花田達朗教授 「退職教員からのことば」 2018年6月11日  作成 佐藤敏宏
■2018年6月11日
  逃走の自由を!
「退職教員からのことば」のページに「教育学部のみなさんへ」として書いたものが『早稲田大学教育学部報』第113号(6月8日発行)に掲載されました。
7名の退職教員が書いています。私のタイトルは「『自由からの逃走』ではなく、逃走の自由を!」です。退職する前の3月に書きました。
この文章は「自由からの逃走」へと進む人々に向けてではなく、「不自由からの逃走」を求める人々のために書かれています。
自由を獲得しようとする「不自由からの逃走」において、逃走とは闘争である。

 「自由からの逃走」ではなく、逃走の自由を!

 教育学部のみなさんへ。私は教育学部で12年間過ごし、3月に定年退職で大学を去りました。新入生のみなさんとは入れ替わりとなりました。
 いまの世の中は生きにくいと言われます、特に若者にとって−−。その正体は何でしょうか。人間関係の作り方の難しさ、将来の展望が持てない不安感、政治・経済・社会の行き詰まり感などに理由があるのではないかと思います。
 そこには今日の日本に特有な「関係の病」と「利害関心の病」があると言ってよいでしょう。一方には他者との関係の持ち方や距離の取り方がうまくいかないという悩み、そのことにかなり腐心しなければならないという負担があり、他方には政治・経済・社会体制の矛盾と歪みの中で一体自分(たち)のインタレストとは何かがよく掴めないという所在の無さがあるでしょう。近頃の学生諸君を見ていると、他者への関心の希薄さを感じることが少なくありませんでした。
 こうした状況は、社会学的に言えば、「政治的無関心層」の拡大を招きかねません。その拡大の中から、強い権威を求め、それに服従する流れが生まれ、その社会心理をナチスが利用したのだという分析を提出したのが、エーリッヒ・フロムの著書『自由からの逃走』(Escape from Freedom)(日高六郎訳、東京創元社、1951年)でした。自由を自分から手放して権威や権力に返上してしまう態度をその書名は表しています。
 私はもう楽観的視点を持っていませんので、そういう道を望む人びとはそうすればいいんじゃないかと諦めていますが、そういう道を望まない人びとはどうしたらいいでしょうか。私のお勧めは「逃げ出すこと」です。嫌なものから決然として逃げることです。嫌な人びと(友人や親や教師や隣人や上司など)、嫌なこと(授業や仕事や義務など)、嫌な仕組み(会社や家父長制や国など)から逃げ出すことです。嫌な人とは話さなければいいし、嫌なことはやらなければいいし、嫌な会社や国からは脱出すればいい。
 逃げることは恥ずべきことではありません。状況がここまで深刻になってくると、今やむしろ美徳です。我慢してそこに留まることで時機を失してしまいます。問題は、嫌なことを嫌だとはっきりと感じる感受性とそれに忠実に行動しようという意志であり、それらがあるかどうかです。私の見るところ、ある部分の若者にとって今必要なのは、開かれた出口へ向かう「逃走の自由」(Freedom of Escape)を我が身にキープすることだと思います。
















 
 自由からの逃走


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