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     2012年  05月の日記
     
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 5月31日 

今日は午前中 建築学会の原稿を書き上げてしまう 目的などないし誰でも参加できる活動なので 目的を持って語り合う学会の場にふさわしいと思えないが 未来にはこのような緩いけど人が連なって事が解決ような人間関係を基調にした地域社会の活動が主流になるのではないかと思う 

既存の領域をさらに強化しようとする人人の集まる会にとってさらに有効な言葉を投げ入れることはできないのだが、役に立たなくなっていると気づいてもらいたならばそれは役たったことになるだろうし、没原稿になれば行為の正しさが逆証明された証になるのでそれはそれでめでたい事なのだ と思うのである

締め切り日までつけ置きにし 当日直して電送しよう


 ★1 昨日は メールなどしつつ 指示を出したら1日が終わったような案配 鮪立仲間がある団体から助成内定し詳しい書類が要るとか 仲間急に忙しそうな気配

 ★2鮪立ロゴ2案が電送で出来てきたので 要点をまとめ 返信する 最終案はどうなるのか 一任したが できあがりが楽しみである

★3事故調の福島県知事の記事があふれていた あの日の緊張感がよみがえり この国の無責任の源そこは空洞で誰も責任をとる気も無いという事実が浮かび上がるだけだった 事故調も原因を解明せず 空洞化をつよめることに荷担することになるのだろう 

■一昨日 1鮪立4区に図面を送る など作業をしておわるこのところコンビニカラーコピー機と郵便局を行き来し日が暮れるかのよう しかたない ここが作業の頂上だからね

 5月27日 

 1年3ヶ月じゃくでもこのありさま 報道陣に4号炉の様子が昨日公開された 黄色い部分が原子炉格納容器のふただそうだ 
 


 5月26  

my長男NHKの6時からの「おはよう日本」 文理融合で災害研究という主旨でのニュースに登場する 8分ほどと長い紹介内容であっった。

東北大災害科学国際研究所は今年度から開設になり 公募の結果my長男が歴史系の准教授として6月1日から任用するとの内示があった。

子どもの頃から歴史好きだったので生涯を歴史の神様のもとで 勉強や活動が公的な場でも正式に行われるようになったことは めでたい。 家人神棚に手を合わせ喜び赤飯を炊く 公人になり歴史の研究家になり活動などをさらにつづけることになり 責任も重かろうが 新しい社会をつくるためにも学者として貢献して欲しいと思う

★★おはよう日本 my長男登場のニュース内容 を文字にしまし

アナ:その一つが文系と理系の融合です たとえば平安時代に起きた貞観津波は古文書に記述はあったものの長い間伝承の域を越えていませんでした。文献をもとにした津波の堆積物の調査で内陸4kmまで浸水した大津波だったと今回の震災でようやく広く知られるようになったんです。

こうした反省から研究所では歴史学や考古学といった文系の学者と津波の大きななどを解析する理系の学者が連携して災害に対する研究をすすめようとしています

記者:この文理融合の試み早くも若手の研究者が動き出しています。歴史学が専門の佐藤大介さんです。江戸時代の東北の社会を研究してきた佐藤さん、最近ある史料がめにとまりました。

佐藤:これが江戸時代後期天保に書かれ仙台藩の下級藩士の記した災害の記録です。
記者:170年あまり前の江戸時代天保に東北を襲った南米チリ沖を震源とする地震による津波の被害が記されていました。

たくさん水が引き山のごとく波が押し寄せた。天保期の津波はこれまで規模が小さかったとされました。それを覆すかもしれない記述です。
日本では揺れを感じないチリ沖の地震による津波。今から50年ほど前の昭和35年にも全国で死者と重傷者あわせて1千人を超える被害を出しました。こうした規模の津波はこれまでの研究ではおよそ300年の周期とされてきました。佐藤さんが見つけた文献が大津波のことを伝えているのであれば、チリ沖の地震による大津波はより短い周期で襲来している可能性が出てきます。

佐藤さんは天保期の津波が大きいことをうかがわせる記録は各地に残されていると言います。

佐藤:宮城県の女川町の庶民が書き残した記録であります。地震も揺らずにですね、津波ばかり入り込み申し候 入り込んできたと。ということで村人の人たちは地震がないのに大津波がきて非常に驚いているという、そういう様子がここに記されています。・・ここにあるのが現在

記者:岩手県陸前高田市の今泉地区では遡上する津波で川が氾濫し宿場町が浸水したとの記録もあります。

佐藤:どのぐらいの頻度で地震や津波が起こっているのかという情報というのはまさに古文書を読む研究者であればもっと組織的にかつ効率的にそういう情報を提供できたのではないかという思いはしております

記者:佐藤さんは貞観津波のことも調査した理系の学者今村文彦教授に相談しました。

佐藤:たくさん水が引いてそれより山のごとく すぐですね山のごとく津波が押し寄せた。

今村:この記述だ遠地津波の特徴が現れていますよね。まず揺れがないこと、引き波がかなり大きかったこと、山っていうのは波高としては高いですし、規模の大きな津波かなと推定できますね

記者:この文献を初めて目にした今村さん大きな関心を抱きました。

今村:日本にとってはマグニチュード9の地震が400年に1回くるのか、または百年なのか、これ大きな違いになります。いまこうみてたらですね

記者:しかし津波の規模の推定にはより多くの情報が必要です、佐藤さんに同じ時代の文献をさらに集めてほしいと依頼しました。

今村:こういう新たな古文書からの情報は非常に重要になります。まさに文系、歴史学のサポートが必要で、それによって本来の姿というのが見えてくるのじゃないかと思います

佐藤:江戸時代の文献記録がこれだけ残っている国というのは、世界てきにみても日本が唯一といってもいいぐらいの記録です。それには本当にたくさんの災害も含めた情報というのが含まれております。それを本当に理系の津波の研究者、それから地震の研究者に積極的に提供してしていくと。

記者:震災の教訓から誕生した文理融合の試み、歴史と津波工学の専門家が積極的に意見を交わす、新たな研究が始まろうとしています

男子アナ:ああニッポならではなの研究なのかもしれませんね〜
女子アナ:そうです〜東北大学の新しい研究所ではこの他、震災の発生直後に救援物資を必要な地域に届けるシステムの開発ですとか病院が被災しても広域で 広い範囲でカバーできる研究などをすすめていくということです




 5月25日 曇りのち

 去年9月に鼻の手術をしたが 再発防止のため2月ごとに定期検診を受けに仙台の病院に来る 仙台も昼頃から雨が降り出した

病気の方は再発も無く 問題ないとのこと あと2回ぐらいで予防のための検診もいらなくなると思っている 

■ 検診終了後 宮城大学へ『鮪立へ。』向かう アポ無しで行く 縁があれば会えるので ふりーぺをラボに置くだけなので 居ても居なくてもどちらでもよいのである。 暇な俺は相手に待ってもらうと 思うだけで気が重いので アポ無しにしている。

竹内先生とは縁があるので 会うことができ 教え子の人に配ることもできた 望外の効果である。鮪立情報を交換し合い今後の関わり方と 老化するまちづくりのための効果的な関わり方を話合う。 あんがいいい感じに学生さんと老化するだけの地域の人々を癒合させ 鮪立活動を演出し後々の参加者の人生に継続的に活かせる 内容である思った。 やることは沢山あるので 愛でたし

 右の絵は宮城大学の犬に鮪立への配布をお願いした絵ですが

■my長男ある研究所の准教授に内定し 内示があったので 『鮪立へ。』を研究所の人々に配布しつつワイワイする 人材を育成してこなかった領域の困難を話合う 今後仙台を中心とした歴史系と建築系の人材は有効に協力し学問も地域活動も発展的に教導し地域貢献と後継者を育成することができると思った やや時間は掛かるのだが 

■仙台駅前にmy長女と合流し ワイワイする 単に定期検診に来ただけなのだが 多様な情報を持っている人々に会うことができて 天の神様は俺にもっと仕事をせよというようなかんじであるかもしれない 

■来月末に鮪立の憩の家を拠点にした 鮪立港まちづくり百年会のイベントの役者を整えるための準備作業は整ったと思う 現地調整あるのみ


 5月24日  さわやかな気候気分よし

■ 活動の物記録をつくりたいので まつは新聞のようなタイトルを色々考えてみながら それらを書いてみる。鮪立活記が字面よさげなので 編集の合間に鮪立活記と筆ペンで何度も書いてみる もう少しで出来るかも 太い筆で書きたいと思いはじめる (笑)筆ペンじゃ〜活力でんような気分だからだ

■朝から鮪立藤浜での活動動画を編集し 公開する と夕方となる とれたてのホタテや蠣を焼いてくっているので 観ると体に悪い 食いたくなりいらいらすること間違いなし

   
■『鮪立へ。』届いたと電話あり

■鮪立4区自治会長さんの家で撮った女子会写真が届いたと電話あり 鮪立女子会を来月末開くための依頼をしておいた やはり女と子どもの時代、鮪立はそう思うのだと 奥様にも伝えておいた 6月末には女子会開くことにする


 5月23日   

昨日で処理出来なかった鮪立で得た各種データを整理する 宮城資料ネットニュースの更新 と石巻本間家土蔵関係のニュース更新をするどちらも地味な作業なのだが 311以降の地域の活動が丁寧に分かる情報なので貴重だ あまり読まれることはないと思うけど 更新作業は続ける

■鮪立で女子会の面々とも遭遇したのだが そのときに撮ったデータをコンビニでプリントし送る 地味な仕事だけど 手抜きすると今後の活動に悪影響が出るので欠かすことはできない お土産持参と約束事のフォローが肝要だ

 写真は『鮪立へ。』を配った直後別れ際に 4区長さんの家の庭先で撮ったもの 。それぞれの方が津波の被災に遭って色々な場で厳しい場面を何度も観て通り抜けて暮らしているのだけれども とても明るく元気である。 男性ワイワイと違い理屈がないのでスームーズに話が展開するのが好いのである
  

■ 鮪立関係の新聞を活動毎につくりおいてくるのがよいので 形式を考えて毎回発行しようと思い立つ ロゴは京都工芸繊維大の岡田先生のゼミ生に以前頼んでおいたのでそれを使ってつくりたい ネーミングだが 鮪立新聞鮪立まち新聞 鮪立百年まち報 鮪立さぁ〜新聞 色々思いつくままに書いておこう

その場で即新聞発行だな。それならイラストレーターを覚えるのが良さそう。まてまてソフトを持っていないのであった。 一太郎でも可能かもしれない 研究してみよう 鮪立での印刷所はコンビニコピーだっさぁ

「・・・ さぁ〜」と鮪立のひとびとは 語尾にからなず付け話しかけるのであるから 語りかけ方をまねてつくるのもよいかもしれない

■鮪立での19日の活動の様子を動画にまとめて公開した 最後の方が編集ミスで 切れているのだが 様子が分かればいいかと 公開
  

 5月22日  のち 

19〜21日の鮪立活動のでーたを整理し 動画を作り始める 日蝕の粗スケッチ動画を作り公開する 大都会で金環食が見ることが出来たのは923年ぶりとかのニュースも参照動画で付けた

     

 5月21日 鮪立は早朝7時前後 月蝕で暗くなったり 珍しい日となる

月蝕観察どうがを撮り のち唐桑支所に区長さんや地域の方と出向きわいわい ほぼ行程通りに作業を進めてもよいと思った 

支所から戻り 19日に4区の方と話合った避難道路へあがるためのルートをしたからも歩いてみる 下からの方が 上から考えるよりより具体的な困難が分かるので 鳥の目線は道の計画にはふさわしくないと思った

■ 現地徒歩周りからもどり 区長さんとワイワイ 今後の3日間の活動のあらましと今後の予定を大まかに話す 

■鮪立1区の区長さんに挨拶し 百年会の面々と鮪立女子会の呑み会を申し込んで快諾を得る 予定は6月末として 実践するつもり。

 帰り際19日の4区の主立った人とのワイワイを評価されてしまう 。悪事千里を走るではなくって 喜びあっという間に湾内に伝わるということのようだ。地域の人々は厳しく観ているのだけれど まだまだ スピードをあげることができるのだけれど 競争しているわけではないので のんびり展開をしつつ 着実に各自に浸透するような記憶に育てるように進行していくつもり  

■夕方気仙沼市に関係各部署に回り 疑問点などを区長さんと聞き回る 後 気仙沼駅でワイワイ 

■創作ではなくって確認と再確認の作業が多いので  ぐったり疲れた3日間であった 相手もさぞかし疲れただろう 帰りの電車の中に「『鮪立へ。』有料で買いたい人がいるので無いかね」と電話が入る ふりーぺーぱ人気絶大なり



 5月20日  午前やり残した理科大生の測量を眺めつつ 鈴木さんの家を例にした課題の敷地を観る 同時に体験センターを作ったときの そのままを理科大生に体験してもらう 磯焼き各種を食らいつつワイワイ 学生はなぜか喜んでいたので まずます

午後は昨夜4区の人々と話し合ったことが 実際に作ることが出来るのかどうか 現場を徒歩で歩く 計画図を書く学生も強制的に指示し歩かせ現地を理解してもらた 暑くってみんなつかれた模様

■夕方理科大生帰る 次回活動のために準備活動をし始める まずは5区の希望の道が実現できるのかどうか を現地に行って歩いて確かめる 。遊歩道ふうの道が可能だろうなと思う。 時間が無いので 各活動 なかなかスピードを要求するので 理解が進んでいないと思い たらたら進める 

■区長さんの家に泊めていただき酒呑んでねるねる


 5月19日 早朝区長さんから気仙沼まで迎えに行くから何時に着くのかと問い合わせ電話あり 現地の人々も気合い入ってきたようだ 11時に着くよう新幹線を使い 行く 

理科大生は10時頃着いたらしく 気仙沼市ないをうろうろしていたので 区長さんにひろっていただき 鮪立は向かう

■漁り火ぱ^くで昼飯を食い 憩いの家につき測量の準備を開始し 整い次第 学生は測量開始 

■夕方まで 持参した重たいフリーペー100部を配り終える 

4区の意見を整えるために 主立った人に夜集まってもらいよう区長さんに電話していただく 首尾よくよる主立った人が集まり 学生に記録してもらいつつ 厳しい話を長時間続ける 地域の人もかなり気合いが入ったようで 厳しい場面も何度もあったが 評価を得た

そのようになっていくのか予想できたので 選択肢を多く提案しつつ隘路に落ちないように 進行をして ほぼ話合わなければ後々面倒になる用件は話合うことが出来た 


 5月18日  夕方あがる

■明日 鮪立に持参する京都工芸繊維大学岡田ゼミ生がつくったフリーペーパー『鮪立へ。』の濁音とりを修正液と アクリル絵の具をぺたぺた塗りまくり作業 ほぼ午後5時までで終了する。 地元の人と話をしていると訛りしか聞かないので 間違えてしまう のだ 正しい表記の仕方を市役所に確かめてから 印刷に回すよう皆に伝えよう 学習効果だな

■ 石巻の本間家土蔵にアメリカの方から千ドル(8万円ぐらいかも)寄付があり、それで記念樹を植えたと連絡があり HPを更新する。アメリカでは日本からの漂流瓦礫の処理問題ニュースもあるし 石巻では瓦礫を積んでおいたままで各地の焼却場へ運ぶことで問題になっている

瓦礫を燃すのは今日的問題の発生のさせ方で 以前なら埋めるにきまっていたのだが 燃やし続けないと毒ガスが発生する焼却炉ばかり作ったための コスト高なのだ 今や分別でゴミは集めることが慣例になっているので 高性能の焼却場で燃やすゴミが全国各地で不足しているなかでおきた 311の瓦礫問題である 
性能あげて解決し多気分になっていたら新たな問題が生まれていたという 問題は 後のちおきるってことで 原発事故と同様な今日的問題

 5月17日  春雷あり雨来てあがる

■ 家人めでたいと語り正式な辞令があるまえなので 赤飯を炊いて家の内だけで祝う めでたし

■週末に現地入りして配布予定の昨日届いたフリーペパー。不安定な天候のなか 『鮪立へ。』のるび濁音の表示を 修正液とリキテッスをつかって消す作業をする ちょうど色が合う修正液が廃番になったとのことで アクリル絵の具に換えての作業

■鮪立自治会長さんなどとの連絡がつかなかったが 旅行中とだったとのこと ぎりぎり憩いの家を使うと伝え了解をえることが出来た 最低3週間前には連絡をしておきたいものだ 

■ 東京工芸大の建築学科の鍛佳代子先生からから7月12日の特別講義依頼の書類が届いたので簡易書留にて郵送する

■my長男 論文ないように関してNHKより半日取材を受けたとのこと。my長男が2010年に書いた 『17〜18世紀における仙台藩の災害と社会』 が多様な人々の目に触れているようで 著者としてはなによりな出来事であるし、子孫の方との連絡があるので多様に幸いなことである


 5月16日  

 朝から週末活のための準備などして ほぼ日が終わる 日暮れに吉報あり 辞令が来てから詳しいことは書くことにする 

『鮪立へ。』多量に送られてくる 一人で一度に運ぶには量が多すぎて重たいので何度かに分けて運ぶことにする 

■ 昨日は1日あれこれ図面など書いて1日終わる 

■14日はmy長女の家で 夕方までワイワイ 夜戻り 雑用をこなす


 5月13日  昨日今日と快晴の仙台 昨夜からmy長女の家に泊まり活動中

今日は宮城資料ネットの総会が青葉区中央公民館で行われたので参加した 宮城学院女子大学の先生でかつ理事のjfモリスさん 仙台城の石垣についても研究されているので 石垣の町づくり鮪立に合っていると考えた

 鮪立で行う6月末のオーストラリア学生参加のワークショップの講師をお願いし快諾を得た 

昨年8月に行った斎藤善之先生の講義録もweb公開の了解を得た 一気に色々なことが解決していくかのようで嬉しい

■昨日は荒浜まちづくりの会があったので参加した 東北大や東北工業大そして東北学院大学の先生たちが 参加していて 地元の力を遺憾なく発揮している会だった 

 鮪立での活動がどうなのか比べる機会がなかったので、偶然知ったのだが、他の会に参加するはとてもよいと考えた よその地域は現在どのように展開しているのかも知ることが出来た

 復興事業に吸収されないまちづくりでかつ 誰にも頼まれてない活動を展開中だが  まちづくりのポイントは外してないと思った 頼まれていない割には記録の作り方といい いい線に沿って展開しているのは 参加していただいている多数の人々の実力と真摯な態度の表れなので 嬉しい限りだ 

■ 10日11日朝あら夜まで設計作業をし続けて 終わった



 5月09日 晴れのち小雨もあり 夕方風もすこしあり 肌寒くなる

各種しょるいなど整理し 郵送する。壊れたママ放置してて  印刷機がないので近くのコンビニへ行ったり来たりして ほぼ午後は終わってしまう

昼はママ3人体制のコンビニ ちかごろ日中はおばさんが目立つ、若者は除染バイトをしているのかもしれないと邪推してみる

■昔の見積書を出して見ている  

■解体業者に解体費用を見積もってもらうよう依頼したと連絡あり
■造園設計を依頼できるかどうか検討してもらうための資料を石川さんに郵送する 建築をつくらず造園をつくるという考えに至るまでに10数年かかったことになった なっただけいいかもしれない 庭造りは難しすぎる ことは知っているのだが それに奥も深いので触らないようにしていたが とうとうと来たねという感じである 


 5月08日 曇り時々 風ぜもときどきつよし

■my 動画でレビ局 fullchin TVなんだか311以前より観客が増えたのは何でだろうと 思うも理由は分からず

■昨日は朝から晩まで図面手描きをしていた 今日も手描き図面描きだ

 時々建築家に戻ってしまったので 電気の照明を使わず 日中だけ設計することにし 手描きで描き始めて数日目 ほぼ出来た。 キャドが使えない=使い方思い出せないので キャド作業も単純にしようと思って始めた。それに 元時々建築家が時々建築家にもどるのだから 最初の設計 復活設計なので単純な箱にするのが無難なのだ(笑) 

昔はクルクル丸い建築(BOX12など)をキャドで描いてのだが キャド使いかたを思い出すのも面倒だし図面が単純なら実施工・仕事が単純になる とは限らないのが 建築の難しいところだ

311以降も思うことは 建築には人間が生きていくために必要な魅力が無いということだ。すっかり元気で何か権威がほしい者が あれこれれ理屈をひねり出して どうでもいい建築を神格化したい とうい飛んでも輩が作り出す 飛んでも世界のどうでもいい世界の出来事が建築であるのだと いうことを知り尽くしてなにをするか?

で建築を単純にして 建築より長生きする植栽 つまり庭をきちんとつくることが好いとの考えに至ったというわけだ「1000」の数字を平面に(千万家)したことがあるが 単に「1」を平面にしたという単純きわまる 子どもでも設計できる建築にした(まだ設計図は出来てないが頭の中にではすっかり完成した・笑)

これだけ単純ならへっぽっこ素人でも誰でも施工はできるだろう。もちろん俺にだってキャドで設計図は書き上げることが出来るのである

 「1000」から「1」に戻るのも(ダジャレも出来た) ゼロではないところが   好い 春のそよ風のような 感じがして いる(笑) 庭というか 建築が付属物のようになる よう庭や植樹の設計を石川初さんに依頼した これまた他力本願であるかもしれない だめなら自分で植栽するさ


今日のfb
full chin =佐藤敏宏の俺を大学に呼ぶ先生が出現するのは 「full c?hin」とmyサイト名を決めた時は、まさかのためのバリア名な?のだったが 最近はバリア効果なくなってきたのかもな〜 もっと?強力な名称を考えようかと思ったりするのだが・・妙案無し

7月12日大学で 「都市再生」などについて 特別講義の講師依?頼があったので my講義をすることにしました ホウボウの ま?ちづくりの現場のあちこちワイワイの時のような 俺が得意の超〜?下品な下ネタは話しませんけれど 時間や場所が決まったら書き込?むので そのあたりとても 暇な方は聞きに来てね!
 と書いたが・・本当に来て 講義室に入れてもらえなかったら気?の毒だけんどな〜


 今日の呟き
おれが10代の頃は冷戦時代は核戦争に恐怖があった、核戦争をおっ始めたわけでもないのに 毎日放射能物資の放つ放射線づけにされるとは 30代にワイワイしたことが30年後に現実となった。30年の昔 消防士の友達は「そのときは命を賭ける」と言っていたのを思い出すよ 実際事故になってみると 消防士は一時命がけだったが 今は原発に詳しいと言われている大手土建業者 たぶん下請けだろうが 除染で命を賭けて除染作業をしている日々 消防士と土建屋の命賭けは まるで意味が違うと思うのは 土建屋さんには失礼なことなのかもしれない

 5月07日  
 
昨日は測量してきた解体予定の建築の平面図を1/50手描きで仕上げた 今日はそれらを貼り付けた 上に新建築の構想を描いてみた 4,5案 1/50で描いたみた あんがいおもしろいけれど もう少し練り込まないと 建築にはならない

手描きで書き上げてキャドにする予定 時間が無いときは図面のキャド化をバイトで依頼するつもり 

沢山色鉛筆の詰まったファーバカステルとかいう銘柄の色鉛筆で直にトリコロール紙に描く込むのが俺は好きだ 薄くて淡くしたの絵が見えるので 紙質は悪いのだが Bの鉛筆の乗りも 色鉛筆の乗りもいいのだ

長年 トレーシングペーパーは好きになれなくって 紙屋で探して 特別にカットしてもらった紙が沢山残っていたので 当分間に合いそう 太陽に直に当たる場所に10年放置してても変色もしてないのが不思議だ 

製図室(笑)からは電球を全て外して 明るいとき以外は図面は描かないこといした 脱原発型設計方法である。しかし夜になると 電気をタップルリン使ってweb更新だの 呟きだの フェースブックだの メールだのするという、おかしな脱原発のための題一歩としての設計作法だ

鍛佳代子先生から特別講義の依頼がある 7月12日 2コマ続けて講義予定。講義開始や講義場所はまだ不明だが大学内の製図室前らしい。

 5月05日 

 久しぶりに家に戻る。我が家の庭も新緑が美しい、家人と次男が庭の手入れをしている。昨年から果樹農家にいき働いてた(除染もしてた)次男は庭の木々をばしばし除染作業し、見た目は美しくなった。雨樋などの除染をしてないし、屋根がrcなので全て取り除き改めて仕上げないと除染効果はないだろう。理屈は分かっているが、作業はプロの施行屋さんじゃないとできない量だぜ

■ 昨日と一昨日で実測した野帳を手描きで作図する。老眼が進み明るい日中だけの作業となり、やや寂しいのであるが。手は動くけど相変わらず図面はへたくそである。でも伝わるのでよいとしよう。

解体予定の建築を実測し作図するのは、311の大震災で多数の土蔵を実測して、建築系の先人に敬意を表すには、消えゆく建築の弔い作業として解体建築の 作図をし写真や動画におさめ存分に行うこだろうと思ったからだ。建築の記憶化作業を 能力内+人力内で自分なりにするそれしかできないからだ。

目的不合理な作業だと指摘されるのは承知しているが、記録すべき建築なのかどうかは自分で判断せずに、まずは記録をつくることが、建築系先人への敬意をあらわす最良のみちだとおもっている。それほど時間が掛かるわけでもないので、次回も(設計依頼が再びあるとは思えないが)記録化の作業をすることにしよう。

■夜、ようやく、「支援者たち」の動画編集作業を再開する。2月に撮ったデータを2月かけて全てアップ目標だったが 半分しかユーチューブに公開できなかった。

薬剤師でボーカルデビューした江頭昌史さんの動画から再開する それにしても動画編集の技が上達しないのであるよ 単に編集するだけで精一杯。

こじゃれた動画の技を習得してうならせてやりたいのだが、それより数をこなす(現在1年間で112本公開した。216、400ビュー)ことに勤しむよ。数あげる糞じじいでいいだろう。動画テク習得をすっかり諦めている

 5月04日 のち 不安定なぐずついた天気であった

新緑が美しい季節なので何をやってもさわやかな気分が残るのがこの季節
今年は気流が乱れているのであろうか、季節違いの大雨で仮設住宅の被害のニュースもあった

 早朝から測量と野帳づくりをする。解体予定の建築を観に相模原から若い夫婦がやってきたので、コメントを動画で撮る。新築の設計を行いながら、過去の建築の記録を作って記憶されることを整えるべきだと。この大震災で学んだからだ。

建築の世界の先人に敬意を払うという意味もあるので、既存建築を丹念に測量し平面図や写真記録を残しておこうということだ。2棟あり今日は残り建築を測る

久しぶりに測量するので、それほど厳しい仕事ではないんだが年のせいだろうが、どうしても仕事場に戻るとぐったりするのであった

my長女と長電話 研究も一段落したようだ げんきそうであった。今年度ワイワイしてないので 来週末でもワイワイしようという話でまとまる

■理科大の伊藤先生より電話ありてワイワイする 鮪立港まちづくり百年会のワークショップと、理科大生の課題を含めて多様に話す。自腹プロジェクトなので負担の無いかたちで、継続することがとても重要なので、のちのちにつながるwsがいいのではないかと思ったりする オーストラリアの大学生が参加予定で相手があるので意向をなるべくかなえてあげたいとも思う。

 5月03日 曇りのち 大雨の予報がでている

今日から時々建築家に戻った。設計をするまえには現況を丹念に調べないと始めることができないので、須賀川市の設計を依頼されている家と屋敷を測量する
どちゃぶりなので、外の測量はできないものの、悪天候であるこで敷地自身が多様な情報を提供してくれる。最悪な天候がもっとも良質の敷地の力を教えてくれるので、このタイミングを逃しては、建築家として最出発はできない。

いわゆるリハビリ建築家=再時々建築家というこだ。いきなりプランをつくったりスケッチをしても、効果があるとは思えないので、まずは地力に耳を目を鍛えてもらうことが肝要だろう


6時間ほど測量しつつ野帳面をつくる。既存建築の1棟。細かく調べると大震災で家が使えないほどゆがんでしまいっていることが判明した。基礎が壊れ家がゆがんだことが原因だが。施工の悪さも災害時にはてきめんに出るから、日頃からしっかりした工事をしつづけるその真摯さが抵抗力になることが分かる。


■今朝測量へ行く電車の目の前の席に飛び乗って来たのは、福島大学副学長の清水修二先生だった。たしか30年ほど前の自主映画だったか記憶は定かで無いが「原発切り抜き帳」という映画を観ていたのは先生と俺と友達の記者だった。「だれだ?」と聞いたら「清水先生だ」と友達がはいた

30年ぶりで突然目の前に現れた先生は『原発になを地域の未来を託せるか』福島原発事故後ー利益誘導システムの破綻と地域再生への道(2011年6月15日初版)を俺にくれた。くれとさいそくしていないよ!初対面だったが30分の間に俺はその...本をいただいちゃう対話術なのであるよ(笑)原発交付金と地域の財政問題を長年研究している先生でもある

短い電車の中でワイワイ先生とワイワイ、相違点は多数あったが、福大のまちづくりの某氏より遙かに倫理が明快で強かったのである「先生の定年後=2015年から一緒に原発事故後の町づくりしましょう」と俺は伝えた。もちろん東大政研の加藤先生の「百年後もどる会」と同室になるはずだ


 5月02日  

データ整理などする 


 5月1日  五月晴れのよい天気である

■311以降の活動も速度が小さくなってきたので、すこし腰を落ち着けやりのこした仕事をするための まずは身の回りの整理をする 送っていなかった原稿や郵便で出し 棄てなかった物など処分する

■郵便物を出しに出かけたら、仕事場そばの線量が高かった弐斗蒔き公園には無人太陽光発電で動くのだろうか? 俺より容積がでかい空間線量計が設置されていた

表示されてる 0.3μsv程度で除染したのだろうが 以前の10倍ぐらいの線量だろうか 子どもが遊んでいる姿を311以降みることがなくなった公園だ 今日も誰もいない 鮮やかな遊具だけが華やかな色彩を着飾っていた

■早稲田出版部から『新聞は大震災を正しく伝えたか』〜学生たちの紙面分析

940円+税 早稲田大学ブックレット「震災後」を考える 018  花田達朗ゼミ生が主に書いた本