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2013年 9月の日記 10月の日記へ |
9月30日 29日に仙台に来て 1日中わいわいし問題を話合う。知り合いの家に行き呑みダベル。今日は仙台で目覚める 午前中my長女とわいわい。 ドイツ勤めて半年のmy長女休暇を利用し1週間ほど仙台に滞在中に不要な荷物の整理などしつつ今後のことを情報交換をした2日間 |
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9月28日 快晴 今日は喜多方から会津で古建築を体験勉強しつつ ヘリテージマネージャー育成講習会。 7時半 稲荷神社前から建築士会事務局の岸波さんの車に便乗させていただき 会津盆地へ。 水田が黄金色に輝く秋晴れの中順調に進み 9時過ぎに喜多方の大和川酒造駐車場に着く。1番乗りかも_ 10分ほど後 矢木沢さん、三浦さんが名物喜多方の朝ラーメン喰って「 美味かった」と連発し駐車場に着く 4人でショットを決める 10時〜 大和川酒造の 蔵を借りて勉強開始 喜多方市教育委員会の山中雄志博士による 喜多方の蔵の歴史と 現状の課題 甲斐本家の蔵群のこと 喜多方まちづくりセンター 主任研究員の 金親丈史さんによる 嶋新商店38間蔵について。講義後 喜多方の蔵巡り まちづくりセンターがあり主任研究員も常駐している 古建築継承するよーの本格地域であった。 一重さんの陶仏懐かしいので2ショット 煉瓦を焼くための登り窯も復活させたとのこと 講義のあと町歩き土蔵見学も終え 喜多方建設事務所の新関永さんの軽快な段取りしていただいた元・豆腐屋さんの民家を活用し料理店となった つきとおひさまで昼食 店舗にはマックが置いてあり 喜多方の古民家とマック関係は楽しい 何か地域と世界の新しい関係が生まれ出る現場の気配を想わせる 昼食後 会津 末広酒造の酒蔵に移動。 建築士会会津支部の面々(荒川・和泉・舟木さんなど関係者一同) 仲良く連携し粘り強く古建築と建築士の関係を拓いて素晴らしい連携講座を聴き入る。 大観光地会津ならではの建築士の生き方に拍手。 講義の後 新城社長の軽妙なガイドにて 蔵内をくまなく見学する 気になっのは ウォークの香りを付けるための樽酒積め熟成酒 酒の香りに包まれながらの酒蔵見学ともなった 興味ぶかかったのは 酒米の生産から酒造りまで一貫して 大都会消費者と会津の酒蔵人が連携し新たな関係を酒造りによって生み出している点は面白い 酒造りを通して新しい体験型観光のをつくり拓いているようだ。 唯 カタログをなぞる観光旅行は既に古いことを 都会の観光消費者は知らせている 管理が面倒だという my酒樽 12万円もなかなか魅力的 酒蔵の香りに包まれた 勉強会リッチであった。 今回も斎藤隆夫さんの巧みな進行手腕にて 盛りだくさんの古建築に関わる有益な情報を得ることが出来た 感心することの多い秋の会津勉強会だった |
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9月27日 さわやかな季節なり 10月10〜11日に早稲田大学教育学部 花田達朗ゼミ生が福島研修旅行に来ることになっているので、その下準備を2月ほど前からシコシコしている。 総勢22名ほどだが 行動計画ようやく予定が決まった。今日は講演依頼をお願いしている新聞社の方々に決まった予定表を配りながら再度 ご挨拶回りをする。 今時のゼミ生は動きが悪い まとまらない とゼミ長は語る。 直に何でゼミ生来ないのと質問される。 どちらも まぁまあ。 フクシマ問題の数々を多くの人に知ってもらいたいので 俺はうろうろ下準備を 買って出てしちゃいます 大学が就職予備校化して 基礎教養を身につける場では無くなっている=就活の場 に成り下がっている というお話は バブル崩壊後多くの場所で 語られ続けていることだ。アメリカ並みの競走社会(格差拡大社会へ)を目指す 現政権下でますます 学生は好きな企業に勤めることを目指すばかりのようだ と俺は推測している。 やっぱ安定したいものね〜 (人間らしい幻想なんだけど) 10月10日交流し学生に直接 その話を聞いてみる機会があるかもしれない 今回のサポートで どの領域にも所属していない(=所得の当て無し) 俺がゼミ旅行を仲介するときの問題を多数実際に知ることになった。 福一原発災害後に福島に訪ねて来て フクシマ問題を知りたいと思う人は多いだろうし、今後もダークツーリズム風味の旅行客の潜在数は増すばかりだと思う。それらを活かし経済効果を高める 地域が生き延びるための力に変換する何かが要る。他者の 対応したフクシマ問題を知るための 総合機関を作必要があるが まだない。機関の全体像や 対応するためのスキルや対応術の いろはを教える教育者や フクシマ案内人を育成する組織ができたら いいなーと思う ■ 研修旅行 予定のあらまし 10月10日(木) 午前 市立大波小学校訪問。校長と地域の人の 話を聞く 午後 福島民報社訪問 夜 「ふくしま復興支援フォーラム」に参加 終了後 ゼミコンパ 10月11日(金) 午前 藍原寛子さんの講義を聞く 午後 福島民友新聞訪問。 夕方 飯舘の方と交流 ■ あすは宮城歴史資料ネット発足 10周年シンポがある。 建築班で関わっているが欠席し ヘリテージマネージャー育成講習会 喜多方〜会津現地見学に参加 記念シンポの方は 動画を撮ってもらい 後日 視聴参加よてい 村田町の古建築群への対応の報告については 町石黒伸一朗(村田町歴史みらい館)さんの話をに直に聞き交流したかた (シンポ・プログラム内容を見る) 河北の記事をペタン |
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9月24日 3月に離日し ドイツから一時帰国する my長女 を迎えに仙台空港へ。 秋晴れで爽やか いい季節 台風はやって来るけど。アクセス線車内は各地の訛り 混じりあり賑やかだ。 仙台空港アクセス線 席の前に2人。おばあちゃんと孫が飛行機を観に行くようす。秋晴れの日差しが町並みを立たせ 孫は オムツをしているし オモチャはスマフォと東北新幹線のプラモ スマフォで世界の列車の動画を観つつ プラモを動かしている 2〜30年すると 目の前の孫が社会を動かしていく きっと面白いに決まっている 大都市で情報を自在に操る オモロイ社会人になるのか 情報の渦に巻き込まれあえぐのかは分からない my長女 到着時間1時間半ほど遅れる 仙台空港3階のそば屋で遅い昼飯を喰らいわいわい ドイツの働く環境と 研究室の環境、そして 研究者への支援体制 それから 住居の大家さんとの日常の関係を聞くと うらやましい限り である 同時に 日本の現在の社会状況の悪さが一層たちあがり なんとかしないと お金も人材も知恵も 海外流失してしまうのではないか と妄想が襲い来るほとである ■my長女は日本の女性としては 変わ者だと思うが (俺の娘だから まともには育っていない) メルケルさん系が選挙で圧勝し メルケル政権は続きドイツ一人勝ち状況が予想されるもとで ドイツ国家プロジェクトに入り研究。 日本を離れ世界を舞台に 研究者として活動を始めた件は幸運の4階建てぐらいなものだ。 その路を拓いた娘の一歩目の判断は 間違いでは無かったようだ。 ■ 夜 東北大で近世史を研究し続けている my長男も帰ってきて お土産のドイツビールを 呑み比べ わいわい情報交換盛り上がり過ぎるなー 日本とドイツの研究者の置かれた環境の違いの話に移ると さらに〜盛り上がりすぎ 研究者を酷使 自殺者まで出すような 後に就職出来ない現実もあり 日本の研究者の環境は 成り手がなくなるだろう、 発展途上国の 特にアジアの日本系 研究者しか 集まらず 日本の研究者は メタメタになるだろうか? 建築系デザイン系に限らず 若者を見続けていると この5年 一時的にせよ 海外へ 脱出する者が多くなった 100年後当たりに 日本が世界の過疎地になる前兆なのかもしれないが 老人の俺はその様を 確認することが できない 日本の若者ややる気のある者の力を発揮させる ような 社会に作りかえる 政治状況はいつになったら出現するのだろうか。国民国家という概念が消えてしまい 自在に交流交通するのが当たり前になるのが 先かもしれない 対話力が物を言う互いの力を発揮させ合う 社会の出現だなきっと 日本での現政権の格差ドンドン進める逆噴射 政策は まだまだ続くので 未来社会へ参加の 出遅れ感は否めない |
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9月23日 my長女が明日 ドイツから一時帰国 するので 午後各駅停車で仙台の疎開部屋へ向かう 夜 オクトーバーフェスへ My長男と彼女などと 行く 1000人ぐらいか大賑わい ここは原発事故など無かったかのようである ドイツの地ビールをたらふく呑ませていただき 脳味噌空っぽの爺さんになり 近頃の肩こりを飛ばす 仙台は東北で唯一 勝つ都市 なので 今年の春から 放射能・疎開部屋も設えてもらって行き来している。今夜は久しぶりだ。仙台を 勝ち都市の様を 継続的に観察できるので 面白い 。大阪や京都と比べると やはり ●△□であるよ 真ん中にステージもどんと据えられ ドイツ人兄弟・妹が世界中の有名な曲を歌う 客はステージに寄りつき わいわいやる 少し 都会らしい 男性の方も女装し盛り上げているので2ショットして記念にする 彼にスマフォーで早カメラ出し を教わる 親切である 人は人間が作り出した発明品 都市に住むのがよい 都市の定義は難しいが 今後都市内の高齢化問題も 今後 田舎を離れ戦後を支えた都市内高齢者の問題も 大きくなるだろから 注目したいたい ドイツ地ビール色々在りすぎて たらふく 好みは濁りと渋みが無いすっきりしたそれ・・ややそれは 日本の大手メーカーのビール味に 飼い慣らされてる俺の味覚 じゃないか〜 |
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9月22日 台風が去って 日々 9時半に 京都大学原子炉実験所助教 今中哲二先生(右)の福島のオフィスを真木 先生(左)と講義依頼のため訪ね快諾して頂いた。12月中に開催予定となる 今中先生に講義を引き受けていただき 一段落 12月の講義が楽しみだ フクシマ問題の道程は長く複雑で多重だが めげずに一歩 一歩 庶民の視線から記録整理し 後世の人々に伝えたいので 試行錯誤していこう 来月の課題には 色々節目がついたので グッタリ過ごす 日曜日 |
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9月20日 20mSv/年 少し下回った生地なおので 賠償金無しよ地域、 (若い人が居なくなっている事実をどう考えつたえるのか は難しい 放射能があるから危険な地域である そう受け止められる 書き方やマスメディアの編集しかたは この地域に暮らす人々にとては大変な迷惑だ! 戦後の一次産業を疲弊させる政策によって疲 へたへたになり続けていた地域が 放射能公害によって駄目を押された感がある 救い出す手法無き 我が生地の 多重なる不幸を 早稲田の学生に体験させるべく 右往左往している 大都会に接して観ると すでに 福島原発事故の事は忘れているかのように はしゃぎ以前と変わらな様子である。 見にくい自分の身体の部位や老化や 傷跡を 観ずに生きてしまう様と似ていて 人間の営みとは一方でとても残酷だ し 一方で 客観視すれば だから人間は 生きていられるし 面白い存在なのだ ■ 校長先生の対応については 連休明けに 電話いただくことになった ■ 仮置き場の様子を 動画にとってアップする 日本初の仮置き場(=原発事故による放射能廃棄物を中間貯蔵施設ができるまで 仮に置く場所 )の今日の様子と 周辺の秋 の様子 頭には除染プラザの民家の除染の様子の模型 それから測定器の数々を入れた |
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9月19日 俺が歩けば除染工事に当たる 福島市内 とうとう my建築周りに除染 左上は土中に埋めたり 真ん中は 積んだりして福島市内は仮・仮置き場だらけだ このまま動かないと推測しおり ■ 早稲田大学教育学部(新聞学) 花田達朗先生のゼミ生 21人ほどが福島に来て 福島研修旅行を10月10日 11日の2日間行う予定だ 先生とは 東大の教授時代を含め 計14年ほどの付き合いがある。 同時に早稲田大学ジャーナリズム教育研究所のHPを俺がデザインし立ち上げ 日々 世話しているので身内というか 同志と呼ばれている。 フクシマ問題を多くの人々に知っていただき継続的に考えて欲しいので 諸手を挙げて 研修旅行のお手伝いするよ フクシマ問題とは何か?を正しく伝える方法は沢山あるのだが ゼミ生が知りたい事が何か?どうもゼミ長に聞いてもまとまらないので 俺が勝手に日程と合う人々を決めている。「なるべく多くの 現地の被災者に会わせて声を聞かせて欲しい」と先生からのリクエストがあるのだが、 福島市内の路を歩いている人はほぼ 311の福一事故による被曝被災者なので 手当たり次第聞きあるいても 十分目的は達成出来ると思うんだけど 少し抽象度を上げて まとまった話が良いだろうと思案中 50年前に俺が卒業した 小学校(母校)は 戦後政策と少子高齢化や 全校生が311によって生徒が1人なので 母校を訪ね校長先生の話を聞くのも好い と考え 母校を訪ねた 誰も居なかった ■ 福島の旧市内は 除染工事が真っ盛り である 猫も歩けば除染工事に当たる様だ 曽根田駅の傍にある my建築 BOX12の周りにも 放射能汚染廃棄物が 積まれたり 埋め込まれたりと さんざんな風景を見せている 久しぶりにmy建築・BOX12で働く人々とわいわいする 屋根外壁を塗り替えたとのこと 内部は相変わらず よい感じ 建築文化掲載 BOX12詳細情報へ ■ DE メモ 動画をつくりアップ 9月15日土砂降りに遭い 撮った簡単なメモ動画 (外暗いので残念) 岡田栄造先生企画 中山英之さん会場構成で 大〜人気 でした。http://youtu.be/Sil176N58dA |
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9月18日 大阪から福島まで 中秋の名月で ある 大阪から移動だけ 車窓を観ていると 秋めく様子が分かる 途中早稲田の花田先生と会いわいわいするの メールの都合で 時間調整出来ず ■ 6時半からふくしま復興支援フォーラムに参加 中野聖乃(さとえ)先生の講義 米国がマーシャル諸島共和国ないで起こした 水爆実験による放射能災害の色々と 時間の経過によって起こる 島民への被害の数々と現状の報告 島民の精神疾患の様子や自殺の内容など聞き漏らす |
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9月17日 大阪 台風一過の快晴 新田正樹さんの事務所を訪ねる。この5年間の活動を聞き取る。新田さんとは同世代だし 25年ぐらいの付き合いをしている。浪速のガウディーと言われたが 長年仕事が無く 生活は大変なのだが しぶとく建築家として生きている。 近頃 よき発注者が現れ 意気揚々であった 建築家に仕事を与えると元気が出るということだ。 また南アフリカで育った日本人がwebで知ったそうで 修行に来ていて お母さんに息子をよろしくと 直に頼まれたとのこと ご機嫌だった 夜 事務所で友達呼ぶから宴会しようということになる 大阪には知り合いが多いので 1人1人会っていると切りが無く へとへとになってしまうので 連絡しないで 大阪入りしたのだが やはり多くの 友達集めるとのこと。体力が無くなっているので 3日で切り上げる予定で大阪にきて よかったと思う ■ 新田さんの聞き取りを済ませ 今回活動目標 3人目の聞き取りへ出る。 今津康夫さんの事務所に向かう 今津さんは事務所を移転してて 新田さんの事務所から徒歩 10分ほどの目と鼻の先だった 中之島傍の橋のたもとで待ち合わせする 今津さんは大阪大学を出て 共同住宅を沢山つくっている 遠藤事務所を経て 独立した方。 5年前の ことば悦覧活動時に 柳原さんから推薦していただいた。仕事は 建築と インテリアを着実にこなし 学校でも教えているようだ。 世界のデザイン・メディアに ドンドン投稿し出ているとのこと。もともと落ち着いている人であるが この5年でかなり安定した感じだ。 場所は大阪の中心になったが 3人でのシェアオフィスは そのままだった 1時間ほど聞き取り 新田事務所に戻る ■ よる の宴会が始まる 歌先生 楠本さん 3日連続で幸家さん参加 ヘンロ小屋プロジェクト知らない人多いでしょうが 歌一洋 教授とは 25年ぐらいの付き合い。 10年ぐらい前我が屋で ヘンロ小屋プロジェクトの講演をしてもらっているのですが 「my記録に目を通せよ」と言うても ほっとく 目を通さない というか 歌さんは文章が苦手なんでしょうかね ようやく 公開する気になったのかもしれない それを気になって遊びに 来てくれました 年寄り達が酔っ払って ぐだぐた 言う言う 長い夜であった それにしても お姉さんとほぼ縁が無い大阪であった 可愛いお姉さんと友達になるよう 精進せねば と思うのであった |
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9月16日 大阪谷町あたり 昨夜は ライブの あと レコードにアンプで聞かせる ジャズバーに行きビルエバンストリオを聴き 幸家太郎さんと別れて 彼の改修した古民家で寝た 昨夜は台風が来ていたひどい 土砂降りの大阪だった 目が覚めると 大阪の谷六 当たりの改修なった古民家の中だ。 隣に暮らして居る老人達の生活音や 目の前が中学校なので授業の時を告げる音楽がなる。 大阪の生活に浸る気分満点だ。 幸家太郎さんが設計し 器用な 幸家さんが自力改修した古民家である 明日まで ここに滞在し 幸家さんのこの5年間の活動を聴き 後 友達に集まっていただき 古民家改修後の活用方法をワイワイしつつ 使い方の?見本を示す 会をする 幸家さんとには我が屋にも 2度来ていただいたし 20年弱の付き合いがあるかも知れない ■彼の仕事についてのメモ 大阪の古民家に楔型台形の白い箱を1階2階それぞれに設置した改修である。改修後 出来上がった建築的意味は、都市構造に似た建築を古民家を使って顕在化させたことだ。そこには新旧の時が織りなす都市風景が生まれていると言ってよい。 古い建築に新しい時間や新しい都市的変化を内包させてしまった古民家に成っている点が 好い 古民家の旧各パーツには ここに元住んでいた 人の移動がつくりだした痕跡があり懐かしい時を示している 例えば、階段の踏み板のまろみや 柱の方々にも生活の傷が遺されていて 新旧の時間と物の共鳴が同時にある まるでここは 都市の状況のようで 心地よい (同じ事を二度書いた) 古建築の活用は 古い=立派= 大切にしなければの様なステロタイプの 関わり方 ワンパターンが多いのでうんざりするもんだ が この古民家は新しい建築てき構えを挿入することで 時間と新旧の物が攪拌同置されていて 新鮮だし 場の意味が変容していて かつ 解体せず残った意味もある =新しい古建築の活用方法の一例が提案されている。 だから気持ちがよい 「借り手がまだ 居てない」 とのことで「じゃー俺が勝手に使うわ〜」と申し入れしたら 持ち主がOKをだした。 一時的に 旅人の宿として 転用してしまったわけだ my星座型居住を ここで 又一つ手に入れたと言っておこう ■ 夜 活用方法を話合う 幸家さんの友人知人が集まり大盛り上がり 今夜は会議と宴会場と 宿とに変化した 古民家である 集まった人 幸家太郎 ・正木悦子 上田容史 中澤勇 山盛 さんなと もつ鍋わいわい |
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9月15日 福島どん 台風の影響で大阪土砂降り 2008年秋から始まった デザインイースト(DE00〜O4)は今年で5回目の開催となった。14日から始まっているんだけど 1日遅れて参加。 早朝新幹線に乗り大阪へ 台風が来ているので 東京駅に着くと東海道新幹線の発車時刻は大混乱している 来た のぞみ自由席に乗る 3度ほど停車し 大阪駅に着く土砂降りである DEが始まる切っ掛けを知るには 柳原照弘さんと俺の関係を知ることが大切だ(笑) 我が屋に柳原照弘さんを 招き建築あそびを開いたのは2007年春であった(その時の講義録) my家人の病状況が悪化したので 出歩いて若者の声を聴き採り記録する活動にかえ ことば悦覧を始めた 2008年春。そこで 悪い老人ではあるが 大阪にも出向き柳原さんを煽った(その記録) 彼は 同時におこなっていた大阪若者たちの記録を読んで 記録の中の彼らに「DEを始めよう」と呼びかけた。 乗りのよい大阪の連中は直ぐ準備を始めた DEは 建築やデザイン系の会議が主である 5回目となった今年も大勢の若者が集まっていた 磯崎新さんは台風の影響で欠席となった (82歳のお爺さんを台風に遭わせるのは犯罪でしょうから) 代わりに若者に大人気の 藤村龍至先生(左下)が大活躍となっていた 着いてすぐ2ショット決めたが トークショウの原稿整理でお忙しだった 柳原さんも世界中で大人気のデザイナーとなってしまった 若者は30代大きく成長するので 観ていて頼もしい限りである DEを運営する紅一点のアメンバー多田智美ちゃんとも2ショット決める 安定したお姉シャンに成長している 会場は賑わい1000人以上は居る模様だが外は土砂降り 一度も参加していなかったDEだが一度ぐらいは様子を観ないと柳原さんに悪い 建築の神様が怒っているような土砂降りの中 ある 低気圧の中でワイワイは老人の俺には辛いものである ■会場において 建築の沢山の言葉も出て交わっていたが 最上階の 岡田栄造先生(右)企画 山中英之さん(中央) 会場構成の オランダの若きデザイナーたちを紹介する会場を体験する 俺にはここが 最も有意義であった。タイトルは 「My Thread マイスレッド」 後にユーチューブにアップできるように 簡単な動画を撮って 3ショットをする 中山さん元気であると強く思ったったショットである 中山さんとも近況情報を交換 ■ 葬式をはじめ各種会議 イベントに参加する意義の一つは 多様な人々と交流し情報を交換することであろう 俺の知っている建築系若者多数参加していたし 覚えてない若者にも多数声を掛けられた その中でファブラボ北加賀屋を運営している方の声が印象に残った 内容は 世界のファブラボの中心人物となりつつある 旧知の活動友の田中浩也さんの影響が日本各地に染みいっていて 新しい社会と 物作る人々の姿を想ってしまうほどであった 深夜会場では 有名人達が登壇し21世紀の建築状況をどう拓いて行くか熱い議論 やや藤村式であったが 熱い議論が続いていた 中山さんの時々発するコメントが 会場の若者の心を強く打っている事は 強く 印象に残った 岡田栄造先生には 「我が屋に お泊まりください」の誘いがあったのだが、台風に恐れおののいた俺は 大阪にとどまることにし 幸家太郎さんと梅田駅で合流し お洒落な ライブに参加し 踊りながら 台風をやり過ごすことにした 大阪を中心にした関西にはゼネコン就職依頼 40数年通い続けているが 明るいし 面白いものには度積極的に関わる 若者が何かを生み出す 精神的土壌と 多様な競走を支える人々の許容心がそこかしこにあるし 若者は失敗を恐れず活動するし 何しろ食い物が安くって美味い 大阪から戻って 福島市内の飯屋に入ると 数日は不機嫌になるものであるよ 「もうちょいうまい物安く喰わせる努力千回」 本当に福島市内の食い物屋は不味いし高いいし 競走も無い で 鬱気味に毎度 陥るのである 関西 DEは いかに次の世代に引き継がれていくのか 節目に来ていると思った DE04であった |
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9月10日 午後 だす ■ 朝一番に県庁の建築指導課の鈴木さんを訪ねヘリテージ系のことを色々聞く 多角的に考えられていて頼もしい限り 災害時でもないし 貴重な古い建築のような不動産=個人の所有物に税金を投入することが果たして可能なのか? その路を拓かないと 故建築は消えて無くなるだろうから もちろん現代建築だって在来工法が消えたように 消えるだろう。だから 故建築に限定された問題ではないので 古い建築を通して共有の方法をさぐる 試行錯誤の時間は要る ■県美術館の 若冲展長蛇の列だ ■時間を見つけ 故建築を見つけて歩く 現在建築は極度に表象だけで済む。 高度成熟社会の後の普遍的ともいえる手法で 生活実態と建築の関係はほぼ無い、だからそれが何であるかさえも想像を働かせることが出来ない物体建築が 出現しいるように思う。 そんな時空に生きながらの様々な建築を郷土にも出現させていておかしい。 それらを 空洞的現在建築と名付けてみようそ それを生み出している背景と 経緯や 受けれる発注者との関係を思うと色々想像できて とても面白い時代だし つくりだされる「新建築の根拠のなさを突き詰めると これは まったく新しい建築が出現する」とも思うので 将来が楽しみだ。 果たして誰がどれだけ考えているのか?は分からないから 方々歩きながら「ことば悦覧」をしてみよう。 そのような21世紀に合った若い建築家の出現が楽しみである。 古い建築を観ているとしみじみそう思う 変な お爺さんであるよ ■ 2008年に始めた、日本各地の30歳前後の独立系建築家に聞き記録する 「ことば悦覧」という私的活動をしているが 5年毎に聴き採り20年間続ける 今年はその第二回目の5年後になっている 311大震災などあり すこしスタートが遅れている 9月15〜17日当たり大阪に出向き 再開しようと思い 大阪の若者に連絡など入れてみる 反応よし |
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9月09日 この数日のぐずついた天候を飛ばすかのような晴れ 朝から虫の音がきこえ 秋到来の様 ■ 昨日は56年ぶりに東京オリンピックが決まり マスメディアはそれいっぺんだった。おめでたいことではある フクシマ被災地の仮設住宅に関わる多様な問題や原発事故収束の見通しも立たぬ 除染が終わるのはこの先4年ぐらいは掛かるだろうなど 自主避難の孤立化と弱者化なども未解決で 事故から2年半経って問題は多様重層化している中で 首相の放射能による健康問題無し発言を含む お祭り騒ぎだけ流れるのは (若い人々に希望を与えるだろうことは理解しているが) が違和感が湧き立つものだ。 色々な人が色々な事をやるのはよいが 福一事故後の問題処理に対して政府の本腰が入ってない様は続いているので 被災当事者としてはそのような思いが先に立つのかもしれない。この国の長い デフレから脱し インフレにならないと 財政赤字が増え続けるだけだという理屈もわかるし 経済効果3兆円のオリンピックで明るいという未来が来そうだよという気分と希望もデフレ社会にあっては大切なのでまぁいい。 福一事故もその当たりでは解決しているといいのだが 廃炉まで50年以上掛かると東電のロードマップなので 無理か 首相が安全だの空手形を世界に向けての発したからには嘘つき首相にならぬよう 事故現場の対応 いままで以上に本腰を入れてもらいたい ■福島県内からの批判 記事例 虚構新聞の記事例 読むと 健全な気分が戻って来る感じ |
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9月08日 気温下がって24℃ほど 小雨なり あと3日で311から2年半が過ぎることになるがその間 まちづくりも 故建築の修繕も新しい建築の設計もしたし 原稿も書いた 色々あった2年半。近頃色々考えて やや気分が重たくなってしまうこともあるので、 建築を作ったりしつつ 積極的に社会と関わるようにしていこう (明るい話題がすくないので困る@福島) ■昨日は須賀川の現場に行く 元エア建築家となり 建築作るのも楽しいものだね。 現場に行くと 久しぶりのmy建築の基礎が出来埋め戻しが始まった 監督と2ショットする これから立ち壁が立ち上がると全体が判るようになるが 小さくて単純な建築、(段差が沢山あるので RCで作るのは難しいね) この1月の間に壁は立ち上がる ので楽しみ 建築は難しいね 以前のような複雑な建築を作るには体力と社会に力が無いと出来ないのかもしれない などと 基礎に立って思う 単純な構成だけど複雑な体験が出来る建築になる予定 ■ 2年半でフクシマ問題も複雑になっている フクシマ問題として主にマスメディアで消化 ていることと 福島大学の研究者や県内の行政マン、農業関係者達によって解決されたことも多いし 今後の多岐にわたる対応も 心強いのだが 科学的説得では解決出来ない 例えば放射能への恐れ 抱えてしまった人や 賠償金でしか生きられない例など話を聞くにつけ (月 1人10万円で5人家族なら 50万円入る ので仕事したがらないそうだ、13人の大家族も居て 地域内対立も起きたるのだそうだ)被災弱者の一層の弱者化にどのうように対応していくのか等 事態は深刻になっているね 重なって分かり難い点は 従来あった全国各地のシャッター通りなどの地方の共通した疲弊問題と重ねてフクシマ問題を語られることも混線は避けたほうがいいのだが 分けて話し合うべきなのだろう どこにでもいつでもある 地方の産業の振興 何によって飯喰うか?問題 20世紀型ものづくり産業では 21世紀てき情報と資本の集中化のなかで ますます難しくなっている との話も聞くが じゃーどうるればいいの?って解を持ち合わせてもいないようで 地道に次の社会を拓くためにワイワイしていくしかないのだろう 老化、フクシマ問題 地方の疲弊か ポスト近代化への移行期問題など もちろん家人の病も 絡み合い 俺の人生の晩年は予想外に複雑である タフでないと生きていけないね やりましょう |
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9月05日 午後〜夕方 一時ゲリラ豪雨ふう ■午前中 古建築を万世大路に沿ってみてあるく 物置になっているものもあり 所有者もどこに居るのか不明の古建築もあり 聴き歩く 報告書は 来年の2月に作ればいいのだが この機会をいかして 色々歩いてみようと考える これから2月ほどは天気も良いので 建築探偵もいいね ■ 今年はゲリラ雨が各地に発生しているし 昨日と一昨日は竜巻が埼玉から千葉に掛けて発生したようで 人家が壊れた様子など あり 海水温が数度あがり温暖化の影響で大地も海も 北の海で暖かい海流に住む魚があがったりと 異変続き 1時間に100ミリとか数時間で 300ミリ降雨とか聞くと 大災害を想像せずにはおれないね 天然によ穏やかにせよと言っても人間の活動が因縁で起きる気象異変 だ 今日は気象庁 | 解析雨量・降水短時間予報 を観ながら不安解消に努めた。短時間予測動画があり 観ていると 相当当たる スーパーコンピューターで解析雨量を計算し動画にしている模様 素晴らしいね ■ 昨日は家人が病で行った所業にて ガラスが割れ 雨漏りし出したので応急手当をして ゲリラ豪雨対策をした 翌日の土砂降りに威力発揮した もう少し対応したいのだが 現場の測量をし計画を立ててから動かないと 押っつけ作業になってしまうので 雨が上がるまで待つしかない ■3日福島市内の 建築事情も知りたいので 建築士会に入会してみた ■釧路の故・毛綱モン太さん(第一回建築あそび講師)の実家 反住器の写真が 山中新太郎さんによってFBにあげられていた。 外観と 内部の間仕切りの形態と テーブルの形が 3重入れ子になっている建築です 家具〜建築 多様に入れ子になっている現代人の主体の写しにもなっている 珍しい建築です 以下 山中さんの報告( 写真も山中産) 釧路で反住器を見た。ほぼ空き家状態だけど、ちゃんと現存しています。近所の和菓子屋さんのおばちゃんに写真を見せて場所を聞くと「あー、毛綱先生の実家だね」と親切に教えてくれました。釧路市立博物館ももちろん現役。建築の強いシンボリズムと北海道独特の間合いが空いた周囲の環境の不思議な親和性。釧路に行くと毛綱建築を受け止める空気が良く分かった気がした。 |
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9月1日 後 夕方雷雨 あり 気流がみだれているようだ よるコオロギが鳴く ■ 夕方ドイツで研究者として 働いている my長女と なんとはなく世間話などスカイプ1時間 バウハウスやミースの初期建築など見学に来い! 招待すると言われいるが ヘリテージの講習会は来年2月末まであるので ドイツ行きは4月以降に行きたいものだ。1ヶ月から3ヶ月は滞在したいのだが 家人の病のこともあるので長く滞在は出来ないようにも思うが誰か助っ人がいると長期滞在も可能なのだが さてどうなるか ・ドイツとスカイプでワイワイしていると タイムラグが無いので 隣の部屋にいるのと変わらない感覚で話し合うことができる 高速回線というのは 凄いものだとしみじみ毎度思うことである キンドルで日本の書籍を読み 日本の本はAmazon購入できて (たぶん食品も買えるだろう) 医局で働いていたmy長女も 日本の生活空間にすこし外人さんが多めになったぐらいで ほぼ変わらないと話している。(英語でワイワイだろうが) 研究に関する指導者の在り方はコーチ的なのではないかと話しぶりから感じる 研究者の支援者とい在り方かも知れないな あちらの方がお互いに力を発揮し広がっているように感じてしまうのだが (日本の研究実情を知らないので断言してはいけないね) ■ 昨日はヘリテージマネージャー育成講習会に参加する 廃れかけている木造の技術を学ばないと 古建築などの保存や修繕に関わることは難しいので 木造について 工業高校以来かもしれない 木造模型を使って勉強をする デザインとは違うので 古来からある木造建築の技や匠を多角的にワイワイしたり 大工さんをはじめ 設計者 構造家 公務員の方々など 多様な人が参加しているので 盛り上がる 毎回 事前準備を整えていただいている 事務局の方々には 頭が下がりますね |
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