井上拓巳さんによる 阿武隈川舟運における物流について    HOME 

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                    03 梁川 

●以上が武者家だったんですが、次に梁川の関東屋直右衛門家ですね。こちら福島県歴史資料館蔵。収蔵資料からのものなんですが。この資料をちゃんと全部分析したわけではないのですが、今まで分析できた限りの話をさして頂きます。江戸関東方面から商品を仕入れて梁川周辺へ販売しているのが関東屋です。販売品目なんですが、砂糖薬種太物など 確認できます。

江戸から運ばれている事例を二つあげておきました。史料6・7に二つあげておきました。史料6なですが、年代が不詳なんですが

(←2006年の地図情報をもとに作成した 阿武隈川遡上絵)



「大急キ贈り状事」 遠州厚皮渋木大極上吉野灰ですね。境屋九左衛門おそらく江戸の商人だと思うのですが、ここから奥州梁川の関東屋直江門まで送られています。

このときの輸送経路なんですが、江戸から直接 荒浜に行くんではなくて。仙台湾の寒風沢(さぶさわ)という湊に送られます。そしてそこで 寒風沢西区の長南家を経由して 先ほどの荒浜の武者家、武者惣蔵殿のところで阿武隈舟運に接続し、その上で関東屋直江門のところに送られている。

この輸送経路というのは武者家の資料からも確認できています。武者家文書から確認できるのは、赤穂塩を関東屋直江門が仕入れしているという事例です。その際も同じ様な輸送経路を使っています。

次に史料7なんですがと書かれています。おそらく貝殻のことだと思います。この場合の江戸から梁川までの輸送経路なんですが、江戸川利根川舟運を使ってまず銚子まで運ばれます。

銚子から海路を使って、海をつかって塩竃の田中屋重右衛門という問屋まで運ばれ、そのうえでまた寒風沢まで運ばれ、そのあと荒浜に行って阿武隈川舟運を使って梁川の関東屋へ送られるという輸送経路になっています。

史料7は仙台の塩竃問屋である田中屋重右衛門である輸送費用や諸々の費用について報告しています。

江戸や関東方面から信達地域へ輸送される商品は、まず寒風沢塩竃に運ばれ、そこからそこから荒浜へ行き阿武隈川舟運に接続しています。

特に史料7なんてそうなんですが、何度も積み替えられることになるため、関東屋などの信達地域の商人にとって荒浜や塩竃そして寒風沢の荷問屋の存在はとても重要であったと考えられるのではないでしょうか。


以上で報告終わりです。特にまとめることが、これだけの分析では出来ないのですが、今後の展望を次に書いてあります。

今後 個人的な展望としては信達地域の商人の活動について検討していきたいなと考えています。 南東屋直右門家 以外に堀切三郎家二文字屋などの信達地域の活動についてみていきたいと思います。

特に二文字屋に関しては 関東屋右衛門から商品を仕入れているというのが確認できて、さっき 岩田さんが「山形の商人と関東屋の取引関係がある」とおっしゃっていたので「信達地域を中心に商人の活動を見ていきたいな」というのが一つあります。

そして荒浜の武者家の分析もまだ全部できているわけではなくって、読むのが大変なのもあるので、 ちゃんとした分析をすすめて全国市場との関係を視野に入れながら、特に塩の流通ですね。塩の生産現場とかの状況とかも視野に入れながら検討を試みていきたいと思っています。

まとまりのない報告なんですが以上で終わります

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       次の頁は2006年9月9〜11日 割り勘会費支出明細などです