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 7月31日 カンカン照り 毎日水風呂に浸かるのが楽しみ、水風呂に入り体の火照りを取り除き安眠すると よく寝れる 熱冷まし足の裏に貼ると安眠効果大 鼻が悪いので空調はだめなので この方法が合っている

■メインの活動は鮪立女子会大大会なのだ。明日から数日鮪立で活動なので 色色段取りをする。こんなに頻繁に行く予定ではなかったので お金が無い。で安価な交通手段がまず第一手段。寝床は地域の家にただで泊めていだだくしかない 飯だってただ飯喰らいになろう

■ 住宅の図面を汗だくで書き続ける 8月4日現地で縄張りして最終確認し実施図を書き出す予定 暑いので順調に作業が進むかどうか分からない

■鮪立まちづくりワイワイのための新聞「宿藤鮪報・おらほう」づくり 2号目の編集作業を段取る 8日午後から夕方から宮城大で編集を始める予定 宮城大の3人がイラレ作業を手伝ってくれると申し出あり。ありがたし。
 自主的にボランティアで作業をしてくれるのはとてもありがたい。被災地の学生は手が動くので大いに助かっている気分がしていて暑さに負けない人の存在は大いに助かる 記事を多量に作っておいて 整理配置作業で切ってしまえばよいだろう。ブランケット版オールカラー4頁 初挑戦 漫画テーストに仕上げたいのだが センスが付いていくかどうか不明

■よる東大太田先生より長電話 学問と地域のありかたをこの機会に探求してほしい などいろいろ話す 


 7月30日 カンカン照り

 月末の銀行雑事を行う ついでに勝川俊雄著 『日本の魚は大丈夫か』漁業は三陸から生まれかわる NHK出版新書 近頃は雑誌が無くなって新書本が出る時代である

旬報社から『津波からの生還』東日本大震災・石巻地方100人の証言 を献本いただく 本を買うことが無い俺にはありがたい活字である 早稲田大学の花田達朗教授から送れとの指示が出て 田辺直正さんがおくってきたのだ 連携関係嬉しい限り

■昨日から住宅設計を再開している おおかたまとまったが模型まで作っている時間が無い。大都会なら手伝ってくれる学生もでてくるのだろうが 田舎町の福島ではそのような若者を探し出す方法がない

■鮪立自治会長から電話あり 予想通りのもめもめ模様 地域の人の傷の手当てをして歩かないといけない、それは俺の役割だろう。(地域にとっては大変不幸なのだがそこから抜け出せない人々がいる。被災した人々の高い台移転に関する防集計画には関係せずに、横目でながめつつ、鮪立まちづくり活動をすすめるしかない模様)

8月1日午後6時に鮪立女子会を開くようお使いをまわしているのだが 自治会長の話によると大勢集まる模様 日本初 被災地に女子会だぜー気合いを入れて頑張るだす (笑)ははは


 7月28日 カンカン 
昨日はぐったりと活動の疲れを取り除き 次の活動にそなえるために水風呂などに入り 体調管理にいそしむ

 ■今年度初 宮城資料ネット建築班出動依頼 があり 登米市米山町の元染め物屋さんの家屋敷と蔵を調査する 

カンカン照りなので 画板の方眼紙に日が当たり 跳ね返り目に入るので老眼の俺にはきつい作業であった 大きな家に現在の核家族のご夫婦が暮らしていた 手に負えないほどの広さであるかが 家屋敷内藪と化していた 米山町という名の通り北上川の氾濫は肥沃な米地帯をつくりだしている 水害はたびたび起こるので家財を守るために財ある者は敷地内に水山と呼ばれる 築山をもうけそのうえに蔵を作っている 

永年の手入れ不足で 土蔵から出る雨水管理がわるいので 水道が出来て地盤が緩み 蔵が傾いていたと想定できるが 311以降一層がたがたになった模様

スケルトンにする工事業者を探すのは難しいので市に解体してもらうのが好い判断ではないのかと 意見を述べる 。道路側に倒壊すると通行人に害を与えそうなのだ 母屋の大黒柱周辺も折れたり梁が外れかかったりして かなり危険な状態なので 応急に耐震補強をし住まうようお伝えし分かれる 

■帰りの夕方 石巻市の本間家土蔵により 本間さんとワイワイ 

2006年にまとめられた斉藤善之先生編 『陸奥国石巻湊・御穀船船主 武山六右衛門家文書』をいただく。。本間さんも元気である

 門脇小学校と連動し311大震災を記憶する記念公園など重要なトポスとなることだろう


 7月26日  今回の鮪立活動最終日 前半にはやませで寒かったが 後半ようやく夏らしい気候になる 明日は二度目の開口とのことで ウニとりの準備をする者多し  4区から1〜3へと活動の拠点を移したので上沢さんの家に寝泊まりしているのだが おとおさんとお母さんは仲良しで、一緒にウニをとりに行くのであれこれ相談している。 深い場所生きているウニは色が悪くおいしくないとお母さんが語っている わずか数時間の開口なのだそうだが ウニをとるのも初心者仕事では難しいのかもしれない

■ 自治会と高台移転などを話合う鮪立地区防災集団移転協議会の関係が切断とまではいかないが 正しい情報の共有化をすすめる努力がほぼ無いことによって起こっている単純なすれ違い 争いおもしろし なのだ。協議会を運営している人々の地域内発信の無努力と広報活動の怠慢が因でぎくしゃくし続けていると分かったので解決に乗り出す 

大方の委員に連絡をし個別に会いそれぞれの意見を詳細に聞きとる

ここでも起きていることは各種行政が行っている態度と同じ態度で起こる例の不信試合であった。行政の態度が住民の態度に写っているということ。明解に書けば協議会の面々は お金の落ちてくる方を向いてしか活動しいない哀れさ余裕のなさである。 鮪立の人々に顔を向け防災集団移転の委員の方々が活動していない、という単純な事実であった。 

 簡単に調整し引き続き 協議会の人々の頑張りにゆだね 自治会には報告をしてもらうが 自治会は協議会のためには実践てきなお手伝いしないことした。

 漁協の地域内関係改善努力無しと同じ態度が防災集団移転協議会の中にも蔓延しているという 落ちである。日本の近代的制度が生み出す 地域の人人の貧い生活態度であった

■この国が近代に入り150年弱とは言え この国の人々の態度というのは お金の落ちてくる方しか向いて考え行動する者しか暮らしていないかのような状況が蔓延している。この哀れさを変えるのは 教育や地域の人々で政治行政に係わる優れた者を育てることが出来る地域内組織を作り駆動させることなのだ。そのような組織が生まれなければ各領域が分断されたまま、お金主義者だらけの存在が継続されるだけだ。お金主義者から地域主義者の多い社会へと移行させることが 今日の閉塞的状況を変える唯一の方法だろう

気の長い話だが2世代ほどの時間を要すると推定できるので 俺が生きている間には合うことはない。まずは子どもを産み育て 地域を支え続けている鮪立女子会の立ち上げ本格活動から その路を拓く準備をすることが最も迂遠であるけれど直線の 万世大路ではないだろうか? 鮪立女子会の次回開催の準備を地域の方にお願いし 今回の活動を終えた

  

   大漁唄い込み保存会会長 自治会長 スタッフ+伊戸川さん 1区区長 

■ 防災集団移転の設計を市から請け負っている 伊戸川さんが偶然鮪立湾に立っていたので 憩の家で自治会長さんをまじえワイワイする 昨夜 功労賞にと頂いた鯨の歯効果早速現れる


台の越の設計をお願いし 15戸ほどで大きな面積の開発行為となるので6m以上の取り付け町中にはないので 唯一ある路からの取り付け道路が長くなることと 切り土処分の費用が多額になるので 1戸3400万円以内に納めるのが難しいような事を語られていた 。鮪立は平らな面が無いので 唯一 台の越を事業費を切り分けても予算付けして 実施してもらうよう地域内働きかけが肝要なのだが そこまで地域がまとまるのか?
  


 7月25日 

 気温の変化が激しい1日 大きな湯たんぽというか水瓶を抱えて在る鮪立湾に面する地域は太陽の照りなどの気温変化によって水蒸気の発生が変わり 地域内の湿度の変化が激しいのは理の当然なのだが 福島市の盆地に暮らす 俺にはとても希な環境と成り昨年手術した鼻の粘膜に悪影響を与えぜんそく気味の咳がとまりにくくなる 慣れるしかない

地域の人々と新自治会長の結束連携が強まるほどに、俺を追い出そうとしている鮪立3悪人の巻き返しの動きが激しくなるはずだと覚悟している。さてどうなるのかは地域の人人と三悪人の争いなので 静観し記録をきちんととることにしよう

スリバチ状の鮪立湾に面するほぼ中央の位置にある台の越が貝塚ではなかったことで 早朝から災害公営住宅や高台移転の用地とし確保しようと地域の方は動きだしている。行政はほぼこの地で確定するだろう。

一区の池田浜別家小松浩平さん自治会長さんが
一関の地権者に挨拶に行き測量同意と売却同意を得てこられた素晴らしい迅速な働きである。まとめることすら出来なかった鮪立三悪人とは対照的である。

小松浩平さんは昨日 鮪立湾周辺で釣ったカレイ20枚のうち10枚を私に喰えと届けてくれた方だ。多くの役員をされているのだが いつも話合った内容を丁寧に独自のノートにメモを執っている。メモを執るは鮪立地域では小松さんだけだと思う。自治会長は書類の整理が完璧だ。小松さんと自治会長さんのコンビは今後はもこの地域のまちづくりなどに対し好い影響を与え続けるだろう。まとまらない鮪立まとめようとしなかった鮪立なのだ!と地域の人々の誤解の根本が明らかになってきている。 今後も不穏な動きをするだろう鮪立三悪人(s・y・r)に対する 強い味方とし小松さんと自治会長さんはなるだろうと推測し平安にしている。

小松さんは漁協において鮪立湾ちくの運営委員なので自治会と漁協との連携と情報の交通がよくなり、まちづくり活動や地域にもよい影響を与えるだろう

■ 午後藤浜にある長い間お世話になった区長さんの家を出て 上沢さんの家に活動拠点をかえる。主の忠勝さんは大漁唄い込みの会長さんでもあり台の越を昨年から高台移転のよい候補地とし指摘し続けた方である。

住宅部会の個人の利益誘導とずさんな活動内容によってこの1年間は ほぼ無駄なおつきあいをさせられた津波被災者にとって救いの神となった方だ。 地域活動を永くされていたので呼吸もこころ得ている、若い自分には殺すと脅迫の手紙も届いたこともあったのよ と奥さんは微笑んで語る。何かをまとめる者によくある 逆恨みの一例なのだろう

 ■ 色色データを整理し 夕方水平の路の難所である 小裏さんの家にいきおばあちゃんに土地交換によって難所を解決したいので協力してほしいと願い出て 話し合う。鮪立湾地区で唯一の向陽高校へバイク通学している2年生青年は 俺の提案を気に入ってくれた コピーをとってもらい 家族で話合っていただくことにした 難所は解決するだろう

 4区の章夫さんの路は現在幅は2.5ほどしかなく 拡張するためには小裏さんの畑を削らなければならないのでその件も話をする おばあちゃんの生き甲斐である あの畑を削るのは心苦しいのだが 千年に一度の機会で今後起きないのでしかたがない。 少子高齢化と縮小日本の社会においては起こることは無いだろう。だれから与えられてた分けでないが 強いてかけば 使命は 現在行っている復興計画づくりは数々の難問を解決し拓くことである 

■7時から憩の家の和室で 1区の方々に集まっていただき 萌え土地や鮪立湾の水平の路へ繋ぐ路の話をする 初めて拝見する顔多し 鮪立地区は2,3区が大きな顔押して他の地区を圧倒していることが小分けにしまちづくりの話し合いをすると分かる  各沢ごとに分断され、かつ路筋ことに分断され職業別に分かれている鮪立地区は複雑きわまる人間関係を形成してしまっている。 人々を理解するには時間が掛かるのはいたしかたがない

飯を喰らっている時間が無いのであるが 今夜は一区区長さんの菅野京子さんからちらし寿司と缶ビール6本の差し入れがあり 大助かり。ただ飯を喰らいただ泊まりしつづける 活動に拍車が掛かってきた。今日の会合で特徴的だったのは 鮪立湾の津波被災地で唯一住宅が流されず残りそこに暮らす○久さんの若奥さんが参加して 防潮堤は要らないと宣言し 津波が来たら高台に逃げるから防潮堤で囲わないでほしいと語り主張されたことだ 個別訪問聞き取りしている時間がないので 丁寧な活動が出来ていないのだが 会合参加の呼びかけに応じていいただくことで まちづくり百年会の発する言葉に厚みと重みを持つことができると考えているので ○久さんには今後の会合にも積極的に参加いただき発言を願えれば嬉しい限りである

■会合後 一端福島に戻ることを主だった方々に伝える 

30分ほどワイワイし今後の方針と各自が何をするのか確認しあい散会 上沢さんに功労賞としてまっこう鯨の歯の盾をいただく。

1年前から 何もしない何も出来ないと宣言し まちづくり活動で地区内をうろうろしているのだが 地域の人にとっては役立っているとのこと 暖かい解釈に感謝をしよう

 夜おそく自治会長からレスキュー依頼が舞い込む 鮪立三悪人の仕業に対処して福島に戻ることにする 

 7月24日 

 昨夜の追い出し発言が起こり 地域の人々はその政治銘柄系使いっ走りの小者に対して怒りをあらわにしたことで 災害復旧工事の要望案に対して冷水を浴びせられたことでまとまる力は一段と強くなっている 

午前中 新聞2号目つくりのための取材をしうろうろ歩く 途中でサメの体から作った大きなお守りをいただく 区長さんの奥さんはmy長男にあげろと言う それもいいアイデアだなと思う
 
午後RPIの丸木さん都市環境研究所の高鍋、藤野、海老名さんと合流し 鮪立湾地域の人人の案内もえて 鮪立地区の魚集関連の敷地内立ち入り調査を行う 順調に進み 午後4時過ぎに終わる 4区区長さんの家で夕飯をいただく 地域の人がカレイ10枚持ってきてくれたので 焼いて食べる とてもおいしい

午後6時過ぎ 防潮堤の説明会が唐桑中学校で行われた 8時ほどで終わる 三井商店の実家に集まりワイワイする 震災時の多様な人間模様がかたられている

地域の写真を撮っているセミプロの方への震災直後の態度への批判が集中してしまい興味深かった たしかにプロのフォトジャーナリストは鮪立の人、彼らが語る 地域の写真家のよな振る舞いを行うことは絶対しない。

なぜなら 写真を撮りつづけると現地の人々から嫌われることを知っているし、そのように教育な専門写真家としての教育を受けているからだ。 被災地で写真を撮るのはとても困難な作業なのだが、被災地で生きている者が写真を撮り出すと そのように批判される酷い写真家のありえない超酷い態度が起きてしまうのだ 被災地の人々被災地の人の写真家、両者 気の毒なことが起きてしまっていたようだ  無知が成す仕業と問題の表面化である 

同時にその方は水平の道への土地売り渡しを拒否するかの様な文面を地域の方に渡しててしまっているので 皆が 東大のうぃわいなどに参加しているのを目撃しているので 知らないと語るのは非協力的そのものだ!との批判が集中していた それらは地域の人人が共に解決すべき事案なので 俺が介入することではない 

俺は地域の歴史をかえる気持ちは全くない その方の反対によって千年に一度しか起きないだろう 地域の道作りが成功しなかったと地域紙をつくり配布するだけだ。 地域の人人の反対によって作ることが出来なかったと原因の記録を作り 地域の人々に配布し 記憶の継承をおこなうだけだ 千年の不名誉として永く記憶される者の哀れはいたしかたのない  鮪立3悪人の一人 ということでよいのではないか 


 7月23日 

状況を一変させたよ〜 。集団移転地として最高だと地域の人人が考えて昨年早々につぶされた案が 実は貝塚では無いことが判明してしまい、行政の人々も夕方まで大わらわの対応をしていただいた。

午前中は自治会長さんと用地課から建設課、水産課を回り多様な復興案づくりについて意見交換をおこなった。午後は集団移転の災害公営住宅の人々のワイワイ段取りと 港湾に関する人々、それからいままで放置されていた萌え土地の人々を鮪立の人々と繋ぐための道の案をつくり 主要な方に用地交渉などをお願いしてしまう サメ神様は相変わらず私を見捨てることは無いようである。地域の人人からも多くの信頼が寄せられて 帰れないような格好になっている。ここまで来れば地域の人人で出来ると思う  

 唯一心配される政治銘柄の動きも何とか処理した。人々の復興計画案作りに害を与える いわゆる政治銘柄の人々をあぶり出し、彼らの腹を暴いてしまい、この先に起こるかも知れない 政治圧による地域の人人の案つぶしの有無を確認することが出来た。こちらに来てからオオカミ少年のようにホッツキ歩き吹聴し政治銘柄をいらだたせることで、彼らの本性を噴出させる作戦を仕掛けておいたのだが まんまとはまっていただいた。あんがいうまくいくものだ(笑)

昨夜の会議の場で 端っから私の追い出し工作にのった演技が恥まった。(発言者は恥をかいていることを意識できていないのだ)「お前出て行け」コールが20分ほど続きあり、なか...なかよい演出効果がそろい 地域の人人は政治銘柄に屈しそうになって 最高潮のダーティー場面が演じられた。どのように逆転させたかは脚本を書いた俺は 読者には知らせすることはないが 政治銘柄の人々が誰であるのか 全て分かってしまうというおまけが付いた 
 
 (政治銘柄を見張り応援に駆けつけてくれた動物たち)
  
まちづくりの様な事態はよい脚本を書き 地域の人人が役者に成り演技を続けることで 達成される ある種の物語性を帯びる事態をつくりだせるかどうかにかかっているのだ。宮城県内の地方紙の世論誘導的記事や 世論づくりのための記事はとて 甘い内容が多いことが分かる。地域の人人は「仲良くワイワイ圧」に疲れ切っていて 本音を出す場を作る者が不在であることで 疑心暗鬼、悪口噂が蔓延する様相を自らつくりあげてしまうのが とても日本的な滑稽様である
 これから311以前とはことなる日本に暮らす人々が現れなくっても俺は充分楽しいので いままで通りやってほしい。そう 滑稽な人間模様を続けることが 福島の地のようにあらゆる地域もつづくだろう 退屈している暇が無く人生が終盤に来ている年齢になってしまったのが 残念である
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★★ 22日は寒い1日 
早朝から鮪立湾に面する忠勝さんの家でおきる 樋ノ口などに挨拶報告する。八幡神社は業除神社に参拝する。地域を入ったり来たりし 人々と話し合う。 

午後から自治会長さんとアイワイ 東大の太田先生がやってきて やや説教気味の話を放置し 地域の人人との話をすすめる 4時から三井、栄男筋の人々に集まっていただき多様な話合いを行う
6時から 漁協の人々古里創生の人々を集め 新聞用記事の企画対談を9時まで行う 唐桑漁協運営委員委員長はすっぽかされたが 実に実り多き話合いとなった もじ起こしし 記事内容にしあげたい


 7月21日  肌寒い1日 

鮪立湾まわりのまちづくり活動を続けているが 鮪立湾周りには田は無いので、やませが吹き、冷害とはならないとのこと。海産物もさほどの影響は受けないようだ

 まとまりが無い 悪いと言われ続けている 鮪立湾周りの人々ようやく熱い討議が始まった気配がある、要望案づくりの 期限は1月を切ったと考えているが 動かなかった問題の根本や本質は既に明らかになっているのだが 地域の者では無いおれが大なたを振るい 切り拓くわけにも行かず問題を指摘し続けている。

この数日で地域の人人の意識が変わらなければ 俺の役割は終わることになる。俺の腹案を持って積極的に言動を駆使すれば確実に変化してしまうのだが 地域の者ではない俺が地域の歴史を変えてしまうことは慎まなければ成らないと 1年3ヶ月前に鮪立に立ったときに思ったことだ

  

 午前データ整理をしつづけたの後 地域内逍遙をつづける 会う人々に多様な要望を聞きくも書くことが出来ない内容多し。午後は鮪立湾に面した地域を歩きまわる。業除神社、八幡神社をまわる。

夜 上下に行き来する道を5本に分け まずはもっとも東側の筋に暮らす人人を集め会議を行う 筋沿いの集合は集まる率が高いことが分かる 討議内容も具体的で熱い。声を張り上げて説明しているので やや喉が痛し。上沢さんに1泊お世話になり快眠する 



 7月20日 曇りのち  気温上がらず

 区長さんの家にとまりつづけているが 午前中留守番しつつデータ整理。午後家を貸してくれると言う人に会いに行く 下宿だった 風呂のシャーが壊れているとのこと、検討要。5区区長さんと歓談

2区の家に行き奥さんと情報交換する。問題の箇所が分かったので直談判に行き 主要な点は了解を得る 大きな問題はクリアしているかもしれない 

萌え土地からまりの道を検討するために、高台にある浩平さんの家に行き 二人で現地調査  夕方まで鮪立逍遙しつつ人に会い 会議への参加を促す。縦割り形式の会議をしている自治会は古すぎるのでさざ波が起きればよいと考えている。

6時から憩の家で会議 主な報告をし、現状の問題と 課題と 今後の対応を話合う 1時間過ぎたりに、再度報告と現況の問題を締めとしてかたる。跡地利用の問題やら漁協と自治会のあり方などを提案しつつ まちづくり全体の骨格を明確にしていくのだが、声のかけ方がよくないので 多様な人に参加を促さないとあとで問題が起きると女子会から提案に 自自会長やや旧態依然の対応を語る

おれは鮪立の歴史に参加したり 直接手をかけるようなことをする気はないので 判断は参加者にゆだねてみていた。

大きな課題があるのだが そこに手を突っ込むと一気に解決することはだいぶ前から分かっているのだが 放置し続けるつもりだ 鮪立の運命は鮪立の人が選択することが最善であると考える 余計なアドバイスや誘導は差し控えておこう。対面にて話合う中では それにしても困ったもんだと語る人多いが解決しようと動き出す人がいないので単に時間が過ぎていくだけなのだ。 その点に関しては烏合の衆化して進まず 

■「宿藤鮪報」おらほう 次号は各戸千円負担し 8頁カラーの地図つき新聞とすることを提案した 賛成する者は多数 反対するものはおらず 準備をしてもよいかもしれない


 7月19日 肌寒い鮪立 やませがふいているもよう

 昨夜遅く憩の家に宮城大の竹内泰先生が酒を持参し泊まりに来た たらふく呑んだ

午前中資料整理などしつつぐたぐた。午後3時鮪立〜気仙沼市の県合同庁舎へいき水産漁港部の阿部さんにお会いし 防潮堤もんだいについて 多様に話合う 

まずは10mほどの模擬防潮堤を現地に建てていただいて 地域の人人に見てもらうように手配してもらうことになった 

24日の防潮堤の説明会には模擬防潮堤は出現しないのだが その後 再度アンケート調査をし変化を知る資料を得ることになる区長さん大活躍  

よる戸羽平(畠山政則)さんに招待を受け ただ飯+酒をたらふくいただく。22日の夜の漁協運営委員と創世村の人人との話し合いの中身を説明し参加していただくことになった。次号my新聞の企画記事とするつもりで 2時間ほどを想定している。

毎夜の飲み過ぎにややぐったりしたので 早く寝るといっても12時だったけど


 7月18日

 早朝からホタテの積み出しを眺めながら 新聞支援者をまわり 新聞を配る 、午前10時から1時まで気仙沼市役所で 新聞配りまくる 紙媒体に対して 市役所職員はとても反応がよいのに驚く 。まったくやる気のなしの反応もほっとする。 80〜100部配ってしまう 

復興計画など事業をすすめている関係は全てまわった。議会事務局にも6部ほど配布紙 あすの特別議会に参加する関係議員さんに配布をお願いする

鮪立にもどり 支所に新聞を配りまくる 支所長さんから主立った人々に反応りょううこう。何か作る度に配布しているのだが今回は何回目なのか分からぬも 立ち入った話をどんどんしていただくので とてもよい 。地域の人も役所の人も考えあぐねて迷っていることが充分理解出来る 

ここはじゅっくり仕事をした方が 好いのであるが 財源に限りが有り 復興工事に関しては平成27年度竣工で一端終えて 後は通常の業務体制と予算割りなので この数ヶ月が要望のタイムリミットであることは間違いない

測量はある程度の要望を具現化するために実測し設計するのだから きちんとした要望を出さないと 測量する場も定められないので 要望をまとめきりたいのだが 4区藤浜地区は 要望は全て聞き取っているので 何があろうと 対応は万全にできる体制が整ってしまった。残るは跡地利用の漁協と施設と誰が各領域を運営し 無駄に重ならないようにするための 4区内調整さぎょうであるけれど 漁協もからむので 元漁連事務課長でかつ現自治会長の登壇を願ってみる 

なかなか冷蔵施設に関しても好いアドバイスを飛ばす さすが永年の漁協職員である 大助かり

■ よるお好み焼きを多量につくる お世話になった方々に振る舞う 大好評であって 1人4.5枚ほど食べていただく 烏賊玉が好きな人多し 

■ 真夜中宮城大の竹内先生 気仙沼で会議をしているので真夜中 泊まりに来るとのこと 人と引きも切らず会っている 

 7月17日  
 
かんかん照りの福島を9時に発ち 高速バスを乗り継ぎ 午後2時気仙沼駅に着く 片道2800円 交通費も無くなってしまったので 最低運賃のバスで当分は気仙沼に来る

 4区区長さん 午前中白内障の手術したとのことで 奥様が気仙沼駅まで迎えにきていただく バスでもよかったのだが 地域の人の歓迎する気持ちはきちんと受け止め 行動でおかえするのが好い。
     

 藤浜の夏の夕暮れ は刻々と美しのだが写真に納めることは難しな〜

鮪立につきお世話になった方々の家にお土産と 「宿藤鮪報・おらほう」の広告をだしてくれたり 支援金をちょうだいした家々をまわり 新聞を持参しぐるぐる回る。間がまわるほどの分刻み 5時終了。6時から憩の家で作戦会議を開始 人人集まるも人少なし。 住宅問題と 誰がどこをまとめるかがまとまらず 空中分解の様相。だれか最後までまちづくりと復興要望案を作り続けるのであろうか、一人でも居れば 対応できるのだが だれも率先して作業をこなそうとしないので お手上げである

地域と役所から批判が集中しているので 百年会各位にメールを出し 協定を結ぶかどうか? 判断を仰いでみた。 個人的には解散しているので 誰も反応ないと考えているのだが 挨拶がわりのメールを出す 反応はあるのか無いのか 分からない

地域外の人が応じても地元の人に対応は任せるつもりなので 出来る事があればやり続ける  4区区長さんの家の娘さん奥さんとビールを飲み10時30分までだべり寝る 区長さんの家の方々は脱力しているので とても居心地がいい 夕日も綺麗だし 足下では早朝から養殖の人々がけたたましく働き出すのも好きである 当分やっかいになるつもりだ。 



 7月16日    

 あしたから鮪立活動なので 色色準備してたら1日が終わる  準備万端ととのえるもも なかなか手間が掛かる 荷物重たすぎるので 新聞100部残しておく 

7月15日   降ったりやんだりとぐずついた天気

須賀川の設計している 住宅予定地にいき解体現場を見る 。毎度おいしいお昼ご飯をいただき 戻る 。この1月 設計はまったく進めることが出来ず 責任を感じるのだが  あれこれ待っていただくことにする 気長な発注者に感謝します

ここまで至るにはいろいろ理由があるのだが  申し訳なく思いのみ 

 7月14日 

 鮪立地域の地域紙2号目の模擬紙をつくる 個人広告主 1万円で12名を募集し印刷費にあてたい。個人が地域を見守り支援する時代だと勝手な定義に参加する人人たちは存在するのか 写真と文字300字の個人広告 動画も作って広告主を集めようと気合い充分(笑)  http://youtu.be/IxR0rXayPyo 

 個人広告欄に千円札を置いてみた 1.8倍ほどの面積ですよ。右側に福島民報新聞を並べてみました 大きさを理解していただくために 漫画に近い新聞に仕上げたいというコンセプトはなかなか達成できないけど 2号目は気合いを入れて漫画化(見て分かる かわいい新聞)を作る予定
 


 7月12  

9時30頃の新幹線で 大宮まで 大宮から新宿へ出て本厚木へ午後1時過ぎに着く。風が強く雨もあり荒れ模様。 本厚木からタクシーで2時前に工芸大へ着く。鍛先生体調が悪いようで顔色悪し


12日東京工芸大で15時から16時過ぎまで講義など行う。ホールでレクチャーなので多様な学生が行き来しているので 路上に近い環境で気に入った。レポート提出、厚木で鍛先生と学生さんで呑む。9時判ぐらいまでワイワイ。

ロマンスカーで新宿へ。渋谷の藤村龍至事務所に行き藤村さんと情報交換する 渋谷のカプセルに泊まる (4000円)

  


 7月11日 

 鮪立地区のためのmy新聞 「宿藤鮪報」おらほう 600部印刷できてきたので 各地に発送した 一段落 
  

 新聞発送しました my新聞 やれやれ。

 気仙沼市唐桑町鮪立 総5区の現在の主なる復興計画に関する問題を可視化した新聞です。「宿藤鮪報」おらほう 鮪立地域に270部。計画の関係者や新聞資金提供者などに70部を先ほど福島中央郵便局から発送しました。早い地域は明日 明後日には他の地域に郵送されるかも知れません。残260部は一部200円で手売りします。未払い印刷費5万円を集めたいな〜ので手売りしますので買ってくださいませ。

多様に協力ありがとうございました。次号は新聞の大きさブランケット版で計画図を大きくし防集に関する住宅移転の予定地も明確に分かるようにし「宿藤鮪報」発行しますので 再度資金支援のご協力や広告を出してくださいませ (8月末出版予定) my人生初新聞ようやく発送した (ホッ)

■ 次の新聞の企画をつくり
 早稲田大学の新聞記者を目指す学生にぶつけてみた
・漁協と自治会の対立を橋渡し諸問題を明らかにし解消する
・漁協会員どうしの対立の要点をまとめ 協力関係きづき 多様な販路をつくる

・地域の要望をより詳しく地図に落とし込み可視化し提示する
・津波被災跡地の利用について 多様な考え方を伝える

・防潮堤(海面から高さ10m 
 総工事費630億円を住民と行政の対立無く消し去ってしまい
どちらの立場や面目も保たれる 案を作り提示する

・地域の人々の暮らしと声伝え 復興工事に対して連帯感をつくりだす



 7月09日 
東京学芸大学工学部 建築学科の12日の講義 2コマだが動画など流しているとほどんど時間ないので 無駄なことしゃべらないようにと自己紹介用を2本編集する

 1本は311から地域紙 広報誌などどのように原発事故を伝え、それらを批判的につくった動画 2本目は1984年につくってフリーペーパーとまちづくりの記録誌を紹介したもの 

2本でたっぷり1日編集に掛かるも 上映時間はたったの10分。1コマ目はほとんど動画で埋まります。2コマ目が鮪立まちづくりの現在を1時間ほど簡潔に語る予定です 

以下のようにフェースブックに書く

ゲラ完成! 明日刷り上がり〜!! 11日納品され方々に発送し
ます。鮪立には12日着くことになり週末までには各戸に配布されるかもしれません。
「宿藤鮪報」(おらほう)と名付けた、気仙沼市唐桑町鮪立の地域紙です。 1部200円 印刷は福島市内の新聞社系列の印刷所に依頼。入稿より顔が明るく仕上がっていました。創刊号嬉しいです。311復興要望内容を鮪立の人々と共有することが目的の新聞です。ターゲットリーダはもちろん鮪立の人々(800人ほど)
12日午後おこなう 東京工芸大学の俺クチャー(2コマ講義)資料として持参できるので嬉しいです。



 7月08日  

 東京学芸大学工学部 建築学科の12日の講義用の動画を編集する 時間割を考えながら資料を整理したら 動画を流すだけで1コマ終わってしまうことが分かる。自己紹介の時間が全くないのもこまるので 休憩時間10分あるので、10分オーバーで映画を流すことにする

夜 放射線なんたらかんたら福島ワイワイに参加。内部被曝問題なんか棚上げで困った者たちだと思った。自分たちの業績を自慢し合う輩。御用学者とご用政治家、それに対抗するかのような 「なんたらかたら組織」それらは行政と対立し かつ(20世紀的利害関係者たち)つるむことで生き続けていくしか技が無いのだということが明らかになった話合いだった。  両対立者から放置されてしまう 被曝市民の声に寄り添う活動は誰?誰が組織しおこなうのか、明らかになってきている。

 6日と7日は休養した、よく寝た。
福島市内にも多様な活動家が入り色色な出来事がおきていますが???のが多いです。官僚組織に対応した鏡状態活動になってしまうからだと思います。快適な者としか対話できない幼児性も脱しないと雑な活動となりボランティアは効力が無い、または小さいのでは?

それから活動の結末を叙情的に語る活動家が多いのも気になります。頭から尻尾までリアルでなければ被災地などに入り活動する資格は無いのではないか?

 7月05日 のち雨の区域事に異なる ぐずついた天気

前日真夜中まで「宿藤鮪」おらほうの編集作業を宮城大竹内研究室でつづけていた。後竹内先生と仙台の一番町に出て呑み カプセルに泊まる 全て先生に負担していただいた。下絵 鮪立1から3区の組織を作り替えて 百年会に合体してしまった構図の現場である 鮪立湾漁協運営委員のかたと口協定をむずび、地域を漁協の橋渡しも成功しちゃっている図である 。また防集の委員のるみこ部長も合流し口協定がなり 画期的なにとだが 国交と水産庁の仕事を繋いでしまい、地域にとっても日本の国いとっても効率よい組織が出来てしまったのである。やや難しくって理解できないだろうが徐々に百年会の初期の意図は形を持ち地域に力を持ちだし 可視化されている 
  

鮪立港まちづくり百年会を昨年つくたときの意図は 140年ちょい続いた日本の制度システムの破綻を 三陸の特徴を示し歴史の在る鮪立から観察すれば顕在化してしまうという仮説であるが 150年の日本の制度の全てが鮪立湾という坩堝に投げ入れられ どろどろに溶けだし 混交し 次の世界が現れ始めた わけだ 

無自覚であれ 自覚できるものであれ 日本の地域社会はここから変わって次の豊かで責任と人々に問う 新しい戦後民主主義が始まったと 再確認しているだけだ 

それにしても、その構造を理解していないで 日本の表象の表層を滑りつづけ社会的地位を獲得し 次の世界の迷惑をかけ続ける 正義感あふれる者をこの三陸に鮪立湾に叩き入れて鮪立の魚介類の餌にしてやってしまいたい 気分があふれている まあ過激にならずぶらぶら 鮪立港を

 7月04日  

早朝から電話が鳴り続け 鮪立1〜3区の主要なメンバーと 未だにまとまらない 鮪立復興のあれこれ現在を確認しつつ 対応策を伝授する。やれやれようやく地域の人人のエンジンが掛かったようだと 眺める

11時竹内先生が気仙沼市役所に来ているので「迎えにいきますとの」連絡。交通費が無いので大助かり 便乗する。午後3時宮城大につき竹内研の皆に手伝っていただき 「宿藤鮪報」を編集しつづけ 夜11時に完了する 竹内研の皆さんは京都で学生たちがワイワイするとのことで そのご徹夜で仕事をしていた 
 編集完了した紙面を打ち出していただいた 大学の工学系の施設を使いまくっている気分で 悪くない

印刷屋さんに数日後発注し 出来たら地域の各戸に1部無料配る。残りは1部200円で売る予定 でないと印刷費が足りないからだ

 家の絵は打ち出していただいた紙面 東京スポーツと漫画の間のような表現にしようと努力したが 人生初の新聞発行は 不慣れのため 思うようにスタッフを使いこなせず まだまだだが 学生んさんのがんばりには大助かりである  

 7月03日 

よる6時から憩の家で鎌仲ひとみ監督の 「内部被曝を生き抜く」上映会 女性16名男性15名の参加あり 上映会後鮪立女子会を開き今後の対応を女子会から口火を切っていただくことにした

 
鮪立港まちづくり活動の復興に関する 多様な行き詰まりの現在を女性に伝え 

自治会から昨夜の学生のワークショップに関しクレームが持ち込まれた

数日前も地域の人人からクレームが出続け対応したが しばらくの間学生によるワークショップを開かないと伝えた 

学生が悪いわけでも無いが 地域と学問のあり方を互いに問いつづけ 共生できる組織やシステムを作ってこなかった両者の怠慢が顕在化しただけで 不幸なクレームではないのだ これからが地域と学問関係を作り上げる 大人の時間なのだ

 7月02日

理科大+メルボルン大生 憩の家を共に去る 地域からクレームがワークショップに対して続出しているけど、対応し 簡単に伝えた

相変わらず今日も地域の人人を回り続け 測量にのための立ち入り同意書をとり続ける
 鮪立湾地区盛り上がらず なので策を開始 準備は整ったので あとは実行するだけだ 1から3区人々が乗れば 藤浜同様うまく進展するだろう。藤浜が終わったのでここで活動を止めてもいいと伝える。午後そうい言わず鮪立の面倒もみてやってと 見てくれと方々から声が出た。それならと漁業の運委員とも連携しだし話し合いを始める 日本の行政と地域社会の問題が立体的に可視化されていくので  去年活動開始にあたるあの感は間違いではなかったと再確認する 節目

 7月01日 霧雨にて寒い

相変わらず今日も地域の人人を回り続け 測量にのための立ち入り同意書をとり続ける。昨日の開港の余韻は方々に残っている 地権者周りをつづけている 「あんたには家も壊され土地も取り上げられ だからヒラメと穴子あげるわがはははあははは」と地域のお母さんは明るい 昨日今日で地域の住宅を二軒つぶす計画に賛成していただく ヒラメ穴子の写真をとっている間もなく解体され刺身になって昼飯にでちゃう ただ飯くらいつづける贅沢な活動中なのだ
■今夜で 学生ワークショップ終わる 戸羽平さんから牡蠣フライ ホタテ焼き 35個それぞれ 酒一升差し入れあり 皆でくらい後集合写真を納める
 

宮城大竹内研生 2人増え「宿藤鮪報」の地図つくりからはじまり編集作業を続けている かなりきつい作業であるよ