花田達朗

■2021年6月30日
共同通信社は、私が死ぬ前に私に答えるべきではないか

6月末でこのウェブサイトを閉じることにしたと、先月予告をしたが、それを当面取りやめることにした。発信して、おおやけにしておくべきことがまだあるのではないかと、思い直したからである。もちろんこのサイトで発信したからと言って、どれだけの人が見るのかという疑問はあるとしても、誰かが見ようが、誰も見まいが、発信したということは、ともかく公開したということであるには違いない。つまり、そういうことのできる可能性を残しておき、その手段をまだ維持しておきたいということである。FacebookやTwitterなどほかの手段もあるのかもしれないが、私の書くものは往々にして短文ではないので、このウェブサイトの方がよい。

さて、今回公開する文章のタイトルは、「共同通信社は、私の死ぬ前に答えるべきではないか」である。私が死ぬよりも前に共同通信社が潰れて、社団として解散することだってあるかもしれない。だから、双方が生きているうちに答えるべきだということである。いったい何を?

早稲田大学の教員をしていた頃、ジャーナリズム研究所を作って、その所長もしていた。研究所に参加するジャーナリストたちによって、2016年3月にWIJP(早稲田探査ジャーナリズムプロジェクト)が立ち上がった。そこから2017年2月にニューズルーム「ワセダクロニクル」が誕生した。ネット上に特集「買われた記事」の第1回「電通グループからの『成功報酬』」をリリースして、創刊を迎えた。2月1日のことである。4年5ヶ月前のことだ。

この特集「買われた記事」とは、簡単に要約すれば、複数の製薬メーカーから電通グループに広告費が支払われ、電通グループが一般社団法人共同通信社の姉妹組織である株式会社共同通信社に当該製薬メーカーの製品が登場する記事の制作を依頼し、完成した記事を一般社団法人共同通信社が社団の加盟社である全国の地方紙に通常の記事として配信し、地方紙はそれを一般記事として掲載し、かつその前後に当該製薬メーカーの広告をも掲載していたという、闇の中の金の流れ、その「ビジネスモデル」を暴露したものであった。手品師のトリックをばらしたのだ。

共同通信社には社名は同じだが、組織形態の違う2つがあって、一般の人にはわかりにくい。もともとあったのが社団法人で、社団法人だから会員の会費を財源としており、営利活動はできない。そこで、営利活動のできる株式会社が同じ社名であとから作られたのである。両者の間では人事交流が行われ、一体で運営されていると見られる。

この「買われた記事」のビジネスモデルの座回しをしていたのは電通グループであり、対価として収益を得ていたのは株式会社共同通信社であった。共同通信社はその名前の通り通信社であって、紙面を持っていない。共同通信社が制作し配信する記事を掲載するのは主として、社団法人に会費を支払っている地方紙である。その地方紙は知ってか知らでか、それらの「記事」を一般紙面に掲載した。そして、「記事」の掲載と時間的に連動した形で製薬メーカーの広告を広告欄に掲載し、それによって広告収入を得ていた。

「買われた記事」のようなやり方は「ステルスマーケティング」(略して、ステマ)と言われるもので、すなわち資金提供者である広告主の姿を隠した、見えなくした商品宣伝活動であり、消費者に対して公明正大な情報提供とは言えない狡猾な活動モデルだと言える。ましてや、そのようなフェアネスを欠いたビジネスが、人の命に関わる薬品の分野で密かに行われてきたという事実は衝撃的であった。このビジネスモデルのプレーヤーは製薬メーカー、電通、2つの共同通信社、全国に存在する地方紙の4者である。誰が一番罪深いのだろうか。

ワセダクロニクルが初報をリリースした、その日付で、私は早稲田大学ジャーナリズム研究所所長宛ての、「『買われた記事』についての抗議」という文書を一般社団法人共同通信社・総務局長・河原仁志(かわはら ひとし)氏から受け取った。ワセダクロニクルにも届いた。

私宛ての抗議書を見ると、ワセダクロニクルの記事は「当社の業務について重大な事実誤認があり、抗議します」の一文で始まる。そして、「これまで何度もお伝えしてきているとおり、ご指摘の記事は社団共同編集局が『報ずるに値する』と判断し、執筆して配信したものです。社団および執筆記者は対価を受け取っていません。『買われた記事』の表記は事実を歪曲しています」と続く。最後の段落は、「記事にはこのほかにも多くの事実誤認や疑義がありますが、連載が続くことを踏まえ、当社の具体的な対応はあらためてお示しすることとします」で、締められている。「具体的な対応」とは何を暗示しているのだろうか。

しかし、この河原局長の主張に根拠がないことは、その後12回続くシリーズの記事によって次々に証明されていく。そして、ワセダクロニクルは第8回目の記事「共同通信、『対価を伴う一般記事を廃止』」で、『共同労組ニュース』(No.256、2017年5月26日付け)の記事を引用する形で、河原局長自身が同日26日、労使協議会の席上、共同通信労働組合に対して「『対価を伴う一般記事』の配信を今後は廃止する方針を示した」と報じた。「対価を伴う一般記事」の配信をしていたことを、企業内の労働組合に対してではあるが、認めたのである。

そして、この特集の続報が報道したように、東京都健康安全部薬務課はこの問題で調査に乗り出したし(第11回目の記事)、共同通信加盟社で、その「買われた記事」を掲載していた、多くの地方紙の一つ、西日本新聞社に対しては福岡市が調査に入り、同市中央保健所が「記事なら記事、広告なら広告と明確にし、読者に誤解を招かないように」と口頭で指導を行った(第12回目の記事)。つまり、客観的に見て、河原局長の抗議書の当否については、とっくに勝負はついているのである。

この特集ではワセダクロニクルはクラウドファンディングを実施して、予想外の多額の寄付金を一般市民から得た。「マスコミ」とは違うニュース組織が出現したと歓迎され、それが寄附金の拠出となって表された。そうした最中に、大学の外部からは「マスコミ」を含めて大学広報課へ問い合わせが入ってきた。広報課は研究所所長の私にすぐコンタクトを取ってきた。「買われた記事」の発信について何か心配したようだった。が、私は決然としてワセダクロニクルを擁護した。その態度を見て、大学本部側の警戒感は解け、安心した様子で、その後大学本部側からワセダクロニクルについて何らかの心配や苦言が伝えられることは一度もなかった。むしろ、「大学発メディア」を早稲田大学らしいものとして静かに見守ってくれた。助成金などのお金はまったく出してくれなかったけれども…。

マスコミ人や、ワセダクロニクルの読者や寄付者の中には、早稲田大学がワセダクロニクルのスタッフに給料なり手当なりを出していると勝手に想像した人たちが少なくなかったようだ。大学がそうであれば、素晴らしいことだけれども、大学はそんなに甘くはないし、米国アメリカン大学のような先見性というか先駆性というか、そういうものは持っていない。ただ、大学への寄付金を取り扱う社会連携課(旧募金課)のスタッフは、大学の寄付金口座を窓口としてジャーナリズム研究所を指定して寄付されるお金を財源として成り立ち、活動するワセダクロニクルに対して暖かい友情を示してくれた。寄付金集めという共通のテーマで苦労する仲間であり、友であったからだ。クラウドファンディングという新手法を大学寄付システムの中に初めて導入しようとしたときも、社会連携課とは何度も話し合い、解決方法を模索し、そして何度も飲んだ。

ちょっと話が逸れたので、もとに戻そう。私にとっての問題は共同通信社からの抗議書である。ジャーナリズム研究所所長の私は、河原局長が2017年5月26日の労使協議会で共同通信労働組合に対して「対価を伴う一般記事」(つまり「買われた記事」)の配信をしていたことを認めたあと、同年8月23日付けでワセダクロニクルの顧問弁護士である喜田村洋一弁護士を代理人として社団法人共同通信社の社長に対して抗議書の取り消しと謝罪を要求した。それに対して共同通信社は代理人の弁護士を通じて同年9月6日付けで回答書を出し、その中で同社の抗議書は「ワセダクロニクルの名誉を毀損するものではありません」とし、「したがって、抗議書の取消し及びワセダクロニクルに対する謝罪を求める貴信に応じる法的義務はないものと考えております」と回答した。そうだろうか。抗議書を出した時の認識と調査事実が間違っていたことが判明し、労働組合に対しては非を認め、それまでの行動を修正すると述べたのだから、その抗議書を撤回し、相手に謝罪するのは倫理的義務ではないだろうか。外部に対する礼節は等閑に付し、身内だけで処理すればいいということなのだろうか。

その後しばらくして、その抗議書の発出者であった河原仁志氏が2019年7月9日に退任されたという新聞記事を見た。退任される前に、ご自分の発出文書についてきちんとケジメを付けて、潔く抗議書を撤回し、謝罪して欲しかったと、私は今でも思っている。共同通信社からの抗議書は今も私に突きつけられたままなのである。私は忘れない。河原仁志氏は私の名前を忘れたかもしれないが、私は彼の名前を忘れない。

誕生したばかりの「大学発メディア」に対して高飛車に抗議書を送りつけてきた、汐留の大手「マスコミ」の側の人間は忘れたのかもしれないが、抗議された「アリンコ」の側は決して忘れないのである。私は2018年3月に早稲田大学を定年退職して、ジャーナリズム研究所所長も辞めたけれども、私は肩書きで生きているわけではない。私はその抗議書の宛先である花田達朗個人である。今からでも遅くないので(ただし、私の死ぬ前に)、共同通信社は、抗議書の発出者が自ら責任を取らないのであれば、社として私に対して抗議書の撤回と謝罪をしていただきたい。いや、表現を間違えた。お願いするのではなく、私はそれを要求する。仮にその要求に答えないのであれば、共同通信社とはジャーナリズム機関としては倫理的にクズに等しい。私が高校生時代に接したベトナム戦争報道の共同通信が泣くだろう。

なお、私の大学退職を期にワセダクロニクルは大学から離れ、特定非営利活動法人として独立した。その3年後の2021年3月にはTansaと名称を改めて、ジャーナリズムNGOとして今も活動を続けている。フルネームはTokyo Invetigative Newsroom Tansaで、Tansa とは探査のタンサである。
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