第三のジャーナリズム

花田達朗

2024年12月作成:佐藤敏宏     
出典:本稿は、月刊総合雑誌『地平』第1号、2024年7月号、74-84頁。同じく第2号、2024年8月号、166-175頁。同じく第3号、2024年9月号、122-131頁、地平社、に掲載された。ここに再録するにあたって若干の加筆を行った。
Third Journalism

               by Tatsuro Hanada 

1 潮流の変化と入れ替わり――私から見えるもの


 今年1月元旦、能登半島地震発生のあと日本「マスコミ」は連日、災害報道で埋め尽くされていた。他方、ドイツでは極右勢力の脅威が露呈する中で全国の津々浦々で極右に反対する街頭デモが沸き起こり、メディアはその政治報道で満たされていた。大都市の中心部は連日、どこも何十万人というあふれるばかりの人々で埋め尽くされた。
 これまでデモへの参加を敬遠してきた人々を含めてそこまで多くの人々を動かしたきっかけは、ベルリンの非営利の探査報道ニュース組織『コレクティブ』(CORRECTIV)が1月10日にネット上にリリースした記事「ドイツに敵対する秘密計画」(註1)である。大手メディアすべてが直ちにその報道をクレジット付きで転送し、誰もが知るところとなった。『南ドイツ新聞』などは「立ち上がるドイツ」という大見出しでデモを報じた。



(註1)の『コレクティブ』の記事「ドイツに敵対する秘密計画」(数カ国語に翻訳されて掲載されているが、ここでは英語版とする)のU R Lは、https://correctiv.org/en/top-stories/2024/01/15/secret-plan-against-germany/

2024年1月24日にドイツ南部のバーデン・ヴュルテンブルク州の州都シュッツトガルトの中心にある新宮殿の前の広場に集まって、極右に抗議するデモ参加者の様子(『コレクティブ』のサイトから引用)

1. Alternation of Tidal Currents: What I See from My Perspective


 On New Year's Day in January 2024, the aftermath of the Noto Peninsula earthquake dominated Japanese media, with constant coverage of the disaster. In stark contrast, the German press focused on political upheaval, reporting extensively on nationwide protests against the growing influence of far-right movements: each day, hundreds of thousands gathered in major cities to demonstrate.
 One pivotal factor driving even previously apolitical individuals to join these protests was an article titled “A Secret Plan Against Germany” (Note 1). Published on January 10 by Collectiv, a Berlin-based nonprofit investigative journalism organization, the piece became an immediate sensation. Mainstream outlets quickly amplified the story, ensuring widespread awareness. For example, the Suddeutsche Zeitung headlined its coverage of the protests as “Germany Rising Up.”


何が起こっているか
 ベルリンに近いポツダムはプロイセンのフリードリッヒ大王が居城を構えた地だが、第二次世界大戦の戦後処理を決めた「ポツダム宣言」で現代史に名を残す。ポツダムの周辺は湖沼地帯で、多くの小さな湖が連続して点在する。私は以前、テンプリナー湖畔に建つアインシュタインの別荘(1929年から1932年まで家族と住んだ)と、ヴァーン湖畔に建つナチス親衛隊の別荘で行なわれたが故にその名がある「ヴァーンゼー会議」の場所で、今は記念館となっている建物を訪れたことがある。親衛隊トップのラインハルト・ハイドリヒが主宰した1942年のその会議でナチスの高官たちはユダヤ人の大量虐殺計画をより効率的に実行する方策と体制を決定した。
 『コレクティブ』の記事の舞台はそのヴァーン湖からほど近いレーニッツ湖を臨む田園ホテルである。
 昨年11月25日、そこに20名ほどの極右やネオナチの諸勢力の代表者たちが秘密裏に集まり、「マスタープラン」と財源について協議したという事実を暴露したのである。そのプランとは、ナチス時代の民族浄化と似ていて、移民やその子どもですでにドイツ市民権を取得している人々や人種的にドイツに同化できないような人々をドイツから「再移民出国」(Remigration)させて、北アフリカの一角にまとめるという移送計画だ。呼びかけ人は生涯にわたって極右シーンを生きてきた、デュッセルドルフの元歯科医師であり、会議で基調講演を行なったのはオーストリアのネオナチのイデオローグであるマルチン・ゼルナー(註2)である。参加者の中には極右政党AfD(ドイツのための選択肢)(註3)の現職の連邦議会議員、AfD共同代表のアリス・ヴァイデルの右腕であり元連邦議会議員のローランド・ハルトウィッヒがいる。AfD以外の極右のグループも出席している。寄付者として企業家や経営者の名前も挙がっている。記事ではその会合での各出席者の詳細な発言が引用されていて、その模様が再構成されている。
 『コレクティブ』はこの秘密会合の開催情報を得たあと、チームを編成して現地に入り、ホテルのまわりに設置したカメラ数台で会議室の窓辺に立つ出席者たちを撮影し、証拠として記事に掲載した。さらに一人のレポーターが客を装ってホテルに宿泊して会合を観察した。おそらく盗聴マイクを仕掛けたであろう。
 ドイツの極右台頭の問題は本稿では横に置くとして、ここで私が注目するのは、秘密会合への招聘通知の手紙(通信はメールでは行なわれず郵送された)を情報源から入手したのが『シュピーゲル』誌や『南ドイツ新聞』ではなく、新興の『コレクティブ』だったということである。2016年の「パナマ文書」報道の時にウィスルブロワー(内部告発者)であるジョン・ドゥー(匿名者が名乗る時の名前)が情報提供先として選んだのは『南ドイツ新聞』だった。同紙がICIJ(International Consortium of Investigative Journalists)(国際探査ジャーナリスト連合。1997年にチャールズ・ルイスによって設立)に協力を求め、各国メディアを通じて世界的な同時発信となったのはまだ記憶に新しい。『コレクティブ』が大口寄付者からの300万ユーロ(当時の為替レートで換算して、約4億3000万円)の資金によって設立されたのはその2年前の2014年のことだった。それから10年経った今日、『コレクティブ』はウィスルブロワーから選ばれるニュース組織になったのである。『コレクティブ』はこれまで北ドイツ放送協会および『南ドイツ新聞』と3者協定を結び、共同企画・共同取材・各メディア別コンテンツ制作・同日一斉発信のコラボを組んで成果をあげてきた。欧州各国を股にかけた大規模な政府助成金詐欺事件「CumEx-Files」スキャンダルの暴露などである。
 今回の極右をめぐる大スクープは『コレクティブ』単独で行なわれた。この大ブレークはジャーナリズムにとって象徴的な出来事だと私は思う。設立後10年に過ぎない『コレクティブ』の名前はドイツの一般の人々の頭に焼き付けられた。大口寄付者への依存から脱却して月極定額寄付金の比率を上げていくきっかけになるかもしれない。

註2)マルチン・ゼルナーは1989年ウィーン生まれで、若い。欧州各国の若者の間で広がっている「アイデンティティ運動」の頭目の1人で、移民排除を主張し、非暴力直接行動を戦略として唱えている。その「アイデンティティ」とはヨーロッパ人のアイデンティティを指す。彼は、Blog、雑誌、ミニ集会、Facebook、YouTube、Instagram、サブカルチャーシーンなどあらゆるコミュニケーション手段を駆使して浸透を図る。また過去の左翼の手法や用語を換骨奪胎しつつ横取りして活用する。著書に、Martin Sellner, Identitar! Geschichte eines Aufbruchs, Schnellroda: Verlag Antaios, 2017.

(註3)2013年にドイツで結党された極右政党AfD(Alternative fur Deutschland)(ドイツのための選択肢)の勢力は、前回行われた2021年の連邦議会選挙では有権者の10.4%の得票を獲得し、第5位だった。第1位の社会民主党(25.7%)、第3位の緑の党(14.7%)、第4位の自由民主党(11.4%)が連立政権を構成し、第1党のオラフ・ショルツが首相に就いた。最大野党となった保守党のキリスト教民主・社会同盟は24.2%だった。今日AfDが勢いを増す中で注目されているのは本年6月の欧州議会選挙と9月の東部ドイツのブランデンブルク、ザクセン、テューリンゲンの3州の州議会選挙の行方である。東部ドイツつまり旧東ドイツの地域ではAfDが強く、今回の選挙でAfDが州議会の過半数の議席を取って、初めてAfD党員の州首相が誕生する可能性が取り沙汰されている。

What’s Happening
 Potsdam, near Berlin, is a city rich in history. It is famously home to King Frederick the Great’s palace and played a pivotal role in modern history as the site of the Potsdam Declaration, which shaped post-World War II geopolitics. The area around Potsdam is dotted with lakes, forming a picturesque district. I once visited Einstein’s villa on Lake Templiner, where he lived from 1929 to 1932. Another significant landmark is the Wannsee Conference site-a villa on Lake Wann. This memorialized venue hosted the 1942 Nazi meeting, led by SS official Reinhard Heydrich, where plans for the systematic genocide of Jews were finalized.
 The backdrop for Collectiv’s expose is a secluded hotel overlooking Lake Lehnitz, not far from Lake Wann.
 On November 25 of last year, around 20 far-right and neo-Nazi representatives secretly convened at this hotel to discuss a “master plan” and potential funding sources. The plan, disturbingly reminiscent of Nazi-era ethnic cleansing, proposed the forced “remigration” of migrants and their descendants-including those with German citizenship-deemed unable to “assimilate racially.” They would be relocated to a designated area in North Africa.
 The meeting was organized by a former dentist from Dusseldorf, a lifelong figure in far-right circles. The keynote speaker was Austrian neo-Nazi ideologue Martin Sellner (Note 2). Participants included Roland Hartwig, a Bundestag member from the far-right AfD (Alternative for Germany) party (Note 3), a close associate of AfD co-chair Alice Weidel, and other far-right leaders. The attendee list also featured business executives and entrepreneurs identified as financial supporters. The article recounts detailed conversations from the meeting, quoting participants extensively.
 Acting on a tip, Collectiv deployed an investigative team to the site. They discreetly positioned cameras around the hotel to capture images of attendees through conference room windows, later publishing these photos as evidence. Additionally, a reporter infiltrated the hotel under the guise of being a guest, likely planting a wiretap to record the discussions.
 Beyond the troubling rise of far-right movements in Germany, this incident underscores the growing influence of Collectiv as a leader in investigative journalism. It wasn’t Der Spiegel or the Suddeutsche Zeitung but Collectiv that secured the invitation letter to the secret meeting via anonymous sources (delivered by mail rather than email).
 This recalls the 2016 Panama Papers investigation, where the whistleblower “John Doe” chose the Suddeutsche Zeitung as his disclosure medium. That expose, in collaboration with the ICIJ (International Consortium of Investigative Journalists), achieved global impact. Similarly, Collectiv, founded in 2014 with an initial ?3 million donation (approximately 430 million yen), has become a trusted platform for whistleblowers. Over the past decade, it has built a formidable reputation through partnerships with the North German Broadcasting Corporation and the Suddeutsche Zeitung. These collaborations have led to groundbreaking investigations, such as the CumEx-Files, which uncovered extensive European tax fraud schemes.
 This recent expose on far-right activities was a solo effort by Collectiv and is a testament to its rising prominence. In just 10 years, the name “Collectiv” has become deeply etched in the consciousness of the German public. This achievement may also signal a shift from dependence on large donations to a more sustainable model of fixed monthly contributions from supporters.


どんな構造が見えるか
 ここで少し抽象的な話に移りたい。この大ブレークは何を象徴しているのだろうか。それを語ることを可能にするためには何らかの概念装置を用意しなければならない。現象を観察するための道具である。ポリティカル・エコノミーの下部構造(Basis)と上部構造(berbau)という枠組みはこれまでジャーナリズムとメディアの関係を捉える上で有効であると見なされてきた。ちょっとおさらいをすれば、それは建築のメタファーであって、ドイツ語ではBasis(土台)とberbau(建屋)と表現された。Basis(土台)とは物質的な生産の構造であり、その中身は生産力(生産手段)と生産関係とされ、その二つの対応関係によって生産様式が構成される。他方、berbau(建屋)とは国家や宗教や法律や教育や学術や芸術や文化など、人間の色々な意識活動の諸形態である。この二分法は西欧の思想的伝統である物質(Materie)と観念(Idee)の分離を踏襲しているが、その二つを横に並列に置くのではなく、上下に置き、土台と上置きの関係として設定したところにポリティカル・エコノミーのミソがある。批判の仕掛けを組み込んだのである。その上で、土台の中身がどうなっているかということが建屋の中身がどうなっているかということに強く影響を与えている、強く規定している、反映していると論を進めたのである。
 では、どのように? 物を生産するための手段(設備や技術や労働力など)を誰が所有し、支配しているかということ、そしてその所有者たちの利害関心がどういうものであるかということが、国家や宗教や法律などのあり方に反映しているのだと捉えて、そのカラクリを暴露したのである。建屋に作られる中身は土台の所有者たちの利益が反映したものだという意味でイデオロギーと呼ばれた。単純化して、土台は経済、建屋は政治と見なされていると言ってもいい。その際、ポリティカル・エコノミーというのは「政治経済学」のことではなく(日本語でしばしばこういう使い方を目にするので残念だが、「学」という意味がどこにあるのか)、経済が持っている政治性、あるいは政治的な性格を持つ経済という意味で言っているのであって、エコノミーが持つそういう性格を解明し批判したのである。
 それは19世紀半ば当時の時代精神の文脈の中で言えば、主流であった観念論(観念中心主義)(Idealism)をひっくり返して物質論(物質中心主義で、通常日本語では「唯物論」と言われる)(Materialism)に立つことを意味する。人類の幸福や不幸の淵源は人間の生活にとって必要不可欠な物の生産がどういう関係と構造のもとに行なわれているかというところにあると考えたのだ。その概念装置は時代と世界の矛盾を説明し、そしてそれを変革していく意図を持っていた。
 この概念装置を本稿のテーマに援用すれば、土台がメディアで、建屋がジャーナリズムとなる。土台が社会的コミュニケーションの物質的過程あるいは生産様式であり、建屋がジャーナリズムという名前の社会意識活動である。前者での焦点はメディアによる文化的プロダクトの生産と流通と消費であり、後者での焦点はジャーナリストによる意識活動の成果物の創作と発出と公衆による受容である。
 歴史的に見れば、ジャーナリズムは近代の入り口の市民革命の時代に立ち上がり、市民社会が国家と対峙する時の武器として観念されてきた。したがって、普遍的リベラリズムを表看板にする。他方で、プレスに始まる近代メディアは、19世紀末からの発明や技術革新によって高速輪転機に支えられた大発行部数の新聞、そして映画やラジオ(後にテレビも)が登場してきて、情報生産基盤が根本的に変革され、メディアはマスメディアとなった。「マスメディアの時代」が百年の間、続いた。大量伝達手段と呼ばれるマスメディアを乗り物として、そのシステムの技術条件や所有関係や財源構造(ビジネスモデル)に規定されて20世紀のジャーナリズムは存在してきた。その物質的条件から自由ではあり得なかった。観念的にいくらジャーナリズムを論じても無駄なのである。実態は普遍的リベラリズムの理念からはいつもハズレていた。
 20世紀マスメディアのうち新聞は、西欧ではクォリティー・ペーパー(高級紙)とマス・ペーパー(大衆紙)の二つのタイプの新聞が市場で売り買いされ、広告費と購読費を財源としてきた。二つのタイプは読者の階層性の現れであり、下部構造における階級の相違を反映していると言われた。しかし、日本にはそのようなタイプの分類はないし、高級紙のタイプは存在しない。この相違は示唆的である。放送は国営と公共と商業の三つのタイプで運営されてきた。日本では戦後にNHKが国営から公共に転換され、同時に商業放送(民放)が導入され、二元体制となった。一般に、商業放送は広告費を財源とし、公共放送は受信料や寄付金を財源とするが、共に電波を利用していることを口実にしてどこの国でも国家が規制機関として関与してきた。その関与の濃淡は国によって異なるが、日本では政府から独立した第三者機関が設置されていないので、政府と国会の関与が西欧諸国の場合よりも直接的で強く、政治の影響下に置かれている。新聞は本来市場原理で動くものではあるけれども、新聞社が民放の株式を所有しているために新聞も政治の影響下にある。同じ自由主義・資本主義国と言われても、西欧諸国と日本との間のこの違いは示唆的である。
 マスメディアは、新聞は紙への印刷、放送は電波の送出という技術手段を使い、ニュースやドラマや広告やプロパガンダなど様々のコンテンツを大量に頒布してきた。それが20世紀の土台と建屋の関係だった。そこに巨大な産業セクターが形成された。しかし、その爛熟期が過ぎたかに見えた頃、土台ではコンピュータと電気通信の融合によりインターネットが発明され、デジタル技術によって情報生産手段にイノベーションが発生した。誰でもが初期の設備投資なくローカルにもグローバルにも情報発信できるという土台が提供された。20世紀末から始まるこの技術変化の進行に重なるかのように米国では21世紀初頭、2008年にリーマンショックが起こった。広告市場は一挙に縮小し、マスメディアは経済的に大打撃を被り、従来のビジネスモデルは効かなくなった。技術と経済とから成る土台でのこの変化は建屋のジャーナリズムにどのような変化を呼び込み、どのような戦略の登場を促しただろうか。

What Structure Can You See?
 Let us delve into a more abstract perspective: What does this significant shift represent? To articulate this, we need a conceptual framework-a lens to analyze and interpret the phenomenon. The Base and Superstructure in Political Economy concept has long provided a valuable framework for understanding the relationship between media and journalism.
 In this model, the Base represents the structure of material production, encompassing the productive forces (e.g., tools, labor, and technology) and productive relations (e.g., ownership and power dynamics). Together, these elements define the mode of production. The Superstructure, in contrast, comprises societal institutions and activities shaped by human consciousness, such as politics, religion, law, education, science, art, and culture. Unlike parallel entities, the Base and Superstructure are vertically aligned, with the Base exerting a decisive influence over the Superstructure. This hierarchical arrangement enables critical analysis by revealing how economic structures shape ideological expressions.

Ideology as a Reflection of Power
 Through this framework, institutions like the state, religion, and law can be understood as reflections of those who control the means of production. These reflections form what is termed ideology-a Superstructure shaped by the interests of the economic Base. In this context, the economy functions as the foundation, and politics becomes its ideological extension.
 Political economy does not denote "political-economic science," a common misinterpretation in Japan. Instead, it refers to the political character inherent in economic systems. Criticizing Political Economy involves exposing and analyzing the underlying power structures and their impact on society.
 In the mid-19th century, this approach sought to invert dominant ideologies by grounding them in material reality. It posited that humanity’s well-being and suffering stem from the structures governing the production of life’s material necessities. This conceptual tool was both analytical and transformative, designed to address and resolve societal contradictions.

Applying the Framework to Media and Journalism
 When applied to media and journalism, the Base represents the material infrastructure of social communication-media technologies and their economic foundations. The Superstructure represents journalism as a societal activity rooted in consciousness, focusing on creating and disseminating information. The media facilitates cultural products' production, distribution, and consumption, while journalism engages in their intellectual and ideological interpretation.
 Historically, journalism emerged during the civil revolutions of the modern era, serving as a weapon for civil society against state authority and embodying the ideals of universal liberalism. However, the advent of mass media in the late 19th and early 20th centuries-enabled by innovations such as high-speed rotary presses, cinema, and radio (later television)-transformed the media infrastructure. This ushered in the “age of mass media,” during which journalism became deeply entwined with mass communication's ownership structures and financial models. As a result, journalism often struggled to uphold its liberal ideals, constrained by its material dependencies.

Media Systems: Contrasts Between the West and Japan
 In 20th-century Western Europe, newspapers were typically divided into quality papers targeting affluent readers and mass papers catering to broader audiences. This division mirrored class distinctions in the economic Base. Japan, by contrast, lacked such a bifurcation in its newspaper industry, a difference worth noting. Similarly, broadcasting systems evolved in three primary forms globally: state-run, public, and commercial. In Japan, NHK transitioned from state-run to public after World War II, while commercial broadcasting emerged simultaneously, resulting in a dual-tier system. However, Japan’s lack of independent regulatory bodies has allowed more government influence over media than Western nations. This intertwining of political and market forces is further complicated by newspaper companies owning shares in private broadcasters, creating unique dynamics in Japan’s media landscape.
 The mass media of the 20th century relied on physical technologies like print and airwaves to distribute content-news, entertainment, advertisements, and propaganda-to a broad audience. This system epitomized the Base-Superstructure relationship of the era, forming a vast industrial ecosystem. However, just as this system matured, a transformative shift began.

The Digital Revolution and Its Consequences
 The late 20th century witnessed the emergence of the Internet, driven by the convergence of computing and telecommunications. Digital technology revolutionized the production and dissemination of information, reshaping the media’s material foundation. This transformation coincided with the 2008 Lehman Brothers collapse, which triggered a global financial crisis. The advertising market, a cornerstone of the mass media business model, contracted dramatically, dealing a severe blow to the industry. Traditional revenue streams became unsustainable almost overnight.
 This dual upheaval-technological and economic-prompted profound changes in journalism. The question now is how these shifts in the media’s material foundation have redefined the structure of journalism. What new strategies have emerged to adapt to this evolving landscape? We must explore these questions to understand this transformative era's implications.


探査ジャーナリズムのムーブメント
 この事態を素早く掴み取る目を持った男が米国にいた。前出のチャールズ・ルイスである。彼はCBSの報道番組「60ミニッツ」でプロデューサーを務めていたが、その仕事に見切りを付けて退職し、新しいムーブメントに身を投じた。その戦略は、インターネットの技術と非営利の経済とから構成される土台の上に、探査ジャーナリズムの意識活動が展開される建屋を造るというもので、前出のICIJ(International Consortium of Investigative Journalists)(国際探査ジャーナリスト連合、1997年設立)など色々な組織を立ち上げていった。ルイスはアメリカン大学教授として、2008年に大学発メディア『探査報道ワークショップ』(Investigative Reporting Workshop)も立ち上げた。その時まだアイディア段階だった『ワセダクロニクル』をどうするか考えていた私は、2015年にノルウェーのリレハンメルで開催されたGIJC(Global Investigative Journalism Conference)(探査ジャーナリズム世界大会)で彼に会い、大いに話し合い、大いに学んだ。
そうした私の出会いよりもずっと前に、同時代の情況の中で、ルイスのほかにもこの思想に気がつく先駆者たちが世界同時多発的に存在した。そして、各国で相前後して独立したノンプロフィットのニューズルームをネット上に立ち上げていった。例えば、
 『リヴィール』(Reveal)(これは米国で最初の非営利探査報道組織で、例外的に早く1977年設立。当初は印刷媒体だった)、
 『プロパブリカ』(ProPublica)(米国、2007年設立)、
 『ニュースタパ』(The Korea Center for Investigative Journalism (KCIJ) : Newstapa)(韓国、2012年設立)、
 『コレクティブ』(CORRECTIV)(ドイツ、2014年設立)、
 『報導者』(The Reporter)(台湾、2015年設立)、
 『ワセダクロニクル』(Waseda Chronicle)(日本、2017年設立。Tokyo  Investigative Newsroom Tansaと2021年に改称した)、
などである。そのほかに研修機能や交流機能や発信機能を持つセンターが多く存在する。こうしたグローバルな運動を推進する目的で、早くも2003年にGIJN(Global Investigative Journalism Network)(世界探査ジャーナリズムネットワーク)が結成され、今日では91カ国から250の組織をメンバーとして数えるまでに成長した。
 このように見てくると、「権力の監視」の探査報道というやり方に特化したジャーナリストの活動を、ビジネスでなく非営利で、つまり財源を市場からの収益でなく市民社会からの拠出金で、具体的には会費や寄付金や財団助成金で調達して賄っていくというモデルがこの短期間に急速に伸びてきたことが分かるだろう。これは21世紀のジャーナリストによる自己革新のムーブメントに他ならない。
冒頭で見た『コレクティブ』の大スクープと社会的インパクトの大きさはまさにここ最近の情況を象徴するものなのである。潮の流れが大きく変わったことを印象づける出来事だと言わなければならない。

概念装置の再考へ
 こうした変化を分析するために、この議論では、19世紀半ばにカール・マルクスによって開発されたモデルである、下部構造(土台)と上部構造(建屋)という概念装置(注4)。を用いて観察してきた。この枠組みは、経済構造と社会意識活動との関係を理解する上で依然として貴重ではあるが、その限界は現代のジャーナリズムの観察においてますます明らかになっている。
 この枠組みの弱点は、その硬直した二分法に起因している。物質的基盤(生産手段所有者の「利益」を基礎とした経済構造)とイデオロギー的上部構造(政治的、経済的、社会的意識の表現形態)の間に階層的で直線的な関係を想定している。この視点には説明力があるけれども、現代のメディア生態系の複雑さや、今日のジャーナリズムの流動的な力学を説明するのには苦労する。
この限界は、独特の文化的・制度的要因がフレームワークの適用を困難にしている日本では特に顕著である。たとえば、公共放送と商業放送の相互作用や、メディア所有者の集中は、下部構造/上部構造モデルが単純化しすぎるニュアンスを明らかにしている。
 この限界は、独特の文化的・制度的要因がフレームワークの適用を困難にしている日本では特に顕著である。たとえば、公共放送と商業放送の相互作用や、メディア所有権の集中化は、基本-上部構造モデルが単純化しすぎているという感触を明らかにしている。
現代のジャーナリズムが直面する課題をよりよく理解し、対処するためには、この二元的な枠組みを超えなければならない。より柔軟な概念的アプローチが、今日のメディア状況を形成している多様な経済的、技術的、文化的な力に対応しなければならない。
 新しい概念的枠組みの必要性は、このモデルに内在する二項対立が当てはまりにくい日本では、特にジャーナリズムの可能性に関する議論においてより一層顕著である。こうした限界を認識した上で、このあと見ていくように、私は二項対立という視点から脱却していくだろう。


「2 四つの波頭――私の身の周りで」 へ続く



チャールズ・ルイスと筆者。2017年11月に南アフリカ共和国ヨハネスブルクで開催された第10回GIJC(Global Investigative Journalism Conference: 探査ジャーナリズム世界大会)にて撮影。






早稲田クロニクル始動時の動画









註4)カール・マルクス「経済学批判要綱・序説」(マルクス・コレクション V)、2005年、筑摩書房。原典のGrundrisse der Kritik der Politischen Okonomieは1857-1858年に刊行された。

Movement in Investigative Journalism
 In the United States, Charles Lewis quickly recognized the shifting landscape of journalism. A former producer for CBS’s 60 Minutes, Lewis left the network to pursue a new direction to develop a new model of journalism based on the Internet and nonprofit funding. He began various projects to build a new ecosystem for investigative journalism, similar to the International Consortium of Investigative Journalism (ICIJ), established in 1997. As a professor at American University, he founded the Investigative Reporting Workshop, a university-affiliated media outlet, in 2008, from which I learned a lot about developing the Waseda Chronicle’s idea when I met him at the GIJC in Lillehammer, Norway, in 2015.
 During the same period, similar pioneers worldwide independently established non-profit, Internet-based newsrooms to promote investigative journalism. Examples include:
 ・ Reveal (USA, founded in 1977 as a print publication and later transitioned to digital),
 ・ ProPublica (USA, founded in 2007),
 ・ Newstapa (The Korea Center for Investigative Journalism, founded in 2012),
 ・ Collectiv (Germany, founded in 2014),
 ・ The Reporter (Taiwan, founded in 2015),
 ・ Waseda Chronicle (Japan, founded in 2017; renamed Tokyo Investigative Newsroom Tansa in 2021).
 In addition to these outlets, numerous institutions have emerged to provide training, foster collaboration, and disseminate investigative journalism. The global scope of this movement is underscored by the creation of the Global Investigative Journalism Network (GIJN)in 2003, which now connects 250 organizations across 91 countries.
This movement has rapidly expanded the model of funding investigative journalism through civil society rather than traditional market revenues. This includes financing through membership fees, donations, and foundation grants. Such initiatives represent a profound transformation in journalism, adapting it to the realities of the 21st century.
The investigative achievements of The Collectiv, as discussed earlier in this article, symbolize this transformation. Its groundbreaking expose and subsequent societal impact highlight a critical turning point, suggesting that the tides of journalism have shifted decisively.

Rethinking the Conceptual Framework
 To analyze these changes, this discussion has employed the conceptual framework of Base (foundation) and Superstructure (building), a model developed by Karl Marx in the mid-19th century (Note 4). While this framework remains valuable for understanding the relationship between economic structures and societal ideologies, its limitations are increasingly evident in contemporary journalism.
 This framework's primary shortcoming is its rigid dichotomy. It assumes a hierarchical, linear relationship between the material Base (an economic structure based on the interests of production means owners) and the ideological Superstructure (expressions of political, economic, and social consciousness). While this perspective has explanatory power, it struggles to account for the complexities of modern media ecosystems and the fluid dynamics of today’s journalism.
 This limitation is particularly pronounced in Japan, where unique cultural and institutional factors challenge the framework's applicability. For example, the interplay between public and commercial broadcasting and the concentration of media ownership reveals nuances that the Base-Superstructure model oversimplifies.
 We must move beyond this binary framework to better understand and address the challenges faced by modern journalism. A more flexible and multidimensional conceptual approach must accommodate the diverse economic, technological, and cultural forces shaping today's media landscape.
The need for a new conceptual framework is particularly evident in Japan, where the dichotomy inherent in this model is less applicable, especially in discussions about the potential of journalism. Recognizing these limitations, I am moving away from this binary perspective.

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