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     2012年  06月の日記
     
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 6月30日 雲のちはれ

 宮城大の千葉さんとデータのやりとり 10時4区区長さんと打ち合わせ 10時半 創世村で理科大生課題発表 13時 調整ワイワイ 14時鮪立地区周り ウニの解禁日でウニをごちそうになる

 6時鮪立4区打ち合わせ

多様なスケジュールをこなしつつ 鮪立は2年ぶりの開港なので独特な雰囲気が町を包んでいる

忠勝さんの家に行き 取り立てのウニをその場で解体していただき喰らう

食い慣れている売りウニとは違い独特のウニの味である

夜も多様に会議を続ける


  6月29日 

  区長さんの家で目覚め 向さんの家に説明に行く 上道さんから南へ下り 北古古舘さんまで説明と同意書をいただく 留守の家もあるので なんども往復する予定 

夕方 宮城大の竹内先生と 千葉さんが新聞づくりの応援としてやってくる 新聞の構成など説明しつつ 夕飯 理科大生も現地集合

夜遅くまで作業をする

 6月28日 

 4区区長さんの家をベースに 朝から書類をつくったり、地権者を回ったり 憩の家に行ったり 鮪立4区の提出した要望書を実現するための作業を行う

よるお好み焼きをつくって食べる 石屋さんにも5個配る

日中村上富太郎さんにも同伴ねがって地権者まわりの測量のための敷地立ち入り同意所をえる作業など順調進んでいる。よる作戦会議 今日は早めにねる 明日も地権者周り と取材 被災地の人々の揺れ動く心情を細かに接することで対応が易くなるような気配あり 現地でなければ分からないことが多いのも事実 屋号など4区はおおむね分かる 屋号いり地図にし配布している


 6月27日

 朝福島を高速バスで出て 唐桑町を目指す 仙台で乗り継ぎ午後2時気仙沼市役所につく 市役所の水産課は説明会で全員出払っていた 

復興企画課の菅野さんに会い 『鮪立へ。』を手渡すなど情報交換をする 防潮堤もんだいは市内全域で理解が進んでないようで 説明会が来月再度行われるとのこと まちづくりに立ち寄り村上さんとワイワイ 順調である

バスで唐桑町へ 30分ほどで唐桑支所の一つ先の宿とうバス停でおり 菅野栄喜先生が暮らす仮設住宅により鮪立1〜3区の様子や 被災者の住宅に関する情報を手に入れる 5時宿浦をあるき鮪立4区へはいり一軒一軒あるきながら挨拶をしたり 報告をしたりし 7時4区区長さんの家に着く

明日からの作戦会議をしたり 再会にて乾杯などする 12頃寝る 地権者にかんする多様な内容で濃い話合いなのであった。明日から地権者周りをする



 6月26日  昨日は涼しかったが今日は快晴 でもやや基本が低いのでカーディガンを背中にしょって作業中

 明日から気仙沼市鮪立ちくで8日間ほど活動を行うので色色準備する 一昨日から地図などを加工しているが今日は各箇所へ連絡と調整のための活動予定表などをつくる

俺のようなどの領域にも所属せず野良犬のように自由な活動を続けていると 権威有る領域からも地域からも色々な嫌がらに似たような対応を受ける。それは日本の国や各領域を動かしている専門分化した人々の本音むき出しの嫌がらせなのでよく観察し記録しようとしている努めている。なかなか強固な近代システム壊れそうもない、壊れても参加と自治などほど遠い精神構造で多様な領域を稼働しているので混乱は必至で収集つけられないようになるだろうと推測する 


■25日 鮪立1から3地区の地図作り
      コンサルさんからいただいた地図を元に地形図などをつくる
■24日 鮪立4区の地図作り (1/1000) 学会原稿過激しぎるようで 学会関係者が建築学会語の飜訳願いあり 了承する 活動資金がはいればいいだけ どのよに飜訳され特殊な領域で耳障りのよい言葉に変わろうが被災現地の事実は変わらない 俺の原稿がどのように扱われようと どうでもよいと思っている

■21 22 23日 学会用原稿書き 下書きしたが多すぎて切りまくる
■20日とうとう要望をあげてしまった鮪立港まちづくり百年会 やったというか活動は峠にでたとう気分が大きく湧く。 ここからは具体的で権利に絡む交渉事なのであるから まちづくりに協力いただいた関係者に迷惑がおよばないよう 関係を切りまくる 縁切り人間になる

■18日 憩の家で鮪立1から3区の市主催の懇親会が行われ 抽象的だが要望図や案を提出する コンサルさん県の防潮堤の方も参加し 後半盛り上がる

■17日 午後太田先生と合流し 船で気仙沼大島一周する。 藤浜の現況を報告をしつつ鮪立湾の人々に檄を飛ばす。 憩の家で鮪立1から3区の人々の全戸集会 藤浜地区の人も半分ほど混じる 鮪立湾の方々は興味がないような気配 防潮堤○×で応えていただく

■16日明日午後 気仙沼市の鮪立湾から湾外に船で出て 宿から舞根まで船上から景観ワイワイのために 撮影会をするが 天気次第だ 薄曇りなら決行 曇りは曇り具合による 18日は予備としてとってある 天気任せで活動内容を刻々変え対応することにしよう 屋外活動の予定は無しってことで出発
■ 15日現地 予想通りのもめもめ逃げ腰(笑) ケイタイあり 対処法を指示し気合いを入れ全員集合!の檄を飛ばす ここで腰が引け 厄介者から逃げては問題は解決せしない。千年の路計画が消える かも。半分は出来る事になったのでよいとする手もあるけれど 一押しした

■ 14日昨日気仙沼駅発最終電車に乗りおくれた。藤浜に生きた女性を紹介します。?被災し駅そばの仮設住宅に暮らすおばあちゃんの家に一泊。創刊する「鮪立百年会」新聞の印刷費?用をみんなに呼びかけて集めてくれると語る 藤浜の力は強くたくましいな〜と思った

 6月13日 

 早朝から図面を仕上げて データ整理する 区長さんの家に連続し泊まっているので 奥様ややげんなりの様子が分かる 今日で終わりと思い 頑張る

自治会長さんと5区区長さんの取材をする 2区区長さんの家により昼飯をいただく

1時半までぎりぎり 作業をする 2時支所に行き コンサルと市役所主催の懇親会に参加する 報道陣は締め出して 3時間話合う 作成しておいた 要望案のほぼ実現可能とコンサルに言われる ようやく藤浜地区のまとめた案が公共の場に姿を現し 吸い上げられることとなった 藤浜地区の みなさんおめでとう

6時までワイワイする 最終電車に乗りおくれてしまい 駅そばの仮設住宅に暮らす 鈴木和浩さんに泊めていただく 鮪立百年会新聞の資金集めを80過ぎのおばあさんがしてくれるとのこと  鈴木馨子さんの動画を撮る 大海・自然を相手に生きる人々は気前がよいと つくづく思うのである 

   

馨子さんの歌を内容は 鮪立の男に捧げるには最適の内容であるとしみじみ感心したのであった ぼけ無いための極意を歌う明るい女性であり 息子もとてもよい性格をしていた

 6月12日  

午前中 昨夜打ち合わせた内容を 提案図に書き込む作業 を行い 午後配布したり 計画した道の問題箇所を観に行ったりし確認する 明日は市役所とコンサルを交えた懇親会があるので今日中に 地域の意向をまとめておかなければならない重要な位置にある方々の家に出向き声をかけ夜の会議に参加するよう お願いしに行く

夜 隣の区の人が来て 新しい自治会長をつるし上げはじめ もめた が少し放置しておき まとめにはいった 参加と自治にほどとおい精神にあきれ果てる 押しつけ行為でああるが 排除するわけにもいかない  

会議後1時間半ほど支離滅裂な説教を聞き 素直に従うふうにし事を納めた  明日の作業が沢山あるので大変迷惑をしてしまう ねる時間が少なくなってしまった とほほ
   

 6月11日   区長さんの家にお世話になる 

 昨夜打ち合わせ内容を書き出し 産業路 生活路など書き込んだ図面をつくり9経路の問題など可能性を区長さんと語りあう のちフィールドワークをして問題を細部にわたり語りあう 午後6時半より9時すぎまで細部にわたり調整会議をおこないほぼまとまる  

  

 ■要望内容

 水源・魚付林・湾が有機的融合した住環境をつくる

・森を守り湾の総合的な環境(沢水・景観を守る、土砂災害防止する、養殖を豊かにする)を破壊する道路や宅地造成をしない

道路についての要望

1)各所に遊歩道と公園をそなえもつ 幅6mの海岸道路(産業道路)をつくる
2)海抜12m以上の位置に現在ある生活道路を水平に北から南へつなぎ通す。各所で海岸道路や既存の海から山へ向かう路につなぐ。水平に貫通される生活道路は図示するが北から上道〜ヤナギ〜大久保尻〜北古舘〜中島を結ぶこと 

3)道路には夜間の地震を想定し各所にソーラー街灯を備えている

4)水平の生活道路(幅4m)は津波到達路とし、時と共に311大震災を風化させないため記憶保全のため石碑を建立し未来の人人に伝える その事によって生活道路より海側に住宅を建設実施させぬよう戒める

5)上記の生活道路を整備することによって
・各地に散り暮らす被災者の藤浜生活復帰を誘導し藤浜地区の人口の流失を防止する
・集落内個別高台移転や集落内高台集団移転(2,3戸)の新規住宅地開発を容易にし誘導し・地域の人口増化を推進させる

・そのことによって面的に広がるような乱開発を阻止し漁業集落の景観を守り 地域に暮らす人々が所有する資産価値を高める働きをもたせる

・既存生活道路の性能向上によって日常生活の利便性を向上させる

・生活道路は 両端が安野沢、越路を通り宿浦地区につなぐ

集会所について 

 災害時に避難し集い暮らすことができる集会所を生活道路に接続し建築する

1)備蓄庫を持つ
2)沢水をため置くことができ非常時の飲料水などにする
3)夕日の見える温泉(大浴場)を備える
4)燃料は魚付林から出る材木を活用する
5)電源が喪失に備えソーラー発電と蓄電設備をもつ
6)会議室を兼用した宿泊可能な部屋を持つ
7)厨房を備え持つ

共同便所
 
遊歩道や公園を各所に備え持つ産業道路沿いに共同便所を作り訪れる観光客などに提供す

防潮堤について

 2012年6月10日6時半から行った要望案づくりの集会に参加した33名の内絶対反対を表明した者は25名で絶対賛成者はゼロであった

市役所などとの協働関係について

6月10日の要望案づくりには唐桑支所の課長さんをオブザーバにお招きし参加いただいた。今後も地元の人々と役所の人々が情報を共有し共に働き好い藤浜の未来を拓いていくことにする

住宅図に落とし込んだ道路等位置図を作成する

 議事録作成 鮪立港町づくり百年会 佐藤敏宏




  6月10日 薄曇り

 午前中 藤浜地区の第一回案図つくりをし 午後1時の新幹線に乗り 鮪立をめざす 今日は気仙沼から 鮪立へはバスで行くことにし 6時半の集会に参加予定

電車の中から観る風景は田植え終わり 新緑も美しく 写真撮影には絶好の空模様のなか移動する 小鯖入り口まで 4区区長さんの迎えに来ていただき 憩の家で会議の準備 今日は支所産業課の課長さんにオブザーバ参加いただいた 休日の夜にもかかわらず 10時直前までアドバイスいただく 

33名(+2)女性11名参加 防潮堤絶対反対25名 絶対賛成ゼロ の確認をしておいた 産業道路 生活道路の案についてはほぼ同意いただくことができた 集会場 公衆便所 最後の集落内個別高台移転について 話合う 

被災し仮設住宅に暮らす人人も来ていただき 話合う中で解ったことは できることなら 藤浜に戻りたいとの意思が高いということ だが家を新築した代金の借金を支払うのは戻ってくる人人なので 高齢者でかつ一人や二人で暮らす人は迷うのは当然である 手厚い資金手当対策と土地の手当てを総力で考え出さねばならないと思う 
東大わいわいの図面では粗っすぎるので住宅地図に手描きでそれぞれの案件を入れた絵がとても役にたった ということである 抽象度が高いほど 地域の人は興味が無いということが解ったということである

  


 6月09日  今日から南東北は梅雨入りしたとのことで 朝から雨降り続ける

住宅の案をまとめ たのち 鮪立港まちづくり百年会活動の内容と地域の人人の考え方を伝えるためには 紙媒体が不可欠である 高齢化率40%を越えようとしている地域なので ネット媒体は思ったほど効果が無いと、この1年で分かってきた。 ネットは鮪立出身の若者が見る程度である アーカイブとして威力がある。

地域に暮らす人人に知っていただくには多様な媒体を使いこなせなければならいのは当たり前のことだ、分かっているけど経済力が無いので、紙媒体には手を伸ばさなかっただけだ。 いよいよ地域の災害復興に対しての要望もまとまりつつあるので紙媒体を準備したと思うようになった

 私案にて切り貼りして おおよその形とか 配列とか記事の内容を午後から作ってみた いい感じだと 自画自賛してみる 部数は500部ぐらいにする

■ タブロイド版で4頁1面と4面がオールカラー 2,3面がモノクロ仕上がりだ。印刷代や諸経費で10〜12万円ほど経費が必要である。この経費は新聞広告で集めようとしている 、新聞は購読料と広告費収入でなりたっているのだが 鮪立新聞は 購読料は見込めないので 全て広告収入で経費をまかなう必要がある

題字下広告は小さいけれどカラーで1万円。継続し広告費を支援出来る人又は会社を求める。4面広告はカラーで3分割した場合い1コマ1.5万円で1回だけ支援でもよい。2,3面はモノクロで3分割した場合の1コマ1万円。4分割の場合は7500円 とする 全国各地の個人支援者を主にした広告費用によって「 鮪立百年会」という季刊紙にしようとおもっている地域新聞を発行したいので ご支援ください 新聞のためのカンパでもよいので氏名とコメント記事20字掲載とする 

このような広告費にてまず発行してみます 定期購読者も受け付けます、送料込みで1部200円です

  
 

 6月08日  

鮪立4区の復興計画要望案作成のために資料をせいりすつ。午後住宅の計画をする 6時半から鎌仲ひとみ監督が来福し最新作の「内部被曝を生き抜く」を鑑賞する。撮影会後トークセッションあり 被爆地福島市内の多様な声を聞くことになり 驚くこともあり 福島市内で起きている人人の多様な心模様を知る機会となる

dvdを買い求め、自主映画会を開くことがゆるされていた、宮城県、岩手県、福島県で会を開く場合は無料だ。たの地域は参加費500円で撮影費用としてキックバックの義務が課せられている 311以降女性の活躍がめざましいが そのトップを走るような鎌仲監督である 早稲田石橋湛山記念ジャーナリズム大賞を昨年受賞したので宴会でお会いした 

以下fbに書いたこと 

福島第一原子力発電所の事故ご福島市で被曝し続けている俺が 放射線や放射性物質について 学ぶ気がしなかったです。それは知っても何をしたらよいのか 知って俺が何を福島市で活動すれば普遍的な知識になるのかが分からなかったから 活動しなかったのです。

今日鎌仲ひとみ監督が来福し マスメディアには取り上げられ放映されたり、報道されることがない記事内容を詳細に知ることができました。だから福島市内で俺が何をしたらいいか一瞬に霧が晴れるように分かってしまいました(長くなるので記述しません)...

まずは 悩みまくっている放射線被爆地に暮らす お母さんの悩みを可決するために 先のお母さんとお子さんになるべく数多く保養していただく 保養するために福島圏から外出することです 被災地のお母さんたちの心が安定した後に聞き取り記録するのが順序としては 好ましいということが解りました

児玉龍彦先生が南相馬に入り活動し続けているのは去年の7月の国会参考人質疑の中継と国会議事録の記録をweb頁化(未公開)したので知っていました。ここで何をすべきかが解らなかったのですが 鎌仲監督作品の今日の上映を観て解りました 

でも気仙沼市の唐桑町鮪立での活動を棄ておき 福島市内で活動するわけにもいかないので 2013年から 活動をすることにしますので ここの書き込みないようを私が実践するのは来年からですので そこはお許しくださいませ。



 6月6日 
 
 午後1時前の新幹線にのり 東大生研 太田ラボに向かう 5時半石川初さんと井の頭せん改札で合流し生研にいく 
 
藤浜地区の計画を2時間ほど話合い その場で計画案をつくり印刷していただく。
   

■4区全体会10日 14日の市役所と共催のあと 鮪立湾周囲の計画図をつくるための話合いを18日午前に市依頼のコンサルと合流し憩の家で話し合いをすることになる

■ 6月末のメルボルン工科大と理科大の合流wsいついて語り
■ 8月から研究のためのws と定住しての研究をするための拠点を設置することを話合う。8〜10月までの鮪立借家さがす必要になる 

 6月05日   

 昨日までの2日間に鮪立で採取した動画などを編集したり整理する あすの東大ワイ有為の準備も兼ねている マンボウ効果のリバウンドで今日はぐったりしてしまう マンボウ解体動画を編集し公開する

  

 4日の活動録 動画 動画内容後支所に回り 段取る

  

 6月04日 

マンボウ解体中の絵 大腸(右の男性が抱えている塊)や肝臓(黄色い手袋のそばの黄色い塊)は美味い このマンボウには卵巣がありとても珍しいと漁師の方々が話していた 俺は雌に縁が深いのである

 

■ マンボウを食したせいか 体の細胞が興奮していたようで 早朝6時に目覚めた。昨日撮ったデータを整理し マンボウ解体動画を編集し 8時 区長さんの家に泊めていただいたので 朝食をいただく

9時集合し 北古舘さんの家のそばの砂防ダム周囲を見回し つつ作業用道路に入り おおよそ海抜40〜50を北へ移動し 昨夜話合った内容が実現可能かなど 5月20日にあるいた同じ作業を逆方向からあるいて 細かに観る

多様な意見が出る沢を下り 小さな半島の根元におり 集会場の予定地をあれこれ探す 住民の方々が作りげんざい市が管理している舗装道路をすしみ 集会場候補地や取り付け道路のあれこを観る

午後区長さんの家に戻り 石屋さんとの話し合い時間調整 

12じ半 石屋さんにやいき海産物たっぷりの 海のあじつけの昼飯をいただきながら 計画をワイワイする  

■自治会長の家にいき、昨日今日のあらましを報告する その足で1区区長さんの家にいき 新聞の話をし10日まで原稿などを書いていただくことにした 

唐桑支所に行き千葉支所長さんと遭い『鮪立へ。』を渡しつつ 色々アドバイスをいただく 防潮堤は要望しないと全体で意思表明してもよいとのこと ようやく一つのハードルは乗り越えた感じがした

 産業課課長さんと10日4区全体集会のオブザーバー参加を要請する 建設課長さんなどにも『鮪立へ。』を配布する

■気仙沼駅まで送っていただき 深夜仕事場に戻る 



 6月03日 

  資料などを整え13時12分の新幹線に乗り鮪立むかう 新緑が美しい風景の中を気仙沼まで 16時すぎに気仙沼につく 鮪立4区 区長さんに出迎えに来ていただいた ありがたいことだ。

鮪立にマンボウがやってきる季節で 昨日沖で突いたそうで 肝合えをつくって用意してあるとのこと さっそくいただく 肝はウニに似たあじでとても美味い 腸は内壁をはぎ食するのだが 煮ても 生でも白身でおいしい。煮た方が油がおいしいあじになり 俺好みだった 

そのごマンボウの解体現場を動画に撮影しる機会となり動画を撮る

 撮影後憩の家で4区の主だった人にあつまっていただき 持参した計画案をもとに話合う 津波で家が流されたかたも2名来ていただき 細かな話し合いをすることができた 
次回は 10日に4区の全員集会を開くことになった 作図作業も多くなるが間に合わせたい とおもった

鮪立湾付近にマンボーの群れが来たので 漁師のみなん巨大なマンボウ やすで仕留めました 水族館の小さなマンボウではありません、巨大!500kgぐらいで畳2畳ほどの大きさでした 喰うための解体作業を船の上でこれから始めます。でかいから大仕事です 動画も撮りましたのでいずれ編集しておつたえします。漁師の方はこうしてマンボウも喰う文化を継続し伝えこの地でこのようにして生活してきたのですから マンボウ喰うについて 批判しないでください  

鮫肌ならぬマンボウ肌で非常に堅いお花で使う剣山のよに小さな針が体中に覆われているので 素手で触ると人間の皮膚はグジャグジャニなるのでとても危険を伴うマンボウ解体作業です。分厚い皮膚は真っ白でシリコン状ぷりぷりの弾力性をもったナイスです。煮るとこんにゃくにそっくりだそうです 今度マンボウこんにゃくをごちそういたしましょう。といっても奴らは群れをなして何処かにいってしまうのでそう簡単には鮪立に立ち寄らないそうです。 肝はウニそっくりの味でしたが 私の体重をはるかにこえる 巨大さ  大腸はとても美味いのですが うんちが強烈にくさいので 大腸の内壁を一度はいでしまって喰うのですが これは美味い ホルモンなんてものではい 豚の腸よりマンボウの腸は美味い 生で好し煮て好し とにかく美味いよ 人生初体験マンボウ喰ったよ〜


 6月02日 

 午前 須賀川の住宅設計に関して 解体見積もりが出たので あらかじめ郵送しておいた 計画図 既存測量図を観ながらワイワイ ノンアルコールビールを飲みながら ホップが効いているので酔った気分になるのが 素晴らしい 探しにさがしまくってたどり着いたノンアルコールビールだそうだ 生ビールとさほど変わらない しかしドイツのビールのようなこくがない。それはアルコールがはいっている日本のビールもこくがないので 当然なのかもしれない。 本物のビールが普及せず のお国柄 値段はコーラ並みだそうで 格段に安いのでビール好きでない俺はこちらにしようと思う

■ 大阪の多田さんから フリーペパー2種類送られてくる 『SUPER:』と『nara nara』どちらもタブロイドばんで横組み でミニマムなデザイン 

鮪立でもフリーペ作るつもりになり タブロイドの表紙と裏表紙2面続きのラフスケッチをしてみる 500部発行 2面カラー 2面モノクロ で印刷代が6万ほど 交通費と撮影代6万で12万えんほど 1部240円なり 年4回 地元と外部できょうどうで発行に掛かる経費も折半しよう 広告でも義援金のような個人の寄付欄でもOKとしましょうと 提案してみたい

 へたくそな カラーページの 割り付けをラフスケッチしてみた。実物大でみると迫力満点 創刊号は5区の区長さんを全面にだしたい 表紙の左片面縦長の写真は鮪立の女性の写真にしつづけたい (女子会の人人をお一人さま ずつ掲載しつづけたーい)こんな下手な絵で伝わるかな? まいいさ

   


 6月01日  

 朝から井口勝文さんの動画を粗編集してしまう 総計4時間ほどの動画があった。京都大阪を拠点に今年の1月末から2月はじめにかけて撮影した「支援者たち」動画でもっとも長い時間撮影させていただいた。

 昭和を生き高度成長期を体現し多様な活動をしている方なので、簡単に紹介してはいけないし、戦後の日本人を考える糸口にもなるような動画にしようと想い撮ったので 長い取材動画が残っているのだ。 

 京都では他にも喜美子さんという支援者がおり京都市長選にからんだようか形で住居を拠点にし積極的に地域活動をしている女性の動画も採取している まだまだ今年初めの作業が終わっていないトホホな様です

■my長男 東北大災害科学国際研究所の准教授になった。公募で選ばれのだが、長い間の宮城県内の資料保全活動に携わった経験も持ち、今後も継続して旧仙台藩内の地域を拠点に歴史の研究を続けることになり めでたし。

家人 赤飯を炊き、お頭つきの鯛の刺身と焼酎のカルピス割りで祝う