第三のジャーナリズム

花田達朗

作成:佐藤敏宏


Third Journalism

               by Tatsuro Hanada 


3 身体に発するコトバ


 新聞記者を辞めて樵(きこり)になった男がいる。高知新聞で記者を10年務めた。その間、室戸支局長の時に連載「おんちゃん、聞かせて?ビキニ核実験を追う」などのいい仕事をしていた。1950年代に太平洋・マーシャル諸島周辺で米国が繰り返し行なった水爆実験で被曝した、高知県から出港した遠洋マグロ漁船の船員たちのその後を追った記事だった。静岡県焼津港所属の第5福竜丸だけでなく数多くの漁船が被曝していて、社会の注目を集めることなく、被曝したことを知らずに亡くなった漁船員たちも少なくなかった。2015年に7回の連載で報道した。
 彼は会社の自己研修制度を利用して四万十川流域の森で「自伐型林業」の修行をしたのち、2021年に退職して、故郷の神奈川県に戻った。時に33歳。故郷のある者は幸せだ。県西部の森林で自伐型林業の実践を続けている。『中山間地域を維持するための処方箋─優秀な林業従事者を散りばめよう』という本をKindle版で出した。日本の森林政策の修正を求めている。『News Kochi』のメンバーでもある。樵で終わるつもりはないらしい。彼は坂巻陽平。私の新聞学ゼミの教え子だ。彼が会社を辞めたと伝えてきた時、私は「えらい、健康なうちに辞めた君はえらい」と褒めた。彼の爽快な笑顔がズーム画面に映った。






坂巻陽平「検証・ビキニ訴訟 被ばく64年後の判決」『高知新聞』(2018年7月22日の記事)
















3. Words Generated by the Body


 A man left his job as a newspaper reporter and became a lumberjack. He had worked for the Kochi Shimbun for ten years, where he excelled as the Muroto bureau chief. During this time, he wrote a series of articles titled "Mister, Let Me Hear You Say: Tracking Bikini Nuclear Tests." These articles chronicled the experiences of the crew members of a tuna fishing boat from Kochi Prefecture, who were exposed to radiation from the repeated hydrogen bomb tests conducted by the United States in the 1950s near the Marshall Islands in the Pacific Ocean. This seven-part series was published in 2015.
 Taking advantage of his company’s self-training program, he trained in "sustainable forestry" in the forests of the Shimanto River basin. In 2021, at 33, he left his job and returned to his hometown in Kanagawa Prefecture. He considered himself fortunate to have a hometown to return to. Now, he practices sustainable forestry in the forests of western Kanagawa. His book, The Prescription for Maintaining Mid-Mountain Areas: Scattering Excellent Forestry Workers, is available on Kindle. He advocates for revising Japan’s forestry policy and is also a member of News Kochi. He has no intention of ending up as a lumberjack. His name is Yohei Sakamaki, and he is a former student at my journalism seminar. When he told me he had quit, I praised him, saying, "You did well quitting while you were still healthy." His exhilarating smile appeared on the Zoom screen.



脱出者たちの身体と再生
 ジャーナリストを志して大学に入り、ジャーナリズムを勉強して卒業し、メディア企業に就職していく。かつては一見良さそうな流れだったが、そうではないことがだんだん明らかになっていく。送り出した先の「マスコミ」界には志と知識を持って入ってきた若者を一人前のジャーナリストに育成する方法論もなく、教育できる能力を持った人材も乏しく、何よりもジャーナリズムのスピリットが枯れていた。卒業生から伝わってくる「マスコミ」企業の内情は殺伐たるものだった。その中で心身に変調を来す者も少なくなかった。私が「これは!」と思った卒業生がまるで狙い撃ちにされたかのように傷ついていった。休職したり退職したりした教え子の数を数えるのはつらい。彼ら彼女らの無念を思うと、私は悔しい。
 もちろん中には企業環境に十分な適応能力を示していった卒業生もいる。学生時代の覇気を失いつつも組織の空気に順応していった卒業生もいる。様々だが、「マスコミ」企業の中が酸欠状態であることだけは確かだ。酸素が薄くなれば坑道のカナリアは死ぬ。メディア組織にとっての酸素とは自由のことだ。自由闊達に仕事ができることだ。自由の希薄さには例の上部構造、つまりムラ・イエ・軍の文化的3連項が関与している。その上部構造が下部構造を規定し支配し、生産現場が自由に創造性を高めることを阻害しているのだ。「ウチの会社」に染まるか、排除されるか。それならばやられる前に脱出したほうが良い。健康なうちに辞めたほうが良い。もう十分だ、頑張らなくていい、逃げろ。そう考えていたから、私は坂巻を讃えたのだった。
 「辞める」ということへの社会的な眼差しは色々と変化してきた。年功序列、終身雇用、企業内労働組合の3点セットの「日本的経営法」(これは言い換えれば「会社完結型の経営」「日本的『会社』システム」)の時代には途中で「辞める」ことは「負けた者」と見なされた。同じ会社で定年まで勤め上げることが価値であり、永年勤続は表彰された。後払い賃金でしかない退職金も勤続年数に応じて傾斜配分された。メディア企業は高度経済成長期に花形産業となり、日本的経営の典型となり、成功体験のせいなのか、そこから抜け出すことができなくなり、またそうしようともしなかった。そこでは我慢することが美徳であり、「辞める」ことには冷たい視線が投げかけられた。
 やがて低成長時代に入り、ある日突然「フリーター」がカッコいい働き方として当のメディアで喧伝されるようになった。不審に思った。正社員とは別の働き方があるという幻想を広め、安い賃金の「非正規雇用」という奇妙な名前の形態の労働力を国内に創出する呼水として演出されたものだった。それはある言語政治の一幕だったと言えるだろう。総人件費抑制政策の下、コストがかかる正社員はカッコ悪いものへと、「フリーター」はカッコいいものへとイメージ操作された中で「辞める」のは迂闊(うかつ)なことだったかもしれない。
 変化する情況の中でものの見方を変えれば、違う眼差しの存在に気がつく。「辞める」当事者の眼差しである。「辞める」ということは、その場所で息がつけなくなった自分の身体を救い出すためにその場所から脱出することだ。身体を救出し解放するために逃げ出すことは恥ではない。「辞める」という経験をする時、そこから多くのことを学び、やがて新しい地平が見えてくる。そして、境界を越えて向こう側へと渡り、そこに自分の身体を再定位する。身体を立て直したら、その再生された身体から新しいコトバが紡ぎ出されてくる。その点で「辞めた者」は固有の資産を持っている。今や「辞める」ことは美徳ではないか。
 自分ではない誰かが作った息苦しい情況から脱出することで、新しい場所に新しい情況を自分で作り出すことを始めようとする人々が増えてきているような気がする。自己の命と身体を救出するという意味で、それは「亡命」である。私が27歳の時にしたように─。この国を出て異郷へと─。それがどこへであれ、われら、小さき「亡命者」たちは、異邦人としての身体を生きる。そして、コトバを所有した観察者として生まれ変わる。

The Bodies and Rebirth of the Escapees
 They enter university with aspirations to become journalists, study journalism, graduate, and join media companies. This path once seemed promising, but it is becoming increasingly clear that it is no longer viable. The "mass media" companies where they found employment lacked a methodology to train young people with ambition and knowledge into fully-fledged journalists. Moreover, there weren’t enough people within the company to train them. According to feedback from graduates, the internal conditions at these "mass media" companies were grim. Many of them suffered from mental and physical health issues. Counting the number of students who took leave or resigned is painful. I often feel frustrated when I reflect on their disappointments.
 Of course, some graduates have managed to adapt to the corporate environment. Others have adjusted to the organization's atmosphere, albeit at the cost of some of the high spirits they once had as students. There are variations, but one thing is clear: the "mass media" companies are suffocating. When the air in mine galleries grows thin, the canary dies. For media organizations, "oxygen" symbolizes freedom. The conditions necessary to work freely and openly are crucial. A lack of freedom is linked to the cultural triad of the Mura (village), the Ie (family), and the military-the Superstructure. This Superstructure dominates and confines the Base, preventing the workplace from nurturing creativity. Either you submit to "our company," or you are eliminated. Leaving before you’re crushed is the better option in such an environment. "Quit while you're healthy" is a sound strategy. Enough is enough-you don’t need to endure it anymore. With this in mind, I praised Sakamaki.
 The social perception of "quitting" has evolved in various ways. In the era of "Japanese-style management"-a system characterized by a seniority system in the company, permanent employment in one company, and company in-house labor unions-quitting midway through a job was considered a "loss." The ideal was to stay with the same company until retirement, where long service was rewarded. Severance pay, or deferred wages, was also distributed according to years of service. During Japan's rapid economic growth, media companies thrived, becoming the epitome of the "Japanese-style management" system. Perhaps because of this success, they were unwilling or unable to break away from this model. Patience was considered a virtue, and "quitting" was frowned upon.
 Eventually, Japan entered a period of low economic growth, and suddenly, "Freeters" (part-time or irregular workers) were touted in the media as a fabulous, alternative lifestyle. I was skeptical, as this narrative seemed to create the illusion that a new way of working justified a domestic labor force of poorly paid, irregular employees. It was a form of linguistic manipulation designed to make the image of full-time employees seem uncool while presenting "Freeters" as a desirable alternative.
 But if we change our perspective, the situation looks different. The perspective of the "quitter" is crucial. To "quit" is to escape from a stifling environment to rescue one's Body-one’s self-that can no longer breathe in that space. There is no shame in running away to save your Body. Through the experience of quitting, we learn important lessons, and eventually, new horizons open up. We cross into a new space, relocate our bodies, and generate new words from this regenerated Body. In this sense, the "quitter" possesses something unique. Could it be that "quitting" is now a virtue?
 People are fleeing from suffocating circumstances created by others-not by themselves-to create new circumstances in new places. In terms of rescuing one's life and Body, this act is akin to "exile," just as I did at 27. I left my homeland to go to a foreign land. The little "exiles" live in our bodies as strangers, reborn as observers who possess words.



主体か、身体か
 第1章末で下部構造(土台)と上部構造(建屋)という概念装置で捉えることの限界について言及し、第2章も含めて日本における変化の波頭を具体的に見てきた。そこでの私の着眼点とは何だったか。何に変革の希望を託そうとしたか。どこから「希望の原理」を引き出そうとしたか。それは身体である。物質でもなく、観念でもなく、身体である。
 身体は下部構造(土台)にも上部構造(建屋)にも属さず、それらには解消されない第三のものだ。身体は、物質と観念のように二分法や二項対立や二元論を構成する相手を持ってはいない。それは固定された二元論の世界から抜け出して、第三の土俵を単独で創り出す。第三を立てることによって、二分法は分解され解体される。その方向転換を支える概念であり、実存でもあるものが身体である。
 こうして見てくると、次のことが言えるのではないかと思う。ジャーナリズムのタイプとして「クォリティー・プレス」(高級紙)またはメインストリーム・メディアという呼称があり、厳密性には欠けるものの通用性があって便利なのでここで使用する。それらのタイプは名目上であれ、「権力の監視」(Watchdog)と「客観性の原則」(Objectivity)という標語を掲げてきた。その背後にあるのは個人主体の構築および主体/客体の分離という西欧リベラリズムの理念である。その理念モデルからわれわれにとっても学べることは確かにあった。しかし、そのジャーナリズムは現実には標語通りには機能してこなかった。理念と現実とは乖離していた。見方によっては、理念は神話でしかなく、現実を隠すための化粧に使われたと言ってもいい。ポリティカル・エコノミーはそのことを暴露した。資本主義の下部構造(物質ないしは経済)がリベラリズムの上部構造(観念ないしは政治)を規定しているのだ、と。その上部構造は「見せかけ」に過ぎないのだ、と。
 欧米においてクォリティー・プレスとマス・プレスの二分法はすでに崩れている。それに追い打ちをかけるように「トランプ現象」がメインストリーム・メディアを「フェイク・ニュース」と嘲笑し、挑発し、無力化していった。「客観性の原則」の信憑性ないし威力は危機にさらされている。「人気」に依拠した政治は、階級、ジェンダー、人種、学歴などの概念の下での差異を無力化し、差異に基づく利害の不一致を見えなくさせ、「人気」で人々を擬似的に統合している。何しろ米国の有権者のほぼ半分はドナルド・トランプを米国大統領に押し上げたし、今またその再任を支持している。その現実の中で国家対市民社会の分離という構造を基盤にしてきた「権力の監視」というコンセプトはどこに投錨することができるのか。
 「ネットに依拠して非営利で探査報道に専念するジャーナリズム」は、かつて西欧で形成され、しかしマスメディアの最盛期の中で建前上の理念と商業主義の間で引き裂かれて、形骸化してきたメインストリーム・メディアのジャーナリズムに対するオルターナティヴである。それは第二のジャーナリズムだと言える。「利潤(プロフィット)最大化」を根本原理とする資本主義体制のもとでは、ノンプロフィットかプロプロフィットかの違いの大きさはいくら強調しても強調しすぎることはない。米国ではジャーナリズムの危機意識が高まるたびにイノベーションとしてそれまでとは別のジャーナリズムが何度も唱えられてきたが、「ノンプロフィット探査ジャーナリズム」もそのうちの一つだ。ただしこれは米国発ではなく、グローバル発である。
 他方、戦後日本のジャーナリズムをドミナントに支配してきた「マスコミ」の生産様式は、「客観性の原則」と言葉上は紛らわしいのだが、しかし全く関係のない「客観報道主義」を採ってきた。記者クラブでの発表に依拠した報道がその典型であり、コメントの両論併記(自分自身の立場を明らかにしない「中立主義」)がその仕様である。その背後にあるのはジャーナリズム主体の消去である。主体を不問に付すことである。そこではポリティカル・エコノミーの想定は通じず、逆転して、上部構造が下部構造を規定している。ムラ・イエ・軍の文化的三連項の伝統的支配が行われている。
 欧米メインストリーム・メディアと日本「マスコミ」という二つの様式は大きく違っているけれども、共通性を一つ認めることができる。それは、両者が身体を透明化して、身体の存在をおろそかにして誤魔化していることである。日本では主体が構築されていないとしても、今やそれが問題なのではなく、むしろ問題なのは身体が尊重されていないことである。西欧モデルを意識して主体構築を目指してみたところで噛み合わず、それがものにもならなかった日本のジャーナリズムにとって、今後の展望は、身体に着目することにあるだろう。主体性によってではなく身体性によって切り拓いていくのである。上部構造からも下部構造からも自立し、かつ自律した身体に依拠したジャーナリズムを構想し、構築することだ。身体を中心化することは、西欧リベラリズムが依拠した主体/客体の二元論およびジャーナリズムにおける「権力の監視」の名目化に対して別のアプローチを提起することであり、その隘路を乗り越えていく可能性を示すことになるであろう。

Subject or Body?

 At the end of Chapter 1, I discussed the limitations of the Base and Superstructure conceptual framework. In Chapters 2 and beyond, I specifically addressed the wave of change in Japan. What was my focus? Where did I place my hope for change? From where did I draw the "principle of hope"? It was the Body. Not materials, not ideas-the Body.
The Body does not belong to either the Base (foundation) or the Superstructure (building); it is a third entity that transcends these categories. The Body does not conform to the binary opposition of materials versus ideas. It breaks free from the world of fixed dualisms, creating its third dimension. Introducing this third entity dismantles the dichotomy between Base and Superstructure. This reorientation is grounded in the Body.
 In this context, we can distinguish two types of journalism. First is the "quality press" or "mainstream media." These terms are used here as practical labels, even though their meanings are not strictly defined. Nominally or otherwise, these media organizations espouse "Watchdog" and "Objectivity" as guiding principles. These ideals are rooted in Western liberal philosophy, which constructs the individual subject and separates the subject from the object. While much is to be learned from this model, journalism has not functioned as intended. A gap exists between the ideals and the reality. From some perspectives, these ideals are mere myths, disguising the underlying facts. The Political Economy has exposed this contradiction: the capitalist Base (material/economic) defines the liberal Superstructure (ideological/political). The Superstructure is merely a facade.
 The divide between quality and mass press has already started crumbling in the West. The "Trump phenomenon" has prompted mainstream media to ridicule and undermine itself, labeling its output as "fake news." The credibility and power of the "principle of objectivity" are now in question. Politics based on "popularity" neutralizes differences in class, gender, race, and education, obscures disparities, and pseudo-integrates people through mass appeal. In this reality, where can the concept of a "watchdog," based on a separation between state and civil society, be grounded?
 Journalism reliant on the Internet and devoted to investigative reporting through non-profit newsrooms represents an alternative to the mainstream media model. This new form of journalism, which emerged in the West but has now become global, offers a second path. The difference between non-profit and for-profit journalism cannot be overstated in the capitalist system, where "profit maximization" is the central principle. In the U.S., whenever a crisis in journalism becomes apparent, a new form of journalism-such as "non-profit investigative journalism"-is proposed as a solution. However, this is not a U.S. innovation but a global movement.
 On the other hand, the "mass media" production style that has dominated post-war Japanese journalism has adopted a confusing version of "objective reporting" that is genuinely nothing to do with the "principle of objectivity" at all. This style is evident in reporting that relies on press club announcements or offers "neutral" coverage, balancing both sides of an issue without taking a stance. This "neutralism" erases the journalistic subject. The assumption of the Political Economy does not emerge here; it is reversed, and the Superstructure shapes the Base. The traditional domination of the cultural triad of Mura, Ie, and the military remains intact.
 Although Western mainstream and Japanese "mass media" (Masukomi) differ, they share a common flaw: neglect and misrepresent the Body. Even in Japan, where the subject is not entirely constructed, the real issue is the failure to respect the Body. For Japanese journalism, which tried to adopt the Western model but failed to engage fully with it, the way forward is to focus on the Body. The future of Japanese journalism lies not in constructing the subject more but in awareness of the Body. This shift will offer a new approach, breaking free from the subject/object dualism central to Western liberalism and the nominalization of the "watchdog" role in journalism. It holds the potential to overcome the industry's current limitations.


他者の苦しみ、自己の痛み
 身体性に依拠するとはどういうことだろうか。そのことは、どのような意味と関係と構造の連関を見ることになるのだろうか。身体が持つ意味とは傷つくことであり、痛みを感じるということだ。自らの痛みを知る者にしてはじめて他者の苦しみと痛みを知ることができる。他者の痛みを分からない者は自分の痛みを知ることはできない。そういう認識回路が存在する。ジャーナリストは鉄の心臓を持つ必要はない。フラジャイルでいい。むしろフラジャイルだからこそ、よりよく観察できる。堅固でないからこそ、他者の話に耳を傾けることができるのであり、他者が重い口を開いて話してくれるのである。コワレモノだからこそ、身体からコトバを編み出していくことができるのだ。
臨界点を迎えて辞める過程で人は様々の経験を持つだろう。辞めた人はそれぞれに傷ついたに違いない。あるいは痛みを感受したことだろう。その痛みの記憶が他者とのつながりを創り出す。自己の痛みによってはじめて他者の苦しみや痛みを分かる。痛みが他者への配慮と想像力の源なのだ。
 渡辺周が「私にお任せください」と言った時、その語感は自信を語っているのでもなく、私の嘆きを慰めようとしているのでもなかった。それまでの彼のすべての経験を踏まえた悔しさと痛みの裏返しの表現として、そう言ったのだ。私はそう受け止めた。だからよく覚えている。その同じ場所で3年後の2017年に彼と私はFCCJ(日本外国特派員協会)の「報道の自由推進賞」を受賞した。彼は『ワセダクロニクル』編集長として。その後の彼の軌跡は首尾一貫している。柔軟で、かつブレない。渡辺は転換の年の2014年のあの時、自己の痛みで「腹をくくった」のだ。
 依光隆明が住民から「あんたがいなくなると、怖い」と別れの言葉を言われた時、その言葉は依光の胸に鋭利に突き刺さったに違いない。ジャーナリストとしての悔しさに身が裂ける思いだっただろう。新しい痛みを彼の身体はまた抱えてしまった。それが、依光が帰郷して『News Kochi』を立ち上げる原動力になったのではないだろうか。記者であることを止めることはできないと彼の身体が決めたのである。依光が『世界』への寄稿をその住民の言葉で始めた秘密がそこにある、と私は思う。彼は自分の身体の痛みから原稿を書き始めたのだ。
 寺田和弘は私に映画を撮りたいと話した時に、遺族が撮り溜めた映像があると言った。彼が遺族を訪ねてその映像を見せられた時、衝撃を受けたに違いない。そして、人間としての痛みを覚えたであろう。その身体への痛みが遺族の撮影した映像を活かした映画を製作しようという動機になったと、私は推測している。それはテレビではできないことだった。だから、彼は映画へと越境したのだ。
 思うに、熊谷伸一郎は雑誌の「刊行維持」を賭けて共に努力してきた小さな編集部の部員たちの想いに経営者が傾ける耳を持たなかったことに直面し、そのことに一番大きな痛みを覚えたのではないだろうか。もちろん自分の想いも顧みて欲しかっただろうが、同志の想いに自分が応えられなかったことが彼を突き動かしたであろう。それは私の推測でしかないかもしれないが、彼がやがて「結社」へと向かっていったことへの合理的な説明であると思う。
 身体は選び取ることができる。空間の中のどの場所に立つか、どこに自分の位置取りをするか、どこを自分の居場所とするか、これを選び取ることができる。そこに長くとどまることもできれば、そこから逃走することもできる。
 他者は自己の仕事のための「対象」ではない。自己と他者の関係性を主体と客体の関係性と取り違えると間違える。自己の痛みは他者の痛みであり、他者の痛みは自己の痛みである。分離できないのだ。不可分なのだ。主体と客体の関係ではそのようにはならない。主体は客体の苦しみや痛みを感じることはできない。なぜなら客体(object)は主体によって「対象」(object)として設定され、「モノ」視されるからである。
 身体に依拠したジャーナリズムでは、「権力の監視」という抽象的な社会的機能よりも、それに先立って「犠牲者の救済」という目的が立つ。そこに傷ついた犠牲者の身体があるからだ。「犠牲者の救済」は社会的機能の遂行ではなく、感情に発した身体の作動だ。順番は、犠牲者を救出するために権力を撃つのであって、その逆ではない。

The Suffering of Others, the Pain of the Self
 What does it mean to rely on the Body? What kinds of meanings, relations, and structures emerge from this reliance? The essence of the Body is to hurt, to feel pain. Only those who know their pain can genuinely comprehend the suffering of others. Those who fail to recognize the pain of others are often incapable of recalling their own. A cognitive circuit like this exists. Journalists do not need an iron heart. Fragility is fine. It is precisely because they are fragile that they can observe more keenly. It is because they are not solid that they can listen more attentively. Because they are not rigid, others feel safe enough to speak-those heavy, difficult words can only be shared with someone open and vulnerable. Because they are Kowaremono (fragile beings), they can weave words from their bodies.
 When people quit after reaching a breaking point, they bring many experiences. Everyone who quits has been hurt in some way or has felt pain. This memory of pain creates a connection with others. Only through our pain can we truly understand the suffering of others. Pain is the source of our empathy and imagination for others.
 When Makoto Watanabe said, "Leave it to me," he wasn’t expressing mere self-confidence or trying to comfort me in my grief. He said it from the depths of his frustration and pain, born from his experiences up to that point. I understood it that way, so I remember it so vividly. Three years later, in 2017, at the Foreign Correspondents' Club of Japan (FCCJ), Watanabe and I received the "Freedom of the Press Promotion Award." He, as editor-in-chief of the Waseda Chronicle, and I, as the Director of the Institute for Journalism at Waseda University, received it. Watanabe’s trajectory since then has been coherent: flexible yet steadfast. That "determination" was born from his pain in 2014, the pivotal year in his journey.
 Similarly, when Taka'aki Yorimitsu was told by a resident from Suwa, "I'm afraid of losing you," those words must have pierced him deeply. As a journalist, he must have felt his Body tense with frustration. His Body absorbed a new kind of pain. This pain likely propelled him to launch News Kochi after returning to his hometown. In a sense, his Body determined that he could not stop being a journalist. I believe this is why Yorimitsu began his contribution to the journal Sekai with the words of a resident from Suwa. He wrote that essay as an outpouring of physical pain.
 When Kazuhiro Terada told me he wanted to make a film, he mentioned he had footage taken by a bereaved family. He must have been shocked when he visited the family and saw the footage. But more than shock, he must have felt pain-as a human being. Pain was the driving force behind his decision to create a film using the family’s footage. It was something television could not do, so he crossed the cinema boundary.
 I believe Shinichiro Kumagai felt profound pain during his confrontation with management, who ignored the thoughts of the small editorial team working tirelessly to keep the magazine Sekai in circulation. Of course, he must have wanted management to listen, but his painful inability to respond to his younger colleagues’ efforts likely motivated him. This might be speculative, but it is a plausible explanation for his eventual move toward "association."
 The Body can choose. It can decide where to stand in space, where to position itself, and where it will take its place. The Body can remain where it is or choose to flee.
 Others are not merely "objects" for the work of the self. We make a mistake when we confuse the relationship between self and others with the relationship between subject and object. The pain of the self is the pain of the other, and the pain of the other is the pain of the self. These experiences cannot be separated; they are inseparable. This is not the case in the traditional subject-object relationship. In that paradigm, the subject cannot feel the suffering of the object because the object is reduced to a "target"-a thing.
 In journalism that relies on the Body, the goal of "rescuing victims" precedes the more abstract social function of "monitoring power." The rescue of victims occurs because the Body of the injured is present. It is not performed merely to fulfill a societal role but a visceral response from the Body driven by emotion. The priority is to act-to rescue the victim-and not to act in the service of some broader ideological framework. The impulse to help comes first, not as a function of social duty, but as a reaction to the physical presence of suffering.


公共圏の退場、身体圏の登場
 1980年代の初頭、ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスは『コミュニケイション的行為の理論』において「システムによる生活世界の植民地化」という命題を立て、それで社会的病理現象の発生の原因を説明しようとした(註13)。国家行政システムと経済市場システムが癒着したものが「システム」であり、私的圏と公共圏とから構成されるのが「生活世界」である。これは下部構造と上部構造よりは複雑な設計図だ。下部構図と上部構造に「生活世界」を対峙させた構図を描いた功績は大きい。しかし、「システムと生活世界」という形での2元論への回帰は西欧の伝統の強さを感じさせる。
そこで言っている「植民地化」というのは、国家行政の持つメディウムである権力、経済市場の持つメディウムである貨幣がそれぞれに生活世界の中に入り込んできて、そこに固有の価値である相互了解を破壊し、システムの価値である効率や競争に置き替えていくことを指している。その結果として言葉をメディウムとする「生活世界」の一方である公共圏は機能不全に陥り、他方である私的圏に病理現象が起こると説明するわけである。そして、彼は公共圏の回復のための制度論的な処方箋を提示した。
 しかし、それから半世紀近くが過ぎた今日、現実の事態はさらに進んでしまい、この命題の有効性は薄れ、それが置かれていた基盤構図はほとんど崩れてしまったと言わざるを得ない。公共圏は歪み、衰弱し、機能しなくなってきた。議論する社会空間として期待された公共圏ではあったが、今や見る影も無く、知名度・有名性・注目度の製造再生マシーンに、商品とプロパガンダの出品展示会場に、ナンデモ見せ物小屋に、記号的価値の取引所になった。
それだけではなく、国家行政と経済市場の浸透に対する防波堤の役割を期待されていた公共圏がそのように機能しなくなったせいで、私的圏が国家行政と経済市場のターゲットとなり、直接もろに介入を受けるようになった。
さらに理不尽なことには、公共圏自身による私的圏の植民地化と言える事態が進行している。私的圏は公共圏によって覗き込まれ、「さらしもの」にされている。私的圏はまるで貝殻をこじ開けられた貝の肉のように無防備になった。公共圏は自らの公開原理で私的圏を従属させ、非公開原理の私的圏を破壊してきたと言える。こうして今、私的圏は痛みに軋んでいる。
こうした結果、私的圏は後退と縮小を余儀なくされ、親密圏へと濃縮されたと言える。そして、その親密圏は今や公共圏にみずからを積極的にか、不用意にか、露出している。親密圏の自殺行為である。露出狂やメディアやSNSが親密圏を自殺へと追い込んでいく。自殺させないために親密圏のディフェンス教育が必要とされる事態だ。かつて「私的なるもの」から「公的なるもの」が生まれるという理念のもとに関係が想定されてきた〈公/私〉関係はもはや成り立たない。
 公共圏は規範と実態の両義性を持っていたが、両者の乖離はあまりにも大きく進んでしまったので、両者をかろうじて結ぶ糸は切れてしまい、規範は砂上の楼閣に過ぎないものとなった。公共圏は今や規範の宿り場たり得ず、実態空間だけとなった。こうして公共圏は私的圏との同盟関係を解除され、私的圏から分離され、「システム」へと吸収され、「システム」の一部となったと見なさざるを得ない。ハーバーマスはエトムント・フッサールから「生活世界」の概念を借りてきて、その概念の下で私的圏と公共圏とを結合した。しかし、「生活世界」の概念の下で両者を包含しようとした試みは、公共圏の離脱により崩れてしまったと言わざるを得ない。
これまでパブリックとプライベートの対の関係を踏まえて公共圏と私的圏と呼ばれてきた行為領域ではあった。しかし、公共圏はもはやその名に値しないのではないか。この国の歴史の中で中世の「公界(くがい)」が近世には「苦界(くがい)」へと転化し、そして近代には「『いき』の構造」として表象された流れが思い起こされる。そのように社会空間の意味合いは変転していくのである。やがて新しい名前が与えられるであろうが、取りあえず「公開空間」としておこうか。パブリックとオープンでは意味が全く違う。いや、「記号市場」の方がいいかもしれない。その空間のメディウムは記号である。
他方、親密圏は公共圏とのペア関係から独立して、存在の比重を大きくしてきた。そこに焦点を合わせる必要が生まれてきた。もはや影の存在ではなく、中心に据えるべき存在である。そこで、その親密圏を吸収しつつ、「身体」を中心化して「身体圏」の概念を創設してはどうかと考える。
この国で公共圏概念を日本語の意識の中に根づかせ育てようと私は30数年試みてきたが(註14)、それはほとんど受け入れられないまま不発に終わった。どうもそれに適した土壌がないようだ。私の試みは変貌する情況にも追い越されてしまった。そこで、私は体勢を立て直して、再出発する。
概念装置の有効性には寿命がある。概念装置は説明能力があると承認されれば、その間だけ時限的に生き残ることができる。説明能力が高く、有効期間が長い概念装置ほど優秀であるが、永遠ではない。現実世界の変容の中で淘汰される。その都度、再構築していかなければならない。





註13)ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(下)』(馬場孚瑳江ほか訳)未來社、1987年、358頁以下。Juergen Habermas, Theorie des kommunikativen Handelns, Band 2, Zur Kritik der funktionalistischen Vernunft, Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 1985, S. 522 ff.


出典:花田達朗『公共圏という名の社会空間─公共圏・メディア・市民社会』 木鐸社1996年










註14)花田達朗ジャーナリズムコレクション第3巻『公共圏』彩流社、2020年、を参照されたい。

彩流社 『公共圏』

The Exit of the Public Sphere and the Emergence of the Body Sphere
The Exit of the Public Sphere and the Emergence of the Body Sphere
In the early 1980s, German social philosopher Jurgen Habermas introduced the concept of "the colonization of the life world by the system" in his "Theory of Communicative Action," attempting to explain the causes of various social pathologies (Note 13). The "System" refers to the entanglement of state administration and the economic market, while the "life-world" encompasses both the Private and Public Spheres. This framework offers a more intricate blueprint than the traditional Base and Superstructure model, where Habermas effectively contrasts the life world with those material foundational categories. However, the dualistic return to the System and the Life World reflects the enduring strength of Western thought.
The term "colonization" in this context describes how the forces of state power and economic markets invade the life world. Through this incursion, the values inherent in mutual understanding-crucial to the life world-are displaced by efficiency and competition, the values of the System. As a result, Habermas argues, the Public Sphere, which relies on language as its medium, becomes dysfunctional, while its counterpart, the Private Sphere, experiences a pathological transformation. In response, he offers institutional recommendations to restore the Public Sphere.
 Yet, nearly half a century later, the situation has evolved beyond Habermas's predictions. The reality today is that the validity of his proposition has significantly diminished, and the foundational structure in which it was situated has largely collapsed. The Public Sphere has become distorted, weakened, and dysfunctional. The urgency of the moment demands immediate attention. Once considered a space for rational discussion and deliberation, the Public Sphere has become a manufacturing machine for celebrity, fame, and attention-an exhibition hall for commodities and propaganda, a show tent for every superficiality, and a trading floor for symbol values.
Even more troubling is that the Public Sphere, originally intended to serve as a bulwark against state and economic market encroachment, no longer fulfills this role. Moreover, the Private Sphere has increasingly become the target of state and market intervention, directly subject to their influence.
 Worse still is the ongoing colonization of the Private Sphere by the Public Sphere itself. The boundaries of the Private Sphere are being breached, exposed, and laid bare for public consumption. The Private Sphere is now defenseless, akin to the flesh of a mollusk pried open. With its principle of openness, the Public Sphere has subordinated the Private Sphere while simultaneously destroying it with its principle of closedness. The result is a painful distortion of the Private Sphere, which now groans under the pressure.
As a result, the Private Sphere has been forced to retreat and shrink, becoming concentrated within the Intimate Sphere. The Intimate Sphere, in turn, is increasingly exposed to the Public Sphere, whether actively or inadvertently. This exposure amounts to a self-destructive act by the Intimate Sphere. The frenzied pursuit of visibility-driven by the mass media and social networking systems-pushes the Intimate Sphere toward self-destruction. This is a situation that urgently calls for education aimed at defending the Intimate Sphere to prevent its suicidal tendencies. The previously assumed 'public/private' relationship, in which the public emerges from the private, is no longer valid.
 Once a site of ambivalence between norms and reality, the Public Sphere has seen the gap between the two widen so dramatically that the thin thread once connecting them has snapped. The norm has become little more than a house built on sand. No longer a space for normative discourse, the Public Sphere is now solely a space of reality. Consequently, the Public Sphere is no longer allied with the Private Sphere; it is now separate and absorbed into the "System," becoming a mere extension of it. Habermas, borrowing the concept of the "life-world" from Edmund Husserl, once unified the Private and Public Spheres under this concept. However, the collapse of the Public Sphere means that the effort to hold both under the umbrella of the "life-world" has faltered.
Historically, the "Kugai" (public sphere) in this country evolved from a medieval concept to a "Kugai" (sphere of suffering) in the early modern period, and in the contemporary time, it was symbolized by the "structure of 'Iki.'" In this way, the meaning of social space is in constant flux. It will eventually receive a new designation, but we may now refer to it as "public space." The terms "public" and "open" are not synonymous. Perhaps a "symbols market" is a more fitting description. The medium of this space is symbols.
In contrast, the Intimate Sphere, which transformed from the Private Sphere, gained independence from the Public Sphere and has grown significantly. It is no longer a shadowy background entity but should now be the center of attention. Consequently, it is time to consider creating a "Body Sphere" concept centered around the Body.
 For over thirty years, I have attempted to root and cultivate the concept of the Public Sphere within the Japanese language and cultural consciousness (Note 14), but this effort has failed. There has been no fertile soil for such a concept to take root, and my attempts have also been overtaken by transforming circumstances. Thus, I now regroup and start anew.
The validity of conceptual tools has a limited lifespan. Once a concept has demonstrated explanatory power, it can only remain helpful for a finite period. The more explanatory capacity a concept has and the longer it remains valid, the better-but it is never eternal. The transformation of the real world necessitates the obsolescence of old concepts. We must continuously reconstruct our ideas to align with changing realities.


身体圏とコトバ
 公共圏の価値は言説の公開性と異なった他者との共同性であったが、身体圏は言説の公開性を捨て、異なった他者との共同性を引き継ぎつつインティマシーを加えて新しく構成することによって、自己と他者の合一および無権力をその固有の価値とする。身体圏では自己と自己、そして自己と他者の関係性こそが問題なのである。
 身体はみずからの豊饒と至福のために自由と解放を希求する存在である。身体圏の設定とは行為領域論から存在領域論への転換を意味する。身体は行為するのではなく、存在するのである。身体圏におけるメディウムはコトバだ。このコトバとは身体が自己および他者とのコミュニケーションのために発し交換するすべてのものを指している。それは発話と記述だけではなく、存在が語るものすべてである。こうして身体とコトバの関係が定立される。
 身体圏はたとえそれとして自足したいとしても、それは許されない。身体とコトバのこの関係は、権力と暴力のあの関係に正面から向き合わざるを得ないからである。そのように対峙することによってはじめて身体圏はそれとして自立することができる。自足ではなく自立こそが身体圏のとるべき戦略でなければならない。
 身体圏は国家行政、経済市場、記号市場の三つの領域に取り囲まれて、各メディウムを介した交換関係に立っている。身体は政治と経済と記号から攻撃されている。その暴力の破壊力に耐えつつ、それらと向き合って鋭く対峙している。身体圏は内部のエネルギーを高めつつ、個々の身体はあい対峙する三つの領域にコトバで打って出るのである。そういう情況で、国家行政の不正と不正義を批判し、経済市場の商品化の論理と圧力に抵抗し、記号市場の再公共圏化を企てることができるかどうか、である。
 自由な身体、解放された身体からコトバが生まれる。コトバの復興は、したがって自由な身体によって達成される。しかし、完全に自由な身体は現実には存在しないので、コトバの復興というプロセスは、未だ自由ではないけれども、自由を得ようと闘う身体、自己の身体を解放しようとする身体によって営まれることになる。そのようなものとして自己の身体を観る自己は、他者の身体においても同じことが起こっていることを想起する叡智をもつだろう。同時に、礼節をもって他者の身体を遇するだろう。








The Body Sphere and Words
 The Public Sphere was once characterized by open discourse and shared commonality with others. However, the Body Sphere abandons this openness and instead embraces commonality with different others, incorporating intimacy into its new composition. The unity of self and others and the non-having of power become its inherent values. In the Body Sphere, the relationship between self and self and between self and others is paramount.
 The Body is a being that seeks freedom and liberation for its flourishing and bliss. The establishment of the Body Sphere marks a shift from a theory of action to a theory of being. The Body does not act; it simply exists. It is not about doing but about being. The medium of the Body Sphere is "words"-words encompass everything the Body utters and exchanges in its communication with itself and others. These "words" are not limited to speech or description; they include all forms of expression through which Body existence is conveyed. This relationship between the Body and "words" defines the Body Sphere.
 Even if the Body Sphere seeks self-sufficiency, it cannot exist in isolation. The relationship between the Body and words must confront the forces of power and violence. Only by facing these forces can the Body Sphere stand independently. Independence-not self-sufficiency-must be the strategy of the Body Sphere.
 The Body Sphere is surrounded by three realms: the state administration, the economic market, and the symbols market, and stands in a medium-mediated exchange relationship with them. Politics, the economy, and symbols constantly attack the Body. Confronted with the destructive power of violence, the Body resists. The Body Sphere is increasingly energized from within, with individual Bodies striking out with their words, confronting the three realms that shape their lives.
 The question now becomes: Can the Body Sphere critique the injustice and abuse of state administration? Can it resist the commodification logic of the economic market? Can it help restore the Public Sphere from the symbols market?
 Words arises from a free and liberated Body. Thus, the reconstruction of words is achieved through the liberation of the Body. However, since no Body is entirely free, the recovery of words is a process carried out by a Body that is not yet fully liberated but struggles to gain freedom and autonomy. Those who view their own Body this way will have the wisdom to recognize that the same happens in the Bodies of others. In doing so, they will treat the Bodies of others with dignity and respect.



身体圏をディフェンスするジャーナリスト
 ジャーナリズムの居場所はかつて公共圏であったが、今やこの新しい身体圏にある。そして、そこに、西欧近代の歴史的経験に発する普遍的リベラリズムを纏ったジャーナリズムではなく、また日本型ムラ社会意識に根ざす「マスコミ」でもなく、「第三のジャーナリズム」が成立する。日本以外の地でも受け入れられれば、その場所で第三のジャーナリズムとなるだろう。
 第三のジャーナリズムは身体圏に身を置いて、三つの領域からの権力作用や諸形態の暴力を原因として発生する社会的病理の「臨床のジャーナリズム」となるだろう。それを可能にするのは権力の犠牲者の傷つく身体を観察し、その苦しみと痛みを知ることのできる身体だ。そのジャーナリストの身体が原因権力を撃つことによって犠牲者の傷は癒やされるかもしれない。それをできるのは自らの身体性を明瞭に意識し、身体性の豊かな内実(それは豊かな親密圏でもある)を保つべく意を用いる者たちだ(註15)。
 同時に、「臨床のジャーナリズム」の実践者には一つの資質が求められる。それは他者の苦しみと痛みを感知する能力、つまりその感受性と想像力である。残念ながら、それは誰にでも備わっている資質ではない。おそらく外からの教育で獲得できるものでもないだろう。みずからの身体に問いかけることによってしか得られないものだ。自己の身体を通じた省察と修行によってのみ得られる(註16)。
 そのジャーナリストが規範として体現すべき価値は身体圏の価値である、自己と他者の合一および無権力である。その価値に基づいて身体圏の自立性をコトバによって維持するとともに外部の干渉と侵犯から防衛する。必要とあれば決然として反撃する。それが身体圏の奴隷化に抵抗し、身体圏を救い出すやり方だ。こうした意味と関係と構造の中で、呼吸する身体の復活から生きたコトバの復興へとたどる道が開かれるのではないかと私は思う。
 ジャーナリストの身体が身体性のジャーナリズムを創り出す(註17)。身体性を持つジャーナリストが身体圏に住まうジャーナリズムを創り出す。快復された身体からコトバの復興は始まる。



註15)実は、註に落とすほど軽い問題ではないのだが、この「臨床のジャーナリズム」には、ある危険性が伴うことが予測される。それを前もって指摘しておかなければならない。良い可能性があるところには必ず悪い可能性もある。表裏がある。その一つは自らがトラウマを抱えてしまい、トラウマの犠牲者になってしまうという可能性である。それは身体がフラジャイルであることの証でもあり、良い可能性に対する代償でもある。悪い可能性を出現させずに、身体性を重視したジャーナリズムを実践していくにはどうしたらいいのか。トレーニングコースの提供という対応で対抗できるものなのか。ジャーナリストのトラウマの問題はGIJNのセミナーでも扱われてきた。それは例えば戦場取材や災害報道での死体との遭遇で起こる事態であった。「臨床のジャーナリズム」ではもっと広範な取材体験で経験されることになるだろう。解決策を今ここで述べることは私にはできないが、その危険性があることの、また「臨床のジャーナリズム」に両義性のあることの自覚の必要性だけは指摘することができる。

註16)補足すれば、社会的矛盾の現場に物見遊山で、あるいは自分のジョブのためにズケズケと入っていくような人間にジャーナリストの資格はない。しかし、往々にしてそのような人間は自分で気がつくことはできない。自己観察の方法を知れば、無作法は避けられるかもしれない。

註17)身体とジャーナリズムについては20年前に一度書いたことがある。花田達朗「身体としてのジャーナリズム、その活力のために」『世界』、第717号、2003年8月号、119-126頁。本稿は私からすれば、ジャーナリズム身体論へのバージョンアップしたリバイバルである。二つの論考の間には連続性と大きな断絶がある。それが20年の歳月を反映している。




Journalists Defending the Body Sphere
 Journalism's traditional home was the Public Sphere, but it has found a new home in the Body Sphere. Here, a "Third Journalism" will emerge-one that is neither rooted in the universal liberalism of Western modernity nor the "Masukomi" (Japanese mass media) based on a sense of "Mura" (village) society. This could represent a third type of journalism globally if accepted outside Japan.
Situated within the Body Sphere, this third form of journalism would become "clinical journalism," focusing on social pathologies caused by the actions of power and the various forms of violence emanating from the three realms. What enables this is a Body that can observe the wounded Bodies of those affected by power, recognizing their suffering and pain. The victims' wounds may be healed through the words produced by a journalist’s Body, which confronts the power responsible for their suffering. Only those attuned to their corporeality and who consider preserving the richness of their interiority-what is a fertile, Intimate Sphere-can take this action (Note 15).
 At the same time, clinical journalism practitioners must possess certain qualities: the ability to perceive the suffering of others, sensitivity, and imagination. Unfortunately, these qualities are not innate in everyone. They cannot be taught through traditional education. Instead, they can only be developed by turning inward and questioning one's Body (Note 16). They can only be cultivated through reflection on one's Body and training through one’s Body.
 The values journalists should embody are those of the Body Sphere: unity with others and the rejection of power. Anchored in these values, journalists must safeguard the Body Sphere’s independence through their words, defending it from external interference and intrusion. When necessary, they must fight back decisively. This is the path to resisting the enslavement of the Body Sphere and rescuing it. Within this framework of meaning, relations, and structure, we can chart a course from the revival of the living Body to the recovery of living words.
 The journalist's Body creates a journalism of corporeality (Note 17). Journalists who embody corporeality create journalism that inhabits the Body Sphere. From the restored Body, the revival of words will begin.



(1)『コレクティブ』の記事「ドイツに敵対する秘密計画」のURLは、https://correctiv.org/aktuelles/neue-rechte/2024/01/10/geheimplan-remigration-vertreibung-AfD-rechtsextreme-november-treffen/
(2)マルチン・ゼルナーは1989年ウィーン生まれで、若い。欧州各国の若者の間で広がっている「アイデンティティ運動」の頭目の1人で、移民排除を主張し、非暴力直接行動を戦略として唱えている。その「アイデンティティ」とはヨーロッパ人のアイデンティティを指す。彼は、Blog、雑誌、ミニ集会、Facebook、YouTube、Instagram、サブカルチャーシーンなどあらゆるコミュニケーション手段を駆使して浸透を図る。また過去の左翼の手法や用語を換骨奪胎しつつ横取りして活用する。著書に、Martin Sellner, Identitar! Geschichte eines Aufbruchs, Schnellroda: Verlag Antaios, 2017.
(3)2013年にドイツで結党された極右政党AfD(Alternative fur Deutschland)(ドイツのための選択肢)の勢力は、前回行われた2021年の連邦議会選挙では有権者の10.4%の得票を獲得し、第5位だった。第1位の社会民主党(25.7%)、第3位の緑の党(14.7%)、第4位の自由民主党(11.4%)が連立政権を構成し、第1党のオラフ・ショルツが首相に就いた。最大野党となった保守党のキリスト教民主・社会同盟は24.2%だった。今日AfDが勢いを増す中で注目されているのは本年6月の欧州議会選挙と9月の東部ドイツのブランデンブルク、ザクセン、テューリンゲンの3州の州議会選挙の行方である。東部ドイツつまり旧東ドイツの地域ではAfDが強く、今回の選挙でAfDが州議会の過半数の議席を取って、初めてAfD党員の州首相が誕生する可能性が取り沙汰されている。
(4)カール・マルクス「経済学批判要綱・序説」(マルクス・コレクション V)、2005年、筑摩書房。原典のGrundrisse der Kritik der Politischen Okonomieは1857-1858年に刊行された。
(5)『Tansa』のURLは、https://tansajp.org
(6)INN(Institute for Nonprofit News)は、2009年にニューヨークのポカンティコ・センターに27人のジャーナリストが集まり、宣言を発して設立された。加盟組織は今日450に達する。それらの組織は、ブログやコメントや評論を発信するサイトではなく、取材してニュースを発信する組織である。加盟するための共通の価値観は、非営利であること、独立した編集、事実に基づく取材、非党派性、放っておけば語られない事実を語ること、探査ジャーナリズム、パブリック・サービス・ジャーナリズム(公衆のために権力を監視するジャーナリズム)、デモクラシーの擁護、財務とガバナンスの透明性、スタッフとオーディエンスのダイバーシティとインクルージョン、協働や同僚間の友愛や相互リスペクトという仕事カルチャーを基礎とすることなどである。これは普遍的リベラリズムの延長線上にあると言えるものだ。非営利という点だけがユニークである。それぞれのニュース組織はローカル、広域ローカル、ナショナル、グローバルなど得意とする守備範囲を持っているが、ローカルをカバーするニューズルームが圧倒的に多い。米国ではネットこそローカルなのだ。INNはメンバー組織に対してトレーニングや運営サポートの提供のほか、組織間のコラボの推進やネットワークの形成を行っている。
 設立会合の資金を出したのはロックフェラー兄弟財団など三つの財団だった。設立会合の記念写真を見ると、先のチャールズ・ルイスや『リヴィール』のロバート・ローゼンタールが映っている。二人とも『Tansa』の国際アドバイザリーボードのメンバーを務めてきた。
INNのURLは、https://inn.org
(7)『News Kochi』のURLはhttps://newskochi.net
(8)依光隆明「ジャーナリズムはどこに息づくか」『世界』、第960号、2022年8月号、74-85頁。
(9)花田達朗編『内部的メディアの自由―研究者・石川明の遺産と継承』日本評論社、2013年。同書に私は「『内部的メディアの自由』の社会学的検討―理論と現実の日独比較の視点から」という論文を書いた。これに労働組合側から関心を示されたことは一度もない。
(10)中馬清福「新『新聞倫理綱領』制定にあたって」『新聞研究』、第589号、2000年8月号、14頁。その時、中馬は朝日新聞社代表取締役専務取締役編集担当。この論考が出るより前に私は中馬と話したことがある。中馬は朝日新聞社上層部の中のジャーナリズム派の1人だったと私は位置づけている。やがてジャーナリズム派は1人また1人と立ち去り、跡には官僚派が残り、その情況の中で2014年の「朝日新聞『吉田調書』記事取消事件」は起こったというのが私の見立てである。私は日本「マスコミ」の中のジャーナリズム派の何人かと知り合ったが、朝日でのその1人、中馬清福はその事件のあった年末に信濃毎日新聞社の元・主筆として79歳で亡くなった。
(11)花田達朗「関西生コン弾圧と産業労働組合、そしてジャーナリスト・ユニオン(3)」『世界』、第951号、2021年12月号、212-221頁を参照されたい。
(12)出版ユニオンはウェブサイトで次のように自己紹介している。これを読み、私は感動した。これは個別企業の枠を超えた「産業労働組合」の姿であり、これが本来の労働組合だ。非正規労働者と正社員を区別せず、共に組合員として迎えている。あとは包括的な賃金労働協約の締結主体になることだが、そこまでの道はとても遠い。
 「出版情報関連ユニオン(略称/出版ユニオン)は、出版(出版社・編集プロダクション・取次・書店・販売代理店など)・印刷・情報・メディア関連ではたらく人のための個人加盟の労働組合です。誰でも、一人でも入れます。会社での働かされ方に納得がいかない、解雇(雇い止め)をほのめかされて不安を抱えている、もっと仕事のスキルを身につけたい、業界の情報をもっと知りたい、と考えているすべての人のための労働組合です。契約社員、派遣社員、パート・アルバイトなどの非正規労働者も正社員も加入できます。」
 日本の産業構造では、中心に少数の大企業群があり、周縁に多数の中小零細企業群が存在する。他方、日本の労働組合の構造では、中心に個別企業ごとに正社員が加盟する企業内労働組合群があり、周縁のまた周縁に個人加盟の産業労働組合が存在する。それらは小さく、数は多くない。その中でも賃金労働協約の締結主体となっているものはさらに少ない。この二つの構図が重なった情況では、資本と労働の対等な交渉関係に近づくことは無理で、したがって労働分配率は上がらず、賃金も上がらない。企業内労働組合なので、ストライキを武器にして会社経営者と戦うことはできないし、しないからである。
 異常なことに、日本では「連合」(Japanese Trade Union Confederation: JTUC)が闘わずに、政府にお願いをして賃金を上げてもらう。そこで、労働組合の票が欲しい政府がお願いされた形をとって市場の問題に口を出し、賃上げの音頭取りを演じる。「春闘2024」では、岸田政権の意向を受けた「経団連」(Japan Business Federation)が傘下の大企業に賃上げを奨励して、大企業の経営者たちは自分の企業の中の労働組合の賃上げ要求に対して100%の満額の回答を出した。この100%の満額回答が大企業で次々に出される。しかし、これは労働組合がストライキを決行して獲得した結果ではない。しかも、その組合要求の賃上げ率は最初からインフレ率を下回るものであり、たとえその要求が満たされたとしても実質賃金は下がるという水準の要求でしかない。さらに、この回答シーンは日本の企業群全体のうちの氷山の一角、トップ企業のことでしかない。これは、大手企業の間の「談合」を背景にした見せかけの競争入札を思い起こさせる。実に奇妙な光景である。資本主義的でもなく、自由市場主義的でもない。一体、何主義と呼んだら良いのだろうか。とりあえず、「『ムラ社会』主義」とでもしておこうかと思う。手っ取り早く言えば、「政・労・使の談合のエコノミー」である。「連合」は癒着した関係を対等に近づいた関係と取り違えてはならない。
 中堅企業群や中小零細企業群の労働者は賃上げから取り残され、低賃金が続く。こうして日本の格差社会は、貧困層の増加を伴いつつ固定化されていく。
(13)ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(下)』(馬場孚瑳江ほか訳)未來社、1987年、358頁以下。Juergen Habermas, Theorie des kommunikativen Handelns, Band 2, Zur Kritik der funktionalistischen Vernunft, Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 1985, S. 522 ff.
(14)花田達朗ジャーナリズムコレクション第3巻『公共圏』彩流社、2020年、を参照されたい。
(15)実は、註に落とすほど軽い問題ではないのだが、この「臨床のジャーナリズム」には、ある危険性が伴うことが予測される。それを前もって指摘しておかなければならない。良い可能性があるところには必ず悪い可能性もある。表裏がある。その一つは自らがトラウマを抱えてしまい、トラウマの犠牲者になってしまうという可能性である。それは身体がフラジャイルであることの証でもあり、良い可能性に対する代償でもある。悪い可能性を出現させずに、身体性を重視したジャーナリズムを実践していくにはどうしたらいいのか。トレーニングコースの提供という対応で対抗できるものなのか。ジャーナリストのトラウマの問題はGIJNのセミナーでも扱われてきた。それは例えば戦場取材や災害報道での死体との遭遇で起こる事態であった。「臨床のジャーナリズム」ではもっと広範な取材体験で経験されることになるだろう。解決策を今ここで述べることは私にはできないが、その危険性があることの、また「臨床のジャーナリズム」に両義性のあることの自覚の必要性だけは指摘することができる。
(16)補足すれば、社会的矛盾の現場に物見遊山で、あるいは自分のジョブのためにズケズケと入っていくような人間にジャーナリストの資格はない。しかし、往々にしてそのような人間は自分で気がつくことはできない。自己観察の方法を知れば、無作法は避けられるかもしれない。
(17)身体とジャーナリズムについては20年前に一度書いたことがある。花田達朗「身体としてのジャーナリズム、その活力のために」『世界』、第717号、2003年8月号、119-126頁。本稿は私からすれば、ジャーナリズム身体論へのバージョンアップしたリバイバルである。二つの論考の間には連続性と大きな断絶がある。それが20年の歳月を反映している。

出典
本稿は、月刊総合雑誌『地平』第1号、2024年7月号、74-84頁。同じく第2号、2024年8月号、166-175頁。同じく第3号、2024年9月号、122-131頁、地平社、に掲載された。ここに再録するにあたって若干の加筆を行った。


Notes
1. The URL for the Correctiv article "Secret Plans Against Germany" is: https://correctiv.org/aktuelles/neue-rechte/2024/01/10/geheimplan-remigration-vertreibung-AfD-rechtsextreme-november-treffen/.
2. Martin Sellner, born in Vienna in 1989, is a leading figure in the "Identity Movement," which advocates for European identity, exclusion of immigrants, and non-violent direct action as a strategy. He employs various communication platforms to promote his views, including blogs, magazines, mini-rallies, Facebook, YouTube, Instagram, and subculture networks. Sellner is known for adopting and transforming leftist methods and terminology for his cause. He is the author of the book Identitar! Geschichte eines Aufbruchs, Schnellroda: Verlag Antaios, 2017.
3. The far-right party "Alternative for Germany" (AfD), established in 2013, ranked fifth in Germany's 2021 Bundestag election with 10.4% of the vote. A coalition government was formed by the Social Democrats (25.7%), Greens (14.7%), and Liberal Democrats (11.4%), with Olaf Scholz of the Social Democrats as Chancellor. The largest opposition party, the Christian Democratic and Social Union, secured 24.2%. As the AfD gains momentum, significant attention is focused on the European Parliamentary elections in June and state parliamentary elections in eastern German states (Brandenburg, Saxony, and Thuringia) in September. The AfD is particularly strong in former East Germany, raising the possibility of securing a majority in state parliaments and appointing its first state prime ministers.
4. Karl Marx, Grundrisse der Kritik der Politischen Okonomie, Rohentwurf, 1857-1858, Berlin: Dietz Verlag, 1974.
5. The URL for the Tokyo Investigative Newsroom Tansa is https://tansajp.org.
6. The Institute for Nonprofit News (INN), founded in 2009 by 27 journalists at the Pocantico Center in New York, now has over 450 member organizations. INN supports nonprofit, independent journalism dedicated to equity, antiracism, investigative reporting, public service, and democratic advocacy. Its member organizations, often focused on local reporting, benefit from training, administrative support, and collaboration opportunities.
INN’s inaugural meeting was funded by three foundations, including the Rockefeller Brothers Foundation. Charles Lewis and Robert Rosenthal (Reveal) were present in the founding picture. Both are members of Tansa's International Advisory Board.
The URL for INN is: https://inn.org.
7. The URL for News Kochi is https://newskochi.net.
8. Taka’aki Yorimitsu, “Where Does Journalism Breathe?” in Sekai, No. 960, August 2022, pp. 74-85.
9. Tatsuro Hanada (ed.), Internal Media Freedom: The Legacy and Succession of Researcher Akira Ishikawa, Tokyo: Nippon Hyoronsha, 2013. This book includes my article, “A Sociological Examination of ‘Internal Media Freedom’: A Comparative Perspective of Theory and Practice in Japan and Germany.” Unfortunately, trade unions have shown little interest in this work.
10. Kiyofuku Chuma, “On the Establishment of the New Newspaper Code of Ethics,” in Newspaper Research, No. 589, August 2000, p. 14. At the time, Chuma was Senior Managing Director of Asahi Shimbun. Before this essay’s publication, I had a chance to discuss it with Chuma. I regarded him as one of the journalism factions within the company. The decline of such factions and their replacement by bureaucratic factions coincided with the 2014 Asahi Shimbun “Yoshida Statement” retraction. Chuma passed away in 2014 at age 79, serving as chief editor of Shinano Mainichi Shimbun in Nagano Prefecture.
11. See Tatsuro Hanada, “Kansai-Namakon Repression, Industrial Labor Unions, and Journalists’ Unions (3),” in Sekai, No. 951, December 2021, pp. 212-221.
12. The Publication Union describes itself on its website as follows. I was impressed when I read this description, as it exemplifies the ideal form of an "industrial labor union" that transcends individual companies. It makes no distinction between non-regular and regular workers, welcoming all as members. The only remaining step is to become a signatory to a comprehensive wage labor agreement-though this goal is still far off.
"The Publication and Information Related Union (abbreviated as the Publication Union) is an individually affiliated labor union for people working in publishing (publishing companies, editorial production, agencies, bookstores, sales agents, etc.), printing, information, and media industries. Anyone can join, even as an individual. It is a labor union for all those dissatisfied with their working conditions, worried about job insecurity, seeking to acquire new skills, or wanting to learn more about the industry. Non-regular workers such as contract, temporary, part-time, and regular employees are welcome to join."
 In Japan's industrial structure, a part of large companies occupies the center, surrounded by numerous small and medium enterprises. Similarly, Japan's labor union structure consists of in-house labor unions at the center, regular employees affiliated with each company, and several individually affiliated industrial labor unions on the periphery. These peripheral unions are limited in size and number, with only a few actively engaging in wage labor agreements. This imbalance makes achieving equitable bargaining relationships between capital and labor impossible, stagnating labor share and suppressing wage growth.

 In-house labor unions, by nature, cannot and will not leverage strikes to challenge management. Anomalously, the Japanese Trade Union Confederation (RENGO) refrains from confrontation and instead appeals to the government to push for wage increases. In turn, the government, motivated by a desire for votes from union members, formally requests corporations to raise wages. During the "Spring Struggle 2024," KEIDANREN (the Japan Business Federation), prompted by the Kishida administration, encouraged large corporate members to meet union demands, leading to complete 100% responses to wage requests in many major companies. However, these responses were not the result of union strikes.
 Moreover, the initial union demands were set below inflation rates, effectively decreasing real wages even if fully granted. This highly publicized "Spring Struggle" merely represents a small portion of Japan’s corporate landscape, dominated by top-tier companies. It resembles collusion rather than genuine market competition, reminiscent of "bid-rigging" practices among corporations. This phenomenon-neither capitalistic nor free-market-driven-could be described as "Mura-Socialism," a "bid-rigging economy" involving government, unions, and corporate executives. RENGO must not mistake this cooperative framework for a balanced relationship.
Meanwhile, workers in small and medium-sized enterprises remain excluded from wage increases, perpetuating income disparities and deepening poverty in Japan.
13. Juergen Habermas, Theorie des kommunikativen Handelns, Band 2, Zur Kritik der funktionalistischen Vernunft, Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 1985, pp. 522 ff.
14. See Tatsuro Hanada, Journalism Collection, Vol. 3: The Public Sphere, Tokyo: Sairyusha, 2020. (in Japanese)
15. While it does not fit lightly into a footnote, the concept of "clinical journalism" presents certain dangers. It is crucial to highlight these risks upfront. Where there is potential for positive outcomes, there is also the potential for harm. One such risk is the possibility of journalists becoming traumatized. This fragility is the price of pursuing positive outcomes. How can journalism emphasize physical embodiment without exposing practitioners to harm? Can training courses mitigate this risk?
The Global Investigative Journalism Conference (GIJC) has discussed trauma among journalists in seminars, particularly encounters with death during battlefield or disaster reporting. Clinical journalism will likely expose journalists to a broader range of emotionally challenging experiences. While I cannot propose solutions here, I emphasize the importance of awareness and caution regarding the dual nature of clinical journalism.
16. Expanding on the above, individuals who approach social contradictions as tourists or merely as part of their jobs lack the qualifications to be journalists. Such individuals often fail to recognize their shortcomings. To know the method of self-awareness is essential to avoid insensitivity.
17. Twenty years ago, I wrote about the intersection of the body and journalism. See Tatsuro Hanada, "Journalism as a Body, for Its Vitality," in Sekai, No. 717, August 2003, pp. 119-126. This current essay revisits and expands on that approach. While continuities exist between the two, significant differences reflect the two decades that have since passed.


Source
The original Japanese text was published in the monthly journal Chihei, No. 1 (July 2024), pp. 74-84; No. 2 (August 2024), pp. 166-175; and No. 3 (September 2024), pp. 122-131.
Some additions have been made to the text for reproduction here.