフォーラムについてお聞きします。再開おめでとうございます、ご苦労様です。本当かな?

川勝:再開しましたよ。今回は私・川勝と、403アーキテクチャーのメンバーで神戸で最近独立、橋本健史君。と吉岡優一君という日建設計のCMにいる人。吉岡君も静岡の浜松で辻君と一緒にアンテナという町づくり活動のようなものをやっていました。荒木美香さんは佐藤淳さんの構造事務所にいて、関西に来て、個人事務所を開いてやっているんです。HP へ)

佐藤:橋本さんと川勝さんが知り合ったのは辻さん経由ですか?

川勝:どちらも403なんので、ずっーと昔から知り合いです。吉岡君は403をやる前に町づくり活動・アンテナという活動をやっていて、それに川勝は呼んでもらって一緒にやっていたんです。この二人に最初に会ったのは一緒の時期ですね。橋本君が去年、関西に来て、それで、事務所を開いた。彼はもともと神戸の出身。

佐藤:橋本さんは兵庫県の明石生まれなんだね。
橋本:出身は神戸かな、明石高専を出てYGSA卒業です。で、関西に戻ってきたんです。3人で一回呑んだりしてたんです。で、僕は今、大阪市大で非常勤で行っている。橋本君も市大に行っていて、卒業設計の講評会に行った時に「アーキフォーラム、やらへの?」みたいなのを垣内さんとかに言われた。垣内は宮本さんの事務所を出た人です。
「何かそろそろやったら・・・」みたいなのを家成さんとか垣内さんなども思っていたらしくって。で、声を掛けられたのもあったんです。その前にも会って「何かせっかくやれたらいいよ」みたいな・・そんな話をしてたんです。そこでは「アーキフォーラム丁度いいかも・・なー」と話していました。



アーキフォーラム主メンバーのお一人


荒木美香さん(構造家)絵:webより)
1984年神奈川県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。荒木美香構造設計事務所代表、関西学院大学建築学部准教授。建築物などの構造設計・監理のほか、建築構法や形態創生手法の研究・開発に取り組む。
 アーキフォーラム2022 HPへ 

佐藤
:PCの表示はアーキフォーラムのHPですか?
川勝:そうです、僕が全部つくったんですよ。(笑)ボランティアで作りました。3人で、じゃ吉岡君を入れてやろうかと言っていたんです。橋本君は最近、関西学院大学に教えに行っているので「構造の人いるから一緒にどうですかね」みたいな。

佐藤:関西学院というのは三田に在る大学ですか?石榑督和先生がいるよ。
川勝:そうそう。石榑さんこの前のアーキフォーラムに来てくれました。
佐藤:そうか。石榑さんと川勝さんで大概関係者はつながるね。

川勝:そうです。メンバーはそういうことです。僕はリサーチとか編集とかをやっているし、橋本君は意匠設計だし、荒木さんは構造家で、吉岡君はCMだから。
佐藤:おい、組んだら建築設計できちゃうよ(笑)

川勝コンペ出せそう(笑)そう言ってるんだけど。これまでだと構造家の人が固まってランドスケープの人が固まって、会をやっていたんですけど。建築なんだけど専門性の違う人達と組んで何かをやっていくのは、今っぽいというか、現代ぽさもあります。

佐藤:前アーキフォーラムには意匠に偏っていたんので、だいぶ変わっていて好感を持ちますね。

川勝:前・アーキフォーラムとは違うようにしたい、それはあります。で、だいぶ変えました。



 2枚 絵:アーキフォーラムFBより 

川勝:前・アーキフォーラムって関西の建築界隈のファブというか、ネットワークの結節点みたいな存在だったと思うんです。なおかつ大学とかではない所で少しインフォーマルな雰囲気も持っていたことが重要かなと思ったんです。
最後の方の前・アーキフォーラムって何かフォーマルになりすぎていた。リクシルのスペース借りて開いていたから、最初に企業の人が出て来て、会社の宣伝するとか(笑)で、時間も決まっていて、何時になったら直ぐ終わりになる。

佐藤:イベントに建築系企業がへばりついて堕ちゃう。その現象は卒制展も同じだけど。活動資金源の所在でおこる問題だよね。陶器製造会社(笑)や建築資格教室系の企業の資金で運営されている。建築の各種媒体が抱えている根本的で最悪な状況が若い人達の自由な語り合いの場にも持ち込まれてしまってて、不自由になっ堕ちたと。

川勝:なおかつ、対外的な、東京から建築家先生を呼んでありがたい話を頂戴するみたいな感じが多かった。で、再開アーキフォーラムは基本的には必ずしもそうはしない

佐藤:建築界イベントはスポンサーに依存すると足枷・手枷が加わるのか、大阪に本来ある地域性は徐々に失っていった。卒制展もそうなっているのでしょうか?

川勝:外から呼んで来た人の話を自分たちが聞くという構造が出来てしまう会になっていったのか?それはそれで意味はあると思うんです。が、今は大学が似たようなことをやっているし、いろんな所で会が開かれている。再開アーキフォーラムでそれらと同じようなことをやっても仕方がないですよね。

新型コロナの影響もあります。アーキフォーラムは10年ぐらい止まっていたんです。コロナで3年ぐらい、関西の中での交流も減っていた。全部オンラインになったから。関西と関係なくって、全然違うところとの交流は進むけど。地域の語り合いのモデルが無い(笑)。近くに暮らしているんだけど3年間全然会ってない。むしろ遠くの何々さんの方がオンラインで会って、しょっちゅう話している(笑)。そういうことがあるから、久しぶりに会う。橋本君も荒木さんも石榑さんもそうです、ここ3年間で関西に来た人、新しく独立した人が身の周りに多いんです。その人たちが元々あったオールドな、コロナ前の関西の建築ネットワークみたいなものと全然違うところに点在している状況なんです。
なので、なるべくその人たちを接続する役割を担えればいいのかなと思って。で、「やりましょうか」と。前と同じ形式、関西のネットワークのファブみたいなものを意識しつつも、形式はガラッと変えて、今じゃないと出来ないことをします。新しく関西に来た人をどう組み込むかということを重点的に考えたいなーと思っています。










アーキフォーラム主メンバーのお一人

橋本健史(建築家)絵:Twitterより

1984年兵庫県生まれ。国立明石工業高等専門学校卒業、横浜国立大学卒業、横浜国立大学大学院Y-GSA修了。橋本健史建築設計事務所代表(神戸)、403architecture [dajiba]共同主宰(浜松)。建築、都市、文化財、地域に関わる設計・計画・研究のほか、神戸、大阪、京都、名古屋、東京など各地の大学で非常勤講師として教育活動に携わっている。


佐藤:関西に入って来る人も地元に暮らしていても分らなくなり、同時に新型コロナの3年間で交流がオンラインに偏ってしまっていたと。で、川勝さんが言い出しっぺなんですか?

川勝:言い出しっぺは垣内さん、ちょっと上の人。「フォーラムを復活させたい・・」みたいな感じで思っている。垣内さんは大阪芸大卒じゃないかな?非常勤で一緒に大学へ行ったりしているなかで、大阪市大の非常勤の先生たちも含めた卒業制作講評会で会いました。

佐藤:アーキフォーラムのHPを川勝さんが作って更新しているから川勝さんが言い出しっぺで自分で始めたのかと思いました(笑)

川勝:違います。「どうなん?」みたいな感じです。「やりましよやりましょう」と言って無理やりやらされている・・とかではないんです。ちょうどいいタイミングだった。アーキフォーラムの枠組みでやったらいいなと。もちろん柳々堂さんとか、今井さんとかに連絡をして、ドメインは全部アーキフォーラムの前のものです。今井さんが管理されていたので、譲り受けました。

佐藤
:以前の記録もネットに残っている!?

川勝:そうです。
佐藤:サーバーは誰が、今、管理しているんですか?

川勝:今は僕が管理しています。

佐藤:この俺は1998年と2010年代に呼ばれて2度も!アーキフォーラムに来ているよ(笑)
川勝:そのまま載ってます(笑)
佐藤:1990年代は建築住宅に若い人が持ち回りで講評書いて住宅建築に掲載してたけど、2000年代はwebで講評が掲載されていた。俺の時は牧野研造さんが書いてくれた。どちらも懐かしいね。

川勝:あったこれだ。(笑)



アーキフォーラム主メンバーの一人


吉岡優一(コンストラクション・マネージャー)絵:webより 

1984年静岡県生まれ。日建設計コンストラクション・マネジメント株式会社マネジメント・コンサルティング部門 兼 サステナビリティ推進室ディレクター。発注者支援(CM)を専門としながら、大学院でのデザインリサーチ経験をもとに、事業主の視点に寄り添ったライフサイクルマネジメント(中長期修繕計画立案等)、BIM-FM導入支援をおこなっている。
再開アーキフォーラムのぷち前史を調べよう

佐藤
:アーキフォーラム、再開してよかったね。年上の人が言い出し川勝さんなどが受けたと、そういう経緯なのね。

川勝:一応、個人的にやるなら、スポンサーから離れて、やった方がいいんじゃないかなと。
佐藤:今井さんに聞けば、止まってる辺りの事情は分かるかもしれないね。連絡してみます。(註:今井啓子宇さんとは20022年9月27日会い、博士論文を書いている林貞利さんを紹介され語り合った)

川勝:なぜ止まってしまったか?詳しいことは分らないです。何となく形骸化したこともありました。最後の方には参加していなかった。

佐藤:建築における関西系議論の場だけど、俺の記憶だと村野藤吾さんが村野塾というのを始めて、その後に渡辺豊和さんと西沢文隆さんが、会の名前はお聞きしてないけど、私塾的な勉強会をしていた。その後豊和塾や大島哲蔵さん運営の翻訳の会と続き、それらが春秋塾に変わり、大島さんが若い者を使って主催、柳々堂・本屋さん(井上さん担当)も加わったり、INAXが支援に付いたりして、スポンサーに依存する形態に変容していったんだね。で、沈没しアーキフォラムは休止に至った、その辺りはなんとなく分る。

川勝:そこからアーキフォーラムの流れはあるんですか?
佐藤:俺はそう聞いている、私塾もアーキフォーラムの活動運営している人が重なっているから、繋がっているように聞こえてしまったのかもしれない。
渡辺豊和さんに連絡していろいろお聞きしようとしたんだけど、体調が悪いらしいので奈良の自邸を尋ねることはかなわなかった。でも今お聞きしておかないとアーキフォーラムのが始まった当たりのことが記録しておけない。時間が経つと誰も分らなくなってしまうのはもったいなので、調べておきたいんです。

川勝:だれかがアーキフォーラムの研究しているらしいです。どこかの定年退職した、組織の方が。(註:現職の設計担当部長の林貞利さんが京都工芸繊維大学博士課程松隈研で研究中)

(スマフォから警報が鳴っている)

佐藤:大雨だそうです。




2022年8月2日個人宅から見つかった前アーキフォーラム動画テープ発掘された以下その日のやりとり

大阪:ビデオ出てきた。ほとんどMさんので、トシちゃん、吉田さん、大島さんのはダビングさせてもらったやつやから、箱の中身とかぶってる奴あるね。アーキフォーラムのチラシも出てくると思う。横の家暑くてまだ入りたくない 。もっとあると思ってた。。捨てたのかな?まさかね?

佐藤: 本当テープのこってるね!俺のもんあるやん
大阪:私は捨てるよな娘やない!そーだよね。チラシまで残してる。トシちゃんとのFAXもあるよ。


 アーキフォラムテープ発掘される 佐藤は1999年9月に講演に呼ばれていたことが分った。
 大島哲蔵さんと佐藤のFAX記録1999年10月1日の記録へ 
20022年9月27日、林貞利さんによると、ビデオテープは全て松隈研で保管していてDVD化をすすめているとのこと。

川勝:この本は3号です、この1号は知り合いが持って来てくれてました。
佐藤:これは誰が編集しているのかな。

川勝:柳々堂が編集している、編集は井上さん(注I)という方です。

佐藤:新田正樹さんに会えばいいんだな。1980年代の関西圏で『建築美』や『』という建築系の雑誌を渡辺豊和さん、平山義明さん高松伸さんとその仲間たちが刊行していた。アーキフォーラムはその流れの一環で関西圏の建築勉強系統だとは思うんです。調べる必要はありますので調査します。


『建築美』19802号 (1980年5月500部発行)
『建築美 極1ー結晶』 1984年4月20日学芸出版社・初版)

佐藤:これも要調査ですけれど、関西圏での社会人を対象にした勉強会は大阪の建築系村野塾が始まりだとは思います。渡辺豊和さんの話だと建築系の学生が社会人になってしまうと、勉強する場が会社に限られてしまう。個人に閉じてしまうので、始めた。関西の若い人の交流の場をつくった、と聞いた気がする。俺の妄想かも知れないので調べます。

大島哲蔵さんなどがそういう精神を受け継いで1991年ごろからアーキフォーラムになって、後に今井啓子さんがweb時代に入るとサーバ管理などの面倒をみていた。そういう予想です。(註:第一回アーキフォーラムは1997年に遠藤秀平さんと楠本菊實さんが始めた)

川勝:そんな歴史があるんだ。村野さんまで繋がって行くんだ。

佐藤:村野さんの家は宝塚にあったし、宝塚温泉の傍に教会も設計していたので見学しました。村野塾とは渡辺さんが濃く関わっているようなんだけど、私には、はっきりしていない。webで見ると『建築をつくる者の心』なにわ塾叢書とあるから「なにわ塾」かもしれない。2011年刊行だから違いますね。この本は。(2022年、佐藤の聞き取り調査によるとそれらは無関係だが、関西圏における学びの精神、根は通底している)

川勝:なにわ塾はでてきますね。違う気がする。

 検索している 川勝さん

注I:井上さんは亡くなられたとのこと。


1981年10月初版 なにわ塾叢書4
『建築をつくる者の心』村野藤吾




柳々堂のHPより (左の絵もHPより)
(アーキ・フォーラム in OSAKA)創刊の趣旨)より

[アーキ・フォラム in OSAKA]
`92年11月の「柳々堂創業100年記念シンポジウム」に際して東孝光先生から「これを契機に、大阪発信の媒体を創刊したらどうだろうか」とのアドバイスを頂いた。 果たして、我々にそのような力量があるのか、とても不安ではあった。 〜中略〜 不慣れな編集人のため、いささかスマートさに欠けるきらいはあるが、その熱い思いを汲んで頂ければ幸いである。ともあれ「サイは投げられた。」 


佐藤:明日(7月20日)渡辺豊和さんの自宅に押しかけて行っていいのか?迷っています。以前聞いた話なので証言に関する物も渡辺さんの家にあるかもしれない・・・ので、それを確かめる物があるかもしれない、手がかりでもあればいい。うろちょろしていると誰か知っている人に会う気がする。
川勝:村野塾からの流れがある、そんなこと誰も言ってくれなかったですけどね。

佐藤:『ARCHI-FORUMIN OSAKA』1995年VOL3に、新田正樹と名前書いてあるけど、川勝さんは新田さんにも会ったことないでしょうか?
川勝:ないです。

佐藤:1991年の秋に俺が渡辺豊和さんの家に2週間泊って渡辺さんの初期建築を見て歩いてた時期があります。そのとき、布野修司さんが京大に就任して祝う会がありました。渡辺さんに「行こう」と言われて、付いていったら、布野さんや関西圏の強面建築系の人々に会った。その中で一番若い人が新田正樹さんだった。で若い人が好きな俺はすぐ仲良くなって、そこから大島哲蔵さんなどの建築を勉強する関西の若者たちと知り合いになり、今日まで交流は続いています。

アーキフォーラムも大島哲蔵さんも関わって運営してて、俺は2度呼ばれて話しました。(1999年9月、その動画ビデオテープが保存されていることが分った上記で説明済み)2度目に呼ばれたのは東日本大震災後だったと思います。満田英資さんと、名前忘れた、若い大阪市大に出入りしている者だったかな学生だったかな、彼らが運営した時も呼ばれました。そのとき若い人(山口さんかも)に俺が珍しく文句を言い続けたから、彼に俺は嫌われていると思う(笑)寺山修司には「嫌われる人になれ」と教えられたので、嫌ってくれてありがとうなんですが。

川勝:(笑)大島さんは、古山正雄先生とか岸和朗先生とかの時代の人。
佐藤:そうです、大阪の在野で洋書店を開き翻訳会を開いて若い人達を引っ張っていた人ですね。建築と美術の洋書店を大阪と名古屋で営んでいたから、そうだね。川勝さんとは1.5世代ぐらい違うかも。新田さんはこの30年間、相変わらず設計事務所に住みついて生活している浪速のガウディと言われてた(笑)新田さんに聞いた方が早そうだ。電話してみよう。





1992年12月25日初版
布野修司さんが京大に赴任したことで東京圏と関西圏が融合し生みだされた雑誌
AF副理事長:渡辺豊和さん


渡辺豊和さんによるAF宣言写し

建築はグローバルに多様の時代を迎え、種々様々の傾向がまさに百花繚乱の活況を呈しているように見える。ことに、私達の日本では、数年来の好況もあって、この状況は極限に達しているかのようだ。
 だがしかし、子細に観察すれば、この百花も実は極めて相似様相の花々が妍しさを競っているにすぎない。単調すぎるほどの一様である。世界を覆う一様の倦怠感、これは多様の幻想の中に埋没した一様である。建築家たちの多様性の自由の矮小化はいささか目に余る。イデオロギーの喪失のせいだとは言うまい。ただ、建築の創造を衝き動かしてきた何かを私達が確実に捨て去りつつあることは見つめる必要があろう。

時間は確実に過ぎ去り否応なしに歴史は形成されていく。その過ぎ去る時間を、「建築の現在」は、ただ無為に見送っているように思える。あまりにも議論がなむなってしまったのはどういうことなのか。
常に時代への兆しは、現在の内に見えるものだ。この兆しを察知しうるかどうか、それがいま生存する建築家たちの歴史参与の可否を握っているのだ。次代は次の世紀にはじまりなのか
それとも更にその次の世紀にまで及ぶのかは判然としないが、その萌芽の兆しは、私達自身に宿ってい筈である。私達自身に宿っているはずであろう兆しをこのフォーラムでは自己解剖したい。その歴史に確実に参与していく方法を発見したい。激しい議論の中から、根源的といっていい、歴史創造の一歩を踏み出すことを願う。(AF副理事長渡辺豊和)



川勝:これも勝手に本にされて、怒られた、経緯が分らない。勉強会から始まったんよ・・・みたいな。

 新田さんに電話している佐藤・・・・

佐藤:電話に出ない。今、携帯番号は使ってないかな?死んでしまったかな。今回15年前に聞き取りした大阪の聞き取り友達、何人かに電話が繋がらない、生きているのかどうかも分らない。

川勝:今年の始めたアーキフォーラムはこんな感じですね。
  HPを開いてみせてくれる川勝
佐藤:これね、すこしHP見ました。さっき言っていた上から目線ではなく議論の場の形式を整えて討論しようと、それが特徴だと思いました

川勝:そうですね、基本的にはテーブルに3人掛けて3辺、で最大9人。ここに関西学院大学の石榑さんが居ます。コーディネーターが川勝、橋本、荒木、吉岡の4人です。荒木さんはこの日、新コロナに感染して来れなかったんです。コメンテーターは1人欠けたり、ちょっと入ってもらう。石榑さんがちょうど来てくれた。ゲスト3人。一応、ここの形式で話し合うんです。後ろには観客もいて、「いつでもマイクを使ってどうぞ」みたいな運営の仕方を採用しています。

佐藤:家成俊勝さんは元・宮本事務所員でもあり大島哲蔵さんの翻訳会の勉強会に参加してて両方関わりがあるね。
  
警報がなっている。

川勝:京都の左京区はしょっちゅう警報でるんですよ。山間部の土砂流失の警報がでるんですよ。
佐藤:比叡山に大雨が降ると白川溢れちゃうからね、警報出るわ〜。

川勝:ぼくは個人的にはこの議論の形式が作れてよかったなと思っています。場所は建築家の山口陽登さんと白須寛規さんが運営している、上町荘という名前です。

佐藤:
大坂の上町にあるのかな?
川勝:そうです。事務所が上と奥にあって、会議を開いている場はイベントスペースみたいな場所です。

佐藤:広いね、お二人は資産家、金持の二人なんだね。大きなイベントスペースを持っているんだね。

川勝:全体を運営している感じで、貸しスペース。

佐藤:資産家兼設計事務所の所長の資産を借りていてINAXやリクシルなどに関わっていないんだと・・・なるほど。

川勝:企業には関わっていない、お酒は呑みたいし。(笑)
佐藤:スポンサーが付くと建築勉強会に関係のないスポンサー事務所の方が最初に挨拶することになるので、若い人の学ぶ熱は下がるよね。

川勝:やはりフランクにやりたいし、時間も気にしたくなかったんです。この時も4時間半ぐらい、2時から始めて毎回6時半、一応5時とは言っているんですけど、無視して7時前まで語り合っています。2時から5時なんですけどね。2時間オーバーする(笑)
で、この場所で軽く懇親会をする。その後に二次会懇親会があります(笑)7時までは本番ですよ。オフィシャルには5時までと言っているんですけど、実際終わるのは7時までした。そのあと2時間ぐらい呑む。記録はYouTubeの映像で残っていますが文字起こしするまでには至っていないんです。

佐藤:動画は公開するんですか?
川勝:どうするか、今は検討中ですね。基本的にはその時のライブで聴いてもらっているのでオンラインでやっているんです。だから、映像でアーカイブ残っちゃうとね・・・。

佐藤:語りのままだと間違いがそのまま残る、そうすると突っ込みどころ多数になる可能性が高いからね。
川勝:一応、動画は撮ってはいるんです、公開はしてないです。なおかつその場でのアドリブ、掛け合いが企画のやりたい点なので

佐藤:三田から大阪まで遠いと思うけど、石榑さんなんで参加したんだろう?。就任したとき「関西面白い人一杯いるよ」とは言っておいたが。「三田は遠いんです」と伝えてきたよ。

川勝
:あそこは遠いです。神戸に出て高速で、宝塚の奥から山越えして、電車で行っても降りてから30分ぐらいバスに乗る、めちゃくちゃ遠いです。

佐藤:遠いけど参加したんだね。大学の先生に就任したので金持ちになったかな(笑)11月末に明治大学の青井哲人先生と石榑さんの師弟対談シリーズを始めます(笑)
川勝:それ、いいですね。

佐藤:俺は大学出てないから、気楽に見物していられるんだけど、両者冷や汗!ものかもしれないよ。東京で年3回ぐらい偶数月に博士と弟子博士の対談を開催しようかなと。電車賃もだせないから用事があって東京に集まる時に語り合いってもらう、コバンザメ型なんだ(笑)。
前段で8月末は「種田元晴博士と語る」を企画しています(実施済み記録校正中)。種田先生のテーマでもある立原道造を事例に実作の無い建築家でも建築家なのか?問題などを語り合う予定です。

川勝:種田さんは立原道造を研究しつつもCADとか研究している。育ちの良さそうな人ですよね。
佐藤:そうだね、オペラ歌手のようでもあるよ。ZOOMでは何回もワイワイしるんだけど、リアルで酒のみしようというのがメインテーマかな(笑)種田博士のお婆ちゃんはなどが野尻湖周辺で文芸的公共圏をつくっていたようです。ですから、立原道造など、堀辰雄かなどとも交流していたような感じの系列の人だと思います。今は文化学園大学だったかで教壇に立っているようです。1970年初頭、俺が新婚時代に新宿駅南口傍、あの辺に住んでいた、その時は文化服装学院って言っていたと思う。

アーキフォラムも引っ張ってた、大島哲蔵さんのこと

川勝:アーキフォーラムの前史は聞いた事なかったから掘れるといいですね。
佐藤:新田さんは電話に出ないので、柳々堂のおばちゃんに聞くのがいいのかもしれないが、本だけ刊行した可能性もあるし。再開したアーキフォーラムには柳々堂の社長さんなどは参加されているんですか?
川勝:最近みてないな。社長、ともこさんしか見ていない。松村ともこさん。60歳。
佐藤:眼鏡かけていますか?
川勝:掛けている。話聞いたら「アーキフォーラムの始まり「こうやったで!」というのは聞きましたけど。その前の何とか塾については全然聞いてない。

佐藤:豊和塾や村野塾に関しては話していないんだと。その前に遡ると大阪には適塾というのがあった。塾の発想はそこから来ているような話を聞いたような気がする、俺の妄想かもしれないが。寺子屋文化が花開いたので、大阪の私塾は江戸末期に幕府にさからって、集いオランダ語や英語や医学を学んでいた人の集まりが適塾だろうから、権力、東京・江戸圏に反した私的な勉強会をつくり運営する伝統はここにあるように思ってたんだけど。大阪には東京に従わない自由な精神が運営する塾があるはずだ、俺の妄想かもしれないんだけど。それが切れているとしても、人の連なりがそういう気風を保ち続けているんだという俺の解釈でもあるんだけど。

川勝:なるほど。
佐藤:根拠が無く嘘だとしても、反権力的自由の空気が脈々と存在しているのが、大阪を中心とした関西圏の空気だと思っているんだけど。
川勝:大島哲蔵さんはそういう人ですよね。

佐藤:大島さん、生命保険会社の重役の息子さんでもマルキストであり、洋書店を経営し、その書店に若者を集めて翻訳の勉強会も定期的に開いた市井の活動家だったんです。
仲間と共に翻訳本も何冊か出している。さらに晩年は、建築系の大学で教壇に立って若者を推していた。実家に泊めてもらったけど港の見える庭に錦鯉が泳ぐ豪邸、金持ちの息子だ。
川勝:じゃないと、ああいう建築や美術の洋書店運営するなんてできないですよ
佐藤:スクウオッター、書店があったことしか知らない。読めないが美術系の洋書、大島コレクションを持っている。渡辺さんも大島コレクション系書籍がたくさんあると言っていた。





アルド・ロッシ著 ダニエーレ・ヴィターレ編
大島哲蔵/訳 福田晴虔/訳
 関するweb情報へ 

 
大島哲蔵さん本 左から順に
『スクウオッター 建築×本×アート 』2003年6月初版  『ドナルド・ジャッド 建築 』2000年4月初版
『ABC:国際構成主義の建築1922ー1939』2000年12月初版 『不気味な建築』1998年11月初版

積読崩しの会

川勝:洋書ねー・・。
佐藤:若い人が洋書を手に入れるのは金額が張るからね。
川勝:今も、読まない洋書をひたすら買っているんですよ(笑)
佐藤:研究者は資料だから買うでしょうよ。
川勝:そうです、資料だと思って買うんですけど。
佐藤:本は隅から隅まで読むものではないでしょう、資料で、必要な時に必要な部位を読むんじゃないのかな。
川勝ひたすら本が溜まっていて困っているんですよ(笑)だから時々、「積読崩しの会」を友達とやっていて、事務所で開いているんです。「読まずに何で買ったか?」といのを話合って、それを3人でやっているんです、毎回2〜3時間話して呑みに行こうかと(笑)

佐藤:それはいいね、面白そうだ。我が家にも子供達が買った本やDVDがたくさん集まってきている、それを資料として使っている、自分では買わない本だらけだ。他者の積読本を崩して紹介し合うのはきっと面白いと思う。

川勝:背表紙見ているだけで、たまに何か思いつくかなーぐらい。
佐藤:知らない人の積読崩し持って来てもらったりすると。頭すっきりするんじゃない(笑)
川勝:こんな本どこで手に入れたん?・・みたいなのがあったりして(笑)手に入れた理由聴くをこういう背景で買ってあるみたいなことを説明してくれる。積読崩しの会定期的にやっていこうとしてます。

佐藤
:それはいいね。
川勝:本当に積んでいるだけの本をおろして来て、ああ、こんな本だったなと分る(笑)
佐藤:買ったけど一度も開かなかった本とかあるでしょう(笑)
川勝:あります。ビニールも剥がしてない本もある。
佐藤:積読自慢の会の話はいいね。アーキフォーラムの議論の質は高そうだが参加できそうにないけど積読自慢なら参加できる人多いのではないか。

川勝:アーキフォーラムは一応高めの話は出来る、するのはいいなかな〜と。他にも小さな勉強会はあるんですよ。白須さんがやっていたり、京都でも服部君が家を改装して、そこを開いて月に2回ぐらい定期的にやっているんです。

 佐藤に新田さんから電話が入る

(下絵 大島さんの書店から買った。佐藤が持つ大島コレクションの一部)

川勝:新田さんは渡辺さんの私塾に来ていたんですか。
佐藤:渡辺豊和さんの話によると一期生は安藤忠雄、高松伸だと言っていた。新田さんと俺は3期生で「最も出来が悪い!」とも言われ続けていた(笑)
新田さん最近渡辺さんの自宅を訪ねてきたらしい。渡辺豊和さんは元気だったと言ってた。明日もっと詳しく聞いてくる。渡辺さんはリハビリ中らしいので予定が詰まっているらしいんだね。こうやって聞いて回ると、いろいろ繋がるかも知れないので、やってみます。

(註:渡辺菊眞さんよりの通信2022年9月27日 「佐藤さん、ご返信ありがとうございます。また改めて確認しないといけないですが、第1期に安藤さんは入っていないと思います。平山、高松、大島、安原、こういったメンバーかと。安藤さんは事務所が近いので、しょっちゅう遊びにこられたり、アドバイス的なことはしていたようですが、塾生ではないです。」)

川勝:流れがつかめるならいいですね。適塾まで繋がると(笑)
佐藤:それは俺のロマンでしかない(笑)
川勝:大阪流の自主的学びの系譜(笑) 柳々堂がやっているというのは近いですからね、エリア的には適塾があった場所ですからね。

佐藤:俺の感だけどね、大阪の自主勉強会、自主トレの気風はつながっていると考えているだけ(笑)。大島さんが亡くなってから大阪アーキフォーラムが止まっていた時期だった。2007年3月(記録へ)に我が家に来てもらって、柳原照弘さんの背中を押したりしてたらデザインイーストを始めたんです。デザインイーストの仕舞の方は浜松の辻さんにもって行った(笑)迷路に落ちたか?(デザインイーストは最後の10回目が棚上げになっている)

川勝「デザインイーストの垂れ幕、うちの事務所のロフトに有る」と柳原さんに言ってください(笑)この前、掃除してたら出て来た(笑)必要だったら渡しますので。京都で一度やったんですよ。辻君のところでやって、巡回で。浜松のあと京都でした、拡げてみたらデザインイーストの幕だった。何時も施設に掛かっていた歴史がある横断幕!

佐藤:洋服に仕立て直して練り歩くといいんじゃない(笑)、水野大二郎先生に仕立ててもらう(笑) 今回の京都ミッションは岡田先生の大学を辞めたあとの近況を聞く、アーキフォーラムどうなっているのか?など幾つかある。大きくはみな関連しているんだけど。

 新田さんから電話が入る

佐藤:電話によると渡辺さんは体調がよくないので会えないようです。明日福島に戻ろうと思っているのですが、アーキフォーラムのことを調べていると2週間取材する必要がありそうだな、そんな気がする。今回は1週間で福島に戻ります。また近いうち来ます(笑・9月25日から10月8日まで調査した)

川勝:現在、アーキフォーラムは3人ゲストで30分ずつ話してもらうんです。たいがい突っ込み入れながら進ので、1人の語り合いは1時間ぐらいになってしまいます。5時までプレゼンで終って。そこからデスカッションする感じなんです。今は前期3回で、後期含め6回やるつもりなので、後半は3回やります。

佐藤:俺、森純平さんを推薦するけど、話を聞いた限りではアーキフォーラムは関西系建築関係者の路線からは彼は外れるね。(2022年10月この発言は撤回を川勝さんに伝えた)

川勝:いいんですよ、とりあえず今は関西とかに拘りすぎるのもよくないなと思っているんです。今はコロナがあってもし、感染してしまって来れませんとなり、オンラインで参加しますと言われた時に、オンラインではいいです、とは言いにくい。関西の人だったら来れるでしょうということです。


 八戸市美術館外観

佐藤:森さんの仕事は地味・裏方系だから、海外のアーテストを呼び活動を促す、松戸だったか?アーテストinレジデンス(AIR)、取手はパラダイス・ビバだったかな?八戸市美術館の設計から運営までの話。森さんとの語り合い記録建築は本来、裏方なんだけど、特に裏方系の話し合いがあるときに誘って語り合いしてほしいなーと。金野さんは東京だと思うけど旅費負担はどうしているの?
川勝:今、金野さんは京都工芸繊維大学の先生なんです。

佐藤:いつのまに就任したのね。交通費要らないのね。
川勝:そうそう、交通費ゼロで、謝礼は寸志を払うことにしています。いいよという講師もいます。
佐藤:森さんは喋りが上手いか?それは知らないよ。
川勝:美術館が出来た後の運営のつなぎをしている。
佐藤:いわゆる建築の黒子、建築つくった後、建築を動かすためには黒子が要る。市役所の人、館の学芸員、 ボランティア・スタッフなどを支援する建築黒子が要る割には投光されていない。森さんに課題を伝えたのは市役所に担当部署の方々と、議会関係者などを聞き取りして、経過が共有できるようにして欲しいとは伝えた。市役所で設計要綱を作った人の話もあったほうが、地方の現場の詳細は分る気がするんだよね、と。
 
川勝:その辺は吉岡君とかもですね。プロポーザルの要綱を作る人。
佐藤:競技設計の始まりの話と、完成した後の使う段階の黒子の話。建築・アンコ話はたくさんあるから、話したい人にお任せして・・。
川勝:そうですね、そこをどうつないでいくのか?


■京都市美術館 京セラ美術館今はどうなっているの?

佐藤
:建築設計においても今は設計要綱・始まりと運営を支援するお仕舞の仕事が肝心。竣工後における現状と課題の語り合いは要りと思う。京セラ美術館はどうなっているんですか?

川勝青木さんが館長になる、ウルトラC(超技)がでて来るのはあり得ると思います。あそこはほとんど森美術館の人がやって来て運営しているとかですね。

佐藤:八戸市美術館は既存の美術館、大手に委ねる感じは地方には今はないので、事例としてはいいのかな?。俺は推しだけどね。市の美術館をいかに運営するかはあるだろうが、アーテストと地域の交流を企てる、アーテストinレジデンスの話は少ない。大阪京都では聞こえてこない、俺が知らないだけか?

川勝京都芸大は今そういうことを、しようとしてますね。設計チームの中に芸大関係の人を入れて、出来た後に施設の運営にちゃんと入って行く人を設計チームに入れておく。そういう態勢づくりしている。

佐藤:俺の考えは建築の理想は路上という過激な状態なので、壁の一部が溶融蒸発している形態を言っている。岡田先生の家は路上的ではあるけれど、袋小路状態になっている。花田先生の論である「公共圏・論」の具現化をテーマに活動も続けている。でそういう見方をするように発言もして煽ったりしてもいる。
問題が起きるので外壁には自由に出来る穴を設えておかないと建築はいけない。同時に路上の人も入れ替わり続いていくことが理想。で、アーキフォーラムも世代交代、ベースはあっても、皆で懸命に運営しても、コーディネーターの入れ替わりが止まると硬直化してしまう。

川勝:今年はやれているんですけど、webサイトを作って、前は今井さんが全部やってくれてたのかなー。そこまではよくわからない。運営するのも大変ですよ。

佐藤:お金の持、資金供給の問題なのか?人材が繋がって行く問題なのか?フォーラム運営のプロフェッショナル、職能が認められる必要があるんだよね、その仕事で食える人が要る。社会がそういう人を育てないと、自主勉強会は何か起きるごとに切れてしまって、最初から始めざるを得なくなる。

京セラ美術館 絵webより

川勝
:そうなんですよ、僕は奇特なほうだと思うんで(笑)
佐藤:川勝さんは自宅があるから、結婚して家族と共に生きているけど、すでに人生の負担が少ない。で、そういう議論の場を作って喜ぶのはいいよ(笑)

川勝:皆でやるんですけど・・・。次に誰にバトンタッチして上手く運営も含めて回るのか?難しいなと。お金の面はやり方、ゲストを減らすとかいろいろ、形式は自由に変えていいと思うんです。その時々の条件に合わせてうまくやればいいと思う。運営、webサイトとか入場者の管理とか、それをどうやったらできてつないでいけるのか?

佐藤:手間暇かかるから、川勝さんが運営好きならいいけど、他の事が好きだったらそちらを実践するほうがいい。好きでやる後継者が要る。やる人が居ないからやるというのは解決したほうがいい。

川勝:完全にボランタリーベースで、前は柳々堂さんというバックがあって、そこが問い合わせ窓口になっていたらしい。そういう態勢に戻すのもいいのか?
佐藤:書籍を購入する時代じゃなくなってしまったからね。本屋さんに負担だけ負わせるのは問題が多いね。
川勝:そうなんですよ。

佐藤:ネット発信で記者や運営する人が食べていける方法の有無を探るしかない。で俺は長年見ているけど、東さんが軌道させたゲンロンや花田先生が指南し軌道にのりつつあるTansaがモデルではある。森さんのアーテストinレジデンスは文化庁の資金を得て活動していると言ってました。
川勝:そうするとちゃんと組織として名を一般社団法人アーキフォーラムみたいな仕組みを作ってと・・・。

佐藤:今急に思った!4人の専門家が関わっているから協働のアーキフォーラム設計事務所でデカい〜!!そんな仕事を獲得してしまい(笑)設計事務所の運営の一部の社会活動としてアーキフォーラムを運営してしまう(笑)

川勝:(笑)共同設計してて設計料の一部を外注に当てて、アーキフォーラムに一部振り込みますか(笑)

佐藤:いいね、冗談ではなく、それが一番いいかもしれないよ。
川勝:四人でガンバリますか!(笑)
佐藤:実施設計をとってしまうとそちらの方が面白いから、社会活動に気が向かなくなる(笑)忙しいからやってられない。そこでフォーラム仕事は若者に任せて、チラ見の管理だけしている。若い人の自立心と模索心が消えてしまうので、それもちょっと拙いかもしれないよ(笑)
八戸市美術館へのサポートはボランタリーだと語っていた。森さんは経済的、時間的な問題をどう突破しているのはお聞きした方がいいのではないか。森さんには伝えておきます。条件クリアしたら呼んで話し合ってみてください。

川勝:あと3回どうしようかなーといろいろ考えているところです。

佐藤:八戸市美術館は美術館は脱・美術館し始めている。しかも裏方を通して語ってもらいたい。京都の京セラ美術館はありがたい物をみせるタイプの美術館なんでしょう。

川勝:京都市美術館はもともと・・・京都は特殊で藝術団体めちゃ多いんです。市民芸術団体が多い。書道とか油絵とか。芸大も多いので卒業生の会とか。同窓会展のようなものも要る、そういう人たちが発表する場所はフォーマルな方が好まれる。本当のアマチュア芸術家みたいな人がたくさんいるから、その人たちのための場所を作るのも大事で、それは八戸市美術館のジャイアントルームで行われているようなものとは違う質のもの。京都はちょっと特殊だと思います。

佐藤:各大学の卒制展もたくさん開くことはできるだろうね。そういう中で我こそは市民芸術家とは違うよ!みたな層の人もたくさんいそうだ。八戸市美術館は食堂を一時でも運営しちゃうほど市民を受け入れて脱美樹館にし始めている。

川勝:そういうのはあるのはありますよ。地方にとっての美術館とか新しい公共施設が担わざるを得ない、もしか期待されるところが多様というか、一杯あるじゃないですか。これまで担い切れてなかったものを、とりあえず新しく出来る施設に埋め込もうとするから。そうすると、芸術活動もしてないかった人たちとかのコミュニティーの場所をいかに美術館の中とか、ホールだったらホールに図書館つくるとか。そういうことは、今の公共施設はたいがい、+αで、コアの機能を持ちつつも地域の多様な要望に応えうる場にしてほしい、と。どこでもあると思う。

佐藤:近代の考え方で専門の方々が追求していったら、どうも閉塞的になって来ている。今年は新しい戦争が起きて、感染症は続いて3年目になり、地震も頻繁に起きて、原発も攻撃の標的にされてきて、元総理も手製の銃弾二発で殺されてしまった。その途端に戦後史や宗教と政治の闇の部分があからさまになりつつある、戦後がようやく終るんだろうね。そういう多様な激動が来ちゃっている。
それらの出来事に人が対抗することができるのは銃弾を作り増すことではなく、自由なアートや演劇、歌などの表現活動などや身体表現などの文化行為しかしかないね。戦争も一つの文化だとは思うけど皆が参加して勝利しても不幸になる人は勝敗どちらも生まれる。アート表現を通じて人の見方が広がって行く市民で共有できる活動が今こそ求められているんだと思うけど。

川勝:ベーシックな部分は変わらないとしても、境界がすごい揺れ動いているし、それに応えうるような場所は新しい施設だと必ず求められる。そうじゃない所や施設はあまり注目されないかもしれない。
佐藤:ポストモダン社会に合った施設を造らないと人は使わない、興味を示さない。教育教化の場、そして消費する場から、人々のハートにエネルギーを与え続ける場に移行せざるを得ない。
小学2年生でiPadでKポップを観て、真似して踊って、皆に見せたい、見てもらいたい。総表現者になっているよ。それを見ている人も面白がっているし観客も本人も元気になるし。




川勝:秋田市の文化創造館が最近出来たんです。知り合いがちょっと関わったりしている。観に行ったんです。文化際やってました。高校のブラスバンド部の演奏した後に、地域の舞踏が有名なんでその人たちの公演があったり、めちゃ面白い。その後地域のカラオケの人たちがカラオケする。同じ場所でやっていた。隣の料理科のある高校生たちがおかしを売ったりしてた。となりではアーテストinレジデンスで、審査会をやったりしていた。
そういう場所が、居場所?としてただあるみたいな。そういう文化じゃないと成り立たないかなと思ってます。ジャイアントルームみたいな部屋があって、そこは凄い良かったです。

佐藤
:町の人たちがぷらぷらやって来て称揚する場が要る。一緒にそこでアートなどの工作して帰る、大工さんが家をつくっているのを、見て、面白がって見続けている、そういう場づくりしていたんだろうね。

川勝:それが作家なのか一般の人なのか分らない。

佐藤:地方は少子高齢化は過ぎて、失われた30年のもとであらゆるものが行き詰ってるから、地方で生きている人を元気づけしないと・・・そう考えているんでしょう。地方から大都市に向かってジャイアントルームの活動のようなのが浸透し始めているのかな?

川勝:逆に京都に住んでいると秋田市文化創造館のような場があまり無いので、羨ましいなと思います。
佐藤:この30年で沈没しちゃったので地方の方がポストモダン社会の交流へ移行しやすいので新しい事をしやすくなっているのだと思うね。その事が端的に分かり易いのが八戸市美術館のジャイアントルームと関連する書店やイベントを行う施設の相互のあり方でしょう。居場所にもなるんだけど美術館が付いている公共施設、持ち込んで飯を喰ってもいい場所もあった(笑)


秋田市文化創造館のイベントより
会議のあと呑んで食って交流できる、例えばアーキフォーラムの活動としても自由に使える公共施設があるといいのよ。

川勝:そういう場所があるといいんですけどね。都市部だと本当にないんですよね。

佐藤:アーキフォーラムについて、今日はこんなことでいいかな?
川勝:アーキフォーラムについて今話せることはこの程度です。

佐藤:今年度6回開催してみて、どうなっていくのか。「やめよう」という話になるのか「続けよう」となるのか?
川勝:どう続けて行くのか、考えなきゃいけない。

佐藤:個人で運営していると家族や友人の影響を受けやすくなる。で外部に出て活動するようにはなったけど、それも面白い。場所を決めてアーキフォーラムを続けるのもいい。建築的関西圏の私的な活動に興味がでているので、デザインイーストの顛末も調べることにします。
八戸市美術館で会った、森純平さんの活動例のように外国から表現者を年間60人滞在してもらい交流している事例もある。今は直接、外部(外国)の専門家と繋がっていくこともできる世になった。国内・国外共に自由に交流する状況が出来ている、職場の選択も同様だ。内外の情報も共有できるよ情報のハブ機能もそなえている活動拠点であってほしい。
再開されたアーキフォーラムの場が若い人にとってそういう場になるといいですね。期待しますよ。ここでお仕舞にします。今日は土砂降りにも関わらず歓待いただき、川勝さん奥さまどうもありがとうございました!


2022年7月19日  川勝真一さん語る、記録はこれでお仕舞です。最後前見ていただきありがとうございました。
制作・文責:佐藤敏宏 HOMEへ