HOME 佐藤敏宏のことば悦覧録 | 鷲田めるろ さん編 2014年5月29日 真夏日 01 02 03 |
03 鷲田:とは言え土地が誰かの所有物であるっていうのは まだ強いと思うんですね。だから土地自体とか家屋自体を共有のものにしてしまうっていう処までは 直ぐには行かないというか。とりあえずは誰か個人の物。所有ではあるんだけれどもそれを少しでも外の人が入りやすいような状態にしてくって いうのは大事かなーと思っていて。 佐藤:言葉と いうやつはなかなか都合良しなので、異なる他者とドンドン交流して行くって語っても 都合の悪い人は入って来ないようにするために 建築には壁が作られている訳で。その辺の処は他者との交流という言葉通り 使い込むということはなかなか無理。嫌な人が入ってきたり 浮浪者が入ってきたりすると 混乱してしまいますよね。 鷲田:でも金沢の場合はまだ、先ほども言いましたけれども、コミュにティーが小さいので鍵を開けていても、そんな凄いまずい人が入って来るというような危機感は大都会と比べれば低いとは思います。 ある程度人が入ってこれる所と 入って来れない所の境界線っていうのが 住んでる側も 外から訪ねて来れば 割とコンセンサスとしてここまではこの建物だったら入っていいとか。 そういうのが形式として共有されているっていう意味では 町家という形式はまだまだ活きている。 普通の住宅の洋式のドアだったら なかなかそこを開けて入って来るというは入りづらいけれども 横に開く ガラーとした扉だったら、鍵が開いてれば開けて「御免ください」ぐらいは入ってもいいかとか。そういうちょっとしたことですけれども。 佐藤:同じことの繰り返しになってしまうと思うんですけれども。 美術館の場合は目的や機能を絞ることで、その目的を必要とする異なる他者がドンドン入って来れるように設えてあるわけですけど、修繕された町家の場合は現代に合った機能をさがしあぐねてて、誰でも入って来れるような これないような宙ぶらりんなカタチにはなっている。 鷲田:そうですかね でも泊まっていただいた所は機能としては宿泊してもらう場所っていうふうな機能にはなっている。 完全に目的の無い改修になってしまうと 確かに どうも使われない っていうふうになってしまうかも 分からないかもしれないですけれど。 佐藤:その当たりは将来微妙に変わりそう だから面白い可能性があるともいえる。 鷲田:なんからの目的は使われる為には必要じゃないかなーとは思いますけれど。 町家を改修しゲストハウスとして活用している事例 佐藤:そこに集まった人達が機能をつくりあげていくみたいなカタチであってもいいかなーと 思ったりもしますけど。 まずは町家に興味のある人が集まって、宿泊所として使ったり、交流する場所だったりすることで 始めるしか活用方法は無いと思いますけど。 鷲田:今 町家ゲストハウスの話しとCAAKの話し飛びますけれど。レクチャーとかパティーで使っているCAAKの町家の方の建物もまずは2階が建築家の人のオフィスとして使われているというのがまずあるので。そういう目的があるから、とりあえず建物自体はほっといても維持されているという状態で。 それの一部余ったスペースを割と共有的なレクチャーとかパーティー的なスペースに使っているという感じなので。まずは建物が使われる目的というのが確保されていて、それの以外の余白のスペースというのを色々な機能に 共有の場所として使えるようなカタチであるのが 割と状態としてはいいんじゃないかなーと思うんですけど。 佐藤:インターネットが2000年以降急速に普及して、活動を他者に伝えやすく 凄くなりましたよね。全体的に見渡し易くもなったというのも、古い建物を使い込みを自分達自身で使ってみて 他者に伝えるというのは やりやすくなってます。 町家活用感染といいますか、広がって行く可能生も広まっていますよね。自分達の町を再発見したり 自分達の足下にある古い建築の使い方を再発見したりして、という傾向は出て来ているので。 その当たりが6年前来たときよりは だいぶ金沢の人々の場合は具体的に広がっているなーという感じがしましたね。 前回は気合いは入っていたんだけど スリップしちゃうんじゃないかなーという感じはあったように思うんですけれども。 KAACにある熱はどうなっていくのだろう?と。 そこが安定して安定した。拠点も3ヶ所ほどに増えて具体的に動いている。そういう意味では面白い展開が続ていて、最新鋭の21世紀美術館と古い町家が具体的に共振しているなと感じましたです 鷲田:もう一つ広がったことと言えば。前からというようりも2009年にベルギーに半年間滞在しまして。その時に向こうの人達のホームパーティーというか。あまり居酒屋とかに行かない。人を家に招いてそこでご飯たべたり。おしゃべりをしたりするっていうのを観て。 日本だとどっちかというと居酒屋に行ってするじゃないですか。その辺どういうふうにしてるのかなーっていうのを考えていたときに。一つの伝統的な方法、茶道というがあるんじゃないかなーと 佐藤:お茶会ですか! 鷲田:お茶会っていうのは元々人を家に招くような形式なので、そういうふうな、茶道を参照していくっていう手も ないかなーっていうので 佐藤:お!新しい展開が起きてきましたねー 鷲田:はい、それと町家とかの関係みたいなもの。それがも一つの新しいテーマとして出て来ているものであるのですね。 もう一つの背景にはベルギーで、美術のコレクターが凄い多かったんですよ。で、それはもちろんお金持ちが 沢山の作品を集めているコレクターというのも居るんですけれども。裾野が広いというか、5万円とか3万円とかぐらいの安い若い作家の作品を割と気軽に誰でもが買うというようなことが日常的にあって。 私が会ったのが美術関係者だというものもちろんあると思うんですけれど。それでも日本の色々な美術関係者が作品を買う率よりもはるかに日常的に彼らが購入していて。 それを綺麗に家に飾って、人が来たときにそれぞれ紹介をしてくれたりとか。そういうなのが多かったんですよね で、日本の場合いに美術のマーケットっていうのが どう育てていくか。日本でもそうだし 金沢の方で現代美術のコレクターの人が居ないなーっていうふうに思ったときに。 う〜んそれをどうしていったらいいのかなーというのをベルギーを観ながら考えた時に。 とは言え日本の家に作品って飾れないなーと。ふふふふと。 それはもしかしたら床の間みたいな所 そういう道具みたいなことに日本の場合にはなっちゃうのかなーっていうのもあって。 佐藤:現代美術の作品を自分の生活と地続きにある人間が生み出しているものだという意識は少ない、美術をどう普通の家であつかったらいいのか分からないのが実情でしょうしね。 生活の一部になりにくい という実情は理解できます 鷲田:逆に佐藤さんのところみたいにガムテープが張り巡らされてるという状況というのは、はある意味 佐藤:一般の人には激しすぎる絵柄だとおもいます はははは (聞き手の住空間 日々ガムテープ・アートが増殖している) 鷲田:生活の中に美術が入っているとも言えるかと思うんです。コレクターと言うときはそういう感じじゃないじゃないですか。 佐藤:我が家の場合は妄想が作り出すアートだとも言えますが 夢中になり指先から血を流してしまう ほどに ガムテープアートを制作することで 自分の症状を癒やしている行為でもあります。 表現者っていのは ある種の意識をアウトプットすることで 自分自身を癒やすということもあるのだろうなとも推察してみたりします。 なぜ表現者になっているのか分からない作家も いたりするということもあっていいわけですが。 既存の価値に合った美術作品に仕立て上げられるって言いますか、生活の空間と切り離された場で のみ 美術作品として成り立つ ような建築的な場ばかりで 作品を観てしまうと。生活の場とアート作品が離れて存在してしまい 美術の可能性が小さくなる そう理解されているとも思います 鷲田:そっちの方が今の日本には多いと思うんです 佐藤:既成の制度が美術作品を作っているというか。保障しているというか。そうい既存の形式ののなかだけじゃない、そんな美術作品も いいと思いますけどね 鷲田:だから自分達の応接間として21世紀美術館を使ってもらって、それはそれでいいんですけど ともにふふふふ でもまあ 自分達の生活の中で美術というのをどうつないでいったらいいのかなーと。 佐藤:安土桃山時代 中世にもどるって感じですかね。あらゆる事態がですね 人間の在り方、それから生活のしかた。戦後あまりにも機能分解して発達したしまった。そこで 多様な事態を もういちど。未分化な状態に戻すか? いったい何処まで戻れば快適なのか?難しいですが。縦穴住居までは戻らないにしても。文化が華やいだ安土桃山時代のあたりまで戻ってと。お茶と政治と美術と暮らしが渾然一体とある 暮らし方。 鷲田さんの家に炉が切られ、床の間には美術品を飾って。他者と交流していくって、仕掛けを持つた というのは 今後の生活の一選択肢、暮らし方方法としては面白いですね 鷲田: ゲントから帰った次の年に金沢工芸トリエンナーレという展覧会を担当して。その時に金沢21世紀美術館が工芸をどう取り扱っていったらいいのか。 ごーごー強い 風が吹いてきて 聞き取れず 切っ掛けになっているという感じですね。 佐藤:金沢の場合は多様な事態の距離が近いけど、盛り場の食べ物にしても、21世紀美術館もしても 私の今回のmy活動拠点である町家から歩いて30分以内にある 距離が短い場にありますからね。大都会に比べれば圧倒的に多様な状況が 直ぐ傍 身近にありますからね 鷲田:そうですね 佐藤:金沢のよさを活用して状況をかき混ぜながら新しい事態をつくりだしていくには好い環境にありますよね 鷲田:その中に 作家の人も居るから。例えば竹だったらこの人にと 佐藤:金沢職人大学校もありますし。ギリギリ間に合ったような状態で伝統的な技術も保たれ継承されている。 鷲田:必ずしも非常に高い技術じゃなかったとしても、誰か知っている友達が作った物とかいうのは、それは価値があると思うし。そういう価値はますますこれから大事じゃないかなーとは思うので。そういう意味でもコミュにティーが小さいのは メリットかなーと。 佐藤:長年・建築系の若者をまねいて我が家で聞き取りをしたり 出前、聞き取りしているのですが、新しい建築ばかりに目が行ってて、 町の歴史の文脈の中で建築や物をつくったりする 古建築を作り出した思想と連携し継続するかのような姿勢がないんですね。 新しい建築を作り出す専門の仕事だけでは 地域からも歴史からも存在や建築が浮いてしまうような状況が生まれるだけだと感じています。 イズムがあり宣言しながら専門家が造っていく状況が過去にはあったんですけれど、今 思い返すと建築とは少し違った状況だったよね まで変わってきていますね。 だいぶ変わったなーと。そんな中で古建築の活用を政策的にも 表現者との交流、それから職人さんたちの協働作業など 金沢は状況がいいなーと。 鷲田さんや林野さん橋本さん武藤さんなども居ますし。しっかりした古建築の技術を支援する専門家達、古建築を使う人々、それらが一体になって連携し生きて行こうとしている。それぞれが近い距離に暮らして居る 気軽 短さが良い感じだなーと。 東京に追いつこうという空気は無い。それもいいなーと。そとから来るとそう感じるのですけれど 中で観てその当たりはどうでしょうか 鷲田:京都コンプレックスみたいなのはもしかしたらある。どっちらかというと金沢の場合は伝統を売りにしているときに、伝統を売りにしても 京都には勝てないねみたいなことはあるかも知れないです。 佐藤:そうですか。 5年後またその後の展開を聴きとりに来ます。これからの皆さんの多様な展開楽しみです。ここで終わりにします ありがとうございました 鷲田:ありがとうございました 2014年5月 鷲田めるろさんに聞く ことば悦覧記録を読んでいただきありがとうございました 続きは2019年に聞き取りをおこなう予定ですお待ちください 文責 佐藤敏宏 |
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