鮪立計画(2011/08/25〜28) 齋藤善之先生 講義録(文字起こし・文責:佐藤敏宏)Home 2011/08/25 「大規模イエ経営体・鈴木家の由緒と三陸地域社会」 (その01) 由緒 (その02)居間の額を紐解く 千石船 まとめ (その03)大規模イエ経営体 質疑応答 次が3番に入りますちょっと理屈っぽくなりますけれども我慢してお付き合いいただければと思うんです。大規模イエ経営体と三陸地域社会ということで、少しまとめてみたものです。 これはですね。ここに引いた文章というのは、実はこういう本(『近世南三陸の海村社会と海商』)を出しました。昨年の5月に私ともう一人高橋美貴さんという、東京農工大の二人で。共著で中は何人かの研究者達の論文を集めた、論集ということです。佐藤さんの長男でいらっしゃる佐藤大介さんも書いてくださって。「海の郷士と地域社会」という論を書いてくださって出ているんですが。これを去年(2010年)出しました。 これは、今私が話して来ているようなことを鈴木家よりも前に、同じ様な大規模経営体だとして注目した、もっと南の地域の、十三浜、石巻になりますけれども。 旧北上川の河口に当たる地域の大規模経営体の永沼家っていう、鈴木家とほとんど似ている、そっくりのような存在があるんですが。そこの家の古文書を分析して。見えてきた世界。ここの中でところどころに永沼家って出て来ますが、これを鈴木家と読み替えていただいても まったく 違和感なく受け取っていただけるのではないかと思うんです。 ちょっと紹介読んでみたいと思います。これはこの本の高橋さんとで書いたはしがきからピックアップしました この地は太平洋の大海原に面し、そこの迫るように連なる山々と、その山懐から発する大小の川、それらが刻んだ谷、海へと広がる盆地と平地、それら大小の地形が織りなす多様な自然環境が豊かに残された地域である。そこでは集落や町場といった人間の拠点も大いなる自然に包摂されるように点在し、とりまく自然環境に対応しながら様々な存在形態を見せている。 まあ日本の中でも、この自然の圧倒的な存在感と、その中での人間の小ささっていうか、人間の小ささという意味では、東北は北海道と並んで。関東関西に行くと集落やなにかが連綿と続いていて自然よりは人間がそれを支配し圧倒してるって感じしてますけれども。それとは違いますよね。そのことを言っております。 このように、この地では人々の生産や生活の営みは、なお豊かな自然と共にあり、海や山や野における多様な生業がm直接的かつ複合的に結びついているところに特徴があると言える。そうした有り様はかっての研究史においては、どちらかと言えば社会的分業の未分化を現すものととらえられ、遅れた東北社会の象徴とされた。 これは研究史はかって東北というのは遅れているんだ。その遅れているのはなんでか?と言うと要するに鈴木家とか永沼家のようなところに生産と消費とが全て未分化の状態で包摂されていて、分かれてないんだと。それらが社会的に分かれていく。社会的分業が発達していくことが進歩であり進化なんだっていう。戦後日本のですね、進歩史観、発展史観からいうと「東北ってなんて遅れた地域」というふうにずっと言われてきました。研究者達もそういう目で分析してきたんです。が、そうではないく考えられないか?っていう問題提起です。 これに対し、例えば本書で高橋論文では、海の資源と山の資源とが結び付くことで相互に利用が促進された点に、この地の生産活動の特徴を見出し、それにより地域内外の様々な技術、技能・技量をもった人々の連なりが生み出されたとして、このような特質を社会的分業の未分化としてではなく、この地に相応しい資源活用のありかたとして、積極的にとらえかえす視点を提示する。これに加えて、東北社会特有の歴史的遺産といえば、豪壮な屋敷構えをようする大規模経営体の存在も注目されよう。 これは鈴木家をイメージしていただければ良いと思うんですが。かねてからの東北史の論点となり、古くは戸谷敏之らの、役屋体制論なども想起されるが、そこではこの地の大規模経営体は家内奴隷としての名子被官を多数抱え込む奴隷主的存在とみなされている。その後の東北史の論者である森嘉兵衛、 岩手大の教授でもう亡くなりましたけれども。あと 細井計さん。岩手の研究者。この地の大規模経営体は浜子とか現地網元ら生産者漁民を前貸し的に金融支配する前期資本と位置づけていると。 これもまた唯物史観でしょうけれども。そういう観点からすると、社会の発展段階の中では。例えば武士と農民が分かれたように、商業者も流通者も、色んなものが専門分担、より細かく していくことこそが、社会の発展だ。それは大都市なんかではもちろん、そういうかたちが我々の前に見えているわけですけれども。この地(唐桑半島)ではそういうものが全部、未分化のまま、大きな鈴木家のような、大規模イエ経営体の中に全て包摂されていると。生産の拠点、消費の拠点、人々の労働の場。場合によっては医療とかですね、宗教すらもですね、この中で全部完結するようなものなんですね。 で、これに対し私などは東北社会と大規模イエ経営体について、この地の圧倒的な大自然と、そこでの副業的な生業のありようこそが、それらを統合しつつ開発を推進しうる主体として、此地に固有の大規模経営体を生み出した。 ちょっと硬くてわかりにくいかも知れませんけど。鈴木家のような存在が全てをマルチに包摂して、色んな生産手段と消費手段と人々の労働力を束ね。そして、大自然の中に、ある意味 大地を開発するための砦のような存在として、存在していたと。そうでないと開発も出来ないし。大都市のように商人と、生産者と消費者が分かれているとか、そういう状況では、こういう地域では生存も出来ない。開発も出来ないんだと。こういうことを端的に言いたいわけです。 そういうわけで、東北社会の地域特性についついて、 近世、江戸時代後期の各地域が社会の個性を声明しながら相互に依存し補完していく、というのが江戸時代後期の全国市場の姿なんではないか?私の一つの理論であります。 このように前近代の全国的構造の中でとらえるに、東北社会は北海道とともに雄大な大自然と豊富な天然資源をようし。これは農産資源だけではなく鉱物資源も日本で最大級、まあもっていてた、いる訳です。開発の余地を残した地域と見ることが出来る。多様な生業が複合する、といったこの地の特質も、大いなる自然に分け入りそれと深く切り結ぶ人々の生産や生活がもたらしたものであり、固有の大規模経営体の存在も、そうした多様な生業を統合しながら開発に当たる主体形成という観点からとらえる。 要するに色んな生産の手段。漁業 それから林業、農業も含めて。色んなものを生産する手段を大規模イエの中にとらえこんでいる。それをさらに船でもって遠距離輸送もできる。こういう存在が有機的にですね、機能しているということこそが、この地域の開発にとっては極めて重要であり、逆に言えばそういうものでなければ、おそらく人々も生存すら出来ていない、というふうに考えております。こういう訳で、そういう位置づけをですね提示してみたということです。 ちょっと飛ばしまして、したから4行目。ちなみに近世初期から前期にかけて東北沿岸の漁業開発が紀州とか、関東の漁民達がこっちへ進出して来て、この地でなされる。というのは周知の事実なんですが。 これについては傍線どころで、関西や関東から来住したこの地の大規模経営体が、資金力や労働力ばかりでなくって、進んだ技術力をも携えてこの地にやって来て、開発を進めながら定着していった。 鈴木家は先ほど言ったように熊野からやって来た由緒をもっていると言いましたけれども。鈴木家自身が紀州の進んだ技術と、紀州で貯えた豊富な資金と、さらには鈴木家を中核とした緊密な漁業者集団という。たぶん数十人ぐらいは居たと思います。それが一挙にやって来ると。そしてこの地に未開の自然の中に定着して、その周辺を立体的に開発していく。こういうイメージで考えるべきであろうということになります。 あとは棒線部を飛び飛び見ていきますとちょっと、5頁ですが。この地の大規模経営体というのは領主と地域を仲立ちする社会的存在でもあります。先ほど言った領主が巡見する。領主が出郷といって、この地域にやって来るときに、色々なサービスをこの地域でおこなっていくことを通して、この地域の一つの権威、中核、というものも兼ね備えていくっていうようなこと。 それから次の棒線のところ、地域社会が抱える諸課題に対して、イエ自らが公共的機能を担う動きを指向していた。これは佐藤大介さんが言っていることなんですけど。地域リーダーの中に自分がいる村を越える広い地域社会の利益を追求しよう。つまり自分の狭い地域利害だけじゃなくって、地域全体の公共利害だけじゃなくって、地域全体の公共利害、ないしは地域の生存を保障するためには何が必要か?そういう観点からの動きっていうのが、この地域リーダーが、この時期に積極的に果たしていくと。 そういう中で次のところ。遠く隔たった地域との活発な交易というのをこの人達が担う。担うことによって、この地に無い物を他から持ってくる。ないしはこの地で生産された物を他に持って行って富みに換える。こういうことをやる。ということですね。 そして平川さんが言っているように、商人ネットワークっていうものは、それを支えている。ということで次のところ生業の複合的な存在、大規模経営体の出現。全国流通構造の展開といった、 東北社会の特質は、「東北フロンティア社会論」と私は言っているんですけど。あんまり浸透してないんですけど。ふふふ。 要するに、未開の大資源がある、東北をどう開発するのかっていうときに、単なる専門分化した商人がぽんと入って来るとかではとっても対応できなくって。全部一つの大きな存在の中で抱え込んだものがユニットとして入ってきて、この周辺地域を全部開発していく、いうようなものとしてのイメージを作っていかなければいけないであろう。 僕も時々三陸なんかに来ると、山がずーっと続いていて。おそらくれ関西なんかにこういう山あったら、誰かが植林かなにかして有効利用してる景観に換わってんじゃないかなと思うようなところが、まだ未利用な感じの自然が一杯残っている状況まだあると思うんですね。 これが江戸時代までずーっと遡っていくと、さらに色濃く残っていて。むしろ大自然の中に今やっと開発拠点地が集落がぽつんと存在して。そこを拠点に周辺開発を行っていくようなイメージなのではないか?ということです。 そういう訳で、非常に東北は資源が豊かなんですけど、その資源は単に存在しているだけでは、資源にはならないので。それを開発して。ないしは必要とされる場所に持って行って初めてそれは冨、本来の資源になるんで。資源化っていうことが出来る存在っていうのは、こういう大規模イエ経営体というかたちで、東北では立ち現れて来るのではないかと。いうのが6頁のところですね。 言うまでもなく資源は資源としての自然物が、天然に存在するだけでは資源ではない。資源の可能性がある物が、天然に存在しているだけである。それを求める生活文化なども含めて社会的需要、それからそれを開発する技術とか技能。それを取り囲むイエとか地域社会とか行政、集荷とか運搬携わる集団といった様々な仕組み、システムがあって初めて、東北の天然資源は人々の社会にもたらされ、資源化する。ということですね。 これは簡単にできないはずで。東北地方における海村の自然資源を資源化する要として、近世に出現したのが大規模イエ経営体である。いうことでです。交易システム、行政システムとも関係していくると次に書いておきました。 最後の処で、私がその中で論文をちょっと書いてまして。同じことなんですけど。第六章というとこの下の方なんですが。 三陸沿岸地域に大規模なイエ経営体が多数生み出された必然性を解明しようとした。実は鈴木家のような存在がぽつんぽつんと、ずーっと沿岸伝えに存在してます。だいたい2,30kmぐらいの範囲で。ずーっと在ります。例の吉里吉里の前川家とかですね。吉里吉里人という井上ひさしの小説になった素材ですけれども。前川家もそうですし。大船渡の千田家、それから唐桑の鈴木家、南に行けば名振りの永沼家といった存在が次々と浮かびます。 こういう巨大なイエ経営体が地域社会にゆうした。地域社会が持っていて豊富な天然資源の開発、地域社会の人的資源の活用のためにも、コア、核となるような、鈴木家のようなものが、どうしても不可欠であると。 で地域の民衆にとっても、資本と技術を有する巨大な存在を地域の中に持つことで初めて再生産可能になると。自分たちも生きていけるんだと。いうことになったのではないかということです。 (まとめ)一軒一軒の家を復元しただけで、この地域は再生していくのか? ということでまとめです。鈴木家に典型的にみられるような大規模イエ経営体が三陸地域に多数存在した歴史的意味というのを今、改めて吟味する必要がある。 つまり、大震災、その後の復興のときに、地域のアウトラインをどう考えているのか?っていったときに。かって地域が生存していくために不可欠なシステムとして作り出していたのは、大規模イエ経営体だと私は考えていますので。それをそのままのかたちで復元しろ!とは言いませんけれども、それが持っていた機能をもう少し腑分けして考えた上で、その機能をどう現代の中で蘇らせていくのかを、考えていかないと。単に漁民、個々の漁民、一軒一軒の家を復元しただけで、この地域は再生していくのか?いう問題になるのか?ということです。 やはり今でも、この東北というのは圧倒的に未開発の部分が残っている。大自然が在って、それと人間社会が対峙してるのが東北の社会であると、私は考えてます。しかしその圧倒的な自然は時に暴力的な自然でもあるということが今回示されて、地震と津波もその典型ですけども。実はそれだけじゃなくって、何十年ヵにいっぺんぐらいは、天候不順による飢饉というものも、必ず東北は襲われて来ております。 そういう意味でもですね、東北の自然というのは豊かで人間を食べさせてくれるだけではなくって、ときには暴力的に人間を苦しめる。そういう自然と向き合う人間の知恵っていうか、あり方をとしてこういう、歴史的に作り出されてた、編み出されて来たような存在がある。大規模イエ経営体というものがコアにした地域社会の編成のあり方というのがあるんじゃないですか?ということです。 危機下における、地域住民の生命維持というものをどう果たしていくのか?というときに、実は鈴木家は今回も非常に大きな力を発揮したとこと実証されてまして。それは鈴木家の台所に大きな釜、鍋が在るの御存知ですか?見ました?火を絶やさずに大きな鍋が。今でも在ります。あれは、御当主によれば間違いなく三陸津波、明治29年、昭和8年の津波のときにも、地域住民をあの大釜で救った。つまり1週間ほど炊き出しをしたりですね、したと。いうことです。 今回も。平成23年の今回は、あの鍋で1ヶ月半ぐらい地域全体の人達が、湯を沸かしてもらい、それで基本的な生活の最低限のライフラインを。あの鍋が維持していた。ということだそうで。 まさに、鈴木家が持っていた資源の 一端がいかんなく現され発揮されている。かってはもっともっと色んな機能を鈴木家はおそらく持っており、それが発揮されていくことによって、危機っていうものを、乗り切る力もまた持っていた、というふうに思うわけです。 大規模イエ経営体といのは何かというと、言い換えると、一定程度の、外部から遮断されてしまっても、一定程度自給し自活出来る完結型社会というものを内包している。こういうものを活かして、地域開発をしてきたっていうのが三陸の歴史である。というふうに考えたときに、そういったものの歴史遺産をどう開発し、これからの、地域再生の中に取込活かしていくもか重要な視点になるのではないか?というのが私の提言になります。以上で鈴木家の歴史からみた地域再生への一つの考えっていうことでご理解いただければと思います。以上です 会場拍手 パチパチパチパチパチパチ 質疑応答 ●質問1● 大橋:生業の話として大規模イエ経営体の復元、統合して一つにしてやらないといけない言う部分は何でなんかな?と。いうたら色んな人達がその町で活動が出来ていて、それを上手く、まとめる。それを別に大規模イエ経営体一個に!?、一元化してやる必要性と言いますか。そこが分からなくって。 齋藤:極めて重要なとこですよね。仰るようなカタチでこれまでは大規模イエ経営体なんて前世紀の遺物だし、中に包摂された人々の自由を奪っているんじゃないか?と。独立性も奪っているし、そういうものは早く解体しなければいけないんだ。悪いもんだってずーっと言われて来ましたよ。 大規模イエ経営体は歴史には各地に一杯在って。酒田の本間家もそうだし、齋藤家、大規模地主もそうだし、酒田はああいう広い耕地が在る所では大規模地主ってかたちでそれが現れてきますし、金沢なんかでは戸村(とむら)っていうふうに、してですね。能登半島やなにかを中心に大きくポンポン存在していですよね。それを全部近代の我々の社会では悪い、だめなんだって言って。 その中の色んな機能は腑分けして専門分化させて。でその中の漁業は漁業。専門家としてやっていけばいいでしょうと。流通は流通でやんなさいと。その中の農業部門は農業部門としてやんなさいと。分けてく来る、というのが近代化の発展だっていうふうに、いってずーっとやってきた訳です。 その結果そうなったのか?ということなんですね。バラバラになになっていったら、機能化したか? 機能化した面もあるんだけど、それぞれが勝手なことをやり始めてと言うか、まとまらない。地域の生産、こっちはこっちで。 例えば、漁業だけをやっていくと、この漁業生産には良いかもしんないけど、地域にはあんまり好くない物をまき散らしてしまうとかね。そういう地域全体を観る視点が無くなって来て、でまあ自分たちの集団の地域利害か、個別の利害をドンドンドンドン深く追及していくって。利害が調整出来なくなってきたんだな、地域の中で。そういう中で今回の災害みたいなときには、さらにそれが、何て言うのかな〜。悪い方向に向かってきてる部分があるんじゃないか?ってことですね。 そういう意味で我々が作った来た文明も含めてなんだけども、社会のあり方。限りなく専門分化して自分の専門分野には詳しいけれどあとは知らないよっていう社会の集合体として、あとは誰かが調整すればいいやという。そういうもので果たして成り立つんでしょうか?ね。っていう疑問が投げかけられ始めて来た。 かってのように、大規模イエ経営体そのものに戻れば良いというふうには私は言ってませんけれども。それが持っていた個人に集約されて、例えば鈴木家御当主という一つの人格が地域のためには何が良いのかっていう観点から漁業生産や何かを大きく見ている。 その中で様々な生産部門があるんだけど。その部門の調整というのは俗人的に、人間の意識の中で完結するかたちでコントロールされるっていうものの意味って非常に大きい。特に災害の中で、大きかったんじゃないかっていう反省を込めて、認識されるようになって来てるのではないかということです。 これは我々の価値観を含めた文明観みたいなものとも関係してくるんで。中だけ換わりますと一挙に転換しようって難しいし。そういうもんなんで。 おっしゃるような疑問は当然出て、当然だと思うし。私もそういう面に、機能分化もしなければいけないっていう処も、完全に脱却しているわけではなくって、それは認めております。ただそれで、やってきた近代社会の進んでる方向で、これから本当に良いんですか?ということも含めてね。原発の問題なんかも含めて。誰かがどこかで専門的なことちゃんとやってくれればそれで良い、俺たちは知らないよって言う社会で良いの?っていうことが問われている。 それをこういう地域再生の、こういう皆さんのコラボレーションをやるっていうのは、まさに、それをどう復元するか?っていうか復活させていくかってい、う取組そのものなんでないかと僕は考えて、だからこそこういうことをやっていくことに意義が出来ているじゃないかっていう意味を込めて、さきほど言った大規模イエ経営体が持っていた歴史的機能についてもっと目を向けることが我々の地域再生、地域復元にとって意味がある。 存在そのものを復活させろって言うんじゃなくって、持っていた機能を我々がどう読み換えていくのか。読み出して、それを新たに再生していくか。それはまだ今 充分に再生出来てないと僕は思っているので。というのがお答えには成り兼ねますがふふふ。充分にはなってないけど。そんな感じで考えているっていうことですね 感想 石田:はい。ありがとうございました。凄い鈴木家の大規模イエ経営体であった鈴木家の歴史を、時系列的に言ってくださったので、これまではちょこちょこ情報はもらっていはいたんですけども、それが統括出来て凄い分かり易くなりました、 歴史が。 天保の飢饉だったり、そういったこの集落が危機に陥ったとき。今もそうだと思うんですけれど。そういう事を時系列的に観れたことで、今の僕たちの立ち位置っていうのが凄い相対化されて。何をすべきか?っていうのも分かり易くなったんじゃないかなと思います。 それで大規模経イエ営体っていうのが、今僕たちが住んでいる東京でも言われていることですけども。 凄い末端まで分化されて縦割りになっている。それがで機能が細分化されて。それがつまらなく。社会や人々の繋がりがつまらなくなって来たりしたっていうのは。 それは大規模イエ経営体というと、昔のプランテーションとか小作農とかを思い起こさせるんですけど。その中にも、なんかしらの人々を統括する良い方法が有ったと思いました。そこを抽出して来て現代に解釈することが大切だというのは凄い共感する部分でした。 佐藤:はいありがとうございました。じゃ稲垣さん 意見質問など どうぞ。 稲垣:レクチャーありがとうございました。僕も大規模イエ経営体というものに対しては知識がなく。なにかそれが。 一般的な議論でいうと、前近代的なイメージ植え付けられている。そこから学ぶ、多分にあると思うのです。分化して、その分野だけ突き進めても、先進性を見出す時代では無くって。終わりつつあるのかなーという気がしていて、思考を柔らかにして まとまりの中で出来ればいいかなと。 齋藤:いやー嬉しい意見で。ちょっと付け加えますと。労働力とかね。そういうものを束ねて有効に。例えばこの地域で。100人ぐらいの漁民達が居て、漁民がバラバラに勝手に操業したんでは何も捕れないというのを、統括的にみんなで共同作業しよう!とかね。そういうのをさらに、生産手段も持っている。船とか大網とか。 個々の者は持てないようなものを持って。それを、全体として企業的に統括するっていう存在が、かって在った。 それだけでは実はなくって、鈴木家の蔵は古文書一杯あるって言いましたけれども。あれは要するにこれまで400年この地域の人がどうやって生きて来たか?っていうことを、記録してとどめているタイムカプセルになっているわけであって。要するに飢饉の時代もあったし、非常に津波も何度もあったけど、その中をどうやって乗り越えて生きてきたのか?。どうやって復興したのか?っていうことを、たぶん書いてるですよね。 ただ、全部読めないね。まだ。あまりにも多すぎてふふふふ。今、目録作っているくらいで。僕が一生掛かっても読めないんですが。読む糸口は付けようと思ってやってますけども。 そういう地域がこれまで生きて来た手段とか、方法を、我々に教えてくれている、タイムカプセルが土蔵であり、土蔵の中に納められている古文書などで。これは危機をどう乗り切るか?っていうときに、常に参照されるべきインデックスなんですよね。 それが充分に参照されるような仕組みを我々作って来なかったというか。あんまり大事にしてこなかったんで。「古い物だから、もういらない」みたいな。ふうにする時代すらあったんで。それではいけないんだとも付け加えて言いたい。 鈴木家が持っている物っていうものは単なる技術だけじゃなくって、知的な記憶的な。あと精神的な絆っていうものも含めた、非常にメンタルな面でも色んなものを持っているわけで。物的なものを当然 持っているですけど。精神として束ねながら、それを所有されている。これはだから、なかなか。 例えば、東京に一杯大企業ありますけど。大企業は大きな力を持ってますよね。その大企業が果たして災害のたときに役に立ってくれる企業も一杯あるんだろうけども。トップの考え方一つでは門戸閉ざしてまっているかもしれない。地域っていうものの福祉っていうことを考えるか?どうかっていうのは、あやふやですよね。 この災害でも、鈴木家にみんな来て生存をまっとうしたけですよね。東京に。何かでとんでもない災害に遭ったときに、どこに身を寄せようと言うのか? 鈴木家のような機能を持っている地域、というものの利害とか、地域を再生させるとか、地域の人々を生存させようという意識を持った組織体というのを、社会の中に持ってないと 危険。生存を全うできないんじゃないか?。 、 それに近い存在はあるかもしれないけど。それらが かつて気ままに自分の利害のみを追及するようなことを災害の中で、やり合ったら、おそらく壊滅するんじゃないですか?。そういう利害調整みたいなことを、ちゃんと地域の観点からやれるかどうか?それが問われている。完璧ではないけれども一番近い存在として歴史的に持って来たのは、鈴木家のような大きなイエ経営体。 地域に密着して保ってきたというふうに私は考えている。もっと、もっとそれが持ってきた機能とか役割というのを再発見しなければいけないんじゃないかな〜と今思っているということです。 齋藤善之先生の講義のあと みんなで昼ご飯をいただきました 貴重な講義をいただきまして 齋藤先生ありがとうございました (鮪立老人憩いの家和室にて 調理担当 鈴木都重子さん 村上綾子さん) |